25「誰でもない者」
王都カジノの地下深くにあるゲストハウス。
そこで、冒険者スポンサー契約が新たに結ばれようとしていた。
「いかがでしょうか、アクト様」
「……ああ、悪くねえな。もらっとくぜ」
身を包む魔鎧『スレイプニル』の着心地を確かめながら、アクトは少女に答える。
神馬の名を冠するその漆黒の鎧は、カジノオーナーであり凄腕の錬金術師として謳われる少女が用意した物だ。
魔鎧『スレイプニル』には魔法の加護が宿り、装着者がより速く、疾風の如く駆けるために力を与えてくれる。
アクトがこれまで手に入れてきた魔法の品々の効力と相まって、最早風すら追いつけないだろうと製作者である少女が語る程にまで加護の力が集束していた。
「それから、こちらが仕立て直した『疾風狼のマント』になります」
少女から渡されたマントを広げて、アクトはそこに刻まれた紋章を見る。
以前は狼の紋章が刻まれていた箇所に、かつてアクトを拾い育てたダイナ傭兵団の紋章が、黄金色の刻印として刻まれていた。
その傭兵団の紋章は、魔鎧『スレイプニル』にも同様に刻まれ、黄金の輝きを放っている。
カジノオーナーとのスポンサー契約の際、契約のボーナスとして魔鎧『スレイプニル』を求める際に、同時に頼んでいた注文通りの出来栄えだった。
ダイナ傭兵団の紋章を装備品に刻んだのは、アクトにとって決意の証だ。
諦めかけていた『強くなる』という誓いを再び心に刻むために、ダイナ傭兵団の紋章を背負う。
紋章を刻んだだけで、何が変わるという訳でもない。だが、アクトにとっては大切なことだった。
自分の限界を感じて立ち止まろうとしていた過去を振り切り、前へ進むために。
才能や資質の限界を超えて、もっと強く、もっと高みを目指すのだという決意を、まずは形にしたかった。
「紋章を確認させていただくためにお預かりしていたナイフも、お返ししますね」
少女から受け取ったナイフを、アクトは大切そうに革袋に仕舞う。
そのナイフは、育ての親であるダイナから渡された、傭兵団の一員としての証の品だ。
今では形見の品となったそのナイフは、今日まで一度も武器として使われることなく、鞘に納められたままアクトの懐に仕舞われている。
「さて……これでスポンサー契約及び特典引き渡しは完了です」
「へっ、これからもたっぷり稼がせてもらうぜ。ガチャの景品が足りねえなんて言うんじゃねえぞ?」
「もちろん。こちらも貴方には期待していますから、たっぷり働いてくださいね」
アクトの挑発的な態度を、真意を覆い隠す仮面のような微笑みで受け流す少女。
自分の目的を遂げるために目の前の相手を利用しようとする二人の様は、どこか似通っていた。
「それで、アクト様。契約に際して提供させていただく装備品は、本当にそちらの魔鎧『スレイプニル』でよろしかったでしょうか?」
「ああ? 今更何だよ?」
冒険者スポンサー契約は、数々の特典の他に代表的な利点がある。
それが、カジノの誇る高級ガチャの最上級レアリティの景品と勝るとも劣らない性能の装備品を一点、無料で製作してもらえるというものだ。
いくつか提示される案の中から選択するか、自分の求める装備品をオーダーすることもできる。
アクトは参考として見せられた装備品の中から、移動速度を上昇させる加護が宿る魔鎧を契約時に選んでいた。
「念のための確認です。アクト様は既に速度上昇の加護を宿した装備品をいくつも入手されていますから」
カジノオーナーの生み出す装備品に宿る加護の中には、もっと戦闘に適した物も存在する。
育ての親と交わした約束を果たすために強さを追い求めるアクトにとっては、そういった戦闘向きの加護が付与された装備品を選ぶべきかもしれない……それはアクト自身が迷ったことだ。
「加護が重複しても効果がない訳じゃねえんだろ?」
「はい。ですがさらに加護を上乗せするとなると、移動速度が上がりすぎて扱いにくいのではないか、と思いまして」
「んなもん、俺が慣れればいいだけだろうが。それに……」
少女の指摘した通り、アクトは新たな装備品を身につける度に跳ね上がっていく移動速度に、装備の付け替えの度に最初は振り回されている。
だがそれは承知の上で、ガチャに移動速度上昇の加護が宿る装備がラインナップされるとそれに狙いを定めて、引き当てるためにクエストに挑んでいた。
限界を超えて高まっていく移動速度も、慣れてしまえば強力な武器となる。
それに、と。アクトは少女に答えるのではなく、無意識に呟いていた。
「……今度は、間に合うかもしれねえからな」
その小さな呟きには、彼の拭いきれない無念が込められていた。
アクトが幼い頃、とある村を守るために戦い、命を落とした、育ての親であるダイナ。
――もしもあの時、もっと早く駆けつけることができていたのなら。身を挺して庇うことくらいはできたのではないか、と。
いつかまた、あのようなことがあった時、今度こそはその場に立つくらいはできるのではないか、と。
胸の奥底で燻っていた想いが自らの口から零れ落ちたことに、誰よりも彼自身が戸惑っていた。
「ガチャフェスとか、な! 前に狙っていたやつを逃したことがあったからよ。今度は間に合うようにってな!」
本心を隠すように、慌てて取り繕うアクト。
少女は特に気にした様子を見せず、ただ微笑んで「分かりました」と告げて、机の上に広げた資料を纏める。
纏めた資料を鞄に仕舞い、改めて少女はアクトに視線を向けた。
彼女の顔には微笑みが浮かんでいる。だが、相対する者に関わらず常に浮かぶその笑顔は、まるで仮面の如く作り物めいた様相を醸し出していた。
夜闇を思わせる純黒の双眸と相まって、仮面の笑顔の裏側に何かが潜んでいるような印象を抱いてしまう、そんな笑顔。
「どうかしましたか? アクト様」
「……な、何でもねえよ」
少女の纏う、得体の知れない雰囲気に飲まれかけていたアクトは、他ならぬ少女の声に我に返る。
首を傾げている少女の見た目は、歳相応の幼さを残したあどけないものだ。
肩先までかかる整えられた黒髪に、光さえ吸い込みそうな深黒の眼。
黒髪黒眼という容姿は、王国において珍しくはあるが、稀有というほどではない。
東方からの旅行者や移住民には多く見られる特徴であり、王国民にも同様の特徴を持つ者は僅かながら存在する。
要するに、少女の纏う得体の知れない雰囲気は、珍しい見た目から感じる印象ではないということだ。
そもそもが、いくつもの魔道具を生み出す凄腕の錬金術師であり、クリスティア国王家とも友好的な関係を築いているという少女だ。見た目がどうであれ、只者ではないことは間違いない。
見た目の印象と、感じ取れる雰囲気の差異に戸惑いながらも、アクトは強気な姿勢であろうとしていた。
「さて、そちらから質問はございますか? せっかくの機会ですし、疑問があればどうぞ何なりと仰ってください」
「あ? いや、別に……」
「そうですか、では今後とも――」
「はい、はいはーい! 聞きたいことがありまーす!」
対談を切り上げようとした少女の言葉を遮り、幼い子供の声が響く。
声の主は、何もなかったはずの空間から、淡い光と共に現れた。
蒼い髪の美しい、幼子の姿をしているが、その正体は人ならざる存在……精霊である。
先日、アクトの強い感情に呼び起されて生まれた精霊ラズリは、生みの親ともいえるアクトを慕っており、常に共にある。
光と共に現れた今も、カジノオーナーの少女を見つめながら、アクトの傍に身を寄せている。
「何でしょうか、ラズリ様。何なりとお聞きください」
「えっとね、あのね……あなたの本当の名前、教えてください!」
ただ、名前を聞かれた――それだけなのに、カジノオーナーの少女の表情は、凍り付いた。
先程までと変わらず微笑みを浮かべながらも、瞳に灯る警戒心の光は隠しきれていない。
少女の瞳は、名を問うたラズリの本心を探ろうとするかのように鋭く細められ……それでいてどこか、何かに怯える子供のように震えていた。
「……何故、私が偽名を名乗っていると思われたのでしょう?」
「だって『ネモ』って名前を言う時、つらそうだったから」
カジノオーナーの少女は、自らの名をネモと名乗っていた。
その名は彼女の生まれ育った世界において――『誰でもない』という意味を持つ言葉だ。
「その名前を言うのがつらいなら、呼ばれるのもつらいのかなって思って……。
だから、何でも教えてくれるなら、あなたの本当の名前を教えてほしいです!」
ネモと名乗る少女が、どれだけラズリの本心を見透かそうと目を凝らせても、きらきらと輝くラズリの瞳には邪気の類が感じられない。
ラズリがただ、ネモと名乗る少女のことを案じているというだけのことだった。
「あ、でも本当の名前を言うのが嫌だったら……」
「……いえ。何なりとお聞きくださいと言ったのは私ですから、構いませんよ」
思案するように一度、目を閉じる少女。
やがて意を決したように目を開けて、その名を口にした。
「遠木望美……こちらの言い方ならノゾミ・トオキですね。お好きなようにお呼びください」
「素敵な名前だね! なんで違う名前を名乗ってたの?」
――本当なら、私にこの名を名乗る資格なんて、ありませんから。
カジノオーナーの少女、ノゾミは零れ落ちそうになった言葉を飲み込み、「色々と事情がありましてね」と呟くように返答した。
〇
アクトとラズリとの対談を終えたノゾミは、自室に戻ると空中に手を翳した。
やがてその掌の先に、ひとつの映像が浮かび上がる。
そこに映し出されているのは、ノゾミが生まれ育った世界だ。
――ノゾミが時の神クロノスに願い、時の流れが停止した世界。そこに、ノゾミの家族がいる。
優しい両親と姉、そして……遠木望美。彼女達は家族全員で、小さな車で家路に着こうとしている。
次の瞬間にはトラックに圧し潰されて、全員が絶命するなんて想像もしていない、幸せそうな笑顔がそこにある。
今ここにいるノゾミは、神の間違いで命を奪われ、ダンジョンマスターとして異世界に転生させられた存在だ。
理不尽に命を奪われただけでなく、大切な家族が死ぬ運命にあると知ったノゾミは、時の神クロノスに願った。
自分はどうなってもいい。家族を助けたい。ただそれだけの、決して諦められない願いを。
時の神クロノスは、望美達を乗せた車がトラックに激突される前に時間を巻き戻した上で、その世界の時を止めた。
時が巻き戻ったことで、望美の家族だけでなく、望美本人も死ぬことはなく、時の止まった世界で存在している。
それはつまり――ダンジョンマスターとして異世界に転生させられたノゾミにはもう、元の世界に居場所がないことを意味していた。
遠木望美という少女は、今もまだ家族と共に生きていて。家族達にとって本当の望美は、彼らの傍で微笑んでいる望美なのだから。
決して……人の不幸を蜜として啜ることに悦び、心を弄んで糧を得るような怪物は、遠木望美ではない。
「だから私は、誰でもない者なんです。……それで、良いはずなのに」
家族を救うと誓ったその日から、彼女は自身に言い聞かせてきた。
自分は既に遠木望美ではなく、誰でもない者ネモである、と。
例え、家族を死の運命から救えたとしても、その未来に自分ネモの居場所はない――それでも、家族を救えるのならば自分がどうなろうと構わないと、覚悟していたはずなのに……かつての名前を問われただけで、彼女の心は揺れていた。
今更、自らが遠木望美であることに未練を抱く余地など、残されていないというのに。
「――ノゾミ」
誰もいなかったはずの空間から、一人の少年が姿を現す。
時の神クロノス――ノゾミの事情と思惑を知る、世界で唯一の存在である。
「何ですか、クロノス。また何かしろと言うのですか」
「君は……」
何やら言い淀むクロノスの様子に、ノゾミは怪訝な顔で彼を見た。
部屋の灯りに照らされた白銀の髪の奥で、緋色の瞳が輝く。その鮮やかな瞳の輝きの中に、普段は見えない迷いの色が浮かんでいるように思えて、少女はさらに困惑する。彼女の知るクロノスという少年は、遠慮なんて知らないとばかりに言いたいことを言ってくる厄介な神だったからだ。
「……ごめん。やっぱり何でもない」
結局、それだけを呟いて、クロノスは姿を消した。
まるで最初から誰もいなかったかのように、瞬く間に消えてしまい、ノゾミの自室には再び静寂が訪れる。
「な……何なのですか、もう」
すっかり調子が狂ってしまったノゾミは、ポケットからスマートフォン――異世界仕様に調整された特別製だ――を取り出して、時間を確認する。
まだ慌てる程ではないが、そろそろ休憩を終える予定の時間が近づいていた。
「……そろそろ、行きますか」
部屋で閉じこもっていては、また暗い思考に包まれてしまいそうだと、ノゾミは腰を上げる。
後悔も懺悔も絶望も、家族を救ってからすればいいと、自分に言い聞かせて。
そうして彼女は今日も、遠木望美という少女の顔に、ネモという仮面を張り付けて、部屋を出た。
〇
「君は……怪物になんて、ならなくていいんだ」
どこでもない、世界の狭間とでも表現するべき不可思議な空間で、クロノスは呟いていた。
それは少女に伝えようとして、伝えられなかった言葉。
彼女が名前のない怪物であろうとするまでに追い詰めている神々に、それを言う資格はないと。
何もかもを利用して、少女の不幸さえも利用して、本懐を遂げようとしている自分には、彼女を慰めることすら許されないと、クロノスは自らを詰っていた。
「君のおかげで、多くの人々が救われている……自分の目的のために利用しただけだと君は言うだろうけど、それでも……世界には君のおかげで、たくさんの希望が生まれている」
何もない空間に突然、いくつもの光景が浮かび上がる。
そこには、直視に耐えない悲惨な結末が、いくつも映っていた。
血の繋がらない子供を息子として拾い育てていた男が、訓練と称して子供を殴り殺してしまい、その罪に心を壊してしまう――その映像に映る子供は、今では強くなろうと立ち上がり、男もまた己に迫る限界の壁を越えようと足掻いている。
街道で魔物に襲われて命を落とすはずだった商人の家族は、騎士団を辞した元女騎士の冒険者によって救われて、今日も王都で仲睦まじく未来を目指して生活を営んでいる。
本来なら共に歩むことなく、孤独に戦場で潰えていた戦士と、天性の才を疎まれ不遇な環境に追いやられていた治癒術師は、邪龍の討伐に始まり、二人で様々な英雄譚を紡いでいる。
不可思議な空間に浮かぶ光景は、有り得たはずの未来だ。異世界からダンジョンマスターとして生まれ変わった少女の存在がなければ、現実となっていただろう未来だ。
遠木望美という少女が、意図して未来を変えた訳ではない。だが、それでも優しい未来は、確かに彼女の存在がきっかけとなって築かれている。
「……君や、君の家族が不幸であるおかげで彼らが救われたなんて……言えないよ」
少女の死は神の過ちであり、彼女の家族の死は神が定めた運命である。
自らの死よりも、家族の死を嘆き、その運命を覆そうと足掻く少女のおかげで、この世界の多くの人々が救われて――少女だけが、未だ救われない。
まるで、少女の死も、その家族の不幸も、この世界の人々のためであるかのようで――本当に。
「本当に、都合のいい存在だよ、君は……」
自分で呟きながら、苦々しい表情で俯く時の神クロノス。
その姿は人々の想像する神とは程遠く、自らの無力を嘆く少年にしか見えなかった。
次回「10連ガチャ(仮)」
今年もよろしくお願いします!
……一年も放置して、すいませんでした(汗)。
感想返しも放置してしまってて申し訳ないです、明日の仕事終わったら順番にやっていきます。
スランプになりながら書いては消してを繰り返していたので、おかしいところがあったら教えてもらえると助かります。 これからもどうかよろしくお願いします。




