第119話 ロリコンの作法
所詮相手は子供です。行動範囲は限られており、足もあまり速くはありません。手分けをして探せば、すぐに見つかると思われました。
しかし、すぐにわたしたちは、この農園でクレハを見つけ出すのは、思ったよりも大変なことだと気づかされます。何故と言って、今は作物が実りの時期を迎えており、背の高い麦が生えた畑が農園一体を覆い尽くしていたからです。子供の身長でそんな中に紛れ込んでしまえば、簡単には見つけられません。
ましてやこの農園は、水車小屋や収穫した作物を貯蔵しておく小屋が立ち並んでおり、せせらぎの流れる小さな林や入り組んだ岩場など、多種多様な地形に囲まれた立地条件でもあったのです。
「どうだい、ヒイロ? 見つかりそうかな?」
「いえ……、せめて個体登録でもしていれば探しやすいのですが……生命反応だけが頼りですので……」
一緒に農園内を見回るマスターの問いに、わたしは首を振りました。命の気配があまりにも濃密なこの農園では、わたしの探知用【因子演算式】も十分な効果を発揮しきれません。
「エレンも『世界に一つだけの花』で探してはくれているけど……あれはあれで全部の植物と一度に視覚共有できるわけじゃないみたいだしね」
彼女の他にも、アンジェリカやリズさん、ベアトリーチェやシスターたちが必死で農園内を探し回ってはいますが、なかなか発見には至っていないようです。
「クレハちゃんの部屋にでも行って、彼女の髪の毛でも手に入れられれば、話は早かったんだけどなあ」
悔しそうにつぶやくマスターですが、それはベアトリーチェに断固として反対されてしまいました。
「あのスキルで自分がしたことを思い出してください。彼女が承諾するはずはないでしょうに」
「いやいや、だって僕、ロリコンじゃないぜ? そんな心配、いらないのになあ」
「いや、ですから、どうしてそのことを、そこまで強調するんですか」
だからこそ余計に不安になるのですが、彼はそのことが分かっていないようでした。
それから、そのまま探索を続けることしばらく。日が傾きかけて夕暮れを迎えるころになったところで、わたしたちはようやくクレハの姿を発見することができました。
「うわ……危ないな。どうにか間に合ったってところだね」
言いながら、素早く懐から黒光りする《訪問の笛》を引っ張り出すマスター。わたしたちの目には、数人の男たちに囲まれたクレハの姿が映っています。随分と農園から離れた場所まで来てしまっているあたり、恐らく彼女はここまで必死に逃げ続けてきたのでしょう。
とはいえ、こうしてぎりぎりで間に合ったのはおそらく、マスターの『幸運』のなせる業に違いありません。何と言っても彼は先日、総勢100人もの『ニルヴァーナ』たちを不定形の存在に作り替え、未来永劫【亜空間】の中で彷徨わせるという『不幸』のどん底に突き落としたのですから。
「へへへ……お嬢ちゃん。追いかけっこは、もうおしまいかい?」
「ひひひ! お頭の幼女好きには参るよなあ」
「でもまあ、がりがりに痩せた貧相なガキならともかく、どこかの金持ちのお嬢ちゃんみたいじゃねえか。結構、楽しめるんじゃねえの?」
「俺はパスだね。まあ、身代金でも要求できるかもしれないし、壊さねえように気をつけろよ」
いまだに彼女までの距離はありますが、集音センサーを集中させれば、十分音声を拾うことはできます。聞こえてくる限り、どうやら男たちはクレハをわざと捕まえずに追いかけまわして遊んでいたのでしょう。
わたしがそのことをマスターに伝えると、彼は小さく頷きを返し、呆れたように息を吐きました。
「まったく、ロリコンどもめ。……視認さえできれば、移動は一瞬だ。ヒイロ。君も僕に掴まって」
「あ、は、はい!」
マスターに言われて、わたしは彼に抱きつくように掴まりました。
「わわ! ちょっと、積極的だね。どうしたんだい?」
「い、いえ……ついでですので、【因子干渉】をと思いまして」
「え? このタイミングで?」
「はい。すぐ済みますので、このまま転移してください」
「うん。まあ、いいけど……発動対象、クレハ」
腑に落ちないような顔をしながらも、《訪問の笛》を起動するマスター。
うう……つい、二人きりだったのをいいことに、とっさにしがみついてしまいました。口を突いて出た言い訳もこの上なく怪しいものになってしまいましたし、誰も見ていないとは言え、恥ずかしいことこの上ありません。
などと思っているうちに、わたしたちは男たちに囲まれたクレハの元に転移していました。
「うわ! な、なんだ、てめえら! どこから現れやがった!」
突如として出現したわたしたちの姿に、驚きざわめく野盗たち。
しかし、マスターはそんな彼らを無視するかのようにクレハへと目を向けました。
「やあ、クレハちゃん。大丈夫かい? ごめんね、助けに来るのが遅くなって」
「あ……お、おにいちゃん。助けに、来てくれたの?」
「まあね。何と言っても僕はほら、この世界の平和を守るために異世界からやってきた勇者様だから。女の子のピンチに現れないわけがないんだよ」
目に涙を溜めて自分を見つめるクレハの前にしゃがみ込み、彼女の頭を優しく撫でてあげるマスター。先ほどのお遊戯室では、あまり子供たちには興味のない素振りを見せていたマスターですが、子供嫌いというわけではなさそうです。
「お、おい! てめえ! 俺たちを無視してんじゃねえぞ!」
威勢のいい声をかけてくる野盗たちですが、明らかに異常な手段でこの場に現れたわたしたちに対しては、かなり腰が引けているようです。
「く、くそ、転移ってことは、『法学』の魔法使いか?」
「おい、どうする? やばいんじゃねえのか? 魔法使いが相手じゃ、分が悪いぜ」
現に奥の方にいる数人は、そんな言葉をひそひそと囁き合っているようです。
が、しかし、
「お前ら! びびってんじゃねえ。俺たちにはお頭がいるだろうが!」
ここで、野盗たちの中でもナンバー2に当たるらしい男が彼らを一喝したのです。
「へへへ、お頭。ここはお頭の魔法でどうか、こいつらをやっちまってください」
こびへつらうように男が声をかけた相手は、この中ではただ一人、不気味なローブ姿の中年男でした。にやにやと嫌らしい笑みを浮かべたまま、彼が見つめる先には、緊張の糸が切れて泣きじゃくり、マスターにしがみついたクレハの姿があります。
「けけけ。そうだなあ。人の楽しみを邪魔してくれようという奴は、俺様の魔法で丸焼きにしてやらねえとなあ」
「お、お頭! そっちの赤い髪の女は殺さない程度にして下せえ! そっちは俺らで楽しみたいんで!」
「ああ? なんだ、年増好みな奴らだな。まあいい。ぶっ殺すのは俺様の幼女を抱きしめてくれちゃってる、そのむかつく男だけにしておいてやるか!」
リーダーの男はそう言って、手にした杖のようなものをマスターにさし向けました。しかし、マスターは黙ったまま振り向こうともしません。わたしは、自分が牽制用の【因子演算式】を使うべきか迷いましたが、彼が浮かべている表情に気付いたところで、それを思いとどまりました。
「そら、そのお嬢ちゃんから離れろや!」
男の杖から小さな火の玉が吐き出されます。牽制用の魔法なのでしょうが、その程度ではそもそも『リアクティブ・クロス』の反発衝撃波さえ突き抜けることはできません。
「な! 俺の炎が……」
あっさりと吹き散らされた火の玉を見て、驚愕の声を上げるリーダー。マスターはクレハの頭を慰めるように軽く撫でた後、くるりと振り向いて笑いかけました。
「……やあ、ロリコン。僕はさ、小さな女の子を性的な欲望のはけ口にしようとか考える奴を見ると、どうしようもなく許せなくなるんだよね」
「……う、あああ。ひ、ひぃっ!」
振り返った彼の顔に何を見たのか、男たちは一斉に怯えた声を上げました。
「だってさあ、そうでしょう? こんなに可愛い女の子なんだぜ? 普通なら優しく可愛がって、無邪気に笑うところを愛でるのが正しい作法ってもんなんじゃないのかい?」
言っていることは一応筋が通ってるのかもしれませんが……。そこで『作法』という言葉を使うあたりに、わたしはめまいを感じてしまいます。
「それをこんな風に怖がらせて、泣かせて……まったくもって君らには、きっちり罰を与えてやらなきゃ駄目みたいだね」
「う、うう……な、なんだお前は! そんな、そんな目で俺を見るな!」
「うるさいぜ、ロリコン。そんなに怖ければ逃げればいいだろ? ……逃げられるものならね」
マスターの言うとおり、野盗たちは既にマスターの鏡のような黒々とした瞳を前にして、戦意を喪失してしまっています。今まで直面したこともないような底知れぬ深淵を前にして、恐怖に身体を震わせている者すらいるのです。
にもかかわらず、彼らは一人として、この場を逃げ出そうとしません。はじめはわたしも、その理由が理解できませんでしたが、あえて言葉で言うなら……それは『逃げ出せるような雰囲気じゃない』というのが正解かもしれません。
しかし、真の正解はマスターの口から語られます。
「もう夕暮れ時だしね。使えるようになってたみたいだよ。《キング・コキュートス》」
「う、うああ……だ、駄目だ。あ、足が、足が動かねえ……」
凍りついたように固まる男たち。逃げようとすると、足が地面に縫い付けられたように動けなくなるらしく、上半身を必死に揺らしてもがいている者もいるようです。
「無駄だよ。君らが『空気』を読み、集団生活を営む生き物である限り、君たちという集団に仕掛けた『逃げ出せない雰囲気』を打破することなんてできない。それこそが僕の『概念冷却』なんだからね」
そう、たった一人が相手であれば、対象の身体に傷をつけ、直接魔力を流し込まねば発動しない行動制限系の『概念冷却』も、集団に対して使う場合は、その限りではありません。複数人に共通する感覚、雰囲気、そうした『概念』を冷却するこの魔法は、相手の数が多ければ多いほど、その威力を発揮するのです。
「とはいえ、僕も幼い女の子の前で残虐な真似をする気にはなれないからね。君たちは運が良かったと思っていいよ」
マスターはそう言うと、『動かぬ魔王の長い腕』を使い、彼ら一人一人の肉体に直接触れていきます。その目的はと言えば、彼らに『物体冷却』の魔法を仕掛けることでした。
これは勘違いされやすい事実なのですが、実のところ、マスターの『物体冷却』は彼が直接触れた固体を冷却する魔法ではありません。その固体に、『接触した他の固体を冷却する効果』を付与する魔法なのです。
今の状況でその違いがどう表れるのかと言えば……マスターに触れられた彼らの肉体は凍りつかず、彼らの肉体が触れているものが凍りつくのです。
つまり、手にした武器が凍り、身に着けた下着が凍り、足に履いた靴下が凍り、驚いて倒れた拍子に接触した地面が凍るのです。とはいえ、自らの身体に触れたものが一斉に絶対零度の勢いで凍りつけばどうなるのかなど、考えるまでもありません。彼らは一瞬で素肌全体に酷い凍傷を負い、ついで全身の体温を凄まじい勢いで奪われ、声を上げる暇もないままに凍死していきました。
「うん。まあ、これなら血も出ないし、クレハちゃんも怖がらなくて済みそうだ」
などと言うマスターですが、そもそも彼らの衣服の方に触れさえすれば、直接彼らの身体を冷却できたはずなのです。そこをあえて間接的な冷却によって殺害するという時点で、そんな気遣いなどあろうはずもありません。
実際、わたしの身体にしがみつくクレハは、怯えた顔で死にゆく男たちの姿を見つめていたのでした。
次回、「第120話 する側とされる側」




