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海怪  作者: 五十鈴 りく
❖ 富くじ

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61/70

富くじ ―弐―

「富くじ――」


 いくら甚吉でも富くじくらいは知っている。

 富突とも呼ばれ、当たれば大枚が手に入るのだ。それは時の運のみに委ねられる。お大尽も貧乏人も、町人も武士も関係ない。運がすべてなのだという。


 マル公は目を細め、じぃっと富くじの札を見てから言った。


「オイラを見に来た客が話してやがったんだが、富くじなら本所回向院(えこういん)で九日にやってるぜ。一ノ富(いちのとみ)(一等)、(きん)百両だってよ」

「き、金百両ッ」


 甚吉が手にしているそれが当り札であるかのようにして、甚吉は腰を抜かしそうになった。

 一万枚以上ある売札の当り札がこんなところに落ちているなんて、そんな都合のいいことがあるわけはないのだが、つい。


「んあ? 百両ぽっちで騒ぐな。千両って時代もあったんだぜ? シケてるじゃねぇか」


 百両がシケているなんてどの口が言うのだ。


「せ、千両なんて、死ぬまでに使いきれねぇよ」

「富くじはな、奉納金やら祝儀やら差っ引かれてまるっぽ懐にゃ入らねぇのさ。八割ってぇから、千両なら八百両、百両なら八十両だ」

「それだってすげぇよ」


 八十両だって使いきれない。おとぎ話の出来事を話しているような、違う世の中でのことにしか思えなかった。


「九日ならまだ済んでねぇし、外れたから捨てたんじゃなくって落としたんだろうな。その札一枚が金二朱すんだぜ? 間抜けにもほどがあらぁ」

「に、二朱も」


 富くじというのは高いのだ。夢はあるが、まず先立つものがなければ指をくわえて見ているしかない。甚吉にはとても二朱なんて銭は用意できなかった。


「二朱もするのに落としたなんて、がっかりしてるんだろうなぁ」


 甚吉はこの富くじの持ち主が気の毒でならなかった。

 ただし、名前を書いてあるわけでもなし、届けてあげることはできない。


「じゃあ、ちっと番屋に届けてくらぁ」


 それしかないと甚吉は疑いなく考えた。

 それを何故かマル公が止めたのだ。


「待ちな、甚」

「うん?」

「この世はな、おめぇみてぇなニンゲンばっかりじゃねぇんだよ。正直に生きてるヤツの方が少ねぇモンなのさ」


 そんなことはないと思うけれど。マル公が人様を疑いすぎなのではないのか。

 しかし、マル公は平たいヒレをてん、と生け簀の縁に突いて言った。


「んなもん、誰だろうと俺が落としたって言やあそれで済んじまう。いや、番屋で猫糞(ねこばば)されるだけかもしれねぇ。おめぇが正直に届けたところで、その札が持ち主の手元に戻ることなんざねぇんだよ」

「そ、そうかな」


 もしそうだとしたら、甚吉が届けたばかりに落とし主に損をさせてしまうのかもしれない。


「なぁ、マル先生。それならどうしたらいいってんだ?」


 甚吉が困り果てていると、マル公はにぃっと()んだ。ちょっと悪い顔に見えた。


「おめぇが預かっておきな。探してるヤツが現れたら返せばいいじゃねぇか」

「そ、そうか」


 けれど、こんなのもを甚吉が持っていることを誰かに知られたら、甚吉が猫糞したのだと思われてしまうだろう。預かっているだけだとはきっと信じてもらえない。


「まあ、富くじの売札を探してるってヤツがいても、そいつが組と番号を間違いなく言うんじゃなけりゃ見せるんじゃねぇぞ。おめぇが持ってるってのも言うんじゃねぇ」

「う、うん」


 何やらそら恐ろしくなってきた。

 この売札が外れで、ただの紙屑でありますようにと願ってしまう。あんなに気を張っていたのに、一文にもならなかったなんてお笑い草だと後で言いたい。それならばどう扱おうとも甚吉にはなんの責もないと思える。


 こんなものをずっと懐に入れていたら、甚吉は夜も眠れずに息をつける時がない。

 あと三日――今月の九日が過ぎるまでこんな思いをしなくてはならないなんて、つらすぎる。


 そこでふと、甚吉は、甚吉にしては妙案を思いついたのだ。

 ぱぁっと甚吉の顔に笑顔が広がる。


「そうだっ、穂武良(ほむら)様に預かってもらえばいいんじゃ――」


 穂武良というのは、稲荷社の神使である狐だ。霊力を持ち、これまでも甚吉たちを何かと助けてくれている。人外の声が聞ける甚吉は、穂武良の声も聞けるのだった。


「ホムラ狐な。まあ、いいだろ」


 稲荷社を暴こうとする罰当たりなどいないはずだ。

 甚吉は急いで稲荷社へと走った。懐の売札を落とさないように気をつけながら。


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