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第7話:人誑

2025/10/14 大幅加筆修正

「という訳で、あたしは元魔王であり、この拠点の本当の責任者なのよね~」


「な、なるほど」


ヒカルと菊香に真実を打ち明けた翌日。相変わらず奈良の拠点の為に走り回る繋をとっ捕まえて、防壁の上に作られた、警備隊が見張りなどで通行するための回廊をユミルと繋が並んで歩いていた。


歩きながら、ユミルは昨日の出来事を繋にすべて話す。

それに合わせて、繋もまた自分のことを静かに語った。


涼しく、澄んだ秋風が2人の間を通り抜ける。柔らかい陽射しを浴びながら繋は背の低い狭間胸壁はざまきょうへきから今は人影の消えた寂しい街並みを見渡す。


そこでポツリと繋は口にする。


「そっかあ・・・・・・君も魔王だったんだね・・・」


目を細め、遠くを見つめる繋の姿には、どこか哀愁が漂っていた。その横顔を見たユミルは、ヒカルが話してくれた二人の過去を思い出す。ちょっとだけ、繋の口から繋とヒカルの転生前との関係性を聞きたくなり、ほんの少しだけ、ためらいながらも口を開いた。


「そっちの世界での彼を・・・・・・殺したこと、後悔してる?」


その言葉に、繋は目を大きく見開いた後、眉尻を下げて泣きそうな顔でくしゃりと崩れた。その表情にユミルは息を呑む。


常に穏やかだった彼が、こんな顔をするとは思わずユミルはやっぱり聞くべきではなかったかもしれないと今更後悔した。


「うん・・・・・・ずっと」

「ずっと・・・今も後悔してるよ・・・・・・」


繋は静かに語り出す。救えなかった人は別に彼以外にも居た。その人達への後悔も勿論ある。そんな中で魔王だった彼だけは繋にとって、特別だった。


「そんなに?」


「うん、そんなにも」


繋は過去を振り返る。

たった半年ほどの、短くも濃密だった旅路を。


繋から見たバロルは、とても強情な男だった。勿論環境がそうさせたのだとは思っているが、誰にも頼らず、孤独に理不尽な世界と戦っていた。初めて手を伸ばしたときでさえ、疑念に満ちた目でこちらを睨みつけ、その手を弾き返した。


(初めて会ったばかりで、君のことを何も知らない癖に、善意で手を伸ばす僕のことを君は気持ち悪く感じただろうね)


でも、繋には打算などなかった。善意の押しつけではなく、ただ守りたいと思った。心の底から本気で繋はバロルを守りたいと思っていた。


───なぜかって?


僕たちは似ていたから。


君の目に映る寂しさが、僕と似ていたから。

一人で孤独に耐えるその姿が、自分と重なって見えてしまったから。


人からの愛情を知らないで生きてきた時の自分の幼少時と重なって見えてしまったから。


だからだ。

だから、僕は決めたんだ。


同情するな?って。関係ない。僕は君が平和に暮らせる世界に変えるためなら幾らでも頑張れると思ってた。

持ち得る限りの僕の全てを使って、僕が代わりに魔王になっても良いと思えるぐらい、君を守りたいと思ったんだよ。


だって、君はもう一人の僕なのだから。


(・・・・・・なんて、僕が勝手に思ってるだけだけどね)


けれど、君は最後に殺される未来を選んだ。何も言わずにいつの間にか離れて、自分の中で完結して。何かを覚悟した瞳で僕たちと戦った。


君は僕と同じで強情だと思うんだ。


譲れないものがあったのだと思う。それは分かる。分かるからこそ、なおさら君を助けたかったんだ。


秋風がそっと吹き抜ける。

過去の残響が風に溶け、繋は静かに瞳を閉じる。


今は亡き、弟のように思っていた存在を思いながら。


「・・・・・・大事にしてたんだね、彼を」


ユミルが風でなびく髪を押さえながら言う。


「うん、大事さ・・・・・・。今でも思い出すくらいに。そして、一緒にいた時間の長さなんて、関係ないくらいにね」


ヒョードル、スヴィグル、スノトラ、ベオウルフ、ヒカル、菊香達。彼らに抱く思いと同じくらいに。



彼の口調は穏やかだったが、繋の表情は真逆だった。涙を堪えるかのような、切ない表情にユミルは何も言えないままだった。ユミルの視線が下がる。繋の言葉の意味が、痛いほど分かったからだ。


自分のために泣いてくれた菊香の涙を思い出す。


――誰かが自分のために泣く。

自分の為に泣いてくれる涙が、それがこんなにも温かく、綺麗なものだと、ユミルはその時初めて知った。だから、繋のいう通り時間なんて関係ないのだと思うのだ。


少し湿った空気を払うように、繋が微笑んで言う。


「それにしても君たち魔王は、自分を隠すのが上手い人ばかりだよね」


「え?」


唐突な言葉にユミルは振り向く。


「初めて出会った時、時々すごく寂しそうに笑うから。最初からそれが気になってて・・・・・・。魔王って話を聞いて、なんか納得しちゃった」


「・・・・・・は、はあーーーーーー!!?」


ユミルの叫びが防壁の上で響き渡る。

まさか、自分の内面を見抜かれているとは思わなかったからだ


「あはは、君たちは世界の敵になったのか、それともならざるを得なかったのか、・・・・・・それは、分からないけど。君やあの子を思い出すと、魔王ってなんだろうねって思うよ」


フリッグが言っていた。

魔王とは、世界のステージを次へ進めるためのバグのような存在かもしれないと。


繋はそれを聞いて、一種の人柱なのかもしれないと悲しんで思うのは自分の甘さなのかもしれない。でも、ヒョードルから教えられた話や、自分が調べた限りでは極悪非道な魔王もいた。


スヴィグルの血にも魔王の系譜が流れているが、彼に残虐性はないし、辿ってみれば世界を統一する為に多くの血を流させてしまった魔王だと知った事もあった。


結局のところ、その人の心次第なのだろう。

そしてその思いは、後世に正しく伝わるとは限らない。


「案外、君たちは純粋なのかもね」


そう言って、繋ははにかんで見せる。


ユミルはその笑みに、思わず顔を片手で覆って空を見上げた。


「こんの、人たらしめ!」


恨みがましく言われて、繋は「え、ひどッ!」と驚く。


ユミル的には、繋の過去話を聞いていたはずなのに、いつの間にか自分への共感と励ましの言葉をかけられている。しかもそれがシラフで、計算ではないのが逆に恐ろしい。

覆っていた手をどけると、そこには澄んだ青空が広がっていて、ユミルはため息まじりに話し出した。


「・・・・・・でも、そうかも。あたしの場合は魔族の未来を担う王として持ち上げられたけど、それでもマジのマジで頑張ってきたつもりだったんだけどねぇ・・・・・・」


そう。繋の言う通りかもしれない。

どの誰よりも生まれ持った魔力が優れていた事で持ち上げられ、誰かの頑張りを知らずに踏みにじっていたのかもしれない。そして、皆の思いに応えるために頑張れば頑張るほど、自分より前に努力していた者から、疎ましく思われていたのかもしれない。


(純粋ねえ~・・・・・・たしかに純粋に頑張ってきただけなのにね)


誰かの願いや思いに応えるために、ただ純粋に頑張ってきただけなのに。

同時に、菊香が自分を思って泣いてくれたとき、心が救われるように温かくなったのも事実で、そんな自分を、少し恥ずかしく感じた。


この世界で人助けをしていたのも、王であった時の名残で無辜の民である人達を見捨てる事が出来なかっただけだ。それがたとえ、違う世界の人間であっても。


(だから、時雨たち自衛隊員と出会った時に、どうか責任者になってくれと言われて断れなかったんだよねぇ)


つくづく、自分という人間は甘いのだと、そしてけいのいう通り純粋なのかもしれないとユミルは苦笑いする。


そう一人で納得していると、繋からお褒めの追撃が飛んできた。


「でもね、純粋だからこそ、誰かの為に動くときに、より力を発揮できるんだと思うよ」


繋は、しみじみと感心したように言った。

それだけじゃない。


「ユミルちゃんは裏切られた過去があったけど、それは君の強さに嫉妬していたんだと思う。力もそうだけど・・・・・・その心の在り方に、ね」


だから、君は悪くないんだ。と繋は真っ直ぐ伝える。


そこには、侮りも揶揄いもない。ただ、真摯で、まっすぐな言葉だった。


ユミルの顔がどんどん赤くなる。


「うぅ~~キミは、なんでホイホイと人を褒める言葉が出るのかなあ!!」


「それに、なんでそんな事分かんのよ! あたしの主観かもしれないじゃん!」


そう言うと、繋は顎に手を当ててしばし考え込み、やがて、柔らかく笑って答えた。


「今の拠点を見れば分かるよ。時雨さんや他の隊長たちは君を本気で慕って、下についてる。つまり、環境が悪かっただけなんだ。特に時雨さんは、人を見る目が厳しいタイプだと思うんだよね。そんな彼女が君を責任者にして、支えているってことは——君は彼女たちに値する素晴らしい人間なんだってことだと思うよ」


立て続けに、繋は褒める。その間にもユミルの顔はどんどん紅潮していく。照れと喜びが入り混じり、感情が渦巻く。


そして繋は最後に止めを刺す。


「勿論、僕たちもそう思ってるからね」


これは、ヤバイ。とユミルは思ってしまった。


マジで、本物まじの、人たらしだと。ユミルの今までの人生で一度も出会ったことのないタイプに、思考が追いつかない。


(てか、ヒカルっち、あんたも転生前に、こうやって絆されたってわけね!)


けいの優しさは、春の光みたいだ。

長いこと閉ざしてきた心の扉の隙間に、そっと柔らかな陽が射し込んでいく。


「くそう・・・・・・マジで、ずるいじゃんか~、そういうの」


思わず本音が、ぽつりとこぼれた。


「へ?」


「なんでもない!」


ユミルは肩をすくめ、少し照れたようにうつむく。言葉にできない思いが、胸の奥で静かに広がっていった。


「あ、あと菊香ちゃんの事、友達として宜しくお願いします」


「キミは親かっつーの!!?」


「ぷっ」と顔を見合わせて、お互いに声を出して笑い合う。


でも、ユミルは知っている。

この笑顔の裏に色んなものを隠しているのは、繋もだと知っている。


過剰な程に自分を追い込むその姿に、ユミルは疑問に思い、昨日ヒカルに聞いたのだ。

そしたら、ユミルの想像通りだった。


渡繋わたりけいは、無意識に自罰行為を自分に課している。

その原因が、ヒカルの転生前を殺したこと。

先ほど聞いたように唯の一般人だった彼が魔王討伐の旅に出て色んな事を経験した事による心的ストレス。


でも、それだけじゃないとユミルは感じている。


もっと、深く。根深い所に彼の自罰行為の原因があると感じ取っていた。


『あいつはもう、十分すぎるほど色んな傷を抱えてる』


(そうね、ヒカルっち。キッちゃん。君たちが彼を大切にしたい気持ち、よく分かったよ)


彼女は願う。


今生初めて。


神などクソくらえと思っていた自分が、目の前で優しく笑う彼に対して、神に祈ってしまう。


(人に優しい神様なんて居ないと思ってるけど、繋ちゃんには幸せでいてほしい)


そう願わずには、祈らずにはいられなかった。





その後、繋とユミルは繋の日課である農園作りに共に場所を移動していた。


繋が作る農園には、難民の人達だけではなく、時雨たち自衛隊員の人間やその他の人達が集まってくる。それは、まるで一種のコミュニケーションの場と化していた。


ヒカルと菊香も畑仕事に参加し、みんなで軽口を言い合いながら苗を植えたり、畑を耕していた。太陽が少しずつ傾いていく中、彼らの笑い声は夕暮れの空にすっと溶け込んでいった。


夕方になり、ヒカルと菊香が互いに軽口を叩きながら道具を片付ける。

けいは、その様子を優しく目を細めて見守っていたが、ふと顔を上げて呟いた。


「そうだ。拠点に対して結界を張ろうと思ってるから、また後で会おうね」


その言葉に、仲間たちは決まって心配そうな顔を浮かべる。


「はあ・・・・・・頼むから限界まで頑張るなよ」


けいさん、ぜっったい無理しちゃダメだからね」


「まじソレな〜!責任者としては、とっても有難いんだけど、キっちゃんも言ってるとおり、ガチで無理とかまじナシだからねっ!」


彼らの心配に、繋は照れくさそうに笑って応じた。


「あはは、今度こそちゃんと約束するよ。ヒカルさん、菊香ちゃん、ユミルちゃんもありがとうね」


今日の作業がひと段落し、皆はそれぞれの持ち場に戻っていった。日が沈むとともに、畑はまた静けさを取り戻したが、心の中には温かな余韻が残っていた。


けいは三人に心配されながらも、微笑んで見送った。その背中には、彼らの言葉がじんわりとしみ込んでいるようだった。


人気が少なくなった畑の一角で、けいは腰を下ろし、小ぶりな石を手に取った。久しぶりに魔法でゾンビ避けの結界を張る準備をするために、彼は杖を石に軽く当て、魔法文字を刻み込む。その作業は彼にとって静かな瞑想のようで、ザリザリという音が心に安らぎをもたらした。


その時だった。

けいの背後に、大きな影がふいに、ぬっと差した。


(ん? ヒカルさんかな? 忘れ物でも・・・・・・)


自然とそう思って、彼は肩越しに声をかけた。


「なになに? どうしたの? 何か──」


振り返って、そこで言葉が途切れる。その視線の先には、ヒカルではなく、見覚えのない男が立っていた。だが、どこか懐かしい響きのある広島訛りの言葉が落ちてくる。


「やっぱり・・・・・・繋じゃの・・・・・・」


見上げた男は何故か自分より驚いた顔をしていて、繋は呆然とする。なぜなら、彼の表情はまるで死んだ人間に出会ったかのようだからだ。


男は「あ~、その、すまん・・」と口にする。何がすまんなのかは分からず、繋はキョトンと首を傾げるだけだった。


「そのな、・・・・・・儂のこと覚えとるか?」


どこか期待を込められたその一言に、繋は困惑を隠せずにいた。


「えっと・・・・・・どなたですか?」


無情にも瞬きを返すだけだった。


「え?」

「ん?」


奇妙な重なりで、同時に漏れた声。

その瞬間、二人の間の気温が、ひたりとひとつ、下がった気がした。




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