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第3話:敵意

2025/10/8 大幅加筆修正済み

ユミルと救難民を乗せた一行は、ついに奈良の拠点へと辿り着いた。途中ユミルのおしゃべりが多く、菊香を除くおじさん2人はげっそりしたまま車を降りる。


一同は錆びついた鉄の門扉を潜り抜ける。学校の正面にぽつんと口を開けていたその門の先の光景に菊香が呆然とつぶやく。


「・・・・・・ここが、奈良の拠点」


彼女の目の前に広がっていたのは、シグルの拠点とは比べものにならないほど簡素だった。校庭には、自衛隊が持ち込んだ簡易テント群がぎっしりと張られ、まるで迷路のように連なっている。


更に周りを見渡せば、車の中ではよく見えなかった防壁がよく見えた。

その分厚いコンクリートの壁は、ゾンビの手が決して届かぬよう天まで積み上げられている。ぐるりと学校を囲むその姿は、まるで無骨な要塞そのものだった。その上を見れば、警備隊が緊張感を漂わせながら巡回中で、どうやらあそこには回廊があり、彼らが絶えず見回りを続けているらしい。


「まあ、こういう拠店が普通の姿なんだろうな」


隣でヒカルが肩をすくめる。


「あいつ・・・・・・シグルの精霊術やカリスマがあってこその巨大拠点だからな。普通はどこだってこういう無骨になるもんだ」


「確かに、そうだよね・・・・・・繋さんの魔法やシグルさんの精霊術で感覚が麻痺しちゃったかも」


そう言って菊香は「あはは」と乾いた笑い声をあげた。ヒカルもまったくだ。という表情で腕を組みつつ、ため息を漏らしながら、新たな懸念を浮かべた。


ヒカルは繋を横目に見る。その小さな背中は、黙々と軽トラの荷台から避難民たちを手伝って降ろしていた。いつもの穏やかな笑みで、不安げな子供にも優しく声をかけている。


その姿を見て、何処かの誰かが繋をお人好しだと評した事を思い出す。ヒカルも出会った始めの頃は人が良すぎると思っていたのだが、事実は少し違った。


一見お人好しではあるが、助けるべき人かどうかの線引きはしっかりしている。繋をよく知る者だからこそ分かる、それは単なるお人好しではなく、揺るぎない利他的な精神なのだ。


(他人の視線や心の動きに過敏だからこそ、人の不幸を見過ごせないのかもしれないな)


そして、その誰かを思うための行動は彼の力を嫌でも広めてしまう要因となってしまっている。


ヒカルはつい最近の事を思い出す。シグルの拠点で夏原やこがらしとタッグを組んで多くの人助けしている姿があちこちで目撃されていた事を。そんな中で「シグルに似た力を持つ、どの拠点にも所属しないフリーの凄腕の能力者が現れた」という噂が広がっていた。


ヒカルはその噂を耳にした時、恐れた。

“噂”の力がどれだけの厄介事を呼び寄せるかを彼は転生前に嫌と言うほど経験している。


(俺自身は何もしてないのにも関わらず、魔王として素質があると分かった途端に魔物や魔獣を操って各国を滅ぼしているとか勝手な事ばかり言いやがってたな・・・・・・)


その火種が、予想もしていなかった厄介事を呼び寄せるかもしれない。 幸いシグルには人の善悪を測る“魔眼”を持っている。それによって基本的にあの拠店に集められているのは善人寄りの人間ばかり。だが、どんなに善人でも、“噂”はしてしまう。だって、ただの噂話しなのだから。



そして、ヒカルは危惧する。


(もし、他の拠点のスパイが紛れ込んでいたなら・・・・・・いや、考えすぎてるな・・・)


転生後であっても、人を疑う事が魂レベルで刻まれてしまっているヒカルは常に「もしも」を考えてしまう。自分の身に降りかかる火の粉なら、いくらでも払えるのだが、それが大切な人間にかかってしまう前に、どうにかしたいとヒカルは思っている。


ヒカルは思い出す。

――かつて魔王として完全覚醒する前、異常な力ゆえ何度も裏切られた苦い過去を。


恐怖心で自分を遠ざける者、利用しようと近づく者。打ち解けたと思えば、周囲の嫉妬や中傷に流されて背を向ける者。人の醜さには、もう慣れきっていたはずだった。


そんな前世。真っ黒で、何もかも濁って見えていた世界に、途端「星」が降ってきた。


ヒカルは。バロルは。

あの時の出会いを一生忘れることが出来ないだろう。


目に見えない傷でぼろぼろな癖に、誰かを守ろうとする。自分に対して臆病なのに、他人の為になら躊躇なく手を伸ばす、普通の強さとは違った強さを持つ優しい人間を。


まぶしい太陽じゃない。けど、どこかで静かに人を導く星。あるいは、冷えた春の日に吹く、優しい春風みたいな存在。善も悪も、そんな存在に惹かれるのは道理だ。だからこそ、ヒカルは繋には無理をして欲しくない。自分を削って欲しくない。


そう、切に思うのだ。


(・・・・・・はあー・・・、俺もずいぶん過保護になったもんだ)


少し照れくさそうに頭を掻くと、明るい声が聞こえてきた。





「はいはーい、ここが、あた、おっと・・・奈良の拠点だよーっ!」


ユミルは何かを言おうとしたのを飲み込み、直ぐに言いなおした後、元気よくヒカル達に説明をした。ユミルがくるりと回ると、彼女の向日葵に輝く金髪が綺麗に波打つようになびく。


ユミルに案内されるがまま、繋た一行は拠点内の奥へと歩き進む。


繋は拠点内を観察する。奈良の拠点も、シグルの拠点と同じく廃校の学校を利用していた。しかし校舎はほとんど崩れており、外に設営された簡易テントと唯一残った体育館が拠点の中心になっていた。


「ねえ。ユミルさん、この人たちは・・・・・・どうすればいいのかな?」


繋が問う。彼の傍らには、家族連れの避難民が数組、そして小さな子の手を握る繋の姿があった。大きな掌で、そっと、優しく小さな手を包み込んでいる。


「大丈夫だよ。繋ちゃん。心配しなくてもこの体育館に救助班と受け入れ担当がいるから。案内するから一緒に行こう」


ユミルの言葉に、繋はほっとした表情で微笑む。


「よかったね。一先ずだけど、ここでなら家族全員安全に過ごせるからね」


しゃがみこみ、目線を合わせて子供に声をかける。繋は「ゆっくり休んでね」と柔らかい笑みを作りながら言葉をかけると、子供は不安そうな顔を少しほころばせた。


「息子を・・・・・・助けてくださって、本当に、ありがとうございました・・・・・・!」


両親が繋に頭を下げる。繋は慣れたように微笑みながら言った。


「いえいえ。仲間たちが頑張ってくれたおかげですから」


「お兄ちゃん、また会える?」


「うん。必ずまた会えるよ。そのときは、もっといっぱいお話できるといいな」


嬉しそうに小さくうなずいた男の子は家族に手を引かれて隊員と共に体育館へ向かっていった。男の子はちらりと繋の方を見ながら、片手を大きく振り、繋も手を振って見送る。


そんな繋の隣にヒカルが立って、揶揄うように「まるで兄貴みたいだな」と言って見せる。すると、その言葉に繋の目が大きく見開かれ固まった。


「な、ど、どうした?」


繋の様子に驚いてしまい、ヒカルは珍しくどもってしまう。繋は「あ、いや」と普段の表情へ戻し、少し沈黙したあと曖昧な笑顔を作りながら答えた。


「ごめん・・・・・・懐かしくなっちゃって」


その声色に悲しみを感じる。余りに憂いた音色に、ヒカルは何を思い出したのかと聞いてみた。


「もう会えない人を思い出して」


「・・・・・・それは、異世界の養父の事か?」


それとも異世界の仲間達の事なのか、もしくは常に隣にいた親友とやらなのか。しかし、二度と会えない訳では無いと繋から聞いた。一種のホームシックなのかもしれない。


しかし、繋はううんと緩く首をかしげ、ポツリの漏らした言葉に今度はヒカルが固まる番だった。


「僕が殺してしまった人」


そう呟いた後、繋はふっと口元に儚い微笑を浮かべた。

けれどその笑みは、どこか遠い記憶の霧に滲んでいるようで、目元には消えない影が差している。唇だけが静かに持ち上がっているのに、その奥の瞳は決して笑ってはおらず「大丈夫」と言う代わりの仮面のようにどこまでも優しく、それでいてどうしようもなく脆く見えた。


その顔を見た瞬間、ヒカルは息をのんだ。

普段の繋の余裕やおどけた空気はそこにはない。

ただ、取り戻せないものを胸に抱いて、大切にしているような顔。


(・・・・・・こんな顔、初めて見た)


体がひやりと冷たくなり、どこか胸を掻きむしられるような胸騒ぎが広がる。

ヒカルは無意識に拳を握りしめ、声にならない祈りのような想いだけが宙に浮いていた。


その瞬間。

雷鳴のごとくヒカルの脳裏に、前世の記憶。その一部がよみがえった。





確かその記憶は、――魔王として覚醒する前、まだ二十六歳だった自分と、三十歳の渡繋わたりけい

たった半年。二人きりの、けれど密度の濃い旅の時間だった。


歳はわずかに四つ違いなのに、繋がやたら「兄貴」ぶって、何くれと世話を焼いてきたことを思い出す。


「ほら、そっちの道だと大変だから、僕についてきなよ」

「君の笑った顔が見たいなー。そんな怖い顔ばかりしてたら、君の幸せが逃げちゃうよ?」


「甘えてもいいんだよ? 僕、年上なんだからさ」

「誰がお前みたいな、胡散臭い奴に甘えるかよ、バーカ!」


何度も突っぱねた。誰かなんて信用できるわけがなかった。

他人はすべて敵で、近づいてくる者ほど危険だった。

心を開いて裏切られる痛みを思えば、殻に閉じこもっていたほうがずっとよかった。


――それでも。

あの男は、いつまで経ってもオレの傍を離れようとはしなかった。


魔力が暴走して辺りを破壊した時も、繋は恐れるどころか、

「きちんと人を傷付けないように暴走場所を選んだの、偉いじゃないか」

と、本気で褒めてきた。


自分のことを恐れた人間に刃を向けられた時も、何も言わず一番に庇ってくれた。

誰にも会いたくなかった夜には、黙って温かい紅茶とクッキーだけを残していってくれた。


「なんで、そんなに他人のために動けんだよ、気持ち悪い!」

「可愛くないなぁ~」


自分よりも弱いくせに、いつもその身を挺して俺を守ろうとする。


全部、“ウザい”と思っていた。


けれど――それでも繋は、よく分からない曖昧な笑みだけを浮かべるだけで、何故か俺に寄り添おうとしてくれる。


自分より弱い相手に庇われること。

脆い相手に本気で想われること。

むずがゆくて、むかついて、でもそれ以上に口には出せないけど嬉しいと思っていた。


だから許せなかった。

バロルは、心から許せなかった。


自分のことはどうでもいい。どうせ憎まれるしかない人間だから。

でも、繋は違う。あいつは誰にでも優しかった。

ともに旅立った幾つもの町で、多くの人を助けてきた。

町の人たちも、バロルの正体が明かされるまでは優しく接してくれた。

だが、魔王と分かるやいなや、世界中が一斉に手のひらを返した。


刃を向けられるのはバロル自身だけでいい。

でも、その刃が繋にまで向けられたあの瞬間――


・・・・・・もう、だめだった。


「こんなにも、優しい人間を傷つけようとする世の中なんて、許せねえ」


世界など、滅んでしまえと。本気で、思ってしまった。


ほんの半年ほど、たったそれだけの短い旅だったのに。





過去の記憶は、走馬灯のようにヒカルの意識を駆け巡り、やがて静かに収束していった。


ふと現実に引き戻されたとき、ヒカルは暖かな感触に気づいた。

俯き加減で手元を見ると、無意識のうちに繋の手をしっかりと握っていた。

繋もまた、ぽかんとした顔でヒカルを見つめている。癖っけのある髪に、まだ何が起きているのか理解できていないような薄い戸惑いが浮かんでいた。


「・・・・・・すまん」


ヒカルはゆっくりとその手を離す。

指先が名残惜しそうにぬくもりを撫でて、そっと離れていく――

まるで、あの時、彼の手から自分が手を放してしまった記憶を重ねるみたいに。

けれど、今はもう違う。今世は、状況も立場も、生まれも違う。

あの時できなかったことを、この手で返せる。取り戻せるのだ。


「ううん、ごめんね。いきなり重い話をして」


繋はふわりと微笑んだ――さっきまでの曖昧な笑みではなく、きちんとヒカルを安心させるための優しい笑顔だった。

その笑顔を見て、ヒカルは思わずため息をつく。


「まったく・・・・・・ほんと、許せないよな」


小さな声が、無意識のうちに唇をこぼれる。


「え? なんか言った? ヒカルさん?」


「いや、なんでもねえよ」


(・・・・・・本当は、早く教えてやりたいのにな)


(俺がバロルだってこと。前世のあの男だってことを。絶望の底で泣いてたあの日のお前に、転生してまた会いに来たってことを)


(でも、今はまだ・・・・・・言いたくない。お前の心を無駄に揺らしたくないんだ)


何度も喉元まで出かかった言葉を、ヒカルはまた飲み込む。


(・・・・・・だから、今はまだ言わない)


(でも、いつか、話せるときが来たら――)


(その時はわざと“兄貴”って茶化して呼んでやるさ。あの頃みたいに、少しだけ馬鹿にしたような顔で・・・・・・もちろん、本気じゃないけど)


(その時は、お互いに笑い合えたらいいよな)


「──ちょっと!」


不意に、遠くから女性の鋭い声が響いた。

軍服姿の女性が、険しい顔で急ぎ足でこちらへやって来る。


「どこ行ってたんですか!? あなたがいないせいで各隊長達への命令伝達がめちゃくちゃ大変だったんですけど!」


「あ、時雨、やっほ〜。代わりの対応ありがとね~」


ユミルがごめんごめんと手を合わせながらも時雨と呼ばれる女性に謝罪をする。謝罪しているユミルに時雨は米神を押さえながら説教をしている。


そして、時雨は一行を確認するかのようにキッと鋭く睨んだ後、ユミルにだけ声を潜めてささやく。


「・・・・・・あなた、まさか――」


詰問しようとした瞬間、ユミルが慌てながら時雨が続けようとした言葉を制した。


「待ってまって! そこから先はストップでお願い────時雨」


その一言に、まるで魔法でもかけられたかのように女性は息を呑み、言葉を飲み込む。

少しの沈黙の後、ふうと疲れを滲ませて息を吐いた。


「・・・・・・そういうことですか。分かりました」


何が“そういうこと”なのかは分からない。

繋たち三人は顔を見合わせて、小さく首を傾げる。


「この拠点の管轄責任者、秋雨あきさめ 時雨しぐれと申します」


きりっと凜とした声で名乗り、時雨は澄んだ眼差しで言い放った。


「そして――あなたたちは、他拠点からの侵略者ですか?」


「え・・・・・・?」


繋たち一行は、思いもしない敵意に言葉を失い、その場に固まってしまった。




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