第132話 罪深きモノ
すべてが一件落着に終わったかに見えて、わたしたちにはまだ、ひとつだけやり残していることがありました。
「さて、これでようやく、僕と君、『二人』がこうして向かい合うことができたわけだ」
マスターは未だに尻餅をついたままの『ヨミ枢機卿』に、ゆっくりと歩み寄っていきます。
「……ば、化け物め。ヨハネ猊下のおっしゃるとおり、貴様はこの世界の脅威だ。害悪だ。神に仇為す悪魔そのものだ!」
この場に残る最後の『枢機卿団』となったその男は、銀仮面の下から震える声で叫びます。
先ほどからずっと、ベアトリーチェの魔法に捕われ、逃げ出すこともできずにマスターの異常な戦いぶりを見せつけられていたのです。この狼狽ぶりも無理からぬことと言えなくもありませんが、ベアトリーチェの見解は異なるようでした。
「やれやれ、『教会』を代表する三大枢機卿の一人ともあろう御方が、随分とみっともない醜態をさらすものじゃなあ」
「う、うるさい! この裏切り者め! 汝は自分が『何』に加担しておるのか、分かっていないのか? ヨハネ猊下の託宣を疑うわけではなかったが……この目で見て、我はようやく真の意味でその御言葉を理解したぞ!」
「ふむ。託宣とな? なるほど、教皇でさえ面識もないのに託宣にその名を出すとはな。つくづく、この男は『教会』にとって都合の悪い存在だというわけか」
感心するように頷くベアトリーチェには、どうやら彼から情報を引きずり出そうという思惑があるようです。
「都合が悪いだと!? それどころではないわ!」
この孤児院に姿を現した当初の威厳をかなぐり捨てたまま、声を荒げるヨミ枢機卿。虜囚の身でも強気なのは、彼が他にも無数の肉体を持っているからでしょう。
「しかし、厄介ですね。高位の『アカシャの使徒』であるだけあって、この男にも『世界を読み解く者』が備わっているようです」
「ふむ、分散して能力が弱まったのか? 枢機卿ともなれば、わらわと同じ『世界を観測する者』ぐらいは有しておるものと思ったが」
ベアトリーチェは馬鹿にしたような顔で枢機卿を見下ろしましたが、だからと言って状況が改善しているわけではありません。
「ですが……ここで彼を殺しても、今後、他の場所にいる『彼』に『魔力』を通じてこちらの所在を感知されてしまうことに変わりはありません。それが問題です」
すでにわたしたちは、ほぼ全員が彼と言葉を交わしています。一度言葉を交わした相手の『魔力』を遠隔感知できる『使徒』の能力は、マスターの『わがままな女神の夢』による無効化を別にすれば、パウエル司教のように本人を殺さない限りは防ぎようがないのです。
「くははは! そういうことだ。言っておくが、我を拷問にかけて情報を得ようとすることも無駄だ。この身体は痛覚をすでに遮断しているからな」
となれば、生かしておく時間が長ければ長いほど、彼にこちらの情報を与えてしまうことになりかねません。すでに彼には、マスターの異常な能力を見られてしまっているのです。
「なら、さっさと殺そう。生かしておいても百害あって一利なしだ」
まわりくどい話にイライラを感じ始めたのか、掌に炎を乗せたアンジェリカが前に進み出てきて言いました。
「ちょっと、お待ちなさいな。そんなに早急に結論を出しては駄目ですわ。こうして『教会』の上級幹部に接触できる機会なんて、そうそうありませんわよ」
「とは言うが、拷問も効かないんでしょ? エレンが心配しなくても、血が出るようなやり方はしないさ。わたしが骨も残さず焼き尽くしてやる」
「ふむ。わらわの《女神の拷問具》にも、痛覚がない相手に有効なものがあったかもしれんが……」
ヨミ枢機卿の処遇を巡り、物騒な会話を続ける女性陣。わたしはやむなく、そんな彼女たちを落ち着かせるように声を掛けました。
「議論が少し極端な方向に向かいかけています。仮に拷問という選択肢を選ぶのであれ、まずは論理的にあらゆる可能性を検討してからにしてください」
しかし、そこでマスターが小さく吹き出すように笑いました。
「あはは! いや、ヒイロも同じようなことを言ってるじゃん」
「いえ、わたしは皆に冷静になってもらいたいだけですから……」
「それが一番怖い気がするなあ……。まあ、いいか。さてと、それじゃあ……」
マスターはゆっくりとヨミ枢機卿に視線を向けました。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。僕も別に、君のことを取って食おうってわけじゃあないんだぜ?」
「う、うるさい! 化け物め、化け物め、化け物め、化け物め!」
「やだなあ、人を人外みたいに。僕はれっきとした人間なんだけどなあ」
マスターは口汚く自分を罵る相手に怒りもせず、なだめるような言葉を投げかけ続けています。しかし、ヨミ枢機卿はそれでもなお、銀仮面の奥からくぐもった声で叫びました。
「く、来るな! 近づくな、異常者め! 世界の異物にして異端者めが!」
「あはは。確かに僕自身、迷惑な来訪者もあったものだなって、自覚ぐらいはあるけどね」
「……ぐ、き、貴様」
いつものようにおどけて笑うマスターに対し、ヨミ枢機卿は胸の奥から絞り出すような憎しみと嫌悪の言葉を吐きだします。
「ようやく、ようやくわたしにも、猊下の御言葉の意味が理解できた。貴様という存在は、この世にあってはならないものなのだ!」
「…………」
「存在そのものが狂っている! 我が神はおっしゃった! ……クルス・キョウヤは『あらざる存在』であると! ああ、そうとも! 貴様が生まれてきたことそのものが大きな『間違い』なのだ!」
その言葉が聞こえた瞬間──それはわたしにとって、自身の『素体』を構成するすべての要素が一斉に沸騰したかのような灼熱の刹那でした。
……間違い? 何を言っているのでしょうか、この男は?
わたしが……この『ヒイロ』が仕えるマスターが『生まれてきたこと』が間違っていると? それはすなわち、『ヒイロ』という存在の全否定にも等しいものです。
彼の存在を全否定するその言葉は、わたしの中にかつてないほどに激しい『感情』を喚起しました。最初、わたしはその感情を『怒り』なのだと思いました。
……しかし、そうではありません。
『生命体』として、この世界に生きる彼の『存在』については、疑いようもありません。ですが、その『存在』の背後に横たわる、大海にも例えられそうな彼の精神──すなわち、『知性体』としての彼自身については、まだ誰も、はっきりとその『カタチ』を認識することが叶わないのです。
人は誰しも、形が分からないものを信じることができない。とはいえ、元からあいまいな『心』という概念でさえ、何かに当てはめ、比較して、論じることができるならば、問題はないのです。
しかし、マスターは違う。彼自身がもがき、苦しみ、答えを探す、その心のカタチは、永遠に誰にも理解できないモノなのかもしれない。
……マスターの傍に仕え、彼を支えることを自身の『存在意義』とする『わたし』にとって、それは例えようもないほどの『恐怖』でした。
「う、う……うああああ!」
真っ赤に染まる視界の中、気づけばわたしの身体は、マスターによって後ろから抱え込まれていました。
「……え? マ、マスター? 一体、何を……」
あまりにも突然の出来事に、間の抜けた声を出すわたし。
しかし、対するマスターの言葉は、逆に驚きを滲ませたものでした。
「……いや、ヒイロ。それは僕の台詞じゃないかな? いくらなんでもそんな物騒な物を叩きつけたら死んじゃうと思うんだけど……。あれ? 確かヒイロって、他人を直接殺傷する機能はないとかって言ってなかったっけ?」
「え? ……あ」
いつの間にかわたしは、マスターと『ヨミ枢機卿』の間に立っています。
加えて、自分の頭上を見上げれば、掲げた右手の上に、鋭く尖った巨大な円錐が浮かんでいます。真紅に輝くその錐には、『見覚え』がありました。
「……あ、あ。『強い火』が………」
「ヒイロ?」
それは、わたしの罪の証。罪深き、わたしの業。
量子間結合の破断。加熱冷却の完全制御。空間歪曲の生成。
そして、それらを応用した核融合・核分裂の無限循環。
世界を滅ぼすためだけに生み出されたソレは、まさに狂気の産物です。
最終兵器【彩羽の劫火】──その呪われし……『人工知性体型端末兵装』。
「す、すみません。……マスターのことを否定されて、その、つい……」
「ヒイロって、怒ると怖いんだね。前から知ってたけど、次からもっと気をつけようかな」
マスターは『真紅の錐』が消失したのを確認すると、わたしの身体から手を離しながら、しみじみと言いました。
「ま、待ってください。今のはその……」
「冗談だよ。僕のために怒ってくれたんだろ? だったら、ありがとう。でも、こいつにはまだ用があるんだ」
慌てて言いつくろおうとするこちらの言葉を遮り、わたしに笑いかけるマスター。
違います……怒っていたのではありません。わたしは、わたしはただ……マスターを『理解できない』かもしれないことが、怖くなっただけなんです……。
しかし、聞きたいことは他にもあるでしょうに、彼はそれ以上何も言わず、銀仮面の男を見下ろします。
「……これだけの目にあってもなお、君は逃げ出そうとする素振りさえ見せない。それはつまり、今ここにいる君が死んでも、君は『死なない』からかな?」
「……く、くはは! そ、揃いも揃って化け物どもめ! だが、そのとおりだ! 我こそは不死の体現者! 無数の身体に無数の意識を有する『ヨミ枢機卿団』は、絶対不滅の神の兵団なり! 繰り返すが、この身体には痛覚など、あってなきがごとしだ。拷問など意味を為さぬぞ!」
勝ち誇ったように笑うヨミ枢機卿。
「拷問? ベアトリーチェさんじゃあるまいし、僕がそんな残酷なことするわけがないだろ?」
マスターが肩をすくめてそう言ったところで、わたしたちの後ろから声がかかりました。
「何を言っておるか。お前が一番最悪なくせに。まったく……人がせっかく心配して、子供たちの世話をリズに任せてまで、駆けつけてきてやったというのに」
「あ、ベアトリーチェさん。そういえば、子供たちは無事だったかい?」
「当たり前じゃ。あの程度の魔法、解除できぬわらわではない。暴れ出した当初もシスターたちがどうにか押さえてくれていたからな。『黙示を告げる御使い』の声を届かせる力を使ったとは言え、所詮は遠隔魔法じゃ。陽動が精一杯だったのじゃろう」
「そっか。じゃあ、今はリズさんが?」
「うむ。皆を落ち着かせてくれておる。彼女は本当に、ああいうことが得意じゃな」
感心したように頷くベアトリーチェ。
「それは良かった。ああ、そうだ。大事なことを確認しなくちゃ! クレハちゃんは? クレハちゃんには怪我はない? おでこを打ったとか、膝を擦りむいたとか、怖くて泣いちゃって、目が腫れちゃったり、ほっぺたが赤くなっちゃたりとか、してなかった?」
「……い、いや、襲撃時もおぬしの傍にいたからの。遠隔魔法の媒体となる『糸』も受けていなかったし、特に問題はないが……」
ベアトリーチェは、顔を若干引きつらせて答えを返しました。
「そっかあ! 良かったあ! いやあ、ほんと、可愛いクレハちゃんがどうにかなっていたらと思うと、心配で心配で仕方がなかったんだよ」
「……お前の最近の言動には危機感を覚えるな」
ため息を吐くベアトリーチェ。一方のマスターは、そんな彼女を尻目に再びヨミ枢機卿へと向き直りました。
「……さて、それじゃあ、ヨミ枢機卿さん。あらためて僕とお話ししようか?」
マスターは彼の目の前にしゃがみ込み、視線を合わせるようにして、にっこりと微笑みかけます。
「……な、なんだ、その目は!」
「ん? まあ、気にしないでよ。それより僕、こう見えても君のことはすごく評価してるんだぜ?」
上機嫌に声を弾ませるマスター。すると、そこに別の声が割り込んできました。
「あら? まさかキョウヤ様が、罪もない子供を殺そうとするような人間を評価するだなんて、少し意外ですわね」
鈴の鳴るような声でそう言ったのは、エレンシア嬢です。颯凛として立つ緑髪の少女のドレスには、汚れひとつ見当たりません。
今の彼女は完全に自身の能力を使いこなしており、今回の件においても、かつて『アトラス』の蛮族と戦った時とは見違えるような危なげのない戦いぶりを見せていました。
「そうは言うけどね。実際、彼はすごいよ。自分の意識を『複数の身体』に宿らせてそれを同時に制御するだなんて、それこそまさに『鏡の中のお前は誰だ』を地で行くようなものでしょ? よくもまあ、それでまともな自我を保っていられるよ」
「『鏡の中のお前は誰だ』か。……確かにな」
このメンバーでは唯一、その恐ろしさを直に体験しているベアトリーチェは身震いするように言いました。
「くくく。貴様らにはわかるまい! わたしには偉大なるヨハネ猊下とアカシャの女神への揺るがぬ信仰がある! 我が信仰の前には、己の『自我の並列』など、些末なことだ! ゆえにわたしは死なず、ゆえにわたしは永遠に神に仕えることができる! くはははは!」
狂信。すなわちそれこそが、無数に分裂した自我を繋ぎ止めているモノなのでしょう。何のことはなく、彼は自分自身に対してこそ、最も強く己のスキル『彷徨える狂信の言霊』を使用し続けているのです。
「く、狂ってますわ……」
声に嫌悪感を滲ませて呟くエレンシア嬢。わたしもまったく同感ですが、マスターの考えは少し違っていたようです。
「うん。いいね。すごいよ、すごい! どこまでも貫き通す強い信念。それこそまさに、『人間』ってものだよね? いいなあ……うん。最高だ」
「な……なんなのだ、貴様! 気持ち悪い!」
どこかうっとりしたような目を向けられて、銀仮面の奥の声を震わせるヨミ枢機卿。
「でも……その想い。どこまで本当なのかな? 君のその『心』は、本当に『そこにある』のかな?」
「な、なんだと?」
「僕は……試してみたい。君の心はホンモノなのか? 君の心はドコにあるのか? 君の心はどんなカタチをしているのか?」
マスターは時に腕を広げ、時に自らの胸に両手をあてて、大げさな身振り手振りを交えつつ、その黒々とした鏡の瞳で銀仮面の奥の顔を覗き込むようにニタリと笑いました。
「う、うわ! ひ、ひぃ!」
その途端、恐怖に駆られ、尻餅をついた姿勢でそのまま後ずさるヨミ枢機卿。
「それじゃあ、始めようか?」
次回「第133話 悪手ばかりの千日手」




