26「金も沈めば塵となる」
「……つまらない」
呟きながら、アメリアは手元のグラスにワインを注いだ。芳醇な香りを漂わせるそのワインは、王都カジノのVIP専用のメニューの中でも最高級の品物だ。
貴族でも滅多に味わえない格別の美酒を味わいながらも、アメリアの心は満たされていなかった。
路地裏の孤児として生まれたアメリアは、毎日飢えながら必死に生きる日々の中で願い続けた莫大な富を得て、何不自由なく生きられる人生を手に入れた。今では貴族が羨む程で、ギャンブルの女王としてVIP界隈で有名となり、称賛と嫉妬の入り混じった噂話が絶えることはない。
夢にも思わなかった特上の幸運に恵まれて、人生の勝者と成り上がった……それなのに、アメリアの表情には陰りが差していた。
「もう、どれもこれもつまんなーい……」
カジノの地下深くに広がるVIPエリアには、地上にはない様々な娯楽が存在する。
実に多種多様な遊戯に、美味な食物。快適で便利な道具。最初は一生を費やしても遊びきれないと思う程だったのに、今ではすぐに飽きてしまう。
「はぁ……何か楽しいことないかしら」
アメリアは中身を飲み干したワイングラスを放り出すように机に置き、すっかり使い慣れたスマートフォンを動かして、適当にアプリを起動していく。
暇を潰せるような娯楽系のアプリがいくつかあるが、それらは彼女が既に飽きてしまったものばかりだった。
娯楽を探すことにすら飽きてきた頃、ふと目についたアプリを開くと、ひとつの映像が画面に表示される。それは、地上部分のカジノ内の光景だった。カメラからの映像を見られるアプリだったらしい。
面白くなさそうだと思い、アプリを停止しようとしたところで……アメリアは映像の中に、見覚えのある男の姿を見つけた。
その男の名前は、アクト。アメリアが以前、適当に騙して貢がせて、用済みとなったので捨てた男。
彼は今、地上カジノのガチャ装置付近で、多くの人間に囲まれていて……何やら怒声を上げているが、その様子はどこか楽しそうにも見える。
「……何よ、アクトのやつ。楽しそうにしちゃって」
誰もが羨む幸運を掴んだはずの自分が満足できず、捨てた男が楽しそうに過ごしている。それが、どうにも気に食わなかった。
〇
「ガチャコイン買えよ、ガチャコイン買えよおおお!」
「わしづかみで持ってきてんじゃねえ! せめてケースに入れてこい!」
文句を言いながらもアクトは、男から渡されたガチャコインの枚数を確認すると対価を支払った。
ガチャコインは、王都カジノで扱われている専用のコインで、様々な高性能の装備品が手に入るガチャを回せる。運次第では人生を一発逆転させられるような幸運を引き当てることも可能なため、多くの者がガチャコインを求めて活動していた。
また、運を天に任せるのではなく確実に稼ぎたい者は、ガチャを回したい者にコインを売ることで利益を得ていた。
毎度の如く限界までガチャコインを大量に買い込むアクトの存在は、金が欲しいという者達にとっては最高に都合の良い取引相手である。
「次は私よ。50枚、全部買ってくれるかしら」
「ああ……そら、代金だ。妹さんによろしくな」
「……うふ、ありがとう」
「1枚2000G、いえ、1枚1500Gでいいので全部買ってください……!! でないと僕は明日からスライムでも食べて生きていくしか……!」
「どんだけ切羽詰まってんだよ!? 相場の値で買うからとっとと全部よこせ!」
ガチャコインは自分で使わない者にとっては、大金を支払ってでもガチャを回す者に売りつけられなければ利益にならないために皆が必死にアクトへ売ろうと列に並んでいる。早急にまとまった金銭が必要な者は、値下げしてでも取引を成立させようとしている程だ。
普段なら売り手側が客を探して、詐欺に合わないように警戒しながら売買する必要があるというのに、値切り交渉もせず即決でガチャコインを買い漁るアクトは、ガチャコインの売り手達にとって貴重な財源となっていた。
「あと100枚までだ! それ以上は買わねえからな!」
しかし売り手が数えきれない程にいても、アクトの予算には限界がある。
残りの資金から買い取れる限界の枚数を計算して、アクトがそれを告げると売り手達から文句の声が殺到した、
「おいこらあ! 散々並んだのに俺の分は買わねえのよ!」
「知るか! 他の奴探して売ってこい!」
「もう100枚以上は買わない……かーらーのー!?」
「うるせえ! 100枚つったら100枚だ!」
「アクトぉ! 借金してでも俺のコイン買えよ!」
「お前が借金してろ!」
騒がしい中でも列に並んだ順番に売買取引を続けて、宣言通り100枚を買い終えたところでアクトは、さっさと荷物を纏め始める。
食い下がっていた売り手達も「今回はもう無理だな」と察すると、次の買い手を求めて離れていく。もはやおなじみの光景であった。
「ガチャコインいっぱい買えたね、アクト!」
「ああ……これだけあれば、十分だろ」
革袋の中に貯まった大量のガチャコインを見て、にやりと笑うアクト。
そのガチャコインの山が最上級の宝物を引き当てる鍵となるか否かは運次第だが、だからこそコインの数は幸運を勝ち取るための武器であり、勝利のために金と労力を費やすのは当然のことである。アクトはそう確信していた。
「さあて……そんじゃあ、さっそく回すか……!」
アクトは買い集めたガチャコインを詰めた革袋を手に、ガチャ装置に向かう。
王都カジノが誇る高級ガチャは、大きく描かれた魔法陣の前に置かれたコイン投入口に現金かガチャコインを投入することで装置を動かす権利を得て、運次第で様々なアイテムが手に入るというギャンブルだ。
最上級の品であれば魔法の加護が宿る魔道具、ハズレなら安価に買える日用品の類など、希少度による落差は激しい。
だからこそ、最も価値の高いウルトラレアの景品はどれもみな特別な性能を誇る逸品であり、多くの冒険者にとって羨望の対象であった。
「お、ガチャ狂いがガチャ回すぞ!」
「奴の惨敗に1000G賭ける!」
「彼が勝つ方に2000G、ね」
「てめえら、俺の賭けで賭けんじゃねえ!!」
アクトは、自分の勝負を見世物にしようとする輩に声を荒げる。だが、集まった野次馬達は気にした様子もなく騒いでいた。
「……ちっ、勝手にしやがれ!」
「がんばれ、アクトー!」
周囲のことは無視してガチャに挑むと決めたアクトに、ラズリが声援を送る。
アクトは少女の声援を背に、ガチャ装置のコイン投入口へ向かう。
――そんな彼の前に、一人の女性が立ちはだかった。
「楽しそうじゃない、アクト?」
「……てめえはっ!」
不敵な笑みを向けてくるその女性の顔に、アクトは見覚えがあった。
「あらやだ、顔真っ赤にしちゃって。そんなにあの日のことが悔しかったの?」
女性の名はアメリア。以前、アクトが行動を共にしていた冒険者だ。
辺境にある迷宮都市ラビリスからの旅路を共にしただけの、付き合いはそれほど長くない女性。だが、その短い旅路の中でアクトはアメリアに何度も言い寄られて、彼女は自分を好きなのだと信じていた――あっさりと捨てられたのだが。
今ではあれは、貢がせるための演技だったのだと分かっている。
彼女に都合よく使い捨てられた怒りは、今もアクトの心で燃え上がっていた。
「アメリア……今更、何の用だ!」
「あなたの間抜けな顔でも拝んでやろうかと思ってね、来ちゃった♪」
挑発的な態度で顔を覗き込んでくるアメリアに、アクトは苛立ちを抑えきれずに睨み返す。
「はっ、そいつぁご苦労なこって。他にやることねえのかよ暇人が」
「……っ。ふん、ただの気分転換よ」
そっぽを向くアメリアの様子を訝しく思いながら、アクトは手元の革袋をこれ見よがしに掲げた。
「おら、俺はガチャ回すのに忙しいんだよ。邪魔だからさっさと退けよ」
「あーら、ガチャにご執心なのに忘れたの? ……ガチャを回す権利は先着順よ」
そう言うとアメリアは、掌に乗せた数枚のガチャコインをこれ見よがしにアクトへ見せつけた。彼女の持つガチャコインは、アクトが持つコインより一回り大きく、装飾も豪華なことが遠目にもはっきりと分かる。
「今日から実装される10連ガチャコインよ。さっきオーナーから買い取ったのよ」
「10連ガチャコイン……だと……!?」
カジノ側が設けたルールには、ガチャを1回引くと次の順番待ちをしている客と交代しなければならないというものがある。
その絶対のルールを覆す10連ガチャコインの実装は、ウルトラレアの景品を狙うライバルが多い程に、大きな効力を持つことは容易に想像できる。
何より、大量のガチャコインを消費するために、1回ずつガチャを回すのは中々に手間のかかる作業だ。その手間を大幅に短縮できるというだけで、10連ガチャコインには凄まじい効果があるとアクトは瞬時に確信した。
「はい、本日より受付カウンターにて現金10万Gでの販売はもちろん、ガチャコイン10枚、もしくはガチャチケット50枚と引き換えでお渡しさせていただきます!」
いつの間にか傍にいたカジノオーナーの少女、ネモが声高に叫ぶ。
その言葉に、周囲の野次馬達がにわかに騒ぎ始めた。
「10連ガチャコイン……! これはやばいぞ! 今後10連コインが主流となれば、買取にも影響が出る! 10連ガチャコインしか買われないとなれば……!」
「最低でもガチャチケット50枚集めねえと売れねえってことか……!?」
「い、いや、そうとも限らないんじゃないか? ガチャ回す奴ら全員が10連ガチャするわけじゃねえだろうし、必要なら普通のガチャコインを買い集めた奴が自分で交換すればいいだけだしよ……」
「だが、アクトなら……! アクトなら10連ガチャコイン100枚くらいは買いそう……いや、買う……!」
「1000回分のコインとか、普段から用意してやがるからな……有り得る……!」
ざわざわと沸き立つ周囲を余所に、アメリアは10連ガチャコインを見せびらかすように掌で弄びながら、ガチャコイン投入口へと向かう。
「アクト。あなたが何を狙ってるか知らないけど、私が10回も引いたら、いきなり大当たりしちゃうかもね……うふふ」
「……ちっ! おいオーナー、俺にも10連コインよこせ!」
「はい、それでは引き換えのためカウンターまでお願いします」
オーナーの少女に案内され、アクトは受付カウンターへ向かう。
ガチャコインを早く交換しようと焦るアクトの様子は、ガチャ装置の前にいるアメリアにもばっちり見えていた。
「ふふ……さあて、それじゃあ回すとしましょうか」
狼狽えるアクトや、周囲の野次馬達の反応にほくそ笑みながら、アメリアは10連ガチャコインを投入口に放り込んだ。
「思えばここでジャックポットを引き当てて以来ね、地上に来るのは……」
もう数か月も前になる、あの日。ジャックポットを引き当てた時。
あの瞬間の魂が震えるような感動は、久しく感じられていない。
「……ふふ、またジャックポット引いちゃったりして」
そうなったら、再びあの時のような感動を味わえるだろうか――微かな期待と共に、アメリアはガチャ装置のレバーを引いた。
魔法陣に淡い光が灯り、しばらくすると純白の輝きを放つ十の光球が現れた。
ガチャの魔法陣の光は、その色で景品のレアリティを示している。
白がノーマル、緑がレア、赤がスーパーレア、黄金がハイパーレア……そして、最上級のウルトラレアは虹色の光。
ガチャを起動すると光はひとつずつ上の段階の色へと変化していき、最後に光が消えると景品が現れるという仕組みだ。
「見せてあげる――これが、VIPエリアのカジノクイーンと謳われる私の力よ!」
ジャックポットを引き当てた時から今日に至るまで、ギャンブルで負けたことがないアメリアは勝利を確信して声高に叫ぶ。
彼女と、野次馬達。そしてアクトが注目する中、魔法陣の光は――。
『バナナァ!』
『たーる♪』
『トマトォォ!』
『こけし!』
『ビー玉!』
『醤油』
『チリソォォォス!』
『たまご♪』
『釘!』
『チィィィズ!』
――白いまま収束していき、十の光球は全て、ノーマルの景品へと変わった。
「……ぷっ」
誰かが零した笑いを皮切りに、野次馬達は爆笑の渦に包まれた。
「なーにがカジノクイーンだよ、大爆死じゃねーか!」
「10連ガチャ……10万G分が全て水の泡とは……哀れな……くっ、ふふっ」
「これが、VIPエリアのカジノクイーンと謳われる私の力……だってよ!」
ぎゃははは! と下品な笑い声が周辺に響き渡る。
当然、その笑い声はアメリアの耳にも届き、彼女は怒り心頭という様子で、苛立ちを露わにしていた。
「ふ、ふん……! まだコインはたっぷりあるのよ! 見てなさい、次は……」
「おおっと、アメリアさんよお! ルールは守ってもらわねえとなあ!」
続けてガチャを回そうとしたアメリアを制して、コインケースを抱えたアクトがコイン投入口へ駆け寄る。
「1回引いたら交代してもらわねえとな、カジノクイーン様よおお!」
「……くっ、さっさと回しなさいよ!」
舌打ちしながらも、おとなしくアクトと交代するアメリア。
「ありがとよクイーン様よぉ! わざわざはずれを引いてくれてよぉ!
おかげで、俺が当たりを引きやすくなったぜええ!」
アクトはわざとらしく叫びながら、交換した10連ガチャコインを投入口に投じて、レバーを引く。
魔法陣は再び光り輝き、生み出された十の光球は――。
『こけし!』
『こけし!』
『こけしぃぃ!』
『こけし!』
『こけし♪』
『こけし!』
『こけし!』
『こけしぃぃ!』
『こけし!』
『こけし!』
――白いまま収束して、光が消えた後にはまったく同じ姿形のこけしという人形がずらりと並んでいた。
「いらねええええ!」
「おめでとうございます! 10連ガチャで全て同じ景品を引いた方にはボーナスとして……もう1個同じ物をプレゼント!」
「い、ら、ねえええええつってんだろおおお!?
てかなんだよさっきから、この妙な声は!?」
「10連ガチャの特別仕様です。当カジノ所属のアイドル達が収録した専用ボイスで、ガチャの結果をお知らせするサービスとなっております」
「いるかそんなもん! 無駄に力入れてるんじゃねえ!!」
野次馬の中で「その収録ボイス集を販売してほしいでござる!!」「ノアきゅんの専用ボイス集だけでいいから売って!!」とアイドルマニア達が叫んでいたが、アクトは騒ぎを無視して「次からはその機能止めろ!」と言い捨てた。
「アナウンスボイス機能は、レバーの下に切り替え用のスイッチがありますので、お好みで使い分けていただけます」
「スイッチ……これね」
オーナーの少女とアクトの会話を聞いていたアメリアが、さっさとレバー付近を探り、アナウンスボイスの機能を切った。それを見たアイドルマニア達が「あー!」と叫んだがアメリアは気にせず、10連コインを投入してレバーを引く。
次こそは何かしら当たるだろう――そんなアメリアの期待も空しく、魔法陣からは再びノーマルクラスの景品が10個現れて、あっさりと終わってしまった。
「っしゃあ! これでまたはずれが減って、俺の勝率が上がったぜえ!」
アメリアを押しのけるように10連コインを投じて、ガチャを回すアクト。
しかし、魔法陣に灯る白い光が儚く消えて、後に残されたノーマルクラスの景品10個に顔を引き攣らせた。
「そうか……10連コインとは、今までの10倍の速度で引けるというメリットだけでなく、大惨敗になる速度まで10倍となるデメリットがあるのか……!」
「20万Gって、あんな一瞬で消えちまうんだな……」
「やっぱりガチャ怖い……回さなくて正解ね」
ガチャの抽選結果のあまりにもひどい惨状に、アメリアはこのまま続けていいものかと迷う。出費については、彼女の現在の資産ならどうということはなかった。
だが、今のままガチャを引き続けたところで、時間と金の無駄ではないかと思えて仕方ない。これでは、ストレスを買いに地上へ来たようなものだった。
「……へっ、へへ。こんな程度で俺が止まるかよっ!」
しかし、アクトは尚もガチャに挑もうとしていた。
「おいアメリア! てめえはもう終わりか? 恥をさらす前にさっさとVIPエリアとやらに帰った方がいいんじゃねえか、カジノクイーン様よお!」
「……っ止めないわよ! さっさと代わりなさい!」
あからさまな挑発に苛立ち、アメリアはガチャコインを手にアクトに詰め寄る。
「見てなさいよ、私の方が幸運なんだって思い知らせてやるんだから!」
「できるもんならやってみろや! 勝つのは俺だ!!」
怒声を浴びせ合いながら、アメリアとアクトは交互に10連ガチャを回し始めた。
しばらくは競うようにガチャを回しては惨敗を積み重ねる二人を茫然と眺めていた野次馬達だったが、やがて誰かの呟きをきっかけに雰囲気が変わる。
「……どっちが勝つだろうな」
「そりゃあ、おめえ……アクトの方じゃねえか? あんだけコインあるんだしよ」
「けど、あのアメリアって女はたしかジャックポット引き当てた成金だろ?
運も金も、アクトの何倍も持ってそうじゃねえ?」
「どっちも負けてオーナーの一人勝ちという可能性もあるよな……」
「……賭けるか?」
「せっかくだから、俺はあのアメリアって女に賭けるぜ!」
「俺はアクトに賭ける! 頑張れよ、ガチャ狂い! 俺のために勝て!」
結局のところ、カジノに集まる人間とは多かれ少なかれ『金を稼ぎたい』という欲を持つ者であり……そんな人々の前で勝負を始めれば、賭け事の対象となるのは当然のことだった。
好き勝手に騒ぐ野次馬達を余所に、アメリアとアクトの勝負は拮抗していた――ろくな当たりは引き当てられず、ウルトラレアどころかハイパーレアすら出ないという、ひどく低レベルな領域で。
見ている側からすれば盛り上がらない展開でしかなく、当事者の二人にとっては心を鑢で削られているような焦燥感に苛まれる、不毛な争い。
満面の笑みで喜んでいられるのは、胴元であるオーナーの少女だけだった。
「くそがあああ! こけし50体目とかふざけんなあああ!」
「アクト! そのお人形もらってもいい? 孤児院の子達にあげたい!」
「好きにしろ! 俺はこんなもんいらねえ!」
「わーい、ありがとうアクトー!」
アクトの返事に喜び、自分のかばんにこけしを詰め込んでいくラズリ。
後日、大量のこけしを寄付された孤児院の子供達から「こけしのアクト」というあだ名で呼ばれることになるのだが、それはまた未来のお話。
「……くっ」
アメリアは次の10連ガチャコインを取り出しながらも、完全に引き際を誤ったと後悔していた。
勝負なんてせずに、アクトの挑発なんて軽く流して、さっさと帰っていれば……そもそも、こんなことなら最初から地上に来なければよかった。
資金は余裕がある。VIPエリアで荒稼ぎした金銭はこの程度で尽きることはない。
しかし、だからといってこれまで積み上げてきた勝利の証である金貨が塵芥へと変わっていくのは、耐えがたい苦痛であった。
だからといって、今更引くに引けない。ここで止めたら、ここまで費やしてきた金貨の山が塵の山と化してしまう。
まるで、積み上げた金貨の山に登って、遥か頭上の何かを掴もうと足掻いているような心境だった。目指すものを掴み取れたならば、足場となって消えていく金貨にも意味があったと思えるだろうが、何も掴めずに終わるのであれば、ただ無為にこれまでの勝利の証を沼に捨てただけになってしまう。
「勝つ……私は、勝つわ……!」
自分にそう言い聞かせて、アメリアはレバーを引く。
費やした金銭を取り戻そうとして、さらに資金を投じてしまう――それは多くのギャンブラーが嵌る、賭博の沼であった。
沼の向こう岸にある宝物を手に入れるために、金貨で沼を埋め立てることで足場にして渡ろうとするかのようなものだ。
沼が埋め立てられる保証なんてどこにもなく、底なし沼であるかもしれない。
それでも、宝物のためにと金貨を一度投じてしまえば、沼に沈んだ金貨が惜しくて、次の金貨を投じてしまい――気づけば、進むも退くもどちらも地獄の底なし沼へと自身が沈んでしまう。それが、ギャンブルの恐ろしさであった。
そして――その地獄の中で尚も前進できた者だけが勝つ、というのも。あるいは幸運の女神の祝福ではなく、呪いなのかもしれない。
「……!? き、来た!」
アメリアの目の前で、魔法陣の光が黄金の輝きを放つ――ハイパーレアの景品が当選することが確定した証だ。さらにそれだけでは終わらず、黄金の光が火花のように弾けて……やがて魔法陣は、虹色の光に包まれる。
やがて、魔法陣から十の光球が生み出される――その中にひとつ、虹色の光球が眩く光り輝いていた。
「――きゃっほおおい! どうだ、見たかこんちくしょー!」
アメリアは喜びのあまり大声で叫びながら、魔法陣の中心で輝くウルトラレアの景品へと駆け寄る。
それは、月光のような輝きを放つ白銀の長弓であった。
淡光を纏う美しい弓の各所に、宝石で彩られた煌びやかな装飾が施されている。
手に持つと、まるで羽のように軽い。非力な者でも十分に扱えるだろう。
「ウルトラレア、アルテミスの神弓の当選おめでとございます!」
背後からオーナーの少女の声が聞こえて、アメリアは魔法陣から離れて少女の元へ向かう。
「アルテミスの神弓……うふふ、いいじゃない。気にいったわ。
ところでこれ、矢はついてないの? 普通の矢でいいのかしら」
「ご説明させていただきます。アルテミスの神弓は持ち主の魔力を矢として放つことができる他、弦に魔力が込められた物体を触れさせることで弓に魔力を吸収させて、様々な属性を付与できます! もちろん、通常の矢を番えることでも加護の宿る強力な弓として扱うことができるため、用途に合わせて使い分けていただける逸品となっております!」
月の女神アルテミスの名を冠する弓は、その名に相応しい特上の品であることは間違いないようだ。そのことを理解したアメリアはとても上機嫌で、さっそく自慢してやろうとアクトの姿を探して周囲を見渡した。
「――しゃああ!! やっときたぜええええ!」
アメリアが見つけるよりも早く、アクトの叫び声が響き渡った。
彼はアメリアがオーナーから説明を受けている間もガチャを回していたらしく、それを証明するかのように魔法陣は虹色の輝きを放っていた。
「感謝するぜアメリア! てめえがその弓を引いてくれたおかげで……残っているウルトラレアは俺の狙ってた獲物だけだ!」
「……あんた、まさか最初からそのために私を煽って……!?」
「てめえが俺の獲物を引かねえかどうか、賭けだったけどなあ!
楽しかったぜ、てめえとの決闘ごっこはよおお!」
叫ぶアクトの背後で、魔法陣の中心に虹色の光球が現れて、光が収束していく。
輝かしい光の中から現れたのは――どう見ても女性向けの、可愛らしいローブ状の衣服だった。
「アクト、あんたそんな趣味が……?」
「っしゃあ! ラズリ、これはお前にやる!」
アメリアの言葉を遮って、アクトは手に入れたばかりの景品『ルサリィの羽衣』を、ラズリに差し出した。
「えっ……いいの、アクト!?」
「今月の景品に俺に合いそうな物がなかったが……こいつはお前にぴったりだと思って狙ってたんだよ。まあ、サイズはちとでかすぎるがな」
「寸法直しでしたら当店なら無料で承っております! ぜひご活用ください!」
「お、そうか? ならさっそく合わせてもらえよ、ラズリ」
「――うん! ありがとう、アクト!」
オーナーの少女に案内されて別室へ向かうラズリを見送ったアクトは、「さて」と両手を頭上に挙げて、背筋を伸ばした。
「んじゃ……ガチャを回すとするか」
「……は? あんた何言って」
たった今、狙ってた大当たりを引いたばかりだというのにガチャを回すと言い出したアクトに怪訝な顔をするアメリア。
しかしアクトが何か言う前に、盛大なファンファーレと共に流れたアナウンスが、アメリアの疑問に応えた。
「ウルトラレアの景品が全て排出されたため、来月分に予定していた景品を補充した後、ウルトラレア当選確率が通常の2倍となるガチャフェスを開始いたします!」
「しゃああきたああ! 追加景品は……おお、いいねえ! 俺好みの景品があるじゃねえか! こいつは回すしかねえぜ!!」
電光掲示板に表示された追加景品の紹介に目を通して、ご満悦のアクト。彼が既にアメリアへの興味を失っているのが分かり、彼女は苛立ち怒鳴ろうとする。
だが、ガチャフェスが始まった途端、周囲の野次馬達がガチャに殺到して、人混みに遮られてアクトの姿すら見えなくなってしまった。
「今なら俺でも当てられる気がする!」
「乗るしかねえ、このビックウェーブに!」
「金は後で稼げるけど、当選確率2倍のガチャは今しか引けない……回さなきゃ!」
文句を言おうにも、既に大行列が形成されており、アクトが戻ってくるまで雑踏の中でわざわざ待つというのも億劫だった。
「……ふん、もういいわよ! 店員、私の景品は部屋まで運んでおいてね」
「は、はい! アメリア様!」
鼻を鳴らして、地下VIPエリアへ向かうエレベーターに歩くアメリア。彼女はエレベーターに乗り込む直前、ちらりとガチャ装置周辺の騒動を横目に眺めた。
人混みに飲まれて、誰かと何やら言い合っている様子のアクト。その様子を見てアメリアは、複雑な心境になった。
(私は間違いなく最高の幸運を引き当てた。贅沢三昧に、一生遊んで暮らせる程の大金持ちになった。なのに、なんで……)
――なんであんな男を、羨ましいと思っているのだろう。
自分の気持ちに明確な答えが見つからず、苛立ちを募らせている間にも、エレベーターの扉が閉まる。
アメリアの疑問はVIPエリアに戻ってからも解けることはなく……その鬱憤を晴らそうとして、彼女の豪遊の日々はこれからも続いていくことになる。
その答えは――今はまだ、彼女には見い出せそうになかった。
次回「カードバトラーアデル(仮)」
いつも感想、ご指摘ありがとうございます!
前話の修正や感想返しはまた後日させていただきます、お待たせしてすいません。




