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ガソリン生産とオクタン価の話  作者: 有坂総一郎


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2/11

オクタン価100への道

さて、先述の通り、史実において大日本帝国におけるオクタン価87の航空揮発油が製造され始めたのは1936年であると示した。これは徳山海軍燃料廠(改組後、第三海軍燃料廠)において九六式水素添加分解装置の完成と運転開始によってなされたものである。


38年からは九八式水素添加分解装置が設置されたことで軽油を原料とし、四エチル鉛を添加し精製するオクタン価92の航空揮発油が製造されることになる。


では、同時期に民間を含めた上で同種の航空揮発油が国内製造が出来たかと問われたならばその答えは否である。


岩国の陸軍燃料廠は42年4月の操業開始であり、今でこそ中京工業地帯の雄である四日市の第二海軍燃料廠も41年6月の操業開始である。民間におけるそれも概ね38~40年頃に順次起工、操業し、海軍系の処理装置を推奨導入している。


よって、徳山燃料廠における製造が開戦前における実質的に唯一の生産設備だったと言っても過言ではない。


では、海軍がオクタン価92で満足していたかと言えばそんなわけがなく、徳山燃料廠においてオクタン価92が達成された頃にはアメリカにおける航空揮発油の58%はオクタン価100であり、35%がオクタン価92であった。これは海軍側にとっても大きな脅威であった。


危機感を覚えた海軍は技術移転を促すためにアメリカ企業に盛んに民間企業も含めて接触していた。その甲斐もあって、UOP(Universal Oil Products) から技術移転させることに成功したのである。海軍は38年、民間(日本石油、三菱石油)は37年。


だが、ここに落とし穴が待っていた。


そう、UOPのそれはイソオクタン添加によるオクタン価向上である。前述の通り、この方式の場合、精製時の分解ガスが必要になるのだ。そして、添加割合も前述の通りでベースガソリン:イソオクタン=6:4である。


つまり、原油精製量が多くなくては得ることが出来ない添加材なのである。しかもその分解ガスは直留した時点では総数の1%程度しか得ることが出来ない。参考程度であるが比較対象として直留した時点での最大収量における計算上ではオクタン価70が27%、オクタン価87が3%である。その後の熱分解や水素添加処理を含めた分でも全体で3%程度である。


要はUOP法に必須の高オクタン価基材が絶望的に足りないのだ。


しかし、アメリカの場合はその絶望的なそれでも賄えたのはこれまた絶望的に巨大な原油精製量という力技であった。そんな力技が出来る国の技術であっても、オクタン価100はオクタン価100であり、その性能差は2割増となるのだから喉から手が出る程のものであるのは間違いない。


だが、海軍などがUOP法を入手した頃、アメリカでは更に高効率な高オクタン価基材の製造プロセスが開発されていた。これが従来の質と量の問題を一気に解決させてしまう。最早チートでしかない。


フードリー式接触分解法の登場である。


この触媒分解方式は様々な点で利点があった。例えば触媒に脱硫性能があるため残留硫黄分が非常に少なくベースガソリンとするのに都合が良かった。また水素分解などと違い高温高圧でなく常温における反応であった。熱分解ガソリンの収率が2割程度に対してフードリー式では4割程度の収率となったのだ。そして、分解ガスの収率もよくブチレン/イソブチレンが効率よく入手出来たのだ。つまり、イソオクタンの量産へと繋がるのである。そして、原油の素性によってオクタン価が左右されないという優れものだ。


何このチート。そんなの無敵だろ。


このチートのおかげで航空燃料だけでなく自動車燃料の大量供給と品質向上というそれによってアメリカのモータリゼーションはより進むのであるが、まぁ、それは別の話。正直枢軸国の人間がその話を聞いても胸くそ悪いだけ。チクショウめ。


ついでに原産地が違う原油をフードリー式で精製すると概ねオクタン価75~80程度のベースガソリンが出来上がる。これは前述した従来方式で直留したベースガソリンよりも30~40もオクタン価が高いことになる。直留した時点でオハ原油がオクタン価45、ケットルマン原油がオクタン価65であることから考えても違いが歴然である。熱分解や水素添加といった行程を行ったのと同じオクタン価を叩き出しているのだ。


しかし、米帝チートはまだ続く。僅か5年でフードリー式を超えるチートを生み出す。もうやめてあげて、ライフはゼロよ。


流動床式接触分解装置の登場である。


スタンダード石油はフードリー式のライセンスを受けることが出来ず独自で勝負する必要性が出て来た。そして、ケロッグ社が自社の知識と経験不足から他社の協力を得るため動き出したことから話は始まる。


ケロッグ社はアングロ・イラニアン(現BP)とIGファルベンに協力を仰ぐことにしたがIGファルベン社の水素添加技術はスタンダード石油ジャージーにあり、そのため4社(ケロッグ、IGファルベン、ジャージー、インディアナ・スタンダード)による技術開発グループが結成されたのである。


この技術開発グループにはその後、ロイヤルダッチシェル、アングロ・イラニアン、テキサコ、UOPが参加し、大西洋を越えた一大グループとなっている。


この方式はフードリー式の特許を侵害しないように製造プロセスの確立が進められ、42年に日産1万バレルを超える規模のプラントが操業することで結実したのであった。ただし、その多くは43~44年の操業であり、大戦後半に高品質燃料を戦場へ送り込んでいる。


さて、ここまで書いてきてわかることだが、まず歴史改変であってもこれほどの大事業を大日本帝国にさせることは無理だと考えるべきだろう。


フードリー式についても海軍などは導入を進めていたが、モラル・エンバーゴによって輸出禁止となって導入は出来なかった。仮に導入出来たとしても運用可能な時期は早くても42年頃であっただろうからある程度生産は出来たであろうが、恐らくは史実と同じでそれほど精製することなく空襲で失われたであろうと思われる。


そうなると、現実的なそれとして考えるべきことは満州油田と華北油田における生産量を激増させ、同時に日本本土に原油を還送すること、そして国内の製油所の規模拡大と精油能力の向上を図ることである。


そして、UOP法によるオクタン価向上を推し進めるというそれだ。これであれば、数をこなすというそれでなんとか出来るだけにハードルは非常に低い。


ただし、オクタン価100のそれを量産することは難しいから、本土防空や重要戦域への投入というそれで対処することになるだろう。


それ以外の戦場については生産能力が向上してオクタン価91/92へ統一された燃料を用いて水メタ併用でオクタン価100相当を発揮させる。


この二本立てとするのが適当であろう。


そして、これはあくまで推測に過ぎないのであるが、蘭印油田におけるオクタン価100というのは時期的なこと、ライセンスの兼ね合いを考えるとUOP法によるものであると想定される。


故にオクタン価100の大量供給は事実上無理と判断し、現地使用分と割り切るべきだろう。


よって、オクタン価100に頼らない形で作品世界を構築する必要性があることを再確認した結果となったとして今回の考察を締めようと思う。




追伸


そもそもUOP法そのものを導入出来るか、それそのものも相当に怪しいのが「このはと」世界である。何か他の対策を考えないといけない。

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― 新着の感想 ―
[一言] ジェットエンジンやドイツのDzシリーズなどの航空用ディーゼルといったガソリンを使わないで航空機を飛ばすということが出来れば燃料系はかなり楽になるのでしょうけれど・・・
[一言] 1981年にノーベル化学賞を受賞する福井謙一氏が41年に陸軍燃料廠に入り、43年に京大の燃料化学科講師を勤めているのですが43年当時24歳。 難しいですね……。
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