第138話 同情の気持ち
「アリアンヌだって? あの石が彼女に関係あるのか? まさか……君には、あの石が世界に与えている影響が分かると言うのかい?」
驚きに目を丸くして、マスターを見返すメンフィス宰相。
「僕は一応、あの石ころに『触って』いるからね。僕のスキルなら、そこにある『想い』を感じ取ることもできるんだ。まあ……あの時は、直後に『反転物質』なんてものを生み出しちゃったせいで、詳しく感じ取る暇はなかったけど」
「あの『黒い剣』か。……まったく、無茶苦茶じゃな、お前は」
軽く首を傾げて笑うマスターに、ベアトリーチェが呆れたような顔でため息を吐きました。
するとここで、メンフィス宰相が確認するように言いました。
「……ちなみに君のそのスキルというのは、触った物の情報が分かる類の物と考えていいのかい?」
「うん。僕の『わがままな女神の夢』の力の一つに、器物に宿る記憶の想起ってのがある。だから、少なくとももう一度あの石に触れば、もっとわかることはあるんだと思うけど」
「ふむ。じゃが、それなら前と同じように忍び込んででも触ってくればよかろうに」
「いや、それはちょっと……」
ベアトリーチェが当然のように口にした言葉に、メンフィス宰相が諦め顔でため息を吐いています。しかし、マスターは軽く肩をすくめます。
「あはは。でも、今の話を聞かなかったら、僕が何を読み取るべきなのかもわからなかったからね。さっきは『反転物質』を作ったせいだと言ったけど、あの石みたいにあまりに長い歴史をもつような器物だと、宿っている記憶が多すぎて困るんだよ」
「ならば、今の話を聞いたこの時点では、何を読み取るべきかわかっておると言うのじゃな? まったく、それならそうと早く言わんか」
彼女の言葉に、同意するように頷くわたしとメンフィス宰相。他人の話を急かす割には、マスターご自身はもったいぶった話し方をすることが多いので困ります。
「ごめんごめん。そんなに怖い顔しないでよ」
そう言って改めてわたしたち三人を見渡したマスターは、ひとつ頷くと、ゆっくりと口を開きました。
「……初代ウロボロスだよ。最初にあの『石』の狂気に呑み込まれた彼こそが、僕が読み取るに相応しい記憶の持ち主だ。……というわけでメンフィスさん。今から謁見の間まで一緒に来てくれないかな?」
「まさか、もう一度あれに触るつもりかい?」
「そうだよ。僕が触っても平気なことは、わかってるでしょう?」
「……しかし、そういうわけには」
「もしかして、王様のことを気にしてる? なら、心配ないよ。今頃アンジェリカちゃんが説得してくれているはずだから。何だかんだ言って、彼も娘には甘いみたいだからね」
「……なに? もしかして、彼女をここに同席させなかったのは、最初からそのつもりで……」
「まあまあ、細かいことは言いっこなしだよ。それじゃあ、さっそくレッツゴーだ」
事もなげにそう言うと、マスターは狐につままれたような顔のメンフィス宰相に笑顔を向けたまま、勢いよく椅子から立ち上がったのでした。
──人払いがされた謁見の間には、国王と宰相の二組の夫婦のほか、マスターをはじめとする面々が一堂に顔をそろえています。そんな中、マスターは躊躇い様子もなく、ゆくりと『賢者の石』に近づいていきました。
これまでは何かと慌ただしい中でしか目にしてこなかった『賢者の石』ですが、こうして改めて見ると、なるほど確かに心がざわつくような不思議な感覚に襲われてしまいます。
わたしの隣ではベアトリーチェが複雑な面持ちで彼の後姿を見守っています。
「わらわが教会幹部から聞いた限りでは、『世界の要石』があるからこそ、この世界を『愚者』の魔の手から守れておるとのことじゃったが……もし、先ほどの話が本当ならば、ますます教会の目的が分からなくなってくるな」
一方、アンジェリカは不安げなまなざしをマスターに向けていました。
「……キョウヤ。大丈夫かな」
「おい、アンジェリカ。お前、あれだけ自分で俺のことを説得しておいて、今さら心配してどうする」
「あら、ジーク。わかっていないわね。彼の望みはかなえてあげたいけど、いざとなれば彼の身を案じてしまう。それが女心ってものなのよ」
「べ、別にそんなんじゃないもん! もう、お母様ったら変なことを言わないでよね!」
国王夫婦とアンジェリカのそんなやり取りを背中で聞きながら、マスターはついに『賢者の石』の間近にまでたどり着きました。赤、青、緑、黄色の四色に輝く水晶柱。それらが一本に交わるその根元では、複雑な光の輝きが揺れています。
「さてと、それじゃあ、はいたっち」
ぺたり、と誰もが拍子抜けするような音と主に、マスターは水晶柱に手を触れました。
「……キョウヤ様のあのノリは、何とかなりませんかしらね」
「無理だと思いますよ。……キョウヤ様なら、世界の危機でさえ冗談で済ませてしまいそうですもの」
「……リズ。あなたも言うようになったわね」
そんな主従の会話は、この場にいる全員の気持ちを代弁したものだったかもしれません。
「キョウヤ、何してるの? メルティも混ざっていいかな?」
いえ、一人だけ例外がいたようです。彼女もまた、世界の危機を『遊び』で済ませてしまうタイプかもしれません。
「メルティ。よしなさい。彼も遊びじゃないんだ」
「そうよ。……遊んでいるように見えるかもしれないけど、いえ、遊んでいるようにしか見えないけど、でも、遊びじゃないの。いいわね?」
「えっと……うん。わかった」
両親の説得に素直に頷くメルティ。
そうこうしているうちにも、マスターによる『記憶の想起』は終わったようです。水晶柱から手を離すと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきます。
「マスター。何かわかりましたか?」
「うん。まあ、色々とね。もったいぶったりすると、今度こそエレンに怒られちゃいそうだし、簡潔にまとめて話すよ」
「キョウヤ様?」
「あ、いや、ごめん。じゃあ、話を始めるよ」
じろりとエレンシア嬢に睨まれ、一度は身を縮こまらせるような仕草をしたマスターですが、そのまま全員を見渡すようにして、ゆっくりと話し始めました。
「初代ウロボロスには、若くして亡くなった娘がいたらしい。そして、最愛の娘を失った彼は、無尽蔵に魔力が湧き出るこの『賢者の石』を使い、娘を蘇らせようと考えたんだ」
「娘を蘇らせるだって? だが、死者蘇生だなんて、そんなことができるわけがない」
メンフィス宰相は冷静な声でそう言いましたが、マスターは肩を軽く首を傾げました。
「うーん。まあ、不可能じゃないかもね。自分が殺した者限定であれば、僕のスキルにもできることだ。もっとも、『正しく』は生き返らない『はず』なんだけどね」
マスターは言いながら、ちらりと横目でアリアンヌさんのことを見たようです。
「とはいえ、死んでから時間が経った相手には難しいかな? でも、彼はどうしても娘を蘇らせたかったんだろう。それこそ、どんな禁忌を犯しても、何を代償にしても、掛け替えのないものを失った穴を、再び同じもので埋めたかったのかもしれない」
淡々と語られる彼の言葉。しかし、それを聞いたわたしたちが、それぞれが思い思いの反応を示しました。
「……その気持ち、わかるかもしれないな。僕だって、メルティのことを考えるたびに同じことを思っていたよ。ただ、実行に移さなかっただけだ」
メンフィス宰相が唇を噛み締めるようにして言えば、
「……ええ、わたしも同じだわ。そのせいで、アンジェリカにも、シルメリアにも、随分と迷惑をかけてしまったけれど……」
その隣ではアリアンヌさんがうつむいたまま小さくつぶやきを漏らしています。
そんな中、わたしは……
「……死んだ『娘』を取り戻す? 何を代償にしても? どんな『禁忌』を犯して……でも?」
気づけば、そんな言葉を漏らしてしまっていました。マスターの発言をただなぞっただけの言葉でしかないはずなのに、しかし、その『音』は強い痛みを伴いながら、わたしの『心』の深いところで反響を続けているかのようでした。
「ヒイロ? 大丈夫かい?」
マスターが心配そうにわたしの顔を覗き込んで尋ねました。
「あ……す、すみません。大丈夫です」
「そう? ならいいけどね。……で、肝心要の初代ウロボロス暴走の原因だけど……」
マスターはメンフィス宰相とアリアンヌさんに目を向けながら、顔の前に指を立てて言いました。
「まさに二人が言った『それ』なんだ」
「え?」
「……『相手の気持ち』がわかってしまったこと。それが不味かったんだ。それこそが、『賢者の石』が暴走した原因なんだ」
「それってどういう……」
しかし、アンジェリカは理解できないと言った顔で問い返そうとしたその時です。ベアトリーチェが何かに気付いたように声を上げました。
「なるほど。初代ウロボロスが……ではなく、彼が接触した『相手』が、彼の気持ちを理解してしまった。そういうことなのじゃな?」
「そのとおり。……もしかすると、その『相手』も同じような経験をしているのかもしれないね。だからこそ、親とか子供とか……そういう自分にとって掛け替えの無いモノを失う気持ちが『わかって』しまった。そういうことなんじゃないかな?」
「……ふむ」
マスターとベアトリーチェは互いに何かを確認し合うように頷き合っていますが、その内容は他の者にはまったく要領を得ないものでした。そのせいか、アンジェリカが不機嫌な顔をして二人の間に割って入ります。
「もっとわかるように話してくれ、『相手』って何のことを言っているんだ」
その問いに、マスターとベアトリーチェ、二人が同時に答えます。
「精神世界の意思じゃ」
「『女神』様だね」
異口同音とはいきませんでしたが、二人の言葉の意味は同じでしょう。少なくとも、ベアトリーチェはそう思ったようですし、わたしたちも過去に聞いた彼女の話から、同じように考えました。
しかし、ここでマスターは、もの言いたげにベアトリーチェに目を向けました。
「む、なんじゃ?」
「『女神』様って、本当に『精神世界の意思』なんてものなのかな?」
「む? まあ、確かにわらわもはっきりとそうだと確信しているわけではないが、それはお前も同じであろう? 何か気になることでもあるのか?」
「うん。『想念の欠片』だけじゃ、支離滅裂な情報しか得られないみたいだからね。わかりにくいことこの上ないけど……でも、ひとつだけわかることがある」
「なんじゃ? もったいぶらずに早く……」
苛立ったように先を促すベアトリーチェ。
しかし……
「──『世界』は『人』に、『同情』なんてできない」
「…………」
マスターのその言葉に、ベアトリーチェは開きかけた口をつぐんでしまうのでした。
次回「第139話 知識の聖地へ」




