14
「おかーさん、今月のお小遣いちょーだい!」
幼い少年が、母親に満面の笑顔でそう言った。
そんな我が子に「はいはい」と答えながら、女性は約束していたお小遣いの入った革袋を手渡す。
少年は、毎月お小遣いをもらう代わりに家のことをしっかりと手伝うと、母親に約束していたのだ。
「はい、100G。大切に使うのよ」
「うん!」
元気良く返事をして、少年はさっそく家の外へと向かう。
お小遣いをもらった少年が行く先は――。
「よーし! ガチャ回すぞー!」
「本当、大切に使いなさいよー!?」
――何かと話題になっている、王都名物のカジノであった。
〇
王都のカジノには、年齢性別種族などによる入場制限が存在しない。
周囲の客に迷惑を掛けるだとか、犯罪者の類でさえなければ、幼い少年でも客として迎え入れられた。
少年が向かうのは店の中央に鎮座する高級ガチャ――ではない。
カウンター横にいくつも用意された、1回10Gという低額のガチャだ。
中身も、金目の物や装備品の類ではない。
カラフルな絵札。精巧な人形。他にも色々な、子供用の玩具が筐体毎に分けられて内封されている。
やり方は簡単だ。10G分の価値になる硬貨を筐体の硬貨投入口に入れて、レバーを回すだけ。
子供でも分かりやすい仕組みと、それで手に入る玩具の数々に、王都中の子供達に大人気である。
「今日はどれにしよう……」
いくつも並べられた筐体の前で、少年は悩む。
少年にとって、毎月のお小遣いは唯一の収入源だ。手元には100Gもあるとはいえ、ガチャを10回引けばそれで無くなってしまう。
たった10G。されど10Gだ。どのガチャを回すのか考えるのは重要であり、それもまた楽しい時間のひとつである。
「……あ! 勇者シリーズの新作が出てる!」
少年は筐体のひとつに釘付けになる。
筐体にはそれぞれ、中の景品がどのような物かを示す絵が張られているのだが、勇者シリーズはその中でも人気が高いものだ。
古今東西、様々な御伽噺や英雄譚に語り継がれる『勇者』と呼ばれた者達の人物像を基に人形として製作したシリーズである。
「うわあ……今回の勇者達もかっこいい!」
少年は目をきらきらと輝かせて、立ち並ぶ勇者達の絵を眺めていた。
その人形が勇者の姿を忠実に再現できているのかは分からなくても、かっこいいその出来栄えには心惹かれるものがあった。
「けど、外れはモンスターなんだよなあ……」
子供向けとはいえガチャである以上、レアリティによる景品には差がある。
ノーマルがモンスターの人形。レアで逸話の名場面を再現したジオラマ。そしてスーパーレアは勇者の仲間。ハイパーレアは勇者。
最高のレアリティであるウルトラレアは勇者の黄金人形だ。
正確には金メッキという技術が使われていて、黄金で作られた人形ではないのだが、見た目が綺麗な黄金色であることに変わりはない。
「く、くぅぅ! もう2000Gも注ぎ込んでるのに、ウルトラレア版のミルちゃんが全然出ないでござる!」
傍で聞こえた大声に、驚いて声のした方を見る少年。
そこにいたのは、東方の民族が旅をする際に着込む装束に身を包んだ、1人の男性だった。
腰には一振りの刀を差しており、武芸者の類であることが窺い知れる。
見た目麗しい端整な顔立ち。そして、人間のそれより幾分尖った耳。
その姿は東方に住まう民であり、森と共に生きる種族として有名なエルフのものだ。
誰もが見惚れるであろうその美貌は、しかし血走った目で玩具を求めてガチャに挑む姿のせいで台無しである。
「あとはウルトラレア版ミルちゃんだけでコンプリートでござる……!
何卒、なにとぞぉ!」
祈るようにレバーを回すエルフの男性。
だが、筐体から出てきたカプセルを開くと、がくりと肩を落とした。
「こ、これはもう20個は持ってるでござる……。保存用にするにせよ限界があるでござるよ」
沈んだ声で呟きながらも、エルフの男は手元の人形をカプセルに入れなおすと、鞄にしまう。
そして再び、ガチャへと硬貨を投じた。
諦めるつもりはまるでない様子だった。
「あ、あれが大人買いってやつなんだ……」
大人が大金を注ぎ込んでガチャを回している――少年の友達も玩具ガチャを楽しんでおり、その仲間内ではよく噂になっていた。
その筐体から出る全ての種類の景品を揃える、いわゆるコンプリートを楽しむ大人が、時々子供以上にガチャにのめり込むのだと。
「……ぼ、ぼくもガチャ回そうっと」
大人買いに興じるエルフの男性をいつまでも見ているわけにも行かず、少年は勇者シリーズのガチャの前に立った。
お小遣いが入っている革袋の中から、10G分の硬貨を取り出して、ガチャの筐体に入れる。
どきどきしながらレバーを回すと、ガチャっと音がして、景品取り出し口にカプセルが出てきた。
――そのカプセルは、黄金色に輝いていた。
「ウ、ウルトラレアのカプセル……!?」
思わず声を上げながら、少年はカプセルをそっと手に取り、おそるおそる封を開く。その中には黄金の輝きを放つ、煌びやかな勇者――『氷海の姫騎士クレア』の人形が入っていた。
「ふぉおおう、クレアちゃんのウルトラレア、美麗すぎるでござる……!」
背後から聞こえてきた呟きに、少年はびくりと身体を震わせて振り返った。
何時の間に傍にきていたのか、先程のエルフの男が少年の手元にある人形を興味津々な目付きで観察している。
すっかり怯えた少年の様子に気付いたのか、エルフの男は「これは失礼したでござる」と深々と頭を下げた。
「驚かせてすまぬでござる。拙者、ハヤテと申す者。怪しい者ではござらぬ」
「そ、そうですか……」
どう考えても怪しいですよ――少年はその言葉を胸の内に飲み込んで、無難な返答をする。
少年は名乗り返さなかったが、エルフの男ハヤテは気にした様子はなく、少年に手を合わせて頭を下げる。
「申し訳ないのでござるが、そのクレアちゃん人形……拙者に売ってくださらんか!?」
「え、ええ……!?」
「無論、金額は弾むでござるよ! 3000Gでいかがでござるか?」
3000G。少年にとってはとんでもない金額だ。
それが1個の人形と引き換えに手に入るのなら、確かに嬉しい話である。
だが、せっかく初めて自力で引き当てたウルトラレアの人形を手放すのは抵抗があった。
それに、知らない男の人と取引して大金を手に入れた、と親が知ったら、どう思われるだろうか。
色々と悩んで押し黙る少年に、ハヤテはさらに提案する。
「足りぬでござるか? なら4000G……いや、5000Gでどうでござる!?」
「え、ええと、その……」
さらに上がっていく値段に、少年は慌てふためく。
それを、値段にまだ不満があると思ったのか、ハヤテはさらに少年に詰め寄るように近付いて言い直す。
「な、なら6000G……いや、いっそ8000Gを出すでござる! これでどうか、どうかあああ!」
「止めぬか、この馬鹿者!」
ゴツン、と。痛そうな音が鳴る。ハヤテの頭が背後から殴られた音だ。
拳を振り落としたのは、頭から狐の耳を生やした人――狐人と呼ばれる種族の少女だった。
正確には、外観が少女なだけで少年の400倍近い年齢なのだが、彼女の若々しい見た目だけでは分かるはずもなかった。
「まったく、同郷の者として恥ずかしいのじゃ!」
「う、うぐぐ……痛いでござるよ、タマモ殿」
どうやら2人は知り合いらしく、被害者と加害者だというのに和やかな雰囲気で話し合っている。
事態についていけず戸惑う少年に、タマモと呼ばれた少女、いや、女性は声を掛ける。
「すまぬのう、少年。こやつ、根は良い奴なのじゃが、趣味のことになると見境がなくての」
「いやあ、面目ないでござるよ。小生、クレアちゃんを我が家にお持ち帰りすることで頭がいっぱいだったでござる」
「……本当、これさえなければ良い奴なのじゃ」
顔を顰めるタマモを余所に、ハヤテはまだ諦めきれないのか、少年の手にある人形をじっと見ている。
「ああ、それにしてもこのカジノが売り出す人形は美しいでござる……創作意欲が高まるでござるよ」
「……? お兄さん、何か作る人なんですか?」
少年の質問に、ハヤテは自慢げに胸を張って答えた。
「うむ。拙者、何を隠そう人形造りが趣味なのでござる。
故郷の里では人形作りに明け暮れて……」
「きわどい格好の女子の人形ばかり造り過ぎて里を追い出されたのじゃったな」
「そ、それは秘密にしておいてほしかったでござるよ、ご老人!」
「おうこら誰がしわくちゃババアじゃ、表に出るのじゃあ!」
「そんなこと言ってないでござるよ!?」
ハヤテとタマモは少年そっちのけで騒ぎ出す。
自分よりずっと大人なはずの2人の馬鹿騒ぎについていけず、少年は目を丸くするばかりだった。
〇
「……えへへ。綺麗だなあ」
カジノを立ち去った少年は、手に入ったウルトラレアの人形を見つめながら歩いていた。
たった1回のガチャで、すごく珍しい大当たりを引き当てたということもあり、満面の笑みを浮かべている。
上機嫌で浮かれていた少年は――自分の進路を塞ぐように立つ男の姿に気付かず、ぶつかってしまう。
「あっ、ご、ごめんなさ……」
「いってえー! 折れたわー! これは骨が折れたわー!」
僅かにぶつかっただけにも関わらず、男は大げさに叫び始める。
少年が戸惑う間に、男は尚も好き勝手に騒ぎ立てていた。
「おうガキ! この落とし前はどう付けてくれるんだ、ああ!?」
「え、えっと、その……ごめんなさい」
「ごめんで済むかよ! 慰謝料よこせ、慰謝料!」
要するに、男は当たり屋と呼ばれる類の悪党であった。
わざと相手にぶつかっておいて、「お前のせいで怪我したから金を払え」と脅す。
子供や老人など、自分より弱そうな相手を狙うのは、この手の輩の常套手段だ。
「お、お金、あんまり持ってないです……」
「ああん!? だったら物でもよこせや! 例えば……その玩具とかな!」
男が指差したのは、少年の手にある黄金色の勇者像――ウルトラレアの人形だ。
「そんな玩具が高額で売れるってんだから、たまんねえよな……おら、さっさとよこしな!」
「ひ、ひぃ……」
強面の大人に脅されて、少年はすっかり怯えきっていた。
震え上がる少年の手から、男は強引に勇者人形を奪おうとして――。
「あいや待たれよ!」
――エルフの男性がその間に割って入り、当たり屋の男を押し退けた。
「ああ? なんだてめえは!?」
「幼い童から恐喝する痴れ者に名乗る名などないでござる!」
エルフの男……ハヤテは怒りを露にして一喝する。
その姿は勇ましく、まるで絵本の中の勇者のようだと、少年の心はときめいた。
「ハ、ハヤテさん!」
「申し訳ないでござるよ、少年。拙者が先程騒いだせいで、悪党共に目を付けられてしまったようでござる」
ハヤテは少年の呼び声に応えながら周囲を見渡す。
すると、当たり屋の仲間であるらしい怪しい風貌の男達がにじり寄ってきていた。
「おうこら、やろうってのか?」
「1人で俺達を相手にどこまでやれるかねえ、きっひひ」
男達は下品な嘲笑を浮かべながら、少年とハヤテに迫ってくる。
怯えて思わずハヤテに抱きつくように傍による少年。
だが、ハヤテはまるで物怖じせずに、笑ってすらいた。
「拙者は1人だといつ言ったでござる?」
その呟きと同時、包囲網を敷いていた男達の数人がばたりと倒れ込んだ。
何事かと仲間達がそちらに視線を向ける間に、また数人が地に伏す。
突然倒れた男達は一様に、身体が痺れたように痙攣していた。
「て、てめえ! 何をしやがった!」
「拙者は何もしておらんでござるよ」
そうしている間にも、男達は次々と倒れていった。
周囲を警戒していようとも人影ひとつ見当たらず、ただ順繰りに昏倒させられていく悪党達。
無力化された男の数が集団の半数を超えた頃になって、ようやくハヤテの仲間の姿が発見された。
「な、なんだ……? 人形が動いていやがる!?」
「ようやく気付いたでござるか。これぞ我が仲間……いや、嫁達でござる!」
まるで人間のように動き、宙を舞い、そして手に持つ武器で敵を刺す。
それらの人形は全て、ハヤテの意思に応えて戦うという彼お手製の魔道具であった。
「嫁達の持つ武器には即効性の麻痺毒が仕込んであるでござるよ」
「て、てめえ! 卑怯だぞ!」
「子供から暴力で物を奪おうとするような輩に言われても、何とも思わんでござる」
人形達に気付いた悪党共が応戦しようと武器を手に取る。
しかし、蝶のように舞う人形達の動きに翻弄されて、蜂のように刺されて麻痺毒仕込みの武器に仕留められていく。
あっという間に、最初に少年に難癖をつけた男を含めて、地に伏されることになった。
「他愛なし、でござるな。刀を抜くまでもない」
散開していた人形達を手元に呼び寄せて、鞄に仕舞い込むハヤテ。
最初は怖がっていた少年も、人形が自在に動いて悪党を倒していく光景に、絵本で読んだ御伽噺のようだと喜んでいた。
「す、すごい! ハヤテさん、助けてくれてありがとうございます!」
「いや、元はと言えば拙者のせいでお主にいらぬ苦労を掛けてしまった。その償いをしただけでござるよ」
「つ、償いなんてそんな……悪いのはこの人達で、ハヤテさんは悪くないです!」
「そう言ってもらえるとありがたいでござるよ。かたじけない」
謙遜するハヤテの姿に、ますます少年は目を輝かせた。
弱きを助け、強きを挫く。そしてそれを恩に着せない。その在り方が、物語の中に語り継がれる勇者のものにとてもよく似ていたからだ。
「そ、その……これ、お礼です」
そう言って、少年は黄金色の人形をハヤテに差し出した。
お礼に渡せる物が、それくらいしかなかったのだ。
「うぉお……! い、いや! それは受け取れないでござるよ!」
「けど、ハヤテさんがいなかったら奪われてましたし……それに、僕よりハヤテさんの方が欲しがってたみたいですから」
「そ、それはもちろん、欲しいでござるが……ううむ、せ、せめてお金を支払うでござるよ」
慌てて財布を取り出そうとするハヤテ。
しかし少年は、助けてもらったお礼なのにお金を受け取るというのは申し訳なく感じていた。
どうしたらいいのだろう、と考えていた少年は、ひとつのアイデアを思い付く。
「あ、あの。それなら、お金はけっこうですから、お願いを聞いてもらってもいいですか?」
「何でござるか? 拙者にできることなら……」
「じゃあ、その……」
少年は恥ずかしそうに、ハヤテに自分のお願いを伝えた。
〇
少年とハヤテの出会いから、数日後。
自分の部屋で、少年は机の上に飾った人形を見てにこにこと笑っていた。
そこにあるのは、2つの人形。少年と、ハヤテの姿を人形にした物だ。
お金の代わりに少年が求めたのは、他ならぬハヤテお手製の人形の製作だった。
快く少年の願いを請け負ったハヤテは、数日を掛けて少年の人形もいっしょに作り上げた。
カジノ製作の物に勝るとも劣らない出来栄えの人形に、少年はとても喜んだ。
「……えへへ」
つんつん、と。指先でハヤテの人形をつついて微笑む少年。
その頬には赤みがかかり、目はうっとりと熱を帯びていた。
「アデル、遊んでばかりいないでお手伝いしてね!」
「はーい!」
扉越しに聞こえてきた母親の声に元気良く応えて、アデルと呼ばれた少年は椅子から立ち上がった。
すぐに部屋を出ると、洗濯物がいっぱいの籠を抱えた母親が庭に出ようとしているところだった。
「扉を開けてちょーだい、そしたら次は洗濯物干しね」
「うん、分かった!」
少年も手馴れた物で、母の指示に従っててきぱきと働いていく。
そんな中で、少年はふと思いついたように母に話し掛ける。
「おかーさん、お願いがあるんだけど」
「なあに?お小遣いならこの前上げたばかりだから駄目よ?」
「そうじゃなくて……女の子らしい服が欲しいの」
「……貴女、ずっと男の子の格好が好きだったのに、どうしたの?」
アデルという少女は、女性でありながら男であるように振舞ってきた。
御伽噺や英雄譚の勇者達に憧れて、おままごとより勇者ごっこを楽しんで、他の男の子達と泥まみれになって遊ぶ。そんなやんちゃな子供。
なのに突然、女の子らしい服が欲しいと言ってきた我が子に、母親は驚いていた。
「そ、その……えへへ」
「……まあ、女の子としての自覚が出来てきたなら、いいわ。けど服装だけじゃなくて、口調も女の子らしくしなくちゃね」
答えをはぐらかす我が子に、母親は溜め息をつきながらもお願いを快諾した。
子供の成長が感じられて、嬉しかったからだ。
元気な我が子も好きではあるが、女性らしいお淑やかさも身に付けてほしいと思っていた母親にとって、我が子の申し出は断る理由がなかった。
「じゃあ、今日にでも服屋さんに行きましょうか。
せっかくだし、たくさんおしゃれを楽しまないとね」
「わーい! おかーさん、ありがとう!」
好きな子でも出来たのかしらね、と我が子の無邪気な笑顔に微笑む母親。
――我が子が好きになった相手が、故郷を追い出される程の変態であることを、彼女はまだ知らない。




