第156話 衝撃的な事実
空を覆い尽くす異形の群れ。雲霞の如く……とはまさに、このことを言うのでしょう。視界いっぱいに広がる施擬似生物兵器たちの姿は、見た目の面積だけでなく、底知れない奥行きを有しています。
わたしは戦況の確認のため、エレンシア嬢やベアトリーチェたちの元にも《スパイ・モスキート》をはじめとする遠隔探査端末を配置していたのですが、数億の敵に包囲されている彼女たちの戦闘も、佳境となりつつあるようでした。
敵の数が数億に達しているとはいえ、局地的・一時的な面から見れば、数の大小そのものは問題ではありません。
実際、四方八方から炎や氷、稲妻や毒液などといった多種多様な攻撃を放ってくる敵を撃退するという『作業』自体に違いはないのです。
では何が問題なのかと言えば……
「おのれ……なんということじゃ……」
いかに聖女ベアトリーチェが『使徒』の中でもトップクラスの実力を備えていようと、無限に『魔力』を有しているわけではありません。
「……はあ、はあ、はあ、はあ」
いかに『ユグドラシル』のエレンシア嬢が無限の生命力を有しているとはいっても、精神的なものも含め、疲労そのものを感じないでいられるわけではありません。
数億の敵の波状攻撃に対応し続けていれば、当然のことながら、いつかは限界が訪れてしまうでしょう。彼女たちの後方支援をするべく、リズさんが各種の『法術器』による回復や補助的な魔法の付与を続けてはいますが、圧倒的な数の暴力の前には、まさに焼石に水といったところでした。
それでは、『佳境』とは……今まさに彼女たちの防御が突破され、異形の『擬似生物兵器』たちによって蹂躙されてしまうことを指しての言葉かと言えば、そうではありませんでした。
これはおそらく、『擬似生物兵器』をけしかけた『ミズキ女史』にとっても、まったくの想定外の事態でしょう。
「あはははははははははは!」
数億の化け物が雲霞の如く飛び交う宙域において、圧倒的な数の暴力をさらに圧倒的な純然たる『個の力』で蹂躙し続けていた黒髪の少女。両手と額に一つずつ、計三つの隻眼を輝かせる『絶禍級の愚者』。
彼女が手にした『紅い鞭』は、アンジェリカの使う武器を意識してのものなのでしょうか。変幻自在の間合いを駆使し、近づく敵をことごとくズタズタの挽肉へと変え、暴風雨のごとき戦いを続けています。しかし、それだけでは数億の敵を駆逐することなどできないはずです。
戦況が大きく変化したのは、彼女単体の戦闘行動そのものではなく、彼女の有する『別の力』によるものでした。
「……大して自我のありそうにも見えない化け物どもでさえ、彼女のことを恐れるのか?」
時折『戦場』から飛来する敵を《女神の拷問具》で打ち払うベアトリーチェですが、その顔には疲れの色と……それ以上に呆れたような表情が浮かんでいます。
「たとえ擬似的であれ、アレらが『生物』である以上、『生存本能』は持っているということですわ。それがなければ、戦闘中の回避行動もまともにできないわけでしょうし……」
「やはりキョウヤ様は……こうなることがわかっていて、この場を離れたのですね」
『王魔ユグドラシル』としての性質上、『命』に関しては他の誰よりも造詣の深いエレンシア嬢の言葉に、リズさんが納得したように頷きます。
いまや彼女たちの周囲には、脅威となるような敵の姿はほとんど存在していません。
『戦場』となっている宙域には、依然として億を数える『擬似生物兵器』たちがひしめいているものの、『敵』と『味方』の兵力差自体は徐々に狭まりつつあるのです。
○メルティの特殊スキル(個人の性質に依存)
『砂漠に咲く一輪の花』
1)生物を『強さ』で圧倒した時、対象を従属させる。この効果は永続する。
2)生物を『美しさ』で魅了した時、魅了の程度に応じて対象の身体能力を奪い、その分、自身の身体能力を強化する。この効果は対象との戦闘中のみ。
「あははは! メガミもホウオウも、実に愚かだわ! 世界はこんなにも美しいのに! 世界はこんなにも愛おしいのに! わたしたちは、こんなにも『自由』なのに! どうしてソレがわからないのかしら!」
『数千万の味方』の中央で、巨大な鳥の形をした擬似生物兵器にまたがり、けらけらと笑う漆黒の少女。彼女は手から溢れる滅魔の光を自在に操り、『味方』に害を与えることなく、『敵』だけを確実に打ち滅ぼしていました。
「なんだか……メルティちゃんの性格が変わっとらんか?」
「いいえ。性格なら元からあんな感じですわよ。変わったとすれば……何かしら? 口調が大人びていると言うか……頭が良くなったとか?」
「いいえ、お嬢様。あの子はもともと、頭の良い子でしたよ。ですから……何というか……変わったと言うより……」
「『化けの皮が剥がれた』って言うのよ」
ベアトリーチェ、エレンシア嬢、リズさんの三人が何とも言えない様子で顔を見合わせていると、最後に別の人物の声が割り込んできました。
「え?」
三人が振り返った先には、わたしが造った即席の寝台がひとつ。声の主は、そこからようやく身体を起こし、眠い目を擦りながら伸びをするアンジェリカでした。
「あら、もうお目覚めなんですか?」
「本来なら『悪魔は嘘を吐かない』を使った後は、丸一日ぐらい目が覚めないはずなんだけどね。なんか空気がバチバチ音を立ててるみたいな『魔力』は感じたし、世界が滅びちゃうんじゃないかってくらいの真っ黒な気配もしたし……。これで目が覚めない方がどうかしてるわ」
意外にもおしとやかな所作で寝台から降りると、彼女はスタスタと三人の元まで歩いていきます。
「さっき、『化けの皮が剥がれた』とか言いましたわね? どういう意味ですの?」
「そのままの意味よ」
エレンシア嬢の問いかけに、アンジェリカはわずかに頬を膨らませながら言葉を続けます。
「メルティってば、わたしと二人きりで『禁じられた魔の遊戯』で遊んでる時なんて、いつもあんな感じだもの。わたしに対しては口調ばっかりお姉さんぶるくせに、キョウヤの前だと甘えちゃって……」
「……なるほど。それはそれで衝撃の事実じゃのう」
口ほどにショックを受けた様子ではありませんが、ベアトリーチェは依然として激しい戦いが続く『戦場』を見上げ、深々とため息を吐いたのでした。
──あたりを包み込む巨大な『泡』
それは先ほどメルティとリズさんを包んでいた『泡』と似ているようでいて、そこから受ける印象は、まったく異なるものでした。
「随分と疲れてるみたいだね?」
正体のわからないモノに囲まれながら、マスターは平然と『ミズキ女史』に語り掛けています。
「……ふふふ。敵の心配をしている暇があるのか?」
彼女はなぜか、真っ青な顔のまま、肩で荒く息をしているようでした。
「そりゃあ、さっきまで元気そうにしてた人がその有様になればね」
「お人好しなことだ。言っておくが、これはただの『泡』ではない。わたしが君の能力を解析し、それを『対消滅』させるために生み出した……新たなる『可能性の泡』なのだからね」
「なるほど。それはすごいね。それだけに、《法王の筆》を使っても、かなりの重労働だったってわけかな?」
「そんな余裕を口にしていられるのも、今のうちだよ。《法王の筆》、顕現。書換対象:指定空間座標の空気圧」
「減圧? いえ、これは収束!? 《エアリアル・シールド》を展開!」
わたしはセンサーで『ミズキ女史』の生み出した『真空の刃』を察知すると、とっさに圧縮空気の盾を生み出し、それを相殺しました。
「くくく! やはり君の【スキル】は発動しないな? ヒイロ君に護られでもしなければ、今頃君は真っ二つだぞ?」
なおも複雑に《法王の筆》を動かし続ける彼女に対し、わたしは油断なく周囲の空間にセンサーを張り巡らし続けざるを得ません。彼女の『魔法』の原理自体は解明できなくとも、引き起こされた『現象』が物理で説明できるものなら、対処の方法はあるはずなのです。
「君の方こそ、随分しょぼい攻撃しかしてこないんだね。やっぱり、この『泡』に力をつぎ込んでいるからなのかな?」
「だとしても、今の無力な君を殺すには、この程度で十分だ。唯一君の盾となりうるヒイロ君とて、わたしの『庭』で、わたし以上に世界を『支配』することなどできないのだからな!」
なおも挑発するようなマスターの言葉に、苛立った声を上げる『ミズキ女史』。かつての人を食ったような態度を思えば、今の彼女はまるで別人のようです。
「いいね。正直僕は、君のことが気持ち悪くて仕方がなかったのだけれど、ようやく君の『心』が見えてきたような気がするよ。……これが気のせいなんかじゃなければいいんだけどね」
「何を意味の分からぬことを! 《法王の筆》、顕現。書換対象:指定空間座標の光―熱エネルギー!」
「く! 《サーマル・バリア》を展開!」
強引に周囲の光を熱エネルギーに変換し、こちらを焼き尽くそうとする『ミズキ女史』の『法術』に対し、わたしは瞬間的に熱そのものを遮断する【因子演算式】を展開して対抗します。
「ほら、どうした? 殺意の反射どころか、お得意の反転冷却魔法さえ使えないのか? 女の子に守られてばかりで情けないと思うなら、少しは反撃したらどうだ」
今度は『ミズキ女史』の方が挑発的な言葉を口にしましたが、対するマスターはと言えば、表情一つ変えようとはしませんでした。
「僕はヒイロを信用しているからね。慌てる必要がないってだけだよ。それに、君への攻撃手段なら、ちゃんとある」
「攻撃手段? その『不完全の剣』かね? 直撃さえ避ければ、そんなものは恐れるに足りぬ。それが生み出す【ダークマター】の雲自体は、わが『泡』の力で容易に『対消滅』できるのだからな」
誇らしげに語るミズキ女史ですが、マスターはここで、ニタリと不気味な笑みを浮かべます。
「相変わらず、随分なおしゃべりだけど、さすがに語るに落ちてるね。中途半端な攻撃に、やたらと僕に直接攻撃を誘う言葉。まるで自分から近づいてきてほしいと言っているみたいじゃないか」
「……何が言いたい」
「確かに君は、僕の【スキル】をある程度、封じることに成功している。殺意の反射、性質の反転、世界との関係性の逆転。それが君の理解したモノなんだろう? まあ、僕も君に聞かされて知ったみたいなものだけど……」
「ある程度ではない、すべてのスキルだ。我々を覆うこの『可能性の泡』は、この世界に害を及ぼすあらゆる君の力を『対消滅』できるのだ」
『ミズキ女史』は、表情を変えることなく反論の言葉を口にしました。しかし、その声は、何故かわずかに震えているようです。
「……だけど、ここにきてようやく、君にもわかったんじゃないのかい? それだけでは説明できないものがある。理解できていないものがある。君には足りない知識がある。……だからこそ、迂闊な攻撃を控え、より僕から新たな『分析材料』を引き出そうとしている」
「……」
「自分が『理解できないもの』が、そんなに怖いのかい? 」
「……うるさい」
唸るような声を出し、こちらを睨みつける『ミズキ女史』。
「それとも、知ったかぶって自慢げに語っちゃった挙句、それが『間違い』だったことに気付いちゃったって感じ?」
「……き、貴様」
「いやいや、そんなに恥ずかしがらなくてもいいんだぜ? 誰だって『間違い』はあるんだしね」
「黙れ! ……もう、戯言はたくさんだ。いいだろう。わたしの全存在をかけて! 君に逃れるすべもなく、ヒイロ君に防ぐ間も与えない、真の『滅び』を与えてやる!」
《法王の筆》を激しく振りかざす『ミズキ女史』の周囲に、無数の光が文字となって浮かび、瞬いては消えていきます。
「逃げる必要も、防いでもらう必要もないよ」
マスターはそう言って笑うと、手にした『パンデミック・ブレイド』をあっさり放り投げました。
「あ、危ないですから、やめてください!」
わたしが慌ててそれを《ワーム・ホール》を展開して亜空間に収容すると、
「あはは、ごめんごめん」
マスターは、目の前で輝きを強める『滅びの力』など気にも留めずに、わたしに笑いかけた後、『ミズキ女史』に視線を戻して言いました。
「君に衝撃の事実を教えてあげるよ、ミズキさん」
「なに?」
「実は僕、メイドさんの次くらいに、『眼鏡っ娘』にも目がなかったんだよね!」
残念ながら、今の『ミズキ女史』は眼鏡をかけていません。……ではなくて、こんな場面で、どうしてここまで残念なセリフを吐くのでしょうか?
『つまり、君の敗因は自ら眼鏡を外したことだ!』と言わんばかりにドヤ顔をして見せるマスターを前に、こんな方が自分のマスターだと言う事実の方が、よほど衝撃的な気がしてならないわたしでした。
次回「第157話 狂える鏡と法王の人形」




