爺
結果として、男爵の離婚はどうにか回避出来たようだ。
奥方は男爵の家に住むことになり……男爵家としての仕事も、そのままそこで奥方が行うらしい。
……つまり今までも必要最低限の仕事をしていたのは奥方、ということらしかった。
男爵を見る度、よくこの様でやって来られたなと思っていたが、その答えがそれで……奥方は全てを実地で学びながらどうにかこうにか今までをしのいできたらしい。
奥方が受けたのはあくまで令嬢としての教育で、貴族家当主としてのそれではない。
だけども必死に、拙くてもなんとか男爵家を維持しようと頑張ってきていて……だというのに旦那と子供達は突然どこかへ出かけて帰ってこず、届いたのは離縁しろとの手紙。
まずは使者を送って事情を確認するべきと分かっていながらも我慢が出来ず、手紙を握りしめたまま我が家へと突撃してきた……とのことだった。
……いや、うん、仕方ないと思う、流石にこれを無礼どうこう言うことは出来ない。
話を聞いて俺の同情天秤は完全に奥方側に傾いて、男爵を一度ぶん殴ってやろうかと思ってしまう程だったが……今それをしても仕方ないとどうにか気持ちを押し込め、奥方と連携しながらの立て直しを図ることにした。
まずは王都の男爵屋敷に、代官のような形で我が家から信頼出来る人間を派遣し、奥方の手足となって働いてもらう形にした。
それから王都の屋敷から書類やら印章やら必要なものを運ばせて、男爵の家に執務室を整備、そこで男爵と奥方が仕事に励めるようにしてやり……その上で、引退したじいやを呼び戻した。
じいやは元俺の教育係で、現代知識に引っ張られて今ひとつ勉強が上手くいっていなかった俺に根気よく、諦めることなく貴族としての初歩を教えてくれた。
忠誠心と愛情深く、また父上と一緒に貴族社会を突き進んできた男ということもあって知識も経験も豊富で……徴税官を追い出した後の代官をやって欲しいと打診したのだけども、静かな余生を送りたいということで遠慮されてしまい、せめてもの感謝の印として、じいやが暮らしやすいように工夫を凝らした屋敷と生涯年金、いくらかの土地と牛などの家畜を贈ってやったのが、もう何年前か。
そんなじいやを現役に呼び戻すのは少しだけ心苦しかったが、忙しい俺が教えるというのはまず不可能で、バトラーを始めとした家臣団では知識が足りない部分があるということで、仕方無しに頼まれてくれないかと使いを送ったら……翌日には屋敷に顔を出してくれた。
ピシッとしたモーニングスーツに縞ズボン、俺の真似をしてのネクタイという格好で、白髪オールバックに、左右に大きく分かれた八の字口ひげ……スーツに負けないくらいにピシッと伸びた背筋。
いつかまた俺に呼ばれると思っていたのか、いつ呼ばれても良いように準備してくれていたのか、完璧な姿でやってきてくれたじいやに、玄関先で俺は思わず涙ぐみながら手を取ることになった。
「よく来てくれた……引退した所をすまなかったな。
使いの者から聞いているとは思うが、どうしてもじいやの力が必要になってな……男爵夫人に最低限のことを教えてやって欲しいんだ」
「ぼっちゃまの頼みであればこの老体、いつでもどこでも駆けつけましょう。
ぼっちゃまから頂いた屋敷に家畜、土地も素晴らしく、何の苦もなく余生を過ごせております。
階段や壁に付けて頂いたあの手すり……足腰を悪くした妻が、毎日のように感謝の言葉を口にしております。
息子や孫は家畜のおかげで苦労することなく豊かに過ごせております。
ここで駆けつけねば妻や息子達に何を言われるか分かったものではありません、ぼっちゃまは心安らかに、政務に励まれますよう。
……念の為の確認なのですが、男爵にではなく男爵夫人に手ほどきをしたら良いのですね?」
「ああ、夫人に教えてやって欲しい。
……男爵は前線に出ることも多いだろうから、夫人に任せてしまった方が良いだろう」
「分かりました、ぼっちゃまのお言葉の通りにいたします」
と、そう言ってじいやは深く頭を下げる。
もう70歳近いはずなのだが、全くそうとは感じさせず、動きも言葉もハキハキとしている。
こちらの世界ではちょっとした超人扱いをされてもおかしくないレベルに健康で、あと10年は生きてくれそうだ。
「後は頼む」
と、そう言って男爵の家に送り出したならどうにか一段落……これで男爵家はどうにか維持出来ることだろう。
……何故俺がここまでしてやらないといけないのか? という疑問はあるが、これも仕方のないことなのだろう。
下の者の面倒を見るのは、ある程度の爵位がある者の義務ではあるし、あの男爵をコントロールした、面倒を見てやったと広まれば、評価が上がる……はず。
まぁ、この国の爵位は種類を増やしたり減らしたり、断絶させたり、爵位の価値を上げたり下げたりを繰り返した結果、色々とぐっちゃぐちゃで上下関係は意味を成していなかったりもするのだが……。
……特に伯爵に関しては覚えるのが大変だった。
暗記テストで何度じいやにダメ出しを食らったか、分かったものではない。
海外辺境伯(実質的に侯爵)、宮中伯(権限的には公爵)、方伯(実質的に辺境伯、つまり侯爵)、城伯(実質的に子爵)、国伯(王の直臣)、副伯(陪臣)、諸侯級伯(一部は実質的に公爵)、軍務伯(公爵より格上)、水路伯、猟場伯、古伯(実質的に公爵)、森林伯(実質的に辺境伯)、荒野伯(森林伯とほぼ同じ)……などなど。
……一度、一度で良いから整理して欲しいと思うのだけど、伝統やら歴史やら血の繋がりやらが複雑に絡み合って、誰にもどうにも出来なくなっているらしい。
たとえば数日前に会談をしたカーター子爵の家も、子爵家でありながら城伯と猟場伯を兼務しているので……もう何が何やら。
カーター子爵『家』がそれらの爵位を有しているだけで、子爵本人が受け継いでいる訳ではないというのもまた……もう、もう、ほんと、誰か一度で良いから整理してくれと泣きたくなってくる。
ああ、そう言えば父上と兄上は今、遠征伯なんだっけ……権限は公爵より上なんだけど、各公爵は父上からの援軍要請を無視しているらしいから、もうね……。
……ああ、いかんいかん、じいやを見送っていたらついつい変なことを考えてしまった。
とにかくこれで改めて、男爵に関しては解決だろう……解決であってくれ。
「……む、ハリネズミか! 伯爵のご命令だ、ハリネズミは丁重に扱うように!」
……屋敷の裏、男爵が何人かと鍛錬している方向からそんな声が聞こえてくるが、無視をして屋敷に戻ろうとしていると、そこに犬達が駆けてくる。
我が家の猟犬で番犬の……真っ白な毛の品種名なし、つまり雑種が3頭、なんでも曽祖父が自分で品種を作ろうとして頓挫した犬の子孫ということらしい。
垂れた耳に長いふわふわの毛、大柄な体が特徴的だ。
そして馬車犬のダルメシアンが4頭、馬車の馬と並走し、馬が落ち着くよう暴走しないよう、管理するのが馬車犬の仕事だ。
そんな7頭は躾が行き届いていて、暴れたりすることはなく整然と俺の前でお座りをし、撫でてくださいと尻尾を振り回しながら表情で訴えてくる。
その7頭を順番に……年上が最初、それから年齢順にと撫でてやっていると、そこにアーサーが駆けてきて合流、よく分からないが撫でてくれと俺の腕に絡んでくるが……順番は大切、そんなアーサーを無視し、しっかり他の7頭を撫でてやってからアーサーを撫でてやる。
まだまだ子犬だから叱ったりはしないが、序列があるということはしっかり教える必要があり、ワガママをしたので撫でる時間も短め。
アーサーはもっと撫でて構ってと跳ねて回るが、あえての無視をしていると……しょんぼりとし始める。
ぐ……子犬はこれがずるいよなぁ、しかし他の犬の手前、下手なことは出来ない。
「アーサー、旦那様を困らせては駄目ですよ」
と、そこでアーサーを追いかけてきたらしいコーデリアさんの声がし、しょんぼりしていたアーサーは復活、こちらに歩いてくるコーデリアさんの下へと駆けていき、コーデリアさんに抱っこされてご満悦といった様子だ。
「ごめんなさい、旦那様。
他の子達に挨拶をさせていたのですけど、駆け出してしまって……。
やっぱりこの子達は皆、旦那様がこの屋敷の主だと分かっているんですねぇ、あたしの時とは全然態度が違います」
「お気になさらず。
まぁ、こいつらとは子供の頃からの付き合いですから……。
父上も兄上も甘やかしがちで、俺くらいしか厳しい態度を取らないものですから、俺の前ではきっちりするんですよ。
……アーサーはどうですか? こちらの暮らしに慣れましたか? 何か問題があったら遠慮なく言ってください」
コーデリアさんの言葉に俺がそう返すと……コーデリアさんはアーサーを抱っこしたまま側までやってきて、近付き過ぎってくらいに近くまで来てから、にっこりと笑って言葉を返してくる。
「ありがとうございます! この子は全然大丈夫です!
せっかく小屋を用意してもらったのに、小屋の外で寝転がったり、他の子の小屋に入り込んだり、好き勝手やりながらぐっすり眠ってるので大丈夫だと思います。
あたしもこの子も、こっちに来られて良かったと思ってます。
あったかくて優しくて、幸せですから、あとご飯も美味しいです。
だから旦那様は、お仕事を頑張ってください、あたし達のことは気にしないで、前を向いて……」
と、そう言いながらコーデリアさんはアーサーを地面に下ろし、その両手を俺の顔の両側に持ってこようとする。
最近よくそんな仕草を見せてくるが、一体どうするつもりなんだ……? と、少しだけ警戒をしていると、外に出かけていたバトラーの声が響いてくる。
「ブライト様! 侯爵領から、グレイ侯爵領からお手紙です!」
郵便局にわざわざ出向いていたらしいバトラーは、そんな声を上げながらこちらへと駆け込んできて、大慌てで木箱をこちらに手渡してくる。
遠方からの貴族の手紙はこうやって木箱で輸送されることが多い、こうしないと封蝋が輸送中に破損してしまうからで……木箱を開けて封筒を開こうとすると、それだけでも封蝋が砕けて、そのまま構わず広げて中の手紙を取り出し、目を通す。
「……お祖父様はご無事だ。
負傷はしたが、命には関わらないそうだ……犯人は不明。
調査はしているが明確な証言も証拠もなく苦戦中……侯爵領は宰相と王太子どちらとも犯人、共犯ではないかと疑っているそうだ。
そういった情報が王都の知人などから届けられているらしい」
最低限、共有すべき情報を口にし……後は心の中で読み上げていく。
宰相は権力集中を意図していて……王太子は乱心気味、手元の女性が減ったから補充しようとしている……? 補充だと?
それがどうしてお祖父様を襲撃することに繋がる……?
お祖父様を殺害し、その子であるジョージ殿が継いだなら、新しい世代が現れて……それが妾候補?
……全く意味が分からないが、乱心している相手の考えを理解しようとすることが、そもそも間違っているのかもしれない。
とにかく宰相と王太子が疑わしく、この件では協力しているらしい両者だが、対立している部分も多いようで……言い合いなんかもしているらしい。
どうやら宰相が勝手に動いているのが王太子にとっては気に食わないことであるらしい、余計なことをして……俺ことウィルバートフォース伯爵に経験をさせるなと、そんなことを言っているらしい。
……経験なんて宰相が何をしようが、一切関わらなくとも日々積み重ねるものだと思うんだが……本当に乱心しているアホは訳が分からないなぁ。
とにかくそんな情報を耳にしたお祖父様は、引退を決意……長男ジョージ・グレイ卿に侯爵位を譲ることに決めて、静養のためにどこかに隠居するとのことだ。
……そしてこの手紙を書いたのはジョージ殿で、今後も良い関係を続けようと、そんなことも書かれている。
当然のようにジョージ殿もまた王家への恨みを抱いていて……お祖父様から聞いたらしい俺へのあれこれも含めて、到底看過出来ない上に今後更にとんでもないことをされる可能性もあるからと、対決姿勢を強めていくそうだ。
……これはうかうかしていると先を越されるかもしれないなぁ、かといって焦って上手くいくとも思えないので、じっくりやるしかないのだが……。
王族殺しのハードルが妙に上がってしまったなぁと冷や汗をかいていると、手紙の右下の隅に小さく……本当に小さく何か書かれている。
えぇっと『三日後にはそちらに行ってしまうだろうからよろしく頼む。経費は後で金貨を送る』……か。
……うん、はい……。
お祖父様の隠居先がどこであるかを理解した俺は、とりあえず屋敷に正式にお祖父様の部屋を用意する必要があるだろうということで、バトラーに指示を出し、謎ポーズのまま硬直しているコーデリアさんにも手伝ってもらうことにして声をかけ……皆で慌ただしくお祖父様のための部屋を整えていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回はフィリップのあれこれで……王都の様子も少し分かるかもしれません




