17東の辺境3
翌日、リディアは朝食後に使用人を紹介された。役職で服装も違うこともあり、一人一人の顔と名前を覚えるのは難しくない。名前を呼び間違えるような失態は避けられそうだ。
「君に専属でつくメイドについてだが、希望はあるか? 人数とか、年齢とか」
「それについてはシェーラに一任します。私よりも彼女のほうが人を見る目があるのよ」
シェーラが黙って頷くのを見たクラウスは、それで納得してくれたようだ。
「屋敷の中を案内しよう。おいで」
その呼び方は反則だわ――リディアは笑顔で本音を隠した。日を追うごとに、クラウスへの気持ちが大きくなっていく。クラウスから優しくおいでと言われたら、罠と分かっていてもついていく自信があった。
――好きな人の前だからこそ、みっともない姿は見せられないわ。
己の所作が原因で嫌われたくない。自分の幸せを追求すると決めた以上、離婚される要因は徹底して排除すべきだ。
食堂から始まった案内は、リディアが立入可能な場所に限定されていた。使用人の部屋などは、方向を説明されただけだ。リディアも個人の部屋に興味はないので、さして問題はない。ただ、クラウスの部屋も外から説明されただけなのは、少しだけ不満だった。
――いいわ。そのうち入れるように、仲良くなればいいだけよ。
最後に庭へ出たとき、敷地内に古い塔が建っているのが見えた。
「クラウス様。あの塔は何かしら?」
「あれは星を観測するために作ったものらしい。もう何代も前に辺境を統治していた領主の趣味だ」
「上のほうが崩れていますわ」
「一ヶ月ほど前だったか、雷が落ちて崩れたんだ。閉鎖していたから、怪我人がいなかったのは幸いだった。君も敷地内を散歩する時は、近づかないようにしてくれ。残ったところが崩れてくるかもしれない」
「分かりました。残念ね。崩れていなければ、あの上でクラウス様と天体観測ができたのに」
「……階段が狭くて、手すりもない。登るのが大変だぞ。わざわざ上に登らなくても、星なんてどこからでも見えるだろう」
「もしかして、私を誘っていらっしゃるの?」
「どこをどう聞いたら、その結論になるんだ」
遠回しに誘う奥ゆかしい表現かと期待をしてみたが、言葉通りの意味だったらしい。
クラウスはまだリディアとの間に壁がある。この壁が消えたとき、彼はどんな言葉をかけてくれるのだろうか。リディアはいつか訪れるかもしれない未来が楽しみだった。
もう一度、古い塔を眺めてみると、一羽の鳥が飛んでいくのが見えた。塔の崩れたところから中へ入っていく。クチバシに何かをくわえていたから、巣があるのかもしれない。
屋敷を一周して食堂へ戻ってきた。中では数人のメイドが集まっている。秘密の話をしているのか、声量は控えめだ。
「だから、昨日も聞こえたんだって」
「気のせいじゃないの?」
「それ、私も聞いたかもしれない。叫び声みたいな声よね?」
「風の音しか聞こえなかったけど……」
「何かあったのか?」
クラウスが話しかけると、メイド達は驚いて口をつぐんでしまった。
「問題があるなら、早いうちに報告するように。発覚が遅れるほど、対処に時間がかかる」
メイド達はお互いに顔を見合わせた。誰が言うのか、無言で話し合っているかのようだ。
やがて一人のメイドに視線が集まり、クラウスの前に押し出された。カルラと名乗っていた、若いメイドだ。頬を赤く染めて、クラウスから目をそらす。その仕草で、彼女がクラウスのことをどう思っているのか理解してしまった。
――分かるわ。直視できない気持ちは。あなたもクラウス様の魅力に抗えないのね。
さっそく仲間を見つけた。だが妻とメイドでは立場に明確な差がある。悔しいが、クラウスの魅力について語り合う仲にはなれないだろう。
カルラはうつむいたまま言った。
「幽霊が、出るんです」
「幽霊?」
「まあ。本当?」
リディアはまだ幽霊と呼ばれている存在に遭遇したことがない。精霊のように意思の疎通ができるのか、生前の記憶はどの程度まで持っているかなど、興味が尽きない。
期待をして続きを待っているリディアのことを、クラウスが疑うような目で見てきた。
「具体的に、いつ、どこで見た?」
「ええと……正確には姿を見てなくて、声だけなんですけど。最初に聞こえたのは、一ヶ月ぐらい前なんです。奥様が辺境へ来るって使用人達に知らされた夜に、廊下を歩いていたら聞こえました。低くて、うなるような……すごく苦しそうだったんです」
カルラによると、声らしきものは複数回聞こえたそうだ。
「それから、昨日の夜も……まるで童話の呪いみたいで気味が悪くて」
「童話? どんな内容なの?」
リディアはカルラに詰め寄った。地方に伝わる民話や寓話などの物語は、その地方の特色を知る手掛かりになる。カルラのように先祖代々、辺境で暮らしている家は、その手の話に事欠かないだろう。ぜひ詳しく知りたかった。
「えっ……その……」
リディアの反応が予想外だったのか、カルラが戸惑っている。
「お、奥様には面白くないかと……子供向けの話ですし……」
「子供向けと言うことは、この辺りで生まれ育った人はみんな知っているのね? 素敵だわ。ぜひ聞かせて」
さあ早くと催促したリディアを、クラウスが止めた。
「後にしてくれ。童話と似ているというだけで、幽霊だと騒ぐのも良くない。君達の会話を制限する気はないが、憶測で原因を特定しようとするな」
叱責されたと感じたメイド達の顔色が青白くなった。
彼女達がこの先、萎縮して仕事をするようになるのは好ましくない。幽霊がいるかどうかは別として、不安を解消してあげたくなった。
「クラウス様。幽霊を探してもいいかしら?」
「……何を考えている?」
「私、まだ幽霊を見たことがありませんの。魂だけで存在しているって、どんな感覚なのかしら?」
「君は幽霊を見つけたら、捕まえて質問攻めにしそうだな」
「気になりません? 私は気になるわ」
クラウスは無表情のまま腕組みをして考えていたようだ。やがて、ほどほどになとだけ言った。
「首を突っ込むのはいいが、危険なことはしないように」
「ありがとうございます」
許可が降りた。執務室へ行くクラウスをその場で見送り、リディアはさっそくカルラから童話を聞くことにした。
「まずは、あなたが知っている童話を教えて」
「い、今ですか?」
「ええ。あなたは幽霊の声に困っているのでしょう? 放置しても解決しそうにないのは、明らかよね。だって声は一ヶ月前から聞こえてくるんですもの」
「そうですけど……」
「だから解決するために、知っていることは全て教えてほしいのよ」
カルラは諦めたようにため息をついた。
「分かりました。今から話すのは、この周辺に住んでいる人なら、誰でも知っている話です」
童話は禁忌を犯した者が相応の罰を受けるという内容だった。
よそから嫁いできた女性が村の掟を守らず、悪霊に取り憑かれた。悪霊は村人によって封じられるが、女性を道連れにしてしまう。風が強い日は封じられた場所から、女性の声が聞こえてくるらしい。
「カルラ。あなたは幽霊は、その女性かもしれないと思ったのね?」
「え……いえ、分かりません。悪霊かも?」
「性別は分からないけれど、苦しそうだった?」
「そう、ですね。はい」
「あなたも?」
リディアは他のメイドにも聞いてみた。カルラの他にも、声らしきものを聞いたメイドがいたはずだ。
「私が聞いたのは、遠くで誰かが叫んでいるような声です。でも、気のせいかもしれません」
自信がなさそうに言ったのは、小柄なメイドだった。
「屋敷の中で誰かが叫んでいたら、私以外にも気がついたと思います」
「外から聞こえてきた声ではないのね?」
「たぶん、違います。廊下を響いてくる感じがしました」
「塔が崩れた日の天気は? 雷だけだったのかしら?」
「いえ。あの日は嵐でした」
「ありがとう。よく分かったわ」
これ以上は聞いても役に立つ情報は得られないだろう。リディアはメイド達を解放して、本来の仕事へ戻ってもらうことにした。
食堂に一人残されたリディアは、協力者の名前を呼んだ。
「シェーラ。いる?」
「こちらに」
閉め切った部屋にそよ風が吹いた。新調したばかりのメイド服を着たシェーラが現れる。
「庭へ行きましょう。あなたに確認してほしいことがあるの」
「かしこまりました」
目的地は一ヶ月前に崩れたという塔だ。
塔の周辺には瓦礫が落ちている。分厚い木製の扉は長い間放置されていたらしい。雨風にさらされて黒く変色し、下側には虫食いで欠けている箇所もある。鍵がついていたところは四角い穴になっていた。劣化して落ちてしまったのかもしれない。今は鎖と南京錠で閉鎖されていた。
塔の外壁には亀裂が見えた。草が生えているところもある。天体観測が趣味だったという領主が亡くなったあと、朽ちるに任せて放置されていたのだろう。
「シェーラ。さっき言ったものがあるか、見てきて」
「かしこまりました」
シェーラは扉に近づいて目を閉じた。長いスカートの裾がふわりと広がり、シェーラの姿が小さくなる。リディアの目の前で古い裁ち鋏に姿を変えたシェーラは、扉の隙間から塔の中へと入っていった。
待っている間に、リディアは塔の周辺を歩いてみた。落ちている瓦礫には、白い液体がかかった跡がある。その白い痕跡の中には、植物の種や小さな生き物の骨らしきものが混ざっていた。
しばらくして戻ってきたシェーラは、メイドの姿に戻った。
「お嬢様がおっしゃった通りのものが、最上階にありました」
シェーラが差し出してきたのは、鳥の尾羽だ。やはり上に巣があるらしい。
「次は屋敷の中ね」
「二人だけで探すのですか?」
「いいえ。彼らにも手伝ってもらいましょう」
リディアは塔の影からこちらを見ている精霊へ向かって微笑んだ。




