表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/57

20東の辺境5

 リディアには辺境へ来てから日課になったことがある。早朝、屋敷の裏にある鍛錬場で、護衛と剣の鍛錬に勤しむクラウスを見学することだ。無心で剣を振る姿もいいが、護衛と和気藹々とした空気で過ごしているところもいい。


 日を追うごとに、クラウスへの気持ちが強くなっている。


「はぁ……幸せ……」

「それはようございました」


 思わずもれたつぶやきに、シェーラが呆れたように言ってきた。冷たいことを言いつつも、空き部屋からこっそりクラウスを眺めるリディアに付き合ってくれるところが優しい。


「飽きませんか?」

「飽きないわ」


 好きな人が今日も健康で生きている。それだけで嬉しい。さらに好きなだけ見学できる機会だ。飽きるなんて言葉は、リディアの中に存在していなかった。


 そろそろ鍛錬が終わるころ、クラウスがこちらを見上げた。隠れる余裕がなかったリディアは、しっかりと目が合ってしまう。すぐ近くで精霊の忍び笑いが聞こえてきた。きっと彼らがクラウスに教えたのだ。


 黙って見つめ合うわけにもいかず、リディアは手を振ってみた。クラウスは戸惑ったような顔になり、目を逸らしてしまう。そんな態度もまた、クラウスなら気にならない。一瞬でも彼の視界を独占した嬉しさが勝る。


「今日もいい日になりそうね」

「左様でございますか」


 上機嫌で見学を終えたリディアは、朝食の席でクラウスから話があると言われた。


「辺境伯の妻に渡される財産の目録がある。辺境伯夫人として必要なものはそこから捻出してくれ」

「分かりました」


 貴族の妻が生前に財産の一部を渡されるのは、この国では珍しくない。


 辺境伯といえば貴族の中でも上位にいる。求められる品格や服装にも、それなりの金額がかかってしまう。だが国境を守る重要な任を任されているため、あまり辺境から出ることがない。貴族同士の社交は、王都にいた頃よりも少なくなる。服や装飾品にお金をかける機会は限られそうだ。


 さらにリディアはベルンシュタインが作ったレースを販売する権利がある。よほど浪費をしなければ、お金に困ることはなさそうだった。


 クラウスから渡された目録には、辺境内にある銀鉱山が含まれていた。

 銀の産出量と売り上げの推移を見ていると、大きく減っている時期が何度かある。


「あら。面白いわね」

「納得してもらえたら、この書類に署名を。銀鉱山の権利書だ」


 権利書を読むかぎり、銀鉱山の所有権はリディアが持っているが、採掘した銀の販売に関してはクラウスと相談して決めると読み取れる箇所がある。値崩れを起こさせない措置だろう。また銀鉱山で働く鉱員は、辺境の領民を優先して採用するよう決められている。


 採掘した銀のうち、一部はリディアの装飾品用に融通してくれる文面も確認した。王都で行われる夜会で身につけて、銀製品の宣伝にできそうだ。


 リディアに不満はない。銀鉱山の運営はクラウスが行い、利益だけリディアの懐へ入ってくる条件になっている。強く訴えればリディアも運営に口を出せるようだが、うまく回っているところに横槍を入れるのはよろしくない。


「先代の辺境伯は、どのような方でしたの?」

「ここは長らく国王の直轄地だったんだ。辺境伯ではなく、信頼できる臣下に任せていたらしい。その臣下を王太子の補佐につける代わりに、辺境伯の地位を作ることになった」

「世襲ではなく、役職でしたのね。クラウス様を辺境伯に任命したということは、そうする必要があったから、かしら?」


「相変わらず深読みしてくるな」

「疑問に思ったことは、放置したくないのです」


 署名を終えたリディアは、この機会に質問をぶつけてみた。


「ねえクラウス様。この辺境にいる騎士は、全てクラウス様の指揮下にあるの?」

「そうだ。ある程度は現場の指揮官に任せているが、指揮系統では俺が上になる」

「じゃあ、もし騎士団に協力してもらいたいときは、クラウス様に伝えればいいのね?」

「ああ。俺が不在の時は君にも代理の指揮権が付与されるが……まあ、機会はないだろうな」


 権利書などの保管場所について聞かれたが、今まで通りに執務室の金庫へ入れるようお願いした。クラウスなら悪用しないと信じている。それにお金がなければ稼げばいいと考える環境にいたせいか、辺境伯夫人名義の財産を取り上げられても困らない。


 その後は執務室で領地の歴史を教えてもらいながら、リディアは幸せに浸っていた。会話に色気も何もないが、クラウスと二人きりの時間を共有している。


 クラウスは隙あらば距離を詰めようとするリディアに警戒しているが、仕事が絡む話題を持ちかけると雄弁になってくれる。その違いが面白い。


 妻という立場は、誰にも邪魔されずにクラウスを独占できるから都合がいい。密室で二人きりになっても咎められず、ふとした時に体が触れても許される。これでクラウスの心がリディアへ向いているなら、完璧な新婚生活だった。


 ――でも不完全な関係もいいわね。


 自分の行動でクラウスの態度が変わる。その緊張感は、きっと今しか味わえない。


 満たされた心で執務室を出たリディアは、自分の部屋へ戻ったときにシェーラから報告があると告げられた。メイド長と相談して、シェーラの下で働くメイドを選抜したらしい。そのうち一人はカルラだった。


 部屋へ入ってきたカルラは、初対面の時に感じた刺々しさが消えていた。さっそくお茶を淹れてもらったが、腕も悪くない。


「いかがでしょうか?」

「とても美味しいわ」


 感想を伝えると、カルラは安心したように笑みを浮かべた。そして決意したように言う。


「あの、奥様。私、奥様のこと、応援してます」

「え?」

「旦那様が奥様に関心を持ってもらえるように、私も協力させてください」

「ありがとう。心強いわ」


 カルラの言葉で、クラウスとリディアの関係が使用人に知られていると分かった。政略結婚だから仕方ないのだが、貴族ではないカルラには不自然に感じたようだ。


「時間をかけて信用してもらうしかないわ。実家へ帰れと言われたわけじゃないわ。だから望みはあるのよ」


 別居を提案されたら、信頼関係を築く難易度は上がる。辺境へ連れてきてもらったのだから、なんとかなるだろうと楽観的に考えていた。


「奥様……そこまでして旦那様のことが……」


 カルラのつぶやきは、途中から聞こえなくなった。


「とにかく、私にできることは何でも言ってください。私だけじゃなくて、奥様を支えたいメイドは他にもいますから」

「あら。あなた以外にも知られているの?」

「奥様と旦那様の冷めた関係が心配なんです!」


 リディアとクラウスが結婚するにあたり、新しくメイドを何人か雇ったと聞いている。もし離婚になれば、彼女達は職を失ってしまう。生活に影響が出るのだから、心配するのも無理はないとリディアは思った。


 お金の大切さはリディアも身に染みて知っている。カルラの不安を解消するのは、女主人であるリディアの役目だ。


「大丈夫よ。もし離縁することになっても、あなた達が解雇されないようにお願いしてみるわね。この領を離れてもいいなら、新しい職の紹介もできると思うわ」

「そんな状況になっても、私たちのことを考えてくれるなんて……お二人が仲良くなれるよう、全力で頑張ります!」

「ええ。無理のない範囲でお願いね?」


 なんとなくリディアとカルラの会話が噛み合っていないように感じた。だがクラウスとの仲を祝福してくれる気持ちに変わりない。特に問題ないだろう。リディアは深く考えるのをやめた。


 銀鉱山を含む資産がリディアのものになった翌日、クラウスが領地内の視察に出かけることになった。


「俺の不在中、領地に関する嘆願や急ぎの面会要請が来ても、君は相手をしなくてもいい。そういった相手は、フリッツに任せている」

「クラウス様の不在中に、無理な案件を通そうとする人がいらっしゃるのね?」

「そうだな。それだけではないが、緊急性が高いものは俺に届くよう、手配はしている」

「もし私の知り合いが訪ねてきた時は、通してもよろしいかしら?」

「訪ねてくる予定があるのか? いや、馬鹿にしているわけではないのだが」


 リディアの知り合いといえば、令嬢ばかりだと思われているのだろう。移動するだけでも大変な場所に、令嬢が好んで来るような名物はない。


「クラウス様に害をなすような方々は、招待リストから外しておりますわ。ご安心を」


 今すぐ呼ぶわけではないと付け足し、数人の名前を挙ると、クラウスは信じたようだ。


「普段から文通をしている相手です」

「ゼクレス家といえば、狩猟大会で一緒になったことがあるな。確かにあの家ならここへ来たいと願っても不思議ではないが……君の交友範囲はどうなっているんだ?」

「夜会で少し、ご令嬢の話し相手をしただけですわ」


 本当にそれだけかと聞かれたが、他に理由がない。


「もし君の手に余るような話や、急な商談を持ちかけられたら、俺が帰ってくるまで保留にするように」

「分かりました」


 クラウスが屋敷を出て数日は、とても退屈だった。なんせ朝の日課だった、クラウスの稽古を見学できない。気力が湧かなくても無理はないと、リディアは自己分析してため息をついた。


 生活が変わったのは、リディアに面会したい商人が訪ねてきた日だった。


「私に?」


 クラウスの間違いではないかと聞き返すと、間違いではないと相手が言う。


「いかがいたしましょうか。紹介状を持っているので、商人であることは間違いありませんが……」


 紹介状を書いた貴族はシュタート伯爵、商人はブルーノ・アンデと名乗ったそうだ。王都に本店がある宝飾品の商会から出向してきたと言い、商人ギルドが発行した商会の営業許可証まで持っている。


 貴族のほうはともかく、商人には会ったことがない。だが商会の名前は知っていた。


「……そうね。会ってみようかしら」


 クラウスの不在を狙ったかのような訪問者には興味がある。きっとクラウスには秘密にしておきたい内容の取り引きだろう。


 応接室で待っていたのは、身なりの整った男だった。貴族の相手に慣れているのだろう。挨拶から笑顔まで、王都で店を構えている商人となんら遜色がない。


「シュタート伯爵夫人はお元気かしら。王都ではよく宝石の話をしていただいたわ」

「左様でございますか。実は辺境伯夫人を紹介してくださったのは、シュタート伯爵夫人なのです。商談の内容も宝石を含む貴金属のことで……」


 ブルーノの話は少し回りくどかったが、要約すると使わずに眠らせている貴金属を貸し出さないか、ということだった。


「借りる相手は平民の中でも富裕層に限られます。彼らは結婚式といった節目に、豪華な貴金属を身につけたいと思っておりますが、資金面で叶いません。そこで貴族の皆様に使用料をお支払いして、お借りしたいと思いまして」


 富裕層は貴族が作らせた豪華な貴金属を身につけられる。貴族は貸し出すだけで収入になる。双方に利点があると、特に強調してきた。


「王都では、すでに何名かのご令嬢やご婦人に協力していただいております。辺境伯夫人も、ご存知の方がいらっしゃるかもしれません」

「シュタート伯爵の紹介状を持っていたということは、彼も賛同しているということね? 夫人だけではなく」

「もちろんですとも。シュタート伯爵には貴金属だけでなく、私どもに資金提供もしていただいております」


 その他にも細々とした説明を聞いたリディアは、ふと窓の外を見た。日がだいぶ傾いている。


「もうこんな時間なのね。今夜はここに泊まってはいかが?」

「いえ、そんな……近くの町に宿をとっております」

「そう言わずに。ここは暇なのよ。あなたのことだから、他にも考えている商売があるのではなくて? 面白い話があるなら、出資してもいいわ」


 ブルーノの表情に迷いが現れて、すぐに消えた。


「……とても光栄なことですが、個人的な接待と疑われそうなことは、商会の方針で禁止されております。本当に、残念ですが……」

「店の方針で決まっているなら仕方ないわね。いつまで滞在する予定なの?」

「一週間ほどを予定しております。滞在中は銀細工の工房を中心に見学しようかと」

「そう。銀はこの領の特産品ですもの。品質は保証するわ」


 ブルーノはリディアに結論を急ぐことなく、二日後に面会する約束を取りつけて帰っていった。


「……よろしかったのですか?」


 黙って後方に控えていたシェーラが言った。


「ええ。いいのよ。これで。二日後が楽しみだわ」



***



 ――思った通り、世間知らずの小娘だったな。


 ブルーノはにやけそうになる顔に力を入れた。まだ領主の屋敷を出たばかりだ。誰が見ているのか分からないところで、感情を出すのは避けたい。


 領主がいない時を狙って正解だった。婚約破棄をやらかした男に嫁ぐぐらいだから、相当な箱入りだったのだろう。想像通り、のんびりとした女が待っていた。


 ブルーノがこれまで騙した貴族女性と同じだ。大切に守られたことで、悪意をもって騙そうとする平民の存在を知らない。彼女達は貴族間の駆け引きはできても、平民が自分の財を狙っているなんて、考えもしないのだろう。許可証を見ただけで、ブルーノを信じている。


 今回の商談は好感触だった。わざと貴族の名前を出し、仲間がいると匂わせて、安心だと思わせる。さらに結論を先送りにすることで、参加できないもどかしさを与えた。


 王都育ちの令嬢にとって、こんな辺境は退屈だろう。流行から切り離され、暇を持て余していた。結婚して一ヶ月もすれば、変わらない生活に嫌気がさしてくる頃だ。


 屋敷を訪れた客から変わった話題をねだるのが、その証拠だとブルーノは知っている。彼女達は、とにかく刺激が欲しいのだ。


 ――しかし、もったいなかったな。


 辺境伯夫人の見た目は、ブルーノの好みだった。若すぎず、年増でもない。柔らかい受け答えといい、惹きつけられる色気がある。彼女を妻にしている辺境伯が羨ましくなった。


 特に、小賢しくないところがいい。少し刺激的な話をしたら、簡単にこちらへ転がり落ちてきそうだ。本格的に辺境の生活に飽きたころが楽しみだった。


 ――あの女を辺境伯から横取りするのは、また別の機会だ。


 今は辺境伯夫人が持っている貴金属が先だった。この辺境は良質な銀の生産地だ。銀製品を手に入れることができれば、すぐに売り払って身を隠す予定だった。


 平民の富裕層へ貸し出す話は、ブルーノが効率よく貴金属を集める嘘だ。平民と違っていくつも財産を持っている貴族は、貴金属の一つや二つなら貸してやっても痛くないと思っている。そこに目をつけた。


 もちろん最初のうちは、本当に貴金属を貸し出して運用している。ブルーノが雇われていた店の名前を使って、真っ当な商売に見せかけて。そのうち別件でブルーノは解雇されてしまったが、預かった貴金属は全て持ち出せた。顧客には店から独立したと説明する時間もあったおかげで、まだ誰もブルーノの正体に気がついていない。


 貴族から騙し取った貴金属は、とっくに鋳潰して売った。宝石は辺境へ来たついでに、外国の行商人に売る予定だ。正式に売るよりも買い叩かれるかもしれないが、国内の宝石商と取引をするよりも足がつきにくい。


 ブルーノは町の宿に到着すると、軽く食事を済ませた。部屋がある二階へ上がり、扉の鍵を開ける。出発前に仕掛けた目印は、動かされた形跡がなかった。


「長かったなぁ……」


 小さな詐欺や横領から始めて、ようやく大金を手にした。金さえあれば、人間の一人ぐらい簡単に身を隠せる。貴族が騙されたことに気がついた頃には、ブルーノの姿は表の世界から消えているのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ