小話:ある魔王の最期
2025/10/14 大幅加筆修正
バロルは思い出す。
苦い記憶の数々。その中でも、最も嫌で、まるでゴミのような思い出を。
親も知らず、帰る場所もなく、ずっと彷徨い続けてきた自分。普通の、なんてことない田舎村で出会った、小さな少年と、その村人たち。
まだ何者でもなかった自分を、無条件に「兄」と呼んで、無邪気に笑ってくれたあの声を思い浮かべるたび、バロルの顔は苦虫を嚙み潰したように歪む。
あの頃は、自分を慕ってくれている少年を守るのが当たり前だと信じていた。そう疑いもしなかった。
だが――
自分が魔王だと明かされた瞬間、村の住人は一斉に敵意を向けてきた。
あんなにも身近だった“弟”も同じだった。驚きで見開かれていたその瞳は、すぐに恐怖に塗りつぶされ、か細い声は震え、足は後ずさり、最後には何も言わず背を向けて逃げてしまった。
ともに遊び、食事をし、家族のように寄り添い過ごした日々。
それら全てを、一瞬で忘れてしまったかのように、ただ怯えた顔でバロルを見た。その瞬間、バロルの心に深い亀裂が入った。
逃げた少年だけではない。
長い時間をかけて育んだはずの信頼は、「魔王」と名が付くだけで、あっさりと壊れた。
誰も、本当の自分なんて見てはいなかった。
全ては、その程度のものなのだと。
悲しみはいつの間にか、冷たく硬い憎しみに変わっていった。
それは世界への恨みだけじゃない。本当の自分を認めてもらえなかった、信じてもらえなかったことへの、どうしようもない怒りだった。
それからバロルは、誰も信じないと誓った。
だからこそ。
今度は兄みたいに振る舞い、自分の前に現れた繋が、鬱陶しくて仕方がなかった。
いくら拒絶しても、繋は絶対に離れなかった。何かにつけて気にかけ、手を伸ばしてくる。
村の人たちと同じく、自分が魔王だと知らないからなのか、当たり前のように普通に接してくる。
どうせ魔王だとバレれば、あっけなく恐れて逃げ出すのに、と心の底で呪詛のように吐き捨てていた。
なのに――
他の村人が投げつけた石も、勇者たちの魔法も、お前は全部、俺の盾になって防いだ。
傷だらけになりながらも、当たり前のように手を引いて「逃げるよ」と言ってくれた。
(・・・・・・馬鹿だ、お前は)
その在り方がどうしようもなく気持ち悪くて、何度も咎め、口うるさく否定したが、繋は曖昧に微笑むだけだった。
その時、固く決めたはずの心に、小さなひび割れが走り始めた。
一緒に旅をして、どの村に行っても同じような目に遭う。そのたびに何度も、それでも変わらず俺を守るお前。
俺よりも弱いのに――
俺の方が、ずっと強いはずなのに。
小さなひびは、じわじわと広がっていく。
それが、怖くて、だから俺は、お前を突き放すしかなかった。
◇
焦げた匂いが辺りに立ち込める。世界は、赤い血のように真っ赤に染まっていた。
勇者たちとの激闘の果て、荒れ果てた大地の中心に立つ――
それは、完全に魔王として目覚めたバロルだった。
戦いの最中だというのに、彼は冷静に、今までの短い人生を振り返る。
この姿は、望んだものではなかった。
だけど、世界は自分を恐れ、拒み、憎んだ。
その拒絶に抗いきれず、バロルは「そういう存在」であり続けるしかなかったのだ、と、皮肉めいた笑いが心の奥で渦巻く。
でも――少しだけ、
ほんの少しだけ、
悪くなかったと思える瞬間もあった。
それは、凍てつくような孤独だった自分に訪れた、たった一度きりの「春」だった。
その春を分けてくれた存在が、今、隆起した大地の向こうから自分の名を叫ぶ。
かすれて震えて、それでもしっかりと届いてくる声。
いつもの優しい声ではなく、深い悲しみに沈み、痛みに耐えてしぼりだされたそんな声だった。
「馬鹿野郎!! 僕だけ引けって?! そんな君を放っておいて、僕だけ逃げるなんてできないじゃないか!!」
その必死さが、バロルの胸の奥にずくりと突き刺さる。
やはり繋は、どれだけ拒み、突き放そうとしても、手を伸ばしてくれるのだと。
だが分かっていた。
この手を取ってしまったら、自分は自分でいられなくなる。憎しみ。それだけが、最後の自分自身だった。だから、その柱を手放したくなかった。
「すまねぇな・・・・・・ここで憎しみを捨てたら、俺はもう俺じゃなくなる」
それは半分本音であり、半分嘘でもあった。
だって、こうしなければ、あの優しい人間は自分のために、世界の敵になってしまう。
当たり前のように俺の手を取って、すべてと戦って、共に逃げてしまう――
それを知っているから、
バロルはなおさら、突き放すように困ったような笑顔を浮かべながら、右手を天へとかざす。
対人間用粛清魔法――
魔王だけが扱える、世界を滅ぼすための奥義。
掲げた右手から、バチリと赤黒い雷が走り、天を貫いて昇っていく。
まるで赤い龍が天を駆け、世界を覆い尽くすようだった。
繋は、さらに悲痛な表情でこちらを見据えていた。
(――そうだ、ここまで追い込めば、もうお前は俺を殺すしかない)
これは、発動者本人を殺すことでしか解除できない奥義。
バロルは、繋自身の手で自分を葬らせるため、無理やりその状況を作り出したのだった。
その時、繋の叫びが響く。
「グラジオラス!!」
彼の手に花びらのような魔力が集まり、剣が形成される。
――一瞬。
身体強化を施し、地面を踏み砕くように蹴り上げた繋は、一気にバロルの目の前まで詰め寄ってくる。
永遠にも思える一瞬の中で、二人の視線が重なった。
花びらから生まれたその剣が、バロルの胸を真っすぐ貫いた。
真紅の魔法剣が胸元を貫通する痛みに、バロルは眉一つ動かさなかった。だが、全身を揺さぶる衝撃が、意識の底まで響いた。
バロルは、やっと。やっと終わるのだと、静かに悟る。
赤黒い空を見上げて、バロルはそっと笑みを浮かべる。それは全てから解放された事による笑みだったのかもしれない。自分の意識が、全てが、少しずつ、遠ざかっていく。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・あぁ、残念だな)
血の気が引いていく体の中で、ふと気づいた。
死の淵で、ようやく本音に辿り着くとは。
でも、自分が本当に願っていた未来を、自分から捨ててしまったのだと。
(本当は、あいつと、一緒に・・・・・・この世界を生きたかった)
たとえどこへ行っても、繋となら生きていける気がしていた。どんな絶望にも立ち向かえると、心のどこかで願っていた。
でも、それは許されぬ願いだと思っている。
もし、その願いに寄りかかれば、繋には世界中の敵が向かってくる。
仲間たちまで、繋を倒さねばならなくなるかもしれない。
(ダメだ・・・・・・そんなこと許せるはずがない。だから俺は、お前から離れたんだろう。だから、最後はお前に殺されるしかなかったんじゃないか)
だが、せめて・・・・・・。
最後に繋の姿だけは、目に焼き付けておきたかった。
焼きつくような痛みを堪えて顔を向けると、そこには、さまざまな思いを嚙み締めて、押し殺すような繋がいた。その瞳には、溢れそうになる涙が宿っている。
バロルは目を逸らす。
その涙を拭う資格なんて、自分にはないのだから。
どれだけ拒み、どれだけ傷つけても、最後まで、手を伸ばし続けてくれる。
そして、俺のために、最後まで泣いてくれるお前に。
・・・・・・嬉しいと、思ってしまった。
閉じていく意識の中、崩れていく繋の表情を、霞む視界に映しながら、バロルは悟ってしまう。
・・・・・・なんて、馬鹿なことをしてしまったんだろう、と。
そして心の底で、願ってしまった「もう一度やり直したい」と。
繋の震える声が、遠くで、でも確かに聞こえる。
「ごめん・・・・・・ごめんね・・・・・・ごめんなさい、バロル・・・・・・」
何度も、繰り返される謝罪の言葉。
(違う。謝るな。悪いのは、俺だ)
その声を伝える間もなく、喉は血で塞がれていた。
もし願いが叶うなら。
お前と旅をした、あの鮮やかな日々も。
お前を拒んだ、あの瞬間も。
全部、もう一度やり直したい。
それがただの願望だと分かっていても、心は叫ぶしかなかった。
意識が闇に沈む、その本当に最後の瞬間。
繋の手が、自分に向かって伸びていたことだけは、はっきりと感じていた。
自分はその手を掴むことも、その身体を抱き締めてやることも、全て出来ないけど。
せめて。
そのぬくもりを、どうか最後まで離さないように、魂に刻む。
もしこの内容が良かったらブクマ・評価・リアクションしてくれますと飛び跳ねて喜んでるかも。




