第10話:傷跡(前編)
2025/8/12 全改稿
2025/10/26 題名変更+加筆修正
南の難民キャンプに向かうまでの間。
行く予定の日がだいぶ先ということもあり、繋とヒカル、菊香の三人は、それぞれ別行動を取っていた。
「こっちは医療エリアですね。軽症者と隔離患者は別エリアに。物資倉庫はあっち。あと・・・・・・あ、渡さん、ここ、通路が一部潰れてるんで足元に気をつけて」
繋は夏原に案内を頼み、拠点内を一緒に見て回っていた。
二人は時折、日常的な会話を交わしながら歩を進める。
「へえ、流石シグルさんだ」
教育施設、訓練場、警備塔、学校の屋上には精霊術による結界を張るための結界制御装置──想像以上に整った設備の数々に、繋は思わず感嘆の声を漏らした。
「夏原くんも、ありがとうね。案内も上手だし、こんな事に付き合って貰ってごめんね」
夏原は小さく笑みを浮かべると、少し照れたように肩をすくめた。
「いえ、別に・・・・・・慣れですよ。ここに来てから、毎日警備がてら歩き回ってるだけですから」
「いやいや、そんなことないじゃない。誰かを助けたいって動いてる証拠だし。自分を褒めてあげても良いと、僕は思うよ」
その言葉に、夏原の歩みがふと止まる。
「自分を褒めてあげて欲しい」──その言葉が、胸に引っかかった。
(無理だ。自分を褒める事なんて出来ない)
夏原はあれからどれだけ、気持ちを切り替えようとしても、切り替える事が出来なかった。
初めて救助隊の仲間を全壊させてしまった、拭う事が出来ない罪悪感。
共に絆を育みあってきた仲間達を死なせてしまった罪。
傷はカサブタになる事はなく、じわじわと広がっていく。
「・・・・・・渡さん。俺、最近ずっと考えてたんです」
「どうしたんだい?」
「あの日出会ったばかりで、心が折れそうになっていた俺に貴方は生き残った意味を説いてくれた」
夏原の目は、遠くを彷徨うように揺れていた。
「そのときは、嬉しかった。・・・・・・でも、時間が経つほどに逆に忘れられなくなってきて。頭では、分かってるんです、そう思いたかったんだって。でも・・・・・・」
声が掠れる。
「助けられなかった人たちが、います。・・・・・・今も夢に出てくる。目の前で、俺に向かって手を伸ばしてくる。でも、俺には掴めなかった。その度に自分に力さえあればって・・・・・・」
言葉の節々に混ざる、痛みと悔い。敬語が自然と崩れ落ちていく。
(・・・・・・俺は、何のためにここにいる・・・・・・)
絞り出すようなその声には、怒りでも悲しみでもない、形容しがたい影があった。
繋は静かに彼を見ていた。
繋はそんな夏原に返す言葉を選ぶ.、思考の中で張り巡らす。そして辿り着いた答えは。
(いったん、感情の発露をさせるべきだ)
きっと、優しい言葉はこれ以上かけても彼の心には響かない。むしろ毒となる。
繋は「夏原くん」と声をかける。そして彼の心を揺らすような言葉をワザと投げかけた。
「・・・・・・それでも、その後悔を力に変えることができるかどうかは、君次第じゃないかな」
(本当はこんな言葉なんてかけたくないんだけど、でもこのままだといずれ夏原くんは心を病んでしまう・・・・・・)
ピリッ!!とその言葉に反応した夏原の雰囲気が鋭くなる。
一歩。夏原が、繋へとにじり寄る。
睨みつけ、けれど、どこか追い詰められたような表情で。
「・・・・・・力があるあんたに、何がわかるんだよ」
震える声。それは誰かを責めているようでいて、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
「俺は・・・・・・俺は、いっつも手遅れで。目の前にいたのに、届かなくて・・・・・・! あのとき、もし・・・・・・!」
夏原は、拳を握り締める。その手がかすかに震えている。
「力があっても無くても関係ないって──あんたは言った。でも、それは、持ってる側の人間の言葉だろ・・・・・・!!!」
次の瞬間、衝動的に手が伸びた。
その手は、繋の胸ぐらを掴みあげ、内なる衝動を曝け出す。
「俺が、どれだけ悔しくて、歯痒い思いをしている、アンタには分からない!!」
自分でも抑えきれない激情に突き動かされるように夏原は息を荒げる。
夏原の目には深い絶望と怒り、そしてどうしようもない焦燥が滲んでいた。
だが繋は、胸ぐらを掴まれたまま、静かに夏原を見つめ続けていた。
夏原が獣じみた短い息を繰り返す。
繋は、それでも何も言わずに、ただじっと夏原の目を見つめ返す。
夏原の手が震え、ゆっくりと力が抜けていく。
掴んでいた拳が離れ、落ちる。
「・・・・・・アンタに俺の気持ちなんて分かりやしない」
目を伏せたその横顔は、深い焦燥を滲ませたまま、孤独に沈んでいた。
沈黙が、ふたりの間を流れる。
繋はすぐには何も言わず、ただ彼の胸の内に溜まっていたドロドロとした感情を受け止めるために、ただその場に立っていた。
夏原の拳が揺れていた。空を掴むように、何もない空間で微かに震える。
すると、思いのほか力んでしまったせいか、昨日傷を負った腕の傷が開き包帯から、そしてシャツから血が滲み出てている事に繋が気付く。
繋はそっと一歩、距離を詰める。
そして、その腕を優しく掴み、傷の上から自分の手を重ねた。優しく包むように。静かに魔力を灯す。
淡い橙色の光が、じわりと掌に染みわたり、滲んだ傷を癒していく。
「これは・・・・・・」
「・・・・・・そう、これが魔法だよ」
夏原は目を見開く。
その神秘的な光景に魅入られると同時に、見えてしまった。
自分より背が低い繋の胸元を覗き込むような形で、繋の首筋、鎖骨辺りからひび割れたような傷を。
夏原はその傷に思わず手を伸ばそうとして、繋が「あまり見ても気持ちいいものじゃないよ」と少しだけ悲しそうな顔を滲ませながら夏原に笑った。
繋はふとスヴィグルから出会ったばかりの時に「気持ち悪い」と言われた事を思い出して、また笑う。
(仲良くなってからは何度も謝られたっけな)と懐かしい過去を思い出す。
「なんで・・・・・・そこまでして」
ふと頭上から、戸惑うような声で聴かれる。繋はどっちの事を聞いているのだろうと尋ねると、どちらもだと言われた。
「どうして、そんなになるまで魔法という力を手に入れたかったんだ? 俺もアンタのように何かを捧げればいいのか?」
その、悲痛さにどう答えたものかと繋は考える。
だって、自分はとにかく必死だったから。
異世界で生き抜くために、そして死んだ両親に一目会いたいがために、色んな可能性と色んな手段を取ってただけ。
だから、繋は答える。
「僕は・・・・・・、僕の為、自分の為に頑張ってただけなんだよ・・・・・・夏原くん。自分の事だけで精一杯で、亡くなった両親に会いたい為だけに、魔法を使えるように必死に動いて・・・・・・その結果がこんな身体になっただけなんだ」
夏原はその言葉に、すうっと今までの感情が急速に冷えていくのを感じた。
なんて事を聞き出してしまったのかと後悔が一気に波のようにやってくる。
「・・・・・・、す、すみません・・・!! 俺は何てことを・・・!!」
繋の目の前でバッと深く頭を下げる。
そして敬語に戻り、距離を作ろうとする夏原を、繋はぐいと腕を引き寄せた。
夏原は頭を上げ、急に引っ張られた事に戸惑う。
繋は夏原の腕を引き寄せたまま、真っ直ぐに彼を見上げた。
「謝らないでいいんだよ」
「っですが!!」
「・・・・・・さっきの、素のままの君でいてほしい」
唐突な言葉に、夏原の眉がわずかに動く。
「え・・・・・・」
「年上とか年下とか、そういうの関係なくさ。僕らは今、同じ場所に立ってる。だから、僕には敬語なんていらない。もっと・・・・・・対等でいたい、そして、友達として、ね」
夏原は、口を開きかけて、言葉を失った。胸の奥で、まださっきの激情の余熱がくすぶっている。
「・・・・・・でも、俺・・・・・・あんな・・・・・・」
理屈で整えていた言葉が、感情に押されて形を変える。気づけば、いつもの丁寧な口調なんて吹き飛んでいた。
「いいんだよ。むしろ、そうやってぶつけてくれた方が嬉しい」
繋は柔らかく笑う。その笑みは、ただの慰めでも、表面上の笑顔でもなかった。
「君の本音が聞けたから」
夏原は、視線を逸らす。罪悪感が、静かに胸の底からせり上がってくる。
「・・・・・・俺、あんなこと言って・・・・・・掴みかかって・・・・・・最低ですよ・・・・・・」
声は小さく、しかし敬語に戻ってしまっている。
繋はふっと笑い、夏原の腕を軽く引いた。
「ほら、もう敬語に戻ってる。ずるいなぁ」
「いや・・・・・・でも・・・・・・」
言い淀む夏原に、繋は少しだけ強い調子でかぶせた。
「僕は、ただの渡繋で、君も同じただの誠一くんで。同じように必死で毎日を生きている仲間で、年上でも年下でも関係ない。だから、これからは敬語抜きで、話してほしいな」
夏原はしばらく黙り込んだまま、繋の目を見る。
その瞳に、責めも軽蔑もなく、ただまっすぐな光が宿っているのを見て、息を吐いた。
「・・・・・・分かった。じゃあ・・・・・・その・・・・・・お願いがあります」
口調は砕けているのに、言葉の端々に敬語が混じる。
繋は満足げに微笑んで、そして「いいよ」と返す。
夏原は視線を落とし、そのお人好しさに苦笑をこぼす。
罪悪感はまだ残っている。けれど、それと同時に、胸の奥のどこかが少しだけ軽くなっていた。
そんな中、夏原が、繋をまっすぐ見た。
「・・・・・・今度、手合わせしてもらえませんか」
「え?!」
予想外のまさかのお願いに、繋は驚いてしまう。
「俺に足りないものを・・・・・・ちゃんと知っておきたい。あと・・・・・・力がどうすれば発現するのかも、一緒に考えてくれませんか。俺一人じゃ、たぶん答えに辿り着けない」
「・・・・・・それに、あと、あなたの異世界での事も聞けたら嬉しい」
その声には、まだわずかな迷いが混じっているのを感じる。けれどそれ以上に、頼ろうとしてくれているのを感じ繋は嬉しく思った。
繋は少し目を細め、肩をすくめて笑ってみせる。
「やれやれ、面倒くさい弟ができたみたいだ」
「弟とか・・・・・・やめてくれ、流石に恥ずかしいです・・・・・・」
そう言いながらも、夏原の口元はわずかに緩んでいた。
また歩き出す頃には、二人の間に漂っていた硬さはほんの少しだけ薄れて、お互いの距離は近づいたのかもしれない。
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