第110話 世界の要石
ジークフリード王は憮然とした顔のまま、会議室の上座の席に腰掛けています。
「やだなあ、王様。せっかくこれから、みんなで仲良く話し合いをしようって時に、そんな苦虫を噛み潰したような顔をすることないじゃん」
「ぬぐうう! き、貴様……どこまで俺を虚仮にするつもりだ!」
先ほどまでの戦いがなかったかのように軽い調子で話しかけてくるマスターに、国王はたちまち怒りの色をあらわにして唸ります。
「別に、虚仮になんてしてないよ。いつもの僕の軽口だろ? 何をそんなに怒っているんだい?」
「その話ではない。……今となっては、貴様があえて俺を挑発したのだということぐらいはわかる。だが、なぜだ? なぜ、そんなことする必要があった?」
「言ったじゃないか。僕なら何があっても、みんなを護れるってことを信じてもらうためだよ」
マスターが澄ました顔でそう言うと、国王はますます睨みつけるような目になりました。
「それが……俺を虚仮にしていると言っている。聖女の件についても、変に隠し立てせず、捕虜にした直後にでも、最初から貴様が『自分の責任』で管理すると俺に明言すればよかっただけの話だ」
「え? そんなので信じてくれたの?」
「……模擬戦とはいえ、お前は俺を打ち負かした戦士だ。だと言うのに、そのお前の力を俺が疑うとでも思っていたのか? だとすれば、それこそ俺に対する侮辱に他ならん」
「……そっか。それは悪いことをしちゃったね」
確かに、ジークフリード王の言うことにも一理あります。彼がそこまでマスターに信頼を置いてくれていたことは意外でしたが、マスターのやり方はあまりにも唐突で、いい加減すぎました。意図の見えない行動まで疑うなというのは、無理がある話でしょう。
しかし、ここでマスターは、何かを思い出したかのように上を向いたかと思うと、おもむろに口を開きました。
「ああ、そうだった。王様を挑発した理由、それだけじゃなかったんだ」
「なんだと?」
唐突なマスターの言葉に、ジークフリード王は再び眉根を寄せて聞き返しました。
「ほら、僕と王様って、『昼間』にしか戦ったことなかったでしょ? それも模擬戦で」
「む? ああ、そう言えばそうだが……」
「なんかそれって、中途半端だと思ってたんだよね。僕って結構、やり始めたことは最後まで徹底的にやらないと気が済まないタイプだから」
「何が言いたい? 意味が分からん」
言葉のとおり、国王は理解に苦しむような顔をしています。しかし、マスターの性格をよく知るわたしには、ここでようやく彼の言いたいことが分かってしまいました。
つまり、マスターは、自分が一度躓いた『石』を、『徹底的に粉々になるまで破壊して』いないことに気付いたのでしょう。
ですが……そのことを今のジークフリード王に告げることは、間違いなく火に油を注ぐ行為です。
と、そこまでわたしが思い至った時には、もはや手遅れでした。わたしが止める間もなく、無邪気にそんな『理由』を説明し始めたマスターの前では、国王の顔がみるみるうちに怒気に染まっていきます。
ところが一方、国王の隣に腰掛けたシルメリア王妃は、駄々っ子をなだめる母親のような顔を彼に向けていました。
「ほらほら、ジーク。さっきも言ったでしょう? キョウヤ君の言動にいちいち振り回されていたら、こっちの身が持たないわよ。今の言葉だって、どこまで本心かわかったものじゃないんだから。軽く聞き流しておくくらいがちょうどよいのよ」
「く! ……シルメリア。お前随分とこいつの肩を持つじゃないか」
「あら? 妬いてるの?」
「妬いてなどいない!」
「うふふふ。まったく、本当にお子様なんだから」
「お、お前まで俺を馬鹿にすることはないだろうが……」
自分の怒りを妻に軽くいなされてしまった国王は、諦めたようにがっくりと項垂れてしまいました。
「あはは。こういうのを『かかあ天下』って言うんだっけ?」
マスターはそんな二人の姿を楽しげに見つめています。
すると、彼の隣に腰掛けていたアンジェリカが、改めて口火を切りました。
「……それはさておき、そろそろ本題に入らないか? ベアトリーチェ、お前が『賢者の石』について知っていることを洗いざらい話してもらおう」
「む? あ、ああ……」
アンジェリカの言葉を受けて、それまでぼんやりとマスターに視線を向けていたベアトリーチェは、我に返ったように頭を振りました。
「まったく、何をぼけているのだ。言っておくが、キョウヤがどう思おうと、わたしはお前のことを信用しているわけじゃない。それだけは忘れるな」
「ふむ……仕方がない。惨めにも囚われの身となったからには、恥も外聞も捨てて、我が身可愛さに身内の情報を売り払うとしよう。だから……酷いことしないでね?」
大げさな仕草で身体を縮こまらせ、上目遣いにアンジェリカを見つめるベアトリーチェ。そのあまりにもわざとらしい態度に、その場の誰もが呆れたような息を吐きました。
……いえ、唯一マスターだけが、楽しそうに笑うだけで済ませたようです。
「もちろんだよ。僕は女の子には紳士なんだぜ? 安心して、あることないことしゃべるといいよ」
「キョウヤ様! ないことを言わせては駄目ですわ。混乱します。……少しは真面目になさってくださいな。貴方のそういう『本気なのか冗談なのかわからない態度』がまわりの人を焼きもきさせていることを、少しは自覚なさった方がよろしいですわよ?」
翡翠の瞳で睨みつけるようにして、マスターをたしなめるエレンシア嬢。
「う、うん……。迷惑かけて、ごめんね」
調子に乗って適当なことを言っていたマスターも、エレンシア嬢に厳しく注意されると、たちまち母親に叱られた子供のように首をすくめてしまいます。
他の誰に怒られても、なんだかんだと上手く誤魔化したり、言い抜けてしまうことの多いマスターですが、こうしてお嬢様口調で正論を並べ立ててくるエレンシア嬢には、どうにも弱いようです。
それはさておき、いい加減に閑話休題と行くべきでしょう。
「まったく……恥でも外聞でも勝手に捨てていいから、さっさと話せ」
わたしと同じことを考えたのか、アンジェリカが苛ついたようにベアトリーチェに言葉の続きを促しました。
「身も蓋もない言い方じゃのう……。まあよい。わらわが知っていることとて、それほど多くはない。『教会』が考えるこの世界の在り方については、一度話したな? 他に話せることがあるとすれば……『賢者の石』、つまり玉座の後ろにあった四本の水晶柱のことと、『教会』の内部組織についてのことぐらいじゃ」
彼女はそんな前置きとともに、ゆっくりと語り始めました。
「あの水晶柱──『賢者の石』は、『教会』の間では『世界の要石』とも呼ばれておる」
「要石ねえ……。『賢者の石』と言い、たかが『石ころ』に大したネーミングをするものだね」
何故かマスターは、あまりこの話に興味を持っていないような口ぶりです。
「世界の根幹とも言うべきモノを石ころ呼ばわりするな。……あれは要するに、せめぎ合う二つの世界の結節点じゃよ。あれがあるから、世界は不完全ながらも安定して存在できる。不完全な世界における唯一の『完全物質』じゃ」
「それほどのものか……。ならばあの時、もし『賢者の石』が壊れていたらどうなっていた?」
どうやらアンジェリカは、落ち着きのない父親や興味がなさそうなマスターの代わりに、自分が尋問役を務めることにしたようです。
「あれは究極の鉱物じゃ。そんなに簡単に壊れるものではないが、万が一にもそんなことがあれば、この国を含むかなりの広範囲が生物の住めない土地になっていたかもしれんな」
「危なかったな。……だが、あの時、お前はアレを使って何をやった? あの時まで手も足も出なかったはずの『ヒヒイロカネ』を破壊し、挙句、メルティがあんな形で倒れたのだ。何か仕掛けがあるのだろう?」
ちなみに、今のベアトリーチェには、『ヒヒイロカネ』もその他の拘束具も着けられていません。一同からはそのことを不安視する声もあったのですが、マスターが「僕がいるのにそんな心配、まだするの? もう少し行動で示してみた方がいいかい?」との言葉を受けて口をつぐまざるを得なくなってしまったところです。
「ああ、あれか。『賢者の石』は根っこのところではひとつじゃが、柱に宿る四色の光は……それぞれ青が『生成』、赤が『分解』、緑が『調和』、黄色が『循環』を表しておる。とはいえ、その根源にある『意志』はただひとつ──『不完全なものを完全にする』ということに尽きるがな」
「その力で何かをしたのか?」
「そのとおりじゃ。青の『生成』は、特に『魔力』を無尽蔵に生み出す効果もあるからの。『青い光』に触れることで、『ヒヒイロカネ』に過剰な魔力を注ぎ込み、破壊させてもらった」
「なるほどな。……ああ、そういえば、あの時も言っていたか。緑の玉をメルティに渡したのは、『調和』させるためだとか……」
「そうじゃ。まあ、『調和』の力には生物の心や体を癒す働きもあるからの。メルティちゃんが眠ってしまったのは、その影響で鎮静作用が働いてしまったからじゃろう」
メルティは今、リズさんに付き添われて別室で休んでいます。ベアトリーチェの話を聞く限り、彼女に害が及んでいるわけでもなさそうです。わたしたちは、ここでひとつ、安心して胸を撫で下ろしたのでした。
「……では、あの『謁見の間』で回復魔法の効力が高まるのも、それが理由か。確かに『サンサーラ』の研究者たちも『賢者の石』のうち、回復には『緑の光』が重要だとは言っていたが……」
ここでようやく、ジークフリード王も納得したように頷きました。彼が先ほどの戦いであれほどまでに激昂していたのも、メルティがベアトリーチェに眠らされたり、シルメリア王妃がマスターの攻撃を受けたりしたことが理由なのでしょう。メルティの無事を聞いたせいか、少しは落ち着きを取り戻したようです。
「『賢者の石』については、その程度じゃな。ちなみに、対魔法銀を作ったり、『王魔』の子供を使った人体実験などをする際には、『大聖堂』にある『賢者の石』を使っているに違いあるまい」
「そうか。なら後は……『教会』の内部事情だな」
「うむ」
アンジェリカが話題を転じるように促すと、ベアトリーチェも軽く頷きを返しました。するとここで、それまで興味のなさそうな顔で話を聞いていたマスターが口を挟んできます。
「でも、本当にいいのかい? さっきの話はまだしも、組織の話なんてしたら完全に裏切り行為だと思うけど」
「……構わん。もとよりわらわは、『教会』の中でも異端の存在じゃ。忠誠心も大してあるわけではない」
ベアトリーチェは、どうでもいいとばかりに吐き捨てました。
「そうかい。でも、『教会』から離れて困ることがあるなら、僕が力になるよ」
「……ふん。お前の力などいらぬ」
とは言いながらも、ベアトリーチェはまるで緩みそうになる頬を押さえるかのように、自身の顔に手を当てています。
「……そ、それより、そもそもの話、『教会』の真の目的を知るものは、教皇と三人の枢機卿、それから……教皇直属の『四天騎士長』を加えた八人だけじゃ」
「だが、この前の口ぶりでは、お前も少しは知っているようだったじゃないか」
「断片的にはな。わらわには……本来あり得ないはずの『八番目』の天使が宿っておる。そのせいか、幹部連中もわらわには興味を持っていたようでな。すべてではないにせよ、ある程度の話は聞くことを許されたのじゃ」
「ベアトリーチェさんに興味を持つなんて、そいつら聖職者のくせに随分と俗物なんだね」
ここで再び軽口を叩くマスター。
「そういう意味の興味ではないわ。ばかたれ」
ベアトリーチェはそんな彼に苦々しげな目を向け、小さく罵倒の言葉を口にします。しかし、その声にはかつてのような勢いが失われているようでした。
「と、とにかくわらわは、司教の任命式の際に出向いた『大聖堂』で、『教会』が抱える世界の真実の断片を知った。できれば教皇自身にも話を聞きたいところじゃったが、表向きの幹部でしかない『七大司教』の地位では、滅多なことでは面会など叶わぬ。だからこそわらわは、『四人目の枢機卿』を目指していたのじゃ」
「つまり、教皇は他にも秘密を抱えていて、お前はそれを知る必要があったということか?」
「その秘密が何なのかが分かれば、『教会』の蛮行を防ぐ手立てもあるじゃろうと考えた」
「蛮行?」
「……相手が『王魔』だからとはいえ、いたいけな子供をさらって実験台にするなど、許しがたい罪悪じゃ。わらわは『教会』への忠誠心こそないが、『女神』は信じている。だからこそ、『女神』を奉じる『教会』の罪悪を許すわけにはいかぬのじゃ」
「…………」
聖女のその言葉に、アンジェリカをはじめとするニルヴァーナの王族三人が、目を丸くして彼女を見ました。しかし、アンジェリカはゆっくりと首を振ります。
「……その言葉をわたしたちに信じろと? 捕虜になったお前が、この場限りの調子のいいことを言っているだけではないのか?」
「信じろとは言うておらん。聞かれたことに答えただけじゃ」
心無い言い方をするアンジェリカに対しても、ベアトリーチェはそれが当然とばかりに、大して気分を害した様子もありません。
が、しかし……
「僕は信じるよ」
「お前には聞いておらんわ!」
信じる、と言われた時の方が激しく狼狽するというのも意味不明ですが、とにかくベアトリーチェは血相を変えてマスターを怒鳴りつけます。しかし、マスターは平気な顔で言葉を続けました。
「そもそもウルバヌス司教を騙してこの国に来たのも、奴隷の調達を阻止するためでしょう? やっぱり、君は『いい人』だね」
マスターは心から彼女を称賛するように、ベアトリーチェに満面の笑みを向けています。すると彼女は、そっぽを向くようにしながら、ぼそぼそと言い訳めいた言葉を口にしました。
「買い被るのはよせ。……それはただの偶然じゃ。あやつは元々、枢機卿の座を狙うに邪魔な相手じゃったからな。大体、パウエル司教に上層部が『王魔』のサンプルを求めている話を教えたのはわらわじゃぞ? 聞いた話では、それが原因でお前たちが捕縛されるところだったのじゃろう?」
「誤魔化そうったって駄目だよ。そもそも君は、そのサンプルが子供じゃなきゃいけない点は伝えていない。でなきゃ、アンジェリカちゃんとエレンが狙われるわけがないもんね。さらに言うなら、君はそういうあいまいな情報を伝えることで、彼が自滅するのを狙っていたんだろ? だったら、君は悪くない。優しくて、いい人さ」
「……もう、いい。やめろ。くそ……この男、どこまで……」
「何か言った?」
「い、いや、なんでもない。で? 他に知りたいことはあるか?」
このベアトリーチェの切り返しは、アンジェリカに向けてのものでしたが、ここでそれに答えたのはマスターでした。
「そうだね。本当に聞きたいことは別にあるけど、こんな場所じゃ悪いからね。別のことを聞こうか。……さっきの話だと、教皇には一回くらいなら、会ったことがあるんだよね? じゃあ、彼がどんな人物か、教えてよ」
「……そうじゃな。あまり参考にはならんと思うぞ? 大聖堂での任命式でわらわが出会ったのは、覇気のカケラも感じられぬ老木のような男じゃった」
「人は見た目によらないってことかな?」
「さあな。じゃが、いくつか言葉を交わした限りでは、掴みどころのない印象しかなかった。七人の幹部の傀儡である可能性も否定できん」
「なるほどね。どうせなら『頭』を切り落とせば楽かとも思ったけど、そのやり方じゃ厳しいかもしれないわけか」
などと物騒な言葉を口にするマスターは、やはり、本格的に『教会』と敵対するつもりがあるのかもしれませんでした。
次回、「第111話 レディーのお目覚め」




