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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第6章 完全物質と暗黒物質
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第102話 王女の資質

 マスターが部屋を出て行った後、リズさんが用意してくれた食事を前にして、ベアトリーチェはなおも意気消沈したようにうつむき続けています。


「……お食事が冷めてしまいますよ」


 同じテーブルにわたしとアンジェリカ、そして自分の分の食事を並べ終えたリズさんは、気遣わしげに彼女を見つめてそう言いました。


「……わらわには、あの男が理解できぬ」


 ぼそりと、そんな言葉をつぶやくベアトリーチェ。


「お気持ちはわかりますが、マスターが非常識なのはいつものことです。あなたのスキルが効かなかったことは、わたしにも理由が説明できかねますが……だからこそ、ここで考えていても仕方がないことではないでしょうか?」


 わたしは慰めるつもりで声をかけたのですが、彼女は力無く首を振るばかりです。


「……そういう意味ではない。お前たちは経験していないからわかるまいが……あの時の苦痛、あれは常人に耐えうるものではない。わらわは常日頃、男どもに効果的な拷問をすることを考え、自らの身体で苦痛の程度を確かめる実験もするのじゃが……それから考えてもあり得ないレベルのものじゃった」


「……いやいや、ちょっと待て! お前は何を言っている? 拷問の苦痛を自分の身体で実験するだと? 気は確かか?」


 あまりにも理解不能なベアトリーチェの発言に、アンジェリカが目を丸くして食い下がりました。


「心配するな。身体の傷を治す手段を確保してから、ほどほどにやっておる。『女神の奇跡』には、そうした魔法もあるからの」


「そういう問題か!」


「むう、アンジェリカは落ち着きのない女の子じゃのう……。まあ、そんなところも可愛らしくて良いのじゃが」


「うう、駄目だ、こいつ……」


 がっくりと肩を落とすアンジェリカ。それはさておき、脱線してしまった話を元に戻すとしましょう。


「それで、あなたが『理解できないこと』というのは、あの時の『えっちな拷問』のことなのですね?」


 わたしがそう問いかけると、何やら横からリズさんのため息が聞こえてきました。


「……ヒイロさんも、随分とキョウヤさんに似てきてしまいましたね」


 失礼な。そんなことはありません。……などと考えてしまうこと自体が、マスターに対するかなりの失礼に当たることに、この時のわたしは気づいていません。


 と、まあ、それはさておき──


「あ、あれは、その……不覚にも気持ちよくなってしまったが……って、そうではない! 何を言わすのじゃ、お前は!」


 わたしの問いに、ベアトリーチェは頬を赤らめて叫びました。

 気持ちよくなった? そんな返事が返ってくるとはびっくりです。しかし、彼女はすぐに自分の失言を言いつくろうように言葉を続けました。


「……そ、そうではなくてじゃな。あの苦痛が人から与えられたものなら、理解はできる。じゃが、あやつは、自分の痛覚を自分で操れる──そう言ったのじゃ。わらわでさえ、実験の折には手加減は避けられぬ。そうやって痛みの程度を調整しながらであれば可能でも、耐えられない苦痛を自らに与えることなどできはしない。なのにあの男は……」


「なるほど。しかし、その答えならマスター自身がおっしゃっていたではないですか。彼は、貴女を感じようとしたのです」


「わらわを感じる? あんな……痛いだけの方法でか?」


「はい。よく人間は精神と肉体を切り離して考えがちですが、それは誤りです。器に入った水は、器によってその形を規定されます。そこまでいかずとも、精神とは肉体という器によって大きな影響を受けるものなのです。互いの肉体を共有する行為は、すなわち、互いの心を感じる行為でもある。マスターがそこまで考えていたかはわかりませんが、わたしはそう思います」


「……気持ち悪い」


 彼女は渋い顔のままそう吐き捨てると、目の前に置かれた料理に手を付けはじめました。先ほどまでの意気消沈ぶりが嘘のような、勢いのある食べっぷりです。

 彼女の心の氷を解かすには、まだしばらく時間がかかるかもしれません。けれど、今の彼女の様子を見ていると、そんな日もそう遠くはないのかもしれないと思えてきます。


「どうでしょうか? 神聖王国の料理とは味も違うでしょうし、お口に合うかどうか……」


 少し心配そうな顔でリズさんがそう尋ねると、それまで一心不乱に食事を口に運んでいた彼女は、少し驚いた顔になりました。


「なに? まさかこの料理、リズが作ったのか?」


「は、はい。台所と材料をお借りしまして……そ、その、やっぱりまずかったですか?」


 不安げに同じ問いを繰り返すリズさん。するとベアトリーチェは、丸くしていた目をにんまりと笑みの形に変えました。


「いや、見事な腕前じゃよ。てっきり専門のコックが作ったものと思っておったが……くふふふ。わらわは料理は得意な女の子も大好きじゃ。なにせ、味覚は触覚と並んで、わらわが世界を『生』で感じる大切な感覚のひとつじゃからな」


「良かったです。気に入っていただけて」


 声を弾ませて笑うベアトリーチェを見て、リズさんは安堵の息を吐いていました。


「そうじゃ、そういえば、メルティちゃんはどこに言ったのじゃ? エレンの姿も見えぬようじゃし……」


 早くも彼女は、メルティとエレンシア嬢を『ちゃん付け』や愛称で呼ぶことにしたようです。


「メルティは両親のもとにいると思います。エレンはたぶん、貴女に追い出されて傷心気味のマスターを慰めているのではないでしょうか」


「……そうか。まあよい。そのうち、こちらにも顔を出すであろう?」


「そうですね。そんなに会いたいのですか?」


「決まっておろう。わらわの妹候補じゃぞ?」


 当然のように胸を張って答える聖女様ですが、言葉の意味が全く分かりません。するとアンジェリカも同じことを思ったのか、呆れたような顔つきのまま、彼女に問いかけました。ちなみにアンジェリカの目の前の皿は、食事開始数分で空になっています。


「昨日の夜も言っていたが……その、『妹』というのはなんなんだ?」


「なんだも何も、そのままじゃ。わらわはこれまで何人も、身寄りのない少女たちを集めてきたのじゃが……彼女たちは皆、可愛いわらわの妹も同然の存在じゃぞ」


「毒牙にかけてきた……の間違いじゃないか?」


「失礼なことを言うな。確かにわらわの造った孤児院にいるのは少女ばかりじゃが、そこに嫌らしい気持ちなど微塵もないのじゃ。それに『孤児院』ではないが、身寄りのない少年たちの養育ができる仕組みも構築しておるしの」


 言われてみれば確かに、エレンシア嬢が仕入れた情報の中には、彼女が孤児院を作って身寄りのない子供たちを養育しているという話もありました。数ある『聖女様の美談』の中でも、とりわけ有名な部類に入るものです。


「少年もか? 意外だな。男どもは一人残らず苦しみ悶えて死ねばよい……とか言ってなかったか?」


「心情的にはな。じゃが、あの男に言われんでも、わらわとて理解しておる。男女の営みがなくば、この世に『女の子』も生まれてはこないのじゃ。それに……幼き子供に罪はないからの」


 ようやく食事を終え、優雅な手つきでティーカップのお茶を飲み干したベアトリーチェは、少しだけ悲しげな顔でそう言いました。グラキエルやウルバヌスに嬉々として拷問を行っていた『聖女』が、今の彼女と同一人物であるとは到底思えません。


「今、お話を聞いていて思ったのですが……ベアトリーチェ様っておいくつなのでしょう? 随分とお若くも見えますけれど、皆さんのことを妹と呼ばれていますし……」


 そんな疑問を口にしたのはリズさんです。考えてみれば確かに、ベアトリーチェの外見はアンジェリカより少し年上に見えるかどうかといったところです。しかし、一方では、彼女が孤児院を作り、それを運営し始めた時からすでに五年が経っているとの話もあります。


 まさか十歳で孤児院を開設するのは無理がありますし、そうなるとますます、彼女の年齢が分からなくなってしまいます。


「まったく、女の子に歳を聞くとはデリカシーにかけるのではないかのう?」


「あ、そ、そうでしたね。すみません」


「ふふ、冗談じゃ。まあ、隠すものでもないしの、教えてやるが……今年でわらわは二十二になる」


「ええ!?」


 わたしたちは、揃って目を丸くしてしまいました。それが本当なら、彼女はわたしたちの誰よりも年上だということになってしまいます。


「……心外じゃな。わらわはそんなに幼く見えるか?」


「いえ、幼く……というほどのことはありませんが、少なくともリズさんより年上には見えませんでした」


 不機嫌そうな顔をする彼女をなだめるように言ってから、わたしはそろそろ本題に入ることにしました。


「メルティの話題も出たところで、あらためてお聞きしたいのですが……『完全体』とはどのようなものなのですか?」


 さりげない問いかけ。しかし、わたしが投げかけた言葉に対し、彼女は敏感に反応しました。鋭い視線をこちらに向けながら、皮肉げに笑います。


「くくく。知りたければ、この首輪と腕輪を外してもらおうか。こんな囚人のような扱いを受けていては、口が軽くなるはずもなかろう」


「残念ながら、それはできません。何の前触れもなく、無造作にあれだけの魔法を行使してのける貴女を相手に、その枷を解くことは自殺行為ですからね」


「ならば交渉決裂じゃな……といいたいところじゃが、こうは思わんか? わらわは何も魔法しか使えぬわけではない。例えばたった今、この場で化け物を召喚してお前たちを襲わせることとて可能なのじゃ。それをしないのは、既にわらわが抵抗の意志をなくしているからだと」


「いいえ。それは違います。仮にあなたがその方法でここを逃げ出しても、魔法の効かないその枷を外す方法は、貴女にはないからです。それではさすがに、『王魔』が集うこの城から逃げ出すには無理があるでしょう」


 わたしがそう言うと、ベアトリーチェは楽しそうに口の端を歪めて頷きました。


「なかなか冷静じゃの、ヒイロは。まあ、概ねその通りじゃ。……しかし、お前たちが情報を聞き出し、用済みとなったわらわを殺さぬという保証はあるまい」


 そう、問題はそこなのです。互いが互いを疑い続ける限り、どちらにとっても益のある結果は生まれない。けれど、信じて裏切られれば、それによって受ける損害は取り返しのつかないものになるでしょう。


 行き詰ったわたしは、それ以上言葉を続けることができないでいました。しかし、そこでくだらないとばかりに鼻を鳴らしたのは、アンジェリカです。


「ふん。さっきから何を訳の分からないことをごちゃごちゃと……そんなの簡単ではないか」


「え?」


 にらみ合いを続けていたわたしとベアトリーチェは、揃って彼女の方に顔を向けました


「指切りをすればいい。わたしたちはベアトリーチェを殺したりしないし、ベアトリーチェはわたしたちを魔法で支配したりしない。そういう約束をすればいい。たったそれだけのことじゃないか」


「……ア、アンジェリカさん。それはあまりにも……」


 甘い。そう言わざるを得ません。一方、ベアトリーチェも同じことを感じたのか、幼い子供でも見るような目をアンジェリカに向けました。


「口約束など信用できまい。どのみち、破られたらそれまでじゃ。いいか、アンジェリカよ。馬鹿正直に人を信じるのも美点かもしれぬが……」


 しかし、説教を始めようとした聖女様は、途中で息を飲んで黙り込んでしまいました。驚きに見開かれた彼女の瞳には、燃え盛る炎の幻影を纏ったアンジェリカの姿が映っています。


「『約束』を破る? ……ククク。上等じゃないか。もし、わたしの前でそんなことをしてみろ。それが誰だろうと地の果てまでも追いつめて、地獄の業火で焼き尽くしてやる」


「……アンジェリカ?」


「わたしは……お母様の教育の賜物たまものか、『嘘つき』が大嫌いだ。少なくとも、『本気』で交わした約束事を反故にするような奴は万死に値すると思っている」


 壮絶な笑みを浮かべるアンジェリカには、かつてない迫力が感じられました。個体登録を済ませている以上、わたしには彼女のスキルや魔法の威力なら十分把握できているはずです。ですが、『彼女の中』には、そんなものでは測りきれない何かがあるのかもしれません。


「そしてそれ以上に、わたしは決して、本気で交わした約束は破らない。この身体に流れる『竜の血』と……わたし自身の魂にかけて」


 恐らく自覚はないのでしょうが、力強く語る彼女の全身から立ち昇る魔力の密度は、これまでに見たことがないほどのものでした。

 アンジェリカ・フレア・ドラグニール。未だ彼女は若干十五歳の少女であり、発展途上とも言うべき、未知数の力を秘めた『素材』なのかもしれません。


「……な、ならばなおのこと、そんな約束は軽々しくできるものではなかろう」


 気圧されながらもベアトリーチェがそう言ったところで、その場はお開きになったのでした。

次回、「第103話 暴風妃の帰還」

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