24「賭場の中心ではずれと叫ばれた魔剣」
私生活がようやく落ち着いてきました、執筆活動を少しずつ再開していきたいと思います。
長らく何もご報告できず、申し訳ございませんでした(汗)。
「ひとつ打っては金の為、ふたつ打っては金の為、みっつ打っても金の為!!」
鍛冶場にてドワーフの女性――幼い少女に見える外見だが立派な成人女性だ――が、口から欲望を迸りながら金槌を打ち下ろしている。
ドワーフの女性……キャロルは一見ふざけているように見えて、手馴れた様子で金槌を打ち込む。彼女の熟練された技術は、高温に熱した鉄塊を確実に剣の形へと仕立て上げていった。
見た目は子供でも、彼女が磨き上げてきた鍛冶師としての腕前は一級品と呼べる確かなものだ。その細い腕からは想像できないような力強さで、キャロルの振るう金槌は正確無比に鉄を打つ。
「そして稼いだお金は……ノアきゅんのためー!!」
彼女の黄金の瞳は欲望に曇るどころか、むしろ爛々と金貨の如く輝いていた。
ちなみにノアというのは、彼女が熱中している男性アイドル――王都カジノで活動中の大人気役者の名前だった。
以前、知人に誘われて見ることになったコンサート。
そこで、他の男性アイドル達と共にノアが披露した歌声や踊り、そして屈託のない朗らかな笑顔に魅了された。それ以来キャロルは、カジノで頻繁に行われるコンサートに足繁く通っている。
鍛冶だけを生き甲斐に過ごしていた頃よりも活気に満ち溢れた彼女は、今日も鍛冶ギルドから請け負った仕事に励んでいた。
仕事で稼いだお金で、アイドルのグッズを買い集める為に。
口から欲望を駄々漏れにしながらも、キャロルはてきぱきと仕事をこなしていき、やがて見事な出来栄えの剣を完成させた。
剣の仕上がり具合を自分の目で様々な角度から見定める。
どこにも問題がないと確信したキャロルは、出来上がったばかりの剣を鞘に収めて、納品用の木箱に入れる。
木箱の中に置いた剣の本数を数えて、依頼書と照らし合わせて仕事が終わったことを確かめた彼女はぐっと背を伸ばして、解放感に満ちた笑顔を浮かべた。
「……よし、これでお仕事完了! ギルドに納品してガチャチケットもらったら速攻で売り払って……」
職人ギルドの仕事を終えると給金の他にガチャチケットという報酬がもらえる。このチケットは5枚集めると1回10000Gという、カジノの高級ガチャを回せる利用券だ。
ガチャに興味がある人物に5枚セットで売り込めば少なくとも5000G以上で買い取られるため、キャロルにとってはアイドルグッズ代を稼ぐ為のおいしすぎる臨時報酬だった。
仕事の内容次第では報酬金が少なくてもガチャチケットの販売額で十分に稼げるというのだから、どんな仕事でもやる気が溢れるというものだった。
「今日は何を買おう……目ぼしいグッズは一通り揃ったし、そろそろ新しいグッズとか発売されないかな」
随分と増えたアイドルグッズコレクションを思い出し、にやけながら荷造りを進めるキャロル。剣だけではなく、釘などの資材類も別途小箱を用意して詰め込み、鍛冶ギルドに運ぶ準備を整えていく。
「あれもよし、これもよし……うん、ばっちり!」
工房の外に停めてある荷車に納品物を梱包した木箱を積み終えたキャロルは、鍛冶ギルドに向かって荷車を引いて歩き出す。
いくつもの鉄製品を載せた荷車はかなりの重量になっているが、ドワーフという種族は男女問わず力強いことで有名だ。キャロルもまた、ドワーフとして生まれ持った筋力で、重荷を苦にせず軽々と運んでいく。
日頃から鍛冶に勤しみ、毎日のようにギルドに納品へ向かう彼女のことは、以前から近所で話題になっていた。
「ぐふふ……改造用にノアきゅんフィギュア3個目とか……だ、抱き枕とか、今日こそは買っちゃおうかな……!」
最近は、彼女がアイドルにのめり込んでいることもすっかり広まっていたが、彼女はまったく気にせず今日も自由に生きている。
〇
無事に鍛冶ギルドへ納品を終えて報酬を受け取ったキャロルは、さっそくカジノに訪れていた。ガチャチケットを求める者は、カジノに集まっていることが多い。
特に、高級ガチャ周辺にはガチャチケットの売買が目当ての者達が自然と集まるスペースがある。
高級ガチャの近くに設置された、いくつかの机と椅子が揃えられた休憩所。そこは今日も、カジノ内の騒音に負けないくらいに活気に溢れていた。
「チケット5枚で4980Gよ! 半額でガチャ1回引けるからとってもお得!」
「こっちは1セット4800G! お買い得ですよ!」
「ガチャコイン10枚45000G! 交換済みだからすぐに使えるぜ!」
(ここ最近は相場がけっこう安いなあ。
高い時はチケット5枚セット8000Gとかでも売れてるのに)
チケットやコインを売ろうとする者達の声を聞いて、キャロルは少し悩む。
高級ガチャは1回10000Gという大金を必要とする賭博だ。だから、それを1回利用できるガチャコインにも相応の値段がつく。
しかしここ最近、ガチャコインの相場の下落が続いていたが、ついに5000Gを下回っている。
(ダンジョンブレイカーズとか、ガチャコインを入手できる機会が増えた影響かな……?
ここで売っちゃうより、再び高騰するのを狙って買い込むのもひとつの手だけど、どうしよう)
元々は冒険者ギルドとの提携で、クエストをこなすと報酬に追加でガチャチケットがもらえるという仕組みだったのが、最近は王都の様々な場所で手に入れる機会が用意されている。
鍛冶ギルドを含めた生産職業向けのギルドの追加報酬や、カジノが開催している競技の賞品。他にも、コンビニという店舗でキャンペーンくじの景品になっていた。
需要と供給。そのバランスによって相場は変動するのだが、今はガチャチケットとコインが供給過多になっている様子だった。
「いつもなら、アクトの奴が全部買い尽くす勢いで買うんだがなあ」
「さっさと帰ってこないかなあ、ガチャ狂い。いい金づるだってのに」
「いっそ自分でガチャ回しちゃう? ……けど、それで外れたら大損だよね」
当たれば天国。外れは地獄。それは賭博の常だが、ガチャは結果が特に両極端となる大博打だ。
最上級のウルトラレア級のアイテムは、オークションで億を超える金額で取引されるのに対して、一番出現率の多い外れ枠のノーマル級は、その辺の雑貨屋で安価に取引されている代物だったりする。
そのようなギャンブルに手を出すよりも堅実にガチャコインを売って稼ごうとする者が多いのは別に不思議なことではなかった。
キャロル自身、ガチャを回したことはなく、今後も回すつもりはない。カジノに通っているのは利益のため、そして好きなアイドルのためなのだから。
(私の場合、ウルトラレア級の装備品とかは欲しいというより自分で作りたいっていう気持ちの方が強いのよね)
高級ガチャの景品である、凄まじい性能を誇るウルトラレア級の装備品は、鍛冶師であるキャロルにとっては確かに憧れのアイテムだ。
だがそれは、自分で使ってみたいというのではなく、いつか鍛冶師として製作してみたいという、製作者としての目標。
実物を手に入れて参考にするのもいいかもしれないが、そのために大博打に挑む気にはなれない。
(そもそも、今はどんな景品が排出されるのかな。興味なくて見てなかったな)
高級ガチャから出現するアイテムは、ガチャ装置の近くに設置された掲示板に残数まで含めて表示されている。
ふと何気なく、今の高級ガチャに残っている景品の一覧表を眺めていたキャロルは、表示される景品の中のたったひとつの品物に度肝を抜いた。
「ふおっひょう!?」
思わず奇妙な叫び声を漏らしてしまったキャロルは、慌てて口を閉じて、しかし掲示板から目を離せずにいた。
常に表示が入れ替わる不思議な掲示板――電光掲示板という品物らしい――には、キャロルの興味を強烈に惹き付ける品物が表示されていた。
最上級のウルトラレア――では、ない。
下から数えた方が早い、ノーマルのひとつ上、レアの景品。
そこには――男性アイドル、ノアの本人直筆サイン入りポスター、と。確かにそう表示されている。
どうやら他のアイドル達のポスターと共に、今月のガチャのレア景品となっているようだ。
(こ、こんなの……ガチャを回すしかないじゃない!!)
電光掲示板には、景品の残数も掲載される。アイドルポスターシリーズは希少度が下から二番目に低いレアに設定されていることもあり、既に在庫がなくなったアイドルのポスターもあるようだ。
キャロルにとって幸いなことに、ノアのポスターはまだ残っている。だが、残された数はほんの僅かだった。
(残りはたったこれだけ!? ……け、けど逆に言えばそれだけ、今まで誰かが引き当てたってことよね。なら、すぐに手に入るかも!)
高級ガチャは、希少度の高い景品を目当てに挑んで散財した者達の噂話はいくらでもある。だがキャロルの狙うレアという希少度は、高級ガチャにとっては所謂はずれの景品だ。
下から順に、ノーマル、レア、スーパーレア、ハイパーレア、ウルトラレアと、より上位の希少度になるほど、景品はより良い物になり、出現率が低くなる。
それなら大して珍しくないはずのレアの景品なら、案外一発で目当ての物が手に入るかも、とキャロルは期待しながら受付へ向かった。
「これ、ガチャコインと交換してください!」
キャロルは先程売ろうとしていたガチャチケットを、受付カウンターに立つ少女に差し出して、そう言った。
見た目は普通の少女に見えるのだが、彼女はカジノのオーナーであるらしく、それなのに日頃から受付やイベントの司会者などを勤めている変わり者として噂になっている。
「はい、承りました! それでは……チケット50枚お預かりで、コイン10枚と交換になります!
グッドラック、です!」
受け取った10枚のコインを握り締めて、キャロルはガチャ装置に向かう。
鍛冶仕事の対価で得た、ガチャチケットと引き換えにした10枚のコイン――相場の下落している今でも、売ればかなりの金額になるだろう。
それを一か八かのギャンブルに投じるなんて、普段のキャロルなら絶対に考えないことだ。
(まあ、多分すぐに手に入るよね。ウルトラレアを狙うわけじゃないのだし、10回も引けば……大丈夫、よね?)
ちょうど今は誰もガチャを利用しようとしておらず、キャロルは順番を待つことなくガチャ装置の前に立つことができた。
キャロルがおずおずとコインを投入口に入れて、レバーを引く。すると、ガチャの景品が現れる魔法陣が光り輝いて、いくつもの光の粒が明滅する。
魔法陣に灯る光の色が、現れる景品のレアリティを示す。白はノーマル、緑がレア、赤がスーパーレア、黄金がハイパーレア。そして最大の大当たりのウルトラレアは虹色。
キャロルの目の前で魔法陣は、純白の光を生み出して……そのまま消える。
光が消えた魔法陣の中心に、小箱が置かれている。どうやらあれが、今回の景品らしい。一番のはずれであるノーマルの景品だ。
小箱の中身を確かめてみると、小売店で100Gもあれば買えそうな、ありふれた瓶入りポーションが入れられていた。
飲めば傷を癒せる、冒険者の必需品。だが、1回10000Gのガチャの景品としては、ただのはずれでしかない。
「……ま、まあ一回目だしね? 次よ、次」
気を取り直したキャロルは再びコインを投じて、レバーを引く。
魔法陣は光り輝き、その光は白色から緑へと染まり――やがて、光は消失する。
これは来たか、と注目したキャロルだったが、光の中から現れた小箱を開けると中身はポスターではなかった。
カジノが売り出したという、体力回復の効能が強いエナジーポーションがいくつか詰められたセットだ。
これも評判の良い品物だが、10000Gを対価に得るアイテムとしてはまったく割りに合わない。
既に2回目――現金で回していたなら、20000Gも賭けていることになる、大博打。
キャロルはまだガチャチケットで得たコインで回しているため一銭も失ってはいない。
だが、今の下落した相場でも、安く見積もっても約9500G以上の利益は出るだろう、ガチャコイン2枚を投じている。
これ以上は止めておくべきだと、キャロルは自分の心の内から警鐘が鳴り響くのを感じていた。
けれど、彼女の手は3枚目のコインを投入口に放り込み、レバーを引いていた。
(つ、次で手に入るかもしれないし……ここで止めて、あとでやっぱり欲しくなった時には品切れかもしれない!)
続ければいつか、目当ての品物が手に入るかもしれないという、幻想。
その幻想はギャンブルに潜む魔物に他ならない。
キャロルの知る由もないことだが、とある世界で行われた動物実験が、その幻想が齎す恐怖の一端を解明していた。
実験の概要は、ボタンを押すと必ず餌が出てくる箱Aと、時々しか餌が出ない箱Bを用意する。
箱Aと箱Bを、それぞれ別の動物にボタンを押させて、しばらく餌を与えることで「この箱のボタンを押せば餌が手に入る」ということを教え込ませていく。
そしてある時を境に、両方の箱をボタンを押しても餌が出てこないようにする。
すると、必ず餌が出ていた箱Aを与えられていた方の動物はやがて「この箱からはもう餌が出てこない」と理解して、箱への興味を失うそうだ。
だが、時々しか餌が出ない箱Bを与えられた動物は、ずっとボタンを押し続けるらしい。
これまでにも出ないことはあった。けど、次こそは出るかもしれない――いつまでも、そう信じてボタンを押す作業を延々と繰り返す。
次は、目当ての物が手に入るかもしれない……その、『次』への期待が抑えきれなくなる気持ちこそが、ギャンブルに潜む魔物の正体だ。
ギャンブルの魔物に一度でも魅入られたなら、逃れることは決して容易くはない。
最初はちょっとした遊びのつもりでも、早々に逃げなければ、やがて引き返せない程に深入りしてしまう。
その後はもう、天運に恵まれて大勝した上でギャンブルを終わらせない限り、結末はろくなものとならない。
天運すら飲み干されて、手痛い傷を負わされて逃げ帰るか――骨までしゃぶり尽されることになる。
「う、うぐぐ……次よ、次こそ!」
3回目のガチャもはずれを引き、それでも次のコインを投じるキャロル。
坂から転がり落ちるように回した4回目――魔法陣の光が緑色に染まった。
(そのまま、そのまま変わらないで……! そして来なさいノアきゅんポスター!!)
しかしキャロルの願いに反して、光は赤色へと変じた。
またポスターの当選から遠のいて嘆くキャロルの目の前で、光は霧散していく。
スーパーレアを示す赤い魔光の消えた後には、台座に飾られた一振りの剣が現れていた。
手に取って確かめてみると、スーパーレアということもあり中々の出来栄えだ。
綺麗に磨き上げられた刀身。そして美しいだけではなく力強く逞しいその剣はどこか見覚えが――。
「ってこれ、私が先週納品した剣じゃないのおお!!」
昨日の仕事で鍛冶ギルドに納品した、キャロルが作り上げた剣。
その剣は何の因果か、製作者である彼女の手元へと戻ってきてしまった。
(し、仕事で得た報酬で自分の作った剣を取り戻すとか何なの!?)
鍛冶ギルドで買い取られた品物のいくつかはカジノに売却されていると噂に聞いたことはある。
だが、その真偽を自分で確かめることになるとは思わなかったキャロルは、「ぐぬぬ……!」と唸りながらも、次のコインを投入していた。
「次よ、次こそ……! 次こそは……!」
目当ての景品が手に入らず、悔しがりながら、キャロルはレバーを引く。
最早彼女の頭に、ガチャコインを残して途中で挑戦を止めるという選択肢は残されていなかった。
賭博の熱に心を焼かれて冷静さを欠いた者は、これ以上は挑戦できないという状態になるまでやり続けてしまうことが多い。
次こそは当たるかもしれない。負けたまま止めたら失った物が無駄になる――止めることで守れる財貨よりも、続けることで得られるかもしれない可能性に惑わされて、突き進んでしまう。
その結果、大当たりを引き当てて報われる者は稀であり、ほとんどの者は途中で止めなかったことを悔いることになる。
「あ、あああ……わ、私の、私のガチャコインが……!」
たった今、10枚のガチャコインを使い果たしても満足できる結果を得られず、膝から崩れ落ちたキャロルのように。
そもそもがたった10回で目当ての品物を得ようというのが、無茶な話。ガチャの景品数は、はずれも含めれば数万をたやすく超えているのだから。
まだキャロルは手元にあったガチャコインしか使っていないため、現金は減っていない。
だが、ガチャコインは彼女が仕事を真面目にこなしたことで得られた、努力の結晶だった。
積み重ねた仕事の成果の一端が沼に沈んだ……しかも自分の手で沈めてしまったとあっては、その後悔は彼女の心に重く響いた。
そんな彼女の耳に、背後から声が聞こえてくる。
「ガチャコイン、今なら1枚4500Gで売りますよー!」
「こちらはコイン5枚セットで20000G! お安くしてますぜ!」
「コイン10枚で40000G! もってけドロボー!」
ガチャコインを売ろうとする者達の、騒がしい売り声が。
相場よりかなり安くなっている、ガチャを引きたい者にとってチャンスとなる呼び声が。
次に来た時にはもう、アイドルポスターも、ガチャコインの相場の下落も終わっているかもしれないと思うと――。
(こ、これはもう……ガチャを引けっていう神様のお告げじゃないの!?)
――彼女が錯覚に陥るのも、無理はなかったかもしれない。
ギャンブルが止められなくなった者は、自ら望むかのように錯覚に浸ってしまいやすい。
今日は運が良さそうとか、好機が目の前にあるとか、自分に都合の良い空想があたかも真実であるかのように、思い込んでしまうのだ。
(ここまでコインが安くなることなんて、今後ないかもしれない……ううん、きっとない!
だからここは、挑むべきなのよ! お金なら、また稼げばいいんだし!)
今はきっと好機だから――お金ならまた稼げるから――自分に言い聞かせるように、キャロルは『ガチャを回しても大丈夫な理由』を頭に次々と思い浮かべる。
しかしその思考は、既に泥沼に踏み入れてしまっている。決して、大丈夫なんかではない。
本当に今が好機なんていう根拠はどこにもなく、賭博に投じたのと同額の金銭を再び稼ぐのにどれ程の時間と手間が必要なのか、まるで考慮できていない。
だがこれは彼女だけが陥る思考ではない。ギャンブルに熱中する者の多くは『賭博を続けても問題ない理由』を自分に言い聞かせようとする。
彼女もまた、賭博の魔物に飲まれつつある子羊であった。
(まずは家に戻って貯金を持ってこなくちゃ!)
仕事帰りに立ち寄っただけのキャロルは、ガチャに挑むには軍資金が心許なかった。
キャロルはガチャの景品を抱えて、カジノの外へと大急ぎで駆け出す。
気が急いていた彼女は、出入り口で少女を連れた男性とすれ違ったことにも気付かず、全速力で家路を疾走していった。
〇
「こ、これだけあれば……さすがに当たるはず……!」
家からかなりの大金を持ち出してきたキャロルは、息を切らせながらカジノに戻ってきた。
さっそくガチャチケットかコインを買おうと、普段から売り声が響いている場所へ向かう。
何やら先程よりも騒がしくなっていることに気付いたキャロルは、怪訝そうにしながら目的の場所を目指した。
「ガチャコイン1枚6000Gですよー!」
「コイン5枚で28000G! さあ、どうだ!」
「コイン10枚で50000G! こっちの方が得だぜ!」
キャロルが目的としていた取引場所には着いた。
だが、売り声の内容を聞いて彼女は驚愕する。
(す、すっごい値上がりしてる!? 何で、急にどうして相場が変わったの!?)
コインの相場が下落していたからこそ、貯金を崩してまでガチャを回そうと決心したキャロル。
だが、家に資金を取りに戻っていた僅かな時間で、相場はかなり上昇していた。
急激な相場の上昇が起こった理由が分からず困惑していた彼女だったが、原因となる人物はすぐ近くにいた。
「おい妖怪ガチャ回し! もっと買ってもいいんだぜ!」
「アクトさん! あなたのこと、ずっと待っていました! ……金づる的な意味で」
「今の内に買わないと後悔するぜ、ガチャ狂い!」
「てめえら、人が帰るなり好き放題言いやがって……全部買うから、さっさとよこしやがれ!」
さながら餌を奪い合う鳥の群れのように、売り手達に群がられている一人の青年。
キャロルはその人物と直接の面識こそないが、噂には聞いたことがある。
妖怪ガチャ回し、ガチャ狂い、子連れ童貞、ガチャを回すために生まれてきた男――などと数多の奇妙な異名を持つ冒険者、アクト。
「ガチャ廃人アクト……奴の存在が相場を揺り動かすという説は、真実だったのか……!」
「あいつなら値段吊り上げても余裕で買うから、売り手からすれば良いお得意様だよな」
「何だっていい! ガチャコインを売り払うチャンスだ!」
「ひゃっはー! 売り込めー!」
ガチャコインを売ろうとする者達にとっては降って湧いたような好機。
だが、これからガチャを回そうとしていたキャロルには大誤算だ。
(あ、あのアクトって男が帰ってくる前に安い相場でコインを買えていたら……! ぐ、ぐぎぎぎ!!)
あまりのタイミングの悪さに、キャロルは思わず歯が軋むほどの強さで奥歯を噛んでいた。
そんな彼女の心境を知る由もなく、アクトは周囲を取り囲む人々に辟易した様子で取引をこなしていく。
しかし、資金が無尽蔵に湧いて出てくる訳もなく、やがて彼が「もう終わりだ、終わり!」と根を上げるのはそう遅くはなかった。
「っていうか、俺はこれから用事があるんだよ! いつまでも取り囲んでるんじゃねえ!」
「お前の用事って……ガチャ以外に何かあるのか?」
「契約だよ、契約! これからスポンサー契約してくるんだっての!」
アクトの言葉に、周囲の群衆がざわめく。
彼の言うスポンサー契約というのは、正確には冒険者スポンサー契約という、カジノ側が行っている事業のひとつだ。
カジノオーナーに見込まれた冒険者を対象に、装備品や必需品の提供の他にも、契約者を主役にした冒険記の執筆など、冒険者側にとって至れり尽くせりの支援が受けられる。
先日、紆余曲折を経てBランク冒険者として認定されたことから、アクトもスポンサー契約を持ちかけられるのではないかと噂されていたのだが、それが実現したようだ。
「やはり、Bランクに昇格することが条件なのか……?」
「アクトがスポンサー契約を結ぶ、もっと稼ぐようになる、その稼ぎでガチャを回しまくる……つまり今まで以上にガチャコインを買う!」
「よーしきた! ガチャ廃人、さっさと契約してきなさいよ。そしてもっと私に貢ぎなさい!」
「稼ぎ時だあああ! もっともっとガチャに搾取させるんだあああ!!」
「てめえらのために契約してくるんじゃねえっての! ……せいぜいガチャコイン溜めて待ってろ!」
金儲けのチャンスに盛り上がる人々の輪から抜け出して、青い髪の少女を伴ってカジノ中央の巨大な柱へと向かうアクト。
待機していた職員が柱の側面に触れると、扉が左右に開かれた。その扉の向こうには、柱の中に作られた小部屋がある。
エレベーター、と呼ばれる装置だ。現在はまだカジノでしか稼動していないが、いずれは世間に広められる予定らしい新技術。
キャロルも話に聞いたことはあるが、エレベーターが実際に稼動しているところを目にするのは、これが初めてだった。
エレベーターにアクト達が乗り込みと、誰も手を触れていないのに扉が閉まる。
仕組みの分からない不思議な装置につい見入っていたキャロルは、周囲の変化に気付くのが一足遅れてしまった。
「おっと、のんびりしている場合じゃねえ! 今の内にガチャコインを稼がないと!」
「え? でもガチャ廃人の奴は資金が尽きたっぽいし、戻ってきてもすぐコインを売れる訳じゃないでしょ?」
「あいつが戻ってきたのは確かにコインを売るチャンスだがよ、あいつに低ランク依頼を根こそぎ持っていかれるピンチでもあるんだよ!」
「Bランクに昇格したのだから高ランク依頼をメインにするだろう……そう考えるのが普通です。
ですが彼の場合、高ランク依頼の達成の合間にも低ランク依頼をこなしてしまいそうですね」
「……無いとは言い切れないわね。じゃあ本当に急がないと! ただでさえ楽な依頼は競争率激しいのに!」
「どうせならここにいる面子でパーティ組んじまうか? お互い事情が分かってる方が手っ取り早い!」
「そうね、ぜひお願いするわ! 私は魔法使いで、得意魔法は……」
先程までガチャコインを売ろうと集まっていた人々が、次々にカジノの外へ向かって歩き出していく。
それに気付いたキャロルは慌てて「あ、あの! ガチャコインを私に売って――!」と声を掛けるが、人々は即席のパーティを作るのに夢中で、キャロルの声が聞こえていない様子でどんどん立ち去っていく。
キャロル一人で大勢の人の流れを止めることはできず、ついさっきまで賑わっていたカジノロビーは、あっという間に閑散としてしまった。
後に残ったのは、ガチャに関わらず過ごしているカジノの利用客達と、カジノ内に設置された子供向けの玩具が出てくる低額のガチャを楽しむ人々。
「あんた、ガチャコインが欲しいのかい? ……1枚8000Gで売るよ、ひっひっひ」
そして、こちらの足元を見て値段を吊り上げてくる、僅かな人数の売り手達だけだった。
変動の激しい相場から考えても、ほぼ限界まで値上げされたガチャコイン。
しかし、現金でガチャを回すことに比べればまだ安く、今を逃せば目当てのポスターは手に入らないかもしれない。
(いっそ、他の人が引き当てるのを待ってポスターを買い取ったほうが……い、いや、けどその人がノアきゅんポスター目当てだったら多分売ってくれない……!)
何としてもノアのポスターを手に入れたいキャロルは、万が一にも手に入らない可能性を消したくて、思い悩む。
そもそもガチャを回したところで目当ての物が手に入る可能性なんて僅かしかないのだが、だからといって何もしなければ絶対に手に入らない。
さっきの売り手達が稼ぎ終えて帰ってくるのを待つとしても、相場が下がる保証はなく、待機している間にポスターが誰かに引き当てられるかもしれない。
「くっ……か、買うわ! 何枚まで売れるの!?」
「ひっひっひ、まいどあり……」
散々悩んだ末に、キャロルは1枚8000Gという高騰した値段でガチャコインの購入を決意する。
その後、他の売り手達にも交渉して回り、予算ぎりぎりまで使い果たしてコインを手に入れたキャロルは、ガチャ装置の前に向かった。
(……今までガチャを回す人を見る時、なんて無茶な博打をするんだろうって思ってた。
けど、自分が回す側になってようやく分かった……これは、魔物よ。人の欲望を掻き立てて金を喰らおうと牙を研いでいる魔物……!)
所謂はずれ枠であるレアに設定された、たった1枚のポスターを狙うだけでもこれだけ心を乱される。
ならば大当たりであるウルトラレアの景品を引き当てることに人生を賭けて挑む者達は、どれほど祝福の瞬間に焦がれて、そして散っていったのだろうか。
一歩、装置に近付く度に、魔物の巣窟に踏み込んでいるかのように錯覚を感じる。
だが、それでも、欲しい物が手に入るかもしれない期待と、この機を逃せば二度と手に入らないかもしれない焦燥に、キャロルは突き動かされていた。
(だ、大丈夫……! ちょっとだけ、ちょっとだけ回すだけだから……!)
その「ちょっと」のために失われる金額は、決して安くはない。
しかし、それを意識してしまえば前に進めなくなってしまいそう。
だからキャロルはガチャを回すことで失われるものを考えないようにして、ガチャ装置へ向かう足を速めていった。
「よ、よし……回すわ、回すわよ……!」
やがてガチャ装置の前に辿り着いたキャロルは、何度も深呼吸を繰り返して、揺らぐ決意を必死に押し留めていた。
一度回せば、そこからは坂を転げ落ちるように賭博の泥沼に飛び込むことになる……そう確信しながらも、キャロルは震える手でコインを投入口に入れて、レバーを握り締める。
「……でい、りゃああああ!!」
キャロルは意を決してレバーを一気に引く。さっそく魔法陣に光が灯り――白色のまま、光が消えた。
一番のはずれ、ノーマルの景品が確定した瞬間だった。
「この、このおおお……!」
出てきた景品の内容も確かめずに、キャロルは再度コインを投入して、レバーを引き倒す。
次の景品のレアリティを示す魔法陣の光が白、緑と変わり、続いて赤色へと転じた瞬間。
「次よ、次こそ……!!」
まだレアリティも確定していない内に見切りをつけたキャロルは、叫びながらレバーを引いていた。
連続で引いた場合、魔法陣の上の景品は自動的にストック置き場へと転送されて、次のガチャの抽選が始まる仕組みになっている。
なので魔法陣には次の景品のレアリティを示す光が灯っているのだが、それがレアを示す緑より上位の色に変わると、キャロルは動き出していた。
「はずれ……これもはずれ……またはずれええええ!!」
本来ならレア以上の景品は、ばらつきはあるがどれも10000G以上の価値がある物ばかりの、当たり枠だ。
だが今のキャロルにとっては、レア枠の、それもノアのポスター以外は総じてはずれ。見るのは後で十分だった。
周囲が困惑する中、キャロルは矢継ぎ早にガチャを回し続けていく。その顔は、鬼気迫るものがあった。
キャロルの持つコインが、早くも残り数枚になった頃――魔法陣が、虹色に眩く輝いた。
ガチャにおける最上級の祝福。ウルトラレアを約束する淡い魔光。
受付でカジノオーナーの代わりに待機していた女性従業員が、慌ててハンドベルを手に取って祝福の言葉を告げようとして――。
「はずれよ!! つぎいいいいいいい!!」
「おめで――ええっ!?」
ウルトラレアの景品にすら憤慨した様子で次の抽選へ進むキャロルの姿に困惑して、受付係の従業員は思わず驚愕の言葉を零していた。
キャロルは背後で響く困惑の声などまるで意に介さずに、コインが残り僅かとなった事実に震えながらも新たにガチャを回す。
カジノの地下深くで、魔法の力で店内の様子を観察していたカジノオーナーの少女も「ええっ!?」と驚いていたのだが、キャロルがそれを知ることはなかった。
冷静さを失い、ウルトラレアすらはずれと断じてガチャを回し続けたキャロル。
だがそれも、無限に続くということはない。ガチャコインが無くなれば、新たにコインを買い足すか、現金を投じなければ回せないのだから。
「最後の、さいごのいちまあああい……!」
キャロルはぷるぷると身体を震わせながら、ケースにただ1枚残ったガチャコインを投入口に叩き込み、レバーを圧し折りそうな勢いで引き倒す。
魔法陣の光が緑色になった瞬間、彼女は魔法陣の端に縋りつくように這い蹲り、魔法陣の描かれた床をばんばんと叩き始める。
――後にガチャのオカルト攻略法のひとつとして定着する「床パンチ」誕生の瞬間であった。
「そのまま、そのまま変わらないでええええ! ノアきゅん、ノアきゅんポスターァアア!!」
恥も外聞も投げ捨てて叫ぶキャロルの姿に、周囲で遠巻きに様子を見ていた観客達も思わず後ずさる。
この時、カジノの地下深くで「あれですか! 操作、間に合えええええ!」と叫ぶカジノオーナーが従業員達に目撃されていたのだが、それはまた別のお話である。
やがて、魔法陣の光は緑色のまま消失していき、光の粒が舞い散る中、額縁に入れられた1枚のポスターが現れる。
キャロルは、現れた景品の正体を確かめようと、眩い光に目を細めながら魔法陣の中心に歩み寄っていった。
光の残滓が消え去り、現れたポスターの姿がはっきりと見える。
――キャロルが求めてやまなかった、男性アイドル・ノアの直筆サイン入りポスター。
それが彼女の目の前で、シャンデリアの灯りに照らされながら、彼女を待つかのように浮遊していた。
「ノ……ノア……ノア……!」
夢見心地でふらふらとした足取りで、ポスターの傍に辿り着き、額縁に手を触れるキャロル。
彼女の手が触れると、額縁に掛けられた魔法が徐々に解けていき、ゆっくりと浮力を失っていく。
床に落ちないように、そして手放さないようにと、キャロルは額縁に納められたノアのポスターを思いっきり抱き寄せた。
「――ノアきゅううううん! くんかくんか、くんかくんか! スーハー、スーハー……!」
感極まった様子のキャロルは、抱き寄せた額縁に頬擦りをして、匂いまで嗅ぎ始める。
周囲の人々は思わず「うわあ……」と呟きを零して、さらに距離を取ろうと後ずさっていった。
うっとりとした恍惚の表情で今にも天に昇りそうなキャロルに、受付係を任された従業員はおそるおそるといった様子で声を掛けた。
「あ、あの、お客様。ガチャは続けられますか? もしも終わられるようでしたら、景品の引渡しを行わせていただきたいのですが……」
「……ふぇ?」
従業員の声を聞いてようやく夢から覚めたように、口元に涎を垂らしながら返事をする。
しばらくして、自分のだらしない状態に気付いたのか、慌てて立ち上がったキャロルは額縁を小脇に抱えながら、涎をハンカチで拭いて受付係に向き直った。
「す、すいません。つい夢中になっちゃいまして……」
「い、いえ、お気になさらないでください。それでガチャなのですが、いかがいたしましょうか?」
「狙っていた景品は出ましたし、これで終わります。ど、どうもお騒がせしました」
本来は真面目な性分のキャロルは先程までの自分の醜態を思い出して、苦笑いをしながらそう答える。
「それでは、景品の引渡しを行わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「は、はーい……ええと、そういえば私、他には何を引き当てたんだっけ……」
無我夢中でアイドルポスターを求めてガチャを回し続けていた最中の記憶がひどく曖昧だったキャロルは、景品のストック置き場を見ながら記憶を思い返す。
景品のストック置き場にはどこでも売っていそうな小物の他……金貨の詰め込まれた宝箱や、煌びやかなドレスなどが並んでいる。
さらに一際目をひく、光り輝く刀身の剣――視界に入った瞬間に理解する。あれは、別格だと。
「あの剣って、もしかして……」
「はい、あちらはウルトラレアの魔剣『クラウ・ソラス』で――」
「うきゃあああああ!! しゅごい、しゅごいのおおおお!!」
最大級の大当たりであるウルトラレアの魔剣。
先程、はずれだと言ってしまったが、冷静になってみれば凄まじい大当たりだった。
興奮のあまり大声で叫んだキャロルは、すぐに恥ずかしくなって「す、すみません」と謝罪しながら肩を窄めた。
「そ、それで『クラウ・ソラス』はいかがされますか? オークションに出品されるならすぐに受付を行えますが……」
「え、ええと、そうね……」
問われて、しばらく思案するキャロルだったが、答えはすぐに決まった。
彼女は鍛冶師であって、冒険者でも剣士でもない。
この素晴らしい魔剣は、これを必要とする人の手に渡る方が剣も幸せだろうと思ったからだ。
もちろん、お金が欲しいというのも大きな理由だったが。
「オークションに出品でお願いします」
「はい、承りました! では、そのように手続きさせていただきますね!」
キャロルの返答に応えた従業員が笑顔で書類に記入していく。
やがて従業員側で必要な項目は書き終えたらしく、サインを求められたのでキャロルはボールペンを受け取り、慣れた手付きで自分の名を書いた。
このボールペンも、カジノが販売を開始した当初は目新しく奇妙に思えたものだが、今では王都の至る所で使われている便利な道具だ。
「……確認が完了しました! オークションの開催まで、しばらくお待ちください!」
「ええ、ありがとう。……ウルトラレア、か。これが売れたら、何を買おうかな」
ウルトラレア級の景品はどれも高性能な装備品で、オークションでは億を超える金額で取引されるという。
それだけの資金があれば、鍛冶工房の設備を最新型に一新してもまだまだ余裕で余る。
自宅の改修をしてみるのもいいし、普段は食べられないような美味しい食事を味わうのも悪くない。
未曾有の大金を前に、キャロルは思いつく限りの贅沢を思い浮かべて、頬を緩ませていた。
「キャロル様、よろしければこちらをどうぞ」
「……? これは?」
「当店で販売している商品のカタログになります」
本物と見間違うような絵――それが写真という技術であることを彼女が知るのはしばらく後になる――が写し出された本を従業員から受け取り、目を通していくキャロル。
お買い得な日用品の他にも、以前なら買うことなど考えられなかった高級品などの情報が羅列されている。
しばらく興味深そうにページをめくっていたキャロルだったが、やがてひとつのページに、正確にはそこに記された新商品の項目に釘付けになった。
「あ、あの! これ、これって――!」
キャロルは夢中でカタログのページを指差して、詳しい説明を求めて従業員に詰め寄った。
〇
鍛冶場には今日も、鉄を叩く音が響いていた。
激しく、力強く、それでいて正確に。熟練した技能が、熱された鉄塊を剣の形に作り変えていく。
金槌を振るうドワーフの女性、キャロルは上機嫌な様子で、しかし真剣な眼差しで鍛冶に勤しんでいた。
「……よし、完成! これで今回のお仕事も終了っと!」
仕上げの歪み直しを終えて、完成した剣を鞘に収めたキャロルはいつものように納品用の木箱にそれを納めた。
以前までならそのまますぐに鍛冶ギルドに向かい、その足でカジノにガチャチケットを売りに行っていたのだが……最近は、少し違っていた。
「おっと、そろそろ始まる時間ね。急いで準備しなきゃ!」
オークションでの利益で最新型に買い換えられた工房の設備を大急ぎでチェックして、炉の火を落とす。
片付けを終えたキャロルは工房兼自宅の二階部分、自室の部屋に急いで戻った。
仕事着から私服へと素早く着替えた後――彼女が大好きな男性アイドル・ノアの写真がプリントされた法被を羽織り、両手にペンライトを握り締める。
そして自室のソファに腰を降ろして、リモコンでテレビの電源をつけた。
カジノが販売している新商品、テレビ……正式名称テレビジョン。
詳しい仕組みはキャロルも知らないのだが、電波という不可思議な力を活用して、遠く離れた場所から送られた映像を映し出す装置らしい。
ダンジョンブレイカーズという、カジノ主催のイベントでも施設内の映像がモニターに映し出されていたが、それと同系統の技術だそうだ。
しかしそういった小難しいことはキャロルにとってはどうでもいい。
肝心なのはこのテレビがあれば、放送時間こそ決められているものの、自宅にいながら大好きなアイドルのコンサートが見られる、という事実だけだ。
「CM長いよ、早く、早く……ノアきゅんキター! ノアきゅん、ノアきゅん、ハイ! ハイ! ハイ!」
宣伝が終わり、テレビの画面に男性アイドル・ノアの姿が映し出されると、キャロルは最高潮のテンションで応援用の振り付けを始める。
大声を出しても大丈夫なように自室を防音用の壁に張り替えていることもあって、キャロルは思い切り声援を叫んで楽しんでいた。
「こんな良いテレビがたった70000Gなんだから、安いものよね!」
テレビは画面の大きさや画質、音質などで値段が大きく変わる。キャロルの購入したテレビは、その中でも最高品質の高級品だった。
70000G。まぎれもない大金であり、以前までのキャロルならそれを「安い」とは思わなかっただろう。
――金銭感覚の崩壊。それもまたガチャの、ひいてはギャンブルの生み出す被害であった。
最も、大博打に勝利した今のキャロルの資産なら、70000Gの買い物も安いと感じるのはそれ程おかしいことではないかもしれない。
しかし、その金銭感覚の乱れが今後、彼女の人生にどんな影響を及ぼすのかは、まだ誰にも分からない。
そして、彼女が――。
「きゃー! ノアきゅん今日も素敵ー! 最高ー!!」
――アイドルに夢中で、以前に増して自宅に篭りがちになった彼女が、婚期を逃さずにいられるのか。
それもまた誰にも分からない、別のお話。




