第148話 ジェノサイド
「なるほど、わたくしたちにあの三人の御老人を殺し……って、何を言い出すんですの!?」
『ミズキ女史』の爆弾言葉を受け、エレンシア嬢が目を丸くして叫びました。
「何をも何も、言ったとおりの意味だよ。聞いててわかったと思うけど、私にとって、あいつらは邪魔な存在なんだ。だから、彼らを殺してくれたら、君たちの『知らないこと』を教えてあげよう」
「……なるほどね。交換条件ってわけか」
マスターは、冷たい視線で『ミズキ女史』を見つめながらつぶやきます。
話の内容からして、彼女はわたしたちを『大法学院』内の権力争いに利用しようというつもりなのでしょう。もしかしたら、マスターには、そうした彼女の振る舞いが『まるで心が無いかのよう』に見えるのかもしれません。
「き、貴様! 何ということを!」
「正気か、女狐!」
当然、この会話を聞いていた老人たちも黙ってはいません。しかし、こうして激昂したのも一時のこと。すぐに落ち着きを取り戻すと、再び嘲るように笑いました。
「馬鹿め。我らはこの『バベル』のシステムによって守られた存在だ。貴様自身と同様、我らを殺すことなど誰にもできないことぐらい、承知していよう」
「そうとも、この『大法学院』において『フラクタル・ホルダー』を殺すことが何を意味するのか……それをわからぬものなど、この都市にはおらぬ」
「ところがどっこい。彼になら、できるそうだよ? すぐにでも皆殺しにできると豪語していたからね」
そう言って、ウインクするようにマスターを見る『ミズキ女史』。しかし、マスターはと言えば……
「できるからといって、実際にやるかどうかは別問題だよ」
そう冷たく返すのみです。
「なぜだ? 君が求める知識は、この世界では極めて貴重なものだ。たとえ相手が特に敵対しているわけでもない人間であろうと、引き換えにするにためらう理由はない」
「いや、敵対はしておるじゃろうが。あれだけの攻撃を受けておいて、友好関係にあると言えるほど、キョウヤも、わらわたちもお人好しではない」
苦々しげにそう言ったのは、ベアトリーチェです。
「それは誤解だ。遊覧船の事故も『霊光船団』の襲撃も、私の手配によるものだからね。彼らには、一切の罪はない。彼らが監視するだけでよいと言ったのを無視して、君らをここに連れてきたのも私だ。つまり、彼らは一方的に私に迷惑を掛けられた被害者だというわけだ」
楽しそうに語る『ミズキ女史』ですが、しかし、話の流れに違和感を覚えざるを得ません。何故あえて、彼女はこんなことを言うのでしょうか?
「……随分正直に言うんだね。敵だということにしておけば、君の提案に僕が乗る可能性も高くなっただろうに」
マスターも同じことを感じたのか、声の調子が少しだけ変化していました。
「それじゃあ、つまらないだろう? わたしは君に、『知識を得る』という対価のために、『罪もない人間を殺して』ほしいのさ」
なおも薄ら笑いを浮かべた彼女は、白衣をまとった両腕を広げ、眼鏡の奥から奇妙な光をたたえた瞳をこちらに向けてきました。
「…………」
マスターはそれに対し、沈黙したまま探るような目を彼女に向けます。
すると彼女は、トドメとばかりにこんな言葉を口にしました。
「もっと言うならば……あの三人は君にとって『極上の獲物』だよ。それこそ一般人を優に数万人は虐殺したのと同じだけの『見返り』を得ることができるだろうさ」
「…………」
彼女の言葉は、単なる一般論としての『命の価値』を語っているようにも思えます。
しかし、彼女のこれまでの言動……特に『わたし』のことを知っているような口ぶりさえあったことを思えば、彼女が『世界で一番綺麗な私』のことを『知って』いるとしても、不思議ではありません。
と、わたしがそこまで思考を進めた、その時でした。
「人殺しに、見返りなんかないよ。あるはずがない。それこそ、『石』でも壊すように簡単に人を殺した僕だけど……それだけはわかる。僕が得ているのは『見返り』なんかじゃなく、もっと性質の悪い『歪み』みたいなものなんだろう」
彼の言葉は聞いたとき、わたしは胸を締め付けられる思いがしました。これはおそらく、彼が初めて、自身の『殺人』の意味について、他の何かに例えることなく、『殺人そのもの』として語った言葉です。
「ははは! よく言うよ。君のような『反存在』が──他の存在を『殺す』ことで『写し取る』──君のようなモノが、今さら殺人に罪の意識を感じているとでも?」
「罪? さあね。よくわからない。そんなこと、考えたこともなかったから……」
淡々と続く二人の会話。しかし、ついにここで、ローブ姿の三人の老人たちが腹に据えかねたように叫びました。
「いい加減にしろ! たとえ【特異点】であろうと、我らを殺すことなどできるものか!」
「我らは『フラクタル』! 世界の真理を解する、至高にして無限の『叡智』の担い手なり!」
「……愚か者どもが。『議決権』を有する我らには、この『バベル』に集うすべての『叡智』を用いる権限がある。その気になれば、貴様らを永遠に封じることさえできるのだ」
三人のうち最後の一人。【フォトン】と呼ばれた老人だけが、静かな声音で警告の言葉を口にします。
しかし、『ミズキ女史』は馬鹿にしたように目を細めると、薄く笑って手を振りました。
「無理無理。抵抗するだけ無駄というものだよ。そもそも君たちは彼のことを【特異点】だなんて的外れな名で呼んでしまっている時点で、思考を停止しているんだ。まったく、それで『永遠の思考』を名乗るだなんて、おこがましいにもほどがある」
「……思考を止めたつもりはない。現状、理解不能なものにとりあえずの仮称を与えているだけだ。永遠に思考し、無限に知識を積み重ねる我らに、届かぬものなど何もない」
【フォトン】は『ミズキ女史』の辛辣な言葉にも、まるで動じた様子もありません。彼の態度の裏にあるのは、圧倒的な自負と言うべきものでしょう。
「ふふふ。さすがは最古参の『フラクタル』だ。でもね。『それ』じゃあ駄目だ。まったく足りない。『無限』という途方もない概念をもってしてさえ、『彼』には全然届かない」
「……【グラビトン】。貴様は何を知っている?」
「君の『知らないこと』を──かな? まあ、どうしてもと頭を下げるのなら、教えてあげてもいいけどね」
再び『ミズキ女史』は、試すような視線を【フォトン】に向け、両手を広げて笑います。
「ふざけるな。貴様ごとき若輩者に教えを請う必要などない。でたらめな知識など、百害あって一利なしだ」
吐き捨てるように【フォトン】が言うと、他の二人も賛同するような頷きを見せました。
「……そうかい。それは残念だ。まだしも君らが『知識』のために自身のプライドを『対価』として払うだけの気概を持っているのならば、彼への殺害依頼を取り下げてやっても良かったのだけどね」
心の底から残念そうに首振る『ミズキ女史』。彼女の言動はこれまでのところ、全くと言ってよいほど掴みどころがないものでしたが、この時だけは、その表情に内面がにじみ出ているようにも見えました。
「まったく……何度も言うようだけど、できるからってやるとは言ってないんだよ? 今の話が本当だという根拠もない以上、ミズキさんのために彼らを殺してやる理由もない」
呆れたように言葉を挟むマスター。しかし、『ミズキ女史』は、そんな彼に不敵なまなざしを向けました。
「根拠? ははは! 根拠根拠根拠根拠! そんなモノに何の意味がある? いったい、それがどんなモノであれば、君はそれを信じる? この不定形で不確定で不明瞭な『世界という存在』を、いったいどんなモノが『証明』してくれると言うんだい?」
「……ミズキさん?」
「そんなものはないよ。だから、私は言っている。それでもなお、君が『知りたい』と望むなら、『対価』を払えとね」
狂熱──そう呼ぶしかない光を眼鏡の奥から放つ彼女は、マスターに選択を迫ります。不定形で不確定で不明瞭なモノのために、確かに存在しているはずの知性体の『命』という『確かなモノ』を奪って見せろと……
それに対し、マスターが出した答えは……
「……『全てを知る裸の王様』、『目に見えない万華鏡』」
何の淀みもない口調でなされた、連鎖して発動する二つのスキルの宣言。それはすなわち……対象となる『知性体』と世界との、『関係性』の喪失です。
「な、なななな! なんだ? 何か起きた!?」
「ど、どうして……こんなことが!」
「装置が! 装置が使えない!」
突如として、ホログラムに映る三人の老人たちがゴーグルを取り去り、頭を掻きむしるようにして呻き始めました。
「あはははは! 素晴らしい! ついに君は、何のためらいも見せなかったね。君が逡巡したのは、わたしの真意を量っていただけのことだろう? くくく! 君は彼らの『命』自体には、一切頓着していなかったんだ。己の『知りたいこと』のために、彼らの命をためらいもなく奪ってみせた!」
そんな老人たちの狂った様子を見つめ、嬉しそうに笑う『ミズキ女史』。しかし、マスターはつまらなそうに首を振るだけです。
「そんなに大げさなものじゃないよ。だって……僕には、彼らが『人形』にしか見えなかった」
「うん? 人形? どういう意味かな?」
「君が言ったんだろ? 彼らはただの『傀儡』だって。その言葉が無くても、僕には彼らがそうとしか見えなかったけど……わかりやすく言えばそういうことじゃないかな」
「ふむ。《知識の天秤》にかけるには、彼らの『命』では軽すぎたということかな? 少し残念だ。もっとも……あの爺どもの苦しむ姿が見られたのは『爽快』だし、ここは『満足』だというべきだろうね」
興ざめしたように声の調子を落とした『ミズキ女史』ですが、わたしはここで、重大な事実に気付きました。
「……どういうことです? 貴女はなぜ、彼らの姿にそんな『感想』を抱くことができるんです?」
対象から世界との関係性を奪うスキル『目に見えない万華鏡』。これを受けた者は、自身の行動によって世界に影響を与えることができなくなります。それは単に『行動が結果を生まない』というだけではなく、その者の姿を見た相手の心にすら、影響を残せないというものなのです。
わたしたちがかろうじて彼ら三人の存在を知覚できるのは、そうした状態に陥った彼らのことを、何の問題もなく知覚することが可能なマスターの影響を受けているからです。
しかし、そんなわたしたちですら、彼らの姿に何らかの積極的な感想を抱くことは困難なのです。
「貴女は……何者ですか? いえ、貴女は『何』なのですか?」
マスターはおそらく、世界とは異質であるがゆえに、世界との関係性を絶たれたモノと関係することができるのです。だとすれば、それと同じことができる彼女という存在は……
「いい質問の仕方だね。ヒイロ君。でも、その前にひとつ、衝撃的な事実のお知らせだ」
「え?」
「実はね。この『大法学院』に生きる『大法術士』たちは、そのほぼすべてが『ピース』という特殊な生体ユニットを分け与えられて研究に励んでいるんだ。そして、このユニットの特徴はね……それを有する者の『生命力』や『論理演算能力』の一部を『フラクタル』を持つ者と一方的かつ強制的に『共有』させるということなんだよ」
「……なるほど。リズさんが言っていた、この都市にある『限りあるもの』とは、そのユニットのことでしたか」
しかし、それの一体何が『衝撃的』だと言うのでしょうか?
などと、わたしが考えた直後です。まさに、彼女は耳を疑うような『衝撃的』な言葉を口にしました。
「それでね? 『ピース』が特に傑作なのはさ。ソレを持つ法術士──いわゆる『ピース・ホルダー』たちは、決して『フラクタル・ホルダー』には叛逆できないという事実なんだ。……だって、『フラクタル・ホルダー』が死んだりして、その『共有関係』が一方的に破棄されたりすれば……」
ここで言葉を一度切ると、悪戯が成功した子供のように、首を傾げてにっこりと微笑む彼女。
「それとリンクする『ピース』を持つ『ホルダー』たちは……一人残らず死に絶える。どうかな、キョウヤ君? 数万人分の『命』ともなれば、さすがに軽いものではないだろう?」
次回「第149話 ボックス・イン・ザ・キャット」




