第149話 ボックス・イン・ザ・キャット
『大法学院』のすべての『法術士』が死に絶える。
衝撃的な彼女の言葉に、わたしたちは思わず息を飲みました。
マスターの背中で寝息を立てているアンジェリカを除けば、この場の全員が目を丸くしており、メルティでさえ驚いたように『ミズキ女史』へ視線を向けています。
「くくく! 結局のところ、『大法術士』の皆さまも、ただの道具。《霊光船団》や《転移の扉》といった高度な『法術器』の開発は、『フラクタル・ホルダー』たち──【フォトン】、【グルーオン】、【ウィークボソン】、【グラビトン】の『四人』が担っていたというわけさ」
皮肉げに唇の端を歪めて笑う『ミズキ女史』。
彼女の語る四人の名前。それは、マスターの世界や【因子】発見前のわたしの世界の文明において、世界に存在するあらゆる『力』の根源的な媒体と考えられていたものです。
つまり、少なくともこの都市では、そのレベルの科学的知識が存在しているということなのかもしれません。
「……そして、貴女が【グラビトン】だと?」
「今はね。もう気付いているとは思うけど、四人の称号は【力】になぞらえて決められている。世界を調律する四人の絶対者、というわけさ」
だとすると、やはり、彼女は他の三人を殺害することで、『大法学院』での実権を握ろうとした──そう考えるのが自然でしょう。
「わたしが前任の【グラビトン】に対してやったように、手順を踏んで『フラクタル』を奪うならばともかく、過激な手段での『ホルダー』の殺害は、間違いなく『叛逆』と認定される。不死に近いはずの『フラクタル』の死は、それだけの大事件なんだよ」
「マ、マスター……」
さすがのマスターも、今ばかりは固まったように動こうとしませんでした。
「く、くくく! やっと驚いてくれたね。どうだい? 『罪もない一般人』を大量虐殺した、今の気持ちはさ」
「………」
楽しそうに笑う『ミズキ女史』を見つめながら、なおもマスターは沈黙を続けています。
「ふん。随分と地味な嫌がらせじゃな。そんなもの、明らかな騙し討ちじゃろうが。それとわかってやらせたなら、この都市の民衆を殺したのはこの男ではなく、うぬであろう」
ベアトリーチェは、この時点で『ミズキ女史』を敵と判断したらしく、背中の翼を展開して彼女を睨みつけています。周囲には《女神の拷問具》がふわふわと宙を漂っていました。
「騙し討ち? ははは。でもねえ、彼が得られるかどうかもわからない知識という『不定形で不確定で不明瞭なモノ』のために、『罪もない老人たち』を殺したのは本当のことだ。『こんなつもりではなかった』といったところで、ソレが今の結果を招いたわけだろう? わたしとしては、そういう世界の真理を『教えて』あげたつもりなんだけどね」
「ふん。随分と余裕じゃな。うぬらの言う『バベル』とやらの守護は、キョウヤの力の前には、まるで無力だった。ならば、うぬとて同じはずじゃ」
「おお、怖い。さすがは聖女様だ。何の縁もないこの都市の住民の死に、そこまで憤ることはないだろうに」
からかうように言った『ミズキ女史』ですが、ベアトリーチェは特に怒りを露わにすることもなく、銀の瞳をいぶかしげに細めました。
「じゃが、うぬの行動の意味が分からぬ。目的は何じゃ? この都市で権力を得たいなら、そこに住む人間を皆殺しにしては、何の意味もあるまい」
「決まっているさ。『世界』のためだ。ゆえに『対価』としては、これでも全然足りないくらいだ」
「まともに答える気はないということか」
「この上なく真面目なのだけどねえ……まあ、いいか。それより、わたしとしてはキョウヤ君に、さっきの質問に答えて欲しいんだけどな」
口元に歪んだ笑みを浮かべた『ミズキ女史』は、それが何よりの優先事項だとばかりに、同じ問いかけを繰り返します。
「……何の罪もない一般市民を虐殺した気持ち、だっけ?」
すると、ここでようやくマスターは、彼女の言葉に反応を見せました。
「そうそう、それだよ。わたしはどうしても、知る必要がある。わたしにとって、この『問い』は、その『答え』は、数万人を犠牲にしてでも知るべき価値のあるものだ」
眼鏡の奥の彼女の瞳には、観察・実験・解析といった研究者ならでは『興味』の色が宿っています。しかし、それは決して『面白半分』などではなく、己の生涯を賭しているかのごとき狂おしい熱さえ感じられるものでした。
しかし、対するマスターは、不思議そうに首を傾げています。
「うーん。でも……たった『三人』でしょ? それもこの都市の他の住人の命を食い物にしてた爺さんたちなわけだし……『人として当然』の良心を持っている僕としては、心が痛まないこともないけど、わざわざ語るような特別な感想は持てないけどな」
「はあ……やれやれ、がっかりだな。君も聖女様と同じく、『自分が殺したわけじゃない』と現実逃避をするのかな? でもねえ、現に……」
残念そうな顔でしゃべり続けようとする『ミズキ女史』でしたが、彼女はその言葉を最後まで続けることができませんでした。
「現に、じゃないよ」
マスターが冷めた口調で口を挟んだからです。
「む?」
「僕らは、外が見えない部屋の中にいるんだぜ? この街の人たちが死んだかどうかなんて、わからないじゃないか」
「……どういう意味かな?」
「僕は猫とか大好きだから、たとえ、例え話でもああいうことは考えたくないんだけど……、つまりは『そういうこと』でしょ?」
にたり、と笑みを浮かべて問いかけるマスター。
「……君、わざとわたしに、わからない言い方をしているね?」
『ミズキ女史』は顔をしかめて呆れたように息を吐くと、仕方がないと言いたげに首を振りました。
「まったく、随分と意地が悪いね。……まあ、いいだろう。じゃあ、わたしも君に教えを請おうか。君はいったい、何を言っている?」
「『箱の中の猫』の話は、僕の世界じゃ有名なんだけど、この世界じゃ知らなくても無理もないか。簡単に言えば、『知らないことなんて、存在しないも同じ』だってことになるかな?」
色々と間違っている上に、随分と乱暴なまとめ方をしたものですが、マスターが言いたいのはおそらく、彼の世界にいた科学者が提唱した、いわゆる『思考実験』のことでしょう。
ますます混乱させるような彼の言葉に、ベアトリーチェやエレンシア嬢、さらにはリズさんまでもが理解しがたい様子で首を傾げていますが、ここで劇的な反応を見せたのは『ミズキ女史』でした。
「く、くくく! ははははは! あーっはっはっは! そう来たか。よりにもよって、君が、その言葉を口にするか! なるほど……まったく、スケールの大きな能力もあったものだね」
腹を抱えるようにして、大笑いを始めた『ミズキ女史』を横目に見つつ、わたしはここでようやく、『ソレ』に気付きました。
「能力? いえ、【スキル】ですか? ……ま、まさか『コレ』が?」
そう、今までになく大規模で、それでいて、わたしたちの周囲には一切の影響を及ぼさないスキル。【因子観測装置】を備えたわたしでさえ、気づくのが遅れてしまうほど、異質なスキル。彼が今回、数万人を殺すに匹敵する『三人』を殺害したことによって得た、無数のスキルのうちでも極めて特殊な部類に入るスキル。
そのスキルの名は──『曇り硝子の天外魔鏡』
「たった今、この瞬間から、『世界』は、この部屋の中だけになった。外には何も存在していないし、存在していない以上、生きているか死んでいるかなんて、関係がない」
荒唐無稽な彼の言葉は、まるで現実感を伴わないものです。しかし、それは紛れもない事実であり、最初にそのことに気付いたのは、エレンシア嬢でした。
「どういうことですの? 外には何も存在していないって……でも、キョウヤ様……あ、ああ……う、嘘!」
「え? お、お嬢様? いったい、何が……」
「エレン? 大丈夫?」
エレンシア嬢が突然、頭を抱えるようにその場にしゃがみ込むと、すかさずリズさんとメルティが傍に駆け寄っていきました。
遠隔知覚のスキル『世界で一つだけの花』を有する彼女は、この部屋の外の状態を探ろうとして、わかってしまったのでしょう。正真正銘、この部屋の外側には、『世界』が存在しないということに。
わたしの【因子観測装置】でさえ、外の状態が【ダークマター】に類する解析不能な状態に陥っていることがわかる程度なのです。
ならばこれは、『世界を消滅させるスキル』なのでしょうか?
そう問われれば、答えは『否』です。これはただ、マスターが知覚していない範囲の存在に対し、一時的に『状態を定義できない状態』を強いているようなものなのです。
不定形で不確定で不明瞭な世界の外を──『天の外』を映し出す、曇った鏡。
それを覗き込むものに、何一つ正しいものを与えない魔の鏡。
それこそがマスターの特殊スキル『曇り硝子の天外魔鏡』なのです。
やがて、きょろきょろと何かを確認するように周囲を見渡していた『ミズキ女史』は、観念したように息を吐くと彼に語り掛けました。
「いやいや、恐れいったよ。わかった。認めよう。今の話は『嘘』だ。わたしが自分の愛する『法術士』の仲間たちを殺させるわけがないだろう? 『フラクタル・ホルダー』を殺したところで、死ぬのは反逆者本人ただ一人だ。何かあるたびに『ピース・ホルダー』全員が巻き添えになって死ぬんじゃ、効率が悪いにもほどがあるからね」
彼女はそう言って、悪びれることなく肩をすくめて笑います。
すると、その直後──マスターのスキルの最終的な効果が発動しました。
つまり、『天の外』の状態が彼女の言葉によって、『確定』したのです。
「……説明するまでもなく、マスターのスキルを『理解』したというのですか?」
今の彼女の発言は、明らかに彼のスキルの性質をわかっていてのものでしょう。恐らくは、彼女が口にした『嘘』という言葉こそが、嘘であるに違いありません。
「与えられた情報から『演算』してみただけだよ。要するに、こういうことだろう? 彼が知覚できない範囲の存在について、その状態を彼以外が彼に対して定義した時、彼がこの能力を発動することで、知覚範囲外の『世界の状態』が未確定なものに変異する。そして恐らく……その未確定状態を解除するには、スキルの対象者が先ほどとは異なる『再定義』を行うか……あるいは『死ぬ』ことによって自身が定義した状態を『確定』させる必要がある。まあ、最初の定義にしろ、その後の再定義にしろ、最低限の『もっともらしさ』を備えている必要はありそうだけどね」
さらに言えば、スキルを解除しないまま、『外に出る』ことはすなわち、【ダークマター】の海に飛び込むも同じなのです。事実上、外部から遮断された空間でしか使用できないスキルではありますが、これを使われたが最後、対象は自身の発言を撤回して世界を変異させるか、死ぬしか選択肢がないでしょう。
「つくづく、恐ろしいね。いや、何が恐ろしいかと言って、能力のことじゃない。君は、『知らなかったはずの未来』を予期していたかのような能力を写し取った。この事実は、そのものずばり、君に対するわたしの『懸念』が的中していたことを意味する」
「相変わらず、もってまわったわかりにくいことを言うんだね」
「……ようやく、わたしの方針が決まったよ。まずは……そうだな。君が『知りたい』ことがあるなら、何でも聞くがいい。はっきり言って、今のわたしに『知らない』ことなど何もないのだから」
彼女はそう言って笑うと、既に老人たちのホログラムが消滅した椅子に近づき、その一つにどっかりと腰を下ろしたのでした。
次回「第150話 アニマ・ムンディ」




