第106話 賢者の石
その場にいる全員の視線が、玉座の奥に屹立する四本の巨大水晶柱に集まりました。見上げるほどに巨大な六角形の柱は驚くほど透明度が高く、その内部には、赤・青・緑・黄といったように四本それぞれに異なる色の光が宿っているのが見てとれました。
一瞬の静寂の後、最初に口を開いたのは、ジークフリード王です。彼は驚いて目を見開いたままのベアトリーチェを睨みつけ、苦々しげにこう吐き捨てました。
「ふん。やはり、『教会』の……『アカシャの使徒』の狙いはアレか。二十年前、貴様らがウェルナート帝国をそそのかして我らと戦争を始めた理由も、あの『賢者の石』を奪うことにあったのだろう」
「賢者の石? へえ、それは何とも御大層なネーミングだけど、あの水晶のこと?」
マスターが面白そうな顔をして尋ねると、ジークフリード王は対照的に重々しく頷きを返します。
「ああ、そうだ。このドラグーン王国が魔力の豊富な土地として栄えているのも、すべては無限に魔力が沸き出で続ける『賢者の石』あってのことだ。そして、あの石こそ『サンサーラ』が目指す『至高の錬成』の到達点の一つでもある。『女神』の魔法使いどもが狙いを定めるのも当然だろう」
人間と『王魔』の確執などではなく、あの『石』こそが二十年前の大戦の元凶だったということでしょうか。
そこまで考えた、その時でした。
「く、くふふふ! あはははは! なるほどのう! 教皇がこの土地に執着するわけじゃ。まさかこんなところに『完全物質』が転がっていようとはな!」
身体を大きく震わせて笑うベアトリーチェ。
「ククク! よくぞわらわをこの場所に連れてきてくれたものじゃ。素晴らしい。これでわらわは、またひとつ、世界の真実に近づける!」
わたしたちが気付いたときには、もう間に合いませんでした。ベアトリーチェの背中に真っ白な翼が出現したかと思うと、そのまま彼女の身体が宙に浮かび、あっという間に水晶柱のもとに飛翔していったのです。
「待て! 行かせるか! 《ライトニング・アロー》!」
雷撃の力を使用する彼の特性ゆえなのか、聖女の突然の動きに反射的な攻撃に移れたのは、ジークフリード王だけでした。彼がかざした手の中からは、無数の雷撃の矢が出現し、今にも水晶柱に接触しようとするベアトリーチェの背中へと迫ります。
「馬鹿め。『ヒヒイロカネ』を着けた今のわらわに、その程度の魔法が効くものか」
スキルによって雷撃の矢を感知したのか、ベアトリーチェは振り向きざまに左手を軽くかざし、それらを残らずかき消してしまいました。
「くふふふ! 貴様らの甘さが、どこまでも裏目に出たようじゃなあ?」
彼女は空中でこちら振り向いたまま、水晶柱に寄り掛かって笑います。
「キョウヤ! やっぱり、あいつ、『いい人』なんかじゃないわ!」
悔しげに叫びながら、『魔剣イグニスブレード』を抜き放つアンジェリカ。
「く……! キョウヤ様の好意に付け込むなんて……許せませんわ!」
一方のエレンシア嬢は、髪から伸びる茨を激しく波打たせ、自分の周囲に植物の蔦を張り巡らせていきます。
さらに周囲を見渡せば、全身に雷撃を帯電させるジークフリード王や風を操って宙を舞うシルメリア王妃の姿もあり、全員が一瞬で臨戦態勢をとっていたことがわかりました。
「……どうしますか?」
わたしそう問いかけた相手は、ただ一人、何の構えもとらず、悠然と立っているマスターです。彼は顔に薄い笑みを張りつけたまま、青い光を放つ水晶柱に寄り掛かるベアトリーチェを見つめていました。
「……ねえ、ヒイロ。あの白い翼って、彼女のスキルか何か?」
「え? あ、は、はい。先ほどは逆手に使われていましたが、『ヒヒイロカネ』を身に着けたまま魔法が使えるのは、メルティだけでしょう。そう考えれば彼女のあの翼は、現在発動中のスキル『真実を告げる御使い』によるものに違いありません」
○ベアトリーチェの特殊スキル(個人の性質に依存)
『真実を告げる御使い』
任意に発動可。最高位の『アカシャの使徒』にのみ発現する、七種の特殊スキルの『八番目』。天使の力を得る。──八番目の御使いは、残酷な真実のみを突きつける。
わたしの【因子観測装置】による観測結果がここまで意味不明なものになるのも珍しいことです。恐らくはこのスキルがそれだけ『この世界』特有のものだということなのでしょう。
何はともあれ、あの翼はこのスキルでいうところの『天使の力』には違いないでしょう。
「へえ、天使の力か。面白いね」
「おい、何を呑気なこと言っている。お前が連れてきた人間が問題を起こしているのだぞ! 言っておくが、国宝たる『賢者の石』に直に手を触れるなど、それだけで死罪は免れん! お前がやらぬなら、ここは俺が、王として裁きを下してやる!」
マスターに向かって声を荒げながらも、ジークフリード王は何故かベアトリーチェへの攻撃をためらっているようです。そしてその理由は、シルメリア王妃の次の言葉で明らかになりました。
「……まずいわね。あの場所にいられたら、どう攻撃しても『賢者の石』を巻き込まずには済まないはずよ。それで壊れるような石ではないでしょうけど、強すぎる魔力がぶつかれば、かえって暴走させてしまうかも……」
「くふふふ!『ヒヒイロカネ』か。これだけの強力な魔法耐性ともなれば、まさに『女神の愚盲』に対する『愚者の隻眼』の最たるものと言えよう。……とはいえ、この程度の首輪や腕輪では、これが限界のようじゃわい」
蒼い光を宿す水晶柱に寄り掛かっていたベアトリーチェがそうつぶやいた、次の瞬間でした。彼女の首や腕に着けられた真紅の輪が、甲高い音と共に粉々に砕け散ったのです。
「く! これであいつ、魔法まで使えるようになってしまったぞ! こうなったら、『賢者の石』なんて関係ない! 最大火力の攻撃をぶつけてやる!」
それを見たアンジェリカは、『魔剣イグニスブレード』に極熱の炎を宿らせ、一気に進み出ようとしました。
「待ちなさい、アンジェリカ!」
慌ててシルメリア王妃が制止の声を掛けますが、それで止まるアンジェリカではありません。以前も言っていましたが、彼女にとって『信頼』を裏切られることは特に許しがたいことなのでしょう。まだ夕方であるにもかかわらず、彼女の手にした魔剣には、《クイーン・インフェルノ》並みの熱が宿っているように見えました。
しかし、アンジェリカが手にした剣を振りかぶり、ベアトリーチェに斬りかかろうとした、その時でした。わたしたちの脇を恐ろしい速度で駆け抜け、たちまち彼女に追いすがってしまった影がありました。
「捕まえた!」
「きゃあ! ちょ、ちょっと、何をするのよ、メルティ!」
身体能力の差もさることながら、怒っているとはいえさすがにアンジェリカも、無邪気に背中から抱きついてくるメルティを攻撃するわけにもいかないのでしょう。ジタバタともがきながらも、そこで動きを止めざるを得ませんでした。
「ありがとう。メルティ」
マスターはそう言いながら、彼女たちにゆっくりと歩みよります。
「うん! これで追いかけっこは、メルティの勝ちだよね?」
「追いかけっこ? まさか……キョウヤ、あなたがやらせたの? どういうつもりよ!」
近づいてくるマスターに抗議の声を上げるアンジェリカですが、マスターは笑って手を振りました。
「ほらほら、落ち着いて。まだ彼女が敵対すると決まったわけじゃないだろう? たかだか『石ころ』に彼女が触ったくらいで、何をみんなして大騒ぎしているんだい?」
「こ、国宝をたかが石ころだと?」
事もなげに言うマスターに、ジークフリード王が目を剥いて呻いています。しかし、マスターは気にした様子もなく、ベアトリーチェを見上げました。対するベアトリーチェは、水晶柱に寄り掛かったまま、青ざめた顔をしています。
「これが『賢者の石』の力……。なんという強い想念じゃ……」
「どうしたの? なんだか、顔色が悪いみたいだけど……」
マスターは、そんな彼女に心配そうな声を掛けました。
「このお人好しめが……貴様はどこまで愚かなのじゃ? 根拠もなく、人を信じるなと教わらなかったか?」
「……ううん。僕はずっと『両親』から、人を疑うことは『悪いこと』だって、言い聞かされ続けてきたよ」
皮肉のこもった声で言うマスター。その台詞を『人形の両親』を通じて彼に言い聞かせてきた人物は、十年間にわたり、彼に嘘偽りを与え、嘘偽りを強制し続けてきたのです。
「そうか。ならば、貴様は……」
「え?」
ベアトリーチェが緑の水晶柱に手を触れると、彼女の腕はその中にズブズブと沈み込んでいきます。やがて、再び引っ張り出されたその手には、緑に輝く光の玉のようなものが掴まれていました。
彼女は手にした光の玉を頭上に掲げ、言葉を続けます。
「そんな両親に育てられたことを、せいぜい感謝するのだな!」
彼女の手から投げられたその光は、綺麗な放物線を描いてメルティの手元へと飛んでいきました。
「ほえ? ボール?」
「あ! メルティ、よせ!」
彼女ともみ合っていたアンジェリカが止める暇もなく、メルティは自分めがけて飛んでくるその球をしっかりと受け止めてしまいました。
「あれ? 今、ちゃんと捕ったはずなのに……」
しかし、彼女が掴んだはずの『それ』は、そのまま彼女の身体に融け込むように消えていきます。
「ん? ふわぁ? ねむい……」
さらにその直後、メルティは急に欠伸をしたかと思うと、ふらふらと身体を揺らし始めました。
「あ! メルティ!」
傍にいたアンジェリカが、その場で膝から崩れ落ちそうになるメルティの身体を抱きとめます。
「な、なんだ? 貴様、今、メルティに何をした!」
親友の娘の身に起きたことが理解できず、声を荒げるジークフリード王。しかし、対する聖女の反応は冷淡なものでした。
「……咆えるな、男。超低級下等生物たる男ごときが、わらわに質問するなぞ、おこがましいわ」
ベアトリーチェはふわりと床に舞い降りると、王が座るはずの玉座に腰をかけます。
純白の翼を背もたれの両脇にまで広げ、足を組んで嫣然と微笑む銀髪の聖女。その姿は誰が見ても神々しく、あたかも最初からその玉座の主であったかのような高貴ささえ漂わせているようでした。しかし、そうであるがゆえに、その姿は国王に対する痛烈な侮辱に他なりません。
「き、貴様! 言わせておけば! 許さぬ!」
腰に着けた紫色の宝石を『魔槍ライトニングジャベリン』に変化させたジークフリード王は、全身を激しく帯電させながら投擲体勢をとりました。
しかし、口汚く侮辱され、これ見よがしに玉座の占有までされて、プライドの高いジークフリード王が怒らないはずがないことくらい、ベアトリーチェにもわかるはずです。そう考えれば、これは明らかに挑発でしょう。
問題なのは、『どうしてそんな挑発をしたのか』です。
ジークフリード王は周囲が止める暇もなく、『魔槍ライトニングジャベリン』の切っ先に魔力を集中し、大きく振りかぶりました。
「その玉座は貴様のものではない! その罪、死をもって償え! 《ライトニング・ブラスト》!」
雷撃の速度で放たれた投げ槍は、悠然と玉座で足を組んだままの聖女の元に一瞬で到達しました。爆発音と共に激しくまき散らされる閃光が視界を遮り、玉座の周辺にはもうもうとした煙が立ち込めていきます。
さすがの聖女もあの一撃を受けてしまえば、生きてはいられないでしょう。
しかし──
「まったく……血の気の多い王様だね。大丈夫かい? ベアトリーチェさん」
晴れていく煙の合間から姿を現したのは、ベアトリーチェの前で『オリハルコンの盾』を掲げ、《訪問の笛》を右手に持ったまま笑うマスターの姿があったのでした。
次回、「第107話 二対一の戦い」




