表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/42

18

「お、俺に子供がいるわけない――俺は童貞だ!!」


 口走ってから、しまったと後悔した時には既に遅く。

 微妙な雰囲気になった空間の中で、謎の少女だけが「パパー♪」と幸せそうに笑いながら、アクトに頬ずりしていた。

 その空気を変えたのは、チリンチリンというハンドベルの音色と。


「ウルトラレア当選、おっめでとうございまーす!」


 いつの間にか傍に歩み寄っていた、カジノオーナーである少女の祝福の声だった。

 彼女の声に我に返ったアクトは、大慌てでオーナーに問いかける。


「お、おいあんた! あの石のことになんか訳知り顔で意味ありげなこと言ってたよな!?

 こいつのこと、何か知ってるんじゃねえか? つうか、このガキはあんたの差し金か!?」


「うふふ、私の差し金ではありませんが……確かに、その子がどういう存在かは存じ上げていますよ」


「し、知ってるなら説明してくれ! でないと……」


 アクトはそこでいったん言葉を止めて、周囲を見渡す。

 ガチャの周辺に集まった野次馬はその数を増し、思い思いに目の前の光景を話題に話し合っていた。


「お、おい。カジノオーナーが何か知っているみたいだぞ?」


「まさか……あの子供は、オーナーとガチャ廃人アクトの間に生まれた娘だと言うのか!?」


「それだとガチャ狂いの奴、自分の嫁さんにどれだけ金を毟り取られてるんだ!?」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ野次馬達の放つ喧騒の勢いは留まることを知らず、際限なく加熱され続けていた。

 傍から見ている分には酒の肴にでもなるのだろうが、訳も分からないまま渦中に放り込まれたアクトにとってはたまったものではない。


「……俺、もうどうしていいのか分からねえよ、この馬鹿騒ぎ!」


「うふふ、そうですね。では少々、ご説明をさせていただきますね。

 まず最初に、そちらの少女の正体ですが……彼女は精霊です」


 必死な様子のアクトに問われた少女のその言葉に、周囲が騒然となった。

 人々は「精霊? あの伝説の?」「あれって御伽噺じゃないの?」「生精霊様きたでござるうううう!」と口々に語り合っている。


「かつてこの世界には、数多くの精霊が存在していたそうです。太古の人々は精霊を信仰して、安寧と繁栄を願って祈りを捧げていました。

 しかし時代が進むにつれて、人々は知恵を得て生活を自らの手で豊かにしていき、本来は精霊達だけの神秘だった魔法を操る力を得ました。

 そして奇跡の力を手に入れた人間達は驕りたかぶり、精霊への感謝を忘れていきました」


 カジノオーナーが話しているのは、教会に赴けば誰でも聞かせてもらえるような、有名な神話のものだ。

 神の奇跡とされていた魔法の力を自在に操れるようになった人間達は、自らが神に成り代わろうとより強大な力を求めて争い、やがて神の裁きを受けることになったという。

 だから、精霊と神様への感謝を忘れてはいけない―― そう締めくくられる、戒めの物語である。

 最も、アクトを含めて信仰に疎い人間にとっては、経典の内容などまるで知らない未知のものだった。

 精霊や神様という存在については、他人から御伽噺として伝え聞いたおぼろげな知識とイメージがあるだけだ。


「それでも精霊信仰が完全に失われたというわけではありませんが……精霊様の実在を信じない者は、増えていきました。

 人々の信仰心は、精霊にとって魔力の源であり、同時に自らの存在を維持するための命そのものだったのです。

 だから――信仰を保つことができず、人々から忘れ去られた精霊達は、世界からその姿を消していきました。

 今では、力ある一部の精霊――四大精霊と呼ばれる方々。他には、英雄や巫女といった特別な人間と契約を交わした精霊。

 そういった限られた少数の精霊だけが、この世界に存在していました」


 精霊と契約した人間、というのは今でも語られている伝承がいくつかある。

 かつて邪神と化した幻獣リヴァイアサンを打ち倒して大陸を救った『氷海の姫騎士クレア』の伝説などは、有名な英雄譚だ。

 姫騎士クレアは精霊と交わした契約の力を用いて、三日三晩戦い抜いた末にリヴァイアサンを討伐したという。

 そして彼女はリヴァイアサンの怒りを招いたことで滅んだ祖国を、生き残った民を率いて建て直した名君として歴史に名を刻んでいる。

 もう何百年も昔になる神話の時代の御伽噺だが、姫騎士クレアが女王として復興させたという国は今も現実に存在している。


「以前、アクト様が拾われたという不思議な石。あれには精霊の力が眠っていました。

 ひどく微弱で、かろうじて感じ取れるくらいの僅かな力でしたが……」


 件の精霊の少女は、難しそうな話には早々に飽きたのか、そちらにはまるで耳を傾けずに、アクトへ寄り添ってにこにこと笑っている。

 その笑顔には弱々しい印象はまるで感じられず、咲き誇る花のように元気に満ち溢れていた。


「アクト様のおかげで、すっかり元気になられたようですね」


「お、俺は何もしてねえぞ?」


 不思議な石を拾ったこと以外は、普段と変わらない生活を送っていたアクトはそう答える。

 その言葉を聞いたカジノオーナーの少女は「例えばですが」と前置き、尋ね返した。


「ギャンブルに興じる最中、ここ一番の勝負所で幸運の女神に祈る。

 アクト様はそういった経験はございませんか?」


「まあ、そりゃあるが……それがどうしたってんだよ」


「例え普段は信仰に熱心ではない方でも、窮地において祈る想いには凄まじい熱意の火が灯るものです。

 己が身を焦がす程の熱量が込められた『幸運をもたらす存在への信仰心』。彼女を目覚めさせたのは、その強い情念だったのでしょう。

 幸運への祈りが彼女を支える力となったことから考えるに、彼女は幸運を司る精霊なのでしょうね」


 自分ではどうしようもないような窮地に追い込まれた時、多くの人間は状況を覆すような幸運が舞い降りることを天に祈る。

 それは何も、賭博に限った話ではない。今まで神に祈ったことがないような者であっても、救われたいと必死で願うのは自然なことだ。

 神様がその願いに応えるか否かは、別の話だが。


「彼女が幸運を司る精霊だったこと。アクト様が精霊の力が残された石を拾い上げたこと。

 ふたつの偶然と、アクト様の並々ならぬ幸運への信仰により、彼女は目覚めることができたのです」


「……それで、結局この精霊様とやらは、何で俺のことをパパとか呼んでるんだよ」


「目覚める前の彼女がずっと傍で感じ続けていた身近な存在は、アクト様のものでした。

 さながら、親の腕に抱かれて体温と心音を感じることで赤子が安堵するように、アクト様の傍にいることが彼女にとって何よりも安心できることなのでしょう」


 自分の腕に抱きついて、幸せそうに微笑む精霊の少女の様子を見ていれば、安心していることはアクトにも十分に感じ取れる。

 だからといって「今日からお前はこの子の父親だ」と言われて納得できるかといえば、できるわけがない。

 精霊の少女のことを好きか嫌いか、などといった好感の話ではない。いきなり親になれなんて言われてすぐに受け入れられる人間が、どこにいるというのだろうか。

 そもそも、血の繋がっていない子供の面倒を見る奇特な大人なんて――。


(……いや、いたな。すごく身近な所に)


 アクトは思い直す。かつて、いきなり見知らぬ子供の親となり、血の繋がらない子供の面倒を見てくれた大人がいたことを、自分は知っている。

 自分の育ての親――ダイナという男は、躊躇う素振りすらせずに自分を受け入れてくれたではないか。

 今はもうこの世にいない男の姿を思い出して、アクトは溜め息をついた。


(親父は、すげえよな。あの時、何も文句言わずに俺を拾ってくれたんだから)


 彼のようになりたいと憧れた自分は、だけど全然その理想に追いつけていないとアクトは改めて自覚する。

 数年前にレンという少年を仲間に引き入れた時だって、ろくに鍛え方が分からずに感情のまま粗暴に振る舞い、相手に逃げられる始末だ。

 今だって、自分を父親として慕う精霊の少女に対してどのように接すればいいのか、正解なんて分からない。

 ただアクトは、かつて自分がそうされたように、少女の目線に合わせて屈み、彼女の目をまっすぐに見て話し掛けた。


「おい、お前……名前はなんて言うんだよ」


「なまえ? んーと……わかんない」


「そういや生まれたてなんだっけか? あー……それじゃあ、名前つけねえとな」


 アクトは頭をがりがり掻きながら、子供の名付けなど初めての機会だからどうしたものかと考え込む。

 何か指針になるものはないかと精霊の少女を観察する。透き通るような白い肌に、光を反射させてきらきらと輝く青い髪。

 まっすぐにアクトを見つめ返す瞳は深い藍色で、見ていると吸い込まれそうな錯覚を覚える程に美しく澄んでいる。

 その青い輝きを纏う瞳の美しさを、アクトはどこか別の形で見た覚えがあった。


(たしかあれは……宝石好きだったあの女の……)


 育ての親が率いていた傭兵団の一員だった女性が、宝石が好きでたくさん集めていた。

 その宝石のコレクションの中にあったひとつに、少女の瞳の輝きは似ている。


(ラピ…ラズ……そうだ、ラピスラズリ)


 宝石好きの女性が自慢げに語っていたことを思い出す。

 とても珍しい宝石で、持ち主に幸運を導く力が秘められているのだと、宝石に纏わる言い伝えの話をしょっちゅう語っていた。

 精霊の少女が幸運を司る精霊だというのなら、よく似合うのではないかとアクトには思えた。


「ラピスラズリだと、名前にしては長いな。じゃあ……ラズリだ。

 お前の名前、ラズリでどうだ?」


 アクトがそう言うと、精霊の少女は顔を綻ばせた。

 自分の名前を答えられずに不安そうにしていた彼女は、瞬く間に元気を取り戻す。


「ラズリ、ラズリ! 私の名前は、ラズリ!」


「おう、気にいったか? それと、俺の名前はアクトだ。パパじゃなくてアクトって呼べよ」


「アクトウ?」


「……ウが余計だな。アクトだ、アクト」


「アクトゥ、アクトォ……アクト! ラズリ、覚えた!」


 名前の響きを味わうように繰り返し呟いていた少女ラズリが、満面の笑みでそう言う。

 名付けてもらったことが余程嬉しかったのか、彼女は小躍りして全身で喜びを表現していた。


「アクト、アクト!」


「な、何だよ」


「えへへ……呼んでみただけー♪」


 踊りながら、アクトの名前をしきりに呟く少女ラズリ。

 上機嫌に即興の歌を口ずさみ始めた少女の様子を眺めて、アクトは――いつしか微笑んでいた。


「ったく、騒がしいガキだぜ……」


 昔のアクトを知る者がその様子を見たら、驚いたことだろう。

 以前の、狂犬と呼ばれていた頃のアクトなら「馬鹿にしてんのか!」と食って掛かっていたかもしれない。

 あるいは「ガキの面倒なんて見てられるか!」と、少女を放っておいて立ち去ったかもしれない。

 だけど今、彼はたしかに、口元を緩ませていた。まるで、はしゃぐ我が子を微笑ましく見守る父親のように。


「え、ええっと……つまり彼女は、別にガチャ狂いのアクトの実子という訳ではないようだな」


「この場合、養子になるのか? いや、そもそも本当に精霊様なら、人間の子という扱いはおかしいのか」


 周りで野次馬達が話し合う声が響く。

 その言葉を聞いて、ラズリは悲しそうな目を伏せた。


「アクトは、パパじゃない? 私に、パパはいない?」


 落ち込んだ様子のラズリに、アクトはどうすべきかしばし迷う。

 しかし意を決した様子で、彼女の頭をゆっくりと撫でながら語りかける。


「俺は確かに、お前の父親じゃねえ。俺は人間で、お前は精霊だ。血も繋がってねえ。

 だけど、まあ……お前が俺を親代わりに思いたいなら、それでいいじゃねえか」


 それはかつて、アクトが言われた言葉をなぞったものだ。

 憧れた人の言葉を不器用に真似た、拙い言葉。

 だけど――。


「血が繋がってなかろうが、心が繋がれば親子になれる……ってな。

 まあ、ただの受け売りだが……俺の好きな言葉だ。俺の子を名乗るなら覚えておけよな」


 ――言葉に込められた想いは、真似事ではない。

 誰かの受け売りの言葉でも、素敵な言い回しではなくても。


「……うんっ!」


 アクトの言葉を聞いたラズリは、悲しみを吹き飛ばそうとするかのように、満面の笑顔で応えた。


「それで、これからのことですが」


 カジノオーナーの少女の声に、アクトは我に返る。彼は柄にも無いことを言った気恥ずかしさから、頬を掻きながらそっぽを向いた。

 そんな様子を微笑ましく見つめながら、カジノオーナーは言葉を続ける。


「ラズリ様は生まれたての精霊様ですから、現在は戸籍が存在していません。

 無論、精霊として存在するだけなら問題はありませんが、アクト様と共に日常を生きるなら何かと不便でしょう。

 これから人の世で生きていくのであれば、身分を証明できた方が何かと都合が良いかと」


「あー、まあ、そりゃあそうだが……なら、こいつも冒険者として登録した方がいいのか?」


 冒険者登録を行えば、最低限の身分証明が保証されるため、それを求めて冒険者ギルドを訪れる者も多い。

 食い詰めた浮浪者、居場所を失った孤児、家から追い出された農家の三男坊など、王都市民権を持たない人物というのは少なくない。

 そういった人材を受け入れるための最後の一線としての、底辺層の受け入れ皿というのが冒険者ギルドの役割のひとつだった。

 底辺のままで終わるか、英雄と呼ばれるような偉大な人物となるかは、冒険者となった本人次第である。


「ラズリ様が了承されるのであれば、それが手軽な手段でしょうね。あるいは市民権を買うというのも手ですが」


「私、アクトといっしょがいい!」


「そうですか。なら冒険者ギルドマスターに、こちらの紹介状をお渡しください」


 オーナーがラズリに手渡したのは、1枚の封筒だった。

 随分と仰々しい装飾の施されたその封筒には、カジノに飾られている紋章を象った印判が押されている。


「そちらは私が彼女……ラズリ様が精霊であることを保証するという旨を書き示した物となっております」


「おいおい、あんたが勝手に保証してもいいのかそれ?」


「ご心配には及びません。王家と教会からの精霊認定における裁定の許可はいただいております」


 その、何気なく発せられた宣言に、周囲はざわめいた。

 カジノオーナーが王家と懇意にしていることは噂にはなっていた。しかし、教会まで味方につけていることは、人々にとって予想外のことだった。

 特に、信仰の根源に関わる精霊についての事柄に他者を関与させるなど、厳粛な教会の在り様を知る者にとっては、信じられないことだ。


「いったい、どんな手を使ったっていうんだよ、あんた」


「うふふ、それは企業秘密ということでお願いします」


 思わず問うたアクトだったが、当然のことながらはぐらかされる。

 どうせ答えるつもりなんてなさそうだし、そもそも聞いたところで自分に利益がある訳ではないからいいか、とアクトは気持ちを切り替えることにした。

 ひとまず、カジノが用意した紹介状があれば面倒を避けられそうだということだけ分かっていれば、彼にとってはそれで十分だった。



   〇



「――よし、これで登録は完了したぞ」


 翌日、アクトはさっそくラズリの冒険者登録を完了させた。

 もう少し手間取るかと予想していたのだが、紹介状を冒険者ギルドのマスターであるラカムに渡せば、後はあっという間に話が進んだ。

 既にラズリの手には冒険者ギルドが発行しているギルドカードが握られている。


「おっそろい、おっそろい♪ アクトとおそろい、うれしいなー♪」


「……朝から元気だなあ、おい」


「えへへ、ラズリは今日も元気です!」


 満面の笑みで歌うラズリを、アクトは呆れ半分の心持ちで眺めていた。

 その無邪気な様子は、どう見ても幼い人間の子供にしか見えず、精霊なんていう伝承の中の存在には思えない。

 不思議な青い石――精霊石と呼ばれる秘石の欠片だったらしいが、その石が放つ光の中から彼女が現れた所を見ていなければ、今でも信じられなかっただろう。


「それで、アクト。今日は依頼はどうするんだ」


 受付作業を終えたラカムがそう尋ねてくる。

 いつもなら、アクトは迷うことなく目ぼしい依頼を片っ端から受けて回る。そうすることでガチャチケットを荒稼ぎするために。

 だが、今日からは冒険者稼業に同行者としてラズリが加わることになる。今までと同じペースという訳にもいかなかった。


「まあ、今日は慣らしのつもりで簡単なクエストからだな」


 そう言ってアクトがカウンターに置いたのは、新人冒険者向けの低ランククエストの依頼書だった。

 普段のアクトならば100枚以上の依頼書を一度に提出することもありえたが、今日はほんの数枚だけに留まっている。

 クエストの内容も、戦闘の可能性が少ない薬草採取に、王都内外の配達業務といった、簡単な物ばかりだ。


「随分と優しいじゃないか。お前ならいきなり荒行に放り込むかと思ってたぞ」


「馬鹿言え、んなことするかよ」


「――レンにはそれをしただろうが、お前は」


 ラカムは真剣な声で、咎めるようにアクトに言い放つ。

 声を荒げることこそなかったが、その言葉には明らかに棘があった。

 アクトはそれを受けて、自分の主張をはっきりと断言する。


「ラズリは女で、レンは男だ。子供だろうが何だろうが、男なら強くならなきゃいけねえだろうが」


「お前のやり方でレンが強くすることができたと、本気で思っているのか?」


 その指摘に、アクトは押し黙った。

 自分がレンに対して、誤った対応をしていたことは、もう自覚している。

 だが、どうにも素直に謝る気にはなれなかった。


「……俺は、やり方を間違えた。親父みたいにうまくやれねえからって、あいつに八つ当たりしたことも……認める」


「だったら、変な意地を張ってないで、きっちり謝ったらいいだろうが。

 後は慰謝料ってことで金か? 今のお前なら、たっぷり稼げるだろう」


 ラカムの言うことは、尤もだと思う。

 100人が聞いて100人が正しいと言うだろう、道理にかなう正しい判断。

 だが、それでもアクトは、レンに謝ろうと思えなかった。

 

「分かってんだよ……俺が間違えてるってことくらい、もう分かってんだ。

 それでも俺は、親父のやり方が間違っていたとは……」


「お前がこの先もレンにけじめをつけないと言うのなら、それはお前の自由だ。冒険者の活動は自己責任だからな。

 だがその場合は、お前が今後どれだけの功績を残そうとも、ランクアップは認めない……それだけは覚えておけ」


「……ふん、一応覚えておいてやるよ」


 アクトはそう言い捨てて、歩き出す。

 幼い少女にしか見えない精霊、ラズリを引き連れて立ち去るアクトの背を見送りながら、ラカムは溜め息をついた。


「それで、お前はどうしたいんだ……レン」


 アクト達の姿が扉の外へ消えるのを確認したラカムは、物影に隠れていた少年レンに語りかける。

 問われても答えられない様子で押し黙るレンに対して、ラカムは話を続けた。


「アクトにどんな思惑があったとしても、お前にしたことが許される訳ではない。

 子供に手を上げるのは間違っている。金を巻き上げるのも間違っている。

 奴はいい加減、そのことを理解してはいるようだが、謝る気はなさそうだ。

 ……それを聞いてお前は、何を望むんだ」


「分かりません……分かりませんよ、そんなの」


 少年は声を搾り出すように、小さな声で呟く。


「痛いのは、嫌です。馬鹿にされるのも、嫌です。貧しいのも、嫌です……みじめなのは、もう嫌なんです。

 アクトさんにされてきたことは、嫌なことばかりで……僕はアクトさんのこと、嫌いです。大嫌いです。

 ……だけど、アクトさんが頑張っていることも、たくさんの人を助けていることも、立派なことだって思うんです。

 数年前に僕を拾ってくれたことにだって、感謝しています。……それでも、だからって……」


 レンという少年は以前、アクトから悲惨な扱いを受けていた。

 訓練という名目で行われる暴行。何かと理由をつけて行われる金銭の巻き上げ。失敗する度に浴びせられる暴言。

 どれもこれもが、大人が子供に行うべきではない、行ってはいけないことばかりだった。

 だからレンは、アクトのことが嫌いだ。それだけははっきりと言い切れる。

 しかし、アクトが最近ではすごくたくさんの仕事をこなして、人助けをしていることをレンは噂に聞いていた。

 それはランクアップするための、評価を上げるためのポイント稼ぎの一環だろう。

 けれど理由がなんであれ、冒険者として結果を残して、たくさんの人に感謝されていることは、事実だった。


「ラカムさん……僕はアクトさんのこと、許さなくちゃいけないんですか?」


「それはお前が決めることだろう」


 少年の問いに、ラカムは断言する。

 自らの言葉が少年を突き放す物言いになっていると自覚しながらも、ラカムはそれでもはっきりと告げた。


「周りの人間が何を言ったところで、加害者を許すのは被害者であるお前の意思だ。

 だから、アクトを許すのかどうか……嫌いな奴のことなんて忘れて生きていくのか。

 それを決められるのはお前だけで、決めていいのもお前だけなんだ。他人じゃない」


「僕が、決めること……」


「色々と、好き勝手に言う連中だっているだろうが……納得できない言い分は放っておけ。

 どんな理屈を並べた所で、お前自身が納得できなければ、何の意味もないからな」


 思い悩む少年に、自分で考えろとしか言えないことに歯がゆい想いをしながらも、ラカムはそう言うしかなかった。

 被害者であるレン本人が納得できない限り、他人がどれだけ横から口を出した所で解決なんてしないのだから。

 

「まあ、愚痴くらいなら聞いてやる。いつでも来い」


「は、はい……」


 悩みを聞いて相談に乗る。他人にできることなんて、それが限界だった。



   〇



「あ、子連れ童貞のアクトだー!」 


「おい誰だガキにそんな二つ名もどきを吹き込んだのは……!」


 請け負ったクエストのひとつである、教会への配達に赴いたアクトに、敷地内で遊んでいた孤児院の子供が駆け寄ってきて、笑顔でとんでもないことを口走る。

 自分で言った言葉がどういう意味を持つのか知ってか知らずか、子供は無邪気に笑っていた。


「アクトは、どうてー?」


「覚えなくていいぞラズリ。というか忘れろ、忘れてくれ」


 傍にいたラズリが首を傾げながらアクトを見上げて呟く。

 いつもの調子で歌にでもされてはやばいと、アクトは慌てて忘れるようにと釘を差した。


「うん? お前は誰だ、見ない顔だな?」


「私はラズリだよ! あなたのお名前は?」


 孤児院の子供に問われたラズリは、元気良く自分の名前を告げる。

 彼女にとっては自己紹介をするという経験も新鮮なのだろう。名前を言っただけなのに、とても嬉しそうに笑っている。


「俺はカイル! よろしくな、ガチャ精霊!」


「……ガチャ精霊?」


「お前、ガチャから生まれた精霊なんだろ? だからガチャ精霊のラズリがお前の二つ名だ!」


「あー……正確にはガチャから生まれた訳でもないんだがな」


 子供同士のやり取りに口を挟むのもどうかと思って静観していたアクトだが、妙な話になっているので思わず呟く。

 しかし当のラズリは、二つ名という名目の渾名をもらえたことが嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべていた。


「はーい! ガチャ精霊のラズリです!」


「……もう知らねえぞ、俺は」


 ご機嫌な様子のラズリの様子に訂正が面倒になったアクトは、そのうち飽きるだろうと放っておくことにした。

 それよりもさっさと仕事を済ませようと、カイルと名乗った少年に教会の責任者であるシスター・ロロラの居場所を尋ねた。


「ロロラ姉ちゃんなら、今は礼拝堂でお祈りしてるぜ」


「あー……なら、邪魔しない方がいいか?」


「いや、客が来たら案内しろって言われてるから、別にいいと思うぜ」


 カイルが言うには、今行っているお祈りはロロラにとって日課のようなものらしい。

 儀式としての黙祷の最中ならともかく、今なら別に声を掛けても問題ないそうだ。


「そうかい。ならさっさと荷物渡してくるか」


「じゃあ、それ終わったら遊ぼうぜ!」


「悪いが他に仕事があるんでな。またにしてくれ」


「えー? いいじゃん、ケチー!」


「けちー?」


「覚えなくていいぞ、ラズリ」


 何でも真似したがるラズリを促して、アクトは礼拝堂へと足を進めた。

 入り口から礼拝堂の扉までは、それほど距離は離れていない。すぐに扉の前に辿り着くことができた。

 少し重い扉を押し開けて室内に踏み込む。

 礼拝堂の中は綺麗に清掃されており、ステンドグラスから差し込む日光が幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 その礼拝堂の奥。祭壇の前で祈りを捧げている女性の後姿がいた。

 静かに黙祷していた彼女は、扉の開く音に気付いたのか振り返り、アクト達を見るとにこりと微笑む。


「あら、アクト様。それに可愛らしいお嬢さん、いらっしゃいませ」


「はい! ガチャ精霊のラズリです!」


「お前な……」


 さっそく渾名を嬉しそうに言うラズリに、アクトは思わず溜め息をつく。

 そんな2人の様子を見て、ロロラは楽しそうに笑顔を浮かべた。


「うふふ、元気ですね。けど、教会の中では静かに話してくれると嬉しいです」


「……はーい」


 どのくらい静かにすればいいのか分からなかったのか、囁くようなとても小さな声で応えるラズリ。

 そんな彼女の様子を微笑ましそうに眺めていたロロラは、一呼吸置いてアクト達に用件を尋ねた。


「それで、今日はどのような用件でしょうか?」


「ギルドからの依頼で配達に来た。これがその荷物だ」


 アクトはギルドから預かった荷物を手渡す。

 中身については冒険者ギルドが危険物ではないか確認しているが、基本的に配達する冒険者には中身の詳細は明かされない。

 せいぜい教えられるのは中身が割れ物の類ではないか、などといった注意事項くらいだ。


「まあ、ありがとうございます。サインしませんとね」


 ロロラは慣れた手付きで書類にサインを書くと、アクトにそれを手渡した。

 その配達完了の証明書をギルドに提出することで、ギルドから報酬を受け取れる手筈となっている。

 配達のような簡単な仕事ならその依頼料金は微々たるものだが、今はクエストクリア毎にガチャチケットの配布が行われているため、冒険者達の間では割の良い依頼として扱われていた。


「街で噂になっている精霊様とは、ラズリ様のことだったのですね」


「そんなに噂になってるのか」


「ええ。自分も精霊様の恩恵に与りたいという方々が、街中で必死に石を拾い集めていましたよ」


 どのように噂が広がっているのかは不明だが、どうにも噂に踊らされている連中が大勢いるようだ。

 別にどこの誰とも知らないような連中が無駄な時間を過ごしてもアクトにはどうでもいいのだが、自分達に面倒事が起こらないように警戒はしておくべきかもしれない。


「ただ、皆様どうも精霊様のことを誤解していらっしゃるようで……精霊様に会えればそれだけで味方になってもらえると思われているようでしたね」


「……違うのか? 精霊は人間を見守っているとか、そんな話を聞いたことがあるんだが」


 大体の御伽噺で登場する精霊は、人間の窮地にどこからともなく現れて、魔法の力で助けてくれるような人間の味方として語られている。

 信仰に疎いアクトでも、そういった『精霊が人間を助ける』類の話は聞いたことがあるくらいには有名な御伽噺がいくつかある。


「たしかに、御伽噺での精霊様は人間の味方として語られることがほとんどです。

 ですが過去の文献を紐解けば、精霊が人間に天罰を与えたという記述や、加護を授ける条件として試練を課したという逸話も数多く記されていますよ。

 御伽噺としては『氷海の姫騎士クレア』の物語において、リヴァイアサンに挑もうとするクレアに精霊様が3つの試練を課したという話が有名ですね。

 そもそも、そのリヴァイアサンが人間を襲う邪神となったのは、驕った人間が海を荒らしたことに怒った海の精霊様の天罰だったと語り継がれています」


「無条件に人間の味方をしてくれる程、都合の良い存在じゃねえってことか……」


 それもそうかと、アクトは納得する。

 精霊が本当に、いつでも人間を見守っていて、困った時には助けてくれるような存在だと言うのなら。

 ――育ての親が率いていた傭兵団は、自分を残して壊滅するようなことなんて、なかったはずなのだから。


「アクト、アクト……」


 くいくい、と。ラズリが袖を引く感触に、アクトは隣を見る。

 ラズリは、アクトを安心させるように微笑みながら、彼を見上げて。


「私は、ずっと、ずっーと……アクトの味方だからね?」


 何の迷いも躊躇いもなく、澄んだ瞳で自分の想いを口にしていた。


「……へっ。ガキがいっちょまえに何言ってんだか」


 アクトは照れくさそうにそっぽを向きながら、ラズリの頭を撫でる。

 ぶっきらぼうに言い捨てながらも、その顔には――喜びが滲み出ていた。





 世界は今日も回り続ける。

 人間と精霊と、運命が織り成す物語と共に。

 今日も世界は、数多の想いと共に回り続けていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ