21「光届かぬ地の底で」
酒場には幾人もの冒険者が集い、そこにはいくつもの噂話が飛び交う。
話題は多岐に渡り、虚飾された武勇伝や、眉唾物の儲け話など、大抵が雑談の域を出ない類の無駄話ばかりだ。
今日はふとした拍子に始まった、王都の名物として評判になっているカジノについての噂話が盛り上がっていた。
「俺は見たぞ、奴隷商人の店から発った馬車が、カジノの通用口に入っていくのをよ……」
何事も、目立つものには噂がつきものである。
王都において様々な意味で注目されているカジノも、例外ではない。
街中で語られるカジノの噂の中には、憶測混じりではあるが黒い噂というものも少なくなかった。
「だが、カジノの中で奴隷らしき奴を見たことがねえぞ。
お前の話が本当なら、その奴隷達はどこにいるっていうんだ」
「……これは、俺の友人の友人が聞いたって話なんだがな。
あのカジノに連れて行かれた奴隷は……光も届かぬ地の底で、延々と働かされているっていうんだよ」
「お、おいおい。そんな話してもいいのかよ」
肝の冷えるような恐ろしい話を聞かされた男が、声を潜めて尋ねる。
真実がどうであれ、悪評を広めている存在をカジノ側は快く思わないだろう。
万が一、カジノの関係者に話を聞かれたら……そう心配した男だったが。
「この話をするのはお前で100人目だが、特に何も起こってないな」
「口が軽い奴だな、お前」
噂話が好きらしい相手の言葉に、拍子抜けしたように溜め息をはく。
それだけの人数に好き勝手に話していて無事に済んでいるのなら、カジノ側は何もする気はないのか、噂話ごとき相手にしていないのだろう。
ならば自分がこのまま噂話を楽しんでいたところで、大変なことにはならないはずだ。
「私が聞いた話では、オーナーの錬金術の実験台にされているとか……」
「おいおい、穏やかじゃねえな……あのカジノ、どれだけ黒い噂を抱えてんだよ」
しばらく噂話に興じていた冒険者達が、ふと同じ方向へ目を向ける。
その視線の先にある壁の向こう側にあるのは、件のカジノだ。
希望と絶望が渦巻く、賭博の楽園――あるいは監獄。
ギャンブラーの殿堂とも、行き着く墓場とも評される二面性がある、身近に存在する魔境。
「あのカジノの、隠された闇……そこには一体、何があるってんだよ……」
ごくり、と思わず唾を飲み込んで、男は震える声で呟いた。
〇
「チャーハン作るよー!」
太陽の光が届かぬ地の底で、明るい照明に照らされた厨房に、元気な声が響く。
城下町では何かと噂の中心になっているカジノの地下では、今日も奴隷達が一生懸命に働いていた。
現在の労働内容は、チャーハンという料理を作ること。オーナーはそれを『調理実習』と言っていた。
奴隷達は皆一様にやる気に溢れている。
何せ今作っているチャーハンが、今日の自分達の昼食なのだから。
「ほかほかご飯に、新鮮たまご♪ いっしょにネギとお肉も入れちゃおう♪」
楽しそうに即興の歌を歌いながら、幼い少女――レヴィがてきぱきと調理を進めていく。
彼女は最近、アイドル候補生としてデビューを果たしたが、身分としては未だ奴隷のままだった。
最も、それも後僅かの話。共に奴隷として買われた実姉のサリィもいっしょに奴隷身分から解放されるまで、もう間もなくだった。
奴隷から解放されたら、今度は従業員として雇われる予定だ。
今の彼女の夢は、姉妹揃ってのトップアイドルである。
アイドルを目指すのなら歌や踊りの練習に専念した方が効率はいいが、オーナーの方針でその他の活動にも力を入れている。
レヴィ達にはオーナーから「将来的にはバラエティ番組にも出てもらいたいですから」と言われても、そもそもバラエティとは何なのかいまいち理解できなかったが。
なんだかとっても楽しそうに語るオーナーの顔を見ていたレヴィは、その「バラエティ番組」に参加できる日を、楽しみにしていた。
「お姉ちゃん、醤油と胡椒とってー」
「はい、こぼさないように注意してね」
姉のサリィから受け取った醤油を、フライパンの上で熱せられているご飯に垂らしていく。
香ばしい香りがレヴィの鼻をくすぐり、彼女は思わず満面の笑みを浮かべた。
やがて、焼き加減を見守っていたレヴィは、手馴れた様子でフライパンのチャーハンを食器に移し変える。
一つまみ味見をして、我ながら感心の出来栄えだと確信したレヴィはガッツポーズをして叫んだ。
「とっても上手にできましたー!」
「レヴィ、はしゃいでこぼさないようにね」
「はーい、お姉ちゃん!」
今日も元気にはしゃぐレヴィと、それを嗜めながらも嬉しそうに微笑むサリィ。
親に奴隷として売り払われた悲しい過去を持つ二人だったが、今の彼女達は――とても幸せそうに笑っていた。
〇
「まあ、噂には尾ひれがつくのが普通だけどなー。
カジノで働いている従業員、ほとんどみんな元奴隷らしいけど、全然辛そうにしてないじゃねえか」
酒場でのカジノに関する噂話は、まだまだ続いていた。
一通り、黒い噂を語り終えた彼らは、今度はその噂と現実との相違点を酒の肴にして騒いでいた。
「レヴィちゃんにサリィちゃんもさあ、元は親に奴隷として売られたって話なのに、いつも笑顔で頑張ってるんだぜ……。
俺はもう、その話を聞いた時からあの二人を応援しまくるって決めたんだ!」
「カジノが始めたアイドルってやつか。今まで歌姫というと酒場ってイメージだったが、ああいうのも悪くねえよな」
「あの二人も可愛いんだが、俺はリムさん推しだな。必死で素を隠そうとしてるけど、照れてるせいで隠せてなくてさあ。
けど歌い出すとめっちゃ美声で、凛々しい顔付きになるギャップがたまらねえんだわ」
「男ってほんと、ああいうのが好きよねえ。ってか、カジノの話題から逸れてない?」
アイドルのあの娘が可愛い、いやあの娘の方が……と、アイドル談義を始めた男達に、噂話に加わっていた女性が呆れ顔で呟く。
女性は手元のカクテルを一口呷ると、思い出すように呟いた。
「カジノで女性っていえばさ。アメリアだっけ……ほら、ガチャでジャックポット引き当てたって冒険者」
アメリアの名前は、話を聞いていた者達にも聞き覚えがあった。
数ヶ月前に王都に現れて、たった一度のガチャでジャックポットという最大級の大当たりを引き当てた女性の名前だ。
彼女は当時、噂話好きの彼らの間で散々話題になったが、ここ最近は話題に上がったことはなかった。
「そういやあ、あれから姿を見たって話も聞かないな……当時、VIPエリアに案内されていたのは見たんだが」
「……いくら大金持ちになったからって、そう何ヶ月もVIPエリアに滞在できるものなのかしら?」
本来ならVIPエリアは、貴族の中でも選ばれた人間だけが案内されるという特別な空間だ。
最近は冒険者スポンサー契約の対象となった冒険者も招かれていると噂話が流れているが、それでも一部の人間にしか解放されていないらしい。
風の噂には、オーナーに招かれた冒険者もVIPエリアに入れる訳ではなく、従業員用の施設へと案内されるという。
それだけ、VIPエリアは特別な空間だということの証明だろう。
「行方知れずの女性冒険者、か……何とも怪しい話だな」
「一体、彼女はどこへ消えたというのか……また新たな噂話が生まれてしまったな」
彼らは推理という名の憶測で好き勝手に想像した「アメリアのその後」を互いに語り始めた。
今日も人々の空想から作り出された噂話が、王都を巡り回っていくことになる。
〇
「はあ……もう、つまんないわ」
アメリアは溜め息を零しながら、手に握ったスマートフォンの液晶画面に視線を落とす。
カジノから支給されたその不可思議な道具の画面に映し出される預金残高は――約200億G。
彼女はかつてジャックポットで引き当てた5億Gを、幾度もの賭博を乗り越えて実に40倍近い金額に増やしていた。
今ではもう、VIPエリアに集う貴族達の中でも有数の大富豪として、VIPエリアで話題の存在となっていた。
しかし今日も彼女は、不満そうに「つまらない」と呟いて、顔を顰めていた。
欲しいと願っていた物は全て手に入れたはずだ。
貴族すら羨む大金を手に入れた。優れた環境で磨き上げた美貌は、以前よりもさらに輝いている。
安定した生活。誰もが羨む大富豪。かつて路地裏で、詰られて踏み躙られるような日々を送っていた頃からは、比べようもない程の幸福。
それなのに、彼女の心は満たされていなかった。
自分が何故満たされていないのかも分からないまま、彼女は今日も惰性のままに賭博に快楽を求めて大金を注ぎ込む。
現在遊んでいるのは、ルーレットと呼ばれる定番のギャンブルだ。
プレイヤーが自由に賭け方を選べるという、単純ながら奥深いゲーム性が人気の遊戯。
手堅く増やしていく気分にはなれず、無茶な賭け方を繰り返していくアメリア。
多少負けが続いて減ることはあっても、最終的には勝利して金額がさらに増えていく。
「ま、また勝ったぞ……彼女は一体、何者なんだ……!?」
「あら、ご存知ないのですか? 彼女こそは数ヶ月前に現れて、未だ負け知らずのギャンブルクイーン……ミス・アメリアですのよ!」
周囲では観客となった貴族達が好き勝手に騒いでいる。
以前は慌てふためく貴族の様子を眺めるのを楽しんでいたアメリアだったが、今はもう邪魔に感じるだけだった。
「ほんとに、もう……何でこんなにつまらないのかしら」
適当に遊んだところで飽きてきたアメリアは、ルーレットの台から離れて、VIPガチャへと向かう。
VIPガチャ特有のコンプガチャという特別なシステムで得られる、『ソーマ』という特別な美酒。あれだけは、今でも飽きることがない。
ここ最近は、何かしらのギャンブルで増やした資金でVIPガチャを回して、『ソーマ』と引き換えるための景品である七つの宝石を集めるという流れを、ずっと繰り返していた。
たまにギャンブル以外に用意されたレジャー施設で遊ぶこともあるが、初めてVIPエリアに案内された時のような感動は久しく感じられていなかった。
(なんだか、作為的なものを感じる時もあるけど……客をここまで勝たせるためにカジノが仕組むなんて有り得ないわよね)
アメリアは自分が賭博で不自然な程に勝ち過ぎていることに、疑問を抱くこともある。
しかし胴元であるカジノ側が、自分を勝たせるために何か仕組んでいるとも思えず、結局は自分が幸運なのだろうと思うしかなかった。
飽きる程に勝ちを味わい、しかし尚も満たされない心の隙間を埋めるためにギャンブルに興じる日々。
いくら飽きたとはいえ、今の恵まれた生活環境を捨てる気にもなれず、アメリアは今日も太陽の光が届かぬ地の底で、シャンデリアの灯りに照らされながら享楽に耽っていた。
「私を、もっと楽しませてよ……ねえ?」
誰にともなく呟きながら、アメリアはVIPガチャの席に座って、スイッチを押す。
回るガチャに、心満たす何かを求めながら。
そもそも、自分の心を満たすのが金や賭博で得られる『物』なのかも、分からないままに。
〇
「まあ、そもそもあのカジノって冒険者ギルドや王国と提携している訳だし、検査とかされてるんでしょうけどね」
「それ言っちまったら、今までの噂話が全部無駄になっちまうだろうがよー」
カジノの陰謀説や黒い噂の真実味を丸ごと台無しにする発言に、盛り上がっていた場が一気に白けていた。
以前は噂程度だったカジノと王国の関係も、最近は一般に風の噂として広がっていた。
そもそもの話、王都内で大規模な商売を行う以上、王家の許可が必須である。
ならば噂話になっていたようなカジノの暗躍が真実ではないことを、王国側だって調査しているはずだ。
「こういう無駄話を楽しむために駄弁ってるようなもんだけどな、俺ら」
「どう考えても真実味のない噂とかもあるしな。実はあのカジノはダンジョンで、オーナーはダンジョンマスターだとか」
「はっはっは、もしそうなら大胆不敵すぎんだろあのオーナー! 王都の中にダンジョン造るとかありえねえっての!」
「あれはダンジョンブレイカーズでの失態が原因でパーティを組めなくなった者達が、妬みや恨みをぶつけるために流している流言の類なのでしょうね」
「自分が勝つ為に他人を裏切ったから、自業自得だってのにね」
ダンジョンブレイカーズでは時々、目先の利益に目が眩んで他人を蹴落とそうとする冒険者が現れる。
そういった行為に走ってしまった人物は、パーティを組もうとしても避けられるようになっていた。
観客達の目の前で平気で人を裏切るような人物なら、王都の外で冒険者として活動中の、人目につかない場所でも裏切りかねないと警戒されるからだ。
逆に、相手を裏切ってもおかしくない状況で最後まで助け合った参加者達は、そのほとんどが後にパーティを組んで冒険者稼業に精を出している。
「話は変わるんだが、最近あのガチャ狂いの奴を見ねえんだが、お前ら知ってるか?」
「ああ、妖怪ガチャ回しな。あいつなら一週間くらい前に王都を離れたぞ?」
「は? まじで、あのガチャ廃人が!?」
「何でも墓参りに行くんだと。辺境の村らしいから、しばらくは帰ってこねえだろうな」
「あー……確かに墓参りの時期だし、おかしくはないな」
男はそう言って、酒場から窓の外を眺める。
今日も炎天下になっている街中は、暑そうにしながら歩いていく人々が大勢いる。
そんな人々を眺めながら、昼間から飲むキンキンに冷えたビールは格別の味だった。
「あいつもBランクになったし、噂が本当ならこれでカジノとスポンサー契約を結ぶことになるのかね」
「まあそうなっても、ガチャを回しているのは変わらないんだろうけどな」
「そりゃそうだろう。あいつがガチャを止めることなんて考えられねえわ」
「結婚でもすりゃ変わるかもしれねえがな。なんかモテてるっぽいし、あいつ」
「ほとんど新人の子供達にばっかりモテてたわね。
最近は、金目当てに近付こうとしてる女も多いみたいだけど」
ガチャ狂いことアクトは、Bランク昇格のために評判を得ようと、危機に陥った新人冒険者を助けて回っていたことがある。
Bランク以上になった活躍中の冒険者には、カジノオーナーからスポンサー契約の誘いが来ると噂になっているからだ。
アクトはそのスポンサー契約でさらなる利益を得る為に、Bランクになるためだと様々な手を尽くしてきた。
新人冒険者の救出、街の清掃クエスト、荷物の運搬など、とにかく評価に繋がることは手当たり次第にこなし続けた。
自分が得をするために行った行為だとしても、彼の行いに救われた者達にとっては、助けられたことに代わりはない。
その結果、多数の新人冒険者達から、尊敬と羨望の眼差しで見られるような存在となっていた。
「有名になった冒険者に集ろうって輩は、どこにでもいるからな」
「まあ心配しなくても俺らに集りなんざ寄ってこないだろう。大して稼いでねえし」
「そんな悲しいこと言うなよ……事実だけどよ」
いざ付き纏われたら邪魔でしかない、冒険者を名乗るだけの集りは割と存在する。
だが、モテない金ない人気ない……そんな嫌な3拍子が揃っていると自覚している男にとっては、金目当てでも女性からちやほやされてみたいと思ってしまう気持ちも半分くらい心の中にあった。
「俺らは俺らのペースで稼ごうや。食うに困らない程度には稼げてるんだしよ」
「それしかねえよなあ……」
杯に残った酒の最後の一滴を飲み干して、男は溜め息をつく。
ふと彼は、先程から話題となっているカジノがある方角に今一度、視線を向けた。
「……いっそ、あのカジノで働けたら、暮らしも楽になるのかねえ」
「あー……実際、どうなんだろうな。俺らが知らないだけで、実際はすごい過酷な労働とかあるかもしれねえしよ」
「第一、あのカジノがどういう基準で従業員を雇っているのか不明なのよね。
噂では奴隷から昇格した人だけ従業員になれる、とか言われてるけどさ」
「その噂を当てにして自分から奴隷になるってのはなあ……リスクが高すぎる」
「いやしかし、例の決闘騒ぎの際にアクトと一戦を交えたという少年……たしか名はタケルといったか。
彼が従業員として雇われているという話も聞いたことがあるぞ?」
「結局、あのカジノオーナーの匙加減ひとつなんだよなあ。まあ、雇う側なんだから当然なんだがよ」
スポンサー契約にしても、従業員の雇用にしても、噂話には語られていても実態は明らかにされていない。
カジノ経営者であるオーナーの少女がどのような理念で動いているのかも、不明なままだ。
だが彼女は王都にとって、最早なくてはならない存在となっていることは確かなことだ。
身近に存在する未知の存在。オーナーの少女と、彼女が運営するカジノの話題は、まだまだ尽きそうになかった。
〇
カジノの地下深くに存在する従業員用フロアにある会議場。
今そこに、手の空いている奴隷と従業員が一同に集められていた。
集合した人々の前で鎖に繋がれて泣き喚いているのは、一人の従業員……正確には、元従業員だ。
先程、オーナーである少女から解雇を言い渡された男は、往生際悪く泣き喚いている。
「皆さん、彼は元従業員でしたが……当店の備品を無断で売却していたことが判明したため、本日付けで解雇となります。
奴隷から従業員になり、これからの活躍に期待していたのですが……まったく、困ったものです」
困ったと言いながらも、いつものようににこにこと微笑んでいるカジノオーナー。
しかし、その笑顔の裏から滲み出る怒りを感じ取った者達は、内心で怯えながらも黙って話を聞いていた。
カジノオーナーである少女は奴隷達に背を向けて、鎖に繋がれた元従業員の男の正面に立った。
「貴方にはこれから、罰を受けてもらいます」
「ひ、ひぃ……す、すんません! つい出来心だったんです! 助けて、助けてくださいっ!」
「どれほど泣き喚こうとも、未来は変わりませんよ? ……うふ、うふふふふ」
「い、いやだ……し、死にたくない……!」
「あらあら、まさかとは思いますが――楽に終わらせてもらえると思ってるんですか?」
カジノオーナーの言葉に、罰の執行を待つ男の顔は恐怖のあまり蒼白に染まる。
周囲で話を聞かされている奴隷達も、心穏やかではいられず、ざわついていた。
冷静な様子で聞いているのは従業員達の中でも一部の人間だけである。
「あ、あの人どうなっちゃうんだろう」
「一体、これから何が起こるっていうの……?」
奴隷達の間で呟かれた言葉に、とある従業員が小声で応える。
その従業員は以前、従業員用冒険者セットを横流しした男に与えられた罰を知る者だった。
「おもてなしだよ……それはもう盛大な、ね」
奴隷達の見守る中、元従業員の男――カルロスは、鎖から解放された代わりに目隠しがつけられる。
泣き喚くカルロスはそのまま、メイド達に連行されて会議室から連れ出されていった。
カルロスが目隠しを外されて見た光景は――豪華絢爛な客室の中だった。
煌びやかな絨毯に、カルロスが見たこともないような調度品の数々。
中央には天蓋付きの大型ベットも設置されており、まるで幼い頃に絵本で見た王様の部屋のようだとカルロスは感じていた。
「ではカルロス様――こちらでしばらくお過ごしください」
「お、おい待ってくれ! 俺は一体これからどうな――」
必死な様子で問いかけるカルロスだったが、メイド達は無視して部屋を出る。
同時に、ガチャンと鍵をかける音が響く。部屋の扉の鍵が外側から閉められたようだった。
カルロスは慌てて扉を開こうと駆け寄ったが、内側から出られないように細工されているらしい。
閉じ込められたことを理解したカルロスは、緊張した面持ちで室内を見渡した。
空想していた貴族の部屋よりも数段上に感じられるほどの豪華な内装。だが、それを楽しんでいる余裕などない。
オーナーの言っていた罰がどのようなものなのか、未だに何も分かっていないのだから。
しばらくは室内をうろうろとしていたカルロスだったが、ふいに部屋の扉がノックされて、びくりと身体を震わせる。
カルロスが返事もできずに固唾を飲んでいると、扉の向こうから女性の声が聞こえてきた。
「夕食のご用意が整いました」
は? と呆気に取られて戸惑うカルロスだが、時間は待ってくれない。
ガチャリ、と鍵を開ける音が響いて、数人のメイドが入室してきた。
予想外の台詞に思わず逃げ出すことも忘れてしまったカルロスは、メイド達に促されるままに別室へと案内されて――。
「うひゃひゃ! 酒も飯も、どんどんもってこーい!」
数十分後。カルロスはご機嫌な様子で酒を呷りながら、近くのメイドに言い放つ。
畏まりました、と恭しく応対したメイドが厨房へと向かい、しばらく待てば出来立ての料理とキンキンに冷えたビールが運ばれてくる。
最初は「これが最後の晩餐か」と身構えていたカルロスだったが、美味な食事と酒を味わう内に、だんだんと調子に乗り始めた。
周囲には幾人もの美しいメイド達がいて、酌もしてくれるし何かと世話を焼いてくれる。
今ではすっかり酒が回り、顔が真っ赤に染まっている。気分上々といった様子で、メイドの身体に触ろうと試みるほどに態度が大きくなっていた。
「あーもう、夢なら覚めないでくれー!」
幸せの絶頂を味わっているカルロス。
そんな彼の様子を見ながら、この後に待ち構えている『罰』の全容を知る従業員達は、思う。
自業自得とはいえ惨い、と。
〇
「ん……あぁ、もう朝か……?」
翌朝。カルロスは朝の陽射しを感じて目を覚ました。
昨夜は最高の夜だったな、と。夢の様な時間の名残を心地よく思い出しながら、目蓋をこする。
旨い飯に酒。美しいメイド達に囲まれての宴なんて、自分の人生で味わえる瞬間があるとは到底思えなかった。
結局、罰とやらが何なのか分からないまま寝床に案内されて、天使の羽毛のような柔らかいベッドで、宴の余韻に酔いながら眠りにつく。
あの夢見心地は一生忘れられそうにないな、と思いながらカルロスは、視界一面に広がる青空の美しさに感歎の溜め息をつき、再びまどろむ。
「……青空? ……あおぞらあああ!?」
自分の目が見た光景の意味をようやく理解して、跳ね起きるカルロス。
身を起こした彼の視界に映るのは、豪華絢爛な寝室ではなかった。
王都の街中に点在する小さな公園のひとつ。どこにでもありふれた、平凡な光景だ。
カルロスはいつの間にか寝かされていたベンチから立ち上がり、大慌てで事態を把握しようと周囲を見渡す。
けれど周りにはメイドも執事も待ってなどいなくて、突然騒ぎ出したカルロスを不審者を見る目で一瞥して、そそくさと去っていく王都の住人達しかいなかった。
「一体何がどうなって……あ? なんだ、ポケットに何か入ってる……?」
何がどうなっているのか訳が分からなかったカルロスは、ズボンのポケットに感じる感触に気付いた。
ひとまずポケットの中身を掴み取り、その正体を確かめる。
入れられていたのは、1枚の手紙だった。
他に手掛かは見つからず、カルロスは藁にも縋る思いで手紙を読み始める。
『昨夜はお楽しみでしたね。良い夢は見れましたか?
貴方が味わった宴は、従業員達に与えられる休暇制度で味わえるほんの一端です。
ですが、貴方はもう従業員ではありませんので、当然ながら休暇制度は味わえません。
もう、二度と、味わえません。ほんの出来心のせいで、貴方はその権利を失いました。
今後、貴方が従業員としての雇用を求めても、私は貴方を雇いません。
仮に再び奴隷に落ちたとしても、私は貴方を買うことはありません。
――最も、お客様として来店されるのであれば、我々は歓迎いたします。
VIPエリアへ招待されるようになるか、冒険者としてスポンサー契約を結ぶのであれば、地下フロアへ喜んで案内いたしましょう。
今後はお客様としてのご来店を、お待ちしております――カジノオーナーより』
手紙を読み終えたカルロスは、空を仰ぎ見る。
清々しい青空からは、真夏の陽射しが容赦なく降り注いでくる。
エアコンの涼風で快適に過ごせた昨夜の客室とは、雲泥の差。
気温の高さを感じると、途端に滴り落ちる汗がうっとおしく感じられて、不快感に襲われた。
快適な室温に調整された寝室。水滴が浮かぶ程に冷却されたグラスに注がれたビール。
昨夜は飽きるほどに味わえていたものが、もう手の届かないところに遠ざかってしまったことを改めて理解すると、途端に後悔が沸きあがってくる。
横流しなどせずに、従業員として真っ当に働いていればよかった――嘆いても現実は変わらないが、嘆かずにはいられなかった。
ふと、カルロスはベンチに取り残された革袋があることに気付く。
近付いて手に取って見ると、革袋には『カルロス・退職金・1万G』と刺繍が縫いこまれていた。
まさか、と思いながら封を開くと、革袋の中には何枚もの金貨が詰め込まれている。
おそらくは本当に、1万G分の金貨が入れられているのだろう。
「……こ、この金でしばらくは暮らせる……いや、だが」
カルロスの脳裏には、ひとつの考えが思い浮かんでいた。
1万Gといえば、カジノにある高級ガチャ1回分の値段だ。
もしもこの1万Gでガチャを回して、大当たりを引けたら……一気に金持ちになれる。
「……い、いやいや! 何を考えてるんだ俺は!」
頭に浮かぶ夢想を吹き飛ばそうと、カルロスは首を横に激しく振る。
確かに、高級ガチャで大金持ちになった客は大勢いる。だがそれは何十回、何百回と引き続けた結果、賭けに勝てた者だけの話だ。
有り金全てを投じてガチャを回すなんて、明らかに正気ではないとカルロスは冷静になろうと考え直す。
「そうだ、ここは冷静に……もっと手堅いギャンブルで金を増やしてからだ……!」
――冷静になろうとしたところで、誰もが本当に冷静になれるわけではなかったが。
カルロスは自分が冷静ではないことに気付けないまま、カジノに向かって歩き出した。
〇
『く、黒だ……次こそ、次こそ黒が出るはずだ……!』
ダンジョンマスターとしての能力で、カジノに偽装したダンジョン内の映像を眺めるカジノオーナーの少女。
彼女は映像の中で、必死な様子でルーレットに挑むカルロスの様子を見て、ほくそ笑む。
人間の感情から糧を得ることができるダンジョンマスターの少女にとって、希望と絶望を絶え間なく噴き出すギャンブラーの存在は、とてもありがたい『お客様』だ。
『――き、きったあああ! 金だ、金がたんまり増えたぜ……うひゃひゃひゃ!』
賭けに勝ち、上機嫌な様子のカルロス。
彼の狂喜乱舞が気にいらなかったのか、隣の席に座る男性が大量のコインを賭けた。
『へっ、そんな無茶な賭け方で勝てるはずが……な、あああああ!?』
今度のゲームでは、大量のコインを賭けた男性が見事に勝利して、逆にカルロスは手堅く賭けていたのに負けていた。
ふっ、と不敵な笑みを浮かべる男性の様子に、カルロスは熱くなったのか無茶な高倍率の賭け方を、有り金のほとんど全てを注ぎ込んできた。
「次の勝負、カルロスさんに勝たせてください」
『了解です、オーナー』
カジノオーナーの少女は、遠距離通話用の魔道具を用いて、ルーレットのディーラーに指示を出す。
一流のディーラーは、狙ったところにボールを投げ込める技術を習得している。だからといって、毎回客側から搾り取っていては誰も賭けなくなる。
長くギャンブルにのめり込ませるコツは、たまに大きく勝たせることだ。
これはガチャでも、他のカジノのゲームでも、基本は変わらない。
『……う、うおっしゃああああああ!! 勝ったぞおおおおお!!』
耳が痛くなる程の大声で叫ぶカルロスの様子に、カジノオーナーはくすくすと微笑む。
追い込まれた状況で得た劇的な勝利は、人間に凄まじい感情を呼び起こさせて、その脳髄に勝利の快感を刻み込む。
その快感こそが、人をギャンブルに駆り立てる火種となる。
『よ、よし……今日の運なら、いける! きっと、いや絶対勝てる……ガチャで!』
例えそれが、どんなに無茶な賭けだと思っても、止められない程に。
勝ち続ける程に、さらなる勝利を求めて大勝負に挑みたくなる。
そこで踏み止まれる者だけが、本当に勝者としてカジノを去ることができるのだが、それは限られた一部の人間だけだ。
ほとんどの人間は――負けるまで、勝利を追いかけて賭博の泥沼に飛び込んでいくことになる。
勝利の果てに勝ち取りたいものがある人間ならば、尚更止まれない。
『あ……あああああああああああ!?』
今後、カルロスという男がどうなるのかは、カジノオーナーの少女にも分からない。
勝利を積み重ねて欲望を満たすのか。あるいはただ時間と金を失い続けるのか。
どちらにせよ、生きてこのカジノに踏み入る限り、少女にとっては大事な『お客様』であることに代わりはない。
「くすくす……今後はお客様として、よろしくお願いしますね――うふふふふ」
太陽の光届かぬ地の底で、少女はほくそ笑む。
今日もカジノには幾千もの欲望が集い、希望の光と絶望の闇が渦巻いていた。




