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閑話「正義は何処に」



 人から必要とされる人間になりたい。

 それが、日向ひなたタケルという少年が生涯追い求めて、けれど叶うことがなかった願いだった。

 実の両親は、仕事や多忙を理由に少年を親戚に預けて、顔を合わせた機会がほとんどない。

 少年の世話をした親戚も、育児費という名目で支払われる金が目当てで、愛情を与えることなど一度もなかった。

 

 やがてタケルが成長して、物心ついた頃に両親が事故死して、その遺産は親戚に使い潰されていくことになる。

 両親の愛情を知らず、一応の育ての親である親戚からも金のためだけに存在を許されているような日々。

 そんな中で彼が『正義の味方』に憧れたのは、ゲームや漫画の主人公の多くが『皆から必要とされる正義の味方』だったからだ。

 これさえ与えておけば一人で大人しくしているから、と与えられた親戚の使い古しの娯楽品。

 だが、辛い現実に生きるタケルの心を支えたのは、何度も繰り返して楽しんだ架空の物語達だった。


(こんな主人公みたいになれたら、ぼくも必要とされるのかな……?)


 小学校に入学する頃には、タケルは現実には存在しない『正義の味方』みたいな人間を目指そうと躍起になっていた。

 例えそのことで同級生にからかわれたり、苛められたりしても、タケルは決して主義を変えようとはしなかった。

 現実味なんてないことはタケルにも分かっていた。現実には変身ヒーローも、魔法少女も、超能力者も、どこにもいない。

 それでも――『正義の味方』を目指すという目標以外、彼には自分の心を支えるものが、なかった。




 タケルの高校に入学が決まった頃、親戚が他界した。タケルの両親の遺産をほとんど使い果たす程の贅沢三昧な不摂生が原因の病死だった。

 わずかに残された遺産を生活費に充てて、タケルは高校へと進学することになる。

 長年の失敗の経験から、タケルは『正義の味方』に憧れていることを隠して、周囲に合わせて生きるようになっていた。

 同級生とは無難な言葉で会話を交わして、思うことがあっても胸に押し留めて、けれど心に抱いた理想は決して消えないまま。



 ある日、クラスで同級生の女の子が苛められているのをタケルは目撃する。

 さすがに見過ごせない、と少女を庇って、苛めを行っていた女達を追い払う。

 ――次の日から、タケルが苛めの標的となっていた。

 初めは少女を苛めていた女達からの、軽いからかいがほとんどだった。

 しかしそれはやがて、同級生の男達にも面白がられて『遊び』として広まっていき、いつの間にかタケルは学校中の生徒から『苛められっ子』として扱われるようになっていた。

 だが、タケルにとってそれはまだ耐えられる範疇のことだった。

 幼い頃から彼に与えられた環境は、苛められることに慣れてしまえるくらい、タケルの心を硬く、鈍く、歪にしてしまっていた。

 あの日、一人の少女を苛めから守れた対価が『これ』なら安いものだ、なんて思える程に。

 そんな彼だからこそ。


「……ごめん、なさい。ごめんなさい……!」


 守ったはずの少女――牧野まきの沙織さおりが、「苛められたくなければ、やれ」と脅されて無理矢理、自分の苛めに加担させられて。

 その光景を見て嘲笑っていた何人もの加害者の、主犯格となった男に少女が突き飛ばされて。

 恐怖と困惑で涙ぐむ少女に「明日からはお前も苛めてやる」と言われているのを見せられた時。


(――ああ)


 タケルという少年の心が、現実に耐えられなくなったのは、その瞬間だった。

 いくつもの物語を通じて培ってきた道徳や理性が、硝子のように粉々に砕け散る。

 壊れていく心の中、それでも。


(――俺が、弱いから。ちゃんと正義を成せなかった。彼女を守れてなんて、いなかった……!)


 それでも、脅されて悪行に手を染めてしまったことを嘆く少女を、守りたい。

 弱者を誑かして甚振る、強者の群れに立ち向かいたい。

 歪でも、歪んでいても、壊れかけていても、その心に刻んだ正義を胸に、タケルは下品に嘲笑う苛めの主犯格の男へ、一心不乱に殴りかかっていった。

 



 その結果、タケルは学校から謹慎処分を言い渡された。

 主犯格の男は、両親が教育委員会の関係者らしく、苛めの件は『タケルの言い掛かり』として事実は揉み消されて、タケルがいきなり学友達に対して暴力を振るったということにされていた。

 無力なままでは、正義は成せない。それは単に暴力だけではなく、権力でも、財力でも……生まれ持った物でも、努力の末に手に入れた物でも、関係がない。

 どんな力であろうとも、力を持つ者が強者であり、強い人間は正義を『造れる側』なのだと、思い知らされた。

 そのどうしようもない現実こそが、タケルの心を圧し折っていた。

 

 自宅謹慎処分の間、やることのなかったタケルは、ゲームや漫画、そしてスマートフォンから閲覧できるインターネットの無料小説といった、架空の物語の世界に子供の頃以上に没頭することで心に穿たれた穴を埋めようとしていた。

 中でも、「何らかの原因で死亡して、ゲームのような剣と魔法のファンタジーな世界に転生する」という類の小説は、寝る間も惜しんで読みふけった。

 最近のネット投稿小説のサイトで流行だというその作品群は、俗に「チートテンプレファンタジー」などと呼ばれている。

 異世界に生まれ変わる際に、神様から規格外チートな能力を与えられて、異世界で自由に生きていく主人公達。

 俗っぽい願いを掲げて、けれど根は善人らしい主人公が人々を助けていき、やがて皆から必要とされる『正義の味方』となっていく。

 

 それが作り話だと分かっていても、タケルは願ってしまっていた。

 与えられた力でも構わない。だからこんな風に力を手に入れて、自分の正義を示してみたい、と。

 だが、それは所詮夢想でしかないことも、十分に理解できていた。





 謹慎処分が解かれて、重い足取りで学校へと向かう道中の横断歩道。

 そこで、苛められていた少女の姿を見つける。

 正確には「今も苛められているであろう少女・沙織の姿」だ。

 少女の横顔は以前よりもその表情は明らかに曇りきっており、俯きながら信号を待っている。

 タケルは彼女に声を掛けようとして――何と言っていいのか分からず、押し黙る。

 彼女の視界に入らないように少し離れて、彼も黙って信号を待つことにした。

 本当の正義の味方なら、きっと気の利いた言葉で少女を励まして、いじめ問題に毅然と立ち向かうのだろう。

 けれど、タケルの心は完全に折れてしまっていた。

 正しいことのために行動すれば、誰かに笑われたって正義は成せると信じてきた彼にとって、今回のことは世界に絶望するのに十分すぎることだった。


(……俺は今まで、何を信じて生きてきたんだ?)


 自分の生き甲斐であり、自分の心を支えてきた『正義の味方』という存在。

 現実味がない理想だと自覚はしていたが、それでも心のどこかで信じていた。

 この世界には、それでも、正義と呼べる何かがあって、それは誰にも覆せない、正しいことなのだと。

 タケルがそう信じていた世界への幻想は、既に跡形もなく砕けてしまっていた。



 自分のこれまでの人生に対してぼんやりと自問自答を繰り返すタケルの目の前で、横断歩道の信号が青に変わる。

 沙織が歩き出し、タケルも道路を渡ろうと一歩を踏み出した。

 ――気付けたのは、ほんの偶然だった。

 確かに青に変わっている歩行者信号。それなのに、横断歩道に向かって猛スピードで迫るトラック。

 それを認識した時には、タケルは駆け出していた。前へ――先を歩く少女に向かって、前へ。

 タケルに少し遅れて、信号無視のトラックに気付いたらしい沙織が、恐怖のあまり身動きが取れなくなったのか、立ち止まる。

 懸命に駆けたタケルは、少女の小さな身体を渾身の力で突き飛ばして、向こう側の歩道へと押しやった。

 歩道に倒れ込む少女の姿。タケルの瞳がその光景を映した瞬間、彼の身体をトラックが跳ね飛ばした。

 痛覚すら押し潰される桁違いの衝撃が、タケルを襲う。

 ちかちかと点滅する視界の中、おぼろげに少女の姿を見ながら……彼の意識は、途絶えた。




  〇



「……さん、タケルさん。私の声が聞こえますか?」


 頭の中に直接響いてくるような、少女の柔らかい声にタケルは目を覚ます。

 正確には、彼の身体は今も眠りについている。意識だけが夢の中で目覚めていた。

 周囲を見渡せば、一面に広がる純白の空間。彼はその場所に、見覚えがあった。

 人の心の中にあるという、精神と魂が形作る不思議な空間。

 少女を庇ってトラックに身を投げ出し、絶命した日。彼の意識は死後、この場所で呼び覚まされた。


「ああ。聞こえているよ、ティア」


 神々の住まう天界から、タケルの心に直接語りかけてきた女神――ティアの導きによって。

 タケルの返答を聞くと、ティアはほっとした様子を見せて、しかしすぐに目を伏せる。

 初めて出会った時から、神という超常の存在でありながら人間を気遣う彼女は、おそるおそるといった様子で話し始めた。


「申し訳ございません。私の考えが至らぬばかりに、貴方に苦しい思いをさせてしまいました……」


「……? 何のことだよ」


「私が後先を考えずに、貴方に人の域を超えた力を与えてしまったばかりに、こんなことに……!

 謝って済むことではございませんが、せめて謝罪がしたくて……わ、私……!」


 タケルの身に宿る尋常ならざる能力は、女神ティアが与えたものだった。

 他人を助けるために生涯を捧げた少年を哀れみ、そしてその在り方を尊ぶ彼女が、タケルへ新たな生と共に、理不尽に抗えるようにと能力を授けた。

 当時のタケルによって、それは救いであり、同時に呪いでもあった。

 結局のところ、神様だって「正義とは強くなければ示せない」と考えるのだと、思い知らされたからだ。

 ならば強く生きてやろうと、新たな生を全力で、正しいことを認めさせるために生きていこうと、そう願った。

 その結果は……救おうとした子供にも自身の掲げる正義を否定されて、神様から与えられた力をろくに使いこなせず、敗北に膝を屈することになったが。


「何言ってるんだ。今日までこの異世界で起こった出来事は、俺の失敗が招いた自業自得だよ」 


 だがそれは、間違っても女神ティアのせいではないとタケルは考えていた。

 他人から与えられた情報を鵜呑みにして、説得も何も考えずに暴力を振るうことで問題を解決しようとする。

 思い返せばそれは、タケルの信じる正義とは程遠いものだった。


「俺は馬鹿だから、また間違えてしまった。それは、誰かのせいにしちゃいけないんだ。

 ちゃんと反省しなきゃ、同じ間違いをきっといつまでも繰り返してしまうから」


「で、ですが……」


 タケルが異世界に転生してからの出来事に関して、女神ティアはどうしても責任を感じずにはいられない様子だった。

 気にしないでくれと伝えても無理そうだと悟ったタケルは、迷いながらも彼女に声を掛ける。


「あー、えっと……もしも俺のこと気にしてくれるなら、さ。

 俺がこれから言うことを、聞き届けてくれるか?」


「は、はい! 私にできることなら、何でも……!」


 ティアの返答を聞いたタケルは、よし、と一呼吸を置いて、自分の気持ちがどうすれば伝わるのか、しばらく考える。

 けれど気の利いた言い回しなんて思いつかず、結局は素直に思いの丈を言い放つことにした。


「俺はティアに相応しい男になる!」


「……ひゃ、ひゃい!?」


 慌てふためくティアの様子に気付かないまま、タケルは己の胸のうちに抱いた想いを、力の限り叫ぶ。

 アクトとの決闘騒ぎを咎められてからの数日間、ずっと考えていたことだ。

 このままではいけない。変わらなければならないのだと、真剣に己の在り様と向かい合い続けてきた結果だった。


「ティアが与えてくれたこの力に……そして信頼に相応しい男になれるように、この世界で全力で生きていく!

 だから、俺の失敗をティアのせいにしないでくれ。これからの俺を、どうか見守っていてくれ!」


 正義の味方という在り方をひたすらに信じて、しかし現実に押し潰されてしまっていた少年。

 しかし今、彼の瞳には意思の光が蘇っていた。

 答えはまだ見つからなくて、きっとこれからも失敗を繰り返すと自覚しながら。

 それでも、タケルの顔には力強い生気が満ち溢れていた。


「……こほん」


 何やら顔を赤らめたティアの様子に疑問を抱いたタケルだったが、それを尋ねる前に彼女は佇まいを正していた。

 そして改めてタケルを見つめて、微笑みながら答える。


「タケルさん……貴方の歩む旅路に、どうか幸あらんことを!」


 女神の微笑みと祝福に、タケルは思わず頬を緩ませる。

 ふと、タケルは自分の身体が光に包まれていることに気付く。

 どうやら夢が終わり、現実で目覚める時がやってきたようだ。


「今回はここまでのようですね……」 


「そうみたいだな。……えっと、その、ティア」


 名残惜しそうにしている女神に、タケルは何と言うべきか迷う。

 タケルから彼女に会いに来る手段がない以上、次に会えるのがいつの日になるか分からない。

 もしかしたら、これが最後の機会になるかもしれなかった。

 けれど、終わりにしたくはないと思った彼は、願いを込めて彼女に言う。


「また会おう!」


「……はい、また! どうか、お元気で!」


 ティアの満面の笑みを見ながら、タケルの意識は光に包まれて、遠のいていった。




   〇




「ん……もう、朝か」


 柔らかなベットから身を起こして、タケルは眠そうに目蓋をこする。

 カジノオーナーの少女に与えられた個室には、ベットの他にも数々の豪華な家具が取り揃えられている。

 寝心地の良いベットに、煌びやかな絨毯。さらには冷蔵庫やテレビも用意されており、異世界とは思えない程に充実している。

 これでもまだカジノ内では中クラスの客室らしい。VIPクラスともなればどれほどの物になるのか、一般人に過ぎないタケルには想像もできなかった。


「おっと、身支度整えてそろそろ行かないとな」


 壁に掛けられた時計を見て、タケルは慌ててクローゼットへと向かう。

 タケルは現在、フォウルの口車に乗って王都へ不正入門した罪で課せられた罰金を、カジノオーナーに立て替えてもらった、いわば借金持ちだ。

 今日から始まる仕事を懸命にこなして、まずは借金を返さなければいけない。

 救ってもらった恩をきちんと返すことは、正しいことだからだ。


「よし、こんなものかな」


 冒険者の活動に必須の武器と防具を装着して、髪型や身嗜みを姿見の鏡で確認する。

 タケルに与えられた装備品は従業員用の安価な量産品らしいのだが、それでも駆け出しの冒険者が持つには破格の性能を備えているそうだ。

 だからといって、支給されたそれらの装備品を無断で売却した場合は、厳しく罰せられることになる。

 そんな恩知らずな真似をする気はタケルには欠片もないが、わざわざ警告されたということは以前にそれを行おうとした人物がいたのだろう。


「……うっし!」


 気合を入れる為に頬を両手で叩き、眠気を追い払う。

 今日からタケルは、冒険者プロデュースというカジノオーナー立案の計画に携わる一員として、働くことになっていた。

 カジノオーナーの助けがなければ、どれだけ牢屋に入れられていたのか分からない。保釈金を自分で払うために奴隷にならなければならない可能性もあっただろう。

 こうして自由に過ごせるのは、オーナーの少女のおかげだ。彼女は打算があると語っていたが、それでも自分が助けられたのは変わらない。

 救われた恩に報いるために。そして女神ティアに誓った願いを成し遂げる為に。

 そして、今も尚憧れている正義の味方という在り方に、一歩でも近付くために。


「これまでの失敗を帳消しにしたい、なんてもう言わない。

 これからの俺を誇れるように、強く正しく生きてみせる!」


 自分に言い聞かせるように呟きながら、タケルは扉を開け放つ。

 一度は現実に叩き折られた少年の心には、輝く太陽のような活力が蘇っていた。 


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