09
マリエルは女性ながらに王都騎士団に名を連ねる騎士だった。
だった――もう過去のことである。今は定職を失い、再起に挑む冒険者の一員に過ぎない。
最初こそ戸惑いも後悔もあったが、案外冒険者としての生き方は自分に合っているようだと最近は思えるようになってきた。
しかし、それでもマリエルは今も思い返す。かつては副隊長の座についていた頃の、恵まれていた立場のことを。
そして同時に思い浮かぶのは、騎士団から除籍を言い渡されることになったあの夜のこと。
自分の愚かさが招いた結末であり、他人を恨むなど言語道断。それが理解できているからこそ、悔やんでも悔やみ切れない。
きっかけは何だったかと改めて考えるならば、それは除籍処分の数週間前にまで遡る。
全ては、たった1回のガチャから始まった――。
〇
「ええい、貴様ら! 休日だからといって朝から賭博に興じるとは何事か!」
マリエルは探し当てた部下が、カジノの遊戯に夢中になっている姿を見て思わず怒声を発した。
副隊長の立場として、新人騎士に稽古のひとつでもつけてやるかと思って探していた相手は、他の団員達と共に遊戯の結果に夢中になっている。
休日の過ごし方は各人の自由とはいえ、栄えある王都騎士団の一員として、あまり褒められた姿ではないだろう。
そう考えた彼女は、怒りを露にしながら部下達の下に近付いていった。
「んげっ、マリエル副隊長!?」
「きたよ、鬼のマリエル……休日くらいほっといてくれよ……」
「ちょ、ちょっと。聞かれたらまずいって……」
王都騎士団マリエル副隊長を一言で言い表すのなら、鬼教官だ。
彼女は部下達のことを思って叱責しているのだが、その教導があまりに厳しいために部下達からは恐れられている。
誰も彼もが彼女のように、休日返上で訓練に励むことができる程に勤勉ではないのだ。
しかしかといって、賭博に興じる新人騎士団員達が不真面目なのかというと、そうではない。
訓練はしっかりとこなすし、勤務には真面目に取り組む。能力も確かなものだ。
だからこそマリエルは彼らに特別に目をかけてやろう、と余計に厳しく当たる。
それが新人騎士達から嫌われる要因になっているのだと、彼女は気付けないでいた。
「お前ら……先輩に対する礼儀がなってないな……?」
マリエルが拳を鳴らしながらじりじりと歩み寄ると、新人騎士達は怯えた様子で後ずさる。
騎士団副隊長の名に恥じない肉体能力を誇る彼女の拳は、全力で振るわれたなら岩をも砕く程の豪拳だ。
叱責のためだと拳骨でも食らおうものなら、手加減された一撃でも耐え難いものがある。
それを身を持って知っている彼らは、即座に敬礼を行い「すいませんでしたぁ!」と叫んでいた。
「まったく……それで、何だ? その遊戯はそんなに面白いのか?」
マリエルは部下達が行っていた遊戯に使われている装置に目を向ける。
どうやら単純な仕組みのものであるらしいことは、娯楽に疎いマリエルにもすぐに分かった。
コインの投入口に指定された金額を投じて、レバーを引くことで魔法陣が起動。そして景品となるアイテムが現れる。
案内板にはガチャと名が示されていた。随分とシンプルな遊戯であるらしい。
まあこれくらいの遊びなら可愛いものか、と考えていたマリエルだったが、1回1万Gという表記に思わず叫んでいた。
「い、一回1万Gだと!? 何だこの馬鹿げた値段は!」
「そ、それだけ景品が豪華なんっすよ。このカジノで話題の目玉遊戯っす」
「し、しかし……1万Gといえば、新人の月給の半分近いんだぞ!?」
「はい、その通りであります。け、けど当たれば見返りも大きいのであります!」
むしろそこまでの金額を投じて見返りが少なければ、賭ける意味が分からなくなるだろう。マリエルはそう思ったのだが、ガチャの大当たりがいかに凄まじいのかを力説する部下の威勢に押し黙ってしまう。
ノーマル、レア、スーパーレア、ハイパーレア、ウルトラレア。その5段階の内、スーパーレアは概ね2万G以上の価値はあるアイテムが手に入るらしい。
ハイパーレアからはそこらへんの店ではほとんど売っていないような高品質の装備か、100万Gという大金が納められた宝箱が出現するそうだ。
ウルトラレアともなると、どんなに低く見積もっても数千万Gは確実で、物によっては1億Gを超える金額でオークションに掛けられるらしい。それだけ格別の性能を誇るということだ。
「い、一億G……それが本当なら、凄まじいな」
「売って良し、自分で装備して冒険者稼業に精を出すのも良し。ウルトラレアはまさに一攫千金を求める者達の憧れの的っすね」
「だ、だが1億Gで売り払えるのなら、わざわざ冒険者として働く必要はないのではないか?」
「いやいや。低ランクならともかく、Aランクくらいになれば年収1億Gとか稼げるらしいっすよ? まあそれだけ危険な仕事っすけど。
まあ、その金も装備代とかで消し飛ぶらしいのが切ない稼業っすけどね」
そもそもがいつ死ぬか分からないような危険な生業である冒険者は、宵越しの銭は持たぬとばかりに散財する者も多いという。
命の危険があるからこそ多額の報酬を受け取り、その金でさらなる高みを目指すために高額な装備を買い求める。そして残った金は酒だ飯だと酒場で使い果たす勢いで飲み食いする。
全ての冒険者がそうではない。だが、新人騎士のその言葉を肯定するように、周囲で数人の冒険者が頷いていた。
「そんなAクラスも切望するような強力な装備品が、運が良ければ1万Gで手に入る……だからつい、夢を見て回しちゃうんですよね」
「……で、そのウルトラレアとやらは当たったのか?」
「そう簡単に当たれば苦労はないっすよお……!」
3人の部下達が一斉に跪くのを見て、マリエルは彼らの惨敗を悟った。
どう声を掛けていいか迷うマリエルだったが、それでも先輩として後輩を元気付けなければ、と決心する。
「ま、まああれだ! そういう時はだな……ランニングでもして汗を流せばすっきりするぞ! 私もいっしょに走ってやるから、軽くグラウンド100周くらい走ろう、な!」
「追い討ちとかまじ鬼だろこの女……」
「そ、その……明日からの訓練に響きますので、休日は身体を休ませていただきたいのですが」
マリエルは気遣いのつもりで行った提案だったが、新人騎士達は見るからに暗い顔になり、絶望の感情を露にしていた。
そんな部下達の様子を見たマリエルは――「ここは強引にでも身体を動かせるべきだな!」と自分なりに判断を下す。
彼女にとっては気持ちが沈んだ時に訓練で気分転換するのは当然のことであり、部下にもそれを教えることが正しいと心の底から信じていた。
その自分基準の考えを押し付けるやり方が反感を抱かせているのだということを、彼女はまったく気付いていないのだった。
「騙されたと思ってやってみろ! 走り終えた頃には嫌な気分なんて吹っ飛ぶぞ!」
「ま、マジで言ってやがる……休日返上とか洒落にならねえ……」
「ほ、本当にやるんですか? 僕達、この後やりたいことが……」
「どうせ賭博に時間を費やすつもりだったんだろう? なら訓練した方が金も掛からないし、自分のためになるぞ!」
部下の背を押してやろうと歩み寄るマリエル。
しかし新人騎士の一人が、それに待ったをかけた。
「ふ、副隊長! 提案があるっす!」
「む……なんだ、言ってみろ」
「はい! 休日返上で訓練するか、自分達の自由に過ごさせていただくか……ギャンブルで決めませんか!」
部下の考えを聞いてやるのも上司の務めだと思い、マリエルは若干呆れながらも提案とやらを聞く。
その内容は、休日に朝からカジノに入り浸るような賭博好きの彼らしい提案であった。
「このガチャであと1回だけ引いて……スーパーレア以上の景品を引き当てたなら、自分達の自由に休日を過ごさせていただきたいです!」
「ちょ、ちょっと……もうガチャ引くお金なかったんじゃないの?」
「3人で金を出し合えばなんとかいけるだろう。俺が多めに金出すから協力してくれ!」
「……仕方ねえ、俺達の休日を守るためだ。その提案に乗ってやる」
マリエルの返答も聞かずに勝手に盛り上がっていく部下達を見て、彼女は思う。
こいつらに賭博を止めさせるためには、そう都合よく大当たりなんて引けないことを覚えさせるしかないな、と。
だからマリエルは彼らの提案に付き合ってやることにした。ただし、条件付きでだが。
「いいだろう、そのギャンブルに付き合ってやる……ただし、ハイパーレア以上を引き当てることが条件だ!」
「いっ……!? ハ、ハイパーレアなんて、めったに当たるものじゃあ……」
「どうした? そんなめったに当たらない物を狙って大金をつぎ込んだんだろう? 次の1回で引き当てればいいだけじゃないか」
「くっそ、絶対当たると思ってねえ……! どうあっても訓練させるつもりだろこれ」
「け、けどやらなきゃグラウンド100周は避けられないよ。下手したらもっと訓練させられるかも……」
相談しあう部下達の様子を見ながら、マリエルは既にこの後の訓練のメニューを考え始めていた。
どうせハイパーレアなんてそうそう当たる物とは思えない。賭博に疎いマリエルでも、掛け金の100倍もの配当が行われる大当たりが相当出にくいものだということくらいは理解できる。
簡単にそんな大当たりが引き当てられるようでは、カジノ運営など成り立たないからだ。
そうそう都合よく大金など得られないのだということを実感させた後、落ち込む彼らに訓練を施して、賭博の空しさと訓練の楽しさを叩き込む。それが、マリエルの考えた作戦だった。
身体を鍛えることが娯楽であるマリエルにとっては、それは部下を遊びに誘うような気分であった。他人の価値観に巻き込まれる者達にとっては、たまったものではないのだが、彼女は気付かない。
(いくら相談したところで結果なんて変わらんさ。むしろ『あそこでガチャなんて回さずに訓練に行けば良かった』と思うに決まっている)
今度は誰が代表で回すのかを必死な様子で話し合っている部下達に、やれやれと溜め息をつきながらマリエルは自論を脳内に描く。
これで賭博なんてするより堅実に生きた方が良いのだと骨身に染みるのなら、それもひとつの経験ではある。
後は負けた悔しさや失った金への未練なんて吹き飛ぶくらいに、訓練に付き合ってやればいい、と。彼女は本気で彼らのためだと思って行動していた。
(ガチャ、だったか? こんなギャンブル、くだらない。
あんなもの、どうせろくに当たらないように作られて――)
―― ぞくり、と。急に背筋に悪寒が走る。戦闘で感じるものとも違う、得体の知れない恐怖に直感的に背後へ振り返る。
しかしそこには別に変わったものはない。カウンターに立つ、一人の少女がいるだけだ。
観察してみたところで、そこにいるのは客を迎え入れるために微笑んでいるだけの、あどけない少女の姿そのもの。
いくら確認したところで、得体の知れない存在には見えなかった。
「……どうかされましたか? お客様」
「い、いや。何でもないんだ、すまない」
先程の悪寒は気のせいか、と判断したマリエルは気まずくなり、視線を外す。
いくらこちらは客であちらは店員とはいえ、じろじろと見るのは失礼だったな、と反省する。
「では、本日の占い1位の俺が代表で引かせてもらうっす!」
どうやら新人騎士達の相談が終わったところだったらしい。
結局、このギャンブルを言い出した本人が引くことになったようだ。
誰が引いたところで結果が変わるわけではないというのに、残りの二人は祈りを託そうとするかのように代表の新人騎士に激励の言葉をかけていた。
「まあ、誰でもいい。さあ、早く引いて訓練に行くぞ」
「くっ……そうはいかないっす! 必ずハイパーレアを引き当てて、俺達の休日を守るっすよ!」
気合を入れるように自分の両頬を叩いて、新人騎士はガチャへと向かう。
投入口に3人で集めたらしい金貨を投じていく。傍目に見ても、マリエルにはそれがもったいないとしか感じなかった。
1万Gもあれば多少の贅沢は余裕で行える。それなのにたった一度の、何がでるか分からない遊戯に費やすなんて、まともとは思えない。
しかしマリエルが呆れながらも見守る中、新人騎士は1万Gの投入を終えてレバーを掴む。
だがすぐにはレバーは動かされなかった。代表の騎士は何やらぶつぶつと呟きながら、瞑想するように目を閉じている。
「無欲、無欲っすよー……自分は今、無欲になってるっす……決してハイパーレア狙いなんかじゃないっす……」
「……なあ、あれは何をやってるんだ?」
「物欲センサーに引っかからないように無欲になろうとしているであります」
聞こえてくる呟きの意味がよく分からなかったマリエルは、隣にいる新人騎士に尋ねる。
しかし、それでも理解できなかった。物欲センサーなんて初めて聞いた言葉だ。
(いやそれ、言ってるだけで絶対狙ってるだろう。というかさっきハイパーレア引き当てるって宣言してたじゃないか)
呆れながら内心で呟くマリエルの前で、今度は妙な手の動きを始める騎士。
「今度は大当たり祈願の舞であります」と聞いてもいないことを教えてくれる部下に「無欲になったんじゃなかったのか」と思わず突っ込んでしまうマリエル。
そんな彼女達の前でしばらく妙な動きを続けていた騎士だったが、やがて意を決したようにレバーを動かした。
レバーの動きに連動して、魔法陣が光り輝く。やがてその光は白から緑に変わり、しばしの間の後で赤へと変化する。
光によってどの賞が当選したのか判明するらしく、赤はスーパーレアだ。
ほら、どうせこんなもの当たらないんだぞ――部下達にそう告げようとした、その瞬間。
「お……おおおお!? きた、きたっすよ!」
魔法陣の光は、赤色から黄金の輝きへと昇華されて、眩い光を放ち始めた。
どうやら黄金の輝きはハイパーレアであるらしく、3人の新人騎士だけでなく、周囲の客達も注目していた。
思惑が外れて悔しく思うのと同じくらい、部下達が幸運を引き当てたらしいことを祝福してやろうかと考えていたマリエルの前で、さらなる変化が起こる。
黄金の輝きは、美しい虹色の光となって、魔法陣から溢れ出していく。ガチャ最高峰の大当たり――ウルトラレア当選を祝福する、七色の閃光だ。
「き……きゃっほおおおう!? きちゃった、ウルトラレアきちゃったっすよおおお!!」
「ま、マジか!? お前、マジかこれ!?」
「ゆ、夢じゃありませんよね!?」
最高の大当たりに、新人騎士達は興奮が収まらない様子であった。
当事者である彼らだけでなく、周囲の客人達も羨望と嫉妬の入り混じる視線を向けてガチャの魔法陣を眺めている。
唖然とするマリエルの目の前で、やがて魔法陣の光は収束していき、ひとつのアイテムを形成する。
それは美しい装飾の鞘に収納された一握りの剣であった。
「ウルトラレア当選、おめでとうございまーす!」
チリンチリン、とベルの音が鳴る。カウンターの少女が変わらない微笑みを浮かべながら、当選者である騎士達に祝いの言葉を告げていた。
店側としては高額の景品を当てられることは損失であるだろうに、少女はにこやかに笑っている。
その姿に、先程の得体の知れぬ怖気がちらつくが、何度見てもそこにいるのは普通の少女でしかない。
自分が何に恐怖を感じたのかすら分からないでいるマリエルだが、そんなことはお構いなしに状況は進んでいく。
カウンターから歩み出た少女は、ゆっくりと当選者の騎士の元へと近付いていった。
「あ、ありがとうございます! まさか本当に当たるだなんて、夢にも思わなかったっす!」
「うふふ、見事に幸運を引き当てましたね! コングラッチュレーションです!」
「い、いやあそれほどでもないっすよ……へへへ」
少女の言葉に照れた様子で喜ぶ新人騎士の顔は、幸せに溢れていた。
そんな新人騎士に「ところで」と少女は話を切り出す。
「そちらの景品はどうされますか? 3人でお金を出し合っていたようですが」
「もちろん、3人で山分けっす! 2人共、この剣はオークションで売って、そのお金を三等分でいいっすか?」
迷い無く言い切った騎士の言葉に、仲間である騎士達も沸き立つ。
「ぼ、僕達ももらっていいんですか?」
「もちろんっす! 3人で協力して引き当てたんだから、仲良く分け合うに決まってるっすよ!」
「お前……良い奴だなあ! すまん、持ち逃げするんじゃないかなんて疑った俺を許してくれ!」
「もう、そんなこと思ってたんすか? じゃあ罰として、このあと酒場で一杯奢るっすよ!」
新人騎士達は楽しそうに話し合っている。そこに、マリエルが交わる隙間は見当たらなかった。
すっかり蚊帳の外になってしまったマリエルを置いて、彼ら3人は少女の元に集っていた。
「では、オークションをご利用されるということでよろしいですね? 本日は会場が空いていますが、手続きを行われますか?」
「それはよかったっす! さっそく用意をお願いするっすよ!」
少女に案内されるまま、3人はカウンター奥の扉の向こうへと案内されていく。
部下達に声すら掛けられずに放置されたマリエルは、一抹の寂しさを誤魔化すようにガチャの方へ視線を移した。
先程は気付かなかったが、どうやら景品の詳細や残数がコイン投入口の傍にある掲示板に表示されているようで、先程引き当てられた剣の映像に「当選済み」という文字が刻まれている。
他には見られない技術が使われているその掲示板に注目していたマリエルだったが、ひとつの景品の画像に釘付けとなった。
(これは……『戦乙女の聖盾』……?
か、可愛い……しかもこれが本当なら、凄まじい性能だな)
聞いたことのない名称の盾であるが、一目でその外観の虜となった。
天使をイメージした装飾が各所に施された、その名の示す通りに戦乙女をモチーフに製作された美しい盾。
マリエルとて女性である。美しい、可愛い物に興味はある。しかし騎士道には不要だと切り捨ててきた。
だが、盾は騎士を象徴する物であり、説明文にある性能に偽りがないのであれば性能も素晴らしく実用的だ。
これならば騎士道の邪魔にはならず、むしろ誇れる物となるであろう。そう思うと、途端にマリエルは夢中になった。
(ほ、欲しいな……だが、1回1万Gだしな……ううむ)
何せ『戦乙女の聖盾』はウルトラレアの景品だ。最高位の希少度となれば、そう易々と引き当てられるものではない。
しかし先程、部下達がその最高位に存在する剣を当選させたところだ。もしかしたら、案外1回で当たるのではないかと思えてしまう。
(ま、まあ……今は手持ちの金がないしな。どうせ、引けないのだが……くっ)
マリエルは休日も訓練に勤しみ、それほど娯楽に金を使わない。だから今までの給料は使い道もなく溜まっている。
とはいえ、1回1万Gという大金を幾度も賭博に投じるというのは、いくら資金があったところで不安を感じるものだ。
だが、欲しい物が手に入るかもしれないとなると、途端に欲望が財布の紐を緩ませていく。
一度だけ引けば当たるかもしれない。引かなければ後悔するかもしれない。悩んでいる間に他の誰かに当てられるかもしれない。
色々と理由をつけては『賭博を行うことのメリット』を探してしまう。先程まで賭博など馬鹿らしいと思っていたマリエルでさえ、その思考に捕らわれていた。
(……こ、こういう時は……訓練だな! 迷いなど汗と共に流してしまえばいい!)
しかしマリエルは勝負には踏み出さなかった。
手元に金がない、というのも理由のひとつだが、今までの人生でも迷った時はひとまず訓練を行うというのが習慣付いていたからだ。
ガチャを回すか、回さないか。それは後回しにして走り込みでもしようと、騎士団本部に戻ることにする。
―― その日、マリエルは日が暮れるまで訓練に励んだが、常に『戦乙女の聖盾』のことが脳裏に思い浮かび、悶々とした気持ちを抱えたまま寝床につくことになった。
〇
「や、辞めた? あの3人がですか?」
翌日、マリエルが騎士団の朝礼に出向いたところ、朝礼前に2人きりで話したいと上司である隊長のマイトから呼び出され、そう告げられた。
自分の部下である新人騎士達の3人が、昨日付けで騎士団の辞職を申し出たというのだ。これは既に正式に受理されている。
昨日までマリエルが可愛がっていた新人達3人は、既に騎士ではなくなったということだ。
「カジノで大儲けをしたらしくてな。3人で飲食店の経営を始めることにしたそうだ」
「み、店をですか……確かに、将来の夢だと語ってはいましたが……」
それにしても急すぎる、とマリエルは思う。
料理の腕や経営の手法は以前から学んでいたとしても、店を構えるとなれば土地や店舗の購入に営業許可証など、様々な部分で大金が必要となる。
いくら未曾有の大金を手に入れたとしても、昨日今日でいきなり開店に踏み出すというのは、些か無謀ではないかとマリエルは心配していた。
「無理が押し通せる程の大金なのであろうな。飲食店としてだけでなく宿屋を兼業しようかとも話していたし、余程大きな店を構えるつもりらしい」
「だ、大丈夫なのでしょうか。素人がいきなりそのように手を広げては、立ち行かなくなりそうですが」
「仮にそうなったとしても、それは彼らの選択した結果だ。既に彼らは騎士団員でなく、民として生きる道を選んだ。心配しても詮無きことだよ」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
「それよりも、今後の勤務について話し合うぞ。まず月末の夜間勤務だが……」
マイトの言葉を聞きながらも、マリエルはどこか上の空になっていた。
店を持つ程の資金となると、マリエルがこれまで溜め込んだ給料の総額を以ってしても難しい。
小さな店舗くらいならどうにかなるかもしれないが、宿屋兼飲食店となれば最低でも2階建てか、1階建てにしても広い間取りが必要となるだろう。
そのような大型の店を構えるとなれば、並大抵の資金では実現できない。
しかしあの3人が得た幸運は、その代金を支払って尚も余裕があるのだろう。どれ程の金額になったかは分からないが、マリエルよりも大金持ちになったというは確実だ。
彼らにそこまでの幸運をもたらしたのは、あの時のガチャに他ならない。
自分ももしかしたら、ガチャを回せばそのような幸運を掴めるのではないだろうか。その考えが浮かぶと、脳裏にあの盾のことが思い起こされる。
この手に『戦乙女の聖盾』が持てるかもしれない。そんな夢想が、頭に描かれていく。
「おい、聞いているのかマリエル」
マイトの言葉に我に返る。勤務中だというのに何を呆けているのだと、マリエルは自分を恥じた。
即座に敬礼を行い、大声で返答する。
「は、はい! 了解です!」
「……聞いていたというのなら構わん。それでは朝礼に向かうぞ」
起立して、朝礼の集合場所へと向かうマイトを追いかけてマリエルも歩く。
こんないい加減なことでは駄目だ、気持ちを切り替えようと彼女は自身に言い聞かせる。
しかしその日の勤務中も『戦乙女の聖盾』のことが幾度も心によぎり、何度か集中が途切れてしまうのだった。
〇
(当ててしまえば、もう迷わなくてもいい……!)
数日間、寝ても覚めても『戦乙女の聖盾』のことが忘れられなかったマリエルは、意を決してガチャに挑むことにした。
いつまでも忘れられないのなら、手中に収めることで原因から断ち切るしかないのだと考えたのだ。
それが正しい答えかはともかく、彼女は金貨を納めた革袋を手に、カジノを訪れた。
全てはガチャを回して、欲望の霧を切り払うために。
それが自ら欲望の霧の中に踏み込む第一歩なのだと自覚しないまま、彼女はガチャを目指して歩いた。
しかし、以前訪れた時とは違って、ガチャの周辺には多くの人が集い、賭博に興じていた。
「な、何だ……? 今日はえらく混んでいるな」
「本日は月末恒例のガチャフェスタですから、大盛況でございますね」
思わず呟いたマリエルの言葉に、カウンターの少女が答える。
ガチャフェスタという聞き慣れない単語に戸惑うマリエルに、少女は説明を始める。
少女曰く、ガチャの内容が更新される直前に従来の2倍の当選率でウルトラレアが排出される、期間限定のボーナスタイム。それがガチャフェスタであるらしい。
確率2倍の当選率に期待して多くの人が集い、ガチャが回されることで外れのアイテムが消費されていき、その分レアリティの高いアイテムが当選しやすくなるそうだ。
そのため月末だけに狙いを定めてガチャを回す者もいるくらいに、常連にとっては馴染みのあるイベントであるらしい。
「そ、そうか……ならば今が好機ということだな」
「逆に、お目当ての景品が他の人に引き当てられる可能性も高まるので、どうしても欲しい景品がある方はフェスタ期間に限らず我先にと回されますけどね」
その言葉を聞いて、思わずマリエルは景品の情報を映し出している掲示板へと目を向ける。
どうやら『戦乙女の聖盾』はまだ排出されていないようだが、いくつかのウルトラレア景品が当選済みであることが示されていた。
「き、きたのじゃ! ハイパーレア確定……も、もう一回!
あとひとつ昇格すればウルトラレアなのじゃ、頼むぞ神様……!」
ガチャの利用者の歓声に、マリエルはぎょっとしてそちらを見る。
もしこれで『戦乙女の聖盾』が引き当てられたのなら、当選者がオークションに出品しない限り、自分にはもう入手する手段が無くなってしまう。
思わず内心で、外れてくれと念じてしまうマリエル。しかしその後には後悔が残った。
(た、他人の不幸を望むなど騎士道に反する……私はなんということを……!)
自責の念に駆られているマリエルの眼前で、事態はさらに動く。
黄金の光が、虹色へと変化したのだ。
「き、きたああああ! ウルトラ、ウルトラレアなのじゃあああ!」
その叫び声を聞いた瞬間、マリエルは反射的に願ってしまう。
他の何を引き当てようが構わない。自分の目当ての景品だけは残しておいてくれ、と。先程の後悔を忘れたわけでも、開き直ったわけでもない。
自省の思いを吹き飛ばすほどに、『戦乙女の聖盾』を手に入れたいという気持ちが強まっているのだ。
やがて光は収束していく。虹色の光の中からは、先日彼女が見たのと同じように、ひとつのアイテムが現れた。
『戦乙女の聖盾』、ではない。壮麗な装飾の施された1本の大杖であった。
杖の頭部にある輪形に12個ほどの金属製の遊輪が通されたそれは、掲示板に表示されている情報によると、錫杖と呼ばれる東方由来の杖であるらしい。
「くっ、くっふっふ……ついに、ついにわしに相応しい錫杖を手に入れたのじゃー!」
東方の民族が好む独特な衣装に身を包んだ少女が、歓喜の雄叫びを上げる。
少女の頭部にある狐耳が、喜びを表すようにぴょこぴょこと忙しなく揺れ動いていた。ひとまずは『戦乙女の聖盾』が出現しなかったことにマリエルは安堵する。
しかし同時に、今の様な緊張感がまだ終わらないことを悟った。
高額を要求される以上、いずれは客の流れも落ち着くだろうが、それまでに目当ての品物が排出されないとは限らない。
自分が『戦乙女の聖盾』を手に入れるためには、誰かが引き当てる前に自分が当選するしかないのだ。
改めて考えるとそれがどれほど困難なことかを感じ取り、マリエルは諦めるべきかと悩む。しかし、ここで諦めて帰ったところで、『戦乙女の聖盾』のことが忘れられるわけではない。
あの時に何故挑戦しなかったのだろうか、とこの先ずっと悩み続けることを考えれば、無謀でもガチャを回すべきなのかもしれない。
延々と思い悩んでいたマリエルだったが、決心して行列へと向かう。
(ひとまず様子見だ、一度回して……それ以上挑戦するかは、それから考える!)
もしかしたら様子見の1回で当てられるかもしれない。あの日、新人騎士達が引き当てたように――彼女のそんな甘い考えは、ガチャを回しては行列に並びなおして、幾度も挑戦してもスーパーレアすら当たらない散々な当選結果に打ち砕かれることになる。
元来負けず嫌いな彼女は、一度始めた勝負の結果に納得がいかずに、さらに挑戦するものの、結果はついてこない。
そうしてる間にも周囲の他の挑戦者は高額当選を果たして、あるいは失意に塗れて撤退を決めて、それぞれの理由でガチャから離れていく。
行列が解消されたことでガチャに再挑戦するまでの待ち時間は短くなったが、それに比例するかのように金貨は瞬く間に消えていった。
(くっ、あああ……! 何故、何故こんなにも当たらない……!)
最早様子見などとは程遠い挑戦回数。それに伴う資金の浪費。
しかし、目当ての宝物は掴めることはなく、先程ようやく引き当てた最高の当選品は100万Gの宝箱だ。大金であることは確かなのだが、それまでにマリエルが消費した資金からはまったく割りに合わない。
100万Gを取り返せたと妥協して、ここでガチャを止めれば損失を低く終わらせることはできる。しかし、それは『戦乙女の聖盾』の入手を諦めるということだ。
切望した品物を諦めて、投じた金のことも諦める。それはある意味で、投資を始めることよりも強靭な意志を要する。そして残るのは、諦めずに挑戦していれば目的の物が手に入ったかもしれないという後悔だけである。
いつ消えるかも分からない後悔を背負い続けるというのは、あまりにも恐ろしいこと。そのような後悔をしたくないという思いが、マリエルにさらなる投資を行わせていく。
やがて、マリエル以外にガチャに挑戦する者がいなくなる。資金がなくなった、目当ての物が手に入った、今日は運がないと見切りをつけた――理由は人それぞれだ。マリエルにとっては順番を待たずに引くことができるチャンス。
だが、彼女の手は滞っていた。まだ資金は残されている。しかし、これまでに消えていった資金の総額が大きすぎて、心が折れかけていたのだ。
(もう、もうこれ以上はやばい……けど、次であの盾が出るかもしれない。
そう思うと止められない……!)
ギャンブルの熱は冷めにくく、しかし時に急激に冷めることがある。
投じた額があまりにも大きくなりすぎた時だ。
人によってはそこからさらに加熱して勝負に挑む者もいるが、賭博の経験が浅いマリエルにとって、今日一日で投じた大金は彼女を恐怖させるに足る金額であった。
(ここで止めれば今までの投資が無駄になる……!
けれどここで止めなければどこまで貯金を失うことになるか……!)
熱くなっている時は「どうせ使う予定のなかった金だ」とか「ここまで負け続けたのだから、次は勝ち続けるかもしれない」と自分に言い聞かせて、賭博の崖に身を躍らせることができた。
しかし心が冷めてくれば、待っているのは谷底で向かう途中で岩肌にしがみ付き、遥か彼方に遠のいた地上を見上げている自分の姿。
谷底に向かえば、秘宝が手に入るかもしれない。しかし何も手に入らずに、何もかもを失うかもしれない。
今なら宝を諦めて、崖を登り始めれば時間はかかっても失った金貨を取り戻せるかもしれない。しかし谷底に眠る宝は、他の誰かの手の内に納まることになる。最早進むことも戻ることも決断を要する状況に追い込まれた彼女に、一人の男性が声を掛けた。
「なあ、あんた。回さないなら交代してくれないか?」
我に返ったマリエルが振り向くと、一人の男性が立っていた。
男の手にはコインケースがあり、その中には膨大な量のコインが注ぎ込まれている。その男の姿に、ガチャの周囲で野次馬をしていた客達がざわついた。
「ア、アクトだ……ガチャ狂いのアクトだ……!」
「ガチャ廃人ランクSSSのアクト……この更新時間ぎりぎりまで狙いを絞っていたというのか!」
「うむむ、現れおったな妖怪ガチャ回し!」
「お前ら好き勝手言いやがって……!」
アクトと呼ばれた男は、周囲の野次馬を睨みはするものの、手を出しにいくような様子はなかった。
やがて野次馬は無視することにしたのか、アクトはマリエルに改めて声を掛ける。
「それで、回すのか? それとも俺が回していいのか?」
順番待ちの人物がいる場合は1人1回で交代というルールがある以上、アクトの要求は正当なものだ。むしろ、あと1回は待つというだけ誠実な対応である。
マリエルは未だガチャを続けるか否か決断ができず、しかし規則は守らねばとガチャの前から立ち退いた。他に順番を待つ人物がいないのを見て、アクトの後ろに並ぶ。
アクトはさっそくコインを投入口に投じると、ためらいなくレバーを引く。
光は白で止まり、ノーマルのアイテムであるポーションが排出された。しかしアクトはまるで動揺する素振りも見せない。
「……次、あんたが回すか? だったら交代するが」
順番が回ってくるのが早すぎて、マリエルは考えを纏める猶予も与えられなかった。
続けるべきか、諦めるべきか――ぐるぐると回って結論の出ない問いに焦り、思わずマリエルは叫ぶ。
「くっ、回せ!」
「そうかい。なら回したくなったら声を掛けてくれ。
それまでは連続で回させてもらう」
アクトはそれだけ伝えると、次のコインを放り込む。
男は宣言通り、立て続けにガチャを回し始めた。目当ての物以外はどうでもいいとばかりに、スーパーレアどころかハイパーレアが当選しても、内容も確認せずに次のコインを投じてレバーを動かしている。
魔法陣の上に景品が残った状態でガチャが回されると、自動的に景品置き場のスペースへと転移されるようだ。ガチャの脇に設置されたスペースへと、数々の景品が積み上がっていく。
景品の山が築かれる程に男の資金は減っているのだろうに、まるで気にも留めずにアクトという男はガチャを引き続けていく。
しかし、出ない。最高位であるウルトラレアはそれでも、出現する気配がなかった。
(こ、ここまで出ないものなのか……?
私は、このような分の悪い賭けに貯金を費やしていたのか……?)
自分がガチャを回している時には気付かなかったが、その姿は他人として眺めるのは恐怖すら感じるものだった。
どうやら男の持つコインは1枚で1回ガチャを回せる仕様らしいが、既に投じられたコインは数え切れない程。金額に換算したならば、数百万は余裕で超えているだろう。しかし男には気負った様子も何もない。この程度では動揺することもないというのだろうか。
やがて、景品置き場がパンクしそうになってきた頃に、変化は訪れた。
立て続けに変化した魔法陣の光は、黄金から虹色へと至る――ウルトラレア当選の証だ。
「来た……! 幾千もの希望を飲み込んできた魔物め……!
吐き出せ、貴様が奪い去った希望を、俺に引き渡せ……!」
静かにガチャを回し続けてきた男も、ようやく訪れた歓喜の瞬間に叫び出す。
どうやら感情の吐露は押し留めていただけで、沈黙しながらも心の中ではいくつもの感情が渦巻いていたらしい。
七色の光は収束を始めて、男の目の前でひとつのアイテムへと変わる。
それは、小さな宝石箱に収められたペンダントであった。ネックレスペンダントの類なのであろうか、ペンダントには淡い輝きを放つ虹水晶が台座にはめ込まれていた。可愛らしい装飾のアクセサリーは男性が身に着けるには不似合いに思えるが、アクトは「狙い通りだ!」と喜びを露にしていた。
「オーナーさんよ。このペンダント、プレゼント用にラッピングしてもらえるか?」
「はい、承ります。彼女へのプレゼントですか?」
「いや、以前世話になった女に礼をしようと思ってな。
別に付き合っちゃいねえよ、歳も離れてるしな」
アクトという男は、せっかく引き当てた幸運を他人に贈るという。
下手をすれば億という高額に達するウルトラレアのアイテムを、恋人でもない他人にあっさりと譲り渡す――あまりの気前の良さに、マリエルは唖然とした。
「さて、それじゃあな。あんたも幸運が掴めるといいな」
男は来た時と同じく、マリエルに短く言葉を投げると、さっさと歩いていった。プレゼントを包んでもらうために、オーナーと呼んだ少女の元へと向かっていったのだ。残された景品の山は、カジノの従業員達がせっせと整理を始めている。後で男に引き渡されるのだろう。
「……あと、あと一度だけ……」
目の前で幸運を引き当てた男の熱に当てられて、マリエルは再びガチャへと向かう。あと一度だけ、が本当に一度だけで済ませられる保証などないが、それでも引かずにはいられなかったのだ。
諦めなければ幸運は訪れるのだと、目の前で見せ付けられたのだから。
金貨の詰まった革袋を鞄から取り出して、中身を投入口へと投じる。そして意を決してレバーを引く。すると――魔法陣の光はあっという間に黄金へと到達したかと思うと、一呼吸の後に虹色へと変わった。
あまりにもあっさりすぎるウルトラレアの当選に、「は、へ?」と間の抜けた言葉を漏らす。そして収束して消えていく虹色の光の中からは、夢にまでみた『戦乙女の聖盾』が姿を現した。
「……お、おおお! うおおおおおおお! やったあああああ!!」
喜びの余り、子供のように歓声を上げるマリエル。
久しく感じていなかった歓喜は、魂を震わせる程に激しく強い特上のものであった。思わず魔法陣に駆け寄って、自らが引き当てた『戦乙女の聖盾』を抱き締める。
周囲の目を気にする余裕などない。喜びのあまり涙を零しながら、マリエルは感情のままに叫んでいた。
「やった、やったんだ……これでこの盾は私の物、私の物なんだ……!」
「――マリエルよ」
そんな彼女に、一人の男性が声を掛ける。
マリエルの上司である、騎士団隊長のマイトの声だ。
彼女は慌てて涙を拭いて、マイトの方へと向き直る。
「こ、これは隊長。このような場所で奇遇ですね」
「……ここで、何をしていた?」
「ああ、その。これはガチャという遊戯でして、素晴らしい盾があったので慣れない賭博の末に、ようやく入手したところです」
「そうか、そうか……つまり遊んでいた、ということだな」
そこでマリエルはようやく、マイトが怒気を纏っていることに気付く。
先程までは『戦乙女の聖盾』を引き当てた幸福感に包まれて、マイトの様子に気付いていなかったのだ。
どうかしたのだろうか、と疑問に感じるマリエルに、マイトは静かな、しかし怒りを滲ませた声で語り始める。
「お前は……今日の夜間警備の任務を放り出して、賭博に興じていたというのだな」
「……え、夜間、警備……?」
何のことだろうかと思い返して――数日前に、おぼろげながら聞いていた会話の内容が、今更になって脳裏に蘇る。
『月末の夜間勤務だが……担当の者が怪我をしてな。シフトの変更を頼みたい』と、記憶の中のマイトは確かに語っていた。
だらだらと嫌な汗が流れていく。しかしもう遅い。頼まれていた夜間勤務の時間はとっくに過ぎているのだから。
「先日のミーティングで伝えて、お前は了解だと確かに言ったよな……? その後、念のためにと夜間警備に関する資料も渡したはずだよな……?」
確かに、封筒を受け取った。中身にさっと目を通して、定例的な報告の類だと思い込んでしっかり確認せずに、そのまま部屋に置きっぱなしだ。
『戦乙女の聖盾』のことで頭がいっぱいで、そちらのことばかり考えてしまっていた。
最早、後悔しても遅いことは……子供にさえ分かるくらい、はっきりとしている。
「マリエル。お前は少々頭脳や他人への気遣いが足りていないが、戦闘能力はダントツだ。
だからあえて副団長の座に置くことで気遣いを学び、より成長してくれればと期待もしていた。
しかし、職務を放棄して遊んでいたとなればどうなるか、それは言わなくても分かるよな……!」
その後の顛末は、深く語るまでもない。
マリエルの名はその日のうちに騎士団から抹消されることになり、彼女は職を失うことになる。
本当の理由は隠して『マリエルの一身上の都合による退職』だとしてもらえるだけでも、温情のある結果だった。
あくまで、王都騎士団の名を傷つけぬための処置ではあるが。
〇
マリエルが騎士団から除籍された翌日。彼女はあてもなく城下町を歩いていた。これまで騎士道一筋に生きてきたために、その騎士団から追い出されたとなると、最早何をしていいのか分からなかったのだ。
今も手元にある『戦乙女の聖盾』を売り払えば、生活していくのには困らない。しかし騎士の職を失ってまで手に入れた盾を売り払うのは、ためらってしまう。
どうしたものかと彷徨い歩いていた彼女は、ふと立ち寄った本屋に並ぶ書籍の中に、やけに目立つように山積みにされた冒険記を見つける。
塔の如く積み重ねられた書籍と同一の物を隅から手に取って、少し読んでみる。そこには、彼女がかつて騎士に憧れた時のような、心躍る物語が書き記されていた。実在の冒険者の実体験をモデルにしたというその書籍は、読みやすい文章でありながら手に汗握るような素晴らしい冒険譚であった。
じっくりと読んでみたくなった彼女はそれを買い取り、公園のベンチでじっくりと読みふける。昼食を食べることも忘れて読み終えたマリエルは、物語の余韻にしばらく浸った後、呟いた。
「そうだ、冒険者になろう」
彼女は、真面目に一途であると同時に、とても単純な思考をしていた。
騎士に憧れたから騎士団を目指して、その憧れだけを原動力に厳しい訓練を乗り越えて、栄えある王都騎士団に入隊を許可された程に。
こうと決めたのならどこまでも一直線に突っ走る――所謂馬鹿正直と言われる類の人間であった。
「心躍る冒険に、数々の出会い、そして人々を守るための戦い……うん、悪くない。むしろ良いな、それ。
冒険者としてなら流浪の騎士と名乗れなくもなさそうだな……うん、我ながらカッコいいじゃないか、流浪の騎士!
そうと決まれば冒険者ギルドに登録だな、そしていつかはこんな冒険記を書かれるような冒険者……いや、流浪の騎士に!」
既に彼女の中には、新たな目指すべき目標が広がっていた。
現実はそこまで甘いものではないことを薄々感じていたとしても、彼女にはそれを跳ね除けて、憧れの空想すら飛び越える程の活力がある。
夢を阻む障害があれば打ち砕き、理想を信じて突き進めるだけの能力と意思が、彼女にはある。
マリエルには最早、職を失った絶望はない。新たな門出にわくわくすらしていた。
「よし、やるぞ! 私の冒険記はここから始まるのだ……流浪の騎士マリエルの輝かしき冒険記が!」
気合の入った声で、マリエルは己の行く末を天に誓うかのように声を張り上げる。
そして、通りがかった親子から「ママー、あのお姉さんどうしたのかな?」「シッ、見てはいけません!」と言われていることにも気付かずに、冒険者ギルドを目指して全速力で駆け出してくのであった。
世界は今日も回り続ける。
騎士が職を失い、新たな道に踏み出そうとも、変わらず回り続ける。
どのような道であろうと己の意思で進めと見守るように、静かに回り続けている。
来週というか2日後にはモ〇ハンXに集中したいので、この話が来週分ということでお願いします(土下座)。
勤務中にスマホゲームをしていて懲戒処分、という話などをニュースで聞いていたのを参考にしてみました。ギャンブルには勝ったけど……みたいなお話です。
最初は女騎士に「くっ、回せ!」と言わせたいだけだったはずなのに何故こうなったのでしょう(汗)
そしてアクトさんが主人公よりも出演させやすくて出しまくった結果、なんだか着々と無自覚鈍感系ハーレム主人公みたいな立場の足場固めが進んでいるような気がします(汗) そういう展開にするかはともかく、どんどんアクトさんの主人公化が進んで最早作者にも止められそうにありません(汗)




