考証シリーズ:帝国陸海軍の燃料事情
世間一般では戦争末期に至ると燃料事情が悪化しているというイメージがあるが、これは実際問題としては7割程度不正解というのが実情かも知れない。
確かに量的には確実に不足していたのは間違いないのであるが、民需用に関しては比較的流通量があり、それらを英米系の石油会社が供給していた形跡が見受けられる。
絶対的に量が不足していたのは軍需用であったという認識を持つことから改めて考え直す必要がある。
そして次に質の問題だ。
これは松根油や人造石油といった底質油のそれで相応に悪化しているように思われるが、実際には開戦時点の方が余程質の低いガソリンを用いていたことが終戦時若しくは本土決戦用に備蓄量を計算した資料と開戦時の南方進出航空部隊の備蓄量によって裏付けられている。
航空87揮発油と航空91揮発油の割合は開戦時で半々程度だが、「昭和二十年五月一日調 陸軍飛行学校の燃料在庫」を規準にすると1:3というものであるし、「大本営陸軍部 昭和20年8月22日関東地区飛行場別燃料数量」では1:6というそれになる。
「第五航空艦隊司令部作成 昭和20年5月15日現在の九州方面中心の各基地燃料保有状況」では保有数こそ1:1ではあるが、鹿屋基地や宮崎基地など主力基地では1:2と航空91揮発油の保有数が多い。「昭和二十年八月一日 第十航空艦隊各隊燃料保有状況」においても1:4という数字である。
上記は一部抜粋であるが、陸軍全体の保有数などを見ても明らかに質的には開戦時よりも上になっていることがわかる。
これは製油能力の向上によるものであり、同時に航空91揮発油を前線部隊が統一して利用していた証明と言うことになるだろう。よって、質の悪い航空燃料でヨタヨタと飛んでいたというのは嘘であるとわかる。
仮に質の悪い燃料を使っていたと仮定しても、それは二線級の機体や練習機などであり、一線級のそれには航空91揮発油を優先して使っていたということになる。
そして、大戦後半に登場した機体の多くは誉などの新型機であり、そういったものは最低でも航空91揮発油を用いないと出力低下が激しく戦力にならないという事情があったのだろう。




