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第4話:入門

2025/8/28 大幅改稿+タイトル名変更

2025/11/26 校正


本日も一夜を共に過ごし朝を迎えた。


朝を迎えると霧雨が降っていたが、スヴィグルは少し晴れやかな気持ちだった。


(今日の朝は今まで比べたら、気持ちが軽いな)


互いの過去を全てではないが打ち明けた事。互いの傷を知った事。似たような共通点に絆されたのかもしれないし、負けたくないという気持ちが強くもなった。


(復讐以外の生き方が見つかったかもしれない)


勿論復讐心を消すことは無い。けど、今まで満たされなかった心が埋まるきっかけを見つけてしまった。


それが、自分より強くて、繊細で、優しく、意外と強かで、スヴィグルの人間関係と人生の中で初めて出会った、小さな星だった。


任務を終え、帰還途中の林道。二人は歩きながら、ところどころのぬかるみを避けて進んでいた。


「・・・・・・なあ、お前さ」


いつになく真面目な声色で、スヴィグルが切り出す。

けいは隣を歩きながら、「ん?どうしたの?」と視線だけを向けた。


「お前の戦い方。魔法も動きも・・・・・・あれってやっぱりヒョードル様から指導を受けたのか?」


けいは驚いたように少し眉を上げ、それから考えるように視線を右斜め上に動かした後、ゆっくりとスヴィグルに確認するように聞き返す。


「スヴィグルくん・・・・・・もしかして、ヒョードルから指導を受けたいの?」


(ん? なんか珍しい表情になったぞ)


スヴィグルはけいの瞳に明るさが灯っていないことに気づいた。そんな瞳をしながら、けいはぎこちなさそうに顔を向ける。


スヴィグルはけいの師匠であるヒョードルに稽古をつけてもらいたかった。詠唱なしで展開される魔法、補助と防御を中心にするも、前衛でも戦える柔軟な戦法、そして、ときおり見せる殺気を隠した静寂な戦意。


「お前の想像通りだ。お前に頼むのは違うかもしれねぇが、取り次いでくれねえか?」


けいに近づくにはこれしかないとスヴィグルは考えた。けいは「うーん」と悩んだ後、「分かった」と一言承諾した。


「いいのか!?」


「うん。ちょうど今日は帰省の予定だったから。もしよかったら、寄ってく?」


「え、おい、訓練場とかじゃなくて、お前の家かよ・・・・・・てか、それは・・・・・・俺が行っていい場所なのか? 仮にも元王族だろ?」


「いいの、いいの。どうせ僕とヒョードル以外に行けない場所だし」


スヴィグルはどんな辺境にあるのかと思っていたが、その理由は後でわかることになる。


「でもね、スヴィグルくん。約束してね」


「んだよ?」


「本当に無理だと思ったら言ってね」


「望むところだ」


スヴィグルは心配されるなら逆に燃えると思っていたが、けいは乾いた笑みで「本当、お願いだから無理はしないでね」と意味深な言葉を告げた。


スヴィグルは大袈裟だと思っていたが、その真の意味を後々知ることになる。


──そして数刻後。


訓練場に戻り、討伐報告を済ませた二人は昼ご飯を軽く食べ、けいの家へ向かった。


場所は危険区域と呼ばれる誰も近寄らない辺境。辺境地の魔獣は通常よりも強く、スヴィグルはやっとの思いで対処するが、森の中に入るとさらに狂暴化した魔獣が襲いかかってきた。


それでも、けいは狂暴化した魔獣をひとりで対処し、慣れた足取りで森の中を進んだ。スヴィグルはその様子に嫉妬を超えた感情、羨望を抱き、けいの強さを再認識した。


(くそ・・・・・・ッ! いつもの魔獣より数段強ぇし、足場も悪い。それなのにあいつは顔色ひとつ変えねえし、俺とアイツにはどんだけ差があるんだよ)


苦心しながらも後に続くと、けいは「着いたよ」と声を掛けた。


森の奥に赤いレンガで建てられている家が現れた。


屋根の端には太いエントツがどっしりと立ち、その家は大人数の家族でも過ごせるほどゆったりと広く、扉や窓のひとつひとつは大ぶりだった。


家のまわりには広々とした庭が広がっており、大小様々な鉢植えに多種多様な植物が植えられ並んでいる。庭を取り囲む紺色の柵と、入り口用の扉には護符がぶら下がっていた。


「でっけぇな」


思わずスヴィグルは感嘆した。庭には鍛錬場のような一角もあった。


「へへへ」とけいは笑ったあと家に向かって声を出す。


「ただいま〜! 帰ってきたよ、ヒョードル」


けいが指をパチンと鳴らすと、家からチリンと鈴の音が鳴った。何かの合図だろうとスヴィグルは思った。


数秒後──扉が軋む音を立てて開き、現れたのは長身の男だった。灰色の髪をオールバックにし、服の上からも見える鍛えられた筋肉。鋭くも優しい瞳に、日焼けした肌。尖った耳には金色のピアスが光っていた。


「おお!! ケイ、ただいまだ!! そして、久しぶりじゃな!!」


長身のエルフ。

ヒョードルは扉を開け、けいの姿を目にするやいなや駆け足でやってきて、けいの身体をガバリと抱きしめる。


「うぐぐぐ、く、苦しいってヒョードル」


けいと比べたら頭二つ分も身長差があるため、その体躯から繰り出されるハグにけいは苦しみながらジタバタと身体をよじる。


そしてそのまま、ヒョードルはちらりとけいの隣にいる男を見た。


「ほう・・・・・・もしやお主がスヴィグルか?」


「オレの事を知っているんですか?」


まさか自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったスヴィグルは驚く。


「ああ。ケイから話は聞いているよ」


低く朗らかな声で、男が笑う。


「初めまして。儂の名はヒョードル・ニコラウス。まあ、訓練生じゃから知っているかもしれんが改めてな。そしてこの家の主であり、この子の、ケイの養い親じゃ」


元王族なのに威圧感も無い丁寧な挨拶にしどろもどろになりながらも、スヴィグルも答える。


「俺の名前はスヴィグル・ハーキュリーです。ワタリと一緒に訓練任務をしている・・・・・・相方みないなもんんです」


緊張した様子で頭を下げたスヴィグルに、ヒョードルは豪快に笑った。


「かしこまらんでよい、よい! 儂は儂でしかないしな! まぁ、まずはお茶でも飲んでいかないか。此処まで来るのに疲れただろうしゆっくり休んでいきなさい」


その眼差しは、どこか父そのもので、スヴィグルは亡くなってしまった父を思い出し懐かしさに目が滲みかける。


ヒョードルはスヴィグルが黙ってしまった事と、一瞬顔を隠した事に気付き、何も言わず彼の背を優しく叩き、家の中へ案内した。


玄関をくぐると、そこには木の温もりが残る、質素で清潔な空間が広がっていた。

古めかしい調度品の数々はどれも丁寧に手入れされており、窓辺には乾燥させたハーブが吊るされている。


「こっちだよ」


けいが案内したのは、中央に円卓の置かれた居間だった。壁際には本棚と、魔導具の収納棚。暖炉には火が入っており、ほのかに甘い香りが漂っていた。


「どうぞどうぞ〜。スヴィグルくんは、そこにでも座ってて」


「お、おう」


「お茶とかすぐ用意するから」


スヴィグルが腰を下ろすと、けいは軽く手を動かしながら台所に向かう。


カチャカチャと食器が軽くぶつかる音が鳴り始める。


スヴィグルはけいの背をテーブルから眺める。


(・・・・・・なんというか懐かしいな)


この家の空気感も、2人が自分に接してくる距離も、全てが心地良かった。


(こんな心穏やかなのは久しぶりだ・・・・・・)


けいが3人分のティーカップを用意しているその姿につい見惚れてしまう。


すると木製のトレイを持ったけいが台所から此方へ歩いてくる。

その上には、数種の焼き菓子と、ティーカップが。


それらを、けいは丁寧にスヴィグルの前に出していく。

けいはティーポットを持ち、カップに濃い茶色の紅茶をとくとくと丁寧に注いだ。


「はい。お茶菓子と合わせてどうぞ。甘すぎないようにしてあるから、もし苦手でも大丈夫かも」


その一点の動作をスヴィグルはぼうっと見ながら、その光景に亡くなる前の母を思い出し懐かしくなる。


「ありがとな」


意識せず優しい声が出た事にスヴィグル自身気付いておらず、けいは少しだけ目を丸くするも、すぐに「ふふふ、どういたしまして」と嬉しそうに返した。


スヴィグルは出された焼き菓子の一つにマドレーヌを模した菓子を一つ口に入れる。

しっとりとした食感にバターの濃厚さと程よい甘さが口に広がる。それにスヴィグルは「うまい」と呟く。


「にしても、お前は料理が上手いんだな」


「へへへ。料理は唯一の趣味だからね」


スヴィグルは湯気の立つカップを見つめながら、ちらとけいの横顔を見る。何時もより浮足立っているのか、色々とスヴィグルにお菓子やらなんやらを持ってくる。


それを見てスヴィグルは「落ち着けって」と柔らかくたしなめた。


「あ、ごめんね。こういうの久しぶりだから嬉しくて」


素直すぎる言葉に、スヴィグルは少しだけ照れたように視線を逸らした。


──そこへ、先ほど一旦違う所に行っていたヒョードルがやってきた。


「ほうほう、良い香りじゃのう」


「おお、焼き菓子を作ってたのか。えらい、えらい」


「ちょっ・・・! 人前で頭を撫でないでよ・・・!って、うぅぅうう」


ヒョードルの大きく武骨な手が、わしゃわしゃとけいの頭を撫でる。

それが恥ずかしくてたまらないのか、けいは逃げようとするも先ほどのハグ同様逃がしてはくれず、大人しく虚無になっていた。


(ははは。コイツにも、こういう風に照れ隠しをする事もあんのか)


何時もは余り感情を見せないように、微笑んでいる事が多く本当のけいの姿が見えにくかったが、人前で撫でられるのを普通に恥ずかしがり、耐える様に顔を無表情にしたりするけいを見てスヴィグルは何処かホッとした気持ちになる。


「もう良いでしょ?・・・・・・まったく、もう・・・・・・」


ヒョードルは豪快に笑いながら椅子を引き、どかっと座った。

けいもその隣に腰を下ろす。残されたもう一席にけいが座り、円卓を囲む形となる。


けいは座りつつも浮遊魔法を使い、ヒョードル用のティーカップやら取り皿を出しつつ、彼のカップに紅茶を注いだ。


けいよ、ありがとうな」


「えへへ、どういたしまして」


ヒョードルが一口、紅茶をすすると、ヒョードルがふとスヴィグルを見やった。


「・・・・・・さてさて、お主は何を知りたくて、儂のもとに来たのかな?」


先ほどと雰囲気が変わる。

けいと同じように柔らかい声だが、スヴィグルを見る目は鋭く、胸の内側を探られるような雰囲気にスヴィグルは思わず姿勢を正した。


(やっぱり威圧感がすげえ)


スヴィグルは背に冷や汗をかくも、一度、茶を置き、しっかりとヒョードルの目を見据えた。


「お願いがあります。俺に、戦い方を教えてくれませんか」


「ふむ、何のために?」


「復讐と、そいつの隣に立てる様に」


「へ、僕?」


シリアスと気の抜けた雰囲気が入り混じるも、スヴィグルはヒョードルからの目を逸らさなかった。


「それなりに戦えると思ってた・・・・・・けど、こいつと出会って、いかに自分が弱いのか身をもって知ったんだ。俺はコイツの隣で誇れるような自分でありたい!」


スヴィグルの声に熱が入る。どうか、力を貸して欲しいと。


けいはスヴィグルの言葉に不思議そうな顔をしていたが、ヒョードルはその言葉を聞いて嬉しそうに笑う。


「ワハハハ! よかろう! その目その言葉受け入れよう」


その言葉は、まるで王の宣言のように重く、響いた。


「ただし、儂は容赦せんぞ。手加減もせん。師となるからには、殴ってでも教える主義でな」


隣から「え? 唯でさえ超スパルタだったのに、更に殴ってでも教える主義だったんだ」と少し震える声とヒョードルから距離を取ろうとするけいがいた。


「まてまて、冗談じゃ!! 冗談!!」


けいに距離を取られたヒョードルは慌ててけいの椅子を引き戻すと「こほん」と雰囲気を改める。


「しかし、儂の教え方は妥協が無いがそれでもやるか?」


「やる。それはソイツも通った道なんだろ?」


その言葉に一瞬だけヒョードルの表情が歪む。後悔と罪悪感が入り混じったような表情を一瞬だけしたのを見てスヴィグルは疑問に思う。


だが当事者である本人は「ヒョードルの訓練かあ・・・・・・懐かしいなあ・・・・・・飴と鞭が凄かったなあ・・・・・・ははッ」と光を伴わない瞳で笑う。


(こいつが、こんな顔をするぐらいという事は相当なんだろうけど)


「・・・・・・望むところだ」


スヴィグルが力強く応えた瞬間、ヒョードルの口元が、満足げに笑った。


「いい顔じゃ。まったく・・・・・・良い友を持ったものじゃな、けい


「えへへ。まだちゃんとした友達じゃないんだけどね」

「友達って誰の事だ?」


2人の声が同時に重なる。


スヴィグルの冷たい発言に、けいはぐぎぎと効果音がなるようなぎこちない動きで首をスヴィグルに向ける。


そんなけいの悲しそうな表情にスヴィグルは「ウッ」と罪悪感を感じ顔を逸らした。


(今はまだな!! 今は!!)


「フハハハ!! まあ、これからという事だな」

「よし! スヴィグルよ、早速だがお主がどのように身体を使うか見てみたい。裏庭の訓練場に付いてきてくれるかのう?」


そう言うとヒョードルは裏庭の訓練場につながる扉を開け、スヴィグルを外へ誘った。


空はすでに夕暮れへ傾き始め、朱に染まった雲が西の空に浮かんでいる。


ヒョードルは上着を脱ぎ、鍛え上げられた無駄のない彫刻のような筋肉が見え隠れする。そして、軽い準備運動の為にゆっくり腕を回したり首を回し始めた。


「・・・・・・救護班として何時でもスタンバイしておくね」


けいの物騒なセリフにスヴィグルは「おい」と突っ込む。


スヴィグルは斧を背に背負い、構えを取る。

いつものように、敵を前にする時の戦闘態勢だが、それを見たヒョードルは静かに首を振った。


「今日は斧は使わんでいい。素手で来なさい」


「・・・・・・え?」


「お主の戦う時の筋肉の動かしかたや動きの癖を見たい」


スヴィグルはわずかに目を見張ったが、やがて黙って斧を背から外し、地面に置いて、

殴る体勢を取る。


「さあ! 何処からでも来るがいい!」


「なら、全力で行かせてもらう!!」


次の瞬間、スヴィグルは猛然と地面を蹴った。

鍛え上げた脚力で一気に距離を詰め、拳をヒョードルの顔面目がけて振り抜く。


だが──


「遅い」


その声と共に、ヒョードルの身体が霧のようにゆらりと揺れた。

瞬間、スヴィグルの拳は空を切り、体勢を崩したところに、腹へ軽く一撃。


「ぐっ・・・・・・!」


膝が半歩沈み、土を蹴ってバックステップ。間合いを取り直す。


「いい踏み込みだ。だが全体的に軽い。重心の移動が先に出すぎる」


ヒョードルは一歩も動かず、その場で組んだ腕を解いた。


「では、もう一度じゃな」


言い終わらぬうちに、スヴィグルは回り込むように足をかけ、ローキックで崩しにかかった。続けて肘打ちを狙うが


「今度は力任せだ」


ヒョードルの手が空をなぞる。

風のように、滑らかにスヴィグルの足技を流れる様に受け流していく。


「っ──くそ・・・・・・!」


「ふはは。いいぞ!もっと、色んな動きを見せてくれ」


再び懐に入ったスヴィグルの拳を、ヒョードルは体を捻ってかわし、逆に背中へ掌打を叩き込んだ。派手な威力はないが相手の動きを止めるには充分な一撃だった。


倒れ込むスヴィグルの背を、ヒョードルが軽く叩いた。


「ほれほれ。まだ終わってはおらんぞ」


「・・・・・・っ、もう一回だ。まだ・・・・・・いける!!」


荒い息を吐きながら、スヴィグルは地面を拳で叩いて立ち上がる。


けいが、少し離れた場所で二人のやり取りをじっと見ていた。


(ヒョードル嬉しそうだなあ。ああやって食いついくれる人中々居ないもんね)


ヒョードルの顔は、いつもの博識で冷静な学者のような姿ではなく、純然たる武人としてのそれだった。生き生きとしている養父をけいは嬉しそうに眺める。


(本当に彼を連れてきて良かった)


けいは背中で手を組みながら、二人の手合わせをどこか微笑ましげに見守っていた。





あれから数時間が経つ。


そして、またしてもスヴィグルが地面に叩きつけられる音が響く。

砂が舞い上がるその瞬間、ヒョードルがけいの方へ片手を振り、合図を送った。


「よし、いったんここまでにするか! けいよ、水を頼もう。儂も喉が渇いてきた」


「オッケー。今、準備するね」


けいの指先が軽やかに動くと、台所から冷水を満たしたコップがふわりと宙を舞い、二人の元へと届く。

ヒョードルとスヴィグルはそれを受け取り、スヴィグルは荒い息を吐きながら額の汗を乱暴に拭った。地面に座り込んだまま、なおも鋭い眼差しでヒョードルを見上げる。


「はあ・・・・・・くっそ。一撃も当てられねぇ。アイツが強いのも納得の強さだわ」


「ふははは! 戦闘の筋は悪くない。あとは精進あるのみだな」


ヒョードルは笑みを浮かべ、上着を取りながら応じる。

その間に、けいがひょいと声をかけてきた。


「二人とも暗くなってきたし、そろそろ皆の夜ご飯作るね〜」


「ふむ。よろしく頼んだ!」


けいは二人の手合わせを見届け、どこか楽しげに微笑んだ後で夕食の準備に戻っていった。


「え、あっ・・・・・・いや、俺はそろそろ帰るぞ」


「何を言っておる」


「は?」


「儂の弟子になるのだ。当分の間は此処で寝泊まりじゃぞ?」


突拍子もない一言に、スヴィグルは思わず大声を上げる。


「はああ!? いやいや、それはありがてぇけど・・・・・・いいのかよ?」


「良い良い。それにあの子にとっても良い刺激になるだろう」


「刺激も何も、まだ俺たちは歩み寄ったばかりだぞ」


「ほう。もう歩み寄れているのか!」


「・・・・・・は?」


豪快に笑うヒョードル。その態度が心底不思議で、スヴィグルは神妙な顔になる。

そんな彼を見て、ヒョードルはふっと苦笑を浮かべ、静かに語り出した。


「儂が育てた者の中でも、あの子は群を抜いて強い。・・・・・・だがな、あの性格もあって誰もがあの子に追いつこうとするも、途中で心が折れてしまうのだ。そして、あの子は独りになってしまった」


「独りって・・・・・・まあ、他の奴らの気持ちも何となく分かるけどよ・・・・・・あいつの傍に居ると、自分がみじめな気持ちになってくるし・・・・・・」


言いながら、スヴィグルは自分の指先を見つめた。惨めになってしまう自分と、どこか放っておけないけいにスヴィグルは悩み、ならば隣に立てるようになるしかないと決心したのだ。


「てか、あんた意外と過保護なんだな」


思わず口を突いて出たひと言だった。

ヒョードルは目を細めると、しかし真顔のまま答える。


「ふはは。愛してるからな」


その声には、わずかな照れと、しかし覆いようのない真剣さが滲んでいるのを感じ、スヴィグルは「ふはっ」と笑みを漏らす。


「・・・・・・ははっ。親バカだなあ、アンタ」


軽口のつもりだった──けれど、返ってきた声色が思いのほか真剣で、スヴィグルは呆れて、だが少しだけ安心した気がした。


「まあ、いいさ。俺はあいつを追い抜きたいんじゃない。隣に立てるようになりたいんだ。他の奴らとは違ぇよ」


そう吐き捨てるように言い切って、スヴィグルは背筋を伸ばした。凝り固まった筋肉を、空にぐいと腕を伸ばしてほぐしていく。その動作を眺めながら、ヒョードルの表情がふと柔らかくなる。スヴィグルの視線の届かない場所で、ひっそりと慈愛の笑みを浮かべる。


間をおいて、スヴィグルが投げやり気味に話し出した。


「にしてもよ、アイツ、アンタの訓練が厳しいからって俺を心配してたけど・・・・・・。ちゃんと俺も同じ訓練をさせてもらえるのか?」


「それだがのう、スヴィグル。お主は本当にけいのようになりたいのか?」


ヒョードルの声色が、少し重たく響く。

その問いの意味を測りかねて、スヴィグルは思わず眉をひそめた。


「は?なんでだよ。俺は途中で折れるつもりはねぇぞ」


「いや、それなら良いのじゃ。本人の意思で、間違いなくそう望んでおるのなら・・・・・・」


ヒョードルはほんの一瞬だけ目を伏せた。言葉に詰まり、逡巡がその顔をよぎる。夜風が木々を揺らし、会話の間に、冷たい静けさが一層深まった。


「なあ、それだとアイツは望んでいなかったのに戦えるようになったみたいに聞こえるんだが・・・・・」


スヴィグルの控えめな問に、スヴィグルは一間だけ沈黙し、やがて、重い言葉が静かに吐き出される。


「儂はな・・・・・・あの子の育て方を、失敗したのじゃ」


「・・・・・・はぁ? そんなわけねぇだろ。あんなに強いんだ。成功してるに決まってる」


「強さだけで測るなら、そうだろうな」


ヒョードルの声は低く、重たい。けいの事を語る時だけこの老エルフは好々爺から真剣な雰囲気に変わる。


「わしは、本当に大事なことを教えてやれなんだ。目には見えぬ・・・・・・“愛”というものを」


その言葉に、スヴィグルはそっと眉をひそめた。


(愛、ね・・・・・)


彼にとって、愛は確かに存在していたもの。家族に囲まれ、手を伸ばせばいつでも触れられる温もり――そんな「当たり前」を失った今、スヴィグルの心は復讐の炎に焼かれている。


けれど、なぜけいにとって、そんな愛が必要なのか。その答えをまだ今のスヴィグルは知らない。


「スヴィグルよ、出来ればでいい、互いに似たような傷を持つ同士あの子を気にかけてくれると儂は嬉しい」


思ってもいない言葉を言われスヴィグルは、少しの間沈黙する。


(気に掛けるぐらい別に良い。寧ろそのつもりだ。けど───)


このタイミングでならアイツの事が聞けるかもと思い、ヒョードルに聞く。


「それは構わない」


「おお、ありがとう」


「けど・・・・・・条件がある」


ピクリとヒョードルは眉を動かす。そして「条件とな?」と聞くとスヴィグルは真っ直ぐとヒョードルの瞳を見つめた。


「なあ、少しでいい。あいつがこの世界に来たばかりの時の事について聞いても?」


「まさか・・・・・・異世界の話までしているとはな・・・・・・。あの子は余程お主に何かシンパシーを感じているじゃのう・・・・・・」


そう言って、ヒョードルは灰色がかった瞳で遠くを見やる。

自らの後悔を探るかのように、ひどく落ち込んだ表情で。


「儂はあの子を、この世界で生き抜くために仕込んだ。どんな状況でも一人で渡りきれるよう、時に厳しく、時に甘く。・・・・・・あの子は儂の教えを、全て完璧に吸収してしまった」


「儂が望む以上に、あの子は教えたものを吸収し、儂はそれが嬉しかった。だからより色んなものを教えた」


「だがある日、それは間違いだと気付かされた事があった。

あの子は儂の為に、”理想”を演じ続けてただけじゃったんだよ。あの子は心を騙して、唯一の生きる拠り所に見放されぬために完璧であろうとした」


「儂が思っていた理想的な人間としてあの子はあり続けた結果、強くなり過ぎた。そして、元来の控えめで優しい性格が、余計に他の近い年齢の子達からすると妬みを生んだ」


「だから、あの子に近づこうとする他の子等はけいを嫌い、離れてしまう、お主もそうだったんじゃないのか?」


その言葉に、スヴィグルは肩を震わす。

心当たりがありすぎて言葉を飲み込んだ。


「図星のようじゃな」とヒョードルはからからと笑った。


「あとは、あの子の口から語られるのを待っておくれ。ただ、お主が思う以上にあの子の抱えているものは重いぞ」


それは暗に、中途半端にけいの心の内に入り込むなという意味だった。


でも、スヴィグルはもう知らなった頃の関係に戻れない。

共に敵を倒し、同じ釜の飯を食べた。

互いの過去を共有し、似た傷を、同じ痛みを知った。

一緒に歩いてみたいと思ってしまったのだ。


「・・・・・・でも、俺たちは同じ痛みを持っている。なら抱え合うことだってできるかもしれねえって俺は思ってるよ」


ヒョードルは黙ったままスヴィグルを見つめ、ふいにわずかに目を見開き、それからゆっくりと口元にかすかな笑みを浮かべた。


「・・・・・・お主は優しいなあ」


「ち、ちげえよ、そんなんじゃねぇ!」


スヴィグルは慌てて言い返すが、ヒョードルは喉の奥で愉快そうに笑う。


「ふはは。しかし、さすがはあの子が選んだ相手じゃ・・・・・・勝手ながらお主には期待しておるよ。けいの心の隙間に歩み寄ってくれる、初めての友として」


「・・・・・・だから、まだダチでもねぇって!」


「わははは!」


スヴィグルはぶっきらぼうにそっぽを向く。けれど、胸の奥に温かくて不思議な何かがじんわりと広がっていた。


――これが“縁”ってやつなんだろうか。とスヴィグルは思う。

アイツとのあいだに、たしかに見えない糸が結ばれていく気がする。名前もつけられないこの関係を、今日会ったばかりの老エルフに見透かされて、どうにも胸の内がむず痒く落ち着かない。


ちょうどそのとき、裏庭にけいがる扉が開かれ、芳ばしい料理の匂いが漂ってきた。

すぐさまけいの明るい声が「ごはんできたよー!」と響く。


重苦しかった空気がふっと和らぎ、現実へ引き戻されていく――ふたりの会話は、ひとまずここで幕を閉じた。




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