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50 後始末

 廊下を歩いていたクラウスは、いつの間にか朝になっていると気がついた。まだ朝日は顔を出していないが、照明がなくてもすれ違う人間の顔が判別できるほどには明るい。王妃と関係者が引き起こした騒動の後始末に、だいぶ時間を取られてしまったようだ。


 リディアは安全のために別棟へ避難させた。ヘンドリックがディアナと子供のために厳重な警備をさせているのだから、襲撃された部屋よりは安全だ。


 急に疲れを感じたクラウスは、城内にある訓練場に来た。まだ早朝なので誰もいない。木製のベンチに座ると、柄にもなく昔のことを思い出した。


 王妃は訓練場のような埃っぽいところに来ようとしなかった。クラウスが剣を握ることも気に入らないようだったが、やめろと言われたことはない。剣や弓の訓練に没頭し、馬に乗っている間は、王妃に干渉されない時間だった。王妃の愛玩人形にならず自立心を保っていられたのは、こうした離れている時間があったからだろう。


 自分の母親が過干渉だったのも、彼女の本音を聞いた今なら分かる。王妃はクラウスのことを一人の人間ではなく、愛した人の子供という属性でしか見ていなかった。だから平気で自分の理想を押し付け、思い通りにならないと知れば、ゴミのように簡単に捨てる。


 ――産むんじゃなかった、か。


 勝手に産んだくせに、と言い返せば良かっただろうか。だが、こんな言葉では王妃の心には響かない。


 クラウスは考えるのを止めた。もう過ぎたことだ。


 明るくなった空を見上げて雲を眺めていると、隣に誰かが座った。見なくても分かる。


「……叔父は、俺が誰の子供なのか知っているのですか?」

「もちろん」


 国王は普段通りの静かな声で答えた。


「お前が産まれた一週間後、あいつは密かに私へ会いに来た。良心の呵責に耐えかねたのだろう。己がしたことを告白して、お前が私の子供ではない証拠も明かした。いかなる罰も受けると言うのでな、いくつか約束を交わした」

「約束?」

「お前の父親だと誰にも明かさないこと。私が許可をした時以外、妻とお前に会わないこと。何があっても南の国境を守ること。あいつは今も守っている」

「俺と母上だけで南へ行かせたのは、なぜですか」


 クラウスは南の辺境へ行くまで、自分が王の子供ではないと疑ったことなどなかった。ヘンドリックや妹と平等に扱ってくれたし、次の王になるのはクラウスだと誰もが信じていた。だから父親が違う疑惑に触れた時、自分の根幹が揺らぐほど衝撃を受けたのだ。


「一度ぐらいは親子の思い出があってもいいのではないか、と思ってな。だが余計なことをしてしまったようだ」

「俺を子供と認めないこともできたのでは?」


 クラウスはようやく隣に座っている国王を見た。じっと前を向いている横顔は、すっかり疲れている様子だった。


「あいつから話を聞いて、密かに養子へ出すことも考えた。あいつが使用人に手を出して産まれたことにしようか。それともいっそ……」


 国王の視線が両手に落ちる。


「ところがな、お前の寝顔を見ていたら、どれも愚かな考えだと思った。産まれてきただけのお前に、どんな罪がある? それに、一度は我が子と認めたのだ。私の判断が間違っているかどうかは、いずれ分かる。この選択も、妻の性格を歪める原因だったのだろうな」

「……俺には、分かりません」


 ヘンドリックとディアナが叔父と母親に見えて、逃げることしか考えていなかった。


「王は簡単に離婚できない。過ぎ去ったことを言っても仕方ないが、二人の気持ちに気がついていたなら、回避できた未来もあった。その点、お前はよくやったな」


 父上と呼びかけようとして、クラウスは迷った。血縁関係が明らかになった今、国王を親と呼んでもいいのだろうか。育ててもらった恩はある。だがそれはクラウスが感じているだけで、彼はただの義務感で育てただけかもしれない。


 国王の手がクラウスの肩を掴むように乗った。


「誰が何と言おうと、お前は私の息子だ」


 一番欲しかった言葉だった。不安が解消されて、気持ちが軽くなっていく。


「俺は、父上の息子になれて良かった」

「オイレンブルグの生活はどうだ?」

「充実しています。俺の性格に合っているのでしょう」

「不自由していないか? 結婚相手も王都育ちだそうだが」

「俺以上に自由で、伸び伸びとしていますよ。彼女となら、うまくやっていけそうです」


 そう言うと、国王は安堵したように口元を綻ばせた。

 言わなければ伝わらない。リディアの言う通りだ。



***



「――これがあの夜に起きた騒動の顛末です」


 喋り終えたリディアは、紅茶が入ったカップを持ち上げた。すっかり冷めてしまっているが、乾いた喉にはありがたい温度だ。


 襲撃され、王妃が捕まったあと、リディアは別棟に滞在していた。乱闘があった部屋で寝泊まりするのは不安だろうと、王太子夫婦の気遣いで移動してきたのだ。


 テーブルを挟んだ向かいには、ディアナが悲しそうな顔で座っている。


「夫や皆が教えてくれない理由が分かりました。城内が騒がしかったこと、何かの事件を起こした首謀者が捕まったことぐらいしか、私のところに伝わってこなかったのです」


 ディアナにはクラウスの父親について明かしていない。王妃の理想から外れたせいで、恨みを買ったとだけ説明している。


 出生の秘密なんてものが公になったところで、誰も幸せになれないのだ。このまま闇に葬って、なかったことにする。もし世間に知られる時がくるなら、リディアたちが死んだずっと後でないと、生々しくていけない。


「襲撃に関わった人たちは、どうなるのでしょうか」

「実行犯には重い処罰が下されるでしょう。王城で暗殺しようとしたのです。彼らを手配した者もいます。どれほどの人が関わっているのかは、まだ判明しておりません」

「王妃様に協力していたのは、かつての宰相派が多いのかもしれませんね。クラウス様についていた元側近の中には、出世から外されて恨んでいる者もいると聞いています」

「側近から外されたのは、本人に問題があったからではないかと。襲撃から私を守ってくれたユルゲンも生家は宰相派ですが、ずっとクラウス様の護衛をしていますから」


 あの夜、シェーラがリディアの居場所を伝えるまで、ユルゲンは生きた心地がしなかったそうだ。護衛対象が寝室から消えたのだから。彼には悪いことをした。これからは、もっと早く行き先を伝えておこうと思う。


「王妃様は病気療養に専念すると公表されました。ですが、本当は北の塔で余生を過ごすことになったそうです」


 手紙のやり取りも禁止され、世話をするメイドは一日一回だけ通ってくる。警備についている女性騎士は交流禁止を徹底され、問題が起きた時以外は部屋に入ってくることもない。王族の暮らししか知らない王妃には過酷な環境だろう。


 差し入れは認められているが、力を失った王妃に慈悲の手を差し伸べる者が、どれくらいいるだろうか。むしろ将来を見据えてディアナと接触しようとするはずだ。


「幽閉ね。王妃様がなさったことを考えると、甘いのかもしれませんが……」

「普通の政治犯に比べると甘いですわ。罪は全て隠されて、殺されることもありません。ですがこれは王妃様への配慮ではなくて、将来の王のためです」


 ベビーベッドから無邪気な乳児の声がする。


「私も気をつけなければいけませんね。あの子の汚点にならないようにしないと」

「ディアナ様なら大丈夫ですわ」


 他人の行動で自らを律することができるうちは、まだ改善できる。


「それにしても、リディアローゼさんはよく経緯をご存知ですね。クラウス様からお聞きになったのですか?」

「ええ、そんなところです」


 本当は精霊に聞いたことを繋ぎ合わせた情報だ。


 あの夜からクラウスには会っていない。王都に滞在する予定だった日数も過ぎている。城から出ることもできず、暇を持て余していた。ディアナがお茶に招待してくれたり暇つぶしになりそうな本や刺繍道具を貸してくれるものの、やはり限度はある。


 ――消費した呪符の補充も終わったし、やることがないわ。


 そろそろクラウスが顔を出してくれる頃かもしれないと期待していると、まさに待ち望んだ人物がサロンに入ってきた。


「放置することになってすまない。ようやく片付いた」

「私のことはお構いなく。ディアナ様が相手をしてくださいました」


 クラウスがディアナに礼を言うと、彼女はゆっくり首を横に振った。


「いいえ。お礼を言うのは私のほうです。リディアローゼさんが滞在してくださったおかげで、とても楽しかったのよ」


 クラウスは軽く頷いて、リディアに向き直った。


「リディア」


 名前を呼ばれたリディアは、胸の辺りを押さえて顔を背けた。


「どうした?」

「その、愛称で呼ばれることに慣れなくて……」


 嬉しくて口元がにやけそうになるし、頬どころか全身が熱くなる。挙動不審になりそうなのを、理性で抑えている状態だ。


「君が言い出したんだぞ。慣れなくてどうするんだ」


 呆れた声で言うクラウスは、いつも通りの態度だった。リディアを呼ぶことに何の抵抗もないのか、照れを隠しているのかは読めない。


 ディアナは面白そうに微笑んでいるだけで、助けてくれそうにもなかった。


「そんなことより、暇を持て余しているんじゃないかと思って、どこかへ遊びに行こうと誘いに来たんだが」

「外へ出られるのですか?」

「有名な楽団が王都で演奏会をしているらしい。興味は?」


 クラウスと一緒なら何にでも興味を持てる。行きたいと返事をする前に、ディアナが補足してくれた情報が気になった。


「ゾンネンフェルト歌劇場で開催されている演奏会ね。ヴァールブルグ楽団なら、きっと満足するでしょう」


 王都で古い歴史を持つ歌劇場だ。格式が高く、粗末な格好では門前払いをされてしまう。もちろんリディアは一度も行ったことがない。


 ――着て行ける服がないわ。


 リディアが持ってきているのは、旅装と夜会用のドレス、普段着ぐらいだ。王都を散策するぐらいなら普段着でもおかしくない。だがクラウスと歌劇場へ行くなら、案内される席は王族用かそれに近い格式になるだろう。


「ねえ、リディアローゼさん。もし良かったら、あなたの服を選んでもいいかしら? 私が持っているものの中に、似合いそうなものがあるのよ。ぜひ着てみてほしくて。駄目かしら?」


 願ってもない提案だった。ディアナなら音楽鑑賞に相応しい服装を知っている。こんな時に悪戯を仕掛けてくるような性格でもない。数日の滞在で帰る予定だったリディアが、服を持っていないことを察して、先回りをしてくれた。


 単に服を貸すと言われるよりも、ディアナの提案は受け入れやすい。


「駄目だなんて、そんな。楽しみです」

「良かった。ではさっそく……」


 ふとディアナの表情が曇った。視線の先を追うと、ヘンドリックが深刻な顔で入ってくるところだった。


「兄上」

「どうした?」


 ヘンドリックは小声でクラウスに囁く。その内容が良くないものなのは、一目で分かる。二人はリディアに聞こえない声の大きさで短く言葉を交わした。


「リディア。申し訳ないが、予定が変更になった」

「そのようですね。私への謝罪は必要ありません」

「領地で少し問題が起きた。俺は急いで戻る。落ち着いたら連絡をするから、君は王都にいてくれ」

「その場合は勝手に情報収集をしてから領地へ向かいますわ。よろしいですね?」

「よろしいわけあるか。勝手なことをするんじゃない」


 クラウスはため息をついた。


「……武装した集団が国境を越えようとしたらしい。小競り合い程度で済んだそうだが、再び侵入してくる可能性もある。その対処だ」

「最初の侵入は偵察かもしれませんね。国境付近に陣を構えているなら衝突は避けられない。けれど、どこに本隊が隠れているのかは分からない、と」

「そうだよ。理解しているなら、君は国境に近づかないように」


 辺境に戻ることは許してくれるようだ。


「もちろん危険なことはしませんわ」

「……本当か? 信じていいんだな?」


 クラウスは疑わしそうな態度を崩すことなく、ヘンドリックとサロンを出て行った。


「リディアローゼさん……」

「大丈夫です。辺境ですもの。いつかこんな日が来ると思っていました。私はこちらで出来ることをしてから、領地へ帰ります」


 ディアナはここに残ってもいいと言ってくれたが、やはり少しでもクラウスの近くにいたい。


 さっそく行動を開始しようとしたとき、ナイフで怪我をした左腕が気になった。

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