第9話:祈願(前編)
2025/8/7 加筆修正
2025/10/26 題名変更+加筆修正
繋たちはシグルに言われた通り、校長室を目指して歩き出した。
校内には、どこか懐かしい空気が漂っている。長い渡り廊下、階段を上がる途中の広い踊り場。その一つひとつが、過ぎ去った中学時代の風景と重なり、繋の表情に一瞬、穏やかな笑みが浮かぶ。
───だが、すぐに現実へと引き戻された。
ちらちらと向けられる視線。すれ違う屈強な人々の目には敵意こそなかったが、物珍しげな好奇心が隠しきれていなかった。
繋は困ったように眉を下げ、小さくつぶやく。
「・・・・・・敵意があるわけじゃないけど、ああも物珍しそうに見られると、ちょっと居心地悪いよね」
「気にすんな」
ヒカルがぽん、と繋の背を軽く叩く。昨日と違い、どこか余裕のある笑みを浮かべていた。
繋も苦笑しながら、なるべく気にしないよう努めた。
周囲の視線は、純粋な興味から来るものだった。温厚で朗らかな空気をまとう20代の青年(中身は30歳)、活発そうな女子高生(中身は少しお転婆)、そして威圧感たっぷりの身長が高い男(身内には優しい)。そんな奇妙な組み合わせが歩いていれば、目を引くのも無理はない。
そんな視線にさらされながらも、3人はやがて校長室の前へとたどり着いた。
ドアの前で、繋の目がふとあるものに留まる。扉の下部に、小さくへこんだ蹴り跡のような痕があった。何かあったのだろうか。首をかしげつつも、気になる気配を胸にしまい込み、繋はノックを二度、軽く打った。
「どうぞ」
中からシグルの声が返る。繋はドアノブをひねって中へ入った。
「渡さん・・・・・・!」
「目が覚めてくれて良かった、本当は見舞いに行きたかったが、具合はもう大丈夫なんですか?」
声を弾ませて駆け寄ってきたのは、晴斗で、夏原は眉を八の字にして不安そうに尋ねてくれた。その姿に、繋は嬉しさと、少しだけくすぐったいような気持ちが胸に広がっていた。
「心配かけてごめんね。大丈夫、すっかり元気になったよ」
「・・・・・・本当に良かった。無理をしたと聞いていたので・・・・・・」
夏原の言葉に、繋の胸がきゅっと締めつけられた。
救助隊の壊滅、仲間との別れ──このたった数日で夏原が何を背負い、どれだけの痛みに耐えてきたかを思えば、その気遣いが胸に沁みた。
「夏原くんも・・・・・・少しは、休めた?」
「うっ・・・・・・」
夏原は言葉に詰まり、わずかに視線を逸らした。喉の奥で何かを飲み込むように唇を結び──やがて、静かに口を開く。
「・・・・・・正直に言うと、まだ・・・・・・引きずってます」
それは本音だった。
心の中では、何度も何度も「あの時、もっと早く動けていれば」と、終わらぬ独白がこだまする。自分を責める声は、もはや自分の思考と一体化していた。
倒れた仲間、助けられなかった人たち──
あの顔が、あの手が、夜毎、夢の中に現れる。助けを求める声が、耳にこびりついて離れない。
なのに目覚めるたび、現実には、もう誰もいない。
「・・・・・・でも・・・・・・」
夏原は言葉を継ごうとするが、次の言葉がすぐには出てこなかった。喉の奥で絡まる感情を、ごまかすように息を吐く。
「ここの・・・・・・救助隊長として。いつまでも立ち止まってるわけには、いかないですから」
それは、言わなければならない台詞だった。
自分を奮い立たせるために。誰かに「大丈夫」と思わせるために。
夏原は、ぎこちなく笑った。どこか表情の筋肉だけが引きつるような、痛々しい笑みだった。
けれど、その声音は明らかに――張り詰めた声だった。
ふと、肩が揺れる。
誰にも見せないように抑えていた怒りと悔しさが、背骨の奥で燻っている。何も終わっていないのだ。自分の中で何ひとつ、答えは出ていない。
けれど、それを認めたら、今にも崩れてしまいそうだった。
だから夏原は、言葉を繕う。痛みを見せないように、言い聞かせる。───次は、しくじらないと。自分にそう刻みつけるように、視線を落とす。
だがその目は、未だ深い影を湛えていた。仮初めの決意は、未熟なまま胸の奥に沈み込んでいく。
その揺れる目を見て、繋は言葉を探す。けれど、言葉は出なかった。
慰めも励ましも、今はきっと届かない。
むしろ、余計な一言が彼を崩してしまう気がした。だから、繋はただその場で静かに、夏原の姿を受け止めていた。
「えっ、あの後倒れたの!?」
少し離れた場所から、菊香の声が響く。
その声に、俯いていた夏原がふっと顔を上げた。その表情にはまだ翳りが色濃く残っていたが、さっきまでの張り詰めた空気は、わずかにだけ、和らいでいた。
(・・・・・・夏原くん)
繋はその姿を見つめる。
責任感が強い人ほど、自分を追い込むことを知っている。罪悪感は消えず、後悔は形を変えて何度でも現れる。終わりのない自己反省のループ。
それは、繋自身も常に味わっている、負の感情。
幸いにも、繋は自分の心を切り替える事には長けていた。
どちらかというと”長け過ぎている”ほどだった。だから、負の感情に飲まれる事はそうそう無いし、心を隠したり、切り替える事を”無意識”にやるレベルの悪癖だった。
(・・・・・・時間を作って、彼とちゃんと会話しよう)
繋は心の中で、そっと決意する。
このままでは、彼はいつか、自分を許せなくなる日が来るかもしれない。
その前に、ぶつからなければならない。彼のようなまっすぐな人にこそ、受け止める人が必要だと知っているから。
一方、菊香と晴斗は、
「疲れも溜まっていたからだよ、でももう大丈夫! あの後直ぐに寝て、もう元気!」
晴斗は笑いながら答え、菊香と和やかな会話を交わす。その様子をヒカルは腕を組んで黙って眺めていた。
「おや、まるで娘が他所の男と話をしていて気が気でないお父様みたいですわね」
シグルがヒカルのそろりと横に立って、こそっと他の人には聞こえないぐらいの声でヒカルを揶揄う。
「・・・・・・だれが父親だ、誰が」
ヒカルはわざとらしく体をそらしてシグルから逃げ、シグルはその様子にくすっと笑った。
(・・・・・・同じ”魂”だというのに、こうも違いますか)
ヒカルと、かつての“ある男”の姿を重ねて、シグルは思う。似ても似つかない性格。見た目も全く違う。しかし、魂の色も形も同じだというのに、”あの男”はこんなにも誰かの為に心動かすような人間ではなかった。
むしろ、周囲を、世界を憎み、他人に心を開かず、攻撃的だったはずだ。
(変化のきっかけは、環境? それとも人間関係?)
(いえ・・・・・・きっと、どちらも必要だったのでしょう。そして──それはきっと、ケイ様も同じ)
──そこで、ふとシグルの脳裏に、ある確信が浮かんだ。
手を顎に当てて、脳内で思考を整理する。
(ケイ様が若返った理由。あの男の“魂の年齢”が逆転している理由。・・・・・・あの男が倒された最後の瞬間、もし心から願ったとしたら──)
(「やり直せたなら」と──)
(最後の戦いの時、その願いが“呪い(まじない)”となってケイ様にかかった・・・・・・? ・・・・・・でも、なぜケイ様に? あの男とケイ様は何処かで出会っていた?)
シグルは知らない。
繋とあの男が短いながらも共に旅をしていた事を。
知らないから、シグルはあくまでも仮定して想像を巡らす。
願いは、時として“祝福”にも“呪い”にもなり得る。とくに、それが命を燃やし尽くした末の、魂ごと吐き出すような願いであったなら──それはただの祈りでは終わらない。
(“魔法”とは、意思を力に変える媒体。強い思念は、時空を越えて作用することがある)
(最後のその時、あの男の魂に刻まれた強烈な願望が、“呪い(まじない)”としてケイ様の存在そのものに絡みついた)
(その呪いはきっと、”ヒカルさまが転生した事”で果たされる形をとった)
──若返り、過去に遡るような魂の変容。それはきっと、本人の意思を越えた“呪いの結果”だ。
(異世界ではケイ様の魔力量が充分にあったから、発動はしなかった。けれど、地球に戻り魔力量が極限まで薄まり、防壁が無くなった今、抑え込まれていたその呪いが発現したのだとすれば・・・・・・)
(ありえる。十分に)
シグルの口が繋へと自然に開きかけた。けれど──
ヒカルと、菊香と、繋。
三人が穏やかに笑い合っている光景が、彼女の言葉を飲み込ませる。
(・・・・・・いえ。これは、まだ私の胸の内にとどめておきましょう)
シグルはその光景を微笑ましく見る。
(今、この瞬間、お三方が笑っていられるのなら、それでいいのです)
こんな過酷な世界で育まれ、結ばれた奇跡のような“縁”を。それをわざわざ解く必要はないのだから。
今はまだ緩くとも、いずれちゃんとしっかりと結ばれる事をシグルは願う。
(ふう。では、私も気持ちを切り替えましょう)
シグルは目を閉じ軽く息を吸って吐き、シグルは声を張る。
「それでは皆様、改めてお集り頂いてありがとうございます」
繋達はシグルの声に会話を止め、シグルの方へ身体を向ける。
「まずは、現状の共有と、そしてわたくしからケイ様たちへのご依頼をお話させて頂ければと思います」
「シグルさん。よろしくお願いします」
繋の返答を合図にシグルは校長室に置いてある大きなホワイトポードの前へ繋達を誘導する。
「まずは、お三方が知りたがっていた、この世界の現状についてです」
──難民キャンプは、確認できているもので日本国内に四つ。西の広島、中央の京都、南の奈良、そして東の東京。
──それぞれの拠点は“能力者”がリーダーを務めており、シグルの調査では、西のリーダーは氷の能力者、東は念動力の持ち主だという。
──ゾンビ化の原因は、いまだ不明。しかし、発生したタイミングは分かっているとの事でだった。四年前に起きた大地震から生物がゾンビ化し始めたという事。
そして最後の説明で、シグルがとんでもない事を口にした事で、繋が珍しく声を荒げる事になった。
「最後に、───来年、二回目のゾンビによるスタンピードが起きます」
「待って!!!」
繋は蒼褪めた顔でシグルに確かめるように再度聞く。
「本当に─────・・・・・・本当に、ゾンビのスタンピードが起きるの? それも、この地球で・・・・・・?」
「渡さん、シグルさん、その、スタンピードというのは・・・・・・?」
戸惑う繋に対して、夏原はなんの事だと口にする。
「スタンピードって、SFとかで良く聞く、魔物とかの大暴走のこと・・・・・・?」
晴斗は自身が持っている知識をひとつひとつ確認するように口を開いた。
「・・・・・・“ゾンビの群れによる大暴走”。それって、4年前──感染が広がった直後に起きた・・・あれ、だったりしますか?」
「ええ、そうですわ。夏原さんには余り馴染みのない言葉かもしれませんね。そして、晴斗さんの理解であってます」
シグルが頷き、さらに説明を続ける。
「この数年の記録を洗い直すうちに、判明したことがあります。ゾンビ化発症直後、非常に規模の大きいゾンビ群が複数都市を襲い、国家の中枢機能を完全に麻痺させたのです。そこから復旧が間に合わず、文明の崩壊が連鎖的に起きました」
「・・・・・・だからか」
繋はぽつりと呟いた。ずっと心のどこかで抱えていた違和感が解消されていく。情報を収集していても、4年前の発症後の情報がいくら探しても見つからなかったのだ。
それは、じわじわと蝕まれた結果などではなかった。
わずか数年で、なぜここまで世界が壊れ果てたのか。
それは、たった一回の世界を滅ぼすレベルの災害が訪れていたのだ。
繋の胸の奥に、冷たい緊張感が走る。
「元々は、大型動物の群れが興奮や恐怖で一斉に走り出す現象を“スタンピード”と呼びますが・・・・・・異世界にいた私たちの感覚で言えば、“魔物と魔獣による大災害”という表現のほうが近いでしょうね」
そう説明するシグルに、ヒカルが眉をひそめる。
「待て、そのスタンピードとやらはそんなにヤバイものなのか?」
ヒカルは実感が湧かない様子で尋ねる。同様に、菊香も夏原も現実味が無かった。
そんな中、晴斗が説明する。
「ゲームとか、小説でしか知らないから、本物がどういうレベルかは分からないけど、・・・・・・例えば、ゾンビの群れが津波みたいに押し寄せてきて、防衛が間に合わなければ、街どころか拠点ごと壊滅する。スタンピードって、それくらいヤバい災害って、俺は認識してます・・・・・・」
晴斗の説明に、シグルと繋を除く3人は驚きの余り、声を発せなくなった。
「・・・・・・そうか、シグルさんが僕にお願いしたことって──────」
その内容を聞いて、繋は気付く。
「ええ。そうです、二回目のスタンピードの対策の為に、他の拠点のリーダー達を仲間として引き入れるよう力を貸して欲しいのです」
シグルの声は変わらず落ち着ていた。だがその瞳には、静かに燃えるような決意と、深い疲労が滲んでいる。それが、彼女がどれほどのものを失い、それでも立ち続けてきたかを物語っていた。
そして彼女は続ける。その言葉は彼女なりの決意を示す様に静かだが芯のある言い方で。
「──────そうです。我々人類が生き残るために、今こそ力と思いを一つに」
そう宣言した。
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