第10話:傷跡(後編)
2025/8/12 全改稿
2025/10/26 題名変更+加筆修正
ヒカルは、コテージへ向かう砂利道を歩きながら、伸びてきた後頭部の髪を無意識に掻いた。
足音に混じって、周りの賑やかな人の声が響く。夕方の光は西に傾き、木々の影が長く道を横切っている。
あの後――ヒカルはシグルに、自分が繋に敢えて殺された事、そしてそのせいで繋に心の傷を負わせてしまった事を説明した。
シグルはその内容を聞き、何とも言えない悲しみ、切なさと、苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。普段の綺麗で澄ましたような表情をしているシグルからは想像出来ない表情だった。
そんな、彼女からヒカルに一言だけ。
「責任を取りなさい」と、ヒカルの眼を真っ直ぐ見て彼女は言い放った。
責任を取る相手は繋に対して。
ヒカルは勿論だと、何を当たり前の事を言っているんだというような表情をしながら「分かっている」と答える。
そして、魔王は死に、今は豪打ヒカルとして生きているヒカルに対し、シグル自身として過去の事は一切引きずらないと言い、今後は味方になると約束してくれた。
会話の最後、ヒカルはシグルに約束させる。
繋にこの件を話さないようにと。
転生前の自分のことで、今の繋に説明すれば、間違いなく距離を取られる。
いや、最悪の場合――。
(距離を取るだけじゃなく、黙って消える気がする・・・・・・)
あいつはそういうやつだ。
きっと“独り”でゾンビ化の原因を探しに行くだろう。
───そんな真似をさせてたまるか。
シグルは説明を聞き終えると、ほんの少し目を伏せて笑った。
「・・・・・・彼なら、そうするでしょうね」
良く分かっていると言いたげな、悲痛さを滲ませた声だった
それで2人の会話が終わる。
(さて、久しぶりに暇だし、バイクでも弄るか)
そう思って顔を上げたとき――視線の先に、その心配の種がひとり歩いている姿を見つけた。
「・・・・・・あ」
思わず小さく声が漏れる。
相手もこちらに気づき、「あ」と声を上げて顔をほころばせ、手を振った。
その笑顔に、ヒカルは口元が自然と緩む。手を上げて応えた。
「よう」
「ヒカルさんお疲れ!」
二人は横並びになり、コテージへ向かって歩き出す。足元に小石が転がり、靴の先で軽く弾けた。
会話は、今日あった出来事から始まった。
ただの雑談ではあるのだが、ヒカルはこの時間が好きだった。
ケイと何気なく言葉を交わす時間も、菊香を交えて三人で食事する時間も、あの家で夜の海を眺めながら酒を飲んだ日々も。
全部が、愛おしく感じる。
――その瞬間。
ヒカルの中の影が、低く囁く。
(『頃合いだろうな――ほら、知りたがっていたケイとの記憶だ───まあ、まだ一部だがな』)
「・・・・・・は?」
胸の奥で、記憶の扉が軋む音を立てて開いた。
隣を咄嗟に見る。
視界が揺れ、今の姿とは違う“年を重ねた渡 繋”が、隣で歩くケイに重なって見える。
足音が、過去と現在を曖昧に溶かしていく。
(おーい、大丈夫? 無理してない?)
(うるせぇ、兄貴ぶんな!)
(いいじゃない、実際僕の方がバロルより年上だし)
(頭撫でんな! 俺より背ぇ低いくせに!)
(関係ないでしょー)
過ぎ去ったはずの時間が、胸に痛みを伴って甦る。
あのとき繋は、まるで陽だまりのように笑っていた。
優しくて、温かくて――それが、今も鮮やかに焼き付いている。
だが次の瞬間――。
「────ッッ!!!」
心臓を掴まれ、氷水に沈められたような衝撃。
視界の中でケイの笑顔が、音もなく絶望に塗り替わる。
見てしまった。
“そうなってしまった”あの日を。
そして、それを“させてしまった”自分を。
(・・・・・・なんで、お前がそんな顔すんだよ)
(・・・・・・)
(正直、俺に止めを刺すのが、あそこで膝ついてる勇者どもじゃなくて、お前でよかった)
(・・・・・・)
(おい・・・・・・お前ら人類の勝利だろ? 喜べよ)
言葉は虚空に沈む。
笑ってほしかったのに、泣いてくれるな――そんな矛盾を、なぜか今も願ってしまう。
頬に触れた指先に、温かい涙はない。
そこにあったのは、無精髭のざらりとした感触だけだった。
(・・・・・・お前は、馬鹿みたいに笑ってるのが似合うんだよ。なあ、ケイ)
いつも他人を優先して、自分よりも幸せであって欲しいと願うその在り方が嫌いで、気持ち悪くて――でも、優しくて。
最後の最後まで、自分を魔王じゃなくて、1人の人間として見てくれた。
傷として残すのも悪くない、そう思ったこともあった。
でも違う。
苦い顔じゃなくて、泣くだけでよかったのに。
こんな「今にも壊れそうな顔」は、見たくなかった。
だから願ってしまう。
この関係を、最初からやり直せたら、と。
もっと互いの弱さに寄り添って歩ける関係になれたら、と。
「────ヒカルさん?」
現実に引き戻される声。
心臓が耳元でバクバクと爆ぜる。
ヒカルは顔を上げた。
そこには、若くなった繋が、心配そうに覗き込んでいた。
(・・・・・・そうか。やっぱり・・・やっぱり全部、俺のせいか)
あの時の俺は。
コイツに触れて、優しさも温かさも、独りの寂しさも、誰かと別れる悲しさも知ってしまった。誰かに執着することも。
けれど、仕方がないだろう。
だって目の前のこいつは──
───世界の敵だった”自分”に、たった一人の”味方”として居続けてくれたのだから。
(───だから、俺は選んだだろうな・・・・・・あいつが俺を助ける事で世界の憎しみがアイツに向かうより、アイツに殺されて綺麗に終わらせれたらって)
あの時の俺にとって、それが唯一の救いだった。自分の命なんて、捨ててもいい。むしろ、そうやって終わらせる方が、あいつを守れると思っていた。
けれど――それは間違いで、余計に、大きな傷をつけさせてしまった。
しかし、今は違う。
目の前のこいつは、まだ俺の手の届く場所にいる。声を掛ければ振り向いてくれる。なら、俺はもう二度と、あの頃みたいな諦め方はしたくない。
(・・・・・・本当は、もっと頼ってくれていいんだ。全部一人で背負うなよ。寄りかかって、弱いとこ見せろよ)
此方を覗き込む彼の目は、少し眉が下がり、瞳には微かに不安の色が揺れていた。ヒカルは、その心配そうな眼差しに応えてやる。
「・・・・・・なんでもねえよ。昔のこと、ちょっと思い出してただけだ」と、軽口のつもりで返したが、自分の声に微かに混じる震えから、誤魔化しきれていないのがはっきりとわかる。
「そう? でも、大丈夫? なんか、苦しそうな顔してるし・・・・・・よし、すぐ帰ろう! ヒカルさんは休むべきだ!」
そう言うが早いか、繋はヒカルの手をグッと力強く掴み、走り出そうとする。
その行動も、過去に繋が自分にやってくれた事だとヒカルは思い出し、内心嬉しさと恥ずかしさで舌打ちをする。
(ッ!! くそッ懐かしい事をしやがる)
「まてまて! 本当に大丈夫だって!」
ヒカルは掴まれた手を逆に握り返し、その場に引き留めた。
心配する繋の顔を見つめながら、どうしようもなく嬉しさが込み上げる。
(・・・・・・だからだよ。俺は、こいつの味方でい続けたいんだ)
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