第113話 旅立ちの日に
翌日以降、わたしたちは旅に出るための準備に取り掛かりました。
立場上、ジークフリード王やメンフィス宰相らに了解を取り付けることはもちろん、旅先で必要になるものの用意も整えなければなりません。その気になればわたしの【因子演算式】を使うことで大抵の物資は生成できますが、特に食料品や女性陣の服飾その他に関するこだわりまでは、なかなか再現できないものなのです。
「それに、メルティも連れていくとなれば、御両親をうまく説得しなくちゃだしね」
メルティがこの国に帰還してから、すでに三か月近くが経ってはいるものの、十五年間離れ離れだった親子なのです。そう簡単に、彼女が旅に出ることを納得してくれるはずもありません。……そんな予想を抱きつつ、メンフィス宰相とアリアンヌさんに面会を求めたわたしたちでしたが、彼らの答えは拍子抜けするほどあっさりとしたものでした。
「構わないさ。メルティ自身が望んでいるなら、好きなようにしてもらいたい」
朝の時間に屋敷の応接へと押し掛けたわたしたちに対し、穏やかな顔で言ったメンフィス宰相は、公務に出かける準備を終えたところのようでした。
「そうね。だって今度は、間違いなくあの子が生きてるって、わかるんだもの。全然、辛いことなんかないわ」
初めて会った頃より随分と血色の良い顔になったアリアンヌさんは、意味深な視線をマスターに向けてきています。
「えっと、そう言ってくれるのはありがたいけど、ちょっと意外だな。てっきり猛反対されるかと思ったのに」
「もちろん、あの子と離れるのは寂しい。でもきっと、君がいなくなったこの国に残っても、彼女の方が寂しい顔をしてしまいそうだからね。親としては複雑だけど、悲しい顔なら見たくないとも思うのさ」
「この三か月で十分、『子供』のあの子との時間は取り戻せたわ。……ふふふ! 最近のあの子は、大分成長してきたみたいなのよ? だから、今度はあの子の好きにさせてあげたいの。……ほら、噂をすれば、ね?」
アリアンヌさんが指し示した先で、勢いよく部屋の扉が開かれました。
「メルティ?」
わたしたちは、扉の向こうから姿を現した彼女の姿に、驚きの声を上げてしまいました。ここ最近、彼女はしばらくメンフィス宰相の屋敷で過ごすことが多くなっていました。夜も滅多にマスターの元には来なくなっていたため、恐らくは屋敷の二階にある自分の部屋から駆け下りてきたのでしょう。
「……どうしたの? その髪」
マスターが目を向けた先に立つ少女。膝のあたりまで長く伸ばしていたはずの彼女の艶やかな黒髪は、肩の近くでバッサリと切られていたのです。
「変……かな?」
扉の傍で身体をもじもじとさせつつ、不安げにこちらを見つめるメルティは、ゆったりとしたガウンのような服を身に着けています。恐らく、寝起きのまま駆けつけてきたのでしょうが、それはすなわち、彼女が全裸で寝るのをやめたということを意味します。
「い、いや……変じゃないよ。何というか、うん。良く似合ってる」
しどろもどろになりながら、どうにかそんな言葉を口にするマスター。実際、不思議なことに一見して短めの髪型は、活発な女性という印象を与えがちのはずなのですが、以前よりも随分と大人っぽくなっているように見えていました。
おそらくは、彼女の表情やしぐさがそうさせるのでしょう。
「お、おお……メルティちゃんが、また一段と、可愛らしくなっておる!」
「ベアトリーチェさん。あなたは『可愛らしい』以外に、女性への褒め言葉を知りませんの?」
呆れたように言ったのは、エレンシア嬢でした。彼女が指摘した通り、メルティが大人びた印象になったことも『可愛らしい』という表現してしまう聖女様の価値観は、一種独特のものがあるのかもしれません。
「えへへ……良かった」
嬉しそうに笑うメルティの姿に、わたしたちは思わず見とれてしまいました。
「ほら、メルティ? そんな恰好では、はしたないわ。すぐに着替えていらっしゃい」
「はーい」
母親に促され、再び自室へと戻っていくメルティ。その後姿を見送った後、アリアンヌさんは再びマスターに向き直りました。
「キョウヤ君。あの子は少しずつ成長して、今後ますます女の子らしくなっていくでしょう。……貴方には、変わっていくあの子のことも、ちゃんと受け止めてもらえると嬉しいわ」
「えっと……は、はい。頑張ります」
さすがのマスターも、これには殊勝な返事を返すしかなかったようです。
──そして、出発の日。
「いつまでも引き留めてはおけないとは思っていたが、いざこの日が来るとな……」
見送りに正門前まで出てきてくれたジークフリード王は、少し寂しそうな顔でアンジェリカの手を握っています。
「大丈夫よ、お父様。たまには帰ってくるから。キョウヤは『空間転移』の『法術器』まで使えるんだし、戻ってくるときは一瞬だわ」
なだめるように言いながら、父の身体を抱きしめるアンジェリカ。一方、その隣には、おかしそうに笑うシルメリア王妃の姿があります。
「ふふふ。これじゃあ、どっちが子供かわからないわね。……キョウヤ君。わたしからもアンジェリカのこと、お願いするわ。わがままでお転婆なところもある子だけど……それでも心根の優しい子だから、よろしくね?」
「もちろん。彼女のことは、僕が命に代えても護りますよ」
「何を言っているの。死んでは駄目よ。娘が悲しむじゃない」
「あはは。どこまでもアンジェリカちゃんの心配だけなんですね」
「冗談よ。……あなたなら滅多なことはないと思うけど、でもこの世界はわたしたちが思う以上に広いわ。未知の物と出会うことも多々あるし、その中には手に負えないものだってあるかもしれない。だから、用心だけは忘れないでね」
「はい」
マスターはシルメリア王妃と握手を交わした後、改めて全員を見渡しました。
「ヒイロ、アンジェリカちゃん、リズさん、エレン、メルティ……それに、ベアトリーチェさん。これから先、どんなことがあっても、僕は君たちを護る。だから、これからも僕についてきてくれるかな?」
「わたしのマスターはあなただけです」
「当たり前だ。ついてくるなと言われても、ついていってやるからな」
「キョウヤさんは、わたしが起こさないといつも寝坊するんですから、放っておけませんよ」
「うふふ。あの公園での誓いは、果たされていませんわ」
「うん。メルティも、キョウヤの傍にずっといたいから……」
五人はそれぞれの言葉でマスターに応えましたが、一人だけ黙ったままの人物がいます。
「む。ベアトリーチェ。お前も何か言ったらどうだ?」
「べ、別についていかんとは言っておらんじゃろうが」
アンジェリカに促されたベアトリーチェは、そんな言葉でこの場をごまかそうとしましたが、そうは問屋がおろしません。
「ベアトリーチェさん。たまには自分の気持ちに素直になることも大事ですよ?」
「何も愛の告白をしろと言っているんじゃないんですから、気楽になさってください」
「胸の中にあるものは、言葉に出して言うことで、はっきりした形になることもありますわ」
「ベアトリーチェお姉ちゃん。一緒に来てくれないの?」
さらに残りの四人から責めるように言われ、彼女は追い詰められた顔になりました。
「うう……。ああ、もう、わかったわかった! まったく、どうしてお前たちはこんな時ばかり一致団結しおってからに……」
ぶつぶつと文句を言うベアトリーチェでしたが、最後にはマスターまでも止めとばかりに声を掛けました。
「ベアトリーチェさん。駄目かな? 僕と一緒に旅をするのは嫌かい?」
「……ぬぐぐ! べ、別に……嫌ではない! そ、その……なんだ。わらわは世界の真実が知りたいのじゃ。その役に立ってくれると言うのなら、まあ、男であるお前との旅も、我慢してやらんこともないぞ?」
「なにそれ!?」
最後まで偉そうに胸を張って言う彼女に、たちまち女性陣から非難の声が飛び交いました。
何はともあれ、今後、この世界の根幹を揺るがす出来事の中心に立つことになる、七人の男女の旅は、こうして始まったのでした。
──見送りの国王夫妻、宰相夫妻の姿が見えなくなって間もなく。
「さて、それでは皆さん、少し止まっていただけますか?」
徒歩で距離を稼いだ後、わたしはドラッケン城が十分に遠ざかったのを確認したところで、抱えている懸案事項の一つを解決することにしました。ちなみに、以前より人数が増えたこともあり、アンジェリカの『玉行車』も使用していません。
同じくここまで《レビテーション》による空中移動をしていなかったのは、途中ですぐに解除する必要があったからでもありました。
「どうしたんだ? ヒイロ」
アンジェリカが怪訝そうな顔でわたしを振り返ります。
「いえ、少しお待ちください。……《ワーム・ポケット》を展開」
わたしは返事の代わりに、いわゆる『亜空間ポケット』を出現させる【因子演算式】を発動させました。この術式は、重力制御の式との同時制御が難しいのです。
「ああ、そっか。アレのことだね」
マスターはわたしの意図に気付いたのか、生成された亜空間ポケットの中に右手を無造作に突っ込みました。
ズルリ……と、そんな音が聞こえるはずもないのですが、ポケットから取り出されたソレからは、そう形容したくなるくらい禍々しい雰囲気が発せられています。
「な、なんですの? それは……」
「なんだか、すごく不気味ですね……」
エレンシア嬢とリズさんが不安げに言えば、
「ば、馬鹿な……なんじゃその物体は。そんなもの、この世界にはあり得んじゃろう……」
ベアトリーチェも驚きに声を震わせているようです。
彼の手に握られているモノ。それは、あの『賢者の石』から生成された【ダークマター】です。形状としては、いびつな形の細身の剣にも見えますが、ただの剣ではないことは明らかでしょう。
「真逆の性質である以上、『賢者の石』を破壊してしまう恐れもありましたからね。念のため亜空間に封印したうえで、離れた場所での確認となりましたが……」
そこまで言ったところでマスターを見れば、彼は手にした剣をしげしげと眺めるばかりで、こちらの話を聞いてくれてもいないようです。仕方なくわたしが代わりに事の経緯を説明すると、その場の全員が呆れたような顔でマスターに目を向けました。
「ん? みんな、どうしたの?」
ようやく周囲から注がれる視線に気づいたマスターは、怪訝な顔で皆を見返しました。
「いや、お母様から言われたばかりだろう? この世界には未知の物も多いから、用心を忘れるなと」
「ん? でもこれ造ったのって、それを言われるよりも前の話だよ?」
「そういう問題ではない。というか、その剣、本当に大丈夫なのか? なんというか、見ているだけで魂が吸い取られそうな禍々しさなんだが……」
アンジェリカに言われ、マスターは改めて刀身に顔を近づけました。黒々とした刀身は鏡のように磨かれており、彼の顔さえはっきりと映し出しているようです。
「うーん。じゃあ、論より証拠だ。ちょうどいいところに怪しい連中がいるみたいだし、ちょっと試してみようか?」
そう言ってマスターが黒い切っ先を差し向けた先には、黒づくめの男たちが立っていたのでした。
次回、「第114話 未定義の黒」




