06
「……僕が目指した生活って、こんなのだったっけ」
住み慣れてきた高級宿の一室で、レンは枕に顔を埋めながら呟く。
数ヶ月前のあの日。カジノのガチャで何連続もの当たりを引き続けて、レンの生活は一変した。
豪華な食事にふかふかのベット。以前までの悲惨な生活からは程遠い、安楽な日々。
レンにはかつて、戦う力もなく、養ってくれる親族もいなかった。孤児院を卒業してからはなんとか日銭を稼ぐためにと冒険者になったが、モンスターの襲撃に怯えながら薬草採取の依頼をこなして飢えを凌ぐのが精一杯。それが、レンという少年だった。
アクトとアメリアという二人組みの冒険者に拾われたことで、荷物持ちや雑用係として幾分マシな稼ぎを得られるようになったものの、二人からの扱いはひどいものだった。
とはいえ、それでもレンは運が良い方だ。身寄りも後ろ盾も、実力すらない新人冒険者なんて、モンスターの餌食となり物言わぬ屍となるのが関の山なのだから。
自分は所詮、戦える冒険者に寄生して養ってもらっている身。だから装備を新調する余裕はないのは仕方ない。寄生だ役立たずだと罵られるのも当然だ――自分にそう言い聞かせて、いつかまともな装備を手に入れるためにとこつこつ貯金を溜め込んだ。
だが、あの日。アクトに無理矢理ガチャを引かされて、その結果夢にも思わないような幸運を手に入れた。
高性能な装備品の数々に、数えるのも億劫な程に大量の金銭。さらにはレベルアップカードというウルトラレアアイテムによって、強大な力まで手中に収めた。
間違いなく幸運であり、満たされた生活を送れることは約束されたも当然だ。
それなのに、レンは何とも言えない虚無感に捕らわれていた。
人生を賭けて、いつかは達成したいと思っていた願い事。その全てが、たった一度の賭博で叶ってしまった。
願いを叶えた先のことを考える余裕もなかったレンにとって、それは目標が失われたことになる。
「これから、どうしたらいいんだろう」
この数ヶ月、レンは高級宿に泊まって、おいしいご飯を毎日食べて、労働から解放された日々を送ってきた。
最初こそ、寄生冒険者としての生活からの開放感や、味わったことがない幸福感に心満たされていた。
けれど、どのような幸せも毎日続いたのなら日常となり、その味わいに喜ぶ気持ちも薄れてしまう。
何をする必要もない人生―― それは、何にも必要とされない人生。
自分がかつて、無力に嘆きながらも目指したのは本当にこんな生活だったのだろうかと、レンは思い悩む。
答えを返してくれる人はいない。天涯孤独の身の上で、唯一相手をしてくれていたアクトとアメリアの元からは、自分から離れたのだから。
最も、今もあの二人の傍にいたのなら、引き当てた幸運を毟り取られて再び寄生者としての日々に戻っていたかもしれないのだが。
「……仕事、してみようかな」
高レベル冒険者としての力を手に入れてから、しかしレンは一度も冒険者ギルドに出向いていなかった。
手に入れた富を使って、今まで出来なかったことをするのに夢中で、働こうとは思えなかったのだ。
しかし、どれだけ遊んで暮らせても、心が満たされていない日々は最早苦痛となっていた。
「簡単なクエストでいいんだ。薬草採取でも……こ、怖いけど、初級モンスターの討伐なら大丈夫、だよね……」
部屋着から冒険者として活動するための防具に着替えて、武器を腰に備え付ける。
久々に身に付ける、駆け出しには過剰すぎる高性能な装備品に気後れしながらも、レンは冒険者ギルドに向かうために部屋の外へと歩み出た。
〇
「いらっしゃいませ、ようこそ冒険者ギルドへ!」
「あ、あの……この依頼、受けたいんです」
掲示板から剥がした薬草採取とモンスター討伐の依頼書を、レンは恐る恐る提出した。
討伐対象のモンスターは、駆け出しでも十分に倒せる弱い相手だ。この敵を倒せないなら冒険者になるのは諦めた方が良いと言われる程の、駆け出しにとって登竜門として語られるモンスター。
しかしレンは、自分でそのモンスターと戦ったことはなかった。戦闘を極力避けて、薬草だけを採取していたからだ。
「はい、こちら2件ですね! ……うんうん、やっぱり普通はこれくらいよね。一日で平均100件越えとか、普通じゃないよね。
一日50件で切り上げてるのを見て『あれ、今日は少ない。体調悪いのかな』と思うなんて、感覚がおかしくなっちゃってるよね……」
「あ、あの……?」
遠い目をしながらぶつぶつと独り言を呟き始めた受付嬢に、レンは不安そうに問いかける。
別に急いではいないのだが、手続きを放置されては動くに動けないのだから、困ってしまう。
「……あっ、ごめんなさい! すぐ手続きしますね!」
レンの声に我に返ったのか、受付嬢は慌てて依頼手続きを始めた。
いざ手続きを始めると、受付嬢は慣れた様子で依頼書の確認と確認証明の判子を押して、あっという間に作業を終わらせる。
名札には新人職員だということを示すマークがつけてあるのに、受付業務に熟練しているような手際の良さに驚かされた。
手元に残像すら見える早業で受付作業をするなんて、とても新人には思えなかった。
「お待たせしました、受付完了です!」
「あ、ありがとうございます……受付業務、慣れてるんですね」
「え? あ、お褒めいただきありがとうございます。……ちょっとこなしてる数が尋常ではなくて」
再び遠い目になる受付嬢の様子に、レンはこれ以上余計なことを言ってしまう前に退散することにした。
街門を抜けて街の外に出る。少し歩けば、数ヶ月前は頻繁に足を運んでいた草原地帯が広がっている。
さっそく薬草を探し始めたレンだったが、ふと違和感を覚える。辺りを見渡してみれば、すぐにその正体に気付いた。
(冒険者の人達が、すごく多い……?)
数ヶ月前と比べて、草原地帯には大勢の冒険者達が闊歩していたのだ。
それぞれが思い思いに、依頼対象になるようなモンスターを狩ったり、薬草の採取を行っている。
確かにこの草原は街から程近く、生息している魔物も弱いためにそこそこの駆け出し冒険者が集う場所だ。
しかし今、レンの前には明らかに駆け出しとは思えない屈強な男や、豪勢な装備に身を包んだ冒険者が活動していた。
もちろん、駆け出しらしき集団も見かける。初心者、中級者、上級者……様々な層の冒険者が集まって、草原地帯は人で溢れかえっていた。
(な、なんでこんなことに? この辺りで出来るクエストって初級クエストばかりで、中級者以上の冒険者には割に合わない仕事ばかりのはずだよね?)
レンの記憶が確かならば、中級者と呼ばれるCクラス以上の冒険者は草原の先にある森の中で活動することが多いはずだ。アクトとアメリアに連れられて、レンも何度か森に踏み入っている。
上級者、Bランクは森の奥地や、その先にある山の中での活動が主らしい。
Aランクに至っては、街の近くに限らず各地で凶暴なモンスターと戦い、貴重な素材を持ち帰るそうだ。さらには魔境と呼ばれる、瘴気の満ちる大陸の探索に挑む者もいるようだが、それはAクラス冒険者の中でもほんの一握りの冒険者だけらしい。
いずれにせよ、中級者以上の冒険者がここまで草原地帯に集うことなんて、レンは見たことがなかった。
「どけどけー! そいつはわしの獲物じゃー!」
「引っ込んでろよロリばばあ! そいつは俺が狩ってガチャチケに変えるんだ!」
言い争う声が聞こえて振り返ると、少し離れた場所でモンスターを追いかけながら叫ぶ2人の冒険者の姿が見えた。
どうやら下級モンスターである兎種モンスター“ホーンラビット”の討伐を巡って、協力するのではなく奪い合っているようだった。
見たところ二人は少なくとも中級以上の冒険者と思わしき装備をしており、そのような冒険者が初級モンスターの討伐を奪い合うなんて聞いたことがない。
しかし現に目の前で事態は起こっており、注意して周囲に目を配れば、そこかしこで似た様な事態は起こっているようだった。
(す、すごい騒ぎだなあ……それにしても、ガチャチケって何のことだろう?)
ガチャ、という単語には覚えがあるが、ガチャチケのことが何なのか、レンには分からなかった。
長らく冒険者稼業と離れていたがために、最近の冒険者事情をまったく把握できていなかったのだ。
「ガ、ガチャ廃人が出たぞ!」
「妖怪じゃ、妖怪ガチャ回しが来たのじゃー!」
再び聞こえた叫び声に振り向くが、声の主達が居る場所が遠すぎて何が起きているのかはよく分からなかった。
何やら凄まじい速さで駆け抜けながらモンスターを狩っているらしき人影がかろうじて見えるだけで、遠距離な上に高速で動き回るその人影の顔はまるで見えない。
その人物が件のガチャ廃人とやらなのだろうけど、正体を確かめる間もなく駆け抜けていってしまった。
遠くで響く騒動の残響を余所に、大多数の冒険者達は各々のクエストに取り組み続けている。
「……あっ。ぼ、ぼくも早く依頼をこなさないと」
まるで何も分からないけど、何かとんでもないことになってるのだけは分かった。
とはいえ何かできるわけもなく、レンも他の冒険者に混じって自分の請け負ったクエストに励むことにした。
〇
レンは装備とレベルのおかげで何の苦もなく討伐を終えることができた。
むしろ、討伐対象のモンスターと薬草を探すことの方が労力を必要としたくらいだ。
何せ周囲にいる冒険者達と探している対象が被っている場合が多い。ようやく見つけたと思った薬草を横から奪われたり、酷い時には自分が最初に攻撃して怯ませたモンスターを別の冒険者が横殴りして、モンスターの死体を回収していった時もある。
どうにか2件の依頼を完了させた時には、既に昼過ぎになってしまっていた。朝から出掛けて、数時間が経過したことになる。
しかし、動き回ってへとへとでも、レンは充足感を感じていた。
(時間はすごくかかった。けど……初めて自分の力でモンスター討伐できたぞ!)
自分では薬草採取しかしたことがなくて、モンスターからは逃げ回っていた。
アクトとアメリアに同行していた時は、モンスターと戦闘することがない後方に控えているばかり。
けれど今日、彼はようやく自らの手で戦うことができた。
その力は運よく手に入れたものでも、自分の『幸運』で掴み取ったものだ。
高性能装備とAランク冒険者以上のレベルで勝ち得た戦果としては、あまりに小さなものかもしれない。
けれどレンにとってその小さな勝利は、かけがえのない初めての勝利だった。
(今日は休んで、また明日から……ちょっとずつでいいんだ。ぼくのペースで、進んでいこう)
自分の手で掴み取った勝利の味を噛み締めて、レンは冒険者ギルドの扉に手を掛ける。
受付にクエスト完了の報告をするためだ。そうして初めての討伐報酬でもらったお金でご飯を食べようと、レンは幾分遅くなった昼食の献立を考えていた。
高いご馳走でなくてもいい。初めてもらった討伐報酬で食べるご飯なら、安価なランチでもきっとおいしいはずだ。
間もなく味わえる至福の瞬間を思いながら、扉を開く。
「お疲れ様ですアクトさん! ……けど午前中で依頼200件は頑張りすぎです!」
「新しい周回方法に慣れてきたんでな。午後からはさらにペースを上げるぜ」
「無理を! しないでと! 言ってるんですけどお!?」
そんなレンの耳に響いたのは、聞き慣れた名前と声だった。
受付嬢とカウンターで言い合っている、小柄な男。
ひどく見慣れた、その男性の後姿は忘れもしない――アクトの背中だ。
「……あ、レン君! お疲れ様、クエスト完了の報告かしら?」
身体の震えをなんとか止めようとしているところに、受付嬢から声を掛けられるレン。
その言葉に、アクトは背後を振り返った。数ヶ月ぶりの、元仲間との再会――しかしそこにあるのは、感動の再会なんてものではなかった。
レンにとっては、ずっと自分を苛めてきた男であり、自身の寄生者として過ごした惨めな時間の象徴でもある。
相対するアクトにとっても、レンという少年は数ヶ月前にたった一度のガチャでありえない幸運を引き当て続けて、自分では遥かに及ばない大当たりを手に入れた忌々しい存在だ。
かつての冒険者稼業の同行者。しかし二人の間にあるのは、奇妙な緊張状態であった。
「……へっ。最近姿を見かけねえから、どこかでくたばったのか引退したのかと思ってたぜ」
先に口を動かしたのはアクトだった。
レンはその言葉に身体をびくりと震わせる。
どれほどの装備に身を守られて、身体に高レベルの恩恵を宿していても、少年の心は未だ弱いまま、変わってはいなかったのだ。
「ま……また、ぼくの引き当てた景品をよこせっていうんですか……?」
「あー、まあ、確かにそんなこと言ったがよ。もういらねえわ」
「……えっ?」
てっきり以前のように、ガチャで引き当てた景品や金銭を渡すように脅されると思っていたレンは、アクトの返答に驚いた。
レンの知るアクトという男なら、再会した時にはもっと乱暴に、あの日の成果を奪い取ろうとすると考えていたからだ。
「てめえの装備、あの時のハイパーレアの景品だろ? ……俺はもう、ウルトラレアを2つも手に入れたからな、そんな装備いらねえんだよ」
そう言ってアクトは、腰に備えた双剣の鞘と、足元の靴を見せ付けるようにして、にやりと笑みを浮かべた。
「どうだあ? うらやましいだろお? 双剣『風神・雷神』に魔法の靴『ライトニングシューズ』……どっちもウルトラレアだ!
てめえの引き当てたハイパーレアの装備一式なんてなあ、俺の足元にも及ばないんだぜ!」
「……靴だけにですか?」
「嬢ちゃん変な茶々入れるの勘弁してくれませんかね?」
興が削がれたように、アクトはレンの前から一歩下がる。
しかしまだ言いたいことがあるのか、レンに指を突きつけてアクトは声を大にした。
「だが、ここで手を緩める俺じゃねえ! てめえの幸運は計り知れねえんだ……!
二度とてめえが追いつけねえくらい、でっけえ幸運を掴みまくって引き離してやるぜ!」
言うが早いか、アクトは素早い身のこなしで冒険者ギルドを飛び出していく。
「今月のウルトラレアも、俺のものだあ!」
そのような言葉を残して去っていくアクト。
どうやらギルド内では見慣れた光景だったらしく、周囲にいる人々は「やれやれ、またか」とでも言いたげな表情で各々の日常に戻っていった。
「ええと、その。ひとまず、クエスト完了報告しましょうか」
「……はい」
数ヶ月前とどこか変わったアクトに怯えたらいいのか、それとも戸惑えばいいのか。
自分でも分からなくて、レンはとりあえず受付嬢に促されるままに、達成したクエストの報告を行った。
〇
(ここに来るのも、久しぶりだな……)
数日後。レンは数ヶ月前に自分の人生を変えたカジノにやってきていた。
久々の冒険者ギルドで、クエスト達成者に送られるガチャチケットの説明を受けて「貰い物でまた引けるなら……」と、ガチャチケットを5枚集めてやってきたのだ。
以前アクト達に連れて来られた時は何をさせられるのか気が気でなくて周囲を見渡す余裕はなかったが、落ち着いて周囲を見渡せばこのカジノには様々な人々が集まっているのが分かる。
ガチャに挑む人ばかりではなく、カジノ側の様々なゲームで一喜一憂している客の方が多いようだ。
近場のスロットマシンの遊戯台を見てみれば、いかにも裕福そうな服装をした男が血走った目でボタンを押している横で、みずぼらしい風貌の男が大当たりを引き当てて、台から溢れ出してくる大量のコインに歓喜の声を上げる。
裕福そうな男が隣の好調と自分の不調に不機嫌を露にするものの、だからといって他人に手を出すようなことはなく、力強く握り締められた拳は次のゲームを始めるためにとレバーを叩いていた。
(ええっと、ガチャチケットは受付でコインに変えてもらうんだよね)
ギルドで聞いた話を思い出しながら、レンは受付に向かう。
そこには、以前カジノに訪れた際にも受付で仕事をしていた少女が微笑みを浮かべて立っていた。
何でも彼女は、このカジノのオーナーであるらしい。
「いらっしゃいませ! お久しぶりですね、レン様!」
「あ、ぼくの名前……覚えていてくれたんですか?」
「それはもう! 何せレン様はミラクルラッキーボーイですから!
今でも語り草になってますよ、あの連続フィーバー!」
「そ、そうですか? なんだか照れます……」
カジノ側にとっては損失であるはずの出来事なのに、オーナーの少女は笑顔でレンの幸運を讃えていた。
社交辞令が含まれた祝福の言葉であり、内心ではどう思っているのかは分からない。
けれど、人から褒められた経験のなかったレンにとって、オーナーの言葉はとても嬉しいものだった。
「それで、今日はどうされましたか? ガチャチケットの交換でしょうか?」
「あ、はい。これ、お願いします」
クエストを5件達成したことで得た、ガチャチケット5枚。それがオーナーの手で一枚のコインに交換される。
その一枚が1万G分の価値を有しているのかと思うと、たった一枚のコインなのに重く感じられた。
「な、なあ、あんた。そのガチャコイン、8000Gで売ってくれねえか?」
唐突に掛けられた声に驚いて、慌ててレンは振り返る。
そこには先程スロットを回していたみずぼらしい男が立っていた。
面識のない相手にいきなり声を掛けられて不安になるレンに、男は慌てた様子であたふたと弁解する。
「あ、ああ悪いな、急に声を掛けて。必死だったもんでつい焦っちまった。
俺の名前はフォウルってんだが、ガチャを回す金がもう無くてな……ぎりぎり、有り金かき集めて8000Gなんだ。これでコインを売ってくれねえか?」
「え、えっと……そもそも、コインって売ってもいいんですか?」
「はい、お客様同士で納得して取引されるなら構いません!
ちなみに相場はガチャの様子次第で5000から7000くらいまで変動しますね。
なので、フォウル様の提示された額はガチャコイン販売においては相場より高額です!」
「次は、次こそは当たる気がするんだ! だけど早くしないと、あいつに先を越されちまう!」
フォウルに言われてガチャの方を見ると、裕福そうな服を着た男がガチャを回していた。
先程フォウルの隣でガチャを回していた男だ。二人ともスロットマシンの遊戯を切り上げて、ガチャに挑んでいる最中らしい。
「スロの勝ちはもう飲まれちまった……けど景品総量は低くなってるし、当選確率は高いはずなんだ!
だからたのんます! どうかコインを売ってくだせえ! お願いします!」
深く頭を下げるフォウル。放っておけば土下座でもしそうな様子だった。
男の必死な様子を見て戸惑いながら、レンはフォウルの言葉に驚いていた。
(あのスロットの勝ちメダルが、一瞬で無くなった……? ガチャって、そんなに当たらないものなの?)
レン自身は最初の1回で大当たりを引き当て続けたために、ガチャが金を飲み干す速度というものを実感していない。
だがフォウルの様子は真剣そのもので、第一相場より高額の買取額を提示するために嘘をつくはずもない。
しばらく迷ったレンだったが、引けるかどうか分からない大当たりよりも確実に8000Gをもらえる方が得だと思って、売ることを決意した。
「わ、分かりました。売りますから、頭を上げてください」
「本当か!? よ、よし! 商談成立だな!」
コインと金貨袋の交換が終わると、フォウルはさっそくガチャの前へと走っていった。
あまりに必死な様子に唖然としているレンに、オーナーの少女が声を掛ける。
「レン様。よければそちらの金貨袋、8000Gに足りているかどうか機械で計算いたしましょうか?」
「え? あ、そっか……今のぼく、詐欺に合ってる可能性もあったんですね」
「そうですね。あまり人を疑うのは良くないですが、物が大金ですからね。念には念を入れてよろしいかと」
「じゃ、じゃあ計算の方、お願いします」
「承りました!」
レンから受け取った金貨袋の中身を、オーナーはカウンターにある機械の中に投じていく。
ガチャガチャ、と音を立てながら機械が動き始めて、しばらくすると小型のモニターに8000という数字が浮かび上がった。
「はい、確かに8000Gありますね、確認終了です!」
「ど、どうも……」
再び機械から排出された金貨を袋に納めて、オーナーはレンに金貨袋を返却する。
レンがそれを受け取る、まさにその瞬間だった。
「う、うおおおお!? きた、きたきたきたあー! ハイパーレアの宝箱だああああ!」
ガチャの方向から、凄まじい雄叫びが響く。
見れば、フォウルが魔法陣に駆け寄って、ガチャの景品である宝箱に飛びついていた。
「うへへ……な、なあオーナー! ハイパーレアの宝箱って確か中身は……」
「はい、ちょうど100万Gになっております!」
「――いよっしゃああああ!! これで借金返せるぜえええ!」
歓喜に打ち震えて吼えるフォウルの後ろで、裕福そうな服装の男がわなわなと身体を震わせていた。
「ええい、引き終わったならさっさと退け!」
「おおっと、こいつは失礼しましたね旦那。へ、へへへ」
大当たりを引き当てた余裕からだろうか。へらへらと笑いながらフォウルは宝箱を運んで立ち去る。
このカジノの宝箱にはキャスターと呼ばれる小さな車輪がつけられており、床の上を押して楽に運べるためにできることだ。
「あのような男が、わしより幸運のはずがない……! わしは必ずウルトラレアを引き当ててやるぞ!」
裕福そうな男は、先程よりもさらに血走った目で魔法陣を睨みつけながら、投入口に金貨を放り込み始めた。
その男性の資金がどの程度なのかは分からない。しかしただでさえカジノで大敗している様子だったのに、ガチャにまで挑む余裕があるのだろうか。
最も、面識もない他人に忠告する義理はなく、知らない人に話しかける勇気がそもそもないレンにとっては、その男性が後で後悔したとしても所詮は他人事だった。
「よう、あんた! おかげで大当たりが引けたぜ、サンキューな!」
意気揚々と宝箱を運んできたフォウルは、レンに握手を求めるように手を差し出す。
反射的に出したレンの手を力強く握って、フォウルは満面の笑みを浮かべている。
「いやあ、追い込まれてからの奇跡の大逆転! これがあるからギャンブルは止められねえよなあ!」
「あ、あはは……良かったですね、大当たりが引けて」
「あんたのおかげだぜ! ええっと、レンだったか? この恩は忘れねえ!」
「恩だなんて、ぼくはコインを売っただけですから」
謙遜の言葉を返しながらも、レンは喜びを感じていた。
自分がしたことを他人に喜んでもらえる。それは、とても嬉しいものだった。
特に交流があるわけでもなく、これからも交流が続くか分からない。そんな赤の他人が相手でも、人との繋がりを感じられることがこんなに嬉しいだなんて、思わなかった。
「じゃあ、とりあえず借金返してくるわ!」
「うふふ、フォウル様。よければ当店の従業員に送迎させますよ」
「お、まじですかオーナー! ここのバニーちゃん達、みんな見た目良いから楽しみですよ!」
「さすがに街中にバニー姿で出向かせるのはご勘弁くださいね。
それに……散々見下してきた金貸しさんに、メイドを連れて大金を見せびらかす方が、きっと愉快になれると思いますよ」
「お? ……おお、おおお! たしかにそれ、いい! なんか大物っぽい感じが楽しめる!」
「ご満足いただけたところで……マリーさん。くれぐれも送迎の方、よろしくお願いします」
「はい、畏まりました」
どこからともなく現れたメイド服の女性を伴って、フォウルと名乗った男は店の外へと歩いていった。
カジノから借り受けた台車に宝箱を乗せて、女性を同伴して歩いていくその男性には、最早幸福しか溢れていない。
一方、ガチャに挑み続けていた男性は――。
「……あ、ああああ!? そんな、仕入れの金にまで手をつけたのだぞ!?
何故、ウルトラどころかハイパーも当たらぬのだああ!?」
どうやら、負けてしまったらしい。
仕入れの金、ということは商人だったのだろうか。
金こそが命の商人にとって、相当な痛手を負ったことは想像に難くない。
しかしそこまで負けたのなら、さすがにもう止めるだろう。金はまた稼げばいつかは取り戻せるのだから。
そう、レンは考えていたのだが。
「……くそ、くそお! ここまで来て退けるものか……!
いずれは大商人になる男、ロクスを舐めるな!」
商人らしき男は、さらに鞄から金貨袋を取り出していた。
完全に捨て鉢の様子で、空になった金貨袋を放り捨てる勢いで金貨をガチャに投じていく。
自らをロクスと名乗った男性が正気を失っていることは明らかだった。
(も、もう資金は限界なんだよね……? なのに、まだ勝負を止めないの!?)
レンにとって、その光景は最早恐怖だった。
まるで身を焼かれているかのように苦悶の声を漏らしながら、これ以上進めば破滅へと転げ落ちると理解しながら。
それでも、男が金貨を投じる手は止まることはない。
「ここで止めれば、今まで失った金が全て無駄になる――耐えられるか、そんなこと!」
ガチャリ、ガチャリ――ロクスがレバーを動かす度に、金貨が飲み干されていく。
傍から見ているだけのレンですら、足元が揺らぐような恐怖が感じられた。
最早レバーが引かれる音が、ロクスという男の人生が沈んでいく音に聞こえる。
「あ、ああああ! これで、これで最後だああああ!」
ガチャリ――ロクスの叫び声と共に、引き金が引かれる。
起動した魔法陣の光は、だんだんと変化していき――眩い黄金の光へと、辿り着いた。
それは、ハイパーレアの当選を約束する祝福の光。
言葉にならない声で叫ぶロクスの目の前で、黄金の輝きの中から、宝箱が姿を現した。
「100万……! 100万G……! お、おおお……!」
ふらふらと宝箱に歩み寄ったロクスが、蓋を開いて中身を改めた。
そこには確かに金貨が詰められていた。彼は金貨を掬い上げて、その感触を確かめている。
(よ、良かった……元々あの人がいくら持っていたのか分からないけど、100万Gもあれば、十分だよね……?)
他人事でしかないのに、我が事のようにほっと胸を撫で下ろすレン。
自分のように、たった一度のガチャであのような大当たりを引き続けるなんていうのは本当に幸運なことで、自分は幸せ者なのだとようやく理解できた。
名前も知らない商人の男性が、ぎりぎりとはいえ幸運を掴み取ったことに、レンは拍手を送ろうとする。
その、レンの目の前で。
「くっ、くっくく……おりゃああ!」
ロクスはあろうことか――宝箱をひっくり返して、その中身全てをコイン投入口に投じたのだ。
当然、中身は零れだすように機械の中へと吸い込まれていく。100万Gもの大金が、だ。
さすがに宝箱こそ投入口の入り口に引っかかっているが、中身は完全に飲み込まれていった。
「え……? え……? なに、してるの……?」
思わず呟いたレンの声は、男には届かない。
ロクス自身の口から、少年の問いかけを掻き消す大声が発せられたからだ。
「さあ、これであと100回引ける……! これでウルトラレアを当てさえすれば、今日の負け分は十分に取り戻せるぞ!」
失われた資金を取り戻したい。買って得をしたい。何よりも、何がなんでも損をしたくない。
損失を回避したいという、人の心にあるその思いは、そう容易くは拭い去れないものだ。
だからこそ人は、目の前に破滅が広がっていると知っても尚、ギャンブルの泥沼に飛び込んでしまう。
レンが見ているのは、まさにその典型であった。
手元にあった資金のことが忘れられない。零れ落ちていった金貨を取り戻したい。今手に入れた幸運を、もっと増やしたい。そして、勝ちたい。
古代、飢え死にたくないという本能が起源となり人の心に刻み込まれたという、損失を避けたいという気持ち。
遥か昔から人類の歴史と共に人々の心の中に受け継がれてきた『損をしたくない』という本能こそが、人を賭博に誘い――破滅させる。
そんな知識は、レンにはない。この世界の住人のほとんどが、気付いてもいないかもしれない。
だが、それでも少年の目の前にあるのは、欲望に溺れて破滅していく人間の末路そのものだ。
「――!」
最早見ていることができずに、レンは出口へと駆け出す。
煌びやかな装飾に、豪華な絨毯。夜でも明るい夢の様な遊技場。
だけど今、レンにはこのカジノが悪魔の巣窟にしか思えなかった。
〇
「やあ、レン君じゃないか!」
あの、悪夢のような夜から数日後。
クエストを終えて冒険者ギルドに向かう途中に、レンは後ろから声を掛けられた。
振り返ると、先日レンがガチャコインを売却した相手であるフォウルが、爽やかな笑顔を浮かべて歩み寄ってくる。
彼の身なりは出会った時とは違い、立派な白のスーツ姿であった。
「フォ、フォウルさん? どうしたんですか、その格好」
「いやー、実は借金を返した後でもう一度カジノに行ったら……もう大爆裂してね、大儲けさ!
おかげで借金の形に取られていた店も買い戻せたから、商人として最奮起することになってね。
まずは見た目から整えようってことで買ってみたんだが、どうだい、このスーツ?」
「え、ええと、その……似合っていると思います」
「あっはっは、ありがとう! 店はすぐそこにあるからさ、開店準備が整ったら招待するよ!
では、すまないけどこれで失礼するよ! 色々と準備しないといけないからね!」
大らかに笑いながら、フォウルはうきうきとした様子で歩き去っていった。
口調も雰囲気も何もかもが変わり、最早別人にしか思えないフォウルの様子に驚き戸惑うレンだったが、彼が幸運に恵まれて借金から解放されたのなら、それは良かったかなと思う。
(けれど、フォウルさん……これからもギャンブルを続けていたら、いつかまた悲惨な目に……)
未だ幼いレンにだって、ギャンブルの怖さは身に染みていた。
他人の賭博を見ているだけであれ程の恐怖を感じるのなら、それが自分の勝負だと思えば、肝が冷える。
自分はもう十分恵まれているのだから、賭博はしないように心掛けようと、レンは強く決心した。
冒険者として少しずつクエストをこなして、ガチャチケットは売ってしまえば確実に儲かるのだから、賭博に挑む意味がない。
どこまでも高みを目指さないのであれば、今の貯蓄だけでもう十分生きていける。無理をする必要はなかった。
心に誓いを立てていた時、ふと後ろからがさごそと物音が聞こえた。
振り返るとそこには、数日前に破滅的な勢いで博打に挑み続けていた商人の男――ロクスの姿があった。
どうやらゴミ箱を漁り、食べ物を探しているようだった。カジノで見かけた時は裕福そうな服装をしていたはずなのに、今はみずぼらしい――ちょうど、以前フォウルが着ていたようなぼろぼろの衣服に身を包んでいた。
服すら売り払って、勝負に挑んだというのだろうか。その光景を見るだけであの日の夜の恐怖が蘇り、レンの身体は震えた。
「こちらにいましたか、ロクス様」
恐怖に震えて俯いていたレンの耳に、少女の声が響く。
レンが顔を上げると、いつの間にかロクスの傍に一人の少女が立っている。カジノのオーナーの姿だった。
自らを破滅させた相手であるオーナーが目の前に現れたことで、ロクスは怒りを露にした。
「き、貴様……貴様のせいで、俺の金が……!」
(っ!? 危ない――!)
少女の首を絞めようというのか。ロクスはオーナーに向かい両手を伸ばす。
多くの人間を賭博に誘い込み、ロクスのように破滅させる存在であろうとも、オーナーはただの少女にしか見えない。
大人の男に暴行を受けたのならただではすまない――助けに入ろうとしたレンの前で、オーナーが動く。
まるで慌てた様子もなく、ただそっと懐から取り出した皮袋を、ロクスに向けて差し出したのだ。
「白金硬貨で、100万G分を収めています。どうぞ、お受け取りください」
突然の事態に、凶行に及ぼうとしていたロクスの動きが止まる。
カジノオーナーの少女のあまりに突飛な行動に戸惑いながらも、彼の手は少女の首ではなく、皮袋へと向かう。
何かの罠ではないかと疑うように緩やかに伸ばされたロクスの掌に、少女は躊躇いも見せず皮袋を乗せた。
100万Gという、人が一生を送るのに十分とすら言える金額が入れられた皮袋を。
「貴方を勧誘したくて探していたのです、ロクス様」
「……勧誘、だと?」
「はい。貴方の商人としての手腕は確かなもの。私は、実力を持ちながらもどこの商団にも属していない、フリーの商人を雇い集めているのです」
「ふん、俺と組む価値のある商人がいなかっただけだ。……俺を、雇おうというのだな?」
ロクスはオーナーを訝しげに見返す。
人を雇うためとはいえ、100万Gをぽんと渡す雇用主など聞いたことがない。
商売に詳しくないレンから見ても、それは異質な行動だった。
しかし、オーナーの少女は100万Gを惜しむ様子などまったくなく、ただ話を先に進めていく。
「その通りです。その100万Gは支度金とお考えください。了承をいただけるのであれば、お手数ですが身支度を整えて当店までお越しいただけますか?」
「く、くくく……甘い、甘いなあオーナー。俺がこの金を持って逃げるとは思わないのか?」
「持ち逃げされたところで罪には問いませんよ。ただ、私に雇われていただけるのなら……持ち逃げしなくてよかったと確信させられるだけの利益をお約束いたしますよ」
100万Gを何の見返りもなく他人に渡しても構わない、と。
そう断言した少女に、ロクスは呆気に取られたように呆けた後、突然笑い始めた。
「……ふ、ふはははは! 面白い……いいだろう、そこまで言うのなら俺の力を貸してやろうではないか!」
「ありがとうございます、ではまた後ほどお会いしましょう……未来の大商人ロクス様」
早足に去っていくロクスを見送ったオーナーは、ふと振り返る。
どうやら今気付いたのだろうか。少女はレンの姿を見て「あら」と小さく呟いた。
「これはレン様。お仕事、お疲れ様です」
「あ、ええと……どうも」
逃げるべきか否か迷っている間にも、オーナーの少女はレンに歩み寄ってくる。
彼女は、多くの人間に賭博をさせて金を巻き上げている、恐ろしい存在に違いない。
しかし、ただ人間を破滅させているのとは違うようにも思えた。
何らかの利益を得るための行いだとしても、100万Gもの大金を一文無しの男に差し出したのは事実。
その大金がきっかけとなり、今にも崩れ落ちそうだったロクスという男が絶望から立ち直ったのも真実。
人間を貶めて破滅させたいだけの人なら、そんな救いの手を差し出すだろうか。それが、どうにも心に引っかかったのだ。
「あ、あの……何故、あんなことを?」
「ロクス様を勧誘したことですか? 未来で儲けるための投資ですよ」
「け、けど。雇えるかも分からないのに100万Gなんて出す必要はなかったんじゃ……」
「……んー、少し長くなりそうですし、座って話しましょうか」
そう言って、オーナーの少女はてくてくと近場のベンチに向かって歩き出す。
レンも慌てて後を追い、促されるままに少女の隣に腰を降ろした。
「どうぞ。エナジーポーション、私からの奢りです」
「え、その……あ、ありがとうございます」
差し出された瓶を受け取り、レンはエナジーポーションを口に運ぶ。
心地よい口触りの味わいが喉を通り過ぎ、クエストで疲れた身体に染み渡っていく。
「率直に言うなら、自殺を防ぐためなんですよ」
少女は淡々と語り始めた。自殺、という物騒な言葉にレンはぎょっとする。
「カジノの利用者が借金苦により自殺した――なんてことになると、客足は少なからず遠のくでしょう。
なので当店の評判を守るために、今回のようなケースではお客様に何かと理由をつけて、支度金と称してお金を渡したりしているんです。
無論、慈善などではなく自分の利益のためですから、ただ渡すのではなく労働者として働いてもらいたいとこですが。
まあ支度金を持ち逃げされたところで、当初の目的である自殺は防げるでしょうから、それでも構わないのです。
要は、先程の行動もまた一種のギャンブルですよ。ロクス様が私の利益となるか、一銭にもならないかというね」
人助けに思えた行動も、結局は金儲けのためだった。そのことを聞いて、レンは残念な思いを抱く。
金の亡者に思えて、実は良い人なのかもしれない。そう思いたかったが、その願いは叶わないらしい。
「……貴方は、どこまでもお金が大事なんですね」
「ええ。私の願いには、お金が必要ですから」
「そこまでして……人を食い物にしてまで叶えたい願いって、何なんですか?」
つい、言葉に棘が出てしまうことを自覚したレンだったが、訂正する気持ちは起こらなかった。
あの夜に起きた悪夢のような光景。それを生み出した存在に、好意を抱けそうにない。
どうせその願いもろくなものではないのだろうと、レンは話の続きを聞きながらも少女から視線を逸らしていた。
「家族を、救いたい。たったそれだけの、どこにでもあるようなありふれた願いですよ」
「……家族?」
レンは、血の繋がった家族のことを知らない。物心ついた頃には、孤児院で暮らしていたからだ。
だからレンにとって家族とは、孤児院で共に育った人々だ。
その人達を救うのに金銭が必要で、それが自力で稼ぐだけでは到底足りないとしたら―― そう考えたのなら、少女のように手段を選ばない金策を行っていたかもしれない。
最も、その孤児院は既に経営難で潰れてしまい、院長先生や皆もどこに行ったのか分からず、金銭を渡しようがないのだが。
けれど、そうなる前に今の金銭が自分の手元にあり、それを渡せたのなら――唯一の居場所を失わずにいられたのかもしれない。
「私は、家族を助けるためならば鬼にも悪魔にもなりましょう。けれど、人を食い殺すつもりなんてありません。
食い殺したら――それ以上、搾り取れませんから。だから、お客様には生きてもらわなければ困るのです。
そのためならば一時の出費なんて、大したことはありません。優秀な従業員が増えるのなら、喜ばしいことですしね」
レンは、自分に置き換えて想像してみる。
お金さえあれば助けられる孤児院の人々。そしてお金を稼げるのは自分だけ。
普通の手段で稼げる金額では、助けることが叶わないとして、普通ではない手段に手を染めれば、なんとか必要な金額を稼げるのだとすれば。
自分は、他人を食い物にする悪魔にならずにいられるだろうか。
悪魔にならずに、孤児院の人々を見捨てたことを、一生後悔しないと言えるだろうか。
どれだけ想像してもそれは仮定の話でしかなく、現実には自分は孤児院が潰れる可能性すら考え付かなかった未熟な子供だ。
けれど、共に生活した家族と居場所が失われると知っていたなら。失わずにすむ方法が自分に選べたとしたら――。
答えは、出ない。レンは自分が臆病者だと自覚している。例え家族のために悪魔になる選択肢が目の前にあったとして、自分は泣き叫ぶだけで何もできないかもしれない。
しかし、目の前の少女が『家族のために悪魔になる道』を選んだだけの普通の人間なのだとしたら。
それは果たして、非道と呼べるのだろうか。
「非道ですよ」
レンの心を見透かしたかのように、少女はそう断言した。
自分のことを悪魔だと語る少女は、微笑みながら、ただ語る。
「自分の家族が助かれば、他人はどうなってもいい。そんな人間が歩む道は、非道に他ならないのです。
どのような理由を並べたところでそれは変わらない。けれど私はこの道を選んだ。それだけのことです」
彼女の独白に、レンは何も言えなくなった。
自分が彼女の立場に立たされた時、悪魔として生きる道を選ばないとは、言えなかったからだ。
どう答えを返すべきか迷うレンを横目に、少女は立ち上がる。
「さて、レン様。そろそろ失礼させていただきますね」
「……あ、う」
「うふふ……貴方の人生に、幸運の光が溢れますように」
少女はそう言って、レンを置いて立ち去っていった。
その後姿が見えなくなるまで見送っていたレンは、空を仰ぎ見る。
カジノオーナーである少女の生き方は、批難されるものなのかもしれない。
けれど少女は、揺ぎ無い意思で己の道を選んで、懸命に生きている。
自分の人生を真剣に選ぶ。それは、レンに欠けているものだった。
何故生きるのかなんて考えもせず、死にたくないから生きてきた。
(だけど、ただ仕方なく生きるのが、ぼくの歩みたい人生ではなかったはずだ……)
少年にはまだ、自分がどう生きたいのかなんて分からない。
そんなすぐに答えが出るのなら、悩むことなんてない。
だけどレンの心には、ひとつの意思が芽生え始めていた。
「……強く、なるんだ」
後悔、したくない。
人生の岐路に立たされた時。選択を強いられた時。何も出来ずに、何も選べずに、ただ流されるままに生きて後悔なんて、したくない。
だから、強くなりたい。
それは冒険者としての強さだけではない。
レンが欲しいものは、数多の冒険者を越える高レベルでも、金銀財宝の山でも、高性能な装備品でも、手に入らないもの。
「強くなるんだ……!」
心の強さ。意思の力。自らの在り方を定めて、それを貫き通せるだけの確固たる精神。
どうすれば手に入るのかなんて分からないけど、レンが今、何よりも欲するのはそれだった。
これが自分なのだと胸を張れる生き方を。選んだ道を歩き続けられる心を。
ガチャを回したって、賭博に勝っても手に入らない。自分で育てるしかない、大切なもの。
自分の心を強く育てたい―― それが、レンという少年が生まれて初めて自分で決めた、人生の目標だった。
「ぼくは、強くなるんだ――!」
青空に思いのたけを解き放つように、レンは心のままに叫ぶ。
澄み渡る青空に、少年が未来に向けた宣言が響き渡っていった。
世界は今日も回り続ける。
悪魔としてほくそ笑む少女も、未来を目指して歩き出した少年も、共に内包して。
世界とガチャ、人の心と運命は、今日も回り続けている。
5000文字くらいの短編くらいの作品を次々投稿して更新速度を稼ぐはずが、3話連続で約15000文字……どうしてこうなったのでしょう(汗)。
今回で、2話に登場した3人組のそれぞれの「その後」を書けたかと思います。
アクト→微課金系。場合によっては重課金も検討。
アメリア→重課金系。デイリークエとか一切せず金で解決。
レン→無課金系。デイリー報酬などは課金者に販売して堅実に稼ぐ。
3人はそれぞれこんな感じで、行動指針がばらけるように意識して書いてみました。当初の予定とはかなり変わっていますが、これはこれでいいかなと思ってます。……主人公がかなり恐ろしい存在になっているのは、完全に想定外ですが(汗)。
最初は「ダンジョンマスターもので、けど人が死なないようなほのぼのしたの書きたいなー」からアイデアを練り始めたはずなのに、何故かほのぼのとは程遠い内容になってますね(白目)。
今回、主人公の行動理由をそれとなくほのめかしてみましたが、いかがでしたでしょうか。共感されやすい目的としては「家族を助けたい」というのはよくあるテンプレかなと思えるのですが、ありきたりすぎたでしょうか(汗)。
こんなに稼いでるのに助けられないの? とかソーマとかのアイテムでなんとかできないの? と言われそうですが、その辺りの理由というか「主人公が今はまだ家族を助けられない理由」についても考えてはいます。今後の連載で少しずつ明かしていけたらな、と思ってます。
……初めはここで明かす予定ではなくて、もうちょい引っ張る予定だったのですが、ここで明かしておかないとレン君の主人公への心証がえらいことになるかと思って予定を早めました。早まったと後悔しないように頑張ります(汗)。
拙い面が多くて更新も遅い作者ですが、たくさんの感想、ご意見をいただけてとても嬉しく思っています! 感想返しも少しずつしていきますので、どうか今後ともよろしくお願いいたします!




