閑話「英雄と呼ばれる男 中編」
申し訳ありませんが、前編、中編、後編に分けさせていただきました(汗)
後編は後日、必ず……!
最後の方の技名とそれに使うエネルギーの名称を変更しました。
感想返しはまた後日に、すいません(汗)
7/5 気→魔力に変更しました。
「お前がアクトか!」
知らない少年の声に名を呼ばれて、アクトは背後に振り返った。
声の主である黒髪黒目の少年は、不敵な笑みを浮かべてアクトに指を差している。
「ああ? だれだよ、てめえ」
「俺の名はタケル。お前を成敗する者だ!」
自信満々といった様子で叫ぶ少年に、アクトは溜め息をつく。
良くも悪くも名が売れてきてからというもの、こういった手合いに絡まれることは少なくなかった。
王都は他の街と比べれば治安が良いためにそこまで頻発する事態ではないのだが、それでも人目の少ない場所で喧嘩を売られることは多々ある。
だが、人の行き交う広場の中央で仕掛けてくる相手は、タケルと名乗った目の前の少年が初めてだった。
「ったく。人が飯食おうとしてる時に邪魔しやがってよぉ……」
「アクト、アクト。この人、知り合い?」
袖を引かれる感触にアクトが横を見れば、ラズリが不安そうにアクトのことを見上げていた。
いきなり知らない人物から敵意を向けられて、それが彼女に対するものではないと分かりながらも、怖かったのかもしれない。
ラズリと出会ってからはこういった事態は初めてだったなと思い返しながら、アクトは少女の不安を和らげようとその小さな頭を撫でた。
「知らねえ奴だよ。だから放っておいて行こうぜ」
アクトは少年のことを相手にしないことに決めて、踵を返した。
無視されたことを感じて不満だったのか、少年はさらに声を荒げる。
「逃げるのか卑怯者! そんな幼子を無理矢理に侍らせて、恥ずかしくないのか!」
「勝手に喚いてろ、馬鹿が」
昔のアクトならばとっくに拳を振るっていた所だが、怒りはぐっと堪えてアクトはその場を離れようとした。冒険者に荒事と喧嘩はつきものというが、だからといって街中で暴れ回れば住人や冒険者ギルドからの心証は悪くなる。
Cランクまでなら多少の問題を起こしても忠告されるだけでなんとかなるが、Bランクへのランクアップを目指しているアクトにとっては、揉め事を起こしてギルドからの心証を悪くする事態は避けたかった。
実力が全てと言われる冒険者だが、Bランクに上がるには人格面なども評価される規定があるからだ。
売られた喧嘩を買ったり、降りかかる火の粉を払うだけならば本来、厳しく処罰されることはないのだが、アクトは過去に積み重ねてきた悪名を雪ぐために尽力している身の上だ。
必要に迫られたのならともかく、正義の味方気取りの少年をいちいち叩きのめして、周囲に悪印象を持たれたらたまったものではない。
だから、アクトは好き勝手に喚く少年のことを捨て置いて立ち去ろうとしたのだが――。
「ふん……お前のような男を育てた親は、どれ程のろくでなしだったんだろうな!」
――少年の言い放ったその言葉だけは。
どうしても、聞き捨てることなんて、できなかった。
「……おう、クソガキ。随分と好き勝手言ってくれるじゃねえか、ああ!?」
怒りを露にしてアクトは振り返り、少年に向けて怒声を張る。
吹き荒れるような激しい怒気に少年は一瞬怯んだが、すぐ気を取り直したように喋り出す。
「本性を表したな、悪党め!」
「悪党だから何だってんだ、ああ!?」
「俺が退治してやる! 覚悟しろよ、かませ犬!」
「上等だよこの野郎……!」
威勢よく叫ぶタケルを睨みながら、アクトは拳を鳴らす。
今にも飛び掛りそうなアクトだったが、その足がふと止まる。
袖をぎゅっと握り締める、ラズリの存在に気付いたからだ。
「アクト……喧嘩したら、危ないよ……?」
不安そうな顔で自分を見上げる少女の言葉に、アクトの怒りが少しだけ和らぐ。
だが、それでも。彼にとって育ての親のことは、大切な思い出だ。
それをろくに知りもしない少年に貶されて黙っていることは、アクトにはどうしてもできなかった。
「下がってな、ラズリ。こんな奴、さっさと返り討ちにしてやるからよ」
「で、でも……」
尚も引き留めようとするラズリの手を袖から離させて、アクトは歩き出す。
ラズリには見せないようにしていたが、彼の瞳には燃えるような怒りの炎が灯っていた。
「覚悟は決まったようだな、では行くぞ!」
「おいおい、てめえ。決闘前の挨拶もなしかよ」
さっそく飛び掛かろうとした少年に、アクトは制止の声を掛ける。
タケルは『決闘前の挨拶』という言葉を聞いて、慌てて踏み留まった。
「戦う前に互いの拳を一度ぶつけ合うって作法を知らないのかよ、どこの田舎者だ?」
「……ふ、ふん。知っていたさ! ほら、さっさと済ませるぞ」
アクトの言葉に、誤魔化すように言い捨てて拳を突き出すタケル。
少年の出した拳に合わせて、アクトも拳を握り締めて――拳同士をぶつけ合わせるフリをして近付き、タケルの顔面を殴り飛ばした。
不意打ちをまともに喰らい、地面に殴り倒されたタケルは、身を起こしながら非難の言葉を叫ぶ。
「お、お前! 決闘の挨拶はどうした!?」
「そんなもん嘘に決まってんだろ、ばああああああああか!
ってか、喧嘩に挨拶も作法もあるわけねえだろ、ボケが!」
「こ、こいつ……卑怯な真似を!」
騙されたことを知ったタケルは怒鳴りながら立ち上がる。
周囲では騒ぎを聞きつけた人々が集まり、人垣を作りつつあった。
「ひゃっはー! 喧嘩だ喧嘩ー!」
「ガチャ廃人アクト……最近は大人しいと思っていたら、何をしているんだ?」
「どっちが勝つか賭ける奴はいねえかー!」
好き勝手に騒ぎ始める野次馬達を余所に、アクトは少年に追撃を加えようと拳を握り締めて駆け出す。
だがアクトが拳を振り上げた時にはタケルも体勢を整えており、アクトの拳撃をたやすく避けてみせた。
「調子に乗るなよ、悪党!」
「――が、ぐぉ……!?」
回避と共に放たれたタケルの蹴りが、アクトの腹に突き刺さった。
思わず呻きながら後ずさるアクトに、好機を逃さないとばかりにタケルの猛追が襲い掛かる。
およそ格闘技らしき工夫が欠片も感じられない、力任せに振るわれているだけの拙い攻撃。
だというのに、目にもとまらない速さで繰り出される連撃はアクトの防御をすり抜けて、あるいは打ち崩して、矢継ぎ早にその身体を痛めつけていく。
(な、なんだこいつ……動きは素人なのに、出鱈目なパワーとスピードだ……!)
いつしかアクトは、防戦を強いられていた。
攻撃を仕掛けようとすれば手痛い反撃に見舞われるために、そうせざるを得なかったのだ。
回避に専念しながら、動きを読もうと目を凝らす。しかし、タケルの行う高速の連続攻撃は、数々の装備品の加護で底上げしているアクトを以てしても、ついていくのでやっとだ。
まるで人間ではなく、モンスターを相手にしているような錯覚を覚える。
それほどまでに、タケルの在り様は異常なものだった。
通常、強力な攻撃には動作に力を溜めるため、そして攻撃した後にも相応の隙というものが生まれる。
だが、タケルはその隙を凄まじい身体能力で無理矢理に捻じ伏せて、隙を打ち消している。
腰の入っていない、腕の力だけで振るわれた一撃ですら恐ろしく速く、さらに重い。
まともに受けては防御ごと弾かれるというのに、そんな一撃が絶え間なく行われる。
移動速度の上昇する魔法の加護が宿る装備品をいくつも装備して、常日頃から超高速の世界に慣れているアクトだからこそ避けれているが、そうでなければひとたまりもないだろう。
(こいつ……ギフテッドって奴か……!?)
ギフテッドとは、神から祝福を与えられたと思われるような高い資質を持つ者を指す呼称だ。
生まれた時から周囲の人間とは隔絶した才能を有し、凡人とは比べ物にならないような能力をその身に宿しているそうだ。そういった逸脱した存在は、英雄や偉人として歴史に名を残す者に多く見られるという。
「ほうら、どうした! 子供は殴れても、俺のことは殴れないようだなあ!!」
「くっ、そ……調子に乗りやがって……!」
タケルの言葉に苛立ち、思わず叫ぶアクト。
その一瞬、集中が僅かに途切れた隙を、タケルの拳が打ち抜いた。
顎にアッパーを喰らい仰け反るアクトを、追い討ちとばかりにタケルが蹴り飛ばす。鳩尾に叩き込まれた蹴撃の凄まじい威力に息が詰まりながら、アクトの身体は石畳の上を跳ねるように転がった。
「か、はっ……!」
全身を打ち据えた衝撃に、アクトの口から悲鳴じみた声が零れる。
彼はそれでも立ち上がろうとするが、身を起こして膝をつくのがやっとの有様だった。
「あっはっは、無様なもんだなあ!」
上機嫌に嗤いながら、タケルはゆっくりとアクトに歩み寄る。
恐怖を煽るように、わざと足音を大きく鳴らしながら。
周囲で見守っていた野次馬達も、さすがにこれ以上はまずいのではないかとざわつき始めていた。
「さあ、そろそろトドメをさしてやろうか――」
「やめてぇ!!」
人垣の中から飛び出したラズリが、アクトとタケルの間に割って入る。
アクトに言われたように見守ろうとしていたラズリだったが、もう我慢の限界だった。
「もうやめて、アクトにひどいことしないで!」
「君は、この悪党に侍らせられていた少女じゃないか。
こいつは正義の味方の俺が退治してやるから、安心して見ていなよ」
「こんなの……こんなの正義じゃないよ!」
正義を名乗るタケルの言葉をはっきりと否定するラズリ。
だがタケルは、まるで聞き分けの悪い子供を諭そうとでもするかのように、彼の思い描く正義を語る。
「君は知らないかもしれないけどさ、その男は小さな子供に暴力を振るうようなひどい奴なんだ。
だから誰かが断罪しないといけないんだよ。それを俺がやろうって言うんだ。
ひどいことをした悪党は、罰を受けなきゃいけないんだから」
「……あなたのしていることだって、ひどいことだよ!」
ラズリの叫びに、タケルの言葉が詰まる。
彼の心情を知る由はなく、知ったことではないラズリは、ただ必死に自分の想いを叫んだ。
「殴って、蹴って、ひどいことをたくさん言って!
他人を平気で傷つけるような人が、正義なんて名乗らないで!
アクトはひどいことをしたけど、アクトが間違えたからって貴方が正しい訳じゃないでしょ!」
少女のまっすぐな言葉で、己の正義を否定されたタケル。彼はしばらく呆然とした様子でラズリを見つめていたが、やがて合点がいったとばかりに「ああ、そうか」と呟いた。
「君はその男に、洗脳でもされているんだね。やっぱり悪党はひどいことするなあ。
安心していいよ。今すぐ俺が、助けてあげるからさあああ?」
どこか虚ろな目でラズリに手を伸ばすタケル。
ラズリは得体の知れない恐怖を感じて、それでもアクトを庇おうと必死で立ち続ける。
アクトもまた、ラズリを守るために立ち上がろうとするが、彼が立ち上がるよりも早くタケルの手がラズリに触れようとする。
――しかし、タケルの手は、ラズリに届くことはなかった。
ラズリが何かしたのではない。アクトが間に合った訳ではない。
互いを守ろうとする二人の仲を、勝手な正義の押し付けで引き剥がそうとするタケルを阻んだのは。
「も……もう、止めてください!」
未だ幼い、少年だった。
息を切らせながら、それでも両手を必死に広げて、タケルの前に立っていた。
臆病で、自信もなくて、自分の本当の気持ちからも逃げ続けてきた少年は、今。
かつて自分を傷つけた相手で、それでもかけがえのない恩人であるアクトを守るために。
その小さな身体で、必死に自分の想いを示そうとしていた。
〇
時間は少し遡る。
決闘騒ぎの話を聞いたレンは、広場に向かって走り出していた。
その隣には、先程まで話していたタマモも付き添っている。
「のう、レンよ。お主はどうして走っておる」
タマモは必死な様子で駆けるレンに、余裕のある様子で語りかける。
息を切らせながら、それでも彼女の言葉に答えようとレンは叫んだ。
「分かりませんよ、そんなの……! けど、いてもたってもいられなくて……!」
「考えるより先に身体が動くか。うむ、それもまた良し、じゃのう」
全力で走るレンだが、タマモは涼しい顔で並走する。
レベルアップカードという魔法のアイテムで、Aランク冒険者にも匹敵するレベルを手にいれたはずだというのに、彼女との間には比べようもない能力の差があることを感じられた。
けれど、今は何よりも少しでも早くアクト達が決闘を行っているという広場へ向かおうと、レンは街中を駆け抜けていた。
やがて、広場に集まった人々が作る人垣が見えてくる。
人を殴るような音と人々の激しい喧騒が混ざり合って響いてきていた。
おそらくはその中心にアクト達がいるのだろうと思うが、レン達のいる場所からはその姿は人垣に阻まれて見ることはできない。
「す、すいません、通してください! 通して……!」
人垣に割って入ろうとするレンだが、その声は喧騒に掻き消されてしまう。
今のレンの力ならば、人垣を押し退けて前に進むことも可能だが、無理矢理に押せば人を転ばせてしまうかもしれない。他人に危害が加わらないように、僅かな隙間に身体を潜り込ませようとするレンだったが、その肩をタマモがぽんと軽く叩いた。
「レンよ。どうしてもアクトの元へ行きたいのじゃな?」
「うまく言えないけど……けれど今は、行かなくちゃいけない……いえ、行きたいって気がするんです!」
「ならば手助けしてやるのじゃ。ほうれ」
タマモがそう言って、彼女の手に握られた錫杖を掲げると、レンの身体がふわりと宙に浮いた。
魔法の力で与えられた浮遊感に戸惑うレンに、タマモは言葉を投げかける。
「拙くともよい。誰かの受け売りの言葉でもよい。
お主の心に、示したい想いがあるのなら、思い切って叫んでくるのじゃ!」
「……はいっ!」
はっきりと返事を聞いたタマモは「うむ」と頷き、再び杖を振るう。
するとレンの身体はさらに高く浮かび上がり、人々の頭上を飛び越えていった。
それを見届けたタマモは、微笑みながら呟く。
「頑張るのじゃ、若人よ」
勢いよく飛ばされたレンは、怯えながらも何とか石畳に着地する。
姿勢を立て直して顔を上げると、少年の視線の先には3人の人物がいた。
ぼろぼろの姿で地面に膝をつくアクト。
その傍らで泣きそうになりながら、両手を広げてアクトを庇い立つ少女。
そして、レンも知らない男が、少女に向けて虚ろな目で手を伸ばしている最中だった。
レンは何を言っていいのかなんて分からず、必死に駆け出す。
アクトと、彼を庇う少女の前へと割って入って、少女に手を伸ばしていた男に向かって叫んだ。
「も……もう、止めてください!」
その叫び声で、初めて男はレンの存在に気付いた様子だった。
どこか遠い所を見ているような瞳が、レンの姿を捉える。
「君は……?」
「ぼ、僕はレンって言います。その……」
「ああ、君がレン君か。フォ……ある人から話は聞いているよ。
そこにいる悪党に、随分とひどいことをされてきたらしいじゃないか。
だから俺が、成敗してやろうと思ってね……だから、下がっていてくれないかな?」
「た、確かに僕は、アクトさんに色々とされましたけど……でも、でも……!」
「心配することはないよ。もう二度とそんなことができないように、徹底的に断罪してやるからさ。
君は何もする必要なんてないんだ。汚れ仕事は俺に任せて、救われてくれればいいんだ。
悪い奴は退治されて、君も復讐できて、良いことだらけだろ? だから……」
「ぼ、僕は……復讐なんて望んでいません!」
「……そんな訳がないだろう? ひどいことをされたんだから、仕返ししたいと思うのが普通じゃないか。
素直になっていいんだよ。罪人に報復することは正しいことなんだ、
君の気持ちは間違ってなんかないんだよ。何も心配することなんてないんだよ」
「僕は……僕の、気持ちは……僕の」
レンは、ずっと考えてきた。
自分のアクトに対する気持ちは何なのか。
許せるのか、許せないのか――許して、ほしいのか。
今もまだ、はっきりと言葉にすることは難しいかもしれない。
けれど、これは違うと思った。
誰かにアクトを傷つけさせて、それで復讐を果たしたと思うことは、自分の願いではない。
そもそも、アクトが傷ついて、不幸になって、あるいは……死んでしまうことも、望んでいない。
だからといって、今まであったことを忘れて、アクトと共にいたいとも、思わない。
殴られて辛かったことも、蹴られて苦しかったことも、罵られて悲しかったことも。
――拾ってもらって、他人が傍にいることが嬉しかったことだって、なかったことにしたくない。
「俺が君を幸せにしてあげるよ。君だけじゃない、そこの少女も、他の人達も、俺が救ってあげる。
だから、まずはこの悪党を成敗するからさ。それで君は幸せに――」
「――僕の気持ちを、僕の幸せを! 勝手に決めるなああああ!!」
レンの心の奥底から吹き出した叫び声が、広場に響き渡った。
自論を延々と語っていたタケルも、周囲で騒いでいた野次馬達も。
少年の必死の叫びに、思わず押し黙る。
静まり返った広場の中心で、少年はただ必死に、自分の胸の内を言葉に乗せて叫んでいた。
「僕は確かにアクトさんのことが嫌いです、だいっきらいです!
いつも乱暴だし、すぐ悪口言うし……寝相悪くて、いびきも煩いし!
お酒と煙草の臭いで口も臭いし、足も臭い!」
「……ええと、そんなに嫌いなら何で止めに入って……」
「黙って聞いてください!」
「あ、はい」
話に割り込もうとしたタケルだったが、レンの気迫に気圧されて黙らされる。
一瞬の間を挟んだことで少し落ち着いたのか、少年は幾分落ち着いた声で話を続けた。
「嫌いだけど、命の恩人で、それだけじゃなくて……僕は。
本当は、そう……羨ましかったんだ。アクトさんのことが」
何気なしに口にした言葉だが、その一言はレンの胸にストンと落ちた。
今まで気付けずにいた、自分の本当の気持ちは、すごく単純なことだったのだと理解する。
自分はずっと、アクトのことが羨ましかったのだと。
妬ましいのではなくて、恨めしいのでもなくて。
ただ、その在り方に――憧れたのだということを。
「戦う力も、勇気もあって。お金を稼ぐこともできて……そんなアクトさんのことが羨ましかった。
僕も、そんな風に生きたくて……けど、頑張っても全然、駄目で……戦うのだって、怖くて、動けなくて……そんな自分が誰よりも嫌いだった。
アクトさんのことは大嫌いだけど、それよりも僕自身のことが誰よりも何よりも、嫌いだった……!」
臆病で、何もできなくて、怯えてばかりの子供。
そんな自分が大嫌いで、だけど変わりたくても、頑張っても、恐怖が迫ると身体が震えて、何もできなくなってしまっていた。
「だからあの日、カジノで欲しかった物を全部手に入れて。
これでもう誰にも頼らずに生きていけると思った。
それでもう一人ぼっちになっても、これからはきっと幸せになれるって、信じてた。
けれど、違ったんだ。僕が欲しかったのは、僕の幸せは、お金とか力を与えてもらうことじゃなくて……」
お金がいらない訳ではない。
金銭は、人の世で生きていくためにどうしても必要な物だ。
それが大切だということを忘れてしまえば、きっといつか不幸になってしまう。
戦う力も、大切なものだ。
身を守るため。誰かを守るため。敵に勝つ為には、抗う為の力が必要になる。
誰かに守ってもらえることも幸せだと思うけど、誰かを守れることだって幸せに繋がっている。
だけど、少年は現状が幸せかと問われれば、否と応える。
ようやく、レンは気付けた。自分の本当の願いに。
お金や力を、与えてもらうことではない。誰かに守られていることではない。
まして、嫌いな人が不幸になることではない。
彼が追い求めていた幸せは、とても単純で、純粋なものだった。
「僕は……自分の力で、強くなりたいんだ!
誰かを守れるような男に、自分の意思を貫けるような男に、お金を稼げるような男に!
怖がりながら、嫌いながら、それでも憧れたアクトさんみたいに……自分の力で生きていきたい!
そのために僕は……臆病な自分を、乗り越えていきたい。それが僕の気持ちです。
だから――アクトさんの不幸が僕の望む幸せだなんて、貴方の勝手で決め付けないでください!」
ありったけの想いを叫び終えたレンは、毅然とした態度でタケルに言い放った。
過去の経緯をタケルが何故知ったのか、レンには分からない。けれど、そんなことはどうでもいい。
ただ、タケルの語った「レンの幸せ」は、自分の願う幸せではないということを、伝えたかった。
「は、ははは……あはははははは」
しかし、レンの言葉を聞いたタケルの声は、震えていた。
納得した様子など感じられない。ただ、信じられないものを見るように、レンをじっと見つめている。
「そんなわけない、そんなわけが……き、君は、俺と同じだ。同じはずだ。
嫌いな奴をみんな倒せば、幸せになれるよ。与えられた力でもいいじゃないか。
苦労したんだから、苦しんだんだから……報われたっていいじゃないか……!
だから、だから……そんな目で俺を見るなよ、俺は、俺は……今度こそ、正義の味方に……!」
ぶつぶつと呟くタケルの異様な様子に、思わずレンは後ずさる。強くなろうと、怯えないようにと心掛けていても、目を背けたくなるような……そんな暗い光が、タケルの瞳には宿っていた。
恐怖に怯えて後ずさり――けど、それでも逃げようとせずに、タケルの前に立ちはだかる。
そんな少年の頭に、背後から手が置かれた。
――かつて少年を傷つけてきた手で、アクトは勇気を振り絞った少年の頭を、優しく撫でた。
「いっちょまえにかっこつけやがって……下がってな、レン」
「ア、アクトさん! 無茶したら駄目です、もうぼろぼろじゃないですか!」
背後を振り返ったレンの目には、ぼろぼろになりながらも立ち上がったアクトの姿が映っていた。
その傍には少女が寄り添い、心配そうにアクトを見上げている。
「アクト……痛い?」
「へっ、こんなもん掠り傷だっての。おら、いいから下がってろ」
「け、けど、アクトさん。これ以上無理して戦う理由なんて……」
「何を言ってやがる、寝言は寝て言えってんだ」
これ以上戦わせるのは危険だと、制止しようとするレンとラズリをゆっくりと押し退けて、アクトは前に踏み出る。ふらつきながら、しかしその瞳はタケルを見据えていた。
「そいつは俺が気にいらねえ。俺はそいつが気にいらねえ。
――喧嘩の理由なんざなあ、それで十分だろうが!」
タケルに指を差して、アクトは吼える。
その怒鳴り声に我に返ったのか、タケルは気を取り直したようにアクトを睨んだ。
「……ふ、ふん。ぼろぼろのくせに逃げないことだけは褒めてやるよ、悪党。
特別にハンデだ。先手は譲ってやる……叩き潰してやるから、かかってこいよ!」
「へっ、そうかい。負けた後で言い訳にすんじゃねえぞ、てめえ」
「ふん、正義の味方がそんなことをするか!
……そうだ、俺は正義なんだ。悪党を成敗すれば、そこから全部上手くいくんだ……」
ぶつぶつと呟くタケルを睨みながら、アクトは必死で考える。まともに戦っても、勝ち目はない。相手はほぼ無傷なのに対して、自分は激しい攻撃を散々受けた後なのだから。
かといって、不意打ちに使えそうな物は周囲にはない。
目潰しに使えそうな砂も手元になく、辺りは人垣に囲まれた石畳。
最初に仕掛けたような不意打ちは、二度も通じないだろう。
例え通じたところで、その後が続かない。
(周りに使える物がねえなら――)
しかしアクトは、諦めるつもりは欠片もなかった。
ようやく、タケルの凄まじい動きに目が慣れてきた頃だ。乱れていた息も、ラズリとレンが時間を稼いだことで、何とか整えることができた。
後はもう、やることは決まっている。自分にできることを全て出し切って、勝利を目指すだけだ。
(――自分の中から、引き出すしかねえよなあ!)
アクトは、両手の掌を重ね合わせた。
その様子を見て勘違いをしたのか、タケルが嗤い声をあげる。
「ふん、手を合わせて降参のつもりか? 勘弁してくれと頭を下げるなら許してやっても――」
どうでもいい戯言を聞き流して、アクトは精神を集中する。
実戦で使える程の鍛錬を積む前に終わってしまった、修行の内容を必死に思い出す。
育ての親であるダイナの教え。そしてベルの、タツミの、セシルの……ダイナ傭兵団に教わったことを。
『魔法が使えないと嘆くよりも、自分に使えるものを探した方が得策でござるよ』
タツミの言葉が、脳裏に蘇る。
東方と呼ばれる遠い故郷から旅をしてきたというタツミは、クリスティア王国に伝わる魔法を扱う資質を持ち合わせていなかった。
しかし、彼女が故郷で学んだという不思議な術を、いくつも傭兵団のために役立てていた。
『その、忍術っていうのは魔法と何が違うんだよ?
火を出したりとか、魔法と似たようなことしてるじゃないか』
『魔力を使って不思議な術を使う、という点は同じでござるよ。
術式の組み方や、発展の仕方といった細部が全然違うのでござる』
『……その忍術っていうのは、俺にも使えるのか?』
『魔法も忍術も、術の習得に関しては本人の資質次第でござるよ。
拙者だって、忍術はいくつも覚えているけど、魔法は扱えなかったでござるからなぁ』
タツミの言葉に、当時のアクトは胸を高鳴らせた。魔法の才能がまるでない彼にとって、タツミの使う忍術なら扱えるかもしれない、というのは希望を感じられたのだ。
『なら、それを教えてくれよ! 俺、頑張って修行するからさ!』
『苦労しても覚えられず、無駄に終わるかもしれぬでござるよ?』
『そんなの、やってみなくちゃ分からないだろ!』
『……それもそうでござるな。まずは印の形から教えるでござるよ』
深呼吸をして、呼吸を整える。タツミのように慣れた者なら、戦闘中でも難なく忍術を扱えるそうだが、アクトには未だ無理なことだった。アクトには忍術に関しても才能はなく、修行もダイナ傭兵団の全滅によって途中で終わってしまった。
師匠から伝え聞いたことを思い出しながら我流で鍛錬を続けたが、それでもろくに使い物にならない。精神を集中する暇なんて、本来は戦闘の最中には存在しない。モンスターは今のタケルのように、驕り昂ぶって攻撃の手を止めたりなどしないのだから。
いつしか冒険者稼業には向かないと見切りをつけて修練を止めてしまったが、教わったことは今でもアクトの記憶にしっかりと刻み込まれている。
「いくぜ、これが俺のとっておき――」
アクトは合わせていた手を、素早く動かす。
印と呼ばれる、タツミに教わった型を記憶から呼び起こしながら、自分の中で練り上げた魔力に意識を集中させていく。そして印を結び終えると同時に、声高に叫んだ。
「――分身の術!」




