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第15話:献身

2025/8/12 全改稿

2025/10/27 題名変更+加筆修正


涙がようやく止まり、けいはゆっくりとヒカルの胸元から身を離した。

夜の空気が肌に触れると、熱を持った頬がひやりと冷まされる。

鼻をすする小さな音だけが、ふたりの間に残った余韻を乱す。


目元はすっかり赤く腫れていて、ヒカルがそれをじっと見つめた。

彼の視線は鋭さを帯びることなく、ただ確かめるような、落ち着いた光を湛えている。


「・・・・・・そんなに擦ると、目腫れるぞ」


「うん・・・・・・分かってる」


けいは自嘲めいた笑みをこぼし、袖でそっと目元を拭った。指先にこもる力は弱い。未だに揺れ動く自分の心が指先に表れているようだった。


(切り替えろ)


胸の奥で、いつもの呪文を唱える。

魔法でも何でもない、ただの自己暗示を。


(こんな無様な姿を見せてしまった・・・・・・直ぐに切り替えなきゃ)


まだ涙の残滓が瞳の奥に滲むまま、けいはためらいがちに口を開いた。


「・・・・・・今日のこと、誰にも言わないで欲しい。菊香ちゃんにも、誠一くんにも・・・・・・お願いだ」


少し間を置き、ヒカルはあっさりと頷いた。


「ああ。俺の心の中で留めておくさ」


その返事に、けいはわずかに目を丸くする。

意外だったのか、あるいは安堵のせいか。

すぐに、ふっと小さな笑みが唇に浮かんだ。


だが、ようやく心の内を差し出せたその直後、困ったような微笑に変わる。


「本当にごめん。しっかりしないといけないのに、情けないよね」


その笑みは、感情を覆い隠すための仮面のようで――ヒカルはそれを見逃さなかった。


「そうやって」


低く落ちた声が、秋の澄んだ空気を震わせる。


「・・・・・・またお前が、自分の弱さを隠すために笑うなら――」


「え?」


「その時は、俺が・・・・・・お前を連れて逃げる」


胸の奥が、強く波打つ。

それが恐怖か安心か、けいには判別できない。


「な、に・・・・・・言ってるのさ」


けいが笑って曖昧に誤魔化そうとすると、ヒカルは重ねるように、はっきりと言った。


「逃げようぜ。俺と。もちろん菊香も一緒だ。

もしまた、お前が自分で自分を殺そうとするなら、その時は、俺が強引にでもお前の手を引っ張る」


「・・・・・・」


「言っとくが冗談でもなんでもねぇぞ」


「ははは・・・・・・さっきから、だいぶキザな台詞を吐くんだね」


茶化す言葉とは裏腹に、ヒカルの眼差しは真剣で、けいは言葉を失う。


かつて異世界でヒョードルが差し伸べてくれた「愛情」は壊れていた自分の心を救った。

スヴィグルが差し伸べてくれた「支え」は、希死念慮に苛まれる自分を救った。


2人はけいを立ち上がらせる切っ掛けを作ってくれた。

だが、ヒカルのそれは別の形だった。


けいの心の奥に、長く閉じ込めてきた「自己嫌悪」。大嫌いな自分を真正面から掬い上げるものだった。


けいは嫌いなのだ。誰かの期待に応えれない自分が。理想通りの、常に強く、頼れる存在になれない自分が。


(なんで・・・なんで、そんな優しい言葉を今向けてくるんだ・・・・・・)


胸がぎゅうっと締め付けられる感覚を、必死に抑え込む。

泣ききったはずの感情が、また溢れそうになる。


けいは隣に座る男を憎く思ってしまった。なんで、こうも自分の感情を崩してくるのかを。


(いつもは、こんな風に話してこなかったのに)


(なんで、どうして? 今までの軽口を言い合える適当な距離で良かったのに・・・・・・そうすれば、必要以上に自分を出さなくて済むのに・・・・・・!)


けいは奥歯を強く噛みしめる。


(こんな自分、スヴィグルにも見せた事ないのに! 唯一無二の親友にだって、誤魔化し続けたのに・・・・・・!!)


(切り替えろ・・・・・・!切り替えるんだ。頼む、切り替えてくれ、僕の心)


そして――一度緩んだ栓は、二度目の崩壊を簡単に許した。


幼少の傷を隠す為に心を騙し続けた。

異世界で生き抜くために、心を殺し、時に誰かの命を奪わなければならなかった。

すべてを押し殺し、感情を置き去りにしてきた。


完璧でなければならない。

感情も心も制御して、自分さえ“完璧な子”でいれば、何事も全てうまくいく――そう信じて。


見ないようにしてきた。


・・・・・・なのに。


(それなのに)


その固く閉ざした感情の蓋を、まるで当然のように、ヒカルは開けてしまった。


(くそッ・・・・・・くそっ・・・・・・クソッ!!!)


また涙がボロボロと零れ落ちる。

先ほどのように静かに落ちるのではなく、今度は堰を切ったように、止めどなく。

制御を失った涙腺から、次々と熱い雫が頬を伝う。


(なんだ・・・・・・? なんなんだ、この涙は・・・・・・!)


(みんな、やっている事じゃないか・・・・・・! 自分だけじゃない・・・・・・! 自分だけが不幸なわけないのに!!)


必死に。必死に、押し寄せる感情を食い止めようとする。

だが、その防波堤に、ヒカルの声が静かに、とどめを刺した。


「いいんだ。もっと泣いてもいいんだ・・・・・・ケイ」


ヒカルは優しく笑った。だがすぐに、その表情が揺らぐ。


けいの胸の奥で、何かが、はじけた。


「・・・・・・ッふざけるな!!!」


けいは立ち上がり、声を荒げた。

ヒカルの視線に宿る心配の色が、さらに彼を追い詰める。


「そんな目で見るな!!」


――心配なんてしないでくれ。悲しまないでくれ。

惨めになってしまうから。


「幾つだと思ってるんだ・・・・・・! こんな事で・・・・・・こんな風に・・・・・・感情を制御できない自分なんて・・・・・・!!!」


「───死んで」


「もう、やめろ」


死んでしまえば良い。という言葉はヒカルによって遮られる。


けいは睨みつける。普段の自分らしくない感情が、目に宿っていた。


「それ以上は言わせねえ」


睨みながらも、涙は止まらない。


睨みつけていたけいの瞳が困ったように目尻が下がる。

口角が下がり、下唇を噛み、震える。


けいはコテージの壁に背を預け、ゆっくりと腰を下ろす。


ヒカルは立ち上がり、その前まで歩み寄った。


(・・・・・・かつての俺とお前、あの時と同じだ)


魔王だった頃の自分。

けいに感情を教えられ、整理できず、同じように爆発させた日の記憶。


(今ならわかる。お前も一杯一杯だったはずなのに、それでも手を伸ばしてくれた)


「精一杯でボロボロでも手を差し伸べる優しさ」という強さを持つ人間。

それこそが、渡繋わたりけいという人間の強さだ。


(かつての俺はそんな、お前に救われた・・・・・・だから俺は、お前に何かしてやりたくてたまらねぇんだよ)


木造の床板がぎしりと鳴る。

一歩。さらに一歩、けいとの距離を詰める。


そのとき、けいがぽつりと呟いた。


「───スヴィグルにも見せたい事ないのに、ヒョードルにも、フリッグにも・・・・・・」


けいの声は、夜の静寂に溶けるように小さかった。


「隠せてたのに・・・・・・隠してたはずなのに・・・・・・」


その言葉に、ヒカルはピンときた。自分の記憶の奥にも、“そいつ”がいる。


(・・・・・・スヴィグル・・・・・・ああ、異世界でこいつの隣にいた“勇者”のことか)


脳裏に、あの異世界での光景が浮かぶ。けいのすぐ傍らに、常に立っていた男の姿。


(あいつは、こいつの“これ”を知っていたのか?)

(知ってて、こいつをこんな状態のままにしていたんなら・・・・・・)


ヒカルは口の端をゆっくりと上げ、悪そうな笑みを浮かべた。


(それなら、少しでも勝ったか)


「・・・・・・なに、その顔」


じとりと目を赤く腫らしながら見上げてくるけいが、ぶっきらぼうに呟く。


ヒカルは、その反応で彼が勘違いしたことを察し、すぐに言い訳を返す。


「いや、そのスヴィグルとやらよりも俺がお前の本音を聞けたんなら、僥倖だなと思ってな」


ヒカルの表情があまりにも悪そうだったせいか、けいは困ったようにふっと笑った。


「何それ」


くすくすと笑ったその声には、どこか不安げな響きが混じっている。けいはぽつりと、言葉を紡いだ。


「なんであなたには、こんな自分を出せるんだろう」


その一言に、ヒカルは胸の内でざわめいた。

互いに命をかけて殺し合いながら、譲れない何かを背負ってきた――そんな関係だからこそ許された、唯一無二の存在。

それを言葉にするのは憚られ、ヒカルはただ静かにその意味を飲み込んだ。


(本当は転生前の記憶を打ち明けられたら、けいの重荷を少しでも軽くできるかもしれない)

(だけど、この繊細な心が、それを聞いた途端に崩れてしまうのが想像できてしまう)


だから今は、言葉にするべき時ではないと自分に言い聞かせる。

抑えきれない衝動を必死に封じて。


代わりに、けいの心の膿を吐き出させる。


「せっかくだ、とことん吐け」


「横暴」


「結構だな」


けいは眉をひそめてヒカルを睨んだ。だが、その瞳の奥に一抹の覚悟が垣間見え、ヒカルは微かに笑う。


すぐに真剣な顔に切り替え、ヒカルは真っ直ぐけいの瞳を捉えた。


「俺はお前を知りたい。なんでそんなふうに自分を責めてしまうのか――ちゃんと、知りたいんだ」


けいは一瞬目を伏せ、小さく息を吐く。


「自分を責めるなんて・・・そんなつもりはないんだ・・・・・・でも、フリッグにも言われたし・・・・・・みんなから見れば、そう見えるんだろうね」


ヒカルは隣に腰を下ろし、力なくうなずくけいを見つめた。


「ああ、俺はお前のそれが嫌いだ」


その言葉に、けいはふっと苦笑いを浮かべたが、その表情には諦めも混じっていた。


「別に、大したことじゃないよ」


微かな笑みを浮かべたけいは、深く息を吸い込み、ゆっくりと話し出す。


その声は静かで、どこか他人事のようで――まるで遠い過去を語るかのようだった。


「“生き残ってしまった”意味を探すためかもしれない・・・・・・か」


その言葉を聞きながら、ヒカルは夜空を見上げて繰り返す。


「自分でも考えすぎだとは思っているんだけど」


けいは小さく苦笑した。


「まあ、よくある話でしょ?」


ヒカルは何も言わず、ただ黙って聞き続けた。

いつの間にか、拳が強く握りしめられているのを感じた。

怒りを必死に押さえ込むその力強さに、彼の心も揺れる。


(どうしてだ、ケイ・・・・・・自分の人生なのに、なぜそんなに他人事みたいに話せるんだ?)


けいの過去の重さを知るほどに、今の渡繋わたりけいという人間がどうして出来上がったのか理解が深まる。


(生き残ったからには誰かを助けなければならない、そう考えるんだな)

(自分の人生は犠牲にしても、誰かが不幸になるくらいなら、自分が傷つく道を選ぶ・・・・・・)


その想いにヒカルの胸は激しく煮えたぎる。


けいはヒカルと同じ空を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。


「どこにでもある、よくある話なんだよ、ヒカルさん・・・・・・みんな何かを失って、生きている」


「僕だけじゃないんだ」


それがまるで自分に言い聞かせるようで、ヒカルの胸中は穏やかじゃなかった。


やっと重い沈黙を破り、彼は静かに口を開いた。


「他の奴らなんて知らねえよ、クソどうでもいい」


「俺は、どうでもいい奴らより、お前と菊香の方が大事だ」


けいは驚いたように目を瞬いた。


「それは、光栄だね」


けいの笑顔は、どこか達観したようで、しかしその奥に何か必死に抑え込んでいるものを感じる。“物分りが良くて、いい子でいようとする”仮面――長い孤独の中で形作られた盾のような笑顔だった。


(くそ・・・・・・違う、そうじゃねぇんだ)


ヒカルは思わず拳を握り締めた。

あの笑顔は本心ではなく、虚飾の鎧。

自分の痛みを隠し、誰かを安心させようとする、けいの長年の習慣だった。


「そう言ってもらえるのは・・・・・・本当に、嬉しい。だけど・・・・・・」


けいは一呼吸置き、遠くを見るように静かに言葉を紡いだ。


「僕には、背負わなきゃいけない責任があるんだ」


与えた希望がもし偽りだったなら――。それが誰かを傷つけるなら、自分がすべてを背負って当然だとけいは思っている。


「責任だと?」


「うん。2人に期待をさせた責任がね」


ヒカルは黙って耳を傾けた。

けいは、伏せた目のまま、どこか遠くを見るように言葉を紡いだ。


「僕は魔法が使える」


「この世界を変えれるかもしれない奇跡のような力を」


「ヒカルさんももしかしたら思ったはずだよ、僕の力があれば菊香ちゃんも自分もこの先どちらかが死ぬ可能性は無くなるかもって」


その言葉にヒカルは黙ってうなずく。


「この力を誰かの為に使おうと思ったのなら、僕は最後まで助けたいと思ってる。これは本心だ」


だからこそ――もし、自分がそれを果たせなかったら。

もし、最後に結局救えなかったら。


「僕が、期待を“与えた”ことで誰かが傷つくかもしれない。そうなったら、僕は・・・・・・最後まで責任を取らなきゃいけない。与えた希望に結果が伴わなければ、すべてが嘘になってしまうんだ」


ヒカルの胸の奥を鈍く突き刺すような痛みが走った。


(・・・・・・本当に、そう信じているのか・・・・・・)


けいの中では、自分の行動や言葉が他人に期待を抱かせた時点で、その未来にまで責任を負わなければいけないと思い込んでいる。


(全部自分のせいなんてことは絶対にない。お前はお前のために生きていいんだ)

(でも、今のお前はまだその言葉を受け入れられないんだろうな・・・・・・)


ヒカルはその気持ちを痛いほど知っている。

自分という存在であるために、他人には理解できない矜持を抱き続けるけいの姿を。


(そして・・・・・・俺を殺したことがずっと心の傷になってる)


けいがぽつりぽつりと語った家族のこと、異世界のこと、そして自分自身を救えなかった後悔。


(だが・・・・・・ただの責任感としては、こうも自罰的すぎる・・・・・・)


ヒカルは両親の事を聞いた時のけいの不自然な言動を思い出す。


『やさ・・・・・・しい人達だった・・・・・・よ?』

『・・・・・・そうだ、二人とも優しい人たちだった。うん、そうだ・・・・・・・』


(両親の間にあった確執、その中で育ったお前の心には、ずっと逃れられない縛りがあったんじゃないか?)


けいの責任感の根源は、期待を裏切ることが許されない幼い頃の恐怖や孤独に結びついている。親からの厳しい視線、壊れそうな家族の空気に、幼いお前は身を縮めて生きてきたのかもしれない。


(だからこそ、お前は誰かのためにしか生きられなくなった――その鎧を脱げないんだ)


けれど、ヒカルは強く思う。


(お前はもう、そんな過去に縛られる必要はない。俺がいる。何度でも手を取るから)


(今の俺たちなら、やり直せる。俺はそれを信じてる)


勇者の仲間としてのけい、魔王としてのバロル。

二人とも、それしか道がなかったのだと。


(なあ、けい。何度崩れても、俺はそのたびに肩を貸す。逃げたくなったら、真っ先に手を引いて一緒に逃げてやる)


(お前がくれた優しさを、今度は俺が返せたら・・・・・・それが俺の願いだ)


ヒカルはけいをじっと見据えた。静かに――けれど、湧き出そうになる怒りと悲しみを湛えて。ゆっくりと言葉を紡ぎだす。


「勝手に責任なんて背負うなよ」


けいは目を見開いた。


「期待させた分、結果を出さなきゃって? そんなもん、お前が決めることじゃねぇ」


低く、噛みしめるような声。

じゃないと、自分が熱くなりそうだった。


「お前のその優しさが、どれだけの人を救ってきたか、分かってんのか?

お前が誰かのために力を使い、そいつが笑顔を取り戻した時点で、それはもう救った証だろうが」


けいが何か言いかけたが、ヒカルはそれを遮った。


「俺たちはお前に守られるだけの存在じゃねぇ」


ぶっきらぼうな言葉の裏に、ヒカルは必死に想いを込めていた。

けいの重荷を、半分でも抱きたいと。


その言葉の数々に、けいの肩がびくりと小さく震えた。


「でも・・・でも分からないんだ・・・・・・自分の行動一つで、両親が喧嘩しないようにしてきたから。それだけじゃない、相手がどう期待して、どう見てくるかって・・・・・・そうやって、小さい頃から生きてきた・・・・・・」


「だから、ぼくは、期待をさせたくないのに・・・・・・期待して貰わないと息が苦しい・・・・・・」


けいは幼少期の環境のせいで、常に誰かの視線や評価に敏感になってしまっている。

そして、誰かに期待されなければ、自分の存在意義が失われるようにも感じてしまった。


だからこそ、渡繋わたりけいは誰かのためにしか生きられない。


けい・・・・・・」

(お前は、その痛みと苦しさを、今まで誰にも打ち明けなかったんだな)


ヒカルは喉の奥が詰まるのを感じていた。

目の前で、今にも壊れそうなほど繊細な心を晒すけいを見て、今すぐ抱きしめたくなる衝動に駆られた。


かつて、けいが自分を抱きしめてくれたように。


けれど、手は出せなかった。

それが、彼の“仮面”を無理矢理引き剥がしてしまう気がして。


(お前がいなかったら・・・・・・あの時の『俺』は、本当に世界を滅ぼそうとしてたんだ)


傷つきながら、優しさを失わずに、それでも手を掴もうとするけいの姿に、何度も助けられた。だからこそ、今ここで――けいが自分の感情にすら“罰”を課そうとするのを、止めたかった。


「俺はお前に何をしてやれる」


静かに、まっすぐに、けれど重みのある声で言った。

一言一言を、噛みしめるように。


けいの目が、困惑の色を滲ませて揺れる。


「何を言って・・・・・・」


「お前の為に何かしたい」


そう言うとけいは再度顔を俯く。


「はあ、やっぱりこれもダメか。これもお前にとっては重荷になるんだな」


ヒカルのため息にけいは肩をぴくりと震わせる。それに気づいたヒカルは、


また、ほんの少しだけ手を伸ばしかけた。

けれど途中で、静かに止めた。

抱きしめてやりたかった。でも、今それをしてしまえば、この距離さえけいにとって圧になるかもしれない。


「嬉しいけど・・・、本当に嬉しいんだ。けど、ごめん、今は僕をただ見ていて欲しい」


けいの声は、今度はほんの少し、震えていた。


夜風が頬を撫でるたび、まだどこか落ち着かない心が、波紋のように揺れる。

ぽつりと、独白のように言ったその声は、さっきまでの涙声よりも、ずっと静かで、ずっと深かった。


だが、返ってきた言葉は、無情な一言だった。


「断る」


「強情!!」


「お前もな」


ヒカルはそう言って、軽く肩をぶつける。その瞬間ふっと空気が軽くなった気がした。


「お前は崩れそうになるなら、無理にでも俺は動くぞ。それが嫌なら、大人しく受け入れろ」


「・・・・・・暴君め」


「ワハハ! 言ってろ」


けいはヒカルをじろりと睨みつけるも、正直その言葉に何度も救われる気がした。


(ずるい。本当にずるい)


少しずつ、ほんの少しずつ、心の柔らかい部分を掴まれていく。

スヴィグルにすら見せなかった心の奥底の一番弱い所。

以前ならそれが嫌でたまらなかったのに、彼になら許してもいいと思ってしまう。


けいは呆れたように、でもどこか柔らかい諦めを含んだ笑みを浮かべた。


「っはは・・・・・・もう。甘やかさないで欲しいなあ・・・・・・」


「そこは素直に甘えてろよ」


「・・・・・・甘え方が分からないから無理だ」


「なら、ほらよ。肩に寄りかかってみろよ」


「だから、直ぐには無理だってば」


「たっく、でも確かにまあ直ぐには変われねぇよなあ。まあ、俺は何度でもお前の為に動くがな」


けいの肩が微かに震えた。

伏せた瞳の奥で、かすかな笑いが零れた。


「・・・・・・絶対、迷惑かけるよ」


正直ここで突き放してくれとけいは思うが、どうせヒカルはそんな事をしてくれないのだろうと期待するように聞いてしまう。


「どんと来いだな」


「くそ・・・・・・」


やはり、想像通りの返答がきてけいは嬉しいようで悔しいような複雑な気持ちになった。


ヒカルは何も言わず、けいの隣に座り続ける。

ヒカルはもたれそうになっているけいの頭に肩を預ける。

けいはそれに、何も言わずに甘える事にしてみた。


「明日には、いつも通りの自分に戻るから」


「ほんっとに、強情っぱりな奴め」


そのやり取りに、けいは力の無い声で笑った。でも、その表情は少しだけ晴れやかだった。

ヒカルはまんざらでもない顔でちらりとけいを見た後、夜空を見上げる。


──渡繋わたりけいが本当に救われるのは、きっとこれから何度も大切に思われて、何度も誰かに抱きしめられて、初めて辿り着ける。


彼が「生き残った」本当の意味を理解するための、長い旅路の始まりだった。




もしこの内容が良かったらブクマ・評価・リアクションしてくれますと飛び跳ねて喜んでるかも。

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