3-41『霧がかった背中』
「『風玉』」
……間一髪!
炎の塊が迫りくる中、咄嗟に地面に向けて発動した風魔法によって、ハリーは空中に退避し、難を逃れたかに見えた……
しかし……
「くふっ、それで逃げたつもりですか?放ちなさい!」
「『風風矢』」
「『飛沫矢』」
完全に敵の作戦の掌中……
この1戦を目にしている者ならば、いや、実際に戦っている当事者のハリーですらも、そう感じていたに違いない。
矢を受けて墜落すれば、次に新たな炎の塊が飛んでくる。
それで決まらなかったとしても、左右に広がっていた攻撃隊が一気に距離を詰めてとどめを刺しにくる。
そんな絵図が浮かぶ。
「王」が取られれば終わりのこのルール。
相手の駒たちは、近くにいる双子たちには目もくれず、絵図を描いた指揮官の作戦に忠実に従って、発動する魔法の照準をきっちりハリーに合わせていた。
万事休す……
中央に釣り出され、味方の援護も失い、文字通り、二の矢、三の矢が放たれた今、この決闘の勝負は決したかのように思われた。
◇回想(多目的ホール)◇
身体中を徹底的にいじめ抜かれ(いや、自分で行なったのだが)、床にうつ伏せになるハリーの前に、丸太のような太ももを持つ男が、膝の位置を何度も上下させながら見つめている。
「ハリー君。君はどうやら考え過ぎのようだね?」
……いや、今はむしろ何も考えられないのだが。
過酷な訓練のせいで、思考回路がどこかに旅立ってしまっている。
それよりも、目の前の人は、なぜ人が倒れ込んでいるその目の前でスクワットをしているのだろうか?
その意味すらもよくわからなくなっている状態である。
「考えすぎ……ですか?」
「うむ。私の筋肉直感がビクビクと震えながら訴えているのだよ。君がどこか行き詰っているとね」
たしかに、目の前でギュッと詰まった大腿の筋肉やふくらはぎのヒラメ筋の一部がまるで生き物のようにビクビクと震えている。
ハリーは気が遠くなってきていた。
この戦術講義を始めてからずっと頭の中で物事を考え通しだったので、その反動もきていたのかもしれない。
レオ=ナイダスとの戦術議論は、頭脳労働と肉体労働との違いこそあれ、過酷さという点では同程度に厳しいものであったからだ。
「私にも、そのようなときがあったよ。昼間にどれほど肉体の鍛錬をしても、夜に村の畑を襲う兎の魔物にまったく通用しない……」
マスルマン軍曹は何かを懐かしむように微笑んだ。
その間も膝のピストン運動は続いている。
「そんな折だ。マスターノーウェから薫陶を賜ったのは……マスターは魔物退治に悩む私にこうおっしゃったんだ。『考え過ぎるな』と!」
「ノーウェがそんなことを?」
にわかには信じがたい話だ……
軍曹には悪いが、やり取りが面倒で適当に答えたのではないだろうか?
あいつ、ちょっと、そういうところあるし……
「ははっ、信じていないようだね?無理もない。基本的に、魔導師は考えることを基本とする。レオ=ナイダス殿しかり、ハリー君しかり」
「は、はあ……」
「でもね、『魔物は待ってくれない』のだよ」
「あ!」
ハリーは驚いた。
目の前でスクワットをし続ける人物からノーウェが口癖のように使っている言葉が発せられたからだ。
「この帝都周辺の魔物ならまだいい。だが、あの地の魔物相手にはそれでは間に合わない。私は日頃鍛錬を欠かしたことはないし、大抵の魔物に1人でも対応できる自信はあった……だが、あの夜光兎にはまったく通用しなかった。素早過ぎて攻撃がまったく当たらないんだよ。あの森の魔物相手にはね」
想像もつかない。
ハリーがこれまで対峙してきた魔物はせいぜいCランクがその上限だ。
フォレストボアにしても……メガエルクにしても……
もちろん、1発でももらえば、よくて重傷、当たりどころ次第では死に至る場合もあるので、決して気を抜くことはできないし、帝都周辺の森であっても厄介な敵はいたが、ノーウェからはむしろ考えながら戦えと言われていたし、思考する猶予がないほどではなかった。
「そのときにマスターはおっしゃったんだ。『考え過ぎるな』と……目から鱗だったよ。その日以来、三日三晩、四六時中、私は、若干10歳にも満たない少年でありながら、筋肉魔法の神童であるマスターの後を追ってその一挙手一投足を観察させてもらったよ。森に出ているとき以外はね」
「は、はあ……」
追いかけ回されているノーウェが、嫌そうにしている顔が目に浮かぶ。
ハリーは自身の派閥の長に同情を禁じ得なかった。
「そして、私はようやく自分の殻を破ることができたんだ。マスターはただ『考えるのを止めろ』と言ったわけではないのだと悟ったのだよ……それは、魔物といざ正面に向き合ったときになってから考えているのでは遅いという意味だったのだ」
「正面に向き合ったとき……」
「そうだ。その日から私の、日中の鍛練は変わった。ただ漫然と肉体を鍛えるのではなく、実戦を常に想定ながら必要な訓練を自らに課した。実際に戦うときには、思考を省いて戦えるようにね」
「思考を……省く?」
「うむ。ハリー君もマスターノーウェと魔物狩りに行ったことはあるのだろう?」
「はい」
「なら見たことがあるはずだ。マスターが頭ではまったく別のことを考えながら、身体では魔物をバッタバッタ薙ぎ倒しているのを」
……たしかに、そのような光景は幾度となく見ていた。
自分たちに説明をしながら、その魔法は正確に魔物の身体を貫いているのを。
「ならば、分かるはずだ。あれは、ただ脳と肉体の動きを分離させているわけではない。あの動きの裏には数えきれないほどの反復作業と、マスタークラス特有の、戦う前に頭で考えるまでもない筋肉的思考をしている証なのだよ」
「な、なるほど……」
筋肉的思考は、まったく意味が分からなかったが、マスルマン軍曹の言わんとしていることは理解できた気がする。
同時に、ハリーは、自身が陥っていた、秀才ならではの落とし穴から這い出る方法を目の前の高速に動く膝から教わった……
「うむっ!スッキリした顔をしているな!?それでは、改めて筋肉汗を流すとしようか?ハッハー!」
「け、結構です……」
◇回想終了◇
ロッソ=ハラーによって放たれた炎の塊を目視した瞬間、ハリーは、自分が相手の仕掛けた罠に嵌ってしまったことを悟った。
挽回のために『風玉』を放って退避する……
だが、赤ローブを羽織った狡猾な敵の指揮官はおそらくそれも読んでいるだろう。
さらなる一手を放ってくるはずだ。
ハリーは思考を加速させる。
……省け!
……省け!省け!
あの魔法を目にしてからはや1か月。
早朝の、朝食前の的当て訓練は1日たりとも欠かしてはいない。
少しでもあいつの背中に追いつき、あいつが見ているものと同じ景色を見る……!
それが、駒でも、単なる派閥のメンバーでもなく、あいつの仲間として自分に課せられた命題だ。
幸い、イメージはすでにある。
ノーウェは仲間内での模擬決闘で方法を示してくれた。
やるなら、今だ!
……省け!省け!省け!
迫り来る2つの魔法の矢……
自分にならばできる。
あれだけの汗を流したのだから。
……できて当たり前だ!
「『れんぞくま』」
再び放たれた『風玉』が、上空に向かって飛び上がったハリーの進路を大きく変えた。
まだまだあのスピードには遠く及ばないが、それは、これまでの『替え玉』とははっきりと違うと感じる、思考の連続への足がかりであった……
「「「な、なにぃ!?」」」
ハリーが向かうはずだった方向に放たれた風魔法と水魔法の矢は、標的を失い、何にも当たらずに、ただアリーナの天井へと飛んで行った。
元いた場所に着地したハリー……
追い続けている、その背中が……
まだまだ霧がかってはいるものの……
朧げながら見えた気がした……!
ここまでお読みいただきまして、本当にありがとうございます。
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ついに、身内から頂に足を踏み入れる者が……!
次回、決着!
ノーウェと仲間たち(とブルート)の活躍に乞うご期待!




