〘三十六話〙ブレンダの宿
「ドリスさん、あなたという人はもう! 生きていたのならもっと早くに顔を見せに来てちょうだいな」
ドリスに呼ばれ急いで中に入ってみれば、そんな言葉と共にそのドリスがふくよかな体で抱き締められていました。
ぎゅうぎゅうが過ぎて中身が口から出ないか心配なほどです。
ふくよかなご婦人は私が入ってきたことに気付くと今度は標的を私へと切り替えました。
背の低い私に目線を合わせようと勢いよくしゃがんだため、エプロンで半ば覆われたスカートがふわりと膨らみます。それに動じることなく手で押さえながら、いたずらっぽくも優しい目で私を見てきます。
「小さくて可愛らしいお嬢さん、うちの宿に泊まってくれるんですってねぇ。ここはね、たいして上等な宿じゃあないけれどね。もてなす気持ちだけは……どこの高級宿にだって負けないつもりなのよ? だからあなたもお家にいるつもりでね、ゆっくり体を休めてちょうだいね」
とても暖かくて優しい声音です。
きっとこの人がブレンダさんなのでしょう。
笑うと目元に小じわが出来る、四十手前くらいのお上品な雰囲気を持つご婦人です。
白無地のフリルが付いた帽子の下からまとめられた艶やかな黒髪が覗いています。黒髪はこの世界でなにげに初めて見たような気がしますが、それが少し日本人を連想させちょっと切なくなります。
優しい手つきで頭を撫でてくれます。
ガサツなオルガと違って本当に丁寧に優しく撫でてくれるのでとても気持ちが良く、このままずっと続けてほしくなります。
今までも私に優しく声をかけてくれる人はいました。アンヌにはすぐにでも会いたいくらいです。この世界で初めて会った人間で、見ず知らずの得体のしれない私に優しくしてくれた人……、いつか必ず再会したいと思います。
ドリスやオルガもタイプは違うけど、それなりに優しいとは思います。
でも違うんです。
これは反則です。
心をえぐってくるんです。
私が遠い過去に忘れ去った何かを思い起こさせる力をこのナデナデは持っているんです。
だからでしょうか?
中身は元日本人、中年サラリーマンおじさんであるはずなのに……。
「あらあら、まぁまぁ」
「わぁ、ミーアちゃんの甘えん坊!」
初対面、今しがたあったばかりのご婦人にもかかわらず、衝動的にその胸の中に自ら飛び込み、顔をうずめるように抱き着いてしまいました……。
柔らかくってなんだかいい匂いもしてすごく安心できます。
しかもあろうことか、目から水っぽいものが流れ出てる気もします。
意図せずミーアボディからそんなものが出てしまうなんて……。
私はいったいどうしてしまったのでしょう?
…………。
ま、まぁいいです。
黒歴史になってしまいそうな行いは、即刻、忘れてしまいましょう。
そんなことを考えながらも私はブレンダさんからなかなか離れようとせず、二人を困らせてしまったのでした。
いい加減にしようねとドリスにひっぺがされ、赤い目をした私が手を引かれつつ入ったのは、少々きしむ階段を上がった二階の更に上、梯子みたいな急階段を上った先にある三角屋根スペース、いわゆる屋根裏部屋です。
斜めになった天井途中に外から見た時に目に付いた小屋根付の出窓があり、それが狭い部屋ながらもスペース確保に貢献してるみたいです。
普通の四角な部屋の方が余裕があっていいのでしょうけど、あれです、屋根裏空間って隠れ家っぽくて、忘れそうになる男心をがっちり掴んできてちょっとワクワクします。
けど、ドリス的この部屋にした理由は、単に屋根裏部屋の方が安いから――、だそうです。
そ、そですか……。
ちなみに宿では、というかどこの建物でもですが……、前世日本と違い、当然靴を脱ぐなんて文化はありません。なのでどこまでも土足のまま突き進んできています。
ああ、いぐさの匂いのする畳が懐かしい。
床に寝そべって昼寝したり、はだしで踏みしめる柔らかな絨毯の感触とか、もう味わうことは出来ないのでしょうか?
樹海をはだしで素っ裸のまま駆け回っていた私が言うのも何なのですけれども――。
「ふぁ~、無事帰ってこれて良かった~。野盗に捕まって、一時はどうなるかと思ったよ。それにさぁ、ずっとろくな環境じゃなかったし。ああ、これでようやく体を綺麗に出来るし、服だってやっと着替えられる~」
そう言いながらドリスは胸元の服をつまみ上げ、鼻を寄せ……顔をしかめてる。ああ、そんなわざわざ確かめなくてもいいのに。
「あ~、ブレンダさん何も言わないけど……、この臭いかがせてしまった~、やだ~」
そんなことで気を悪くする人には見えなかったし、事情が事情だし。ドリスは気にしすぎだと思う。私から言わせれば臭ってない人のが少ないと思いますし。私みたいな例外を除けばですが。
「う~っと、あ……、ごめん。ミーアちゃんは、とりあえずその辺の木箱にでも適当に座っててね」
抱えていた荷物を床にドサリと置き、ドリスはさっさと着ている服を脱ぎだします。気になりだしたら居ても立っても居られないようです。
部屋はベッドに一人用のテーブルとイス、それに今言われた木箱がいくつか置いてあるだけです。木箱は衣装箱や収納箱となり、それがそのまま椅子や物置台代わりにもなるといったところでしょか。
「まずは水を用意だね~、アクアフォンス」
テーブルの上に置いてあった大きめの深い皿に手をかざしてそう唱えれば、いつかのアンヌみたいにそこに水が湧き出します。
ふふん、もう驚いたりしませんから!
防具を兼ねたコルセットを外し、キャミソールすら脱いで、恥ずかしげもなくパンツ一枚の姿になったドリスは、そこで体を拭いだしました。
ドリスは残念体型ですが一応女性らしいふくらみがないこともないです。ただ、すでに高校生くらいの背格好であり、胸部装甲のこれからの成長については……。
元日本の健全だった中年おじさんとしては、若い娘の半裸姿を見てグヘヘとなりそうなシチュですが、そんなことには全然ならず、もっと言えば自分のあそこを初めて見た時だってなんらエロい気持ちが湧き上がることもなかったです。
それだけ見れば私はなんて枯れ果てたおっさんなんだろう……となるわけですが、所詮私自身の現在の本性は性別すらはっきりしないスライムっぽい何かなわけで。
生物の分類すら違う人間を見て、性的に興奮することはこれからもきっとないのだろうと思います。まぁ、元日本人男の感性自体は残っていますから感情の高まりくらいはあるのですが……。
とは言うもののミーアの体自体は人ですから、あんなことや、こんなこと、色々いたすことは可能ではあります。
あ、けどまだ幼女なのでNGですからね?
お巡りさん案件はご遠慮願います。
「ふう、生き返った気がするぅ。ミーアちゃんも身ぎれいにして……っていうかさ! ミーアちゃん、いつ見ても汚れてないし、体臭とか全然してなくないっ?」
ドリスが半裸のまま私に寄ってきてクンクン臭いをかぎだします。髪も洗ったのか、普段おさげにしてる茶髪がほどかれ、その髪の先からぽたぽた雫が床に落ちてます……が、全く気にしてなさそうです。まぁ、床も土足ですしね。
けれどなにげに失礼な小娘です。
でもいい大人である私はそれに文句を言ったりはしませんよ。
「やっぱ臭いしない、臭くない! それどころか少しいい匂いすらする! ずっと一緒に居たのに。私とかオルガとか言わないけど、言っちゃいけないけど、すっごく臭ってたと思うのに、ど、どういうこと~?」
スライムパックです。
もちろん言えないので誤魔化します。
「まほう……、かな?」
困った時は魔法で解決。
これ樹海での常識!(ウソ)
「ええ~! そんな魔法、あったかな? 生活魔法でさっきみたいにお水は出せるけど、びしょ濡れになっちゃうよね? それ私にも出来る?」
なおも追及してきますがそんなこと言われてもミーア困る。
「わかんない。できないんじゃない、かな?」
ドリス、スライムじゃないしね。
体の表面の老廃物だけ取り除くなんて器用な魔法……、頑張って、頑張りぬけば、もしかして、もしかしたら、出来る未来もあるかもしれないけど……。
それするくらいならお風呂入った方が早くない?
お風呂。お風呂かぁ~。
公衆浴場とかあったりするのでしょうか?
「そんなぁ……」
ドリスが「ミーアちゃんの魔力ありきなのかなぁ……」などとぶつくさ言いながらも、あきらめたのかまた身だしなみを整えに戻っていきました。
ちっぱい見せたままうろちょろしないで、早く服着てください。
おじさんからの苦言です。
私は大らかなドリスの様子に呆れながらも、でも、こういう生活もまたいいものだと感じ、明日からもこんな日々が続くといいな……と、思わずにはいられないのでした。




