第107話 二対一の戦い
「な、な……ななななな!」
全身からブスブスと煙を上げて立つマスターの姿に、驚愕の声を上げる人物。それは雷撃の槍を投擲したジークフリード王ではなく、玉座に座ったままのベアトリーチェでした。
「何をやっとるんじゃ、貴様は!」
「うわ!」
大声で怒鳴りつけるベアトリーチェに、マスターが思わずその場で飛び上がっていました。
「びっくりしたなあ。いきなり大声を出さないでもらえるかい?」
「うるさい! どうしてここまで、わらわのことをかばおうとする? 貴様はこの国の王女の婚約者……つまりは、国王の後継者になるかもしれぬ立場であろうが! それがよりにもよって、敵国の重鎮たるわらわを国王の攻撃から守るとは……正気の沙汰とは思えぬわ!」
「おいおい、何を言ってくれちゃってるんだよ。僕ら、あんなにも互いを確かめ合った仲じゃないか」
「ふざけるな! わらわは真面目に聞いておる!」
「そうは言うけどさ。はっきり言って僕、この国に大した思い入れがあるわけでもないんだよ。そもそも後継者だなんて、まっぴらごめんだしね」
「……だ、だとしても、そんな怪我をしてまで、わらわを救う理由にはなるまい!」
マスターの身体のあちこちにできた火傷に関しては、リズさんの《メイドさんのご奉仕》による治癒効果に加え、わたしの【因子演算式】によって治療しています。
とはいえ、彼女をかばうため、ほとんど防御魔法を展開できないタイミングで『盾』の力だけを頼りに《ライトニングジャベリン》を受けたのです。実際、治療開始前の火傷の状況は、以前にジークフリード王の同じ魔法を防いだ時より酷いものでした。
にもかかわらず、マスターはベアトリーチェに対し、にこやかに笑いかけます。
「救う理由がないだって? 何を言っているんだよ。女の子が一人、目の前で『自殺』しようとしてたんだぜ? 助けるに決まってるじゃないか」
「……な、じ、自殺? わらわが……? そんな馬鹿な……」
今度こそ、愕然とした表情で目を丸くするベアトリーチェ。身体を震わせた彼女の顔は、なぜか泣き出しそうに歪んでいます。
「お、お前は……男のくせに……男のくせに! どうして、そんな……」
ベアトリーチェは、絞り出すような声でそれだけ言うと、うつむいて黙り込んでしまいました。
「自殺? どういうこと?」
二人のやり取りに反応したのは、それまで怒りをあらわにしていたアンジェリカです。
「そのままの意味だよ。いくら彼女でも、何の防御もしないまま『ニルヴァーナ』の王の魔法に直撃されたら死ぬしかないでしょ?」
「で、でも、どうしてそんな……」
メルティの身体を抱えたまま、意味が分からないと言いたげに問いかけるアンジェリカでしたが、そこに別の声が割って入りました。
「……婿殿。どういうことか、説明してもらおう。なぜ、この国に害なす恐れのある女をかばう? 後継者になるつもりはないとは、どういう意味だ? お前はアンジェリカの婚約者ではないか。それとも、俺を騙していたのか?」
ジークフリード王は、不信に満ちた眼差しでマスターを睨みつけています。
「お、お父様、違うの! 話を聞いて!」
「うるさい。お前には聞いていない」
アンジェリカが慌てて言いつくろおうとしましたが、国王は娘の言葉に取り合うつもりはないようです。
「……返答次第では、貴様とて、ただでは置かん」
「へえ? この前だって僕に勝てなかったくせに、よく言うよ」
「なんだと?」
マスターの小馬鹿にしたような言葉を受けて、すさまじい怒気をみなぎらせるジークフリード王。気づけばいつの間にか、彼の頭部はその輪郭を徐々に変化させているようです。
既に夕暮れ時でもあり、制御しなければ変身が始まる時間帯なのかもしれません。
「キョウヤ! やめて! これ以上、挑発しちゃ駄目! 変身時のお父様は、制御が利かなくなるの!」
それに気づいたアンジェリカが制止の声を上げますが、マスターは小さく首を振るばかりです。
「悪いけどアンジェリカちゃん。メルティを連れて下がっていてくれるかい? さすがに眠ったままじゃ、彼女も魔法は防げないだろうしね」
「そんな……」
マスターの口から出た言葉は、まったくアンジェリカの言葉に応えたものではありませんでした。直接的でこそ無いものの、明確な拒絶の意志です。マスターは今ここで、ジークフリード王と一戦交えるつもりなのでしょう。
「キョウヤ……どうして?」
呆然自失となりながらも、アンジェリカはメルティの身体を抱え、こちらに走り寄ってきました。
「お母様! お願い……二人を止めて」
彼女はメルティをエレンシア嬢とリズさんの二人に預けると、背中の羽根を出現させて、そのまま宙に浮かぶシルメリア王妃の元に飛び上がります。
「……アンジェリカ。わたしも止めたいのはやまやまだけど、彼の言い分に理があるとは思えないわ。彼はいったい、何を考えているの? 恋人のあなたなら、わかるでしょう?」
「……そ、それは」
困惑気味の顔で問いかけてくるシルメリア王妃に、アンジェリカは返す言葉が見つからないようです。無理もありません。マスターの考えは、わたしにも理解しがたいことがたびたびありますが、今回のこれは、それに輪をかけて理解不能です。
先ほどから『早口は三億の得』による呼びかけも行っているのですが、適当に返事されるばかりで、まともに質問に答えてくれる気はなさそうなのです。
それはさておき、アンジェリカのこの反応を見て、シルメリア王妃は考えを決めたようでした。
「そう……あなたにもわからないのね。なら、わたしは夫に味方するわ」
「お母様!」
「あなたにそんな悲しい顔をさせる男なんて、許せるわけがないじゃない。それに……『ニルヴァーナ』の王族と二対一で対峙するとなれば、流石に彼も諦めて考えを変えるかもしれないでしょう?」
「そんな……」
絶望的な表情で項垂れるアンジェリカ。そのまま力なくこちらに降りてきた彼女は、途方に暮れた顔をしているようでした。
「アンジェリカさん。……大丈夫です。キョウヤさんを信じましょう」
いつの間にかリズさんは、彼女の元に駆け寄り、安心させるようにその背中をさすってあげていました。ここぞという場面でこうした気遣いができてしまうのは、彼女ならばこそでしょう。何より、マスターに対する彼女の信頼感は、並大抵のものではありません。
「二対一? なんだ、それくらいのハンデ。全然余裕だよ」
玉座の前に陣取ったまま、肩をすくめて笑うマスター。
すると案の定、その言葉にジークフリード王が激昂します。
「おのれ! 言っておくが、以前は昼間だからこそ後れを取ったに過ぎん。貴様には夜の『ニルヴァーナ』の力、その身をもって思い知らせてくれる!」
さらには、彼ばかりかシルメリア王妃も大きな反応を見せました。
「随分と……わたしたち『ニルヴァーナ』を侮ってくれたものね。正直、お仕置き程度で済ませてあげようと思っていたけれど……それじゃあ生温いかしら? ……《ウインディ・コート》」
その言葉と同時、彼女の周囲にすさまじい旋風が巻き起こります。
「……《ウインド・ブレイカー》を展開」
わたしは風よけの【因子演算式】を発動し、他の皆を護りつつ、シルメリア王妃の姿を見上げました。彼女の腰のあたりには衣服にスリットが入っていたらしく、そこからしなやかな爬虫類の尾が生えているようです。
「シルメリア。余計なことをするな。アレは俺の獲物だ」
一方、今や頭部を完全なドラゴンの形に変じたジークフリード王は、大変な迫力です。
「駄目よ、ジーク。わたしだって娘を泣かせる男を許すわけにはいかない。邪魔をするなら、貴方から相手をしてあげるわよ?」
にもかかわらず、シルメリア王妃は恐れた様子もなく、平然と言い返しています。
「うぐ……お前は、相変わらずだな。まあいい。言っておくが、あいつが投げつけてくる石や持っている武器には直接触れないことだ。凍結の効果があるからな」
「それはどうも、御親切に。でも、知っているでしょう? わたしが貴方以外の敵からまともに攻撃を命中させられたことなんて、一度もないってことを」
「──へえ? そうなんだ?」
「え?」
会話を交わしあう夫婦に間に、割り込んできた少年の声。気づいたときには、彼は宙に浮かぶシルメリア王妃の目前で拳を振りかぶっていました。
「じゃあ、僕が二番目かな?」
強化された腕力でシルメリア王妃に拳を叩きつけようとするマスター。しかし、すんでのところで彼女は空中で大きく後退し、それを回避しました。
「嘘でしょう? わたしの《ウインディ・コート》をあっさり突破してくるなんて……」
「おっと、かわされちゃったか」
軽い調子で言いながら、マスターは空振りによって乱れた体勢を立て直しつつ、石床に危なげなく着地を決めます。ただ跳躍し、ただ殴りつけ、かわされて、ただ着地した──言葉で表現すればそれだけのことですが、しかし、一連の彼の動きは、シルメリア王妃の周囲に渦巻く旋風が存在していないかのようなものでした。
「……あれが空気抵抗の『例外化』の効果ですか」
マスターは、シルメリア王妃が最初にこの部屋に現れた時以来、『存在しない登場人物』を使い続けています。実際のところ、先ほどの異常な攻撃速度も含め、空気に邪魔されずに移動できるということは、思った以上に大きなアドバンテージがあるようでした。
「貴様! 不意打ちとは卑怯な!」
一瞬、反応の遅れたジークフリード王でしたが、それでもさすがと言うべきか、すぐさま攻撃を仕掛けてきました。彼が無造作に腕を振ると、その身体にまとわりついたプラズマと呼ぶべき光は電子の奔流へと変化し、熱を伴いながらマスターへと迫ります。
「二対一のくせに、卑怯とはよく言うよ。……《ノーブル・マリオネット》」
しかし、雷光はマスターに届くより早く、直前に出現した赤銅色の人形に直撃し、消滅してしまいます。
「な、なんだ、それは! 『ミュールズダイン』の人形?」
「この国のお貴族様だよ。名前は……なんだっけ? えっと、レニ、レノ? まあ、いいや」
マスターが割合あっさり名前を思い出すことを放棄した人物、レニード・スピラ・ファフニルは、マスターの『規則違反の女王入城』によって発狂死した『ニルヴァーナ』の貴族です。
「とにかく、君のお仲間ってわけだ。せっかくだから仲良くしたらどうだい? じゃあ、レノ?……くん。やっちゃってよ」
マスターがそう言うと『彼』──《レニード人形》は両手を掲げ、無機質な声で宣言しました。
〈造物主様ノ命ニヨリ、攻撃ヲ開始スル──《スパイラル・ストーム》〉
不気味な人形の両手から、無数に分裂した螺旋の光が放たれました。数の多さに加え、ひとつひとつが複雑な軌道を描くこの魔法を前にしては、雷撃によって速度を上昇させたジークフリード王でも回避は困難だったらしく、かすめた光が彼の表皮を削っていきます。
「ぐ! 螺旋の魔法だと? これは確か……ファフニルの家の……」
レニードの名前こそ、すでにマスターの記憶から消えてしまっているようですが、彼の使う『螺旋を操る魔法』は今もなお、マスターの『死者の力を操る魔法』によって忠実に再現されているのです。
二対一とは言いながらも、この魔法一つあるだけで、マスターには事実上、数的不利というものは存在しえないのかもしれません。
次回、「第108話 雷霆の王と烈風の女王」




