第105話 自由奔放な彼
「……あなたがメルティ?」
シルメリア王妃は、謁見の間に入ってきたメルティを見るなり、勢いよく走り寄ってきました。そして、戸惑う彼女の手を取り、まじまじとその顔を見つめます。
「見れば見るほどアリアンヌにそっくりね……」
「う、うん。えっと、だれ?」
「え? ああ、ごめんなさい。覚えていないかもしれないけれど……わたしはシルメリア・ウィン・ドラグニール。あなたのお母さんのお友達よ」
「ママのともだち?」
「ええ。やっぱり、そうなのね? 大きく……なったわね。生きててくれて……本当に良かったわ」
シルメリア王妃は目に涙を浮かべ、そのまま勢いよく彼女を抱きしめました。
「シルメリアさんも……寂しいの?」
「いいえ、嬉しいの! ……良かった。本当に良かったわ! あの日のことは、わたし……ずっとずっと後悔してた! 彼女は気にしなくてもいいと言ってくれたけど……あなたは……うちの娘を、アンジェリカが生まれることを、楽しみにしてくれて……だから、あの時、あそこに来てしまったんでしょう?」
「えっと……アンジェリカの、お母さん?」
自分に抱きついたまま嗚咽を漏らすシルメリア王妃の背中をさすってあげながら、メルティは驚いたように目を丸くしています。
「あのね? 遊んであげてねって、言ってくれたでしょう? ……だからメルティ、アンジェリカとたくさん遊んだの。アンジェリカは、メルティの『ともだち』なの。すごく、楽しいのよ」
「あ、ああ! ううう……メルティ! メルティ!ごめんね、本当にごめんね。今まで、辛かったでしょう? 大変だったわよね?」
無邪気に笑うメルティの言葉は、何よりも彼女の心に突き刺さってしまったようです。妖艶な大人の魅力を感じさせる彼女が、まるで子供のように泣きじゃくっていました。
「お母様……!」
アンジェリカは抱き合ったままの二人に歩み寄ると、そのまま両手を広げ、彼女たちに抱きつきました。
「ああ、アンジェリカ。あなたにも……本当にごめんなさい! メルティとアリアンヌのことで……あなたには何の関係もない罪悪感で……あなたにはろくに母親らしいこともしてあげてこなかったわ」
「ううん! そんなことない! いつも楽しい土産話を聞かせてくれたり、お人形やぬいぐるみをプレゼントしてくれたり……誰よりもわたしのことを気遣ってくれたもの。だから、そんなこと言わないで」
母とのやり取りに感極まったのか、とうとうアンジェリカまでもが泣き出してしまったようです。感動のシーンではありますが、それでも現在のこの場には、事情を知らない人物が一人だけいました。しかし、いきなりの展開にさぞかし戸惑っていることだろうと思い、その様子を確認してみれば……
「うんうん。よい話じゃ。素晴らしきかな、母と娘の愛。姉妹愛の次に、わらわの好きなものじゃな」
などと訳知り顔で頷いていました。さすがは大物の聖女様といったところでしょうか。
とはいえ、ジークフリード王の方はさすがに、この場に紛れ込んだ部外者のこと気にせずにはいられないようでした。
「む? 彼女はいったい、何者なのだ?」
険しい顔で尋ねてくるジークフリード王が目を向ける先には、聖女の鮮やかに輝く銀髪があります。それもそのはず、白髪よりは珍しいとはいえ、銀の髪もまた、『アカシャの使徒』の特徴的な髪の色として知られているのです。
「ああ、うん。紹介するよ。彼女はベアトリーチェさん。『女神の教会』の七大司教の一人にして、神聖国家アカシャでも名の知られた聖女様だよ」
「な、なんだと?」
さらりと友人でも紹介するような言葉で語るマスターに、あんぐりと口を開けて固まるジークフリード王。一方のベアトリーチェも呆れたように首を振っています。
「まさか『教会』の怨敵たるドラグーン王国の王に、そんな気軽さで紹介される日が来ようとは、わらわとて思いもしなかったな……」
「あはは。深刻ぶるのって僕、苦手なんだよね」
あっけらかんと笑うマスターですが、ここでジークフリード王が獣のような唸り声を上げました。
「どういうことだ。よりにもよって『教会』の上級幹部を我が城に招き入れるとは……事と次第によっては、貴様とてただでは置かんぞ」
低い声でドスを利かせる雷帝の身体からは、怒気と共に小さな電撃がほとばしっているようです。
「招き入れたわけじゃないよ。今の彼女はほら、メルティの『ヒヒイロカネ』で魔法を封じているし、暴れたりしないよう、一応の監視もしているしね」
マスターがそう言って指さしたのは、彼女の首と両手首に着けられた真紅の首輪と腕輪です。するとここで、ようやく事情を呑み込んだのか、ジークフリード王が安堵の息を吐く気配がありました。
「ふむ。つまり、捕虜にしたというわけか。……まったく、相変わらず非常識な真似をしてくれる。だが、そんなことが神聖国家に知られれば、奴らが攻撃を仕掛けてくる口実になりかねんぞ」
「うん。だから今まで存在を隠してたんだよ。ちょうど今の『謁見の間』なら人払いもできてるし、いいタイミングだと思ってね」
「……そうか。だが、解せないな。どうやって捕虜にしたのかも気にはなるが、何より、我が国の仇敵たる『アカシャの使徒』など、生かしておいてやる意味などあるまい。それとも、尋問の必要でもあるのか?」
「……尋問の用がないなら、殺してしまえばいいって?」
マスターのそんな物騒な言葉に、ベアトリーチェはわずかに身じろぎしました。しかし、どちらかと言えばそれは、彼の言葉の内容に恐れを抱いたというより、彼の声音の冷たさを感じ取った結果のようでした。
「……王様。言っておくけれど、僕はこの国の人間じゃない。対価を払ってここにいさせてもらっているだけの、ただの居候だよ」
「なんだと? 貴様、アンジェリカのことを……」
「それとこれとは話が別だ。人の言うことは最後まで聞いてくれるかな? 僕はね、唯々諾々と誰かの命令に従うのが……どうしようもなく嫌いなんだ。君が王様だろうと何だろうと、そんなものはクソくらえだ。こうして君に、最低限の義理立てをしているのはアンジェリカちゃんのためでしかない。そこのところ、勘違いしないでもらいたいね」
「な……」
ジークフリード王は、穏やかな表情はそのままに辛辣な言葉を吐くマスターに対し、絶句してしまったようです。生まれながらの支配者とも言うべき彼にとって、今の言葉はかなりの屈辱だったに違いありません。
しかし、一気に緊張感が漂う中、それを一瞬で打ち破る行動に出た人物がいました。
「ふふふ! あははは! あーおっかしい! ジーク、あなたってば、陸に揚げられた魚みたいな顔してるわよ?」
メルティとアンジェリカから離れ、自分の夫に歩み寄る彼女は、目じりの涙をぬぐいながら大声を上げて笑っています。
「シ、シルメリア! お前……!」
「この国を護りたい気持ちはわかるけど、もう少し人を信用しなさい。メンフィスとアリアンヌに会った時にも、話は聞いたわ。あなたが彼に、どんな風に諭されて娘と仲直りしたのかをね。それを思えば、彼はきっと、すごく誠実な人間よ。でなければ、アンジェリカが惚れるはずがない。そうでしょう?」
意味の分かるような、分からないようなことを言うシルメリア王妃。話のつながりが見えてきません。
「ジーク。あなたの悪い癖だわ。すべてを自分で掌握すれば、支配できれば……すべてを自分の手で護れると思っている。でも、あなたが支配できない『わたし』という存在は、あなたに護ってもらわなくても、きちんとこうして生きているでしょう?」
「…………」
「不安があるなら頭ごなしに言わないで、ちゃんと礼を尽くして理由を聞きなさい。どこまで相手に下手に出るのが苦手なのよ、あなたは。本当にお子様なんだから」
「お、おい! 仮にも夫に向かってお子様とか……」
「もう! いいから黙ってて」
「ぐ……」
呆れたようにやれやれと息を吐くシルメリア王妃は、そのままマスターに顔を向けて笑いかけました。
「ごめんなさいね。今回はわたしが代わりに聞かせてもらうけど……、こうして彼女をこの城に拘束しているのには、どんな理由があるのかしら?」
「えっと、あはは。さすがはアンジェリカちゃんのお母さんだ。……と、まあ、それはさておき、理由なら、ただ一つだよ」
マスターは顔の前に指を一本立ててみせます。
この時のわたしは、てっきりマスターが『世界のことやメルティのこと、その他もろもろの情報を知る彼女の存在は貴重だからだ』と答えるものと思っていました。
しかし──
「彼女がいい人だからさ」
「え?」
「へ?」
「なんじゃと?」
彼の思いがけない返答に、シルメリア王妃をはじめ、この場にいるほぼ全員から間の抜けた声が出ました。例外なのは状況を理解していないメルティくらいのものでしょう。
「ただ、強情なところもあるし、分かり合うには時間がかかりそうだけどね。今はこうして拘束しているけど、仮にこれが外れたとしても……『君たちが心配する』ような話じゃない」
さりげなくベアトリーチェの傍に近寄っていたマスターは、言いながら彼女の手首にある真紅の腕輪を軽く叩いてみせました。
「何をするか! 貴様という男は……」
ベアトリーチェは大げさに彼から飛び離れると、不信感満載の目でマスター睨みつけました。とはいえ、それはおそらく、マスターの言葉が信じられないというより、彼の思考回路が理解できないといったところかもしれません。
「馬鹿か貴様は? 何がいい人じゃ! わかっておるのか? わらわと貴様は殺し合いをした間柄なのじゃぞ? 今でも、どうやってこの場を脱出するかを考えておると言うのに……」
「え? 『悪い人だ』と言われたならともかく、『いい人』だと言われて怒るとか……君も不思議な人だね。そもそも、メルティに歌を教えてくれた時の君の素直さは、こういう場面でこそ発揮するべきだと思うけどなあ」
マスターがそう言ってメルティを見れば、彼女は満面の笑みで頷きを返しました。
「うん! ベアトリーチェお姉ちゃんって、すごく物知りで、すごく優しいんだよ? メルティ、お歌もたくさん教えてもらっちゃった!」
「ほらね?」
「ぬぐ……。ば、馬鹿馬鹿しい! その程度で無害認定とか……どこまでお人好しな奴なのじゃ!」
言いながらマスターの視線から逃れるように、そっぽを向くベアトリーチェでしたが、彼女はそこで、何かに気付いたように動きを止めました。
「な! まさかあれは……『賢者の石』?」
彼女が顔を向けた先──そこには王の玉座とその後ろに建ち並ぶ、巨大な四本の水晶柱があったのでした。
次回、「第106話 賢者の石」




