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閑話「英雄と呼ばれる男 後編」

気→魔力に変更。魔法も忍術も、扱うエネルギーは魔力で統一することにしました。

二転三転して、ごめんなさい(汗)。別の名称に変えるべきか、とかたくさん迷いましたが、もう魔力に統一した方が楽そうと思い至りました。


……チャクラで忍術、よりも今回最後の方で出したネタの方が危ない気がしますが(汗)

 

 ※


長い間、続きの執筆も感想返しも行えず、申し訳ございませんでした。

リアルでのトラブルや引越しなどが相次ぎ、気力も体力も時間も尽き果てておりました(汗)。

なんとかリアルも落ち着いてきたので、これからまた頑張っていきたいと思います。


「――分身の術!」


 アクトの叫びに応えるように、彼の傍らに虚空から人影が現れた。

 術者であるアクトと瓜二つの風貌は、分身と呼ぶに相応しい。


「ふ、ふふふ増えたあああ!?」


「アイエエエエエ!? フエタ!? フエタナンデ!?」


「分裂するとは、やはり妖怪……!」


 周囲で固唾を飲んで見守っていた野次馬達が、騒然となる。

 近年になって王国と東方の国家間の交流が始まったとはいえ、東方の文化はまだ王国の民衆にはほとんど伝わっていない。まして、王国では使われていない術となれば、詳細を知っている者は極少数だ。

 多くの王国民にとって未知の存在である分身の術を行使したアクトに対して、野次馬達が驚愕するのは無理からぬことだった。


「ふん! 雑魚が増えたところで、どうということはない!」


「その余裕、叩き潰してやらあ!!」


 不遜な態度を崩さないタケルに、アクトは果敢に攻勢をかけた。

 左右から同時に叩き込む挟撃。タイミングをずらして仕掛ける連撃。足を止めず手を休めず、とにかく攻撃の手を途絶えさせない。魔法の加護が宿る数々の装備品で強化された、人間の限界を超えた移動速度に、分身による撹乱が合わさり、常人には到底感知できない領域にまで高められた怒涛の乱撃。

 ――だが。アクトの繰り出す暴風じみた攻撃を、タケルは恐ろしいまでの身体能力で避けていく。

 それだけでなく、隙あればすかさず反撃の手を刺し込んで来た。しかしアクトも、決して怯まない。

 反撃を掻い潜ってさらに深く踏み込んでいく。先程までのように、回避と防御に徹していても勝機はないと悟ったが故の、保身を省みぬ特攻だ。

 

 分身の術も、長くは保てそうにない。

 元々が、自分では実戦に使える錬度ではないと見切りをつけた未熟者の術だ。

 時間が経てば術を維持することができなくなり、分身は消滅してしまうだろう。

 アクトに残された勝利への道筋は、体力の温存などかなぐり捨てて短期決戦を挑むことだけだった。


『ベル、踊ってないで真面目に戦ってくれよ』


 ふいに幼き日の記憶が脳裏に蘇る。

 ダイナ傭兵団に在籍していた猫人族のベル、という女性との訓練の記憶だ。

 踊るような彼女の動作に、当時のアクトは訓練をさぼってダンスしていると感じて不満を口にした。


『いやあ、これはちゃんとした戦法なんだニャ』


 しかしベルは決してふざけているのではないと、アクトの言葉を否定する。

 彼女が言うには、それは彼女達の一族に伝わる武術であるらしかった。

 舞い踊るような動き敵の攻撃を蝶のように避けて、間合いに踏み込めば剣の刃の如く襲い掛かる。


『すっごい疲れるから、普段はあんまりやらないニャよ? これぞ獣人族達に伝わる戦技――』


 ――ブレイドダンス。舞い踊るように敵の攻撃を回避して、刃の如く研ぎ澄ませた反撃を放つための、獣人族が長い歴史の中で磨き上げてきた戦闘術。

 ベルから教わったその武術を、アクトは必死に思い出しながら真似ていた。

 踊るような足捌きで素早く動き回り、相手を翻弄することで攻撃を回避しつつ反撃の機会を狙う。

 

 常に身体を動かし続けるために体力の消耗が激しく、帰還するまで余力を残さなければならない冒険者稼業には不向きであるために、長い冒険者生活の中で使うことは極々限られた状況だけだった。

 そもそも、本来は人間より身体能力に優れている獣人達のために編み出された体術だ。人間であるアクトにとって、真似事であっても激しい消耗を強いる諸刃の剣である。

 普段なら使わず、格下のモンスター相手にならばそもそも使う必要もない戦法。だが、タケルが出し惜しみをして勝てる相手ではないことを、アクトは骨身に染みる程に理解していた。


「くそ、ちょこまかと逃げるな悪党!」


「悔しかったら追いついてみろよ、ノロマ!」


 声を荒げるタケルを挑発しながら、アクトは僅かな隙をついて拳を振るう。

 分身と体術を組み合わせた高速戦闘を仕掛けながら、しかしアクトは決定打を決められない。

 大振りの一撃を狙うと反撃を食らうリスクが高く、だが速度重視の軽い攻撃ですらようやく掠る程度。

 

「……ふっ、はははは! 見つけたぞ、分身の術の弱点を!」


 焦るアクトに対して、タケルは何かに気付いたように叫ぶ。

 時間は、アクトに味方をしなかった。


「分身は……お前だっ!」


 タケルは確信した様子でアクトの分身の懐へと一息に踏み込んで、拳を全力で振り抜く。

 避ける間もなく、魔力で構成された分身は貫かれて、その姿は霧散した。


「見た目をどれだけ取り繕うとも所詮は中身のない分身……心音を聞き取れば、簡単に判別できる!」


 確かに、分身の術とは魔力によって術者の姿を複製した偽者を作り出す術だ。

 故に本来、生者なら消し去ることができない鼓動音は発せられることがない。

 ――だからといって戦闘中に敵の心音を聞き取るなんて、人間業とは思えない。

 しかし、タケルの言葉が虚言でないのであれば、彼はそれをたやすく行えるようであった。


(心音を聞いて分身を見破るなんざ、どんな聴力をしてるんだよ……!)


 人間離れした聴力により、とっておきの技を打ち破られたアクトは憤る。

 だが、その聴力がきっかけとなり、彼の記憶にかつてセシルと交わした会話が呼び起こされた。


『いい、アクト? 相手がどれだけ強くても、鍛えようがない弱点は生物なら必ずあるのよ』


 あれは確か、ベルとの訓練で手も足も出ずに思い悩んでいる時だった。

 傭兵団の面々は、当時のアクトにとって誰もが自分より遥かに強い強者であり、どのように立ち向かえばいいのか分からず、がむしゃらに戦いを挑んでいた。

 それでは駄目だと、セシルははっきりと断言してアクトを諌める。そもそも実力で負けている相手に、正攻法だけで勝負しても負けるのは当然なのだと。


『例えば目。モンスターならともかく、人間なら絶対に弱点になる部位だし、防具で庇っていない限りはとりあえず目潰しすれば自分が有利になるわよ』


『……なんか、卑怯じゃないかそれ』


『上等な勝ち方を選べるのは本当に一握りの強者だけなのよ。

 まずはあんたは勝つための方法を学ばないとね』


 セシルは、彼女自身が語るように治癒術士として天才的な実力を誇っている。

 しかしその反面、戦闘に関しては傭兵団の中でも極端に低かった。

 そんな彼女にとって敵に勝つためには、卑怯だろうと手段を選ばず戦うことが必要であったらしい。

 自分が生き残るために。そして傭兵団の力となるために。

 そのためなら彼女は、どんな手段も努力も厭わない女性だった。


『他には耳ね。正確には聴覚とそれを支える器官。鼓膜って鍛えようがない上に、ベルみたいに聴力が高い相手ならその能力の高さを逆手に取ることができるわ』


『大声を出してびびらせる、とか?』


『んー、それも悪くないけど、もっと良い技があるわ。

 これは相手の視覚と聴覚を同時に攻撃できる不意打ちなんだけど――』


 そう言ってセシルが意気揚々と語った技を、アクトは思い出す。

 セシルが以前、ベルとの訓練で勝つ為に編み出したという技。

 猫人族のベルを騙し打つための技だからと名付けられた、その奇策の名は――。


「さあ、これでトドメだ!」


 分身を仕留めたことで本体であるアクトに狙いを定めて、突撃してくるタケル。

 そのタケルを待ち構えて、アクトは両手を広げた。

 アクトのその動作を観念したと勘違いしたのか、タケルはにやりと口元を歪ませる。

 だが、アクトは決して諦めてなどいなかった。


(――猫だまし!)


 間近に迫ったタケルの眼前で、アクトは両手を勢いよく打ち鳴らした。

 本来ならそれは、成功しても相手を怯ませて一瞬の隙を生じさせるだけの、不意打ちに過ぎない。

 むしろ、失敗すれば仕掛けた側が隙を生み、相手に攻め込まれてしまう賭けじみた奇襲の策。

 だがタケルは、神により与えられた超常を利用して、あらゆる身体能力が際限なく引き上げていた。

 

 その無理やりに底上げした身体能力の中には、分身を看破するために敵の心音を聞き取れる領域にまで強めてしまった聴力も含まれている。決着を急ぐあまり、聴力を元に戻さなかったタケルには、アクトが行った猫だましが生み出した音は、まるで鳴り響く鐘の内側で轟音に曝されるかのように感じられた。


「ガ、ギィ……!?」


 思わず耳を押さえて後ずさるタケルの様子に、予想外の隙を得られたアクトは悟る。

 ――ここで決めなければ、もう勝機はないということを。

 既にアクトの足腰は蓄積した疲労に悲鳴を上げている。

 この勝負の間に動ける時間は残り僅かだと全身が訴えていた。


『いいか、アクト。お前は俺と同じで、才能って呼べるようなもんはまるでない』


 かつて育ての親であるダイナから言われた言葉が、脳裏に思い浮かぶ。

 ダイナは親の期待するような才能を持ち合わせていなかったがために、実家から追い出されたそうだ。

 だけど彼は、それでも自分の人生を諦めることはなかった。才能がないのであれば、他人の何倍も努力を積み重ねていけばいいと足掻き続けて、やがて傭兵団を率いる立場にまで辿り着いたという。


『だからいざとなったら、迷う暇があれば突き進め。

 俺達がうだうだ迷っている間に、才能がある奴はあっという間に先へ進んでいくんだ』


 アクトは、タケルの懐へと一気に踏み込む。

 タケルが反撃してくるが、その苦し紛れの一撃を掻い潜り、尚も前へ。


『だから迷ったり、怖気付きそうになったら――今まで積み重ねてきたものを信じて、突き進め!』


「うおおおおらああああっ!!」


 力強い踏み込みと共に繰り出された右の拳が、タケルの顔面へと叩き込まれる。

 さらにアクトは、タケルの仰け反った顎を左の拳でかち上げ、上半身が傾いた隙を逃さず靴底で腹を蹴り飛ばす。流れるような連撃に耐え切れず、タケルの身体が地面に転がった。


「関係ねえ奴が、よく知りもしねえで出しゃばりやがってよぉ! むかつくんだよ、てめえ!」


 激情のまま叫び、追撃だとばかりに踏みつけようとするアクト。だが、タケルは素早く身を起こすとアクトの足を掴み、倒れた姿勢のまま腕一本でアクトを投げ飛ばした。

 

 人の身とは思えない怪力にアクトは思わず呻くが、投げ飛ばされた勢いを殺すために受身を取りながら、かろうじて体勢を立て直す。だが、恐るべき脚力で一瞬の間に突撃したタケルは、先程のお返しだとばかりにアクトの身体を殴り飛ばす。

 

 両腕を交差させてかろうじて防御するアクト。

 だが、尋常ではないタケルの膂力に押し負けて、弾かれるように後方へと転がった。


「何なんだよ、お前は……! 悪党のくせに、ろくでなしのくせに……!」


 激情と困惑が入り混じる歪んだ表情で、タケルは叫んでいた。

 相手は悪党だと聞いていた。ひどい乱暴者で、町中の嫌われ者で、冒険者ギルドの除籍も検討されているような……ろくでなしだと聞いていた。

 

 そんなどうしようもない悪党ならば、成敗することで名を挙げるにはちょうどいい踏み台だと、タケルは軽く考えてフォウルからの依頼を受けた。だというのに、広場には――。


「今のは惜しかったぞ! 臆すな、次こそ決めろガチャ狂い!」


「俺の生活費が掛かってるんだ! 負けたらしばくぞ、ガチャ廃人!」


「アクト、がんばれー!」


「アクトさん……!」


 打破されるべきはずの悪党のアクトを励ます声援が、響き渡っている。

 中には反対に、アクトを罵倒する野次を飛ばす者もいるが、僅かな罵声は数多の声援に掻き消されて成す術なく埋もれていく。

 

 全ての者がアクトを好んで行っている応援ではないだろう。この決闘を賭け事にしている連中が、自分の賭けた金のために叫んでいる言葉の方が多いかもしれない。

 だが、そもそもの話――本当にただの嫌われ者なら、そんな男の勝利を信じて、金を賭ける者がたくさんいるなんてこと、有り得ないだろう。

 

 そして、純粋にアクトの身を案じて声援を送る者も決して少なくはない。

 無理矢理に侍らされていると思っていたラズリという少女。アクトに暴力を振るわれていたという少年レン。他にも、タケルが名前も知らない多くの人々が、狂犬と呼ばれた男であるアクトに、惜しみない声援でアクトを鼓舞していた。


「へっ……俺はたしかに、ろくでなしだよ……だけどなぁ!」


 いくつもの声援を背に、アクトは再び立ち上がる。

 圧倒的な能力差を見せられて尚、その瞳には闘志が激しく燃え盛っていた。

 既に身体はボロボロになるまで痛めつけられているというのに、まるで怖気づくことなく、アクトは声を張り上げて吼えた。


「ろくでなしにだってなぁ、意地があるんだ!!」


「……う、うるさい! 悪党の、悪党のくせにっ!」


 再び突撃してくるタケル。だが、その動作は明らかに精彩を欠いていた。

 それでも相変わらずの凄まじい勢いの突進。

 人間離れした踏み込みの速さは、目で追うだけでもやっとのことだ。

 しかし、アクトの瞳は迫り来る脅威を完全に捉えていた。


(すばしっこい敵との戦い方は、ベルから学んだ……!)


 肉薄すると同時に振るわれたタケルの拳を、アクトは屈むことで紙一重で掻い潜る。

 傭兵団の中で誰よりも素早く動き回るベルの動きは、ただ速いだけでない。

 相手を翻弄するための体捌きが凄まじかった。

 

 それと比べれば、タケルのただ速いだけの突撃など猪のそれと変わりはない。

 どれだけ素早くとも見慣れてしまえば、回避に専念さえすれば避けられないものではなかった。

 かといって、たやすく避けられる程に余裕がある訳ではない。

 勝負が長引けば、いずれは決定打を受けることになるだろう。


(相手の意表をつくためのコツは、タツミから……!)


 故郷である東方で忍術を学んだというタツミからは様々な手段を用いて相手の不意をつくことを学んだ。

 不意をつくというのは、ただ物影に隠れて奇襲することだけではない。

 真正面からだまし討つ手段を講じることも重要なのだと、彼女から教わった。

 アクトは手を動かして、彼女から学んだ印を結ぶ。


「くっ、分身なんてさせるかっ!」


 その動きに先程の分身の術を連想したタケルは、そうはさせまいと拳を繰り出してくる。

 アクトは迫るタケルに対して分身の術――ではなく、羽織っていた『疾風狼のマント』を留め具から外して、タケルの顔面に目掛けて投げ放った。

 そもそもアクトの忍術の力量では、攻防の合間に術を放つことは困難だった。

 だから印を結ぶ素振りをして、タケルの注意を引き付ける囮にしたのだ。

 視界を覆われたタケルは慌ててマントを振り払おうとするが、その隙をアクトは見逃さない。


(力が弱くても戦うための方法は、セシルから……!)


 治癒術士としては優秀でも、戦闘には不向きだったセシル。

 だが、それでも戦場に立つために、様々な工夫を凝らしていた。

 敵の急所を狙う、というのはその工夫の基本中の基本。

 タケルの首筋に両の手で手刀を浴びせ、マント越しに呻き声を漏らす彼にさらに追撃の金的蹴り。

 体勢を大きく崩した少年に対して、アクトはさらに力強く踏み込んだ。


(最後に勝負を決めるのは意地と力だと、ダイナから教わった……!)


 踏み込んだ足から腰へ、腰から腕へ、腕から拳へ――。

 アクトの全身から生み出された力が、淀みなく収束していく。

 渾身の力を振り絞り、アクトは迷いなく拳を振るった。

 ようやくマントを振り解いたタケル。だが開けた彼の視界には、アクトの拳が迫っていた。

 タケルの、超常の域へと到達している身体能力ならば、その一撃は捌けないものではない。

 ――だがそれは、本領を発揮できるのであれば、の話。

 立て続けに急所を狙い打たれた彼は、常人であれば既に気絶していてもおかしくはない程にダメージを負っていた。そのような状態にも関わらずタケルが反撃を繰り出せたのは、彼に与えられた能力が凄まじいからに他ならない。


 渾身アクトの右腕と、懸命タケルの左腕が交差する。

 一際強く、肉が衝突する音が響き渡り――最後に、立っていたのは。


「……く、そっ……おれは、こんどこそ、ただしいことを……」


 無念の滲み出る呟きを残して、少年が地面に倒れ伏す。

 最後に広場の中心に立っていたのは、アクトだった。


「ったく、しぶといんだよこの野郎……」


 よろよろと、力が抜けたようにアクトはその場に座り込んだ。

 意識を手放して倒れ伏すタケルと、悪態をつきながら息を整えているアクト。

 どちらが勝利したのかは、誰の目から見ても明白だった。


「うおっしゃあああ! ボロ儲けだあああああ!」


「だあああ!? 子連れ童貞の奴が勝っちまったああああ! 俺の金があああ!」


「おま、途中からアクトの応援してたじゃねえかよ!?」


 歓声と悲鳴と絶叫が入り混じる中、人混みの中から近付いてくる人影がふたつ。

 アクトの傍に歩み寄ってきたのは、血が繋がらずともアクトを父親として慕う少女、ラズリと……彼を避けてきたはずの少年、レン。

 近付いてきたラズリは、涙声でアクトに何か話しかけようとしたようだった。


「アクトの、アクトの、ばかあ……! ひっく、ぐすっ……」

 

 だが、安堵と不安に恐怖といったいくつもの感情が複雑に交じり合り、彼女はうまく言葉にできない様子でアクトをぽかぽかと叩きながら、幼い子供のように泣きじゃくっている。


「……おい、レン」


 慰めるためにラズリの頭を撫でながら、アクトはレンに声を掛けた。

 声を掛けられた少年は、びくりと身体を震わせながら……それでも、アクトから目を逸らさずに、彼に正面から向き合う。ゆっくりと立ち上がったアクトは、怯えを表情に滲ませながらも逃げようとせず自分を見る少年の様子に、一瞬だけにやりと笑った。


「てめえ、僕の気持ちを勝手に決めるなとか言ってたよな。

 だったら……ケジメのつけ方、ちゃんと自分で決めてみせろや」


 アクトはそう言うと、レンに歩み寄る。

 少年の短い腕でも拳が届きそうな程に近付いて、アクトは叫ぶように言い放った。


「逃げも隠れもしねえ。殴るなり蹴るなり……満足するまで仕返しさせてやる。好きにしやがれ!」


 アクトの言葉に、周囲の野次馬達が騒ぎ出し、ラズリは心配そうにアクトの傍に身を寄せた。

 レンは、どう答えを返すべきか迷った。しかしその迷いは、すぐに終わる。

 少年の中で、答えはすぐに決まったからだ。


「……今は、殴りません」


 少年の返答に、アクトは怪訝そうにレンの顔を見る。

 その視線にたじろぎそうになるのをぐっと堪えて、少年は自身の思いを声高に叫んだ。


「いつかきっと……いえ、絶対に! 僕の実力で、貴方を一発殴ってみせます!

 だから、謝罪もケジメもいりませんから……これからも僕の目標でいてください!」


 アクトは、気弱な少年の必死な決意が込められたその叫びに、目を見開く。

 その言葉は奇しくも、かつてアクト自身が育ての親に対して言ったものに、似ていたからだ。

 いつか、目標である人を超えたいという願いを言葉にしていた、幼き日の自分の言葉に。

 一瞬、呆けていたアクトだったが、我に返ると不敵な笑みを浮かべてレンを見つめる。


「はん、臆病者のくせに随分とでけえ口を叩きやがったな」


「お、臆病者にだって、意地があります!」


「へっ……やれるもんなら、やってみがやれ!」


 逃げてばかりだった少年が見せた精一杯の気概に、憎まれ口を叩きながらもアクトは頬を緩ませていた。 しかしアクトはやがて、意を決したように顔を引き締めて、真剣な表情でレンに語りかける。


「んじゃ次は俺の番だな」


「……えっ?」


「てめえ、拾ってやった恩も忘れて逃げ出しやがってよぉ……なめてんのか、ああ?」


「そ、それは、その……」


「いいかてめえ、俺に許してほしかったらなぁ……!」


 捲くし立てるように責めるアクトの言葉に、たじたじとなるレン。

 そんな少年をアクトは睨み付け――ぽん、と。レンの小さな頭に軽く手を乗せた。


「一杯おごりな。それで勘弁してやる」


「……え、と」


「なんだ、おい。俺には一杯おごるのも嫌だってのか?」


「いえ、それはいいんですけど……その、それで許してくれるんですか? 僕がしたことは……」


「ばーか、俺がそれで許すって言ってんだろうが。てめえがどう思おうが知るかっての。

 つうかよ、いつまでもガキ相手に女々しく愚痴を垂れ流すのはもうめんどくせえんだよ!

 いい加減、俺にお前を許させろ!」


 アクトのその無茶苦茶な言葉を向けられたレンだけでなく、周囲の人々も唖然とした様子だった。

 許させろ、なんて恫喝をした者を、誰もが初めて目にしたからだ。


「おうこら、文句あんのか? 俺にこれからもずっと愚痴を言われる方が良いってのか、ああん!?」


「い、いえ、そんなことは……」


「だったら、一杯の奢りでチャラにしてやっから……その後は、せいぜい必死で追いかけてきやがれ!

 うだうだ迷ってやがったら、俺をぶん殴る気なんざ二度と起きねえくらい置き去りにしてやるからな!」


 ふん、と鼻を鳴らすアクト。彼はそれきり、言いたいことは言い終えたという様子で押し黙る。

 アクトは立ち去るそぶりも見せず、じっと待っていた。

 レンが自分の意思で答えを返すことを、目を逸らさずに待っていた。


「……分かりました。今までのお詫びに一杯奢って、それからは……それからは、あなたは、ぼくの……」


 少年はぎゅう、と拳を握り締める。

 今まで積み重なってきた過去は、消えて無くなりはしない。時が巻き戻るようなことでもない限り。

 変えられないことは、世の中にはたくさん溢れている。

 

 間違えてしまったことや、何もできなかったこと。過ぎ去った過去を変えることは、きっと神様くらいにしかできない。普通の人間には、それがどんなに後悔するような過去でも、変えることはできない。

 それでも――これからどんな未来を目指すのか。


「あなたはぼくの、目標ライバルです!」


 それを決めることは、普通の人間にだって、きっとできる。

 少年は確かな意思の光を瞳に宿して、いつか越えたいと願う男の姿を見た。

 喧嘩でぼろぼろになった衣服は、埃と土で汚れてしまっていて、お世辞にも綺麗とは言えない。

 だが、少年の見せた意地に満足したように頬をにやりと緩ませたその笑顔は――。


「へっ、そうかい! だったらいつでも好きなだけ、かかってこい!」


 ――とても、輝いていた。





「随分と、派手にやったものだな」


 アクトとレンのやり取りが終わるのを待っていたかのように、男の声が響く。

 野次馬の集団から歩み出てきた、その声の主はアクト達もよく知る人物だった。


「……ラカムかよ。けっ、今更ノコノコやってきて、いつものうるせえ説教か?」


「はっはっは! 説教程度で済むはずがないだろう? 狂犬君!」


 悪態をつくアクトに、野次馬の中から嘲笑と共に男の声がする。

 フォウルという、自称商人の男性は、愉快そうにアクトのことを嘲笑っていた。


「王都の街中で乱闘騒ぎを起こしたんだ! ただで済むはずがないよなあ!」


 その言葉に、周囲の野次馬達もざわつき始める。

 武力が物を言う冒険者という存在。だが、人間の社会で生きる以上、守るべきルールというものはある。

 街中で暴れ回る、というのは職種になど関係なく、罰せられる類の行いだ。


「……フォウル氏よ。冒険者への対処は、私に任せていただきたい」


「ああ、そうだね! ギルドマスターとして、この男に相応しい処分を頼もうか!」


 上機嫌な様子を隠そうともしないフォウルを一瞥して、ラカムはアクトの元へと歩み寄る。

 鋭い眼差しでアクトを見据えるラカム。冒険者ギルドマスターとして、彼は宣言した。


「冒険者ギルドマスター・ラカムの権限において告げる。

 現時刻を以て冒険者アクトを――Bランク冒険者として認定する」


「……は、はぁ!? な、何を言っているんだい、君!」


 ラカムの宣言に異を唱えて叫ぶフォウル。そしてさらにざわつく聴衆達。

 それらを意に介さず、ラカムはアクトに対して話を続ける。


「クエスト達成率は申し分なし。実力に関しても、装備品による能力強化を差し引いても十分。

 後の課題だったのは、人間関係のトラブルを起こしてしまった際の対応だった。

 これについては……及第点には達したものと判断する。

 かなり危うい方法だがな。相手が形振り構わず復讐するような人物なら死んでいたかもしれないんだぞ」


 眉間を押さえて溜め息をついたラカムだが、すぐに気を取り直したように本題に戻る。


「かつての帝国で起きた惨事が原因で、冒険者Bランク以上の昇格認定には、人格面に対する査定が厳しくなっている。冒険者アクトはその人格面の査定に掛かり、一時は冒険者資格の剥奪も検討されていた。

 だが最近の素行から、資格剥奪の必要はないと判断された。

 そして先程、冒険者レンとの過去の経緯については、本人達なりの方法でけじめはつけたものとする。

 ……それでいいんだな、レン?」


「……は、はい!」


 レンの返答を聞いたラカムは、手に携えていた書類をアクトに手渡した。


「その書類に必要事項を記入して、ギルド受付に提出するように。それで、Bランク昇格は完了だ」


「……俺が、Bランク冒険者に……!」


「――ただし」


 歓喜を露にするアクトに釘を差すように、ラカムは声を鋭くする。


「Bランク以上のクエストは、今まで以上に困難と危険を伴う。

 無理はするな。仲間を集え。失敗しても生還を最優先に考えろ。

 ……お前を慕う者達に、涙を流させないようにな」


 ラカムは広場に集った群集達の一角に視線を移した。

 アクトがその視線を追うと、そこには野次馬に混じって、心配そうにこちらを見る子供達の姿が見えた。

 以前、冒険者としての仕事中にアクトが助けた新人冒険者達。

 それに、教会のシスターであるロロラに連れ添う、孤児院の子供達。

 彼らとアクトとの間には、今日に至るまでの数ヶ月の間に王都でのアクトの行いが繋いだ、確かな絆があった。その絆もまた、積み重なった大切な過去が築き上げたものだ。


「……へっ。結局、説教はするんじゃねえか」


「それが嫌なら、されないように努力するんだな」


 ラカムとアクトは、どちらからともなく皮肉げにふっと微かに笑い合う。

 二人の間には、年齢も立場も関係ない、奇妙な繋がりが確かに今も繋がっていた。


「ふ、ふざけるなっ! そいつが、狂犬アクトがBランクだと!?」


 ついに我慢できなくなったのか、フォウルは自らラカムに詰め寄り、怒鳴り声を浴びせる。

 ラカムは迫るフォウルに対して向き直り、真剣な表情で応対する。


「冒険者アクトのBランク認定に関しては、冒険者ギルド評議会の許可を得た正式な決定だ。

 過去の行いを踏まえて、現状のアクトならば……少々難ありとはいえ、昇格に値すると判断された」


「ふ、不当だ! こんな暴力三昧の屑が認められるなんて、許されるわけがないだろう!?」


「過去の暴力事件に関しては調査の結果、ほとんどが強盗の類を退けるためのものであり、当時の迷宮都市ラビリスの治安悪化に起因した人災への対処と判断された。

 

 冒険者レンに対する行いは見過ごせないものがあったため、Bランク昇格の条件として『レンに何らかの形で誠意を見せること』が評議会で定められていたが、それも完了した。

 今回の騒動については、タケル氏との諍いが原因だが……問題は、このタケル氏の立場だ」


 フォウルの抗議にラカムが対応している間にも、タケルはギルド職員達によって治療を受けていた。

 今はまだ意識を取り戻しておらず、時折呻いているが、やがて目を覚ますだろう。


「タケル氏は冒険者ギルドに所属しておらず、また、王都市民でもない。

 ……さらに騎士団に問い合わせたところ、入都審査を受けていない。

 現状でのタケル氏は王都への不法滞在者という扱いだが……。

 その不正入都を手引きした者が貴方だ、との証言がある」


 タケルが不法滞在者として扱われている理由を、フォウルは知っていた。

 他ならぬフォウル自身が、タケルに入都審査を受けさせないように彼の身柄を積荷の中に隠したからだ。

 理由はいくつかある。単純に城門で支払う通行料が惜しかったのがひとつ。

 そして――用が済んだら犯罪者として、タケルを処分するためだった。

 

 アクトを叩き潰したかったフォウルだが、そのために自分の手を汚したくはなかった。

 もしもタケルが『アクトを潰すようにフォウルに頼まれた』などと証言をすれば、自分の立場が危うくなると考えたフォウルは、後でタケルもまた排除できるようにと画策していた。

 

 フォウルにとって誤算だったのは、アクトを潰すことは叶わず、さらにはタケルを不法な手段で王都に招き入れたのが自分だということが露見したことだった。


「な、何のことかな? 僕がそんなことをする訳がないだろう!?」


「――続きは、騎士団本部で話してもらおうか」


 話を遮るように、重い声が響く。

 声の主は、王都騎士団団長・マイトという男性だ。

 彼は部下である騎士達を引き連れて、野次馬達の輪の向こうから歩み出てきた。


「入都審査に関する不正の他、盗品の売買、盗賊との裏取引といった容疑がかけられている。

 言い分は騎士団本部で好きなだけ聞いてやろう――嫌なら、身体に聞くことになるがな」


「ひっ……や、止めろ! 僕は、僕は悪くない! 捕まえるならあっちの狂犬を――!」


 逃げ出そうとするフォウルだったが、鍛え上げられた騎士達によってまもなく捕縛される。

 そうして彼は、意味を成さない喚き声を叫びながら連行されていった。

 タケルもまた騎士団に連れて行かれていた。フォウルとは違い丁重に担架に乗せられて、だが


「……アクト」


 フォウルの連行を見送っていたアクトに、ラカムが改めて声を掛ける。


「冒険者稼業は、過酷さとは裏腹に評価されにくい生業だ。人々の中には冒険者というだけで、その存在を快く思わない者達もいる。そのため、いくら実力があろうとも、素行に著しい問題がある者にギルドの看板を背負わせるわけにはいかない」


 ラカムの話す警告は、冒険者ギルドで幾度となく言われてきたことだ。

 定職につかず暴力を生業とする乱暴者、と冒険者を蔑む者は、決して少なくない。

 実際、過去に冒険者が起こした事件によって市民が犠牲になったという話もある。

 

 故に冒険者ギルドは、冒険者の活動を支える味方であると同時に、問題を起こす冒険者には刃を向ける敵にもなりうる。そうしなければ、冒険者ギルドそのものが信頼を失い、仮にギルド取り潰しとなれば全ての冒険者が路頭に迷うことになるからだ。


「だからこそ……俺達、冒険者ギルド一同が、お前を高ランク冒険者として認めたという事実を忘れるなよ。

 お前が何か問題を起こせば、お前を信じてBランク認定に賛同した者達全てを裏切ることになるからな」


 言い終えたラカムは、アクト達に背を向ける。

 そのまま歩き去ろうとするラカムの背中に、アクトは声を掛けた。


「おい、ラカム! ……あー、えっと、あれだ。酒を奢るって約束、忘れるんじゃねえぞ」


「……とっておきの奴を用意している。いつでもこい」


 立ち止まり、けれど振り返らないまま、短く答えを返すラカム。

 彼はそのまま再び歩き出し、広場を立ち去っていった。

 ――アクトの側からは見えることはなかったが、ラカムの顔には微かな笑みが浮かんでいた。



  〇



「はい、これで手続きは完了しました」


 レンは気だるい脱力感に包まれていた。

 理由は明確だ。何しろ、少年自身が望んで行った手続きが原因なのだから。少年が頼み込んで、手続きを行ってもらった相手――カジノオーナーの少女が、確認するようにゆっくりと話す。


「これで……貴方がレベルアップカードで手に入れた経験値は全て、カードに戻されました。

 貴方のレベルも、大幅に減少しています。……本当に、よろしいのですね?」


「はい。すごく迷いましたし、周りの人達にはせっかく手に入れた幸運を手放すことを止められました。

 けど……それでも、こうするって決めたんです」


 カジノで目が眩むような幸運を引き当て続けた時に手に入れた、レベルアップカード。

 レンはその不思議なカードの効力で、Aランク冒険者に匹敵する程の身体能力を得ていた。

 だが、それはもう過去の話。今のレンは、非力な一人の少年に過ぎなかった。


「いつか、これが自分の力だって胸を張れるように、最初からやり直したいんです」


「……例え幸運で偶然、手に入れた力でも、それだって立派な貴方の力だと思いますよ?」


「確かにそう思います。けれど、なんというか……理屈じゃないというか」


 名残惜しそうに、レベルアップカードを手に取って見つめるレン。

 彼にとってそれは、勇気と安心を与えてくれた大切な宝物だ。

 それを手放すことは、そうすると決めた今でも躊躇ってしまう。

 しかし、それでもレンの意思は既に固く定まっていた。


「多分、これがぼくの男としての意地なんだと思います。

 自分にそんな意地があるなんて思えなくて、不思議な気持ちなんですけど……。

 いつか未来で後悔するかもしれなくても、今、自分自身に挑戦してみたいんです」


 そう語る少年の瞳には迷いがあったが、それでもしっかりとした意思の光が輝いている。

 カジノオーナーである少女がかつて見た、虚ろな目をした気弱な少年の瞳とは、まるで違っていた。

 

 まだ見ぬ未来を目指して駆け出そうとしている少年のその姿に、カジノオーナーの少女は目を細める。

 そして少女は、にっこりと笑った。

 カジノオーナーとして接客のために浮かべる笑顔ではなく、心からの柔らかな微笑みを。


「レン様――いえ、レン君。貴方の未来に、幸せが溢れていることをお祈りします」


「……あ、ありがとう、ございます」


 カジノオーナーの少女がいつも浮かべている、どこか仮面のような笑顔ではなくて、年相応の少女のような朗らかな微笑みに、レンは思わずどきりとする。色々と怖いと感じることが多いカジノの主ではあるけれど、それを一瞬だけでも忘れさせてしまうような、あまりに可愛らしい笑顔だったから。


「ああ、そういえば。今度新しいお店を始めることになったので、よければ覗いてみてくださいね」


 ふと何かを思い出したように、少女は身に着けたバックから一枚の紙を取り出した。

 色鮮やかに彩られた紙面に、大きな文字で広告文が書き込まれている。所謂、チラシだった。


「ええと……『あなたの使い魔、ファミリア・マート』?」


「キャッチコピー、というものですね。使い魔のように便利でお客様の傍に寄り添える存在であるように、という思いを込めています」


「……その、24時間営業って書かれてるんですけど、これって……」


「はい。基本的に年中無休、24時間いつでも豊富な品揃えをご用意しております。

 生活必需品から冒険の便利アイテムまで。色々と取り揃えておりますから、どうぞご贔屓に」


「あ、あと気になるのが……この地図の場所って、確かフォウルさんのお店が……」


「ご存知でしたか。実を言うとフォウル様、他にも色々と悪事に手を染めていたそうでして。

 この度、財産を全て差し押さえられてしまわれたので、空いた土地と奴隷の方々をこちらで全て残らず、買い取らせていただきました。とっても立地条件が良いんですよね、あの土地。

 

 うふふ……独自に掴んでいた悪事の証拠を騎士団にお渡しした甲斐がありました。

 これからこの『コンビニ事業』でさらにたっぷりと稼がせていただきますよ」


 すっかり普段の様子に戻ってしまった少女を見て、レンは思う。

 ――やっぱりこの人怖い、と。



   〇



 翌日、レンは早朝から街中へと出掛けていた。

 身体を鍛えなおす為に、走り込むためだ。

 走り込みだけではなく、武器の扱い方も基礎からしっかりと学び直さないといけない。

 本当に強くなるためには、やらなければならないことは数え切れないくらいにたくさんある。

 

 ――以前までとの違いは、それを『やりたい』と思えるようになったことだった。

 強くなりたい。胸を張れる男になりたい。そうやって、生きていきたい。

 困難なことがたくさんあるのは分かっているけど、その道を望んで選んだのは他ならぬ少年自身だった。

 

 カジノで得た金品で、平穏に暮らしていくことだってできるだろう。商人や生産業を志すことだってできるかもしれない。それでも、少年は自分の生きる道を自ら決めた。

 冒険者として、目標とする人物を追いかける道を。


「ちんたら走ってんじゃねえぞ、おらあ!」


 ふと、その目標とする男の声が背後から聞こえたかと思うと、その人影はあっと言う間にレンを追い越していった。挑発するように肩越しに見るアクト。レンは必死で足を動かして、アクトの背中に追いすがる。


「へっ、この程度じゃ俺に勝つなんざ、到底無理ってなもんだぜ!」


「……負けま、せん!」


 話し掛けてくるアクトに意地を見せるようにレンは、息を切らせながらもさらに駆ける。

 気合を言葉に乗せて吐き出して、一歩だけだが、確かにレンはアクトに追いつき、追い越した。

 

 その様子ににやりと笑いながら、アクトはさらにスピードを上げる。

 訓練のためだからと各種ウルトラレア級の装備品は外しているアクトだったが、それでも長年培ってきた地力は確かな物だった。必死になって自分を追い越した少年を、アクトは軽々と抜き去る。


「へっ、負けるかよ!」


「――諦めません!」


 息を切らせながら、それでも少年は再びアクトを追い越す。

 そこからはもう、意地の張り合いだった。


「負けねえっつってんだろ!」


「それでも、諦めませんっ!」


「負けねえ!」


「諦めない!」


「負けねええええええ!!」


「絶対に、諦めませんっ!!」


 最早身体がぶつかっても躊躇わず、互いに競い合うように駆けていく二人。

 二人はこの先、英雄と呼ばれる存在へと、冒険者としての人生を走り続けていくことになるのだが。

 ――けどそれはまた、未来これからのお話。

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― 新着の感想 ―
すごく清々しい気分になれました。ありがとうございます
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