第147話 フラクタル
「議場」と言っても、その部屋にはテーブルがありません。部屋の中央に置かれているのは、透明度の高いクリスタルのようなもの。それを四つの座席が向かい合うように取り囲んでいます。部屋には他の調度品は一切置かれていないため、無駄に広い空間が広がっていました。
「やあ、待たせちゃったかな?」
「……女狐め。よもや本当に【特異点】を連れてこようとは」
手前にある椅子を除く、三つの椅子に腰かけた老人たちは、それぞれが紫紺の外套を纏い、フードを被っているため、その目元をはっきりとうかがうことができません
しかし、袖から覗く皺の多い手や枯れたような声からも、彼らが『老人』であることだけはわかりました。
「やだなあ。君たちが私に与えた任務でしょうに。『新入り』として、この『座』に座るにふさわしい存在かどうか、試すとか何とか……」
大げさな身振りで肩をすくめて言うミズキ女史ですが、その言葉は最後まで続きません。老人たちの一人が、突如として怒鳴り声を上げたからです。
「詭弁をほざくな! 青二才が! 貴様に与えたのは【特異点】の監視の任だ! この聖地に災厄を招き入れ、我らが『最強の戦力』を無駄に破壊することではない!」
すると、彼に同調するように他の老人たちも声を荒げ始めました。
「思い上がりもほどほどにするがいい。先任の油断から貴様の手に『フラクタル』が渡ったことだけが、貴様にとっての幸運なのだ。それがなくば、貴様の命などすぐに消し飛ぶものと思え」
「そのとおり。貴様は所詮、『四分の一』でしかない。『議決権』を行使できない貴様には、この都市で何も為すことはできん」
嘲笑うような気配とともに、身体を揺する三人の老人たち。しかし、わたしが解析した限りでは、この場の彼らには『実体』はなく、どうやらホログラムを椅子の上に投影しているだけのようです。
「……わらわたちを監視していたのは、あの三人じゃな」
「ど、どうしましょう……。なんだか、険悪な雰囲気ですけど……」
低く呟くベアトリーチェの隣では、リズさんが不安そうな声を上げています。
「心配はいらんぞ、リズ。ああいう醜い男どもには、わらわがしっかり制裁を加えてやるゆえにな」
「あまり物騒なことを言わないでくださいな。わたくしたちは、話を聞きにきたのであって、争いにきたわけではないはずでしょう?」
エレンシア嬢が何かと好戦的な聖女様をたしなめるように言いましたが、ここでミズキ女史はこちらを振り返ると、にこやかに笑いかけてきます。
「ほらほら、一応初対面の相手なんだし、あいさつぐらいしてあげてもいいんじゃないか?」
その言葉は、どうやらマスターに向けられたもののようですが、ミズキ女史は彼がどんな反応を返すのか、様子を窺うような顔をしていました。
「……こういう不意打ちはやめてくれないかなあ。僕、これでも人見知りな方なんだぜ?」
「そうは見えないけどねえ。まあ、いいか。それじゃあ、わたしが彼らを紹介しよう。右から順に、【フォトン】、【グルーオン】、【ウィークボソン】だ」
「き、貴様! 何を勝手なことを!」
「ふふふ。『称号』を教えた程度のことで、随分と大げさだね。そこまで彼と関わりたくないのかな?」
「き、貴様は気でも狂っているのか? 『フラクタル』のホルダーとなった今なら、貴様とて【特異点】の恐ろしさを知らぬはずはあるまい!」
「そ、そうだ! 現に見たであろう! たった一体の『王魔』が『霊光船団』を破壊するなど、それこそ【特異点】に影響されでもしない限り不可能だ! それほど予測不可能なものを、貴様はこの『バベル』に持ち込んだのだぞ!」
わめきたてる老人に対し、軽く肩をすくめて笑うミズキ女史。するとここで、ようやくマスターが老人たちに声を掛けました。
「えっと……なんだかごめんね? 迷惑かけちゃったみたいでさ。僕としては、ここには教えを請いに来たつもりなんだ。だから、争うつもりはなかったんだけど……」
殊勝な言葉で謝罪を口にするマスターですが、彼はこの少し前に、『本拠地に攻め入って、敵を八つ裂きにしてやる』との聖女様の過激な提案に「それでもいいけど」と軽い調子で答えていたのです。「舌の根も乾かぬうちに」とは、まさにこのことでしょう。
「お、教えを? ……【特異点】がいったい、何を知りたいと?」
「お、おい、【フォトン】! 余計なことを……」
「いいや、我らは『叡智』の担い手だ。確かに【特異点】は恐るべきものであるが、しかし、こうなった以上はむしろ、これを機会にその解析に臨むことこそ、あるべき我らの姿であろう」
「し、しかし……」
老人たちはしばらく意見を交わしていましたが、やがて意を決したようにこちらに向き直りました。フードを取ったその顔には、何やらゴーグルがはめられています。形状からして単なる視力矯正器具ではなく、特殊な効果がある装置の類でしょう。
「まったくもう……人を腫れもの扱いしてくれて……。まあ、いいや。じゃあ、まず最初は……さっきから言ってる【特異点】ってのが何なのか、教えてくれるかな?」
呆れたように首を振っていたマスターがそう尋ねると、老人たちは何とも言えない微妙な表情になりました。
「よ、よもや……【特異点】そのものから【特異点】についての問いを受けることになろうとは……」
「いや、そういうのはもういいからさ。早く教えてよ」
「キョウヤの奴、自分ではもったいぶるくせに、人にはそれを許さないのじゃからな……」
「ええ。本当に、良い性格をしてますわ……」
小声で言葉を交わしあうベアトリーチェとエレンシア嬢。ちなみにこの間、メルティは室内の変わったつくりに興味津々のようで、床の線を走る光を追いかけて走り回ったり、天井に設置された何らかの装置に飛びつこうとしたり、まったく落ち着きがありません。
「ああ、メルティ……。駄目ですよ! こんなもの、壊したりしたら弁償できるかどうか……」
おろおろと彼女の後を追いかけまわすリズさんが気の毒ではありますが、この場の誰もが大してそちらに気を掛けるでもないまま、会話は進んでいきます。
「……『世界の叡智』を知らぬものに説明するには、前提として理解してもらわねばならぬ知識が多すぎる言葉である」
「……別の言葉で置き換えるならば、【エントロピー】の喪失点。【ロウ】と【カオス】の分岐点。世界にとって不可欠でありながら、誰にも制御できぬ世界の歪み」
彼らのうち【グルーオン】と【ウイークボソン】と呼ばれた二人の老人が、絞り出すように言いました。わたしはその言葉に、思わず目を丸くします。
「まさか……この世界の文明は、そこまで進んでいたというのですか?」
彼らの『称号』や使用している用語が、わたしが知る他の共通する言語から翻訳されたものと同じ意味を持つとすれば、その意味するところはすなわち……【量子論】や【宇宙論】といった高度な科学知識の存在です。
しかし、ここで、もっとあり得ない言葉を使ったのは、他でもないミズキ女史でした。
「そうそう……言い忘れてたけど、ここにいるヒイロ君は、君たちの『叡智』に近い知識があるはずだよ。たぶん、ある領域に限れば、君たちより優れているんじゃないかな? くくく! ……なにせ【異世界】の文明からの来訪者なのだからね」
「え?」
「ええ!?」
わたしたちは全員が全員、ミズキ女史に驚愕の視線を向けました。
「考えてみればわかるだろう? 素粒子そのものを生成して虚空から特定の物質を生み出すなんて真似、この世界の技術力では実現不可能だ。もちろん、『魔法』でもそれは例外じゃない。だとすれば、考えられる可能性は【異世界】の文明以外にありえない」
こともなげに語るミズキ女史に対し、同じく驚愕を顔に貼り付けていた老人たちもまた、ようやく腑に落ちたと言ったように頷きました。
「……確かに、でなくば何の前触れもなく『人の形』をした【特異点】などというものが、この世界に『現出』するはずもないか……」
「しかし、【異世界】だと? 理論上はあり得ないものではないが……まさか本当に?」
顔を見合わせ、小さく首を振る老人たち。
「なんだかわからないけど……ヒイロならわかる話だってこと?」
「……すみません、マスター。彼らの知識は確かにわたしのものに近いようですが、恐らく、まったく『同じ知識』ではなさそうです。少なくとも、マスターが【特異点】だという言葉の意味は理解しかねます」
「そっか。じゃあ、それはどうでもいいや。代わりに、次の質問をしよう。この世界で言う『女神』って、何のこと?」
自身に関することをあっさりと棚に上げ、一気に、そしてさりげなく、核心を突く質問を口にするマスター。しかし、老人たちはここで、全員が大きくのけぞるような仕草をしたかと思うと、下を向いて黙り込んでしまいました。
「え? どうしたの? いきなり……」
マスターが不思議そうに問いかけますが、ここで、横からミズキ女史が口を挟みます。
「彼らは『究極の叡智』から特権とも言うべき知識と力を与えられてはいるけれど……その分、『制約』も多いんだよ」
「今の質問には答えられないってこと?」
「そのとおり。……袂を分かったとはいえ、たかが【端末】に『同胞』のことを語られたくはなかったのだろうさ。つまり、こいつらは所詮、ただの傀儡だってことだ」
軽蔑するような口調で答えるミズキ女史の声に、ここで老人たちは弾かれたように顔を上げ、彼女を見ました。
「き、貴様とて、同じであろう! 我らのことを侮辱するか!」
「増長が過ぎるようだな、ミザリィ・グラビトン!」
「愚かな女め。大人しく我ら『フラクタル・ホルダー』の末席に収まっておればよいものを!」
酷くプライドを傷つけられた老人たちは、口々に怒りの声を発して身体を震わせています。よく見れば投影された精巧なホログラムは、そんな彼らの浮き上がった血管さえもはっきりと映し出していました。
『魔法』かどうかはともかく、こうしたホログラム技術の存在自体、この場所がこの世界でどれだけ異質な場所なのかを示しているようでした。
しかし、異質な『人物』ということになれば、彼女をおいて他にはいないかもしれません。この世界で出会ったすべての人物と比較してもなお、彼女は極めて特殊な存在です。
「くっくっく。……腹いせに、私の『真名』を暴露したということかな? もっとも、そんな名前、『わたし』には、まったく何の意味も持たないものだけど」
不敵に笑うミズキ女史……否、ミザリィ・グラビトン。
彼女の喉から響きわたるは、世界を震わす重たい声音。
彼女の口から発せられるは、世界を凍らす冷たい言葉。
「な、なんだと……?」
「き、貴様……貴様はいったい……」
ここでようやく、老人たちは、彼女の異質さに気付いたようです。
「うーん。この分じゃ、僕の聞きたいことには、何も答えてくれそうもないなあ」
この場では唯一、マスターだけがそんな彼女の異常性を気にも留めていないようでした。
一方、彼女、『ミズキ女史』もまた、老人たちの反応など、既にどうでもいいとばかりにこちらに向き直ります。
「ふふふ。君たちもさっきは『争うために来たわけではない』なんて話をしていたみたいだけど、実を言うとね──君たちを連れてきたのは他でもない。あの三人を殺してもらいたいからなんだ」
そう言って彼女は、茶目っ気たっぷりに首を傾け、虫も殺さぬ笑顔を浮かべたのでした。
次回「第148話 ジェノサイド」




