23「都合のいい君だから」
「おめでとうございます! 一等賞のカジノ高級ガチャコイン5枚が当選です!」
「う、うおっしゃああああ!」
人前であることを忘れて、クリフは喜びのあまり大声を出していた。
コンビニという新しい店で行われているキャンペーンクジで、最大級の大当たりを引き当てたからだ。
周囲でヒソヒソと話す他の客に気付いて、慌てて口を閉じたが、顔がにやけるのを止めることはできなかった。
カジノの高級ガチャは、1回1万Gという大金を必要とする大博打だ。
そんなガチャを1枚につき1回引くことができるガチャコインが5枚。
単純計算で5万G分の価値がある大当たりだ。
コンビニのキャンペーンは、一定金額以上の賞品を購入する度に引くことができるくじ引きで、店内の賞品の割引券や引き換え券、他にもこのキャンペーン限定の特別な景品なども手に入る。クリフが引き当てた大当たりはその中でも最高に希少な、めったに引き当てることができない幸運だった。
「こちらの引き換え券をカジノロビー受付へお持ちいただくと、ガチャコイン5枚と交換できます。ぜひ、カジノへお立ち寄りください!」
「お、おう。ありがとさん!」
クリフはコンビニの店員が用意した引き換え券を受け取ると、レジから立ち去る。
他の客の目を気にして、平静を装って歩き出したクリフだったが、コンビニから外へ出ると徐々に早足になっていき、最後には駆け出していた。ガチャコイン5枚。自分でガチャを引いても良いし、他のカジノの客に売りつけても最低でも2万G以上の大金が手に入る。
自分で使うか、あるいは売るか。どちらにするか迷うが、どちらにしても得したことは確実だ。
(うえっへははっはぁ! 金だ、金が俺を待っているぜえええ!!)
街中を駆け抜けていくクリフの顔は、抑えきれない歓喜でにやけていた。
零れる笑い声と共に、にやけながら王都を駆けていくその姿に通行人達から不気味に思われていることに、彼が気付くことはなかった。
「うおっふ……ぐ、ぐおぉぉぉ……!」
クリフのにやけ顔が消え去ったのは、ガチャコイン5枚と手持ちの金のほとんどをガチャに費やして、それでもろくな景品が手に入らなかった時だった。
思わず呻き声を吐き出しながら、頭を抱えて蹲ってしまう。しかし既に彼の後ろには次の客が待っており、カジノ店員にやんわりと立ち退くように促されて、ふらふらとした足取りで移動するしかなかった。
「ガチャコインを売っておけば……いや、せめて追加投資を止めておけば……!
ちくしょう、ちくしょう……! 持ってかれたああ……!」
後悔したところでもう遅いことはクリフも理解している。だが、後悔せずにはいられなかった。
今日は運がいいはずだからと、運試しのつもりで1回だけガチャを引いて、それがもう1回、あと1回だけ、と引き続け、気付けばコインを使い果たした後も、有り金を投じてガチャを回してしまっていた。
ギャンブルで「途中で止めればよかった」と後悔するのは、いつだって手遅れになってからだ。
それでも、幸運に恵まれて大勝した時の快感が忘れられずに「次の1回で当たるかも」と期待してしまい、結局はずるずると大損への坂道を転がり落ちてしまう。
賭博に魅了された者が陥ってしまう思考の泥沼に、クリフも嵌り込んでいた。
「な、何とかして稼ぐしかねえ! でないと、今日はもう飯抜きどころか、馬小屋にでも泊まるしか……!」
冷静になって所持金を改めれば、残っているのは僅かな金銭だけ。
宿代にすら足りない残金に顔を青ざめながら、クリフは途方に暮れていた。
冒険者ギルドに向かえば何か仕事が残っているかもしれないが、どうにも気力が湧いてこない。
日銭を稼ぐ為に働かなければいけないのは分かっているが、一度掴んだ幸運を自ら投げ捨ててしまったと自覚してしまうと、何もする気が起きなかった。
宿の部屋でだらだらと不貞寝したいが、彼の現状ではそれすらできない。
それでも何とか気持ちを奮い立たせて冒険者ギルドに向かおうとしたクリフに、声が掛けられる。
「クリフ様、少々お時間よろしいでしょうか?」
クリフに話し掛けた声の主は、カジノオーナーの少女だった。
オーナーでありながら、受付嬢やカジノ主催の競技の司会者などを勤めている少女で、彼女にはクリフも面識がある。カジノを利用するほとんどの客は、彼女の顔を知っているだろう。
「あー、ええと、何か用でもあるのか?」
「はい。少しばかり……お頼みしたい仕事の話を」
仕事と聞いてクリフは話に食いつこうとして、しかしすぐに思い留まる。
カジノに関する様々な噂話が王都には溢れている。その中には、真偽はともかく身の毛もよだつような恐ろしい話も少なくない。
故に、何をやらされるのか分からないのに安請け合いはできなかった。
「い、一体どんな仕事なんだよ」
「うふふ、それはですね……まあ、詳しい話はあちらでしましょうか」
少女はクリフを手招きして、ロビーカウンターの奥に見える扉へと促す。
この誘いは天使の導きか、あるいは悪魔の罠か――話に乗るべきか否か迷うクリフに、少女は続ける。
「ちなみに仕事を請け負ってもらえるなら、前金でこれくらいの金額を……」
「話を聞こうじゃねえか」
提示された前金の金額に釣られて、クリフはあっさりと少女の誘いに乗ることにした。
〇
「ち、ちっくしょおおお……! また外れじゃねえか!
本当に当たり入ってるんだろうな、おい!」
「は、はい。そちらは当店内の商品割引券となっておりまして……」
「金にならねえなら外れでしかねえよ! んだよ3連続で割引券ってよおお!」
コンビニのキャンペーンくじの結果に納得いかず、カルロスはレジ前で騒ぐ。
しかし背後で順番を待っている大男が苛立ち混じりに咳払いをしてきて、怖気付いた彼は荷物を纏めてレジから退いた。
(くっそ……どいつもこいつも舐めやがって……!)
内心で文句を吐きながらも、カルロスはコンビニ店内の書物コーナーへ移動して、立ち読みを始める。
彼がコンビニに入り浸っているのは、店内がエアコンによって快適な室温を保たれているからだ。
外は炎天下の真夏日。だがエアコンによって常に涼風が行き届いているコンビニ店内ならずっと涼んでいられる。カジノの従業員をクビにあり追い出されてから、カルロスはカジノで勝ち負けを繰り返しながら、快適な環境を提供するコンビニやカジノで長時間を過ごす日々を送っていた。
(……ん? こいつは……パチンコ必勝法? オカルト戦法実戦録100選?
お、おお……これがマジで必勝法なら、いくらでも稼げるじゃねえか!)
書物コーナーの一角に置かれていた雑誌の内容に興味を引かれたカルロスは、夢中で読み始める。
カルロスが雑誌を必死に読み解きながら過ごしていると、レジの方からハンドベルの音が響き、次いで店員の女性の声が聞こえてきた。
「おめでとうございます! 一等賞のカジノ高級ガチャコイン5枚が当選です!」
「う、うおっしゃああああ!」
店員の祝福の言葉を受け取った男が大声で叫ぶ。
それを聞いたカルロスは、苛立った様子で舌打ちした。
(一等だと!? 何故俺にはろくなものが当たらず、あんな奴には幸運が……!)
恨めしそうに男を物影から見ていたカルロスだが、やがて一等を引き当てた男がコンビニから出て行くと、手に持っていた雑誌をレジへ持っていき、会計を済ませる。
(けっ! 俺にはこの必勝法があるんだ。こいつであんな奴より、たっぷりと稼いでやる!)
勝利できるという確かな保証などないというのに、自らの大勝を確信したかのように意気込み、カジノへと向かうカルロス。
彼の脳裏には既に、彼にとって都合の良い幸福な未来が思い描かれていた。
「ああああああ!! ちくしょおおおお!
何が必勝法だよ、これっぽっちも役に立たないじゃねえかよおお!!」
カルロスの思い描いていた勝利の幻想が打ち砕かれるまで、1時間も掛からなかった。
雑誌に書かれていた必勝法なるものをいくら試しても何も起こらず、ただ悪戯に時間と金銭が消えて無くなっただけだった。
「ちくしょおお、このクソ台が……俺の金を返せよ、ちくしょお!!」
苛立ちをぶつけるように、パチンコ台を叩くカルロス。
賭博で負けた腹いせにこういった行為に及ぶ客は、少なからず存在する。
だがそれは、店側にとって見過ごせない迷惑な振る舞いだ。
カジノ内の機械を壊されたり、他の客と暴力沙汰になる可能性があるのに放置はできない。
故に、荒れ狂うカルロスに対してカジノの店員が警告に現れるのは、当然のことだった。
「お客様。台叩きはお止めください」
「うっ……くそ、止めればいいんだろ、止めれば」
カルロスは背後に現れた店員の、穏やかな微笑みを浮かべているのに滲み出てくる威圧感に飲まれて、逃げるように席を立った。
そのまま急いでカジノの出口へと早足で向かう最中、彼の視界の端に受付で何やら話し込むカジノオーナーと、先程コンビニで一等を引き当てた男の姿が見えた。
(ちくしょう、あの女……あの女のせいで俺は……!)
奴隷の立場から救われた恩も忘れて、カルロスはカジノオーナーの少女への敵意を募らせる。
しかし、カルロスの視線に気付いたらしい少女が微笑と共に彼を一瞥した瞬間、カルロスは短く「ひぃっ」と小さな悲鳴を零して、カジノの出口へと駆け出していた。
少女は笑っているはずなのに、心が掻き乱されるような恐怖に襲われたからだ。
カジノを支配する彼女はその漆黒の瞳で、相手の魂の奥底を見定めているかのような――悪魔の如き微笑みでカルロスを見ていた。
「はあ、はあ……くそ、今日は何て日だ……!」
カジノから走り去ったカルロスは、悪態をつきながら城下町を彷徨っていた。
パチンコでかなりの有り金を使ってしまい、どうにも手持ちが心許ない。
時刻はそろそろ昼飯時だが、今の所持金ではカルロスが満足できる食事は味わえそうになかった。
最も、彼にはまだ普通に食事をするには十分な金銭があった。
だが、かつてカジノを追い出される前夜に贅沢の限りを尽くしたご馳走を味わって以来、城下町の普通の飲食店で出される料理では満足できなくなっていた。
それほどまでに、カジノで用意された一夜限りの晩餐は、凄まじく美味だったのだ。
「……酒でも飲んで、嫌なこと忘れちまうか」
酒に酔ってしまえば、料理の良し悪しなんて関係なく腹に詰め込めるだろうと考え、カルロスは酒場を探す。真夏の屋外に長居したくなかったカルロスは、近場にあった酒場の扉に手を掛けた。
カランカラン、とドアベルが鳴り、酒場の中にいた先客達がカルロスを一瞥するが、すぐに興味をなくしたのか視線を戻した。
昼間ということもあり満員御礼という訳でもないが、それなりに繁盛している様子の酒場の様子に「少しは期待できそうだ」と思いながら、カルロスは店員の案内で空席に腰を降ろした。
ビールと食事を適当に注文してしばらく待つと、良い匂いを漂わせる食事と、しっかりと冷やされたグラスに注がれたビールが運ばれてくる。
予想以上の出来栄えの料理に喜びながら、まずはビールを一口飲む。
(こ、こいつは……あの夜の酒と同じだ! キンキンに冷えてやがる……!)
思わず、ごくごくと喉を鳴らしながらビールを一気に呷り始めるカルロス。
ビールの喉越しを味わうと、続けて食事に手をつける。
脂身の乗った焼き鳥に、柔らかなパン。程よい温かさのスープ。
一通りの食事を味わって、火照った口にビールを流し込めば、至福が喉を流れ落ちていくかの様。
(お、大当たりじゃねえか、この店!)
良い店に巡り会えたことを喜びながら、追加でビールを次々と注文していく。
しばらくするとカルロスはすっかり酔いが回り、愚痴を零しながらグラスを呷る酔っ払いの一人となっていた。
「くっそー……あんのクソカジノのクソオーナーが……ひっく」
悪態を吐き出しながらビールを呷り、グラスが空になればさらに注文する。
次第に態度も大きくなっていき、酒場にとって厄介な客が出来上がっていた。
「偉そうにしやがって……いっぺん痛い目に合わせてやろうか……!
復讐、そうだ復讐だ……! 俺の怒りを思い知らせてやる……!」
物騒な言葉を呟きながら、机に突っ伏してくだを巻くカルロス。
そんな彼の元に、新しいグラスが運ばれてきた。
しかしカルロスは怪訝そうな顔をする。
「……? おい、まだ追加の注文してねえぞ?」
「こちら、私からの奢りです」
「へー、そりゃどうも……ッ!?」
礼を言おうとしたカルロスだったが、その言葉が、いや、全身が血の気を失い、凍りついたように硬直する。どこの物好きが奢ってくれるのかと顔を上げた彼の視界に映ったのは――漆黒の、瞳。
「どうしました? 遠慮なく飲んでもらっていいんですよ?
それとも……クソカジノのクソオーナーに奢られた酒なんて飲めませんか?
うふ、うふふふ……あははははは!」
見られるだけで魂を吸い込まれてそうな純黒の双眼が、カルロスの顔を間近から覗き込んでいた。
「ひ、ひいいいっ!?」
カルロスは恐怖のあまり、椅子から転げ落ちる。
腰でも抜けたのか、立ち上がれずにいるカルロスの元へとゆっくり、ゆっくりと、カジノオーナーの少女は近付いていった。
さながら、獲物を追い詰める捕食者のような在り様。
すっかり萎縮しているカルロスの耳元に口を寄せると、小声で囁く。
「私は、私達は、いつでもあなたを見ています。
だから、大人しくしていてください……意味は、分かりますか?」
ブンブンブン! と。千切れそうな勢いで首を縦に振るカルロスの様子を見て、満足したように少女は手を差し出す。
少女は、身動きがとれずにいるカルロスの手を掴み、立ち上がらせた。
大人の男であるカルロスを、軽々と、片手で。
「すみません皆様、大変お騒がせしました。
お詫びとして、皆様のご飲食代金は私から奢らせていただきます」
少女はカルロスに背を向けると、酒場に響くような声で言い放ち、頭を下げた。
「いよっ、オーナーさん太っ腹!」
「タダ酒よ、タダ酒! じゃんじゃん持ってきなさーい!」
カジノオーナーの言葉に、酒場の客達が大喜びで騒ぎ出す。
周囲が喝采で包まれる中、少女はカルロスの傍に歩み寄り、顔を覗き込む。
少女の、光さえ飲み込みそうな黒い瞳が、間近に――。
「――これ以上、私を怒らせるようなことをしたら、嫌ですよ?」
カルロスは、そこからの記憶が定かではない。
気絶していたらしく、酒場の片隅にあるソファに寝かされていた。
どうにも記憶があやふやで、けれど寒気だけが確かに残っていて。
ただ、ひとつだけ。覚えておかなければいけないことがある。
「……あの女を敵に回すような真似だけは、もう二度とやらねえ」
再び愚かな振る舞いをすれば、今度こそ無事では――。
〇
「えーと……あんな感じで良かったのか?」
王都カジノのとある個室。クリフは先程行った仕事の出来栄えについて、依頼主であるカジノオーナーの少女に尋ねていた。
仕事、といってもやることは短く、単純なことだった。さほど手間も時間も掛かっていない。
カジノで騒いでいたカルロスという男を尾行して、彼の様子や居場所を念話の魔法石を使ってオーナーに伝える。たったそれだけだ。
最も、今回の仕事は採用試験のような簡単なものらしいので、楽な仕事なのも当然なのかもしれない。
「はい、上出来でしたよ。相手に尾行もばれていませんでしたしね」
柔らかな微笑を浮かべて、カジノオーナーの少女は賞賛の言葉を話す。
単純にカルロスという男が未熟だっただけだとクリフは思うのだが、褒められて悪い気はしなかった。
「それで、今後の仕事内容なんだけどよ」
「先程お伝えしたように、行く先々の情報をお伝えいただくのと、時には今回のように調査依頼を受けていただきたいのです。
別に王都に居続ける必要はありません。定期的に魔法石を通じて私にご連絡いただければ、普段は自由に行動していただいて結構です」
要するに、クリフが最初に心配していたような荒事に巻き込まれる可能性は低い、ということだ。もしも危険が及ぶような仕事になる時は、クリフとはまた別の人員が担当するらしい。
クリフが頼まれたのは、要するにカジノオーナーの『目』と『耳』になることだった。王都や旅先で噂話を集めたり、見聞きした事柄をオーナーに伝える。それだけで臨時収入には十分な金がもらえるのだから、なんとも楽な仕事だった。
「それと、クリフ様の立場はカジノ所属の従業員ではなく、民間の秘密裏な協力者という形になります。表立ってカジノ関係者だと公表すると、色々と煩わしい思いをさせてしまうかもしれませんから。例えば、ダンジョンブレイカーズへの参加を自粛していただくことになったりとか、ですね」
「あー……まあ、カジノ側の人間がレースに参加してるってなると、イカサマとか疑われそうだよな」
例えばレースに有利になるようなアイテムをこっそりもたせておく、とか。あまり賢くないと自覚しているクリフでも思いつく程だ。
賭け事では、事実がどうあれ「イカサマを疑う余地がある」ことは胴元としては避けたいだろう。
とはいえ負けが重なっている時は根拠がなくてもイカサマだと思いたくなるため、絶対に誰にも疑われない胴元など存在しないのだが。
「しかしそうなると、従業員になったらレースには参加できないのか?」
「私共とスポンサー契約を結ばれた方や、従業員が参加する場合は、一般参加者とは別枠のレースを組むことになりますね」
聞いておいて何だが、従業員にしても、スポンサー契約にしても「自分には縁がなさそうな話だ」とクリフは考えていた。
冒険者としては中級レベルのCランクとはいえ、これ以上に高みを目指すつもりは特にはない。
長年、適当に仕事で稼いではその金で酒や賭けで遊び回っているような人生だ。
すぐに熱くなりがちな性格のために、パーティを組んでも喧嘩ばかりで長続きせず、ソロで高ランクを目指せる程に強い訳でもない。
カジノの高級ガチャで凄まじい性能を持つ装備品を手に入れれば話は別かもしれないが、もしも仮にガチャで大当たりを引いたなら、さっさと売り払って冒険者稼業を引退するつもりだ。
ガチャのウルトラレア級のアイテムは、オークションで高額で取引されている。
もしも幸運に恵まれて桁違いの大金を手に入れたら、後はもうのんびりと遊んで暮らしたい。それがクリフの本音だった。
「まあ、仕事の方は俺なりにやらせてもらう。それでいいんだよな?」
「はい。今後とも、どうぞよろしくお願いします」
仕事の成功報酬として硬貨の入った革袋を受け取ると、ずっしりとした硬貨な感触を確かめたクリフの顔がにやけた。これで今夜は野宿せずに済むし、食事も十分に味わえそうだ、と。
「クリフ様」
「……? なんだ、何かやり残したことがあったか?」
名前を呼ばれたクリフが、少女の方へ顔を向ける。
カジノオーナーとして手腕を振るう少女は、目を細めて。
「あなたの人生に、幸運の光が溢れますように」
年相応の少女のような朗らかな微笑みで、祈りの言葉を口にした。
〇
「君って、なんだかんだで甘くて優しいよね」
クリフと別れて、カジノ地下深くの自室に戻った少女に、声が掛かる。
何も無いはずの虚空から姿を現した声の主は、時間の神を名乗るクロノス。
表向きにはカジノオーナーとして活動している少女と、協力関係にある神だ。
「……突然何ですか、文句でもあるんですか?」
「ああ、ごめんごめん。別にそういうつもりじゃないんだ。
ただね、本来なら……カルロスだっけ? 彼みたいに雇い主の物に手を出した奴隷なんて、殺されてもおかしくないからさ」
「彼はあの時、奴隷ではなく従業員でしたよ。元、ですけどね」
「君が奴隷には分不相応な給料を与えていたから、あんなに早く奴隷から解放されたんだろ?
普通ならもっと何年も掛けて働かないと、自分を買い戻すことなんてできなかったはずなのにさ。
恩を仇で返されたのだから、もっと厳罰を与えても……それこそ、殺してダンジョンの養分にしてもよかったと思うよ」
クロノスの言葉を聞いても、少女は考えを変えるつもりはなかった。
ダンジョンマスターである彼女にとって、カジノに偽装したダンジョン内で人間を殺せば、その魂を糧として己を満たすことができる。
その方が効率が良いと分かっていても……そうすれば『家族の救出』という願いがより早く叶うのだとしても、彼女はその手段を拒んだ。
「私は甘くも優しくもありません。自分の手を汚したくない……それだけです。
家族を救うために手段を選ぶつもりがないと言いながら、私は我が身可愛さに遠回りをしているんです。そんな人間が、甘いわけがありません。優しいわけがありません。私はただの偽善者ですよ」
自分に言い聞かせるように、少女は目を伏せながら言い捨てる。
クロノスは少女の顔を覗き込み、彼女の顎をそっと持ち上げて、囁くように語り掛けた。
「僕は、甘くて優しい君のこと、好きだよ」
少女はその言葉を受けて……猜疑心が滲み出る目でクロノスを見つめて、彼を押し退けて距離を取った。
「そんなお世辞を言わなくても、これからもしっかり稼ぎますよ」
「お世辞じゃないんだけどな。まあ、今日は大人しく退散するね」
現れた時と同じく、前触れも感じさせず霧散するように姿を眩ませるクロノス。
少年の姿が消え去ったことを確認して、少女は呻くように言葉を零す。
「……私が、誰かに好きになってもらえるわけ、ありませんよ」
消えてしまいそうな声で呟く少女の瞳は、暗く淀んでいた。
〇
「お世辞なんかじゃないよ。甘くて優しい、そんな――」
虚空へと姿を消したクロノスは、誰にともなく呟く。
微笑みを浮かべているが、その思いは計り知れない。
彼が誰を、何を笑っているのか。あるいは嗤っているのか。
「――都合のいい君だから、選んだんだよ」
それは、彼だけが知ることだった。




