第103話 暴風妃の帰還
翌日以降、わたしたちはベアトリーチェに対する監視として、彼女を軟禁している一室に、何人かで交代しながら詰めておくことにしました。しかし、かといってマスターは、彼女を一室にひたすら閉じ込めておくことを良しとはしていません。
そのため、彼女の銀髪をわたしの【因子演算式】で誤魔化したうえで、非公式の客人であるという扱いを城内に周知しました。そうすることで、わたしたちが彼女に付き添う形での散歩も認めていたのです。
マスターがそんな提案を口にした時こそ不安もありましたが、意外にもベアトリーチェは大人しく城内散歩に応じてくれています。ただ気になったのは、その提案がマスターの考えであることを伝えた時のことです。
「……ふん。男などに情けをかけられてもな」
そんな憎まれ口こそいつものことですが、そうつぶやいた彼女の表情は、何故か今にも泣き出しそうでした。それも、ただの泣き顔ではありません。悲しさや悔しさによるものでもなく、もっと別の……一言では言い表せない複雑な想いがそこに隠れているかのようでした。
とはいえ、依然としてベアトリーチェは、マスターと同行しての散歩だけは激しく拒否しています。しかし、これもまた不思議なことに、彼が彼女に拒絶され、しょんぼりと部屋を出ていこうとするときに限って、彼女は何かを言いたげに口を開閉させているようなのです。
──それはさておき、さらに三日後のこと。
その日の夕方、わたしたちは何故かジークフリード王の呼び出しを受け、謁見の間に集まっていました。ちなみに、この日の留守番(マスターいわく『聖女様担当』)は、メルティとリズさんの二人です。
蒼く透き通るような石材で作られた謁見の間には、既に見慣れた景色が広がっていました。豪華な装飾が施された玉座の奥に、赤、青、緑、黄色の光を放つ四本の巨大な水晶柱が立っています。
しかし、ジークフリード王はと言えば、玉座には腰を下ろしておらず、謁見の間の中央でわたしたちを出迎えてくれたのでした。
「えっと……これはいったい何があったのかな?」
マスターは驚きとともに周囲を見渡しながら言いました。
しかし、それも当然のことでしょう。よく見れば……いえ、よく見なくても明らかですが、周囲には衛兵たちが目を回してひっくり返っており、国王自身も着ている衣装がボロボロなのです。
燭台や調度品の類も散乱しており、足元に敷かれた赤絨毯までもがめくれ上がった酷い有様でした。あり得ないことですが、まるでこの部屋の中で、激しい嵐が起きたかのような光景です。
「……アンジェリカに婿となる男ができた時点で、あいつに連絡をしなかったのがそもそもの失敗だったのだろうな」
乱れた衣服を整えつつ、遠い目をして呟く国王。
あまりに酷い惨状にそぐわぬ気の抜けた言葉に、わたしたちはあっけにとられるばかりです。
「うわ……やっぱり?」
しかし、アンジェリカに限って言えば、この部屋に入った直後から、どこか気まずそうな顔をしていました。
「どういうことだい? アンジェリカちゃん」
「……ああ。お母様が帰ってきたんだ」
「え? でも、この部屋の惨状とそのことに、一体何の関係が……って、まさか?」
「今、お父様が言ったとおり、自分がいない間にいろいろな話が進んじゃったことが面白くないんだろう。せめて、すぐに連絡をつければ違ったのかもしれないが……」
「無茶を言うなと言いたいがな。あいつは所在を知らせる魔法具こそ持ち歩いてはくれているが、片時も同じ場所に留まっていない。そうそう連絡などつけられるものか」
憮然とした顔でジークフリード王が言うと、とたんにアンジェリカが呆れたような顔になりました。そして彼女は、やれやれと首を振りつつ、それまでとは口調を変えて、言い諭すように父親に語り掛けます。
「でも、お父様。メルティの件が片付くまで、連絡をしようともしなかったんでしょ?」
「うむ。今の言い訳をしたら、そう言って殴られたぞ」
「……はあ。ただでさえ怒っているところに、どうしていつもそうやって、火に油を注ぐかなあ」
「何を言うか。俺はあいつの夫なのだ。言うべきことは言うぞ」
「ただの言い訳でしょ。それでボコボコにされてたら世話はないわよ」
「ボコボコになどされていない!」
「背中に踏まれた跡があるわよ?」
「なにい!」
慌てて自分の背中に目を向ける国王陛下ですが、途中ではたと気づいたように動きを止めました。再び視線を戻した先には、当然ながら白い目をした自分の娘の姿があります。
「やっぱり……」
「ぬお! アンジェリカ。貴様、父をたばかったな!」
「はいはい。で? お母様はどこに行ったの?」
息の合った様子で言葉を交わしあう親子の姿に、わたしの隣でエレンシア嬢がクスリと笑いをこぼしています。
「ふふふ。お二人とも、随分と仲良くなったみたいですわ」
「そうですね。何というか王様に至っては……最初に会った時の威厳が見る影も感じられないのですが……」
「ええ、娘想いのお父様といった感じですわね」
わたしがエレンシア嬢とそんな会話を交わしていると、突然、アンジェリカが大きな声を出しました。
「メルティのところって、まさかメンフィスの屋敷!? でも、彼女は今、リズと一緒にベアト……じゃなかった城の客室にいるのよ? なんで居場所を確認してから送り出さなかったわけ?」
「い、いや、その……話の途中で一刻も早く会いたいと言い出して、勝手に飛び出して行ってしまったのだ」
「止めればよかったでしょう!?」
「俺にあいつを止められるわけがないだろうが!」
「威張って言わないでよね……もう」
やれやれと首を振るアンジェリカ。するとここで、これまで彼女の様子を微笑ましげに見守っていたマスターが、不思議そうに問いかけました。
「何をそんなに焦っているんだい? 少しくらい行き違いになったところで、すぐに戻ってくるだけだろう?」
「え? ああ、まあ、そうなんだけど……ね。でも、一刻も早く会いたいって言ってたみたいだし、きっとものすごく急いで戻ってくるわ」
「それがまずいのかい?」
「うん。……その、お母様ってある意味、すごく傍迷惑な能力を持ってて……この謁見の間の惨状も多分そのせいなのよ。急いで……となれば間違いなく、その能力を使っているはずよ。下手をすれば、城内が大荒れになるかも」
聞けば聞くほど、危険人物に思えてきました。そもそもあのジークフリード王をこてんぱんにしてのける実力があるという時点で、ただものではありません。
「……うーん。なんだか怖そうな人だね」
マスターも同じことを感じたのか、身震いするように言いました。
「ううん。全然、そんなことないよ。お母様はすごく優しい人だから、きっとキョウヤも仲良くなれると思うわ」
そんなマスターに満面の笑みを向けてくるアンジェリカですが、この状況でそれを信じろと言う方が無理があるのではないでしょうか。
などと考えていたところで、遠くから何やら轟音が響き渡ってきました。すると即座に、それを聞いたジークフリード王が鋭い警告の声を発しました。
「来たぞ! 総員、暴風に備えろ! 何かに掴まるのだ!」
しかし、掴まれと言われても、わたしたちは広大な謁見の間の中央にいるのです。掴まれるものなどあろうはずはありません。しかし、ジークフリード王はと言えば、信じられないことに石床に足と拳をめり込ませて耐える気のようです。この場にリズさんがいないことが幸いでしたが、それでも、わたしやエレンシア嬢にはそんな真似などできるはずもありません。
わたしはやむなく防風フィールドの【式】を展開しようとしましたが、それより早く、マスターが動きました。
「……『台本にない登場人物』。『物理法則』のうち、僕の存在を『空気抵抗』の例外とする。……ほら、皆、早く僕に掴まって」
「は、はい!」
「ああ、わかった!」
その声を受け、エレンシア嬢とアンジェリカがとっさにマスターの左右へとしがみつきます。
「ほら、ヒイロも」
「……は、はい」
マスターがひどく嬉しそうな顔をしているのは、たぶん気のせいではないでしょう。マスターのとっさの『状況判断能力』には驚かされるばかりです。とはいえわたしも、マスターの正面から彼にしがみつかざるを得ませんでした。
【式】の展開もできなくはありませんでしたが、マスターの『御命令』なのです。当然、そちらを優先するべきでしょう。……断じて、自分だけがマスターに抱きつけないことを気にしていたわけではないのです。
「し、失礼します!」
そう言ってわたしが彼の胸に飛び込んだその直後、謁見の間の扉が吹き飛ぶ勢いで開かれ、こちらに向かって凄まじい勢いで何かが飛来してくるのが分かりました。ですが、それは肉眼で視認できるものではありません。
言うならば、『風の塊』といったところでしょうか。巨大な圧縮空気の塊は、周囲に暴風をまき散らしながら謁見の間の室内で猛威を振るい、わたしたちは必死にマスターの身体に抱きつき続けました。
マスターはスキルの効果によるものか、そんな暴風の中でも涼しい顔で立ち尽くしています。この世界の物理法則における『空気抵抗』の存在。それから自身を例外扱いにしてしまっているのです。
「く、ううう!」
「きゃあああ!」
なおも吹き荒れていた暴風は、やがてその勢いを弱めていき、部屋の中央に浮かぶ風の塊は、徐々に人の形となって収束していきました。いえ……正確には、圧縮空気によって歪んでいた視界が晴れ、その姿が見えるようになったと言うべきでしょうか。
そして頭上から聞こえてくる、甲高い女性の声。
「もう! お城にいるならいるって、言ってくれなきゃ駄目じゃない!」
その声に恐る恐る頭上を見上げれば、そこには緩やかに波打つ金の髪を肩のあたりまで伸ばした美しい女性の姿がありました。背は高く、胸は大きく、マスターの世界の一流モデルもかくやという、抜群のプロポーションの持ち主です。
「シ、シルメリア! お前なあ! 何度言ったらわかるんだ! 城内で『吹き荒ぶ神風の化身』を使うのはよせ!」
石床にめり込ませた腕や足を引き抜きながら、頭上の女性に向かって叫び返すジークフリード王。
彼が言うとおり、たった今、彼女が巻き起こした暴風は彼女のスキルによるものでした。
○シルメリアの特殊スキル
『吹き荒ぶ神風の化身』
自分の周囲に超高密度の圧縮空気を生み出し、その圧力分布を調整することで、暴風をまき散らしながらの高速移動を実現する。
アンジェリカの言うとおり、なんとも傍迷惑なスキルでした。
と、それはさておき……
「だって、あの子が……メルティが生きてたのよ? わたし……その話を聞いてどれだけびっくりしたことか! なのに貴方ってば呑気なことばっかり言うんだもの。急ぎたくなる気持ちもわかるでしょう?」
言いながら、彼女はゆっくりと高度を下げてきました。緑を基調とした裾の長い上着が
フワフワと風にはためいていますが、下半身にはぴったりと腰元を覆うスパッツのようなものを履いており、王妃様と呼ぶには随分と活動的な衣装です
「あら? もしかして……」
彼女はゆっくりと石床に降り立つと、ここでようやくわたしたちの姿に気付いたようです。……具体的には、わたしとアンジェリカとエレンシア嬢の三人が、揃ってマスターに抱きついている……そんな姿に。
次回、「第104話 天真爛漫な彼女」




