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19「ダンジョンブレイカーズ」

「――集いし冒険者達よ! 我が迷宮(ダンジョン)を踏破し、富と栄光をその手に掴みとれ!」


 私は大袈裟に芝居がかった口調で、マイクに向かって叫んだ。

 会場中に設置されたスピーカーから響き渡る私の声に応えるように、客席から歓声が返ってくる。


「今此処に、第一回『ダンジョンブレイカーズ』を開幕しまーす!」


 芝居を止めて司会者として叫んだ私の宣言に続いて、スピーカーからは熱狂を煽る様な軽快でアップテンポな音楽が鳴り響き始めた。

 音楽が人の精神に与える影響は決して少なくない。こういった娯楽が未発達な剣と魔法の異世界では新鮮なのだろうか、人々は流れてくる未知の音楽に驚きながらも感情を昂ぶらせているのが感じられた。

 

しかし、今日のメインイベントの主役は音楽ではない――先程も述べた、集いし冒険者達だ。

控え室には『ダンジョンブレイカーズ』へ参加を希望した冒険者達が、出番を待ち続けている。


 今回開催したイベントである『ダンジョンブレイカーズ』は、ソーシャルゲームの仕組みを私なりに取り入れたレース大会だ。元々は冒険者ギルドの所有する訓練用の模造ダンジョンが老朽化している話を冒険者ギルドとの会議で聞いた際に提案した『カジノ製作のダンジョン施設』だが、私なりに手を加えた設計図を新たに書き起こしている内に、元々の訓練用ダンジョンの面影は欠片もなくなってしまった。


 せっかくダンジョン施設を作ったのだからと企画したイベントが、『ダンジョンブレイカーズ』だ。

 このイベントで冒険者達には、迷宮ダンジョンを模した――周囲にはもちろん従業員にも、そう告知している――ステージに挑んでもらう。


 完走した者には順位毎に、景品として大量のガチャコインが授与される。当然、順位の高い者の方が大量のガチャコインが手に入るため、参加者達も我こそはと意気込み、やる気に満ちていた。

 運と実力次第で一攫千金の夢が掴めるイベントで、参加費は無料と宣伝したところ、大金を求める冒険者達は競うように参加受付を申し込んできており、抽選に当選した者だけ参加できることになった。

 ――無料と大金は、世界が変わっても人を惹きつけてやまない魅惑の蜜であった。


「今一度、ルールをご説明します! 一度のレースに参加者は4名!

 それぞれ別の入り口からダンジョンに突入して、ゴールに辿り着いたらクリア!

 途中に仕掛けられたトラップに引っ掛かりレースに復帰不可能となるか、ギブアップを宣言した場合、残念ながらリタイアとなります! また、制限時間の30分を過ぎてダンジョンをクリアできていない場合も、例えそれがゴール目前でも失格となります!」


 復帰不可能になる罠といっても、命を脅かすような危険なものではない。

 例えば深い落とし穴はクッション付きであったり、粘着質な床であったりと、行動を阻害される類のものばかりだ。後は鍵付きの扉や、謎解きに成功しないと閉じ込められる部屋など、テレビのバラエティ番組で見かけるような仕掛けが各所に仕掛けられている。


「それから競争相手だからといって他の参加者を殺害しようとした場合も、その場で失格として退場していただきます! 多少のぶつかり合いはともかく、明らかな殺意を感じられる攻撃は禁止です!

参加者の方々はどうかご注意ください!」


 ダンジョン内で人が死ねば、それはダンジョンマスターである私のエネルギーとなるため、その点では都合は良い。だが、それでは殺人犯だけでなく開催者である私まで咎められることになる。

 第一、私は人殺しをせずに済むように様々な手段でダンジョンの糧を得られるように工夫してきた。

 

 理由は色々だ。心情的に行いたくないというのも大きな理由だし、王都の地下でダンジョンを運営させられている以上、人間を敵に回すと危うい。心情を抜きにして、短絡的な稼ぎだけ優先するのであれば、王都の人間を皆殺しにする勢いで殺戮に手を染めるのが一番効率が良い。

 

 だが、私の『家族を死の運命から救う』という目的のためには、膨大なダンジョンポイント……ダンジョン内で稼いだエネルギーを対価として支払う必要がある。運命を変えるほどのエネルギーを稼ぐためには、長きに渡ってダンジョンポイントを稼ぎ続けるシステムを構築する必要があった。

 他人からは慈善事業に見えるような事にも手を出しているのは、そのシステムを構築するためだ。


 ダンジョンポイントを稼ぐための条件は、いくつかある。

 大前提として、ダンジョン内に人を誘い込むことが絶対条件だ。

 その上でいくつかの手段によって、ダンジョンマスターは糧となるダンジョンポイントを得ることができる。ダンジョンへの侵入者の死。人間の希望や絶望といった感情の発露。侵入者の滞在時間。侵入者側に有利になるような設備の導入。

 

 また、いずれの場合も侵入者が――ダンジョンの脅威となる高レベルな強者であればあるほど、得られるポイントは増幅されていく。ゲームに例えるなら、高レベルの強敵を倒した方が得られる経験値や戦利品が豪華になるのと同じようなものだ。

 

 だから新人冒険者数人よりも、ベテランの高レベルな冒険者一人がダンジョンに侵入した方が、効率よくポイントを稼ぐことができる。私が冒険者のを手助けするような真似をしているのは、一人でも多くの冒険者にレベルアップしてもらい、ダンジョンに滞在中のポイント稼ぎを効率よくさせてもらうためだ。

 

 慈善と称される行動も、全てはより多くのダンジョンポイントを稼ぐための布石である。

 人助けはあくまで二の次だった。――別に、人助けをしたくないとまでは言わないが、私にとって何よりも大切なことは、ダンジョンポイントを稼ぐことで家族を救う手段を手にすることなのだから。


「さあ、まもなくレースが始まります! 観客の皆様、賭けの受付もそろそろ締め切りですよ!」


 主役は参加する冒険者達だが、観客達もただ黙ってそれを見ているだけではない。

 何しろここはカジノなのだから。そこで行われるレースとなれば、ギャンブルを求める者は少なからず存在する。観客達はそれぞれ、誰が勝つのかを予想して、賭けるためのチケットを購入していた。

 

 包み隠さずに言うのであれば。

 この『ダンジョンブレイカーズ』というイベントは――大掛かりな仕掛けの人間競馬でもあった。


「では改めまして、記念すべき第一レースの参加者をご紹介します!

 まず一人目は最近Cランクに上がってきた、急成長中の男――」


 一人ずつ、レースに参加する冒険者達の名前と、それぞれの特徴を解説していく。

 さながら、競馬のバラック――レース前の品定めをする時間のように。

 

 観客達にとっては自分の金を託す相手を判別する機会であり、参加する冒険者達にとっては自分の名を売り込む好機だ。最も、好機とは往々にして危機の裏返しでもあるのだが。

 彼らの名がどうなるのかは、彼ら自身の実力と振る舞いが決めること。

 私はただ、レースを盛り上げることでダンジョンポイントを稼げるように、工夫を凝らせるだけだ。


「――以上、4名の冒険者達がまもなくダンジョンに挑みます!

 参加者の方々は、それぞれスタートゲートに入ってください!」


 私の呼びかけに、我先にと場所を競うように4人の冒険者達がスタートゲート内に入る。

 参加する冒険者達は、ゲートからそれぞれ別々の入り口へ突入していくことになる。

 ゴール前の関門までは、全員が壁に仕切られたダンジョンを独力で進んでいく形だ。


「それでは、カウントダウンスタートです!

 ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン……レディー、ゴー!」


 スタートの火蓋が切って落とされたのと同時に、冒険者達が一斉に駆け出す。

 彼らはそれぞれのコースに存在するダンジョンへの扉を開け放ち、そして――。


「……ぎゃあああああああ!?」


「ちょ、やだっ、いやあああ!?」


 ――全員が、入り口付近に仕掛けられた落とし穴に落ちていった。

 参加者達の悲鳴がダンジョン内のマイクから伝わり、その映像がダンジョンの天井部分に乗せられた大型モニターに映し出される。その様子に、客席からは笑い声が響き渡っていた。

 さながら、バラエティ番組のような雰囲気だ。


「さあ、いきなり落とし穴に嵌ってしまった冒険者達は無事に復帰できるのでしょうか!

それとも、ここで全員リタイアしてしまうのか? 彼らの動向に注目です!」


 私の実況はマイクとスピーカーを通じて、客席だけでなくダンジョン内にも伝わっている。

 罠に掛けられ、煽られた冒険者達が悪態をつきながら、落とし穴から這い出そうともがき始める。

 

 だが、そう簡単に抜け出せるほど落とし穴は浅くない。床部分には安全のためにクッションを敷き詰めているが、それでも落下時にはそれなりの衝撃を感じるであろう高低差がある。

 這い上がるためには、壁にある僅かな窪みや煉瓦の隙間を手掛かりによじ登るしかないのだが、どうやら今回の参加者にそれができる者はいないようだった。


「くそ、クリアさせる気なんてねえんじゃ……あ? なんだあれ……」


 苛立ち、壁を殴っていた冒険者が、落とし穴の底から繋がる横道に何か存在するのを見つけた。

 それは機械だった。賑やかな音楽を奏でて、録音された音声を繰り返して流している。


「何が出るかな? アイテムガチャ! 今なら梯子の出現率アップ中です!」


 これが、ソーシャルゲームから参考にした仕組みそのいち――アイテムガチャだ。

 ダンジョンでのレースで有利になるような、あるいは不利を覆すようなアイテムが、手に入る『かもしれない』というガチャ。カジノの目玉となっている高級ガチャとは違い、1回の料金は10Gという、子供でも買える値段だ。性能もそれ相応の安物ばかりだが。

 

 また、『ダンジョンブレイカーズ』の参加者には無料でアイテムガチャが回せる専用のコインが10枚支給される。その無料分だけでダンジョンをクリアできるのか、それとも追加でガチャを回さなければならないのかは……参加者達の力量と運次第だ。


「さあ、4人の冒険者達がアイテムガチャの存在に気付きました!

 最初に渡されたガチャコインを鞄から取り出して、回し始めます!」


 他に落とし穴から脱出する手段がない、と悟った冒険者達が、機械にガチャコインを投入していく。

 コインを入れてレバーを引くと、魔法陣からアイテムが出現するという仕組みはカジノの高級ガチャと同じだ。運が悪ければ目当てのアイテムがいつまでも引けないという点もまた、変わらない。


「……よし、梯子だ! これで登れる……!」


「くっそ、全然出ねえ! 来いよ梯子、とっとと当たれよ!」


 目当ての梯子を引き当てた冒険者は喜びながら落とし穴を昇り始めて、引き当てられない者は憤りながらガチャに挑んでいる。

 最も、梯子が当たらなくても、引き当てたアイテム次第では落とし穴を這い上がる手段はある。

 例えば、今も怒声を荒げながらガチャを回している冒険者の足元には、彼が外れだと断じて投げ捨てたいくつかのアイテムがある。その床に転がるアイテムの中に、刃を潰した訓練ナイフがあるのだが、これを煉瓦の隙間に突き刺せばよじ登るための手掛かりにすることができる。

 

 ナイフが数本もあれば、足場や手掛かりを作りながら登って行くということも可能だ。

 しかし十分な知識がないためにその発想に至れず、思いついたところで、それを実行できる能力があるのかは、今までの修練次第だが。

 それに仮に、それができるだけの能力と知識があったとしても、梯子があれば楽ができるとなれば……。


「……ちっ、どうしても金を出させようってんだな、守銭奴め!」


 多少の金銭を払ってでも、楽をしたがるのが人間という生き物の性だ。

 人間の中には楽な道を選ばず、金も節制して、苦労を自ら選んで立派な人間になろうと生きようとする者もいるだろう。だがそういった人物なら、ギャンブルなんてせず、カジノになんて来ないだろう。

 

 ギャンブルは結局のところ『楽をして大金を稼ぎたい』という欲望を満たすために存在するのだから。

 リスクを楽しむことが目的で採算度外視のギャンブラーもいるだろうが、大半の人間は儲けたくてギャンブルに手を染める。やがていつしか、楽をして儲けるためのギャンブルだったはずなのに、ギャンブルをするために儲けようとし始める。


 そうなればもう完全なギャンブル依存であり、それはカジノを運営する私にとって『常連のお客様』として重宝する存在となってくれることだろう。

 ……中にはアクトのように、予想を豪快に突き破る存在が現れることもあるが、ダンジョンに利益をもたらしてくれるお客様であることに変わりはない。


「さあ、全員無事に落とし穴から脱出することができました!

 しかし、レースはまだ始まったばかりです!

 冒険者達はここから先の関門を突破することができるのでしょうか!

 そして勝利の栄光を掴むのははたして誰なのか!」


 ダンジョンステージ内にはいくつもの罠が仕掛けられている。

 致死性のものは存在しないが、レースで一位を狙う者達にとっては致命傷となるような行動を阻害される類の罠が、いくつも用意されている。

 そして、その罠のすぐ傍には――罠を楽に解除できるアイテムが手に入る『かもしれない』ガチャが、常に設置されている。

 例えば、ダンジョンステージ内の鍵がかかった扉を全て開けることができるマスターキーや、一定時間だけ浮遊することができるようになる魔法のカードなど。

 マスターキーはそのレース時にしか使えないし、浮遊するカードも使い切りの消費アイテムのため、あくまでレースを有利にするためにしか使えない。

 それでも、冒険者達は無料のガチャコインを使い切ると、現金を投じてガチャを回し始めた。

 また、現金が尽きた者のために、参加者にはそれぞれリストバンドが配られている。そのバンドのある部分を機械にかざすと、後払いでガチャを回せる、という代物だ。

 私の生まれた世界でなら、娯楽用のプール施設などで使われている技術だ。後で退場時に纏めて支払うか、冒険者ギルドを通して請求される手筈になっている。


「こ、ここまで来て負けられるか……! 500Gも使ったんだ。勝たなきゃ、勝てなきゃ大赤字だ……!」


「大丈夫、勝てさえすれば無料でガチャコインがもらえるんだから、今いくら使っても大丈夫よ……!」


 精神的にも肉体的にも追い詰められている冒険者達は、次第にガチャを回すことに躊躇いを見せなくなっていた。勝てなければここまでの労力と投資が無駄になる――彼らにはそれが、耐えられない。だから負けた時に失う金額を自ら上げていくことになると分かっていても、金を支払いガチャを回していく。

 

 これは、私の生まれた世界にあるソーシャルゲームの仕組みだ。

 勝つ為に。今までの労力と投資に見合う何かを手に入れる為に。そのためにさらに失い続けていく。

 最初は無料で遊べるからと始めてみて、しばらくは無課金で遊んでいても、一度でも課金をすれば次第に止まらなくなる。

 初回だけお得に買えるからと金を払い、今は限定イベント中だからと金を払い、ここまで金を掛けたのだからあと少しくらい、と金を払う。

 そうして失い続けて、気付けばもう決して安くない金額を費やしていることに気付いた時には、もう腰まで課金の泥沼に浸かっている。

 きっぱりとゲームを止めるにしても、今後は無料で遊ぶにしても、さらに金を費やすにしても――失われた金と時間は、もう戻ってこない。


(争え、もっと争え……そして多々買え……!)


 運営する側はそうして、お客様が泥沼に自ら投じた金を吸い上げて、利益を上げていく。

 それはギャンブルも、ソーシャルゲームのガチャも、同じことだ。

 お客様が自ら搾取されることを望むようになるように誘導すること――運営側はそのために、様々な手を尽くす。

 快適な環境作りや、無料で利用できるコンテンツを充実させるのは、そのための撒き餌である。

 そのことを理解した上で、娯楽として遊べる範囲で資金を投じるのなら、それは趣味のための出費として妥当な金額となるだろう。だが、欲望の赴くまま闇雲に金を注ぎ込めばやがては――自らの欲望に、身も心も焼き焦がされることになる。


「さあ、まもなくゴール前! 最後の関門が冒険者達の前に立ち塞がります!」

 

 やがて、レースは最終局面に移る。

 分かたれていた道がひとつの大広間へと繋がり、今回はほぼ同時に冒険者達が一同に集う。

 集いし冒険者達の目の前に広がる、最後の関門は――。


「……は、はぁ?」


「じょ、冗談でしょ……? 冗談よね、これ!?」


「あ、あんな所を進めっていうのか……!?」


 ――断崖絶壁の間に、空中に浮遊してばらばらに動いているいくつもの足場。それが、谷の向こう側のゴールまで、通じている。

 断崖絶壁といっても、落ちたところで死なないように工夫はされている。そのことは観客にも伝えているし、冒険者達にもこれから伝える。

 だが、様々な演出が施された大広間には、足を踏み外せば霞がかかった谷底へと真っ逆さまの断崖が存在しているようにしか見えないことだろう。

 実際には魔法で霧を演出しているために谷底が隠されているだけで、落下の衝撃が十分に吸収されるようにクッションが用意されている。

 クイズ番組などで、解答を間違えたら穴に落とされる類の仕掛けと一緒だ。見た目にはインパクトがあるが、命を奪うことはない。

 最も、これから挑まされる冒険者達にとっては、恐ろしいことに変わりはないだろう。


「早く行けー! もう少しでゴールだぞー!」


「大金を掛けてるんだ、頼むから勝ってくれよ!」


 そんな恐怖を煽るような大仕掛けだからこそ、観客達は盛り上がって声援を叫んでいた。

 自分達は安全なところから、他人が危険に挑むのを、眺めているだけで手軽にスリルを味わえる。

 人間が安全なスリルを求めることは、私の生まれた世界では絶叫マシンの類が人気であることが証明していた。

 そこにギャンブルが絡んでいることもあって、観客達の生み出す感情は凄まじい熱量となっていた。


「……や、やってやる……! あと少し、あと少しなんだ……!」


「そ、そうよ……それに、どうせ落ちたってまた、ガチャを回せば復帰できるようなアイテムが……」


「えー、予め伝えていました通り、最後の関門がある大広間には、ガチャがありません!

 一度落ちれば、自力で崖を登るしか復帰する方法はないと考えてください!

 とはいえ、最終関門の崖は反り返っているため、道具もなしによじ登るのはとても大変ですけどね。

 さあ、泣いても笑っても、これが最後の関門です! 勝利の栄光はもうすぐそこで待ってますよ!」


 ここまでの道中ですっかりガチャに頼りきりになっていた冒険者達に釘を差すように、通告する。

 参加受付の際にも一度説明しているのだが、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたらしい冒険者達が、うろたえ始める。

 何せ、ここで落ちれば今までの苦労は全て無駄になると言われたに等しい。焦るのは当然のことだ。


「全員落ちてもいいんだぜ! 俺は全滅に賭けてるからよー!」


「他の奴がびびってる今がチャンスだ! 突き進め!」


「へい、皆さんびびってる? へい、へい、へい!」


 客席からいくつもの声援と野次が飛び交う。大金を賭けている者ほど、その声は必死だった。

 

 冒険者達は決断を迫られる。失敗すればもちろん何も得られないが、そのまま立ち止まっていたところで制限時間を過ぎれば失格となるのだから。

 制限時間のことを思い返して覚悟を決めたのか、一人の男が「うおおお!」と叫びながら駆け出した。

 勢い良く踏み切り、浮遊する足場に向かって跳ぶ。

 その冒険者の男は見事、一つ目の足場に飛び移った。


「い、行ける……! このまま行けば、優勝は俺のものだ……!」


 男は意気揚々と、次の足場を目指して駆け出していく。その様子を見ていた残りの冒険者達も、慌てて後を追って浮遊する足場に向かう。

 落ち着いて観察すれば、浮遊する足場の移動は規則性があることが分かるように設定されている。

 それに気付いた冒険者達は、次の足場に飛び移るタイミングを見計らい、少しずつだが確実にゴールに向かって進み始める。

 しかしこれは、少しでも早くゴールした者が莫大な報酬を得ることができるレースだ。

 先を進む冒険者の存在に焦り、また、後ろから迫る後続の冒険者達に追いつかれまいと先を急いで、跳躍のタイミングを誤ってしまいそうになる場面も見受けられた。


「も、もうすぐだ! もうすぐで俺が一位に――!」


 先を進む冒険者の顔は、歓喜に満ちていた。既に残る足場は数個だけで、ゴールは目前だ。

 これで苦労も投資も報われる。富と名声で心が満たされる。間近に待っている輝かしい未来が――彼の目を曇らせていた。

 最後の足場へと飛び移ろうとした瞬間、彼の身体を激しい突風が襲った。

 もうすぐ終わる。勝つことができる。その、人間がどうしても油断するであろう隙をつくために私が仕掛けた、最後の罠である。

 一定の間隔を置いて吹き荒れる突風は、容易に人間の身体を押し流す風力だ。

 しばらく立ち止まり、耳を済ませたなら明らかに風の気配を感じ取れるだろうが、功を焦る者が、ゴール直前で立ち止まれるはずもない。

 先行していた男はまともに突風を受けてしまい、彼の身体は後方へと押し流された。

 足場から外れて落下しそうになった彼は、大慌てで身体を捻り、背後の足場の淵にしがみつく。


「あ、ぐぉ……ち、ちくしょう! こんな、こんなところでえええ……!」


 ここまで辿り着くためにほとんど体力を使い果たしていた男は、よじ登ることができずにしがみつくのに必死だ。そんな彼の元に、後続グループから一歩先へ出た女性が、男がしがみつく足場へ到達する。


「あ、あんた! 助けて、助けてくれよ……!」


 助けを乞われた女性が、たじろぐ。

 相手は競争相手であり、ゴールは目前。助けている間に、追い抜かれて一位を逃すかもしれない。

 そんな彼女の耳に、客席からの声がスピーカーを通して、聞こえてくる。


「……せ! ……とせ……!」


 スピーカー越しにも伝わるだろう、客席の激しい喧騒の音で、最初はその言葉がよく聞き取れなかったのだろう。きょとんとしていた彼女だが……やがて、スピーカーははっきりとその声を彼女の、ステージに立つ冒険者達の耳に届けた。


「落とせ……!」


 その、悪魔の囁きを。

 足場の淵にしがみつく男は、その手を蹴り飛ばすだけで簡単に落ちてしまいそうだ。

 落ちたところで死ぬ心配はないと、カジノオーナーである私が宣言している。

 だから参加者である女性冒険者にとって、これは一位を取るためのチャンスだった。

 目の前の男を突き落としてしまえば、後はゴールに辿り着くだけ。それだけで、目の眩むような大量のガチャコインが手に入る。


「ひ、ひぃ!? 頼む、落とすな! いや、落とさないでくれ……!」


 男の懇願の声と、スピーカーから響く邪悪な誘惑。

 思い悩んだように頭を掻き毟った女性は、その男の手を――。


「まったく……ほら、つかまりなさい!」


 ――しっかりと握り締めて、引っ張り上げた。

 女性の力で男の身体を引っ張り上げるのは苦労するだろう。けれど女性は、全身に力を込めるようにして、それをやり遂げた。

 悪魔の囁きに打ち勝ち、己の信じる答えを選び取ったのだ。


「……さて、それじゃあ先に行かせてもらうわよ」


 女性は礼を求める暇も惜しんで先に進む為に、足場へと引っ張り上げた男の手を離そうとする。

 彼女はきっと、性根の優しい、正義感の持ち主なのだろう。

 自分が得をする悪魔の誘惑に、打ち勝てる程に。

 だが、だからこそなのかもしれない。


「――おらあああ!!」


 誰しもが、悪魔の誘惑に打ち勝てる訳ではないということに。

 男は、自らを助けた女性の手を放そうとせず、その手を強引に引っ張った。

 背後にある崖下へと、放り投げるように。

 呆気に取られた女性は、投げ捨てられる瞬間まで、何が起こったのか理解できないままでいた。


「これで、これで俺の勝ちだ……俺が勝つんだ……! く、ひゃははは……!」


 男はそのまま、ゴールへと向かおうとする。

 悪魔の囁きに飲まれて、恩を仇で返した男の、その足元には、彼女の鞄が落ちていた。彼を引っ張り上げる時に邪魔だからと、置いていたのだ。

 彼がそれに気付かずに鞄を踏み付けて体勢を崩したのは、あるいは天罰というものなのかもしれない。


「……ぎ、ああああああ!?」


 跳躍直前で体勢を崩したせいで足場を踏み外した男は、絶叫を上げて谷底へと落ちていく。

 彼の脱落を嘆いたのは……彼の勝利に賭けていた者達だけだった。





 その背後で、先程投げ捨てられた女性は――。


「……あ、あの。ありがとう、助けてくれて」


「なに、貴女の勇気と優しさに応えただけさ」


「おいおい。似合わない台詞はいてねえで、さっさとみんなでゴールしちまおうぜ!」


 後続から追いかけてきていた二人の冒険者に助けられて、足場へと復帰していた。

 一瞬の内に起こった救出劇の映像のリプレイを、私は大型モニターに映し出した。

 助けた男に裏切られて、空中へと放り出された女性。

 その光景をすぐ間近の足場で目撃していた後続の一人が、一目散に駆け出した。


「おいあんた、これを!」


 もう一人の男が何か悟ったのか、鞄から取り出したロープの先端を投げ渡す。それを受け取った男は、頷くとロープを片手に掴んで、迷うことなく女性に目掛けて空中へ身を躍らせた。


「かっとべ、おれええええ!」


 躊躇わず行動したおかげで、彼は女性の手をかろうじて掴み取る。

 それだけでは共に谷底へ落ちるだけだったが、彼がもう片方の手に掴んだロープを、足場に残った男性が必死に支えていたため、宙吊りの状態を保っている。


「こ、これじゃあ、みんな落ちちゃう……!」


「任せておいてくださいな、お嬢さん……マジックカード、『浮遊(レビテーション)』の効果発動!」


 不安そうに男へ身を寄せる女性に微笑みかけて、男は鞄から1枚のカードを取り出した。

 アイテムガチャは、最後の大広間には設置されていない。しかしここまでの道中で手に入れたアイテムは、レース中はどこでも問題なく使うことができる。

 最後まで温存されていたその魔法のカードが、この状況を打破する切り札となったのだ。


「これで重量は緩和されたはずだ! 引っ張り上げてくれ!」


「分かってるぜ、そいやああ!!」


 このレースで提供される浮遊の魔法カードは、効果時間は短いし、空を自由に飛べるわけではない。

 だが、浮遊カードの効力が有効な間なら、重量はほとんど感じられない状態になる。

 例え人間二人分の体重でも、一人で軽々と引っ張り上げられる程に。

 見逃した観客も多かったファインプレーのリプレイ映像に、客席から盛大な拍手が鳴り響いていた。




   〇




「今、三人の冒険者が同時にゴール!

 なんと、記念すべき第一レースにおいて、まさかの3人同着1位という結果になりました!

 彼らの一位に賭けていた皆様全員が当選という、超レアケースです!

 皆様、おめでとうございまーす!」


 カジノの『表向きの』収益についてはマイナスになる事態だが、私は構わず祝福の言葉を叫ぶ。

 何故なら、私が求めているダンジョンマスターとしてのポイントは、彼らが生み出す激しい感情のおかげで、凄まじい勢いで加算されているからだ。

 金でダンジョンポイントを買ったと思えば、損失どころか大幅に稼げていた。

 それに、レースはこの一度きりではない。次のレース、そのまた次のレースと、カジノとしての収益を得られる機会は、十二分に存在している。

 多少の一時的な損失なんて、まるで気にならなかった。


「それと、今回のガチャコインについてですが……全員に一位としてのガチャコインが配布されます!

 皆様、三人の冒険者達の勇姿と、素晴らしい助け合いの精神へ!

 どうか盛大な拍手をお願いします!」


 私が言うまでもなく、会場では盛大な拍手と祝福の言葉が響き渡っていた。

 会場中の祝福を受けて、表彰台に上がった三人の冒険者達は、照れくさそうに佇んでいる。


「では、勝者の方々にインタビューです! 皆様、今のお気持ちはいかがですか?」


 表彰台の傍に移動していた私は、三人の優勝者に声を掛ける。

 インタビューの様子は大型モニターに映し出されて、客席からもよく見えるようになっていた。


「え、ええっと、助けた人に裏切られた時はすごく悲しかったですが、そのあとで助けてくれたこの二人にはとても感謝しています」


「これもひとつの縁ってことで、パーティ組んで冒険者活動することになりました!」


「まずはカジノの高級ガチャを引いてみたいぜ! そのために頑張ったんだしさ!」


 三人の返答に、会場で再び歓声が上がる。

 四人目の、谷底へ消えてクリア不可能となった冒険者は当然表彰台に上がることができず、その姿はどこにも見当たらない。制限時間まではその姿がモニターに映し出されていたが、今はもうインタビューの光景だけが表示されている。


 無論、時間切れで失格となった冒険者の男は怪我もなく無事だが、周囲の視線に耐えられなかったのか急いで会場を後にしていた。

 仕掛けを施した私の言えた義理ではないが、あのように自らの欲望のために恩人を裏切るような人材は、冒険者の界隈でも倦厭されることになる。

 いざという時、人目のつかないダンジョンで裏切られたら、命に関わるからだ。

 一般には隠しているが、『ダンジョンブレイカーズ』の開催理由には、そういった人材の炙り出しという側面も含まれている。


「ではこれから次の試合の準備のため、15分の休憩をいただきます!

 お待ちの間は、当店自慢の歌姫候補生によるライブをお楽しみください!」


 会場の整頓などの間にも観客が飽きないようにと、休憩時間は大型モニターの上部に備え付けた特設ステージで、ライブが執り行われる。ライブを盛り上げる歌姫候補生は、私が買い集めた奴隷達の中から選ばれた、才能豊かなアイドルの卵達だ。


「みんなー! 今日はカジノに遊びに来てくれてありがとう! 歌姫アイドル候補生のレヴィでーす!」


「サ、サリィです。皆様、今日はよろしくお願いします」


「レヴィちゃーん! サリィちゃーん! ホ、ホ、ホアアアアアアア!!」


 可愛らしい衣装を身に纏った姉妹の登場に、会場では女の子が好きなエルフの青年・ハヤテがハイテンションで叫んでいた。彼は感極まったのか、エルフ達の故郷である東方で扱われているという忍術で複数の分身を生み出して、スティックライト――棒状の色鮮やかなライトを振り回して狂喜乱舞している。


「えー、他のお客様にご迷惑となりますので、分身の術はご遠慮ください」


「ホ、ホアー……」


「ですが声援は大歓迎です! ぜひお客様達の声援を、未来の歌姫アイドル達に届けてください!」


「! ホ、ホ、ホアアアアアア!!」


「ええい、うっとおしいのじゃ! お主、もうちょいまともな応援はできぬのか!」


 客席で色々と騒ぎが起こっている間にも、歌姫アイドル候補生達の歌と踊りが会場を盛り上げていく。

 数曲を歌い終えたところで、ちょうど休憩時間の終わりとなった。

 同時に、第二レース開始の準備も整っている。


「さあ、まもなく本日の第二レースが始まります! 今回の参加者は――」


 第二レースに参加する冒険者達が、それぞれスタートゲートに到着する。

 先程の試合の様子は控え室で待機している冒険者達にモニターを通して伝わっている。

 無料で参加はできるが、クリアするには相応の労力が必要なことは十分に伝わったと思う。

 しかし冒険者達の顔に憂いはない。自分ならもっと上手くやれる、と軽んじているのか。困難であればあるほどやる気が出る気質なのか。それは人それぞれだろう。

 私としては、どのような心持で挑まれても問題はない。見事にダンジョンを制覇するのか、あるいは志半ばでリタイアするのか。

 どちらにせよ、彼らの生み出すであろう希望と絶望の狂想曲は、数々の感情を波立たせて、私の求めるダンジョンマスターとしての糧になるのだから。


「スリー、ツー、ワン……レディー、ゴー!」


 私の掛け声と共に、第二レースの参加者達が一斉に駆け出す。

 先程の二の舞を演じまいと、扉を開け放つと同時に走り幅跳びの要領で跳躍した冒険者達は――。


「……ぎゃあああああああ!?」


 ――先程の第一レースとは位置が変えられていた落とし穴に、自ら飛び込むように落ちていった。

 助走して跳んだ場合、どれくらいの位置が着地点となるのか試しながら、第二レース用の落とし穴の位置を調整した甲斐があったというものだ。


(今後とも、よろしくお願いしますね? お客様――うふふふふ)


 実況を続けながら、私は内心でほくそ笑む。

 今日もまた、様々な人々の欲望と共に、私の日常は回り続けていた。

 掴み取りたい、未来を目指して。

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[一言] 第一レースを第二レースの参加者が観れてたのなら同じ位置に同じトラップが有るわきゃねぇよなぁw
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