閑話「英雄と呼ばれていた男」
王都の埋葬地の片隅に、冒険者ギルドマスター・ラカムの姿があった。
真夏にも関わらずコートに身を包んだ彼は、並ぶように立てられた3つの墓石を見つめている。
ここには、ラカムが冒険者として共に戦ってきた仲間達が眠っていた。
孤児院で兄妹のように育ち、いずれ冒険者として名を挙げて、幸せになろうと誓い合った仲間達。
だが、彼らが共に目指した輝かしい未来は、ラカムを残して全滅するという、悲惨な結末で閉ざされた。
「あなたも来ていたのね」
ラカムが背後からの声に肩越しに振り返ると、ラカムにとって命の恩人であり、師匠でもある男性、アイゼンが立っていた。
孤児院を出て冒険者として活動を始めたばかりの頃、悪質な冒険者に騙されて仲間達を殺されたラカムを、死ぬ寸前で助けたのがアイゼンだった。
アイゼンは携えていた花束を、ラカムが見つめていた3つの墓石の元にそっと供える。
「今日で、30年……あの日から30年も経ったのよね。なんだか、昨日のことみたいだわ」
「……はい」
かつて、王都冒険者ギルドで最強と謳われたSランク冒険者がいた。そのSランク冒険者こそが、ラカムである。
当時を知る冒険者達の間で、未だに伝説として語り継がれている英雄譚は数え切れない程。
だがそんなラカムも最初の頃は、一人の孤児出身の冒険者でしかなかった。
仲間と共に生活に苦しみ、儲け話があると騙されて、魔物に対する囮として使い潰されるような……無知で無力な子供でしかなかった。
あの時、騙されないような知識と警戒心があれば、と。
昔の自分に、仲間達を守れる力があれば、と。
ラカムは今でも、悔やみ続けている。悔やみ続けて、生きている。
「どれだけ時間が過ぎ去っても、あの日の悔いは、消えそうにありません」
「後悔なんて消せるものじゃないわ。背負って、抱え込んで、引き摺って、それでも私達は生きていくのよ。死ぬまで、ね」
血を滲ませ、身を削りながら、力を追い求めて生きた冒険者時代。
アイゼンの指導と、ラカム自身の素質もあり、彼は冒険者の頂点と呼ばれる場所にまで辿り着いた。
しかしそれでも過去の悔恨は消え去ることはなく、今も当時の無念は胸中で燻り続けている。
「……魔境は今も変わらず、ですか?」
「そうね。今もひどい有様よ……カジノのあの子が作り出すアイテムのおかげで、攻略は進んでいるけどね」
露骨に話題を変えたラカムに合わせて、アイゼンは答える。
魔境――かつてイリス帝国の領地だった大地は、今では魔物に支配された地獄と化している。
15年前、クリスティア王国と戦争状態にあったイリス帝国が一夜にして滅んだ。
後の調査によって判明したことだが、大規模な魔導術式を用いた儀式が帝都で行われて、失敗したと推測される魔力残滓が発見された。
膠着した戦況を打破するために実行されたと思われる件の儀式だが、詳細は未だに分かっていない。
残された魔力の波長から、イリス帝国の宮殿内で儀式が行われたのであろうと言われているが、それを確認できた者は誰一人としていなかった。
旧帝国領内は儀式の影響なのか瘴気が溢れており、瘴気を糧とする幾千もの魔物が闊歩する魔境と化したからだ。
今では魔境と呼ばれている旧帝国領内。その地に踏み入ることができる実力者は、極々限られている。
Aランク以上の冒険者。王国軍の中でも精鋭とされる聖騎士。才能に恵まれて、努力を怠らない本当の実力者だけが、魔境に挑む。
そして決して少なくない人数が犠牲となりながら、魔境の調査は本当に少しずつ、進められてきた。
ラカムとアイゼン、そして他にも何人かの高ランク冒険者は、その調査の最初期――イリス帝国で起きた災害の調査をするために、有志の高ランク冒険者と王国軍の混合部隊の一員として派遣された。
結果は、惨敗。幾人もの人員が犠牲となり、王国は国境線の後退と防衛線の再構築を余儀なくされた。
それだけではない。魔物を退ける結界の魔法陣を組み込んだ防壁の建設中にも、尋常ではない数の魔物が王国領内に迫ってくる。
ラカム達は来る日も来る日も、際限なく湧き出る魔物達の掃討を繰り返した。
倒れ伏す者。狂気に飲まれる者――数多の犠牲の果てに、クリスティア王国は魔境の封印に成功する。
しかし、生き残った者達も、無事とは言えない惨状だった。
ラカムもまた例外ではない。連日連夜の限りなく続いた死闘によって酷使された肉体は限界を超えてしまい、冒険者として引退せざるを得なくなった。
今でこそ日常生活と護身程度なら問題はないが、かつて数少ないSランク冒険者として、英雄と呼ばれていた全盛期からは程遠い。それでも、並みの冒険者と同等以上に戦えるだけの力量は今も有している。だからこそ彼は、ギルドマスターの任を与えられていた。
冒険者を引退してからはギルド職員として、後続の冒険者達を支える為に働いてきた。
時に荒くれ者として邪険に扱われる冒険者を庇い、時には冒険者を名乗る悪質な犯罪者を処罰する。
私情を流されやすいと称されることが多いラカムだが、王都ギルドマスターとしての役目を全うしているのは確かなことだった。
「そういえば、アクトちゃんの件ではお疲れ様。評議会の説得、苦労したでしょう」
「俺は二人がケジメをつけるまでの時間稼ぎしかしていませんよ」
「あらそう? まあ、そういうことにしておきましょうかね、うふふ……」
冒険者ギルド評議会では、冒険者アクトをギルドから除籍することが検討されていた。
諍いや喧嘩が日常茶飯事の冒険者とはいえ、アクトの行いは苛烈すぎる、という話が広がっていたからだ。
最もそれは、喧嘩を仕掛けて返り討ちにあった連中や、面目を潰された迷宮都市の冒険者ギルドの連中が誇張した虚言を意図的に広めていた面も大きい。
噂の真偽をひとつひとつ改めていき、悪意を以て真実を捻じ曲げようとする連中を黙らせていく作業は、手間と時間を要した。
そして一番の問題であった、レンに対しての行為。
結局の所、レンが彼なりの示談を認めたという形に落ち着いたものの、そうなるまでアクトの立場は危ういものだった。
そもそも、冒険者ギルド評議会が設立された理由が、冒険者の暴走を止めるためだ。
かつてイリス帝国では冒険者においても実力至上主義が罷り通り、強くあれば何をしても多少は黙認される、という風潮があった。
強く有能な冒険者のためならば、周囲に多少の犠牲を強いてもいい――その歪んだ思想の果てに行き着いたのは、帝国側でSランクと認定された冒険者によるクーデターだった。
たった一人のSランク冒険者が、帝王を殺害。さらには周囲の信望者を纏め上げて、玉座を奪い取った。
刃向かう者は暴力で排除していったその冒険者の、人の域を逸した武力によって、帝国には彼の者に逆らえる人間がいなくなってしまった。
そして件の冒険者は帝国中を食い荒らすと、次にクリスティア王国を奪おうと侵略を開始――これが、十数年前に起こった二国間の戦争の開戦理由だった。
この惨事をきっかけに、冒険者ギルドにはいくつもの制約が定められることになった。
上位ランクへの昇格に対する制限の強化。冒険者の行いに対する査定の重視。そして劣悪な冒険者への対処。
例えばBランクになるためには実力だけでなく人格、冒険者としての勤務日数など、様々な項目が調査された上でギルドマスター、及び評議会の過半数の賛成票が必要となる。
子供に暴力を振るい金品を巻き上げたというアクトを、冒険者ギルドからの除籍を阻むだけでなく、Bランクへの昇格を認めさせることは困難を極めた。
レンが自らの意思で示談の意思を示し、その上でアクトが変わろうとしていることを証明しなければ、ラカムがどれだけアクトを庇ったところで評議会の決定は覆せなかった。
いくつかの偶然が重なり、二人の関係には一応の決着が着いた。しかし今後の二人次第では、再び評議会が動くこともあるだろう。
「……さて、そろそろお暇しようかしら。また今度ゆっくり話しましょ、ラカムちゃん」
アイゼンはそう言うと、踵を返して立ち去っていった。
肩越しにその姿を見送ったラカムは、改めて仲間達の墓を見下ろして物思いに耽る。
「あれから30年経った……できることなら、お前達と共に過ごしたかったよ」
呟いたところで、その願いは叶うことがないと分かりきっている。
それでも、思わずにはいられない。
仲間達と共に冒険者として生きてこれたのなら、どんな人生になっただろうか、と。
「俺は、生きる。生きて、いつかこの命が終わる日まで……少しでも、後に続く者達に道を作っていく」
それが、かつてラカム達が掲げた願いだった。
冒険者として強くなって、孤児院の後輩達を支えてやりたい、と。
幼き日の仲間達の願いを受け継いで、ラカムは今も生きている。
生まれ育った孤児院だけでなく、王都中の孤児院への支援を、私財を投げ打ちながら続けてきた。
それでも、全ての子供達が救われる訳ではない。
王都から遠く離れた辺境の村では、子供が奴隷として売られることも少なくない。
あるいはどこか遠くの街の路地裏で人知れず、飢えに苦しむ子供もいるだろう。
ラカム一人では、その現実を全て覆すことなどできない。
例え元Sランク冒険者であろうとも、一人の人間にできることは限られていた。
帝国との戦争がなければ、今よりも孤児となる者は少なかっただろう。だが、現実に王都領内には各地に孤児が溢れている。その過去も現実も、早々には変えられない。
だが、全てをどうにかできないからといって、何もしなければどうにもならない。
少しずつでも、僅かでも、己にできることをやる。それが、ラカムという男の在り方だった。
「……また、来る」
大地に眠る仲間達に短く別れを告げて、ラカムは墓に背を向けて歩き出す。
仲間を失い、傷だらけになり、それでも彼は力強い眼差しで前を見据えて生きている。
どこまでも広がる、どうしようもない現実に、立ち向かう為に。




