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15



 キャスティ・センチネル公爵令嬢は、平民に扮して城下町を歩いていた。

 傍に護衛としてメイドを引き連れているが、その付き人にも変装をさせている。

 第一王子ロビンの婚約者として多忙な日々を送るキャスティではあるが、魔法学園の休日にはこうして息抜きをして過ごすこともある。


(さあ……今日こそ、今日こそは手に入れてみせますわ)


 そんな彼女が向かう先にあるのは、王都の名物として世間を賑わせているカジノだった。

 彼女はいつものようにカジノの扉を潜ると、すたすたと目的の場所へと向かう。

 王都のカジノには他に見られない遊戯がいくつも存在するが、中でも話題に上がりやすいのはガチャと呼ばれる遊戯だった。

 規定の金額を支払い、レバーを引く。遊戯内容としてはたったそれだけのシンプルな物だが、それによって手に入る景品を目当てに多くの人々がガチャに挑んでいる。

 キャスティもまた、ガチャの魅力に嵌り込んだ者達の1人だった。


(さあ、今日こそはあのウルトラレアを……!)


 公爵令嬢キャスティは、掲示されている金額を機械の投入口に入れて、レバーに手を掛けた。

 そして気合を入れるように、レバーを一息に回す。

 全ては――。


(……あと1枚、ウルトラレアカード『水の精霊ウィンデーネ』が手に入ればデッキが完成しますわ! 今日こそは絶対に、ぜぇぇええったいに、手に入れてやりますわよ!!)


 ――トレーディングカードゲーム『スピリット&ヒーローズ』の、目当てのレアカードを手に入れるために。

 1回10Gという、子供向けの玩具が景品になっているガチャの数々のひとつに、TトレーディングCカードGゲームと呼ばれる景品が排出される機械がある。

 各自のプレイヤーが集めたカードを、ルールに沿って山札デッキを組み上げて、それを対戦者と持ち寄って遊ぶというのがTトレーディングCカードGゲームの特徴だ。

 

 このゲームで使うカードは、カジノのガチャで1回で5枚のカードが手に入るガチャを回すか、知人と交換することで集めていくことができる。

 トランプなどの既存のカードゲームとの最大の違いは、山札を自分で作り上げる、という点だろう。プレイヤーの工夫次第では、自分の好みの絵が描かれたカードを大活躍させるなど、各自の好きなように遊ぶことができる。

 

 最も、強いカードを揃えようとガチャを回し続けると出費が大変なことになるので、ある程度裕福な身分でないと手が出せない難儀な遊戯でもあった。


(くっ……これも、これもこれも……もう全部持ってるカードですわよ!)


 ガチャの筐体から出てきたカードを確認して、目ぼしいカードがないことが分かるとキャスティはそれらを鞄にしまい、新たに硬貨を投入口に入れる。

 このカジノの中心にある高額ガチャ――1回1万Gという大金を要するガチャと比べれば、キャスティがカードゲームに費やしたお金は大した金額ではない。

 

 しかし、目当ての物が手に入らないまま時間と金銭の浪費が続くと、どうしても焦りを感じてしまう。たまの休日くらいは望みを叶えて満足したいと願いながら、キャスティはカードゲームのガチャを回し続けていた。


「……! こ、この輝きは……!」


 何十回目かの挑戦で、キャスティは筐体から出てきたカードの束に、1枚だけ光り輝く物があることに気付いた。それはウルトラレア――希少度レアリティが最上級のカードにだけ施された特別な加工だった。

 

 5枚の束になっているカードを一枚ずつ慎重にずらしていき、束の最後の1枚であるウルトラレアのカードの正体を確かめる。


「……くっ、くぅ! 『炎の精霊サラマンダー』でしたか……」


 出てきたカードは確かに希少なウルトラレアのカードだったが、狙っていた物とは違った。そのカードもまたウルトラレアの名に相応しい強力なカードなのだが、キャスティが組み上げようとしているデッキには相性が悪いカードだった。

 

 別のデッキを組もうにも、そのためには『炎の精霊サラマンダー』と相性の良いカードを集めなければ、満足のいく出来具合のデッキは組めそうにない。

 とにかく、狙っていた『水の精霊ウィンデーネ』を手に入れるためにも再度ガチャに挑戦しようとした時のことだった。


「お嬢さん、もしも『炎の精霊サラマンダー』が不要ならば、拙者のカードと交換してくださらんか?」


 背後から掛けられた声にキャスティが振り向くと、そこにはエルフの男性が立っていた。

 東方の民族が好む旅装束を身に纏うそのエルフの男の手には、数多くのカードが収納された半透明のカードケースが握られている。


「拙者、ハヤテと申す。『炎の精霊サラマンダー』が欲しいのでござるが、中々出ないのでござるよ……」


「……そう。それで、貴方は引き換えに何を差し出すのかしら?」


「他の四大精霊のカードは持っているのでござるよ。『風の精霊シルフ』に『土の精霊ノーム』、あとは『水の精霊ウィンデーネ』……」


「ほ、ほう……! なら『水の精霊ウィンデーネ』と交換しますわ!」


 目当てのカードが手に入るとなれば、キャスティに断る理由はなかった。

 


   〇



「これでいかが? わたくしは『水の精霊ウィンデーネ』を召喚しますわ!」


 翌日の放課後。念願の『水の精霊』デッキを完成させたキャスティは、1人の少年とカードゲームに興じていた。

 彼の名はロビン・クリスティア。この王国の第一王子にしてキャスティの婚約者である。

 婚約者といっても、それは幼き日に親同士が決めた、いわゆる政略結婚の相手でしかないが。だがキャスティは、ロビンのことを嫌ってはいなかった。

 ――嫌いになれるほど交流が行えていなかった、というのは問題があると思うが、相手に避けられていてはどうしようもない。

 

 淑女たれと育てられる貴族の娘にとって、明らかに自分を避けている相手をしつこく追いまわすなんて、言語道断。だからこそ、そんな相手と歩み寄れる機会は、キャスティにとっては嬉しいものだった。


「3枚目のウルトラレアカードだと……!?

 貴様、どれだけ金を注ぎ込んだというのだ!」


「宝石の類を買い漁ることを思えば、微々たるものでしてよ」


 窮地に追い込まれたロビンが呻くが、キャスティは不敵な微笑みを浮かべて余裕の態度で返す。

 事実、ドレスや宝石の類を買い漁ることを思えば、キャスティがカードゲームに投じた総額は大した金額ではなかった。

 ……子供の玩具に費やした出費と考えると、相当な浪費ではあったが。


「シングル買いでデッキを揃えたお兄様も、人のことは言えないと思います」


 2人の試合を見学している少年エリク――ロビンの弟であり、第二王子だ――が、呟く。シングル買い、というのはカードをガチャではなく、好きなカードを選んで買うという購入方法だった。

 

 ガチャとは違って、既に余っているカードがさらに増えるという事態は避けられるが、問題点もある。人気のある強いカードほど高額で取引されるのだ。

 例えば『水の精霊ウィンデーネ』なら、カジノ直属の店でシングル買いをしようと思えば少なくても300Gは必要となる。

 

 その300Gでガチャを回せば、30回引けて手に入るカードは150枚となる。

 150枚のカードが手に入るだけのお金を1枚のカードに費やすというのは、中々に覚悟がいる行為だった。

 それを、ロビンは『キャスティに勝ちたい』という願望を叶えるために、シングル買いで揃えた有力なカードだけでデッキを組み上げたのだ。


「ふん、もうガチャなんて回してたまるか。

 確実に必要なものだけ揃えた方が効率的というものだ」


「うふふ、ロビン王子殿下は堅実な方ですわね」


 ロマンがない男ね、なんて言うことはせず、キャスティは当たり障りのない褒め言葉で応える。

 ロビン王子が大のギャンブル嫌いであることは周知の事実だったからだ。

 その性格は彼が作り上げたデッキにも反映されている。彼のデッキは『運が良ければ事態が好転する』という類のカードは一切含まれず、利益は少なくとも確実に戦力を増強していくカード達で構成されていた。

 ローリスクローリターンこそが至高。その徹底した信条は、次代の王となり国を導く者には不可欠な素養と言えるだろう。


「さて、ゲームを続けましょうか――『水の精霊ウィンデーネ』で攻撃ですわ!」


「ならば俺はスペルカード『鉄壁の城塞』を発動!

 このターンだけ、戦闘ダメージを無効にする!」


「凌ぎましたか……なら、これでターンエンドです」


「俺のターン、ドロー!」


 攻防を繰り返しながら、ゲームの合間に会話を交えるキャスティとロビン。

 そんな2人の様子を横から眺めて、エリクはほくそ笑んでいた。


(ふふふ……ゲーム好きな兄上にこのカードゲームを紹介して、兄上との交流を待ち望んでいたキャスティ嬢を対戦相手として関わらせる。

 最初のきっかけ作りこそ難航したけど、今ではもう2人で勝手に盛り上がってくれるんだから、策を練った甲斐があったというものだね)


 エリクという少年は、表向きには兄思いの純情な少年を演じているが、その実は駆け引きを好む策士であった。

 最も、兄を大事に思う気持ちには偽りがない。今回の件も、兄を思えばこその作戦だった。

 何かと文句をつけて婚約者であるキャスティを避けていたロビンだが、それができるのも結婚式を挙げるまでの間だけだ。

 そして結婚式は、学園卒業の数ヶ月後に予定されている。もう猶予はあまりない。

 婚約者とは別に愛人を設けるという手段もあるにはあるが、だからといって正妻との仲が浅いのは不和の種火となる。

 ロビンが将来、どのようにキャスティと接していくつもりにせよ、交流が乏しいままで結婚式を迎えるのは得策とは言えなかった。


(兄上はギャンブルは嫌いだけど、遊戯は大好きだから簡単に食いついた。デッキ構築には特に熱中しているしね。

 キャスティ嬢も最初は渋っていたけど、芸術品の類は大好きだから、美麗な絵が描かれたカードに夢中になった。

 そして今ではゲームを通じて、少しずつだけど会話が弾むようになった――ふふふ、これで一安心かな)


 無論、これからも意見の相違や、諍いの類は起こるかもしれない。

 だが、人付き合いとはそうやって、少しずつ互いを擦り合わせていくことで上手く噛み合うものだ。

 それで傷つくことがあっても、衝突を恐れて距離を離せば、心も離れてしまうもの。

 さながら、ぐるぐると回り続ける歯車の様に。擦れ合い、傷つけあいながら、上手く干渉し合うことで心は繋がっていく。

 次代の国王と王妃という、国を回す歯車を円滑に動かすための潤滑油オイルとなること。それが、エリクの掲げた目標だった。


(……しかし、気になるのはカジノオーナーの動向、だな)


 エリクはゲームの展開はひとまず置いておき、思考を巡らせる。

 今回の作戦の要となったカードゲームには、各地の伝承に謳われる精霊や勇者といった存在が数多く描かれている。

 精霊信仰を掲げる教会が黙っているとは思えなかったが、オーナーである少女の談では『多額の寄付』で容赦をいただいた、とのことだった。

 カードゲームやフィギュアといった玩具の販売は金儲けの手段であるはずなのに、そのために教会の勢力を黙らせる程の金銭を投じる。

 商売のための投資と考えれば辻褄が合うかもしれないが、もしも玩具が売れていなければ、多額の赤字に泣くことになる。

 リスクを冒さずとも十分に儲けているはずなのに、さらに商売の手を広げようとするオーナーの指針が、どうにも心に引っかかった。

 そこには金銭の損得勘定からは外れた、何らかの思惑があるように思えてならないのだ。

 その思惑がどのようなものかは分からないが、王国に良くも悪くも影響を及ぼすだろうことは想像に難くない。


(母上を救ってくれた恩もある。疲弊した国の建て直しのために彼女の助力は大いに助けとなった。

 だからこそ……彼女の動向には注意を払わなければならないだろうな)


 数年前、ふらりと現れた旅人でしかなかったはずの少女は、今ではクリスティア王国に欠かせない人物となっている。

 同時に、手放せない危険人物でもある。もし仮に別の国に移られたら、王国には相当な痛手となることだろう。


(彼女とは良くも悪くも長い付き合いになりそうだ……さて、どうしたものだろうか)


 悩ましい思いを表には出さず、エリクは思考を回す。

 オーナーである少女のことは、手放すわけにも、妄信するわけにもいかない。

 彼女の動向は、王国の未来を左右することになるのだろうから。 



  〇



(布石は、順調に進んでいますね)


 手元に纏めた書類を確認しながら、1人の少女が呟く。

 王都を色々な意味で騒がせているカジノオーナーは、自分以外誰もいない自室でほくそ笑んでいた。

 彼女の持つ書類には、カードやフィギュアといった玩具、それに絵本や漫画といった数々の『精霊』に関わる商品の売り上げについて記されている。

 少女が注目しているのは、その売り上げによる利益だけではない。

 そういった商品が人々に受け入れられていることこそが、彼女にとって重要だった。


(今はまだ、小さな芽でしかありませんが……いずれ蕾となり、やがては大輪の花を咲かせる日が訪れる)


 彼女が用意した、玩具を景品としているガチャや、本に纏めて売り出している物語には、ひとつの共通点がある。

 それは、その多くが精霊や勇者といった、御伽噺や伝聞を元にしている、というもの。

 四大精霊と呼ばれる宗教の象徴的な存在だけでなく、辺境の片隅で僅かに語り継がれるようなマイナーな物まで。


(教会との交渉は骨が折れましたが、それも既に昔の話……あとは、この状態を維持するだけ)


 精霊への信仰を元に様々な形で利益を得ている教会とは、この件では様々な衝突があった。

 しかし、精霊を貶める類の作品は作らないという誓約と、『多額の寄付』という形で教会への資金援助の約束。

 これによって、彼女が精霊の伝承を基にした商売を行う許可は与えられていた。

 

(この作戦も、足掛かりにしか過ぎませんが、一歩ずつでも前に進むしかありません)


 彼女にとって、この作戦には確かに金儲け以外の目的がある。

 しかしそれは、彼女の悲願を叶えるために必要な手段のひとつでしかない。

 作戦が思惑通りに進んで成功したところで、彼女の願いはまだ叶わない。

 少女が願うことは、たったひとつ。

 全ては――。


(私は、諦めない。絶対に諦めない)


 少女は書類を机に置き、空中で手を動かす。

 すると彼女の目の前には、宙に浮かぶ半透明の光が現れた。

 その光はさながら小型の掲示板のように形を成して、その中心にはひとつの映像が映し出されている。

 映像の中にあるのは彼女が生まれ育った世界の、どこにでもありふれた光景。

 自家用車に乗って街中を進む、4人の家族の姿だ。

 少女にとっての、父親。母親。姉。そして――他ならぬ彼女自身の姿。

 

 映し出された映像は、写真ではない。彼女が生まれ育った世界の、ありのままの光景だ。

 どこにでもある、ありふれた家族の、ありふれた平和な光景だ――その世界の『時間が静止している』こと以外は。

 映像の中の家族は、みんな笑顔を浮かべていた。

 未来が明るい希望に満ちたものになると信じている、幸せな笑顔。

 この後に待ち受ける運命も知らずに、幸福を信じていた家族の姿。


(家族は、私の未来を諦めなかった。だから私も、家族の未来を諦めない)


 ――少女の願いは、たったひとつ。

 全ては、家族を運命から救う為に。




 世界は回り続ける。

 様々な思惑と願いを乗せて、回り続けていく。

 運命の歯車に抗う少女と共に、今日も世界は回り続けていく。

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