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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第7章 響く聖歌と心の在処
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第129話 真理を語る愚神礼賛

 アンジェリカが『聖歌』の影響から脱した直後、わたしたちはすぐさま西側に残った敵を殲滅し、屋敷の南側にあたる玄関口付近へと向かいます。


 すると、遠目にではありますが、離れた場所で交戦を始めたメルティとマスターの姿が見えました。激しい衝撃波を周囲にまき散らすその攻防は、一見して拮抗しているようにも見えますが、その実、ほとんど一方的なものです。


「どうして手を出さないの? あの状態のメルティが相手じゃ、手心を加える余裕なんてないはずなのに……」


 アンジェリカが呆然と呟いた言葉のとおり、マスターはひたすらメルティの攻撃を回避することに専念しているようです。しかし、マスターの先読みの瞳『ヴァーチャル・レーダー』をもってしても、すさまじい速度で迫る彼女の猛攻をさばき切るのは容易ではありません。そもそも回避したところでなお、衝撃波が彼の身体を激しく打ち、痛めつけていくのです。



「マスター!」


 あちこちから鮮血を散らし、骨折したとおぼしき腕をだらりとぶら下げたまま、懸命に攻撃を回避し続けるマスター。彼がどうにかその猛攻をしのげているのは、『動かぬ魔王の長い腕マジック・ハンド』などのスキルあってのことでしょう。


 しかし、なぜか今のマスターは、自身のそうしたスキルでさえ、使いあぐねているように見えます。


〈く! 駄目です。治療ができません! 一体、何が……。と、とにかくマスター、一度彼女から離れてください! 傷を回復します!〉


 わたしは先ほどから治療用の【因子演算式アルカマギカ】の使用を試みているのですが、マスターの傷は一向に治癒されていません。はっきりとしたことはわかりませんが、……二人の周辺にある【因子アルカ】そのものの制御が上手くできないような感覚でした。


〈駄目だよ、今の彼女は見境がない。飛び退けばその分間合いを詰めてくるし、屋敷に近づきすぎれば、子供たちだって危険だ。心配いらないよ。僕には《メイドさんのご奉仕》の回復効果もあるからね〉


〈ですが、その怪我では到底回復が追いつきません!〉


〈大丈夫。それよりヒイロは、こっちの余波が屋敷に及ばないよう頼むよ〉


〈で、ですが……〉


 これ以上の呼びかけは、マスターの集中力を妨げることになりそうです。


「……《アンチ・ショックフィールド》を展開」


 わたしは説得を諦め、屋敷の周囲に衝撃波を吸収する【因子演算式アルカマギカ】を展開せざるを得ませんでした。


 そうしてあらためて見るメルティの姿は、『悪魔』としか形容のできないものです。ねじれた角に黒い翼、別の生き物のように動く黒い尻尾などは、誰もが思い描くだろう典型的な悪魔のそれです。


 ですが、だからこそ理解できません。


「『アトラス』たちから悪魔アスタロトと呼ばれ、恐れられてきた彼女の姿が、まさに悪魔のイメージそのものだったなんて『出来過ぎ』ですね」


「……出来過ぎというか、意味が分からない。悪魔なんて言葉は、それこそ人間たちが『王魔』を恐れて呼称するときにだって使うものだ。でも、あれじゃあまるで、よく言うところの……『まずは形から入ってみた』みたいなものじゃないか」


 疲労の色を隠せない顔のまま、マスターとメルティが対峙する様を見て、呆れたように息を吐くアンジェリカ。


「悪魔の姿になれば、悪魔のようになれる……ですか? とはいえ、彼女はあの羽を使って空を飛べるわけでもなさそうですし、本当に形だけなのかもしれませんね」


 だとすれば、彼女は何のために、あんな姿になっているのか。ますますわからなくなりそうです。


「……というより、あれは『天使の反転複写』なのじゃろうな」


 いつの間にかわたしたちの会話に割り込んできたのは、屋敷の中から戻ってきたベアトリーチェでした。


「子供たちは大丈夫なのですか?」


「心配いらん。あの程度の精神魔法、解除できぬわらわではない。今ではリズが皆のケアをしてくれておる。幸い、大した怪我をした者もおらんかったしな」


「そうですか」


 わたしは、ほっと胸を撫でおろします。すると今度は、アンジェリカが彼女に問いかけました。


「さっきお前が言った、天使の反転複写というのは、どういう意味だ?」


「……わらわが『観測』する限り、彼女の肉体そのものは変化していない。ゆえに『悪魔』の姿は……見る者のイメージに訴えかけるための虚像じゃろう。それこそ……『女神』の使徒たる『天使』の天敵としての意思を具現化しているとでも言うべきか」


「『天使』の天敵? どうしてメルティが、そんなものに……」


「『愚者』の力がある以上、予想できたことではある。が、あれほどのものはおそらく『愚者の聖地』でも、そうはお目にかかれまい」


 アンジェリカとベアトリーチェの会話を聞きながらも、わたしはあらためてマスターに回復用の【式】を展開するべく、【因子アルカ】を制御しようとして……あることに気付きました。


「まさか……」


 わたしは改めて【因子観測装置アルカグラフ】を使い、メルティの状態を分析します。


「……『王魔』が『魔力』を従属させて使用するように、彼女は【因子アルカ】を従属させて使用している? そんな馬鹿な……」


 背筋が寒くなるような心持ちで、わたしはそんな分析結果をはじき出してしまいました。あんな乱暴な方法では、わたしのような細かい制御はできないでしょうが、その分だけ彼女の周囲の【因子アルカ】は、まともな制御が困難なものになっているはずです。

 だとするならば、いくらマスターの【因子感受性アルカンシェル】が高かったとしても、むしろそれが仇となりかねない恐れがあります。


 マスターにとって今の彼女は、まさに最悪の相性を持つ相手だと言えるかもしれません。


「くそ! あのままじゃ、キョウヤが!」


「待て、アンジェリカ。下手に割り込めば、かえってあの男の護りが甘くなるぞ。ああ見えて、ぎりぎりで致命傷は避けておるようじゃし……奴は奴で何か考えがあるのじゃろう。それよりお前は、残る東側の敵を殲滅してくるのじゃ。エレンは防御こそ完璧にこなしておるが、他の方面に回り込まれでもすれば厄介じゃ」


 すでに『聖歌隊』には、その程度の判断能力も残ってはいないでしょうが、彼らの中には、銀仮面の『枢機卿団』が混じっていないとも限りません。


「わたしに指図をするな。そもそもお前はどうするつもりだ?」


「わらわか? わらわはヨミ枢機卿を『押さえて』おる」


 見れば、いつの間にかベアトリーチェの足元から広がる金の砂が、この場から逃げようとしていたらしい最後のヨミ枢機卿を拘束しているようでした。


「そうか……わかった。エレンの手が空けば、他にも打つ手があるかもしれないからな。……行ってくる」


 『自分の仕事』をきっちりとこなしている聖女の言葉を受け、アンジェリカは悔しそうに息を吐いた後、エレンシア嬢が守る屋敷の東側へと駆けていきました。


「プライドの高い彼女がああも素直に従うなんて、さすがは聖女様ですね」


「当然じゃ、わらわはこう見えて、年上のお姉さまじゃぞ?」 


「……結局、わたしたちはマスターを信じて待つしかないというわけですか」


「ああ。それに、どうやらそろそろ動きがあるようじゃな」



──なおも激しい戦闘を続けるメルティとマスター。よく見れば、あれだけ動き回っている割に二人の戦っている位置は、最初からほとんど変化がありません。


 こちらを巻き込まないよう、立ち位置にまで気を遣っているとしたら、怪我こそ負っているとはいえ、マスターにはまだ余裕があるのかもしれません。


「あははは!」


 狂気に満ちた笑い声。メルティは足元の地面をえぐるように蹴りながら、一瞬でマスターの眼前に迫り、その顔めがけて引っ掻くように右手を振り下ろしました。


「うわっと」


 のんきな声ではありますが、マスターは一見して必要以上に大きな動作で彼女の一撃を回避します。しかし、空を切った彼女の『剛腕』の先で大地が大きくえぐれたのを見る限り、決して大げさとは言えない回避方法だったのかもしれません。


 マスターもまた、少なからず彼女の美しさには魅了されているはずですが、彼には周囲の知性体と身体能力を拮抗させるスキル『空気を読む肉体クレバー・スレイブ』があります。メルティの『砂漠に咲く一輪の花ラスト・プライド』による身体能力を奪う効果は、事実上、無効化されているようでした。


「あはは! やっぱり、キョウヤと遊ぶのが一番楽しい!」


「それは光栄だね」


 立て続けに繰り出される致命的な攻撃を、ふらつく身体でどうにか回避するマスター。 それまでつかず離れずの距離で戦闘を続けていた二人ですが、ここでついにマスターが後方に大きく飛び下がり、距離を取りました。


 するとメルティは、何のためらいもなくマスターの動きを追い、一気に間合いを詰めてきました。


「うまくできるといいんだけどな……」


 後方に大きく飛び下がりながらも、正面に突き出した手から冷却空間を生み出すマスター。しかし、当然のことながら、彼の使う『冷却魔法』も魔法には違いありません。


 案の定、彼女は銀に輝く球状の冷却空間を一瞬でかき消し、そのままさらに彼との距離を縮めようとしました。


 ところが……


「え?」


 彼女が無効化したはずの冷却空間。気付いたときには、それが『黒く』染まっていました。

 いえ、実際にはそうではなく……マスターが目くらましとして使用した冷却魔法のすぐ奥に、『ソレ』は展開されていたのです。


「黒い……鏡」


 わたしはマスターの眼前に丸く展開されたその平面を見て、そんな言葉を漏らしていました。その黒い円形上の物体には、あり得ない程にくっきりと、周囲の景色が映りこんでいます。けれど同時に、あらゆる光を吸収する禍々しい暗黒の淵が、その空間にぽっかりと口を開けているようにも見えました。


 何より不思議なことは、その『鏡』は平面でありながら、上下左右あらゆる角度から見てもなお、『円形』に見えるのです。


 言うなれば、あらゆる『観測者』に対し、常に正面から相対し続ける『天外魔鏡』


 存在自体が矛盾する存在。

 それはまさに、『黒々と輝く鏡』のような、彼の瞳によく似ていて……


「なに……これ……?」


 正気を失っているはずのメルティでさえ、その常軌を逸した『存在』を前にしては、その動きを止めざるを得なかったようです。


「ここ何日か、こいつの使い方を練習していて、気づいたんだ……」


 マスターは血だらけの身体で立ち尽くしたまま、『黒い鏡』を見つめています。


「ああ、僕は……最初から『間違って』いたんだ……ってね。だから、『あのヒト』はきっと、『自分の子供』の存在を認めたくなかったんじゃない。そうじゃなくて……こんなにも『おぞましいモノ』を、自分が生み出してしまったということを、認めたくなかっただけなんだ……ってね」


 悲しげにうつむくマスター。わたしもまた、マスターの練習に付き合っているさなか、この『事実』を知った時は強い衝撃を受けたものですが……それでも、だから何だと言うのでしょう?


 例えどんな『存在』であろうとも、彼──クルス・キョウヤは、わたしにとって唯一無二にして、誇るべきマスターなのです。


 どういう原理なのか、周囲のあらゆる景色を映し出す黒い鏡。

 けれど、そこに唯一、映し出されないものがありました。


 それは──マスター自身の姿です。


「……な、なんじゃ、あれは?」


 震える声でわたしに問いかけてくるのは、ベアトリーチェでした。彼女の能力『世界を観測する者アカシック・ゲイザー』には、あの鏡がどんな風に見えているのでしょうか。


「……あれは、マスターのスキルによって生み出された【暗黒因子ゼノ・アルカ】です」


○通常スキル(個人の適性に依存)

真理を語る愚神礼賛モリアーズ・スピーチ』※ランクS(EX)

 『病原体』耐性スキル。任意に発動可。自身の体内で『女神の愚盲ヴァイラス』と『愚者の隻眼ファージ』を融和させる【暗黒因子ゼノ・アルカ】を生成する。


 未だに『女神の愚盲ヴァイラス』と『愚者の隻眼ファージ』が何を指す言葉なのかは理解しきれません。しかし、それでもあの【暗黒因子ゼノ・アルカ】をわたしの【因子観測装置アルカグラフ】で分析したことで、わかったことがあります。


 わたしが知る限り、【因子アルカ】とは、万物の存在を定義する根源的情報素子そのものです。

 一方、この世界に溢れる『魔力』は、極めて異常な形に変質した【因子アルカ】であり、知性体の精神性に強く左右される情報素子であると言えるでしょう。


 ならば、【暗黒因子ゼノ・アルカ】とは何なのか?


 それは、一言で言ってしまえば、『非存在の存在』を定義する情報素子です。意識の盲点とも言うべきものですが、あるモノが『存在しない』、『ありえない』という状態そのものは、存在の情報素子たる【因子アルカ】によっては定義できないものなのです。


「……ヒイロの言うことは難しくてわからんな」


 わたしの説明を聞いたベアトリーチェは、お手上げとばかりに首を振って言いました。


「すみません。そうですね……。わかりやすく例えるならば、あの『黒い鏡』こそが、『この世に悪魔が存在しないことを証明する方法』そのものだということです。すべてを飲み込み、すべてを反射して、それでもなお、最後に残るもの。いえ、この場合は『残らなかったモノ』……というべきでしょうか?」


「悪魔の証明……か。じゃが、あの鏡がそうだとして、これから何が起こると言うのじゃ?」


「あのスキルは『病原体耐性スキル』です。……病原体耐性とは、異物を受け入れてなお、身体を正常に保つ機能のことです。しかし、ここでいう『異物』とは──そして、『身体』とは──」


 この世界における──『非存在』を証明された存在。

 『ない』ことが認められることで、はじめてそこに『ある』ことができるモノ。

 

 これまで……世界の異物であるがゆえに、この世界に自身のごく一部しか『映し出して』これなかったマスター。


 今まさに、その『かせ』が外れようとしているのです。

次回「第130話 心の存在証明」

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