第139話 知識の聖地へ
『教会』を後回しにするとなれば、次に向かう場所はひとつしかありません。
「アルカディア共和国の『大法学院』。そこに『知識の欠片』にあたるだろう『賢者の石』がある」
ベアトリーチェの言葉に、あらためて頷くわたしたち。
この世界を狂気で満たし、そこに住む人々の心すら汚染していく存在の正体。この世界の謎。それを追求するべく向かう先は、世界のあらゆる『知識』が集う場所なのです。
「ちなみに、そこってどんな場所なんだい?」
「よくはわからん。法術士にとっては聖地とされているようじゃが、他の者にはなじみの薄い辺境の地じゃからな」
ベアトリーチェがあっさりそう言うと、代わりにエレンシア嬢が言葉を継いで答えました。
「でも、話には聞いたことがありますわ。なんでも『大法学院』というのは、学院とは呼ばれていても、実際には一つの巨大な都市のようなものなのだとか……」
「ええ、そうですね。『法術士』たちが技術の粋を集めて生み出した魔法道具に溢れたその都市へと足を踏み入れた者は、まるで異世界に迷い込んだような錯覚に陥るのだという話ですよ」
リズさんも若干興奮気味に目を輝かせています。
しかし、その直後には少し困ったような顔でベアトリーチェさんを見ました。
「でも、秘密主義の強いその都市に入るには、特殊な《転移の扉》を使わないといけないとかで……そのためには途方もない大金を積むか、『法術士』として実績を積んで資格を得るしかないと聞きましたが……」
「そうじゃな。空間操作が得意な『法学』の魔法都市らしく、通常の方法では見ることすら叶わん場所らしい。わらわたちなら多少強引な手段で何とかできてしまうかもしれぬが、それでは無用な騒ぎが起きる。じっくり『賢者の石』を見聞する余裕はあるまい」
「ですよね……。さすがにお金のことでまで、宰相様や国王様のお手を煩わせるわけにはいきませんし……」
「まあな。その方法ではあまりにも莫大な費用がかかってしまう。だから、採用するのは、もう一つの方法で良かろう」
「え? では、『法学』の魔法で実績を上げるのですか? でも、どうやって?」
「ふふふ。リズは少しばかり、自覚が足りんようじゃな?」
ベアトリーチェは含み笑いを漏らしつつ、楽しげな視線をリズさんに向けています。
「え? 自覚……ですか?」
「うむ。……確か《メイドさんのご奉仕》じゃったかな? ネーミングセンスは最悪じゃが……どうせそこの変態男の考えじゃろうが、それはともかく、『法術器』としては信じられない性能を持っているという話ではないか」
「あ」
ベアトリーチェの言葉に、わたしもようやく気づきました。あまりにも日常的にマスターがそれを使用しているせいか、そのことを当然のように思ってしまっていました。しかし、あの『法術器』はこれまでの常識を覆す『汎用型法術器』なのです。
「わらわとて、『法術器』に詳しいわけではないが、教養の一環として学んできた知識はある。『法術士』が魔法を使うために『法術器』に割り当てる『知識枠』は、器に刻まれた術式に応じた効果を発揮するものじゃ。術式には明確な目的が必要で、あいまいな物では魔法が発動することすらない。『知識枠』の総量を別とすれば、術者の技量より作成者の技量が重要な魔法。それが『法学』の本来あるべき姿なのじゃからな」
そうなのです。ところが彼女の生み出した《メイドさんのご奉仕》には、極めてあいまいな『支援効果』を発動させることだけが術式化されています。そして、それを使用するマスターが自身の『知識枠』をどの程度割り当てるかによって、その効果に変化を与えることができるのです。
「まさか、その『法術器』のスカーフを実績として『法学院』に提出するのか?」
驚いたように目を丸くするアンジェリカ。彼女はベアトリーチェよりもさらに『法学』の知識に乏しい彼女から見れば、『法術士』としては駆けだしに等しいリズさんの『法術器』にそれほどの価値があるとは信じがたいのでしょう。
一方のリズさんも、青い顔をして首を振りました。
「ちょ、ちょっと待ってください! わたしにはそんなこと……」
「すごいじゃない。リズ! このままいけば『大法術士』の称号だって夢ではないかもしれなくてよ?」
今度はエレンシア嬢が興奮気味に手を叩き、目を輝かせてリズさんの手を掴みとりました。
「あ、う……で、でもですね……。わたしにはそんな大それたこと、できません……」
なおも躊躇するリズさん。常に陰からマスターを支え続けてきた彼女は、いきなり自分に光が当たることに戸惑いがあるのかもしれません。……と、わたしはここで、あることに気付きました。
「もしかして、リズさん。スキルのことを気にしてらっしゃいますか?」
「はい……」
わたしの問いに、素直に頷くリズさん。真面目な彼女にしてみれば、『あのスキル』はまるでズルをしているような気持になってしまうのかもしれません。
リズの特殊スキル(個人の性質に依存)
『陰に咲く可憐なる花』
常に発動。心に決めた相手に対する支援行動に関してのみ、自身の不可能を可能にする。可能にできる不可能の程度は、相手に対する愛情の深さに依存する。
「それに……能力の内容から考えれば、キョウヤ様以外には使用できないものかもしれませんし……」
「そんなことはありませんよ。確かにマスターが身に着けていらっしゃるスカーフ自体は、彼にしか使用できないでしょうけど……わたしと一緒にリズさんが考えた理論や術式構成は、間違いなく他にも応用できるだけのものです」
リズさんが可能にした『不可能』の内容は、『汎用型法術器』を生み出すことそのものではありません。まだ、駆け出しの彼女が他人の知恵を借りながらとは言え、ほぼ独力でまともな『法術器』を作り上げたことであり、それまでの固定観念を打破してのけたことなのですから。
「じゃあ、決まりだね。じゃあ、メンフィスさんたちにあいさつを済ませたら、早速明日にも出発しようか?」
マスターのその一言に、リズさんは気の進まない様子ながらも押し切られるように頷き、その場はお開きになったのでした。
──まず最初に向かったのは、《転移の門》が設置された『法学院』でした。人間の『法術士』たちの学び舎でもある『法学院』は、《転移の門》による都市間ネットワーク形成の利便性ゆえか、国を選ぶことなく大陸各地の街に無数に存在しています。
それは『王魔』の国たるこのドラグーン王国でも例外ではなく、規模こそ小さくはありましたが、れっきとした《転移の門》を備えた施設が街の一角に門を構えていました。
意外なことに、受付にいた『法術士』の男性に事情を説明すると、彼は驚いた顔でリズさんを見た後、そのまま丁重に奥へと案内してくれました。
「あれ? 思ったより、すんなり話が進むね。もっと胡散臭がられると思ったのに」
「『法術士』たちの世界は、知識がすべてですから。地位も身分も関係なく、より深く、より有用な知識を持つものこそが手厚く遇されるものなのだと、わたしが以前読んだ本位も書かれていました」
「ふうん。そんなものか。少し驚いた顔をしてたのも、さすがにメイドさんの恰好をした『法術士』なんて初めて見たからなんだろうね」
わたしの説明に納得したように頷きながらも、マスターは楽しそうに笑っています。
「だ、だから、言ったんです。ここに来る時ぐらい、別の衣装に着替えた方が良いと……」
「それは駄目だよ、リズさん。リズさんのメイド服姿が見られなくなるなんて、それこそ重大な社会的損失なんだからね」
「ど、どうしてそこまで……」
マスターのあまりに大げさな言葉に、理解できないとばかりに絶句するリズさんですが、問いかけるような視線をこちらに向けられても、わたしには返せる答えなどありません。
『メイドさん』に対するマスターの執着ぶりには、何か深い理由があるようにも見えますが、一方で単なる悪ふざけにも思えてしまうのです。というか、十中八九後者でしょうが。
マスターも彼女にメイドの服装を強制しているわけではないのですが、彼女にマスターの頼みが断れるはずがありません。リズさんは、諦めたように息を吐いて肩を落としたのでした。
案内された先は、『法学院』の責任者のための執務室のようでした。案内役の『法術士』に続いて中に入ると、そこにはうら若い一人の女性が椅子に腰かけていました。
「ミズキ院長。『申請者』をお連れしました」
案内役の『法術士』は丁寧ながらも無機質な声で彼女にそう声をかけると、そのまま一人、退室していってしまいます。しかし、ミズキ院長と呼ばれた彼女は、先ほどから執務机の向こうにある椅子に腰かけたまま、手にした分厚い本から顔を上げようともしません。
白っぽい地味なローブに身を包み、眼鏡をかけて本に見入るその女性は、歳の頃なら二十代後半と言ったところでしょうか。艶やかな黒髪を無造作に首の後ろで縛り、物憂げに本を見つめる彼女の顔立ちは、多少のそばかすは目立つものの、十分に整っています。
「え、えっと……どうしましょう?」
一向にこちらを見てくれない彼女の様子に、リズさんは戸惑ったようにつぶやきを漏らします。真剣な顔で書物に目を通す女性を前にしては、声をかけることも躊躇ってしまいますが、ここはひとつ、空気を読まないことにかけては右に出る者のいないマスターの出番でしょう。
と、思っていたら……
「ねえねえ、お姉さん。なんの本を読んでるの? それ、面白い?」
興味津々に彼女へそう問いかけたのは、同じく空気を読まない(読めない)ことにかけてはマスターと双璧をなすメルティでした。
すると、ここでようやく、ミズキ女史は本から顔を上げ、執務机のすぐ傍から自分の本を覗き込むメルティに視線を合わせたようです。
「ああ、これ? これはね。『法術器』の術式についての解説書だよ。世間には酷い誤解があってね。『法学』の魔法は道具を『使って』、光や炎を出したり、空間を越えたりするものだと思っている連中が多い。でも、『法術士』が使う魔法の根幹をなすものは、『法術器』を『作る』ことそのものなんだ。『法術器』でそれらの効果を発現させる段階では、ただ単に、わたしたちが『知識』の量に応じて備え持つ『法力』をあてがうための『知識枠』を用意しているに過ぎない。実際に魔法を正しく具現化する役目を果たしているのは、その『法術器』に込められた『術式』そのものだ。……では、『術式』とは一体何なのか? わかるかな?」
「え? ……わ、わかんない」
メルティは、突然始まった怒涛の勢いの講義に目を回しつつも、どうにかそんな答えを返しました。
「わからない? 基礎的なことなんだけどなあ。まあ、いい。じゃあ、そこから説明しよう。『術式』とは文字通り、『法術器』として定めた素材にどんな効果を付与するかを決めるものだ。自らが蓄えた知識──それを理論的な式に置き換え、余すところなく器に刻む。まさに『法学』の魔法の神髄はそこにある。おっと、念のために言っておくが、刻むと言っても物理的に器物に文字を刻むわけじゃない。大昔はそんな方法もとられていたらしいが、今ではもっとスマートだ。さて、どうすると思う?」
「え? えっと……書く、とか?」
立て続けに「わからない」と答えるのは悪いと思ったのか、メルティは考えた末にそんな答えを口にしました。するとミズキ女史はにやりと笑って頷きました。
「そう。まあ、完全な正解ではないけれど、概ねそれで正しい。正確には、『指で描く』だね。特殊なインクを指につけ、術式を構成する理論を文字にして、その形で対象となる器物をなぞる。この時大事なのは、必要な知識を正確に頭の中に思い浮かべておくことだ。……ははは。曖昧な想念で魔法を使う『王魔』に対し、精緻な魔法理論に基づく『法学』の魔法においても『イメージ』が大事になってくると言うのも滑稽だけどね。もっとも、わたし自身、まさか『王魔』の国の支部に左遷されるとは思わなかったわけで……」
「ちょ、ちょっと、待った! ストップ! 頼むから、いい加減にしてくれ。頭がおかしくなりそうだ!」
軽快な調子で語り続けるミズキ女史の『講義』に、真っ先に音を上げたのは案の定、アンジェリカでした。
それにしても、初対面の人間い挨拶もそこそこに、いきなりこんな長広舌をふるうとは、やはり、いつの時代でも、どんな世界でも……『学者』というものは変わった生き物なのかもしれません。
などと思っていたら……
「あれ? 君たち、もしかしてお客さん?」
ミズキ女史は、今気付いたとでも言うように、きょとんとした顔でわたしたちを見渡したのでした。
次回「第140話 変わり者の科学者」




