第8話:邂逅
2025/9/6 大幅推敲
秋の空気は、しんと澄んでいて、ほんのり冷たい。
ふっと鼻をくすぐる金木犀の香り。
畑に差し込む夕陽は、橙色からゆっくりと深い紅へと色を濃くしていく。
背後に立つ男──その姿を、繋は警戒と混乱が入り混じるまなざしで見つめる。
でかい男だった。筋肉質で、無骨で、やたらと存在感がある。肌は褐色に焼け、作業ジャケットは泥や砂埃でくすんでいる。
なのに、どうしてだろう。目の奥に光るものが妙に懐かしい気がした。
(・・・・・・誰だ、この人。絶対どこかで会ったことがある気がする・・・・・・でも、思い出せない)
もやもやして、脳の奥底がきしむように痛んだ。でも、どうしても記憶の引き出しは開かない。
地球で暮らしていた頃の記憶は、無理やり魔力回路をぶち込んだツケで、ほとんどがぼやけている。
目の前の男のことを一生懸命探ってみるけど、何も出てこない。
でも、なんとなく感じる。あの大柄な体格とは裏腹に、その顔を無造作な髪が少し隠してるけど、
ちらりと見える瞳は、どこまでも優しい。それが、余計に心に引っかかる。
(あっそうか!親友だった彼と雰囲気が似ているのか・・・いや、でも・・・・・・)
涙もろかった、彼。僕とは中学まで一緒だった。
でも、いくら成長したって、こんなゴリラ――いや、クマみたいには――絶対ならないはずだよね・・・多分。
(彼は・・・・・・冬吾くんは元気にしているのかな・・・・・・)
こんな世界になってしまった今、どうか、どこかで無事に生き延びててほしい。
願うことしかできないのが、やけに悔しい。
(もう一度会いたい。でも、それはたぶん、叶わない願いだ。だから、せめて元気で――)
ふと現実に戻る。目の前のでかい男は、じっと僕を見据えていた。
記憶を必死に探したけど、「成長した彼」を脳内でシミュレーションしても、この男にはならない。仕方ない。謝るしかないかと繋は決めた。
「・・・・・・ごめんなさい。多分、どこかで出会っているんでしょうけど、覚えてなくて・・・・・・」
本心から申し訳ないと思いつつ、できるだけ丁寧にそう告げた。
眉をほんの少し困ったみたいに下げて、それでいて相手を気遣うような、柔らかい笑みを浮かべる。
ささやかな安堵と、消えきれない寂しさ。繋の微笑は、そんな複雑なものになっていた。
そして──その大柄な男、白熊冬吾がぽつりと口を開いた。
「・・・・・・やっぱり・・・・・・お前は・・・・・・」
少し訛ったやわらかい広島弁。
ゆっくりと、でも万感の想いを込めて、ぽつぽつと語る。
「人の気持ちばっか考えて・・・・・・ほんと、変わらずにずっと優しいままなんじゃのう・・・・・・」
その言葉に、繋の目がかすかに見開かれた。
胸の奥、まだ形にならない引っかかりがある。けれど、懐かしくあたたかいものが、じんわりと溢れ出てくるのを感じた。
「へ・・・・・・?」
「・・・・・・ワシじゃ。冬吾──白熊冬吾。昔、お前が・・・・・・よう助けてくれとった、いじめられとったガキじゃ」
その名前を聞いた瞬間、繋の記憶の奥に沈んでいた何かが一気に浮かび上がった。
――小学生の頃。
教室の隅で一人、ぽつんと泣いていた転校生。
方言をからかわれて、誰にもなじめなかった彼を、僕はよく覚えている。
あの日は雨だった。彼は傘を盗られて、帰れなくて。それを見かねた僕は、当然のように傘を差し出していた。
そのまま彼のアパートまで一緒に帰って、途中の階段に並んで座って――
手を取ると、彼の手が冷たかったのは雨のせいでもあり、心のせいでもあった気がする。
その夕日に染まる世界と、ぽろぽろ泣いた彼の顔が、今でも忘れられない。
(そうだ、あれが、僕の初めての親友だった)
中学に上がる頃には、彼が 「わしと繋は・・・・・・親友って言うてええんかな?」 とおずおず言い出して、
「え!? いやいや、滅茶苦茶うれしいよ。でも、親友って僕も初めてだから」
「わしも、初めてじゃ!」
「・・・・・・じゃあ、お互い初めての親友だね!」
思わず照れて笑って、冬吾が涙目で「にへへ」って笑った顔――
その記憶が、雷に打たれたみたいに脳裏に蘇る。
そして、今、目の前のでかい男と重なった。
「・・・・・・冬吾・くん?・・・うそ・・・本当に・・・・・・?」
繋がそう呟いた瞬間、冬吾の目がまるでマンガみたいに見開かれ、全身をぶるっと震わせた。
「う、うぉぇ・・・・・・? なんで、ここに? っていうか、その姿――!」
言葉が上手く出てこない。
記憶の中の彼は、自分より背が低くて、頼りなくて、泣き虫だった。
だが、今目の前にいる彼は、体格も、声も、頼りない雰囲気は正反対で。
まるで別人のようで。
(でも――この目だ。この目だけは・・・・・・)
僕はもう一度じっくりと、彼を見つめた。その眼差しは間違いなく、あの日の冬吾と同じだった。
そのとき――
「繋、抱き締めてええか!」
問答無用でそう言われて、なぜか反射的に「う、うんっ」と返してしまった。
「うぉおおおおっ!」
ガバッ、とばかりに、白熊が僕を思いっきり抱きしめる。
でかい身体ごと持ち上げられ、ぐるぐる回される。
涙声で何度も自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
「やっぱり繋じゃった・・・・・・! 生きとった! 生きとったんじゃあ!
よかった・・・・・・ほんまによかった・・・・・・!」
強く、強く、何度も確かめるように繋の身体を抱きしめる。
「ちょっ!!きつッ!!苦しいって!」
背中を遠慮がちにペシペシと叩くも、白熊冬吾は微動だにせず、繋は諦めて抱き締められていた。
突然の事に繋の頭はまだ混乱していたが、そのあたたかくて、震える腕の中で、現実の感覚がようやく少しずつ追いついてくる。
夕焼けの中で、長く伸びる二人の影。
繋はちょっとだけ戸惑いながらも、そっと冬吾の背中に手を回した。
ぎゅっと強く抱きしめられながら、 「・・・・・・なんか、こんなにでっかく立派になったね。って、友達に言うセリフじゃないか」 なんて照れ隠しみたいに呟いた。
すると冬吾はようやく僕を降ろして、顔や腕や髪まで念入りに確認し始める。
「ん? な、なに?」
「・・・・・・繋、おまえ・・・・・・なんで、若いままなんじゃ・・・・・・それに、その傷はなんじゃ、ひび割れたようになっとるが・・・・・・」
「あ・・・・・・」
(しまった)
つい、元の体のことも魔力回路の傷も忘れてた。同い年の友達に、まさか今さら会うなんて思わなかったし――咄嗟の言い訳も出てこない。
(ヤバい・・・・・・でも、どう言えば・・・・・・友達だし、何か説明すべき・・・・・・?)
言葉に詰まっていると、唐突に――
チカ、チカ、と、手に持っていた魔法石が光り始めた。
白熊がすかさず自分の肩をがっしり掴む。
「ん・・・・・・なんじゃ今の光は?」
「あっ、いや、これは・・・・・・まあ・・・・・・その、ちょっとした・・・・・・」
とっさに隠そうとしたけど、手で覆ったって誤魔化しきれるものじゃない。
それに冬吾も、そんなに甘くなかった。
「・・・・・・繋。お前・・・・・・ワシに、何も話せんくらい、遠いとこに行ってしもうたんか・・・・・・?」
責めているわけじゃない。ただただ、哀しそうな声だった。
その言葉に、胸の中が今までで一番きゅっと締めつけられた。
(違う、違うんだ・・・・・・)
でも、どう言葉にしていいかわからない。
でもどう言えばいい。異世界のことも、魔法のことも。この世界じゃ現実離れしすぎてる。
繋はうつむいたまま、小さく首を振る。
「・・・・・・ちがう・・・・・・違うんだ・・・・・・でも、ごめん、冬吾くん・・・・・・」
それだけが、口から出てきた。
──その瞬間だった。
冬吾の胸に、ずしりと熱い感情が灯った。
それは嫉妬だった。
言葉にならないそれは、”遠くに置いていかれた”ような寂しさの中から、ゆっくりと滲み出たもの。
冬吾は、腹の奥から湧き上がるその嫉妬に「今は違う!!」と叫ぶように否定し、首をぶんぶんと横に振った。
「・・・・・・いや、ちゃう!! ・・・・・・すまん!!」
唐突な謝罪に、僕はきょとんとする。
「・・・・・・すまん、繋・・・・・・。お前にも言えんことくらいある。それ、わし、忘れとった。 その身体のことも、その石のことも・・・・・・うん、ウィルス関連だって、今は思っとくわ」
「だから、お前が話してもええ、って思えるときまで、待つ。待っとるけえ!」
がっしりと肩を握って、冬吾は言い切る。
その言葉に、逆に胸が詰まった。
この好意に甘えていいのか、いや、それは親友に対して誠実じゃないんじゃ――
あれこれ考えて、顔はまた下を向く。
◇
冬吾は俯く繋の姿を見下ろす。
(いつも通りじゃのう、お前は)
冬吾は、胸の内でほろ苦い笑みを浮かべていた。
(やっぱり、お前は人のことばっか気にして・・・・・・)
実は冬吾は、だいたい察していた。
(・・・・・・それに、繋のことも、ある程度知っとる)
何故なら――白熊冬吾は、広島の拠点リーダーだったからだ。
京都難民キャンプ「北の拠点」。そこに紛れ込ませた部下――スパイからの定期報告。
「シグルと似た能力を持つ新顔が現れた」 「空を飛び、ゾンビをなぎ倒し、誰より優しい青年だった」 「自分を庇ってくれた、ピンチの時に助けてくれた」
その報告を聞いた時、冬吾の脳裏にはあの親友、繋の背中が蘇った。
(異世界から来たシグルというエルフの女性、彼女が扱う精霊術・・・・・・お前にまた会えるかもしれないって、どれだけ願ったか)
本当に奇跡だと思った。どうか生きていてほしいと何度も、祈った。
繋は、冬吾にとって家族同然の存在なのだ。
いじめられっ子だった自分のことを、いつも励ましてくれて、そばに居てくれた初めての親友。兄弟みたいなもので、大きな支えだった。
・・・・・・そんな繋が、事故で亡くなったと聞かされたときの絶望を今も覚えている。
世界から色彩が無くなった気がした。
心臓の半分が無くなった気がした。
泣きに泣いて、母と共に悲しんだ事を思い出す。
立ち直るまで時間を要した。一時引きこもりにもなった。
そして後から知った。
繋の両親は、繋に対してネグレクト気味だったという事。
必要なものだけは渡して放置。不倫で崩壊した家庭。それを世間体で覆い隠していた渡家の真実。
今思えば、遊びに行ったときの、あの空っぽな家の異様な空気も全部納得いく。
(お前は、見ないようにして生きてきたんじゃな)
だから、今度会えたら――今度は自分が助ける番だと決めていた。
ゾンビに噛まれた事故で能力に目覚め、大人になり、繋に助けられたように広島の人々を守ってきた。
そして今、こうして再会できた。
・・・・・・ただ、彼の隣には、すでに新しい仲間たちがいた。その中には、まるで相棒みたいに寄り添う男も。
本当なら――あの席には、自分が座っていたかった。悔しくて、どうしようもなかった。
(でも、それより――またお前に会えた方が、何千倍もうれしい)
振り返ると、不安そうな顔の繋。白熊は、もう一度強く引き寄せて肩を抱いた。
あたたかくて、懐かしいぬくもり。確かに生きて、ここにいる。どんな細かいことも、今はどうでもいい。
「今は、些細なことはどうでもええ。そんなのより・・・・・・ワシは、こうして会えたことが、ほんまに、うれしいんじゃ」
自分に言い聞かせるように呟くと、湿った響きが宿る。
「生きててくれて・・・・・・本当に・・・・・・ありがとう」
子どもの頃みたいに、白熊冬吾の目の端がしっとりと濡れていた。
その声に、繋も自然と目を閉じる。
「僕も・・・・・・本当に、生きて会えてうれしいよ、冬吾」
ゆっくりと、冬吾の背中を強く抱き寄せた。
――事故で失った家族のような親友。
二人のすすり泣きが、秋の夕方の野辺に、静かに響いていた。
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