05
アメリアは部屋中に広げた金貨の海に身を委ねて、恍惚の微笑みを浮かべていた。
照明の灯りを反射して輝く黄金の大海原は、アメリアの心を虜にして止まない。
「……路地裏の虫けらだった私が、今では大富豪だなんて……ほんと、夢みたい」
孤児院にも入れずにスラム街で暮らした子供、なんてものは珍しくもなんともない。
そのまま無事に育つことができる者は、多くはなかったが。
アメリアもまたスラムに生まれ育ち、運よく働ける年齢まで生き残れた者の一人だった。汚らしい存在だと蔑まれて、虫けらだと罵られて暴力を振るわれたことなんて数え切れない。そんな自分が、今では貴族にすら勝る大金持ちだなんて、過去の自分が知れば夢物語だと嗤うことだろう。
「うふふ、あっはっはっは!」
金貨を掬い上げ宙にばら撒けば、黄金色の光が乱反射して瞳に焼き付く。
その眩しさがまた堪らずに、アメリアの心は歓喜に打ち震えた。
スラム街で泥を啜り、冒険者として辛酸を舐めて、なんとか日銭を稼いでは飢えを凌いできた。
自分の美貌が男を惹き付けることを理解してからは、男を手玉に取って貢がせながら、寄生虫の如く生きてきた。
しかしそのようなみじめな生活とは無縁の立場へと辿り着いたのだ。これで笑わずにいられる者などいないだろう。
既に数ヶ月前となる、ジャックポット当選を果たした瞬間。自分の人としての生はまさにあの時に始まったのだと、アメリアはそう確信していた。
アメリアは回想する。己の人生が産声を上げた、あの日の出来事を。
〇
VIPルームに案内しますと告げた執事服の男性に連れられて、アメリアはレッドカーペットの上を歩いていた。
ただ赤いだけのカーペットではない。黄金色の糸で細かな刺繍が施された、見るからに高級そうな上物であった。
特別な者だけが歩くことを許される深紅の絨毯を、夢見心地な足取りでアメリアは進む。周囲からは、その様を羨ましそうに眺めるカジノの客達の視線が一身に集う。自分が特別な人間として注目を浴びている。そのことを自覚して、彼女の自尊心は大いに刺激された。
もっと私を見なさい、羨みなさい、嫉妬しなさい――口に出さずとも思いは募り、アメリアは天運を引き当てた自身を誇示するかのように胸を張った。
「アメリア様、こちらへどうぞ」
執事服の男性がアメリアに声を掛ける。我に返った彼女は自分がカジノの中心に聳え立つ柱の前にいることに気付いた。
「……? VIPルームに案内してくださるんじゃないの?」
「ええ、まもなく扉が開きます」
男性の言葉に反応するかのように、甲高いベルの音が鳴ると共に、目の前の柱の側面が左右に開かれた。
柱の中には円形の小部屋になっており、カジノの内装に見劣りしない煌びやかな装飾が施されていた。
「こちら、『エレベーター』で御座います。
お客様をVIPフロアへとお連れいたします」
「エレ、ベーター……?」
「鉱山などで使われる昇降機を、お客様に快適にご利用いただけるように改良した物となります。快適な乗り物でございますよ」
冒険者としての活動の中で、確かに昇降機の類は目にしたことがある。
しかしそれは目の前にあるエレベーターのような豪華なものではなく、せいぜいが鉄板の床に落下防止用の柵を付けた程度のものだ。
少なくとも、柱の中に空洞を造り、昇降機を設置するなど聞いたことがない。
「さあ、どうぞアメリア様。最高のひとときをご用意しております」
開かれた扉の中へと、執事が誘いかける。
未知の世界に踏み入る不安がアメリアの脳裏を過ぎる。
しかし、5億Gもの大金を惜しげもなく支払うカジノが用意する『最高のひととき』というものが、どうしても彼女の心を誘うのだ。
この先には、どのような光景が待っているのだろうか―― それを想像するだけで、不安は鳴りを潜めていた。
「……ええ。ではエスコートをお願いするわ」
意を決したアメリアは、エレベーターに乗り込む。
案内役の執事が同乗すると、扉はゆっくりと閉じられていった。
一瞬の浮遊感。エレベーターは徐々に動き始める――地の底に向かって。
「ねえ、これ地下に向かってるの? 普通、VIPな人達って最上階とかに寝泊りすると思うんだけど」
城に住まう王族にせよ、賢者と謳われる偉人にせよ、身分の高い者は高い場所に住まいを構える、というのが一般的だ。
だからアメリアは、VIPルームに案内される時には最上階か、それに近い高所へと案内されると思っていたのだ。
なのに乗り込んだエレベーターが下降を始めたことで、アメリアは抱いた疑問を執事の男性へと投げかけた。
「ご安心ください。お客様の期待を決して裏切らない素敵な時間をご提供いたします。特別なお客様には、ここでしか味わえない体験をぜひ堪能していただきたい。それがオーナーの方針ですから。時にお客様。高い場所はお嫌いですか?」
「……? 別に、嫌いではないわ」
「そうでしたか。それはよかった」
執事の男性は質問の答えを聞くと、何やら壁のスイッチを操作し始める。
すると壁がまるで硝子になったかのように透き通り、向こう側が見えるようになった。とはいえ、地下に続くトンネルらしき場所を通過中のために、壁に設置された照明の輝き以外には何も見えない。
「それでは、しばらくの間『空の旅』をお楽しみください」
「何を言ってるの? 地下に向かってるのに空の旅なんて――」
執事の言葉にアメリアが呆れたように呟いた、瞬間。
トンネルを抜けたのだろうか。周囲が眩い光に染め上がる。
眩しさのあまり反射的に目を閉じたアメリアが再び目蓋を開いた時―― そこには確かに、空があった。
「な……何これ!?」
硝子の壁に思わず張り付いて外の光景に目を見張る。
とても硝子とは思えない強度の、半透明の壁の向こう側には、驚愕の光景が存在していた。
爽快に晴れ渡る青空。流れている白雲。地上で見上げるものと相違ない青空を、自分が見下ろしている。
その青空の遥か下方には、街並みが広がっている。よく目を凝らしてみれば、そこに生活しているらしき人の姿が微かに見えた。
遥か上空から人々の営みを見下ろす――正に、神の視点。名だたる歴代の王族であろうとも経験したことがないであろう風景が、アメリアの瞳に映し出されていた。
「あちらの街に暮らしているのは、当カジノの従業員達で御座います。この街で教育と経験を積み重ねた後に、正社員として配置されていきます」
「じゅ、従業員達のために、地下を発掘して街をひとつ作ったというの……!?」
「いえ、本来は要人――つまりVIP待遇の方々をお招きするための空間として、オーナー自らが開発されたとのことです」
理由はどうであれ、このカジノのオーナーが尋常ではない財力と労働力を保有していることは想像に難くない。
しかし、どれ程の時間と労力と金銭を費やせばこのようなことができるのかは、まったく見当もつかなかった。
「そ、そもそもこんな大規模に地下を開発するなんて、国王様は許されたの?」
「オーナー曰く、『大抵の許可は金で買えるのです』とのことです」
一体どれ程の資金があれば、そのような力技を押し通せるというのか。
5億Gを手に入れた瞬間は、世界で一番の金持ちにでもなった高揚感を感じたアメリアだったが、上には上がいることを痛感する。
このカジノは、その主であるオーナーのあの少女は、金持ちなどという言葉で括れない、未知数の存在だ。
「まもなく、VIPフロア入場口に到着致します」
執事の言葉に、アメリアは再び硝子の向こうへと視線を向ける。
遥か彼方に思えた街は既に間近に近づいている。
そして、エレベーターが降り立とうとしている場所のすぐ横には、大きな建物が聳え立っていた。
――全てが黄金に染められた、豪華絢爛な城が。
〇
「……はぁ。私、夢でも見てるんじゃないかしら」
案内されたVIPルームのベットに倒れ込み、アメリアは呟く。
ひとまず汗を流そうと向かったバスルームからして、常識を壊しつくされるような未知の世界であった。
コックと呼ばれる部位をひねれば、湯も水もいくらでも流れ出して、それで好きなだけ身を清めてよいというのだから。
冒険者暮らしではせいぜいが濡らしたタオルで身体を拭く程度で、水浴びができれば贅沢な方だ。
貴族は溜めた湯に肩まで浸かると噂には聞いたが、たった今自分が体験したのは、並大抵の貴族でも味わえないような湯浴みではなかろうか。
しかもそれらの湯浴みを、待機している召使の女性達が手伝ってくれるというおまけつき。最初こそ貴族の如き待遇に浮かれていたアメリアだったが、同性であろうとも見知らぬ他人に裸体を触られるのは妙にくすぐったいものなのだと思い知らされることになった。
浴室だけでなく、寝室もまた見たこともないような光景だ。
煌びやかな黄金を纏う外観に反して、VIPフロアという名の城の内装は心を落ち着けるシックな造りが施されていた。
とはいえ質素とは程遠い、壮麗な装飾や調度品の数々が彩る、VIPルームの名に恥じないものであった。
だが、まったく見慣れない家具も多数存在している。
室内の温度を快適にするというエアコンという機械は聞いたこともないもので、それだけに留まらずテレビや冷蔵庫など、説明を受けても半信半疑に感じる未知の道具の数々が室内には配置されていた。
机の上に置かれた、スマートフォンという機械もまた未知の物だ。
掌に収まる小型の機械であるそれは、画面に触れることで操作を行い、様々な用途に使えるらしい。
さらにはVIPフロア内で金銭の支払いが必要になった際には、スマートフォンの裏面を指定の場所にかざすことで、手元に金貨が無くとも支払いを行うことができるそうだ。
ICカードによる個人認証、など細かい説明は受けたのだが、あまりにも常識を打ち破る機械の数々に理解が及ばず、アメリアの中では全てまとめて『便利な道具』と認識されている。
細かいことはどうでもいい。使えればそれで良いのだから。そう開き直ってしまえば、未知の機械の仕組みなんてどうでもよく感じられた。
「さて、じっと過ごすのはもったいないわ。遊ぶところは色々あるようだし」
呼吸が落ち着いたアメリアは、ベットから身を起こす。
自由に使っていいと言われたクローゼットを開いてみれば、一着だけで桁違いの額を要求されそうな、上質な絹で編まれたドレスがいくつも飾られている。
用があればお使いください、と言われていたベルを鳴らせば、何分も待たない内に扉がノックされて「お呼びで御座いますか」と女性の声が響いた。
「ドレスを着たいの。着付けてくださるかしら」
「畏まりました、アメリア様」
入室してきたメイド服の女性に促されて、姿見の鏡の前に立つ。
慣れた手付きで身支度が整えられていき、気付けば鏡には別人へと生まれ変わったアメリアが映し出されていた。
きめ細やかな肌。滑らかな髪。美しい青のドレスにアクセサリーの数々。
貴婦人と見間違うような姿に、アメリアはそれが自分だと気付くのにしばしの間を要した程だった。
「こ、これが私……?」
「とてもお美しいですわ、ミス・アメリア」
アメリアはしばらく鏡の前でうっとりとしていたが、ふと我に返る。
机の上に放置されていたスマートフォンをポケットに収めて、部屋の外へと歩き出す。
「出掛けるわ。案内をお願い」
「はい、お供させていただきます」
メイドを付き従わせて、アメリアは歩き出す。
VIPフロア内には気になる箇所がいくらでもあるのだが、その中でも特に気になっている箇所があった。
――VIPカジノエリア、と案内板に表記された部屋だ。
〇
VIP専用のカジノとだけあって、どの遊戯も最低掛け金が桁違いのものばかりだった。
最低でも、地上で行われていた遊戯の10倍以上の掛け金を要求される。もちろん、掛け金の上限もまた次元が違う額となる。
何人もの客が、一度の賭けに何百枚ものメダルを投じていた。一枚200GのVIP用メダルを惜しげもなく、だ。
皆が皆、平民が一生を費やしても稼げないような金額を賭けに投じては、その結果に一喜一憂している。
まさに、別世界。命を明日へと繋げられる金をひとときの快楽に費やす者達が集うそこは、最早魔境とすら思えた。
「――おお、ミス・アメリア! ジャックポットおめでとう! やはり君のような美しい女性にこそ、幸運の女神は微笑むのだろうね!」
突然掛けられた声に振り向くと、見慣れぬ男性がソファに座りながら大口を開けて笑っていた。
両脇にはメイド服に身を包んだ女性が座らされており、男性に腰や肩を無遠慮に触られていた。
「あら、ここではそんな素敵なサービスも頼めるのかしら」
「ん? ああ、この者らはわしのメイドだよ! 残念ながらこのカジノでは女性は買えないそうでね!」
やたらと大声を上げながら、下品な視線を隠しもせず向けてくる男性に、アメリアは苛立つ。
しかしその苛立ちは表には出さずに押し込めて、微笑みを返す。男に手玉に取るには、いちいち本性を曝け出すような真似はできないのだ。故に本心を隠して笑顔を作るくらい、アメリアには苦もなく行えて当然のことだった。
「それで、ミスタ? 貴方は何故わたしのことをご存知なのか教えてくださるかしら?」
「おお、これは失礼したね! わしが一方的に知っているだけだというのに、これでは不安にさせてしまったかな?
実を言うとだね、ここでは地上のカジノの様子を見物することができるのだよ! ほら、あそこを見てごらん」
男性に言われるがままに視線を巡らせると、巨大なモニターが設置されていることに気付く。そこには確かに、地上フロアの一般客達が集うカジノの様子が映し出されていた。
「君が幸運を引き当てるその瞬間、確かに見届けたよ! まさかたった一度のガチャでジャックポットを引き当てるなんて、まさに奇跡の女性だ!」
「うふふ……お褒めいただいて、恐縮ですわ」
口ではそう答えながらも、アメリアは不愉快な思いだった。
要するにVIPフロアの連中は、地上のカジノでの一部始終を見世物にして喜んでいるのだ。彼らからすれば小遣い程度の金額に四苦八苦している様を、笑いものにして酒でも味わっているのだろう。
自分がそのような見世物の一人として扱われていたことに腹が立ち――今では見世物にする側の人間になったことが嬉しくも感じて、複雑な思いだった。
「そんな君にだね、ぜひお勧めしたい遊戯があるのだよ」
「あらあら、VIPの方が直々にお勧めするだなんて、どんな遊戯なのかしら」
「無論――ガチャだよ。我々のような選ばれた人間にしか引くことが許されない、特別なガチャさ」
男性が机の脇にあるボタンを押すと、机の一部がスライドして、開いた穴の中から黄金に光り輝く設置台が現れた。
ちょうど、スマートフォンが収まる程度の大きさのその台に、男性は自分の懐からスマートフォンを取り出して、乗せる。
するとスマートフォンに反応したのか、机の上に魔法陣が浮かび上がった。
「いいかね? このガチャは地上のものみたいに並んだりする必要はない。このようにスマートフォンを操作すれば……」
自分の手柄でもないというのに、男性は何やら自慢げに語りながらスマートフォンの画面を操作する。
すると、机の上に現れた魔法陣が光を放ち始めた。この辺りは地上のカジノに設置されているガチャと変わらない。
しいて違いを上げるなら、白、緑と順に変化するはずの光が、最初から赤に染まっていたことくらいだろうか。
「ここのガチャは専用の景品が用意されていて、スーパーレア以上しか存在しないのだよ。その分、値段も相応のものだがね」
何せ1回1000万Gだからな、という呟きをアメリアは聞き逃さなかった。
(1000万……!? 1回のガチャに1000万ですって!?)
1万でも高すぎるというのに、その1000倍。それを、何が得られるのかも分からないガチャに、目の前の男は何の気負いもなく投じたのだ。
手元に5億Gという未曾有の大金を得たアメリアだが、その金銭感覚はまだ一般の冒険者のものと大差ないものだった。
そんな彼女にとって、1回1000万Gの運任せなど、正気の沙汰ではない。
目の前で行われているのは他人の賭博だというのに、アメリアは恐怖すら覚えた。
「お……おお!? この輝きは、もしや……!」
やがて魔法陣の光は、虹色の光に辿り着く。ウルトラレア確定の光だ。
歓喜の叫びを上げる男の目の前で、光は収束していき――光の中からは、拳大の紅色の宝石が現れた。
宝石箱に飾られたその巨大な宝石は、照明の灯りを煌びやかに乱反射させて、見る者の心を焼くほどに光り輝いている。
「やった、やったぞ! これであと2つだ!」
男性は興奮を抑えきれない様子で、拳を握り締めていた。
気付けば周囲の客人達も横目に彼の様子を見ている。ウルトラレアだけあって、余程の大当たりらしい。
「どうやら幸運を引き当てたようで。おめでとうございますわ」
「ふふふ、この宝石単体でも5億はするだろうからね。大当たりさ」
「――!?」
5億。アメリアが引き当てたジャックポットの当選金額とほぼ同額の大金。
それを引き当てて、しかしまるで金額には興味が無いとばかりの男性の様子にアメリアは疑問を抱いた。
「そういえば、あと2つと仰ってましたが……あれは一体?」
「ああ、そうだね。説明の途中だった。思わぬ幸運に我を忘れていたよ」
男性は宝石を大事そうに懐に仕舞い込むと、佇まいを正した。どうやらはしゃぐあまり、服装が乱れていたらしい。
「ここのガチャ……通称VIPガチャには、特別な仕様があってね。その名もコンプリートガチャ……長いのでコンプガチャと呼ばれるのだが、これが中々に曲者なんだ。
ウルトラレアの中に存在する7つの宝石。これを全て集めた者にだけ……レジェンドレアアイテムである『ソーマ』が与えられるのだよ」
「……『ソーマ』? 『ソーマ』ですって? あの伝説の?」
古い御伽噺で聞いた名前だ。月を酒杯に神々が飲用して英気を養ったとされる、神話の酒。それは神々と人間の魂に活力と栄養を与え、寿命すら延ばすという霊薬でもあるという。
「ああ。数年前、この国の王妃様が不治の病に倒れた際に、どこからともなく現れた錬金術士が霊薬を授けて完治させたという話を知っているかね?
実を言うと、その錬金術士こそがこのカジノのオーナーなのだそうだ。そして、その時の霊薬が『ソーマ』というわけさ」
「……嘘じゃないのよね?」
「もちろんさ。最も、正確には伝説に語られるそれではなく、伝承を元に錬金術で作り上げた物らしい。
しかし、その効力は王家が保証しているそうだよ。何よりも余命1ヶ月と言われていた王妃様が、数年経った今でも元気に過ごされているのだからね」
もし本当なのだとしたら、全ての人間にとって何よりも欲しいものではないだろうか。不老長寿はあらゆる人間が願い、しかし叶うことがない永遠の命題なのだから。本当に寿命を延ばす効果があるのかは分からないが、不治の病をも癒す霊薬というのは、命を脅かされた人間にとっては何を引き換えにしてでも手に入れたいものだろう。
「それがあとふたつ……青と黄の宝石を引き当てれば手に入るのだ!
ああ、あと少し……! あとたった二つで、それがわしの物に……!」
「……貴方程の資産家なら、手に入れたい宝石を他の方から買えるのでは?」
「それはできない仕組みなのだよ。ガチャを回した際に、スマートフォンに登録された個人の魔力波長によって個別の刻印が宝石に刻まれる仕様でね。
この刻印が同じ宝石を7種類集めなければならないルールなのだよ。ただの宝石として売り払うなら、刻印は消去しなければ価値が著しく落ちるしね」
その刻印の消去はカジノ側が無料で行ってくれるそうだが、頼むものはほぼ皆無だという。霊薬『ソーマ』を手に入れたい物にとって、自身の刻印が刻まれた宝石はかけがえのないものだ。
同じ色の宝石が当選してしまい余ったとしても、『余りの宝石も保管しておけば最終的に2個目のソーマが手に入るかもしれない』との期待から、資金が危うい者以外はまず売却に走らないそうだ。
「お客様、お話のところ申し訳ございません。
アメリア様にオーナーから伝言とお届け物がございます」
ふと、話の合間に差し込むように執事がアメリアに声を掛けてきた。
「見事にジャックポットを引き当てたアメリア様に、VIPガチャで使用できるガチャコイン1枚をお贈りします、とのことです」
そうして差し出されたのは、一枚のメダルだ。机の横にある投入口に入れれば、メダル1枚につきVIPガチャを1回だけ回せるらしい。
つまり――掌に乗せられたその1枚のメダルは、1000万Gの価値を有している。
そのことに理解が追いつくと、アメリアの指先が震えた。
5億Gと比べれば僅かな金額。だがスラム街に生まれ育ち、冒険者になってからは庶民としての暮らしを維持するのに必死だったアメリアにとって、未曾有の大金に他ならない。
それを、たった一度のガチャに費やすというのだから、眩暈がしてくる。
――だが、自分がガチャに強く魅せられていることも感じていた。
1万Gのガチャを1回引いただけで、5億Gという大金を引き当てて、人生を切り拓けたのだ。ならば1000万GというVIPガチャを引いたのなら、想像もできないような幸運が舞い降りるのではないか――そう期待せずにはいられない。
(一度だけ……無料で引かせてもらえるんだし、この一度だけ回してみよう)
アメリアは受け取ったメダルを手に、空席に腰を下ろした。
緊張に震える右手を、左手で必死に支えながら、メダルを投入口に投じる。
そして先程の男性の真似をしてボタンを操作すると、黄金に輝く設置台が机の内側からせり出してきた。
(大丈夫、大丈夫……お金を使う訳じゃないんだから。無料なんだから……!)
躊躇う気持ちを振り払い、アメリアは設置台に自身のスマートフォンを乗せる。すると画面に、ICカードの読み取りを示すアイコンが現れて、まもなくボタンが映し出される。
そして、ガチャを回すならこのボタンを押してください、と説明文が提示される。意を決して、画面に映し出されるボタンに触れる。
すると目の前の魔法陣が光り輝き始めた。
光は、赤、黄金とすぐさまに変化していき――やがて虹色の光を放った。
「き、来たの……!? 5億G、また来ちゃったの……!?」
先程の男性が引き当てたウルトラレアの宝石が5億だという話を思い出して、アメリアは歓喜に打ち震える。
しかし、『幸運』はそこで終わらない――裏で操られたものであろうとも、知らぬ者には『幸運』と変わりはない。
虹色の光が激しく明滅して、さらには『キュイン!』という甲高い音が連続して鳴り響き始めた。それはVIPフロアの客人達も知らない現象であるらしく、何事かと視線が集まり始める。
「ま、まさかジャックポット……!?」
誰かの声がして、それを皮切りに周囲がざわつき始める。
虹色の光の乱舞は、確かにアメリアが地上のガチャで引き当てたジャックポットの物と似ている。VIPフロアでのジャックポット――もし本当にそうだったとしたなら、どれ程の金額になるか見当もつかない。あらゆる人が光の行く末を見守る中、収束していく光はやがて、ひとつの形を成した。
――現れたのは、虹色に光り輝く世にも美しい神秘的な宝石。
七色の光を纏うそれには、スマートフォンに表示されているものと同じアメリア独自の刻印が刻まれていた。
「こ、これは……?」
「おっめでとうございまーす!」
チリンチリン、というベルの音が鳴り響く。
何事かと振り向くと、そこには地上の受付にいた少女――このカジノのオーナーが満面の笑みを浮かべて立っていた。一体何時の間にこちらに来ていたのだろうか。アメリアのそんな困惑などお構いなしに少女は語り出す。
「そちらは虹結晶を宝石として結合、カッティングしたものでして……VIPガチャにおいてジャックポットに次ぐ、最大級の大当たりとなっております!」
「さ、最大の大当たり……?」
「はい! そちらの宝石ひとつで……コンプガチャの条件を全て満たしたものとして、『ソーマ』をお渡しいたします!」
オーナーのその言葉に、アメリアよりも周囲が沸き立った。
凄まじい幸運を目の当たりにして興奮する者、アメリアの当選に嫉妬心を露にする者。人それぞれの感情が混ざり合い、フロアの中は混沌とした感情の渦に包まれていた。
アメリアは思わず、頬をつねる。あまりに現実感がない事態の連続に、我がことながら夢物語にしか思えなかったのだ。
「いひゃい……ということは、夢じゃない……?」
「もちろんです! これはまぎれもなく現実ですよ、アメリア様!」
やがてアメリアの元に、カートに乗せられた木箱が運ばれてくる。
オーナー自らが手に取って、アメリアの目前の机にゆっくりと降ろす。
ゆっくりと木箱の蓋が開かれると、1本のボトルが安置されていた。どうやらそれが、件の霊薬『ソーマ』であるらしい。
「さあ、アメリア様……どうなさいますか?」
「……どうって、何が?」
「こちらの『ソーマ』は、ご自分でお飲みになられますか? それとも――」
そこでオーナーは周囲に視線を配る。
釣られてアメリアも目で追うと、周囲の客人達はアメリアの傍に近づいて叫んでいた。興奮した客人達を執事やバニーガール達が押さえ込んでいる。
「頼む、金ならいくらでも出す! わしに『ソーマ』を売ってくれえ!」
「私ならこの男の倍は出せるわ! 私に、私に売ってちょうだい!」
豪華な衣服に身を包んだ貴族然とした人々が、取り繕う余裕もなく喚きたてている。中には遠巻きにその乱痴気騒ぎを眺めて悦に浸っている者もいるようだが、大多数の客人達はアメリアの元に詰め寄っていた。
「当店の『ソーマ』は直接の販売を行っておりませんが、客同士での売買は禁止しておりません。なのでアメリア様がお売りしたいと思うのでしたら、オークションの用意も可能ですよ?」
オーナーの言葉に、アメリアは思考を巡らせる。
この騒ぎの様子から察するに、『ソーマ』は本当に貴重品のようだ。オークションにかけたのならば、凄まじい金額になることだろう。
10億、いや、下手をすれば100億に届くかもしれない――周囲の客人達の剣幕は、そう思える程のものだった。
そこで、アメリアは思う。
売り飛ばすのも、良い。未曾有の大金を手にして、一生遊んで暮らすのも最高だろう。だが――この貴族達の目の前で『ソーマ』を飲んでやれば、どれ程痛快な思いができるだろうか、と。
路地裏で虫けらと呼ばれて育ち、僅かな金を得るために四苦八苦してきた自分が、貴族でも喉から手が出る程に欲する霊薬を飲み干す。
考えただけで、愉快になれる。そんな光景を、自分は今正に行えるのだ。
「――この場で、いただくわ。グラスに注いでいただけるかしら」
「畏まりました! すぐにご用意いたしますね!」
アメリアの言葉に、オーナーの少女はカートに同乗させていたグラスを机に移す。オーナーは自らの手で、慣れた様子で『ソーマ』のボトルのコルクを抜くと、透き通るグラスに『ソーマ』を注いだ。
「どうぞ、ご堪能くださいませ」
言われるまでもなく、アメリアはグラスを手に取る。一息で飲んでしまうのはもったいない。彼女はまず、見た目と香りを味わうことにした。
グラスの中に注がれた『ソーマ』は、僅かに黄金の輝きを纏ったかのような幻想的な美しさを宿している。
香りは、微香でありながら身体に染み渡るような良質な匂い。この香りを香水にしたのなら、さぞや世の人間を虜にすることだろう。
そうやって目で、鼻で味わう様を周囲に見せ付けるように、アメリアは楽しむ。それを見た貴族達の反応すらも味わいながら。
しかしあまり時間を掛けては、せっかくの美酒から味が逃げてしまう。彼女はゆっくりと口をつけた。
ゆっくりと――僅かに一口を含んだだけで、舌の上に幸福が満ちていく。
旨い。そんなありふれた言葉で表すことは不敬だと断じられる程の、美味。
言葉にできない感動というものがこの世に本当にあったのだということを、アメリアは生まれて初めて実感した。
(この感動を語るには、人間の言語はあまりに未熟すぎる――)
少しずつ舐めるように飲もうと思っていたのに、気付けばアメリアは喉を鳴らしながら一杯の『ソーマ』を飲み終えてしまった。
喉元を過ぎて尚も魂を包み込む、至福。高揚感に溢れているのに穏やかな思いでいられて、まるで心が透き通るかの様で。
はあ、と溜め息が漏れる。アメリアの表情は、彼女自身は知る由もないが、幸福に溢れたとても幸せそうな笑顔だった。
「アメリア様、よければ鏡をどうぞ」
「……?」
オーナーの言葉に、アメリアは瞳を開く。
目の前に掲げられた鏡には、彼女の姿が映っていた――肌の荒れも染みも消え去り、冒険者稼業の最中に頬に負った古傷さえ癒された、美しい姿が。
「こ、これが……私?」
「ご説明しますと、『ソーマ』の効力のひとつでございます」
鏡に映る己の美しい姿に呆然とするアメリアに、オーナーの少女は意気揚々と語る。アメリアだけにではなく、周囲の客人達にも聞かせるように、はっきりとした声で。
「服用した者の身体に活力を与えて、病魔を打ち払い、致死の傷すら癒してみせる霊薬。その効力によって、服用者の肉体を万全の状態に導きます。
肌荒れなんて何のその、死んでいなければ神様だって癒してみせる!
それが『ソーマ』なのです!」
その説明に、周囲の人々はさらに興奮した面持ちで叫び始める。
奇跡の薬が目の前にあるとなれば、必死になるのも無理はない。
美貌、長寿、健康。それはどんな人間でも望む、万人が抱く願望なのだから。
「い、一杯で良いんだ! わしにも飲ませてくれ! 金ならあるから!」
「私よ! 私なら10億は出すわ! 私に売って!」
普段なら威張り散らして、庶民を食い物にしている輩もいるだろう貴族達が、必死に叫んでいる。
その滑稽な様は、アメリアに身悶えるような愉悦を感じさせた。
ぎゃあぎゃあ騒いで、まるで虫けらみたい――踏み躙られて育った彼女にとって、貴族を虫けらの様に見下せる立場というのは実に愉快なものだった。
「うふふ、あっはっはっは! いいわ、売ってあげる!
――1杯10億Gのオークション! 1杯だけの限定よ!
飲みたければ買いなさい!」
「はい、ただいまからアメリア様主催のオークションを開催します!」
アメリアの言葉に、オーナーはすかさず宣言した。
一言アメリアに断りを入れてから、別のグラスを用意して『ソーマ』を一杯注いで、味が逃げないようにと蓋をする。
その一杯を客人達の前に掲げながら、オーナーは声を張り上げる。
「奇跡の霊薬『ソーマ』をグラス一杯! 10億Gからスタートのオークションです! この機会を逃せばもう二度と飲めないかもしれませんよ! さあ、どうぞ入札してください!」
「くっ……い、一杯10億だと……!? くそ、10億1000万!」
「貧乏人は引っ込んでなさい!こっちは11億出すわ!」
「俺は13億だ! さあ、俺に飲ませろ!」
貴族達が声高に値段を叫びあい、ただ一杯の霊薬の値段が跳ね上がっていく。
15億、16億、17億――オークションの勢いは、20億を越えても緩むことなく、むしろさらに加熱していく。
最早、狂乱。金と欲望が飛び交う狂気の宴の中心で、荒れ狂う人々を肴にアメリアは2杯目の『ソーマ』を呷る。
「くっ……うふふ、あっはっはっは!」
笑いが止まらない。楽しくて楽しくて、仕方が無い。
ただ一夜の幸運で、何の苦もなく、貴族すら手玉に取れる立場にまで上り詰められたのだから、たまらない。
かつては神を呪いながら、それでも生にしがみついていた過去の自分に教えてやりたい――未来では最高に愉快な思いができるから、頑張って生きなさい、と。
(こんな幸運を下さるなんて最高に気前が良い神様! ありがとうございます、今までの不幸はチャラにしてあげるわ!)
生まれを呪い、貧乏を呪い、世界を呪い、神を呪って生きてきた彼女はこの日、生まれ変わった。今までの不幸は、この日の幸運と引き換えに与えられた試練だったのだと、そう思える程に。
――この『幸運』を演出した者の思惑など知る由もない彼女は、ただ神様に感謝の念を抱いていた。
〇
「……さあ、今日もそろそろ行きますか」
金貨の海から立ち上がったアメリアは、身支度を整える。
煌びやかな黄金のドレスに、豪華なアクセサリーの数々。冒険者稼業をしていた頃には、手の出しようがなかった衣装に身を包む。
ジャックポット、そして『ソーマ』に当選した数ヶ月前のあの日に購入した物品達のほんの一部だ。
絢爛な衣服に身を包んだ彼女は、部屋の外へと歩き出す。
――ガチャを回すために。
「さあ、今日も楽しませてもらうわよ」
ガチャ用のソファに着席したアメリアは、さっそくボタンを押して準備を始める。
あの日から数ヶ月、アメリアはVIPガチャの虜となっていた。
1回1000万Gという桁違いの額に怯えていたのが、最早懐かしく思える程に。
「昨日は2億Gくらい負けちゃったけど……まだまだ余裕よねー」
スマートフォンに表示される残高にはまだまだ余裕がある。
あの日のジャックポットの当選に加えて、『ソーマ』のオークションの売り上げ、そして今日までのガチャによる収支の結果だ。
大きく負ける日もある。しかしそれを取り戻すかのように大当たりが続く日もある。
その運の浮き沈みこそが、ギャンブルの魅力であり、魔力。最早この娯楽のない生活など、アメリアには考えられなかった。
「……きゃあ、さっそくウルトラレアが来ちゃったわ! うふふ、今日はきっと幸運な日ね!」
引き当てた幸運に喜ぶアメリアに、最早かつての怯えはない。
あの日、一度だけVIPガチャを引いて、あとはVIPフロアを堪能したら地上に退散しようとしていたことなど、最早彼女の記憶からは消え去っていた。
もう既にこの数ヶ月の間、VIPルームに宿泊を続けて、一度も地上に戻っていない。戻る理由も、戻るつもりも、欠片も抱かなくなっていた。
未知の体験がある。美味な食事がある。飽きない娯楽がある。――ここには、この世のありとあらゆる物がある。
ずっとここにいたい。この夢心地の世界を、ずっと味わっていたい。 それが、今のアメリアの全てだった。
――無謀な賭けを続けていれば、いつかはこの楽園での生活どころか、己の人生が破綻するかもしれないというのに。そんな不幸が自分に訪れるはずがない、と妄信して、彼女は今日も賭博と享楽に嵌り込んでいた。
地上で成功を収めた者達が誘われる、地底の楽園でもガチャは回り続ける。
叫喚と至福が入り混じる、ギャンブルの魔性が渦巻く世界の中で。
『幸運』の糸を操る存在は、今日もまたほくそ笑む。




